植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

今日、おふくろから

「英明に見せたい物があるの」

と言われた。

おふくろの後について庭に行くと、壁に立てかけられた横長の板があった。

真っ黒に汚れた板を裏返すと、それは4年前(2003年)の『藤野英明選挙事務所』の『看板』だった。


 
4年前の4月には、妹の結婚式があった。つまり、『選挙』と時期がクロスしていた。

僕の立候補には、おやじ(父)をはじめ家族みんなが反対だったので

「妹の結婚に差し支えるので、お前の立候補のことは(武山では)秘密にしてくれ」

と、おやじに言われていた。

誰に反対されても1人でやればいいだけのことなので、僕は、近所の人にも一切、何も話さなかった。

『今までの選挙』の常識は全てやめて、『新しい選挙』をやろうとしていたから、地元とのカンケーを断ち切るのは望むところだった。

(実際、選挙期間7日間を通じて武山には合計して2時間しか戻らなかった。

過去のブログを読みかえしたら、あえて『近所の人々へ』という文章まで書いていた)

けれど、1つだけ困ったことがあった。

それは、

「選挙の時には必ず1ヶ所、どこかに選挙事務所を作らなければいけない」



と、(たぶん選挙管理委員会から)言われていたのだ。

選挙事務所なんて僕には必要ない。
 
あっても使うことさえ無い。

けれども、法律で決まっいて、しかも自宅以外に住所が無いからどうにもできなくて、しかたなく、おやじに頭を下げて自宅を住所にした。

立候補に反対していたおやじなので、当然ながら、良い顔はしなかった。

電話もあえて別回線を引いて、とにかく家には迷惑をかけないようにした。

加えて、選挙事務所の『看板』だけは付けざるをえなかった。

「選挙の初日から最終日まで7日間だけ、家の壁に看板をつけさせて下さい」

とお願いをして、選挙当日の朝に着けて、選挙最終日にはすぐはずす約束をして、看板をつけることにした。

平成町の『ホームズ』でコンパネ(厚めのベニヤ板)を買ってきて、ステッカー会社に勤める先輩にシールを作ってもらって貼った。

選挙が終わって、約束どおりに看板はすぐはずした。

その後、燃えるゴミに出していたと思っていた。

その看板が、出てきたのだ。

「何これ?どうしたの?」

と、おふくろに尋ねると

「草ぼうぼうの物置の陰に置いてあって、草を刈ったら出てきたの」

と、言われた。

「へえ、捨ててなかったんだね」

そう僕は応えて、次の資源ごみの日までにこのでかい板をどうやって捨てようかと考えていた。

「板を表向きにしてみて」

と、おふくろが言った。

そして、僕は板を表にしてみた。

「あっ!」

思わず、声が出てしまった。

雨ざらしになっていた裏面こそ、どす黒く汚れていたけれど、表面は思った以上にキレイなままだった。

藤野英明選挙事務所の看板

藤野英明選挙事務所の看板


けれども、驚いたのは、それじゃない。

文字が書かれていたのだ。

当選

これは父さんの字だった...。

3年前の12月、僕の父さんは脳出血によって、完全に植物状態になってしまった。

朝、不調を感じた父は自分の足で病院に行き、主治医から入院をするように言われた。

東京の杉並区立和田中学校を視察していた僕は14時頃、入院先の父のもとへ向かった。

意識がある状態で元気だった父は、

「英明、リハビリすればまた動けるようになるかな?」

と僕に尋ねた。

僕はもちろんだよと応えた。

どこの家庭でもそうだろうけれど、父親と息子とはなかなかうまくいかないもので、30年間、僕はおやじとまともに向き合ったことがなかった。

その2日前、やっと僕たちは打ち解けた。
 
「これからは毎月でも一緒に映画に行こう」

と約束した。

でも、あっという間にそれはもはや実現できない夢となった。

父さんは、僕とは対照的な九州男児だった。

柔道・剣道ともに有段者で、豪快にお酒を飲んで、いろいろなことを一人きりで解決していく人だった。

がさつなところもあるけれど、いつも自分のことは後回しにして他人の為に生きてきた人だ。

強くて優しい、素晴らしい父親だ。

幼い頃から僕は、ずうっと父のことを尊敬していた。

けれども、そんな当たり前の気持ちさえ、本人の前では言葉にしたことが無かった。

父が言葉を発することができなくなったあの日から、毎日毎日、父さんのことを考えている。

悩んだり、答えが出ない問題にぶちあたると、

「父さんだったらどうするだろうか」

と、いつも考えてきた。

父さんの声が聴きたい、といつも想ってきた。

過去にもらったメールも手紙も保存してある。
 
父さんが書いたメモ(メモ魔だった)もたくさんとってある。

でも、『新しい言葉』はもう発せられることは無い。

何度お見舞いに行っても、父の状態が好転することは無いままだ。

喉と胃に穴があけられて管を通されて、目は開いているけれど視力は無く、音声だけは聴こえている可能性はあるけれども反応はできない。

植物状態。

真っ暗闇で音の無い世界にいる父。
 
洞窟の中に独りでいるような状態なのか、孤独なのか、苦しいのか。もう戻ってきてはくれないのか。

父さんは今、伊豆の病院に入院している。
 
リハビリがしっかりしているので有名な病院だ。

横須賀の病院ではリハビリをしてくれない。
 
リハビリをしてくれる関東の病院はどこも混んでいて入れない。

だから、遠くこのまちを離れた伊豆にいる。

どれだけ特急に乗っても2時間半、そこからタクシーで20分。

僕は仕事にかまけて、もう半年くらい父さんに会いに行っていない。

決算議会が終わったら、予算議会が終わったら、いつまでもぐだぐだ言っていて僕は足が動かない。

おれは父さんの姿を見たくないのか。

こんなにいつも想っているのに何故おれはお見舞いに行けないのか。

いつもいつも自問自答している。

そんな僕の前に、3年前の12月からずうっと願っていた『父さんの新しい言葉』が現れたのだった。


 
「母さんは、父さんがこれを書いたの知ってた?」

「ううん、私も知らなかったの。きっとね、英明が当選したのがうれしかったんだろうね」

父さん...。

空きスペースに書かれた「当選」の文字

空きスペースに書かれた「当選」の文字


おれは、どうすればいいんだろう。

これから生きていく道を迷って悩んでいるおれの前に、できすぎたタイミングでこんな言葉を送ってきやがって。

父さん、おれはどうすればいいんだろう。

父さん...。



空きスペースに書かれた「当選」の文字

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