上智大学大学院を正式に「退学」しました/退学した3つの理由をご説明します

上智大学大学院を「退学」しました

2007年に入学して2年間にわたって在籍してきました上智大学大学院の博士前期課程(福祉政策専攻)を、昨日6月30日付をもって正式に『退学』いたしました。

退学通知

退学通知


どんなにつらい内容であっても僕は『公人』なので、学歴や職歴に新たに変更があれば、きちんと「事実」を報告し、その「理由」を説明する責任があると考えています。

そこで、退学に至った3つの理由をご説明いたします。



退学した3つの理由をご説明します

第1に、最大の理由は『学費が支払えないこと』です。

「政治家は高いお給料をもらっているんだから大学院の学費ぐらい何とでもできるだろう」という偏見があります。

僕はクルマも持っていませんし、持ち家でもありません。

父の医療費を支払いながら、家族の生活を守っていくので精一杯で、かねて申し上げている通り、借金はあっても、貯金はありません。

もう今年はどうしても大学院の学費を捻出することができませんでした。

それが『退学』の最大の理由です。

第2に、休学としなかった理由は『もう休学の費用も支払えないこと』です。

1年分の学費の支払いはムリだとしても、いきなり退学を選ぶのではなくて大学側は苦学生に対して細やかな配慮をしてくださっているので『休学』という措置があります。

これは学費の5分の1だけ大学院に納めて、大学院に籍を残して学生ではあるけれどもゼミなどには出られない状態を『休学』といいます。

けれども今年は休学費用もつくることさえ、どうしてもできませんでした。

だから、休学もいたしませんでした。

第3に、『人として僕自身のこころの葛藤が許せなかったから』です。

例えば、『父の医療費の1か月分』=『大学院の休学費用』です。『父の医療費の5か月分』=『大学院の1年間分の学費』です。

上智大学院の福祉政策専攻においてこころから尊敬するT先生のもとで『地域社会政策』をもとに横須賀の自殺予防対策を研究することは僕の夢でした。

だから、父の医療費のせいで大学院をあきらめることにとても怒りを感じることがありました。

「父さえ、こんな状態じゃなければ...」と。

あるいは、「当初のドクターの見立てどおりに2009年の今、すでに父が亡くなってしまっていれば学費が出せたのに」ということさえ僕の気持ちの中には何度も浮かびました。

けれども、同時に僕にとって父の存在は、誰よりも大切な存在なのです。

『大切な存在が死んでしまうこと』がイコール『大学院の学費をつくることが可能になる』、という現実がいつも僕のこころを苦しめてきました。丸1年間、悩み続けました。

人のいのちを大切にすることを最大の人生のテーマにしている僕が、僕自身の欲求の為に父の死を願うようなことは耐えられませんでした。

この葛藤から自由になる為には、退学するしかありませんでした。

この3点から、大学院を退学いたしました。



尊敬するT先生には感謝してもしきれません

僕の指導教授になって下さったT先生

かねて大学院の受験を考えるずっと前から、T先生の論文・文献をほぼ全てにわたって読んでいました。

T先生の研究テーマの1つである『地域社会政策』は『自殺予防対策』とは地域ですすめていくものだと考えるフジノにとって新たな視点・新たな道を拓いて下さったものでした。

論文や文献でしか知らないけれども個人的にずっと尊敬していたT先生が教授をしていらっしゃる上智大学大学院で学んでみたい

と、2004年のある日、夢物語かもしれないけれども考えるようになりました。

それから政治家としての仕事のかたわら2年間をかけて必死に勉強を重ねて、公務の合間をぬって入試を受けて、なんと、合格することができました。

しかも、念願が叶って、T先生のご指導を受けることができるようになりました。

T先生のご活躍はとても有名ですから、この福祉業界の方々ならばすでに『上智大学』『T先生』というイニシャルだけでもフルネームが分かっておられるはずです。それくらい素晴らしい方です。

そんなT先生ですから、ふだんは多忙を極める毎日です。

それなのに、今回の僕の退学騒動では最後の最後の日まで、なんとか退学にならないようにできないか、研究生活に戻ってこられないかと、僕を激励し続けてくださいました。

その頃、僕は吉田新市長の誕生後のフィーバーに振り回されていてプライベートのことを考える余裕はまったくありませんでしたが

T先生がわざわざ僕の携帯電話に留守番電話を残して下さったり、メールにて「最後まであきらめちゃダメだ」と書いて下さったのを見るたびに

こころがとても切なく、苦しくてたまりませんでした。

もともと僕は政治家にはむいていません。

やらなければならないことがあったから、他に誰もやらないから僕がやるしかなかったというだけのことで

(フジノが政治家に当選する前、このまちに自殺予防対策は存在していませんでした)

本来、僕は政治家という職業をひどく嫌っていますし、自分がこの仕事を続けていく姿が想像できないことはこの活動日記にもずっとくりかえし書いてきました。

T先生も僕の内面を深く理解して下さって

「いつでも政治家を辞めて、研究生活に戻ってきなさい」

と言って下さいました。

もう上智大学院生でも何でも無い一般人の僕に対して

「きみは私の弟子です。いつでも研究室に顔を出しなさい」

と言って下さいました。

尊敬する師匠の温かいお言葉に、僕は泣けてしかたがありませんでした。

T先生、本当にごめんなさい。本当にありがとうございます。

いつの日にか、僕に学費を捻出できるような暮らしができる日がきたら、もう1度、ゼロから入学試験を受けて、もう1回、先生のもとで研究を続けたいです。

「学問は生涯を通じて行なうものだ。がんばりなさい」

というお言葉、いつも胸に刻んでいます。

T先生、そして福祉政策専攻のみなさま、上智大学院のみなさま、ご迷惑をおかけしたことをこころからお詫びすると共に

政治家という激務をぬっての短い学生生活でしたが、本当にこころから感謝しております。ありがとうございました。