吉田市長就任後の市幹部級職員の大量退職について・上地議員による一般質問

2010年9月2日本会議・上地克明議員による一般質問より、「吉田市長就任後の市幹部職員の大量退職について」部分を議事録より引用。

(上地克明議員による質問)
次に、最近、相次いで部長がやめられ、これで市長就任後、部長級の退職者が5人になったということについてお聞きします。

私は、これまであなたの市職のトップとしての言動なのか、どうも首をかしげざるを得ない場面を幾度か経験しました。これも世代の違いなのか、あるいは世代論なのかと、これもよしと考えていたのですが、5人もの部長が退職してしまった事実は看過できず、市政のトップとしての当事者能力に大きな危惧を感じざるを得ません。これは私だけではないと思います。

実は、これまであなたの発言を聞いていると、何か先ほどの一柳議員とのやりとりを聞いても、何か君主論もしくは首長機関説とでも言えるような錯覚があるように思えてなりません。マニフェストの実現以外は組織統治論者としてしか思えない言動ばかりで、対外的に個人の主張やポリシーが全く伝わってこない。

先日も、佐久間議員が憤慨していたのですけれども、日本丸の本市寄港に際して、セレモニーだけの歓迎で、下船した来客者に対して心、ようこそいらっしゃいましたの思いがほとんどなかった。市長初めだれからも感じられなかった。これこそ市長、あなたがいつも非難していた官僚文化ではありませんか。

あなたの市長就任式の職員に対するあいさつの内容が、また同時に多くの違和感と脱力感を職員のみならず議員にも与えたということは知っています。

5人の部長の退職理由は、それぞれもっともらしい一身上の都合になっていますけれども、市長の言葉を借りれば、しりをふくことのできる太陽のようで山のような市長にして、このようなことが一体起きるのでしょうか。あなたの真意を知りたいのでお聞きします。5人の部長の退職に対してどのような感想をお持ちなのか。

また、しりをふくというのは具体的にどのようなことなのか、ケーススタディーで教えてください。

さらに、これまであなたがしりをふいた人がありますか、それも教えていただきたい。

(吉田市長による答弁)
次に、市長就任後、5人の部長級職員が退職したことについて、どのような感想をお持ちかという御質問をいただきました。

御指摘のとおり、昨年7月に私が市長に就任してから5人の部長級の職員が定年前に退職をされました。

私としては、それぞれの方に引き続いてその任に当たってほしいと願っていましたが、体調面や家庭の事情など、それぞれの御事情によって最終的にはお引きとめすることができませんでした。有能なベテラン職員である5人の部長級の方々の退職は大変残念なことであると考えています。

次に、就任式の言葉にあるしりをふくというのは具体的にどのようなことか、また、しりをふいた人はいるのか、具体的なケースはあるのかという御質問について御回答いたします。

市長就任に際してのあいさつの中で、しりぬぐいをしっかりできる市長でありたいという表現でお話をいたしました。これは、職員に対して、職務に忠実に、果敢に前向きに頑張って仕事に取り組んでほしいと、そしてその結果、生じた誤りについては、最高責任者である市長の私がその批判の矢面に立って責任をとる覚悟を持つというメッセージであり、自分自身への戒めの意味を込めて申し上げました。

ケーススタディーでお答えするのは難しいのですが、職員の皆さんと積極的にコミュニケーションを図るよう努めながら仕事を進めていまして、幸いなことに市長に就任してから私がしりをふいたという感覚を持ったことはありません。

(上地議員による質問)
次に、ここがきょうは少しメーンで、神学論争をするつもりもなければディベートをするつもりもない。話をしたい。

5人の部長が辞められた。これまでの市政を見て、みんなとずっと話をするのだけれども、蒲谷、沢田以前、長野さん、梅津さん、こんなこと1回もない。これはそれぞれの個々の事情があるとおっしゃる、私もそう思う。ただ、やっぱりモチベーションが下がったらとか、この人間に対するリアリティーがなくなったとか、果たしてこれでいいのかと疑問を持ったと。それは政策決定だとかいろいろな問題があるということにしか、そういう不信感しか我々は持っていない。

何が言いたいかというと、あなたが議員時代に持っていた思い、情熱、率直さ、それが全くなくなって、先ほど来ではないけれども官僚答弁になりつつあるということに大きな危惧を感じている。恐らくは変説をしたと一般論から言うかもしれないけれども、その立場になって考えたらこうだった。それは率直に言うべきだと私は思っている、こうだったんだと。官僚主義が嫌だというんであるならば、率直さ、正直さ、心、それしか官僚政治に対抗するものはない。それが一向に最近感じられないから、この話をしたいから話を持ちかけた。ということに対して5人の部長たちが危惧を持ち始めたんではないかと思っているのですが、その辺の回答をもう一度お願いしたい。

(吉田市長による答弁)
5人の辞められた部長の方々は、やはりそれぞれの退職事由がありました。私も当然慰留をさせていただきましたが、かなわなかったというのは、その退職理由にそれぞれの御自身の思いがあったんだろうと、結果としては慰留できなかったということです。

ただ、今、一緒に働いている現職の部長級の職員、また課長級の職員、当然全職員ですけれども、市長としてコミュニケーションというのはできるだけ心がけるようにしていますし、当然議会答弁ですから慎重にならざるを得ないところはありますけれども、ざっくばらんな形のコミュニケーションも部長の皆さんとは、部長を初めとして職員の皆さんとはとるような努力というのは、特に年度が変わって新しい人事体制になった以降は心がけているところでございます。より一層のコミュニケーションを通じて私自身の思いも伝えていきたいと思いますし、現場の職員の声というのもしっかり聞いていきたいと、そんなふうに考えています。

(上地議員による質問)
行政の一貫性というのは、継続性というのはよくわかる。あなたが今まで前市長を批判しながら出ていって、なったら変わってきたということもよくわかる。

ただ、危惧するのは、玉座だとか、時々話をする、それから君子豹変するということがあるかもしれない、どこかで発言した。市長とか民主主義の原点でそんなこと、君子あるいは玉座なんてあり得ない。それをあなたが議員時代から言ってきた話、あくまで契約に基づいてできた人間ということをぜひ肝に銘じないといけないと思っているということを言います。

うちの佐久間議員、非常に優しくて、関係ないかもしれないけれども少し変わった人で、職員に会うと全員あいさつする。ところが、ほとんど職員はあいさつを返してこない。こんな職員、これは職員たちの批判ではないですよ、考え方の違いだから。でも、少なくともそんなところから始めないでなぜでトップリーダーなのか、非常に疑問を持っている。

うちの西逸見三区というところがあるのだけれども、あいさつゾーンてでっかい看板がかかっている。ここにいる人たちはみんなあいさつをしている。私は、それこそ横須賀市の心だと思っている。少なくともあなたが言う官僚主義を否定するならば、先ほど言い忘れたのだけれども、日本丸が来たときに、皆さん降りてきた。セレモニーだけはやった。ところが、皆さんに対して、おいでいただいてありがとうございます、一人一人にそういう思いがない。この形式主義こそ官僚主義なのです。システムだとかそういうものをつくるのは役人の皆さんでいいの。そこに魂だとか心を与えるのはあなたの仕事、政治主導というのはそういうことなの。今、国で問題になっている。それをあなたはわかっていたはずなの。それがどんどん消えていくの。果たしてそれがあなたが言う市民のためと標榜するものに当たるのか。それはマニフェストだけの契約だけでいいのか。どんどんあなたが言っているところの実相と乖離していく。その事実を私は言わなければいけないと思っている。

これは多分うちの一柳議員がずっと話をしているのだけれども、かみ合わないのはその辺。かつて議員個人だった、組織のトップになった、だから組織機関説と言っているのだけれども、なったらころっと変わるのだよ。だからあのときはこうだったんだけれども、私はこういうふうに考えがあると率直に言えばいいの。その率直さがないのよ。率直さ、正直さ、心がなくてこれから首長をやっていく資格なんか僕はないと思っている。そういうことが5人が辞めた理由だと思っているの。もう一度その辺を尋ねたい。

(吉田市長による答弁)
先ほども申し上げましたとおり、議会答弁は、私、慎重にしていかなければいけないと思っていますが、佐久間議員がごらんになられたセレモニーの様子であるとか、恐らくほかの場面や機会等でも議員がお気づきになられているようなところというのは、私自身、当然あいさつの中身についても議員から非公式に御指摘などもいただく機会がありまして、1年通じてなかなか気持ちを込めるのも難しいところがあるなというふうにも感じてきたりもしているところです。

当然いろいろな機会で言及をしなければいけない方であるとかあるいは数字であるとか、市の施策であるとか、そういったものがある中で、また日本丸が来ていただいたときには、船長の方々に中をぜひごらんくださいという形で御案内されて、一般客の方々に対して、私自身がよくいらしてくださいましたという姿勢を示せなかった。当然ほかのイベントであるとかほかの岸壁で行う企画であるとかもう少し心尽くしできなかったのだろうかという反省点はあるのですが、そういう機会の中でどれだけ市長としての率直さ、議員のおっしゃる率直さ、そういったものを出していけるかというのは、ぜひこれからも自分自身自己研さんを積み重ねていきたいと、そのように考えています。

(上地議員による質問)
ぜひそれは進めて、自分との戦いだと思ってください。

それともう一点、しりをふくという表現、いまだによくわからない。我々の世代なんか、すごい違和感があるのですよ。これ誤解を恐れず言えば持論があって、年代によって歴史的にしりをふかれる世代と全然何もしない世代がある。例えば戦争時代があって、それをしりふく時代、その後、高度成長のときにはがんがんやって、競争だから、その後しりをふく時代。そうすると、団塊の世代の人たちというのはしりをふかれる世代。あなたの時代は、団塊の世代の息子さんたちもしりをふかれる世代なの。しりをふかれる世代がしりをふくことなんかできないと思っている。

それでお聞きしたい、例えばやり過ぎたってどういうことなのかわからない。例えば今これだけ財政難で債権をもとに、職員の皆さんがいろいろな思いをしながら回収に行ったとき、余りにもひどい対応で暴言を吐いてしまった。そうしたら向こうが訴えた。そうしたら絶対に職員を守る、そういうことがしりをふくことなのか。だれの何に対する、法律なのか、何に対するものなのか。あなたの言っているのは権威とか職において、職責を全うするという意味が、それがやりすぎというのと、社会的全体に見て、例えば違法に行き過ぎたのか。それをあなたは職員を守るのか。それは市民とぶつかるかもわからない。その決意が合わなかったらこんなこと言えないですよ。あなたの言う市民と、つくったマニフェストを言っている以上、市民とこれは相対するものが出てくる。そのときにあなたはどっちをとるかということを明確にしないまま、勝手にしりをふくといったら、これは全然わからない。市民もわからなければ職員もわからない。だからわからなくなってしまうのではないかと思っているのです。だから奇妙な脱力感、無力感を職員が感じてしまうのではないかと危惧している。明確なメッセージが、私はこのときあなたにこうしますとなければ、人なんかついてきません。それが私は5人の部長が辞めたということの一つの大きな理由だと思っているのです。もう一度答弁。

(吉田市長による答弁)
しりをふくという表現、世代の方で受けとめ方は違うというような御指摘をいただいて、その後の広報よこすか等では使わなくはなったのですが、私はその言葉にかけた思いというのは、やはり職員を守る、その責任者である私が最後は責任をとるという思いで書かせていただきました。

(上地議員による質問)
禅問答のようになってしまうのも避けたいし、ディベートをするつもりもないのだけれども、ただ、思いだとか心だとか、それがなければやっぱり人はついてこない。

守るといったって本当にあなたに守れるのか。今までの言動を見ていて、果たしてだれがそういうふうに思うのか。そういうことをあなたに忠告してくれたり、例えば議会などでもこういうことを真摯に受けとめて変えていこうという作業をしない限り、私はあなたは絶対変わらないと思っている。それは強いては市民のためにならないと。ぜひ肝に銘じていただきたいと思っています。

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