祖父の死に際して

祖父が亡くなりました

けさ4時過ぎに、入院先で祖父が亡くなりました。

12月6日に誤嚥性肺炎が理由で入院はしたものの、肺炎そのものの治療は数日で終わっていました。

その後は少しずつ少しずつ衰弱していって、亡くなりました。

96才。立派な『老衰死』でした。

「老衰」の定義

  • 早急に生命を脅かすような疾患を持っていない
  • 75才以上の後期高齢者、多くは85才以上の超高齢者で
  • 食欲低下、または嚥下(飲み干す)機能の低下によって
  • 経口摂取が減退または困難となり
  • 体重が減少し
  • 動く能力(可動性)、身体活動が低下した
  • 高度な虚弱状態

(『新・私が決める尊厳死〜「不治かつ末期」の具体的提案〜』一般社団法人日本尊厳死協会編、中日新聞社、2013年より)



これが『老衰』の定義なのですが、今の時代、健康な人でなければ『老衰死』をすることはできません。

祖父はまさに健康そのもので、今回入院するまで20年以上にわたって病院そのものにかかったことがありませんでした。

祖父は身を持って僕にたくさんのことを教えてくれました。

孫としてだけでなく、政治家として、2025年に向けて『看取り難民』を生まない為に、地域包括ケアの実現、看取り支援・看取りケアの重要性を強く訴えているフジノは、祖父からは学ぶことばかりでした。

とても立派な最期の日々を僕に見せてくれました。

笑顔の祖父と

笑顔の祖父と

後悔は、何もありません。

おじいちゃん子だった僕は、自分のできることは全てしようと決めて、努力しました。

パニック障がいによって電車での移動ができない僕ですが、祖父が入院した12月6日からは全ての気力を振り絞って、ほぼ毎日お見舞いに向かいました。

毎日パニック発作に苦しみ、時には電車内や駅ホームで倒れたりしながらも、これだけ毎日のように平塚への往復を果たせたのは、やはり祖父のことが大好きだったから執念だったのだと思います。

ベットでは1日中眠っている祖父も、病室にお見舞いに来た僕の声に目を覚ましてくれたり、手を握ると力強く握り返してくれたり、僕の想いにとても応えてくれました。

幼い頃から祖父はいつも別れ際に強い握力で握手をしてくれたのですが、入院中もギュッと握手してくれました

幼い頃から祖父はいつも別れ際に強い握力で握手をしてくれたのですが、入院中もギュッと握手してくれました


亡くなるその瞬間が近づいているその時さえも、祖父は僕に愛情を注いでくれたことを感じます。

僕は、年末年始はひたすら『祖父のお見舞い』と『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』の毎日でしたので、いつもよりもさらに『死ぬこと』と『生きること』を意識しながら過ごしました。

僕にとって祖父は、いつもこころの支えでした。

だから「祖父が亡くなった後の世界を生きる自分」をリアルにイメージして、祖父の想いを自分のこころに灯してこれからも強く生きていかなければと感じてきました。

ひ孫を祖父に抱かせてあげることができなかったのですが、いのちをつないでいかれるようにもなりたいと強く感じています。

病棟から見える夕陽

病棟から見える夕陽


僕の39年間の人生を通じて、祖父とは、あらゆることを語りあってきました。

語り尽くした、とは言えないけれど、ほとんどは語りあうことができました。

亡くなった今も祖父はいつも僕のそばに居てくれるような気がしてはいるのですが、これからは言葉による対話ができなくなることで時にはとてもさみしく感じるのかもしれません。

けれども、やがて僕が亡くなる順番もやってくるのですから、その時は祖父と再会を果たしてまたいろいろ語り合えたらと願っています。