父、危篤/ベッドサイドで過ごして

父、危篤

おとといの夜から、父が危篤状態です。

この1〜2日が山ということもあり、フジノは昨日の朝から、病院に詰めています。



父の病状

昨年、父は2度、心不全を起こしました。

そのどちらで亡くなってもおかしく無い状態でした。そのたびに何とか持ち直して、父はがんばって生き続けてきました。

そして今、3度目の心不全を起こしています。肺炎も併発しています。

ただ、過去2回とは異なって、極めて厳しい状態です。

体温も33度台に届くかどうか、血圧も60すれすれ、呼吸もとても浅いです。

余談ですが、1度目の心不全を起こした時は、ちょうど市長選挙の直前でした。家族みんなで病院に呼ばれて集まりました。

当時フジノは、広川さとみ候補の応援で朝の駅立ちや街頭演説に入りながら、その合間を縫って、父のお見舞い、お墓の手配、葬儀社との事前打ち合わせをしていたので、本当に目が回りそうでした。

この時にいろいろな作業を実際に行なった為に、これまで闘病が長かったけれども低空飛行で安定していた父が、本当に亡くなるのだということを強く自覚しました。

それまでも全力を尽くして父と向きあってきましたが、それまで以上に自分のできることを全てやらなければと決意しました。



父の闘病

これまで父は、植物状態で約9年間を過ごしてきました。

のどに穴をあけています(気管切開)。そこから、たんの吸引をしています。

栄養は、お腹に穴をあけて胃まで管をとおしています(胃ろう)。そこから、栄養を流し込んでいました。

昨年に心不全を起こしてからは、胃ろうを使うことができなくなり、現在は、首の鎖骨からチューブを心臓まで入れて、点滴で栄養を入れています(IVH=中心静脈栄養法)。

人は常に唾液をつくっていて、その他にも鼻水や涙などの分泌があります。それらがたんになって口の中に流れていくのですが、父はそれを飲み込む喉の動きができません。

そこで、吸引器を使って定期的にたんを吸引することで、いのちをつないできました。

ただ、どれだけ丁寧にたんの吸引をしても、全てを取ることはできません。少しずつ、のどの奥に流れていきます。

元気な人は、食べ物や飲み物は、のどから食道を通って胃へと流れていきます。もしも誤って気道に入ってしまうと、元気な人は「むせる」ことで気道から水分などの異物を押し出すことができます。

けれども父には「むせる」ことができないので、たんなどの水分が少しずつ肺へと流れこんでいきます。

たんに限らず、水分やごはんのかけらなどには菌がついていますので、肺にそうした異物が入っていくにつれて、肺は炎症を起こしていきます。それがイコール「肺炎」です。

ここ数年、父は肺炎を繰り返し発症するようになりました。

抗生物質で炎症そのものは治すことができますが、根っこの原因であるたんなどの異物の肺への流入を止めることはできません。

ですから、だんだんに肺炎の頻度も多くなっていき、症状も重くなっていきました。

こうして、現在に至っています。



息子として父に思うこと

今までをふりかえると、父には感謝しかありません。

ベッドサイドに座って今この文章を書いているのですが、昨日からずっと父に僕の幼い頃からの思い出を語りかけているのですが、どの思い出話の最後は感謝の言葉になります。

「父さん、ありがとう」

「おれにもしこどもがいたとしても、おれは父さんみたいには振る舞えないよ」

「ありがとね」

やっぱり父は、偉大だなあとつくづく感じます。

幼い頃には親の1つ1つの言葉やふるまいに対して未熟で理解できなかった訳ですが、今は身にしみて父の苦労が共感できるようになりつつあります。

父には感謝の気持ちばかりです。

政治家としてずっと医療・高齢者福祉・看取りについて学んできたおかげで、父の状態の悪さについてもドクターの説明をとてもよく理解できました。

そもそも政治家として医療・高齢者福祉・看取りについて学ぶ決意をして、これまでずっと取り組んできたのも、そもそも父の発病のおかげです。

どのような結果になろうとも、今の僕には悔いはありません。

父の生きざまを長男としてしっかりと見つめていようと思います。

そして、祖父、父、と大切な存在を続けざまに喪うことになる母を、とにかく守っていかれるようになりたいと思います。



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