浦賀港引揚船の悲劇を伝えるパネル展へ/終戦後も長く続いた苦しみの日々

戦後ようやく帰郷を目前とした人々を襲ったコレラの悲劇

今日は、浦賀の『ギャラリー時舟』へ向かいました。

ギャラリー時舟にて

ギャラリー時舟にて


本日から始まった、パネル展を見学する為です。

戦後、国外から帰国する為の人々をのせた船(引揚船)は、博多・佐世保を筆頭とする指定された港に入港しました。

引揚者数別の港の内訳

引揚者数別の港の内訳


中でも浦賀港は、約56万人と太平洋側では最も多くの方々が上陸しました(全体でも上位4番目でした)。

現在は横浜の山下公園に係留されている氷川丸も引揚船として使用されました

現在は横浜の山下公園に係留されている氷川丸も引揚船として使用されました


検疫の指定港となったことから、帰郷を果たせずに亡くなった多くの方々の悲劇の地としても知られています。

無縁仏となった方々は今も長安寺に安置されています

無縁仏となった方々は今も長安寺に安置されています


引揚船で発生したコレラを国内に持ち込ませない為に、検疫が終わるまで入港が許可されず、上陸を目前にしながら亡くなった方々がとても多かったのです。

長安寺の精霊塔

長安寺の精霊塔


パネル展では、当時の写真や新聞記事の展示とDVD上映などによって詳しく紹介されています。

浦賀港引揚船写真展

浦賀港引揚船写真展


8月12日の神奈川新聞で、その詳しい内容が報じられました。

コレラまん延 浦賀で引き揚げ船の悲劇伝えるパネル展

終戦後に浦賀港へ入港した引き揚げ船内でコレラがまん延し、帰郷を目前にしながら多くの人が無念の死を遂げた悲劇を伝えるパネル展が15日、横須賀市東浦賀2丁目のギャラリー時舟で始まる。終戦の日にあわせた企画で、主催者の市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」が6年前に制作したDVDも上映する。

浦賀港は終戦後に外地からの引き揚げ者が帰国する指定港となり、中部太平洋や南方地域、中国大陸などから約56万人を受け入れた。

だが、終戦の翌年に引き揚げ船内でコレラが発生し、以後も感染者を乗せた船が相次いで入港。伝染を水際で防ぐため、検査が終わるまで上陸が禁じられた。

引き揚げ船が次々と港にやって来る中、検査は追いつかず、数十隻が港近くの海上で停泊を余儀なくされることもあったという。

横須賀市発行の「浦賀港引揚船関連写真資料集」によると、コレラにかかって船内などで亡くなった人は少なくとも398人。栄養失調などを含めると、少なくとも1,517人が故郷に戻れぬまま、横須賀で息を引き取った。

主催団体は、ペリー艦隊来航時に黒船へ乗り込んで米側との折衝にあたった中島三郎助の功績や地域史を研究しており、港の歴史をたどる中で引き揚げ船の問題を知った。今回上映するDVD「浦賀港引揚船の悲劇」は、横浜税関などに残されていた引き揚げ船の様子を写したフィルム映像や関係者の証言をまとめ、2008年に制作したものだ。

パネル展では、同写真集に掲載された写真や当時の新聞記事などを掲示する。開催は15~17日と23日で、いずれも午前11時~午後5時半。同会の柴岡立雄副会長は「浦賀にこういう悲劇、負の遺産があったことをできるだけ多くの人に見ていただきたい」と話している。

当時の新聞より

当時の新聞より


パネル展では、当時の様子を知る方々のインタビュー映像などの上映も行われています。

DVD上映が1日3回あります

DVD上映が1日3回あります

横須賀市では、この悲劇を風化させてはならないという想いのもと、市政100周年に際して記念碑を建立しました。

市政100年時には記念碑も

市政100年時には記念碑も


市民のみなさまにも、この機会にぜひこうした史実を知っていただければと願っています。

ぜひ浦賀にいらしてください

『ギャラリー時舟』は、『浦賀の渡し』の船着場にあります。

浦賀の渡し

浦賀の渡し


1階のギャラリーで歴史を学んだ後は、2階のカフェでひと休みして下さい。

船着場

船着場


その後はぜひポンポン船にも乗船してみて下さい。

美しい浦賀の海を訪れて下さいね

美しい浦賀の海を訪れて下さいね


すぐそばには、全国からたくさんの人々が訪れる『叶神社』もあります。

とても素晴らしいまちです。

この浦賀の美しい海を訪れて下さいね。

そして、どうかこのまちの歴史をぜひ振り返ってみて下さい。

現在の美しい静かな海を見ていると、こんな悲劇が実際にあったことが信じられない気持ちになります。

とても遠い出来事で、自分とは全くカンケーのない『お話』にしか思えない。

でも、それは「確かにあった」「実際に起こった」ことなのです。

こうした事柄をひとつずつ一緒に知っていきましょうね。

後日追記

8月16日の神奈川新聞がさらに詳しく報じてくれました。

2014年8月16日・神奈川新聞より

2014年8月16日・神奈川新聞より

語り継ぐ戦後69年:引き揚げ船の悲劇伝えるパネル展

故郷を目前にしながら多くの人がコレラなどで命を落とした引き揚げ船の悲劇を伝えるパネル展が終戦の日の15日、横須賀市東浦賀のギャラリー時舟で始まった。

貴重な記録写真の掲示や映像資料の上映などにより「戦後史の空白」に光を当てた企画。

12年前に開催した写真展を機に、引き揚げ者の遺族らから寄贈されたコートや飯ごうなども公開している。

浦賀の地域史を研究している市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」の主催。

展示されている写真の大半は、駐留部隊撮影の記録写真を米国から買い集めた。

引き揚げ船として最初に浦賀へ入港した氷川丸(1945年10月)をはじめ、46年にコレラが発生して以降の船内の状況、骨と皮だけのようにやせ細った患者の姿、重症患者を背負って搬送する若い看護婦や、診療、消毒などの様子を収めている。

救護活動のため戦後に看護婦へ出された戦時召集状、久里浜の寺院に今も安置されている引き揚げ船関連無縁仏の骨つぼなど、戦後の混乱や戦争の罪深さを現在進行形で伝える写真も掲示している。

上映している映像は、引き揚げ船内の様子を写したフィルムや関係者の証言をまとめて編集した主催団体の自主制作DVD。

パネル展は、16、17、23日の午前11時から午後5時半までで無料公開している。

会場でDVDを鑑賞後に購入した同市浦上台の主婦(66)は

「浦賀に引き揚げ船が来ていたことは知っていたが、コレラや防疫のことは知らなかった。何人かで集まるときに、DVDを見せようかと思います」

と話していた。

2回にわたって報じて下さった神奈川新聞の熱意に、深く敬意を表します。

浦賀に所蔵されている「引揚に使われた氷川丸」の写真

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