虚偽答弁から8ヶ月、問責決議から2ヶ月、ようやく正式に訂正し謝罪した吉田市長/2016年予算議会

昨年12月議会での経緯

百条委員会』の中間報告が2015年12月10日に市議会に出されました。

百条委員会による「中間審査報告書」

百条委員会による「中間審査報告書」


「吉田市長の答弁は虚偽だった」との趣旨の指摘が成されました。

市長の政治責任を厳しく問う結論となった「中間審査報告書」

市長の政治責任を厳しく問う結論となった「中間審査報告書」


そして、『問責決議案』が出されて可決されました。

市長の与党会派を除く全ての会派から問責決議案が提出されました

市長の与党会派を除く全ての会派から問責決議案が提出されました


横須賀史上初めて『1人の市長が2度目の問責決議』を受けました。

ところで採決の前に、吉田市長の与党会派のある議員が反対討論に立ちました。

そして、

「もうこんな茶番はやめにしましょうよ!」



と壇上で叫びました。

同じ与党会派の議員が「そうだ!」と賛同のヤジを飛ばしました。

拍手までしました。

下の再生ボタンを押すと聞けます。




これを聴いたフジノは、

「この方々は『二元代表制』も『民主主義』も全く理解しておられない。同じ政治家として恥ずかしい」

と、とても残念に感じました。



二元代表制、そして質疑と答弁の持つ意味

市長を応援している人々が「市議会が市長をいじめている」と話していると聴きました。

完全な誤解であり、完全な間違いです。

そもそも『二元代表制』をとる横須賀市は、市長(執行機関の長)も市民の代表であり、市議会(立法機関)も市民の代表です。

市議会は、常に市長(執行機関)を監視するのが仕事です。

そもそも市議会が市長に厳しく向きあうのが本来の仕事であり、それを『いじめ』といった市民全体の同情をかうような表現を用いて吉田市長をかばうのは『単なるイメージ戦略』です。

さて、国・地方を問わず、議会では言葉による質疑・議論はとても重要なものです。

市議会は、市長が提出する議案や報告をもとに、疑問点や問題点を質し、市長らの答弁をもとに議論を行ない、そして採決(賛成か反対かを決める)に至ります。

市民のみなさまの税金や保険料がどのように使われるか。

市長らが提出する資料や答弁する言葉が正確な事実に基づいているものだという前提によって、市議会は質疑・議論を行なって、最終的に判断を下すのです。

しかし、市長が行なう答弁がウソであったとしたら?

そうです。

ウソの資料や答弁に基いて、市議会は誤った決断(賛成・反対)をすることになるのです。

つまり、そこに『民主主義』は成り立ちません。

昨年ずっと僕は、『戦争法制』への反対から若者たちが「民主主義って何だ?」と問う姿を見てきました。

国会の前で叫ぶ何万人もの姿を毎日のように報道を通して見てきました。

けれど、僕は言いたい。

「そもそも国会どころか、横須賀市にも『民主主義』が存在していないことに気づいてほしい」

と。

市のトップがウソをついていて、市議会はそれを正そうとしている。

しかし、市長を応援している人々は「茶番」「いじめ」という言葉による『イメージ戦略』で現実をごまかそうとしている。

いじめじゃないし、茶番じゃない。

実態は、『民主主義の危機』なのだ。

市民のみなさまはそれに早く気づいてほしいです。



「市長による民主主義の破壊」を正そうとする市議会の努力を「茶番」と叫ぶ与党議員

吉田市長はこれまでも数年間にわたってずっと不誠実な答弁を繰り返してきました。

それが2015年になってようやく市議会全体の問題意識として共有されて、『百条委員会』が立ち上がりました。

もはや市長の答弁が「本当のことを毎回きちんと答えているか信頼できない状態になってしまったから」です。

相手の言葉がウソかもしれない、その言葉の真偽そのものをまず調べねばならない。

こういう状態では『正常な議論』ができません。

つまり、質問者に対して答弁者が誠実に事実に基づいた答弁を行なうことが大前提にあって、初めて議論が成立するものなのです。

それが今、吉田市長のもとではその信頼関係が成立していないのです。

市議会は市民の代表です。

市民の代表にウソを言い続けている可能性が高いという事態に、市議会が事態の正常化を求めて『百条委員会』を設置したのは当たり前のことです。

ウソが続けば、質問しても無意味です。

実際この数年間、市長の答弁があまりにもいいかげんなので、フジノはこんな風に感じることがしばしばありました。

「どうせ市長に質問してもウソの答弁かもしれない。だったら市長に質問しても意味が無い。公務員としての矜持を失っていない部長クラスか課長クラスにしか質問しないことにしよう」

こういう状態を正常化する為に立ち上げたのが『百条委員会』です。

昨年12月議会までの『百条委員会』の中間報告で取り上げたのは、久里浜港への日本丸招致についての1つの虚偽答弁についてでした。

しかし市長が虚偽答弁を疑われたのは今回が初めてではなく、民主主義の根幹であるウソのない答弁をもとに議論を続けるという根本的な信頼関係が損なわれたのです。

『日本丸招致』問題での答弁だけがウソか本当かが問われているのではないのです。

『民主主義』が問われているから、だから『百条委員会』が開かれたのです。

それを理解できないままに反対討論で「こんな茶番はやめましょうよ!」と叫んだ議員は、残念ながら「そもそも『二元代表制』も『民主主義』も全く理解できていない」と断言します。

「そうだ!」とヤジを叫んだ議員もまた『民主主義』を理解できていない、大変情けない方だ、とフジノは悲しく感じました。





与党会派であれば、『民主主義』が破壊されていても市長にベッタリとついていく。

それは『二元代表制』に基づく政治家としてふさわしくありません。



虚偽答弁から8ヶ月、問責決議から2ヶ月、ようやく正式に訂正し謝罪した吉田市長

虚偽答弁から8ヶ月が経ちました。

『中間報告』『問責決議』から2ヶ月が経ちました。

2015年12月10日・百条委員会「中間審査報告書」では「速やかな訂正・市民への謝罪」を求めています

2015年12月10日・百条委員会「中間審査報告書」では「速やかな訂正・市民への謝罪」を求めています


今日スタートした2016年予算議会。

その冒頭で、市長から発言したい旨の要請が議長にありました。

『中間報告』と『問責決議』に応じて(すでに2ヶ月も経過していますが)、答弁の訂正と陳謝をしたいということでした。

市長は以下のように発言しました。

失われたこのまちの『民主主義』は、まだ全く回復していません。

『百条委員会』が扱う問題は、あと2つ残っています。

しかし、フジノの中では『百条委員会』が扱う3つの問題だけではなく、その他にもいくつもの市長への疑問(疑惑?)が残っています。

このように信頼関係が崩れたままの市議会と市長とで、まともな議論が成立するのでしょうか。

まともな議論が成立しないまま、市民のみなさまの税金や保険料の使いみちが決められていくのは、ひとりの政治家として40万人市民のみなさまに責任を持てない想いです。

吉田市長も、副市長も、部長らも、今年こそはしっかりしてほしいです。

そして幹部職員のやり方に「自分も従うしか無い」と諦めている課長職のみなさんも、諦めないでほしいです。

横須賀市はかつて全国に知られる『スーパー公務員』をたくさん排出してきた素晴らしい市役所でした。

『公務員の矜持』を持つ、熱い職員がたくさん存在している市役所でした。

今は多くの職員が萎縮しています。前例踏襲主義に陥っています。市長の顔色を窺ってばかりです。

今年こそはこのまちに『民主主義』を取り戻したいです。

今年こそは市民のみなさまの税金や保険料の使いみちや条例の制定改廃が正しい情報に基いて議論されて採決されるまちに横須賀を戻したいです。

今年こそは市職員のみなさまが胸を張って働ける市役所に戻したいです。

一刻も早く『民主主義』を横須賀に取り戻したいです。



翌日の神奈川新聞が市長の訂正・陳謝を報じてくれました

こうした『横須賀の危機』を全国紙は残念ながら報じてくれません。

2016年2月18日・神奈川新聞より

2016年2月18日・神奈川新聞より


けれども地元紙である神奈川新聞は、しっかりと報じて下さいました。ありがとうございます。



2016年2月18日・神奈川新聞より

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