【報告】「政務活動費を違法・不当に支出した藤野英明横須賀市議会議員は返還せよ」と住民監査請求されました/監査委員から「何も問題は無い」「請求は棄却する」との結論が出ました

「フジノは政務活動費を違法・不当に支出したので返還せよ」と「住民監査請求」が起こされました

2016年4月中旬に、横須賀市の監査委員事務局から

「フジノ議員に対して『住民監査請求』が出されました」

と連絡を受けました。

「住民監査請求」の図解です

「住民監査請求」の図解です


何を訴えられたかというと

昨年2015年4月分の政務活動費の支出が違法・不当な支出なので返還せよ

という内容だとのことでした。

下の文章がその要旨です。

請求の要旨

藤野英明横須賀市議会議員が、平成27年度(2015年度)政務活動費収支報告(4月分)に記載した研修費、広報費、及び、事務所費として計上した支出には、違法、若しくは不当な公金の支出が含まれると思料するので、地方自治法第242条の規定による監査を請求し、不当な行為の是正又は防止措置、及び、返還請求などの必要な措置を講じることを求める。



全ての文章は膨大な量にのぼるので、のちほど監査委員の結果報告とともにPDFファイルで掲載します。

それから1ヶ月の間、昨年の政務活動費の収支報告書や領収書のチェック、弁護士との相談、議会事務局との意見交換、そして監査委員からの事情聴取(聞き取り調査)などが続きました。



監査委員による結論「違法・不当な支出だとは認められない」「請求は却下する」

本日5月25日、この請求に対する監査委員の調査結果(結論)が発表されました。

横須賀市報に掲載された「監査委員公表」

横須賀市報に掲載された「監査委員公表」


『横須賀市報』と、横須賀市監査委員事務局のホームページにも掲載されています。

結論は以下の通りです。

政務活動費の不当・違法な支出は無かった、との結論

政務活動費の不当・違法な支出は無かった、との結論

結論
請求書の「第3 求める措置 1及び 2」に該当する各請求に係る支出について、使途基準を逸脱する違法又は不当な支出であるとは認めらなかった。

したがって、当該支出による市長の返還請求権は存在しないこととなり、違法又は不当に財産の管理を怠る事実は認められなかった。

このため、請求書の「第3 求める措置1及び2」に該当する各請求について、市長の不当利得返還請求権の行使を怠る事実があるとの請求人の主張には理由がないものと認めこれを棄却する。

つまり、「何も問題は無かった」との結論が監査委員によって出されました。

監査委員による報告の全文をPDFファイルでこちらに掲載いたします。



年度初めの多忙な時期にご迷惑をおかけした監査委員事務局と議会事務局にお詫び申し上げます

『住民監査請求』そのものは地方自治法に定められた、市民のみなさまの大切な権利です。

ただ、『住民監査請求』を受けてから監査委員が『結論』を出すまでの日数が60日間とかなり短く法律で設定されてしまっています。

その為、今回の請求によって、監査委員事務局のみなさまをはじめ、市議会事務局のみなさまには、通常の業務に加えて本当に多くの負担をかけることになってしまいました。年度初めで人事異動もあった中でのこの調査は、大変なことだったと思います。

監査委員事務局と市議会事務局のみなさまには、ご迷惑をおかけしたことを改めてお詫びいたします。



フジノ自身もとても多くの時間をとられ、公私ともにとても苦労しました

正直なところ、フジノ自身も疲れました。

過去にもくりかえし濡れ衣を着せられてきましたが(これこれ、他にも多数あります)、それは政治家である以上、仕方がありません。この仕事は他人に嫌われるものだからです。

けれども、今回もまた『本来なら仕事をする為の時間』をたくさん奪われたことが空しくて仕方がありませんでした。

私的なことで言えば、母の日常的なサポート、亡くなった父の『一周忌法要』の準備をはじめ、とても忙しい時期でした。

公的なことで言えば、フードバンク・こども食堂の立ち上げにまつわるいろいろな出来事をはじめ、いつもながら毎日のスケジュールは仕事で埋まっていました。

そこに、こうした『住民監査請求』を受けたので、毎日むりやり時間をつくりました(たいていの場合は睡眠時間を削ることになったり、いくつかの市民相談をお断りせざるをえませんでした)。

監査委員からの事情聴取や議会事務局との意見交換などをはじめ、過去の資料をチェックしたり、膨大な時間と労力を取られてしまいました。

とても疲れました。

そして、本来ならばもっと多くの時間を市民のみなさまのご相談を伺ったり、政策を提案したり、行政側と議論する時間に充てることができたはずの時間を奪われたことを残念に感じています。

今も6月議会での市長への一般質問の為の質問づくりに追われて、とても忙しい時期です。

けれども監査委員の結論が発表されるまでは、なかなか気持ちが落ち着きませんでした。

あらかじめ、「結論は5月25日に『横須賀市報』で発表される」と知らされていました。

その為、今日参加したかった勉強会(ローカルマニフェスト推進地方議員連盟神奈川勉強会)がせっかく横須賀で開催されたのですが、それも諦めました。

「当日に『横須賀市報(監査委員の結果)』が発表されるから、まずはその結果を確認しなければ...」と申し込みを諦めざるをえなかったのです。

監査委員によって『無実』が明らかになったとはいえ、フジノはとても虚しい気持ちになりました。

最大の税金のムダ遣いは、『フジノの時間を奪って仕事をさせないこと』だとフジノは感じています。

市民のみなさまは『政策のフジノ』がガンガン働くことこそを望んでいると思います。

今回こうして監査委員からも「問題なし」とのお墨付きを頂きました。

改めて6月議会に向けて、しっかりと仕事に専念していきたいと思います。

これからもフジノは、仕事をします。



大晦日、今年最後の「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」でした/ひとり自殺対策街頭キャンペーン2015-16

プロレス観戦後、ワイデッキへ

昨年までずっと大晦日はいつも父の入院先の病院にお見舞いに行っていました。

今年6月に父が亡くなり、『大晦日の午後から夕方のお見舞い』というスケジュールがぽっかり空いてしまいました。

でもそのおかげで、ドブ板通りで開催された大仁田厚選手の試合を観ることができました。

プロレスが大好きなフジノですが、父が12年前に入院してからはほとんど試合も観に行くことがありませんでした。大仁田選手の試合もずっと観たかったのですが、行けませんでした。

それが父の没後、初めて大仁田選手の試合を観れた、しかもいつも父と過ごすことにしていた大晦日に観れた、という不思議な巡りあわせに「人生って不思議なものだな」と改めて感じました。



今年最後の「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」へ

プロレス観戦から10分後にはもうワイデッキへ立っていました。

大晦日の実感が全くありませんでした

大晦日の実感が全くありませんでした


こちらは毎年変わらない、年末年始の『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』です。毎年、大晦日も変わらずに行なっています。

「横須賀こころの電話」をみなさまに知ってほしいです

「横須賀こころの電話」をみなさまに知ってほしいです


『横須賀こころの電話』は、大晦日も夜中0時まで電話を受け付けています。

多くの方々が『カウントダウン』でヴェルニー公園に集まったり、祖父母の実家に帰省したり、海外へ旅行しているこの年末年始。

それでも『横須賀こころの電話』の相談員のみなさまは、毎年大晦日も深夜0時まで電話を受けて下さっています。

もちろん明日の元日も朝10時から電話を受けてくれています。

そんなみなさんの日々の活動を思うにつけても、フジノも年末年始を休む訳には行きません。一緒にがんばるだけです。

今日もたくさんの方が声をかけて下さってありがとうございました。



2016年が「希望」を感じられる年になりますように

今年は、個人的にも、公人としても、厳しいことばかりでした。

個人的なことは割愛しますが、政治家としては解釈改憲からの戦争法案との闘い、本当に民主主義とは何かが問われた1年でした。

横須賀においても民主主義が揺らいだ1年でした。

数年前から何のノウハウも無いNPOに仕事を随意契約したり、不誠実答弁を繰り返してきた吉田雄人市長が、今年に入っても虚偽答弁を繰り返し、政治献金をもらった人間を採用するなど情実人事と疑われてもしかたないことがついに『100条委員会』の設置へとつながりました。

こうした間違った政治は、もう終わりにしなければなりません。

吉田市長は可能な限り早く辞任すべきだという結論にフジノは至りました。あらゆる面で停滞している横須賀を前に進めるには、トップが変わることがまず必要です。

長期的な人口推計はまず外れない、というのが社会保障に関わる人間の共通認識です。

このまち(そしてこの国)の人口は確実に大きく減少していくことは変わりません。

地方創生や小手先の少子化対策は、ほとんど効果が無いでしょう。

多くの政治家たちは、まるで数年で少子化や介護人材不足が解決できるかのようなことを言いますが、嘘です。論理的に絶対にムリです。

けれども、フジノもそうですが、社会保障・社会福祉の専門家は決して悲観していません。

必ずこのまち(この国)は、前に進んでいくことができます。

超少子・超高齢・多死社会においても、必ずこの困難を乗り越えていく方法はあるはずだと多くの専門家は信じています。

フジノも全く悲観していません。

ただ、市民のみなさまをはじめ、多くの方々はこのまち(この国)の将来に『希望』を感じることができていないのが現実だと思います。

それをフジノは2016年はしっかりと政策として分かりやすくご説明を繰り返し、市議会でも提案をしっかりと訴えて、実現していくことに全力を尽くしたいです。

誰もが『希望』を感じられるまち(国)へと改めて前に進めていきたい。

客観的な推計や事実に基づいた適切な危機感を持つこと、目の前の危機に対する合理的な対策をとった上での悲観は大切です。

しかし、その先に必ず『希望』はあります。

2016年は『希望』をしっかりと語っていきたいです。

みなさま、今年も大変お世話になりました。

明日もフジノはいつもどおり働いていますが、いちおう大晦日なので、来年への決意を語りました。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。



「第1回療養病床の在り方等に関する検討会」が開かれました/「エンド・オブ・ライフ・ケア」「クオリティ・オブ・デス」の在るべき姿を市民のみなさまと共に考えていきたい

「療養病床の在り方」の議論がついにスタートしました

ついに始まりました。

『療養病床』の在り方を検討する厚生労働省の審議会が今日スタートしました。

「第1回療養病床の在り方等に関する検討会」議事次第より

「第1回療養病床の在り方等に関する検討会」議事次第より


フジノにとっては「またも、ついに始まったか」という気持ちです。

そもそもフジノが『療養病床』の存在を初めて知ったのは、父の脳卒中による入院が始まりでした。

当時は

「父と同じように慢性期の医療的ケアが必要な方々がみんな居場所が無くて苦しんでいる。ご本人とご家族の為に『現実』を変えねばならない」

という想いから、様々な活動に取り組みました。

様々な取り組みを続ける中で、少しずつ視野が広がりました。

これは『療養病床』というひとつの『医療の機能』の問題ではなく、『クオリティ・オブ・ライフ』『クオリティ・オブ・デス』『エンド・オブ・ライフ・ケア』の問題なのだと理解しました。

こうして父の入院から十数年を経た現在に至るまで、ずっと関心を持ち続けるテーマとなりました。今も強い関心を持ち続けています。



2017年の法改正に向けた「提言づくり」が検討会の目的です

今日、厚生労働省(国)がスタートした審議会は、この『療養病床』の在り方を議論します。

会場の「ホテルグランドアーク半蔵門」にて

会場の「ホテルグランドアーク半蔵門」にて


フジノが「またも」とはじめに書いたのは、この議論は何度も形を変えて繰り返し続けられてきたからです。

検討会の会場にて

検討会の会場にて


今回設置された『検討会』の具体的な内容は、超高齢社会の今、『慢性期』の医療ニーズに対応できる医療・介護サービス体制を実現する為に具体的にどのような改革をしていくべきなのか、その選択肢を整理することです。

検討会終了直後の様子

検討会終了直後の様子


ここでの提言をもとに、2017年に法律を改正する予定です。

今日は、初回だったこともあり、参加した委員メンバーの顔合わせと自由に意見を述べ合って終わりました。

次回以降の本格的な議論もしっかりとフジノは追いかけていきます。

配布された資料から、数点を引用してご紹介します。

まず、目的と検討する事項についてです。

目的

  • 本年3月に定められた地域医療構想ガイドラインでは、慢性期の病床機能及び在宅医療等の医療需要を一体として捉えて推計するとともに、療養病床の入院受療率の地域差解消を目指すこととなった。
  • 地域医療構想の実現のためには、在宅医療等で対応する者について、医療・ 介護サービス提供体制の対応の方針を早期に示すことが求められている。
  • 一方、介護療養病床については、平成29年度末で廃止が予定されているが、 医療ニーズの高い入所者の割合が増加している中で、今後、これらの方々を 介護サービスの中でどのように受け止めていくのか等が課題となっている。
  • このため、慢性期の医療ニーズに対応する今後の医療・介護サービス提供体制について、療養病床の在り方をはじめ、具体的な改革の選択肢の整理等を行うため、本検討会を開催する。

検討事項

  1. 介護療養病床を含む療養病床の今後の在り方
  2. 慢性期の医療・介護ニーズに対応するための(1)以外の医療・介護サービス提供体制の在り方



続いて、論点のたたき台(事務局である厚生労働省が出したもの)です。

具体的な改革の選択肢の整理等にあたってご議論いただきたい論点(たたき台)

  1. 慢性期医療の在り方について
    今後の超高齢社会では、複数の疾患を持ち、医療と介護のニーズを併せ持つ高齢者が増加していくが、慢性期医療には急性期医療とは異なる役割があること等を踏まえ、今後の慢性期医療の在り方についてどのように考えるか。

    例えば、次のような視点について、どのように考えるか。
    ・ 病気と共存しながらQOLの維持・向上を目指す医療
    ・ 病気を治すだけでなく、本人や家族の意向も踏まえ、患者の生活全体を視野に入れた「治し、支える」医療
    ・ 尊厳をもって人生の最終段階を迎えることを支える医療 等

  2. 慢性期医療の提供体制等の在り方について
    (1)医療提供側に求められる機能の在り方
    今後の慢性期医療の在り方を踏まえ、医療提供側に求められる機能には、どのようなものがあるか。

    (2)医療提供形態の在り方
    上記(1)の機能を果たすための医療提供形態の在り方としては、「療養病床のように、 医療スタッフを内包して提供する形」と、「在宅医療のように、住まいを拠点として医療を 外から提供する形」に大別されるが、それぞれの提供形態の在り方や、選択肢を考える上 での条件等(患者像等)についてどのように考えるか。

    (3)療養病床における医療等の在り方
    上記(1)(2)の論点も踏まえつつ、療養病床において主として対応することが求めら れる患者像についてどのように考えるか。

    また、患者像を踏まえた療養病床における医療の在り方について、どのように考えるか。 その際、例えば、次のような視点や慢性期医療の役割等を踏まえて、どのように考えるか。

    ・ 病気と共存しながらQOLの維持・向上が図られるよう、在宅復帰や在宅生活の継 続を支援する
    ・ 継続的な医学管理を行い、人生の最終段階においても穏やかな看取りを支える 等

    さらに、上記を踏まえた以下のような論点について、どのように考えるか。
    1 人員体制の在り方
    2 施設や設備の在り方
    3 制度上の位置付けの在り方(医療法、介護保険法、報酬制度等)
    4 基盤整備計画上の位置付け(医療計画、介護保険事業計画)や施設等の整備に対する財政支援の在り方

    (4)療養病床以外の医療・介護サービス提供体制の在り方
    切れ目なく、医療・介護サービスを提供する上で、療養病床における医療等の在り方も踏まえ、慢性期の医療・介護ニーズに対応するための、療養病床以外の医療・介護サービス提供体制の在り方について、どのように考えるか。

明日以降、どうか新聞各紙やメディアがこの検討会とテーマについて取り上げてくれることを願っています。

市民のみなさまにとって、かつてフジノがそうであったように体験するまでは自分にとっては縁のない遠い世界のお話に過ぎません。

けれども、もしも自分と自分の家族にふりかかった場合(この先、2050年までは誰の身にもいつでも起こるでしょう)、本当に重要なテーマだということを誰もが痛感させられることになります。

日常生活の中では極めてマイナーで、誰も関心を持たないことがらです。

けれども、2025年〜2050年を見据えていくのが仕事のフジノにとっては、最重要政策のひとつです。

反対すべきことには徹底して反対していくとともに、これからの『エンド・オブ・ライフ・ケア』『クオリティ・オブ・デス』の在るべき姿を求めてしっかりと議論がなされるようにしていきたいです。

これからも情報発信をしていきます!



みなさまのおかげで、今日、母が退院しました/横須賀市議会議員選挙(終了後5日目)

7日間の選挙中、ほとんど活動しなかった理由

ツイッターをご覧のみなさまはご存知かと思いますが、今回の市議会議員選挙で、フジノは7日間のうち合計5日しか選挙活動をしていません。

その5日間も、半日間くらいしか街頭には立ちませんでした。

いくつもの出来事が重なった為なのですが、その1つが『母の入院』でした。

4月21日のツイートより(自転車に後ろから轢かれたりもしました...恐ろしく嫌なことばかり重なった選挙でした)

4月21日のツイートより(自転車に後ろから轢かれたりもしました...恐ろしく嫌なことばかり重なった選挙でした)


もともと11年間にわたって父は入院しているのですが、その父が「危篤となった」との連絡を受けたのが選挙2日目のお昼のことでした。

「母も父も入院しているのに、長男のおれが選挙活動なんか続けてて良いものなのか」と、かなり悩みました。

世の中の多くの息子たちと同じく、マザコンとまでは言いませんが、僕もわが母が大好きです。

「両親が入院しているのにおれは選挙なんかにかまけていて良いのか?」という自問自答です。

2015年4月19日のフジノのツイートより

2015年4月19日のフジノのツイートより


危篤の報を受けて、父のもとにはすぐに向かい、一晩ベットサイドに居ました。

結局、

「もしも父さんに意識があれば『英明、自分の持ち場に戻れ!』と言うに違いない」

と考えて、翌日(選挙3日目)のお昼に横須賀に帰りました。

そして、母については

「病院でドクターと看護師のみなさんに守ってもらっているのだから、僕が行ってもできることは無い」

と考えることにしました(そう考えることに決めたのです)。

そんな理由から、母のもとには選挙中は1度もお見舞いに行くことはしませんでした。

いつも開票日の夜は、実家で『速報ファックス』を受け取ることにしています。

『速報ファックス』というのは、選挙管理委員会に事前に候補者が登録(1ヶ所だけ)しておいたファックス番号に、開票速報を流してくれるのです。

選挙管理委員会が開票速報をファックスしてくれます(実物)

選挙管理委員会が開票速報をファックスしてくれます(実物)


テレビの速報はあくまでも速報に過ぎませんし誤報もありますが、この『速報ファックス』の情報は選挙管理委員会のものなので最も信頼性が高いものです。

それを過去4回全ての選挙において、実家で受け取ることにしている理由はただひとつです。

「まず母を安心させたいから」なのですね。

今回も実家で『速報ファックス』を受け取ったのですが、母は入院していて不在でした。

当確がTVKで報じられた直後に、まず母のガラケーにショートメールを送って当確を伝えました(もう病棟は消灯していましたので)。



当選後3日目で初めてお見舞いに行くことができました

当選翌日は、午前中は仕事、午後は当選証書付与式ネパール大地震緊急募金などでお見舞いには行かれませんでした。

当選2日目は、午前中は厚生労働省、午後は横浜、夕方はまた都内で仕事で、お見舞いに行かれませんでした。

こうしてやっと当選3日目(4月29日)になって、母のお見舞いに行くことができたのでした。

母の枕元には、父の写真。いかに母が父のことを大切に想っているかを改めて感じました

母の枕元には、父の写真。いかに母が父のことを大切に想っているかを改めて感じました


それから2日が経った今日の午後、母の退院となりました。

フジノは午前中が仕事だったので、終わるとすぐに母の病院に向かいました。

そして、入院中の荷物を実家へと運びました。



人間として、必ずもっと強くなります

「政治家という仕事は、家族の死に目にあえないものだ」

とフジノは数年前に覚悟はできていました。

しかし、父と母とダブルでそのようなことが起こりかねないことも、今回のことで「本来は想定しておくべきだった。甘かった」と感じました。

政治家として常に最悪の事態を想定して、最善の結果と成るように市民のみなさまの為にいつも考えるトレーニングをしてきました。

けれども、自分自身のことになるといつも後手後手に回ってしまい、今回も選挙中、選挙だけ専念していれば良いなんてふっきれた瞬間はありませんでした。

もっと強くなりたい。

家族も守り、そして何よりも市民のみなさまをしっかりと守れるようになりたい。

あの東日本大震災の時には、多くの人びとが自らもケガをしたりご家族も被災して亡くなっている中で、それでも他者を救う為に頑張り続けました。

僕は自分もそのような事態になれば同じように行動できると信じてきました。

けれども、まだまだ父と母のことになると、僕は身体が動かなくなってしまう。

父と母を放っておいてまで選挙なんてやっている場合じゃない、と考えてしまう。

両親の犠牲よりも、40万市民の代表として働くべきことが優先されるのは、大震災のような事態を考えれば当然のことだ。

それでも今回の選挙を通して、僕にはまだその覚悟ができていないことがハッキリと露呈した。

僕は、もっと強くなりたい。

そして、どんな時もいつも、家族も市民のみなさまもともに守りたい。守れるようになりたい。

改めて今日、「さらに覚悟を強く持っていかねば」と決心しました。

みなさまのおかげで、母が約1週間半で退院することができました。

もちろん、退院してから在宅での療養こそが大切です(政治家としてずっとこのテーマに関わってきましたからよく理解しています)。

でも、まずはみなさまに心から感謝を申し上げたいです。

選挙中、フジノの両親のことを心配して下さったみなさま、ありがとうございました。

父の状態の悪さはずっと続いていますが、まずは母は大丈夫です。

謹んで、感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。



選挙事務所に新しい看板をつけました。「第一声」を動画でご紹介します/横須賀市議会議員選挙(1日目・その2)

事務所に「新しい看板」を付けました

立候補を終えて事務所に戻ると、友人が看板を取り付けてくれていました。

看板を取り付けてくれたのは、脱原発の仲間です

看板を取り付けてくれたのは、脱原発の仲間です


今回、『新しい看板』をあえて作りました。

これまで12年間使ってきた看板はとても大切なものなので使わないことにして、急きょ友達に看板を作ってもらったのです。

事務所に誹謗中傷ビラを巻かれた事件があった後なので、きっと事務所の看板にもいたずらをされるかもしれません。

けれども旧看板は、僕の父が僕に遺してくれた最後の『生の言葉』なのです。何よりも大切です。

だから、もう2度と使わずに大切に保管することにしました。



のぼり旗にマジックで名前を書きました

選挙管理委員会に届け出をすると初めてもらえる『のぼり旗』があります。

これが無いと街頭演説ができません。

のぼり旗にマジックで名前を書きます

のぼり旗にマジックで名前を書きます


さっそくマジックで自分の名前を書きました。

のぼり旗、完成しました

のぼり旗、完成しました


さあ、完成です。

これで選挙期間中、演説をすることができます!



友達に促されて事務所前でひっそり第一声をあげました

多くの政治家は選挙で最初に演説することを何故か特別視しています。

『第一声』

という特別な選挙用語まであります。

フジノはそんなの気にしたことが1度も無かったのですが、友達に

「フジノはさ、ずっと街頭演説をひとりきりで歩いて回るんだから、今おれがいるうちに『第一声』をやっちゃいなよ。ツイキャスで生中継してあげるから」

と促されました。

そして、インターネット生中継してもらいました。




親友の前なのでかなり照れくさかったのですが、

「今回の選挙ではひたすら『政策だけ』を訴えていきます」

「この7日間はずっと市民のみなさまの生の声を聴かせていただく為の7日間にしたいです」

とお話しました。



実家に放置しておいた「選挙事務所の看板」を、友達にフジノ事務所まで運んでもらいました/残り時間あと19日(その2)

母の具合いは良好です。ありがとうございます

昨日倒れて救急車で運ばれてしまった母の様子をみに、朝から実家へ向かいました。

一夜明けて、残っているハッキリとした症状は『打撲』のみでした。

おかげさまで、その他の症状は今のところなく、今後の経過観察ということになりました。



実際は使わない「選挙事務所」。でも届出しないとダメ

選挙の時、フジノには『報酬を支払う選挙運動員』はゼロです。

選挙カーも出さないので運転手もウグイス嬢もいませんし、お金を支払わねばやれないものは何もありません。

唯一、ポスター貼りだけ、毎回、友達に半日だけボランティアをお願いして貼ってもらっています。

それ以外は全て完全にフジノ独りきりで活動をしています。

だから、実際には『選挙事務所』は不要です。

けれども公職選挙法では『選挙事務所』の住所を決めなければならないことになっています。

選挙事務所設置届

選挙事務所設置届


選挙管理委員会に『届出書』まで出さねばなりません。

公職選挙法の第133条など

選挙事務所は1ヶ所のみです。

その他には、選挙運動員が集まる場所など選挙事務所に似た施設(休憩をする場所や連絡を取るための場所等)は、どのような名前であろうと、設置してはいけません。



そこで、過去3回の選挙では、『形』だけ『実家』を『選挙事務所』として届け出させてもらってきました。

フジノは1日中、市内を歩いて演説しています。

実際には使う理由が無いので『名前だけの存在』です。暮らしている家族以外、誰もいません。

選挙用の電話も一切かけません。だから、支出もゼロです。



でも、2つの理由から「看板」は付けてきました

ただ『看板』だけは、2つの理由から、あえて付けてきました。

第1に「親しかった先輩が『好意』から作ってくれたものだから」です。

よくある政治家の立派で高額な『選挙事務所用看板』とは全く違って、これは『島忠ホームズ』で買ったコンパネ(厚いベニヤ)にカッティングシートで文字を貼ってくれただけの物です。

でも、12年前に、その先輩が作ってくれたということがフジノとしてはめちゃくちゃ嬉しかったのです。だから、とても大切なのです。

第2に「父からのメッセージがこめられているから」です。

これは2007年のブログに書いたとおりです。

僕にとって、父からの一番新しいメッセージがこの看板には記されているのです。

だから、今回もこの看板を使いたいなぁと考えています。



「選挙事務所用の看板」として12年前からずっと使ってきた「看板」

そんな大切な看板ならば大切に保管しているはず、とあなたは思うでしょう?

でもズボラで面倒くさがりなフジノは、ふだんは実家の庭に放置したまま。しかも雨ざらしになる場所です。

実家に居たこともあり、どんな状態なのかを改めて確認してみました。

ジャーン。

12年前から選挙のたびに使い続けてきた看板の今

12年前から選挙のたびに使い続けてきた看板の今


おお、案外しっかりしていますね。

これなら今回も使えそうだし、費用もゼロ円です。



友達に横須賀中央まで運んでもらいました

今回、フジノは『実家』を事務所にするのはやめました。

事務所の住所は公的な書類で公表されるので嫌がらせをしにくる人も何人も居ました。

ここ数年は母の具合いも悪いので、形だけに過ぎない事務所ですが、完全にやめます。

そのかわり、ふだん仕事で使っている横須賀中央にある『政務活動用のフジノ事務所』に切り替えることにしました。

収支報告書的には『家賃』が発生してしまいますが、嫌がらせを受けるならフジノだけで十分です。

ただ、やっぱり今回も看板だけは付けたい。

そこで夜、友達にお願いして、トラックで看板を武山から横須賀中央まで運んでもらいました。

友達のトラックで運んでもらいました

友達のトラックで運んでもらいました


看板は、1.5メートル×3メートル以内ならば何でも良いので、けっこう大きいのです。友達がクルマを出してくれなかったら絶対に運べませんでした。

さっそく、試しに『フジノ事務所』の前に置いてみました。

実際に置いてみた様子。ちょっとボロボロ過ぎるかな?心配。

実際に置いてみた様子。ちょっとボロボロ過ぎるかな?心配。


夜で暗いせいもあってか、なんかボロボロ(涙)。

実際に使うかどうかは、昼間の光の様子なども観ながら改めて考えてみることにしました。

今日で残り19日。

果たして準備は、間に合うのやら。



ようやく「進退」について結論を出しました/ラスト20日間、準備は間に合わないかもしれないけれど「生身の自分」だけで市民のみなさまと向き合いたいです

ようやく今後の進退について「結論」を出しました

ずっと、悩み続けてきました。

父の病院まで向かう道のりから見える風景

父の病院まで向かう道のりから見える風景


誰よりも信頼してきた祖父と5日前に語りあい、今日は父と語り合ってきました。

植物状態で入院中の父と。昨年からずっと危篤状態が続いていて、この1週間もとても危険な状態なのです(涙)

植物状態で入院中の父と。昨年からずっと危篤状態が続いていて、この1週間もとても危険な状態なのです(涙)


そして、1つの結論に至りました。



ひとことではお伝えできないので、20分ほどそのままの気持ちをお伝えしました

父の病院を出たところで、そのままの想いをツイキャスで生中継して市民のみなさまにお伝えしました。

その録画をこちらにも掲載いたします。

相変わらずフジノの言葉はたどたどしく、政治家の言葉としては下手くそです。けれども、今の生の想いを語りました。

よろしければご覧下さい。




フジノの決意が定まらなかった為に長い間ご心配をおかけしたみなさまには、こころからお詫びを申し上げます。

けれども、悩み続ける期間が必要でした。

そして、ずっと本気で悩みぬいた末に最終的に出した結論なのでもはや絶対に逃げません。

この沈みかかった横須賀という船に乗っている人々を、フジノはどんなことがあっても最後まで守り抜きます。



あなたにとって来年が良い年になりますように祈っています/父のお見舞いへ

夕方を過ぎてからようやく父のお見舞いに行くことができました

今日は朝からずっと仕事が忙しくて、自分の時間がとれたのは夕方になってからでした。

大晦日は毎年、父のお見舞いに行くことにしています。

すでにみなさんがご存知のとおりで、僕の父は脳出血によって植物状態になってしまいました。かれこれ11年目になります。

大晦日の病院はガランとしていて静かです

大晦日の病院はガランとしていて静かです


父は大晦日まで生き延びることができたのは奇跡だと感じます。

今年だけで合計5回、危篤を言い渡されました。

朝早くや深夜を問わず、「今夜がやまです」「もってあと数時間です」「危篤です」「ご家族の方、いらしてください」という病院からのコール。

そのたび、フジノはパニック障がいに悩まされながら、父の入院している病院に向かいました。

泊まりこみでベットサイドに座り、生と死の間を行ったり来たりする父の姿を見つめ続けました。

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手


12月に入ってからも父の状態の悪さは変わりません。

12月27日には39度の発熱、今日31日も37度から下がりません。

元気な頃の父の平熱は35度なので、そうとう苦しい状態なのだろうなと切なく感じます。

でも、「生きよう」とし続けている父の意思を僕はこころから尊重したいと思います。

お見舞いから戻ったら『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』に向かう。

これが毎年のスケジュールです。

けれども横須賀に戻った時点で、すでに21時を過ぎていて、今年は叶いませんでした。

明日、1月1日はいつもどおり街頭に立ちます。



こころからみなさまの幸せを祈っています

本当ならばご自身もこどもたちとゆっくりとお正月を迎えたいであろう、警察、消防、救急、自衛隊、医療福祉関係のみなさん、サービス業のみなさま。

本日もお仕事、本当におつかれさまです。

あなたがたの働きのおかげで、世の中の多くの人たちが安心して暮らせています。政治家として、こころから感謝しています。

フジノ自身は今年は苦しいことがとにかく多かったです。

1月には、大好きな祖父が亡くなりました。

そこから立て続けに大変なことばかりが続きました。

8月には、15年ぶりくらいに僕の精神疾患も重くなってしまい、いつ自殺してもおかしくない日々が続きました(わが主治医の治療はすごい。4ヶ月後の今、なんとかフジノは生きていますからね〜)。

それだけに、人の優しさが深くこころに染み入る1年でもありました。

たくさんの出会い、細やかな優しさ、温かい気遣い。

感謝してもしきれません。

フジノが2014年を生き延びることができたのは、友達や先輩のおかげです。本当にありがとうございます。

そんなつらい日々にあっても、今回フジノは自分の病状の深刻さを世間に対してお伝えしなかったので(伝える余裕も無かった)、市民のみなさまからはどんどん相談や仕事の依頼が押し寄せました。

政治家フジノを信じて助けを求めて下さるこんなにもたくさんの方々がいらっしゃる以上、一刻も早く元気になって仕事しまくらなければ。

その想いがリカバリーへの後押しになりました。

フジノをこきつかい続けて下さる市民のみなさまにも、こころから感謝しております。

そして、その感謝の気持ちはたくさんの政策の実現でお返ししてきたつもりです。

今年もフジノの提案がたくさん実現しました。

フジノは自信をもって自ら「僕は今年も政治家としてかなり良い仕事をしてきました」と自負できるのも、いつもフジノを信頼して下さる市民のみなさまのおかげです。

その信頼に対して、フジノはいつも全力で働いて成果を出すことで、お返しをしてきました。

これからも常にその信頼に対して、成果をもってお応えしていく政治家でありたいと想っています。

フジノにとって年末年始もふだんと変わりませんし、明日も今日と変わらずいつもどおり全力で働くだけです。

でも、暦としてはひとまず「新年」になるので、人々の気持ちが新たに幸せに満ちた年になることを祈っています。

どうか、あなたの2015年が少しでも喜びと幸せの多い1年となることを願っています。

その為にフジノは、政治家として、個人として、全身全霊を尽くして働いていきます。

みなさま、どうぞ良いお年を!



父のお見舞いへ/父はいつもたくさんのことを学ばせてくれる

父のお見舞いへ

今日は夕方から父のお見舞いへ。

昨年も今年も、お見舞いが1年間の最後の仕事だ。「政治家」としても「個人」としても、僕が1年の最後にやるべきことは、やはり父に会うことこそがふさわしいと感じる。

大晦日の夕方の病院は、すでに玄関やロビーの照明も落とされていて薄暗く、病棟に入っても、僕の他にはお見舞い客もいない。

夜勤との引継ぎが行なわれているナースステーションだけが活気づいていて、あとは病院全体がひたすら静寂に包まれている。

31hospital


ナースステーションの隣の病室に、父はいる。

中に入って父のベットへ進む。顔を父のそばに近づけて

「父さん、英明です」

と声をかけると、こころなしか父は目を大きく開いたように僕は感じる。

「感じる」と書いたけれど、実際には家族として「確信」している。僕が来ると父はそれをハッキリと分かっているし、態度にも表している。

父は、8年間にわたって寝たきりの植物状態だ。

医学的には、視力も聴力も無い状態と言われている。

けれども確実に父は生きているし、そこには意思を感じとることができる。

父とフジノ


僕が『病室の中』で父と向き合う時間は、とても短い。

ふだんは2週間に1回くらい。特に僕がひどく体調を崩してしまった今年の後半は、3ヶ月ぶりの再会になってしまった。

けれども、『病室の外』で父と向き合う時間は、とても多い。

父のおかげで出会うことができたあらゆる社会的な課題を通して、確実に毎日何時間も、いつも父のことを考えている。

2年前の選挙で、選挙公報に僕はこう記した。

2011年の選挙公報

2011年4月の統一地方選挙での選挙公報

僕の父は、6年半前に脳梗塞で植物状態になりました。のどに穴をあけてたんを吸引し、胃に管を通して栄養をとっています。

特別養護老人ホームは足りず、いくら待っても入所できません。療養病棟の入院費用はあまりにも高く、家族はみな疲れ果ててダウン寸前です。

こんな悩みを誰もが抱えています。生きることに希望が持てない、つらく厳しい事態です。

柔道・剣道ともに有段者で体格も良く、お酒が飲むのが大好きな亭主関白の九州男児で、定年退職したばかりの父。

そのあまりに突然の変化に、僕は心身ともに疲弊したし、経済的にも本当に苦しい日々を過ごした。毎月の給料では入院費用を支払いきれず、貯金を取り崩し、貯金が無くなった後は借金をして何とか入院費用を工面した。

長男として父を支える僕の苦しみの一方で、配偶者を突然かつ実質的に失った母の悲しみ、そして、植物状態の為に自らの意思を伝えることができない父自身のこころと体の苦しみに思いを馳せない日は無かった。

いつもいつも父のことを考え続けた。

僕は思春期のかなり早い時期から実存主義の哲学を学んで『生きる』ことの意味と向き合ってきたし、大学時代から社会人になっても『死生学』を学んできた。だから、一般の人々よりは多く『生と死』について向き合ってきたはずだった。

しかし、やはり目の前の肉親の身に起こる出来事の数々は、そうした学問的な知識や哲学的な思索を全く超えていた。とても苦しい日々だった。

だから、選挙公報に記した苦しみの気持ちは、嘘偽りの無い本音の吐露だ。

けれども、その文章の続きに、僕はこう記した。

でも、僕はあきらめません。現実は必ず変えることができるからです。

僕が政治家になる前年、横須賀の自殺数は過去最悪でした。

僕はゼロから自殺対策を作りあげてきましたが、ついに昨年、過去9年間で最も犠牲者数を減らすことができました。

政治の力で、必ず現実は変えることができるのです。

これからも僕は変えていきます。

先ほどのネガティブな言葉とは全く逆で、ポジティブな言葉だ。

でも、これはカラ元気ではない。

僕が深く確信している本音の想いだ。苦しい現実を体験する中で迷いながら少しずつ獲得してきた強さだ。

続く苦しみの中でも、僕は父からいつも大切なことをたくさん教えてもらった。< 父と同じ苦しみを味わっている人々が全国に凄まじい数で存在している現実。同じく、家族としての悲しみや苦しみも、たくさんの人々が僕と同じように感じている現実。 さらに、その苦しみの多くは、政治・行政が法律や制度を変えることで、本来であれば感じなくて済むはずの苦しみであるという現実。 そして、僕はその現実を変えることできる立場にあるという現実。 だから、僕は必死に取り組んできた。 国の審議会を何年も追い続けた。国の法律が変わるように国会議員にも働きかけた。法律が変わった後は、それが自分の暮らすまちで制度として機能するように、議会で取り上げ続けた。

こうして、いくつもの現実を変えることができた。

例えば、横須賀の高齢者保健医療福祉で2つの挙げてみると・・・

これまでは、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々(医療的ケアが必要な高齢者)は、特別養護老人ホームに入所させてもらうことができなかった。

けれども、今では『介護職』による『医療的ケア』が実施できるようになり、『胃ろう』『たんの吸引』が必要な高齢者であっても、特別養護老人ホームに受け入れてもらえるように変わってきたのだ。

介護職による医療的ケアの実現


また、横須賀市内には夜間に対応してくれる(24時間対応できる)事業所が存在していなかった。

だから、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々は、夜中から早朝にかけては家族がひたすら医療的ケアをしたり介護をしなければならなかった。十分な睡眠もとれない日々が永続的に続くことは家族の心身を疲弊させたし、虐待にもつながりうる状況で、本当に大変だった。

でも、ついに24時間対応できる『定期巡回・随時対応型訪問介護看護』がスタートする。

これによって、医療的ケアが必要な方々が自宅で暮らすことが、今よりも少し暮らしやすくなるのだ。


定期巡回随時対応型訪問介護看護


傲慢に思われてもいいから、僕は本音を書こうと思う。

横須賀市の高齢者福祉は、僕が政治家でなかったら、ここまで早く変わらなかった。

それはつまり、父が倒れたおかげなのだ。

父の犠牲があったおかげで僕はこうした問題にこころの底から目覚めて、そして全身全霊をかけて仕事をした。もちろん、たくさんの方々のご尽力のおかげなのは当然のことで、深く感謝している。

それでもなお、究極的には、父の犠牲がきっかけで横須賀の厳しい現実が変えることができつつある、と言っても間違いではないと僕は確信している。

31father1


そして、2025年に向けて、問題は山積みだ。さらにそれは2050年まで続いていく。

僕は、改善することができた課題を父に報告して、また取り組み中の政策やこれからやらねばならないことを父に聴いてもらって、山積みの問題と闘っていく力にさせてもらい続けるのだと思う。

拘縮しつつある父の姿は決してカッコいいものでは無いし、喉の奥にたんがからんでゼーゼーという音があちこちから聞こえる病室で過ごすのは気持ちが滅入る。

でも、こうして父に会うたびにたくさんのことを学ばせてもらってきた。そんな父の存在を僕は誇りに感じている。

大晦日の病室で、父に誓う。

「来年も僕は父さんの為にがんばるよ」

それは、父さんと同じ状況にある全国の本人と家族の為にがんばることだ。

だから僕は、これからもずっとがんばり続ける。



医療費カットのための尊厳死法案や胃ろうを問題視するメディアの薄っぺらさと、目の前にある現実の重さ

父のお見舞いへ

今日は、父さんのお見舞いに行きました。

6月末に僕が体調を崩してしまってから、ずっとお見舞いに行くことができませんでした。3ヶ月半ぶりにようやく父さんに再会することができます。

たとえ植物状態であっても、父に会えるのはとてもうれしいです。

いくら語りかけても返事が帰ってこなくても、父が生きていてくれる、目の前に存在してくれている、その事実だけで、僕には十分に大きな意味があります。

いつか必ず父を地元へと連れ戻って、自宅で過ごさせてあげたい。

いつも、そう願いつづけています。



父のおかげで「日本の医療・福祉の貧困」を身を持って体験できた

父との日々は、政治家フジノに「この国の医療・福祉の社会資源が全く足りていない現実」を教えてくれました。

父の闘病生活で僕が直面した課題を通して、政治家として取り組んできた政策はとてもたくさんあります。

  • 小泉政権が決めた『療養病床の廃止』を撤回させること

  • 小泉政権が決めた「リハビリのカット」を撤回させること

  • 急性期(3ヶ月)が過ぎたら退院させられてしまう仕組みになっている中で、入院中から退院後の行き先探しをサポートしてくれる「地域医療連携室」「医療相談室」を充実させること

  • 『特別養護老人ホーム』への莫大な数にのぼる待機者を解消すること

  • 特別養護老人ホームの待機者の実数と実態(介護度の重さなど)を把握すること

  • 特別養護老人ホームには重症の方を優先的に入所できるようにすること

  • 医療ニーズの高い人でも特別養護老人ホームに入所できるようにすること

  • 医師・看護師にしか認められていなかった「たんの吸引・経管栄養」などの『医療的ケア』を介護職にも実施できるようにすること

  • 特別養護老人ホームなどの入所施設だけでなく、住み慣れた地域で自宅で暮らせるように『夜間対応型訪問介護』を実現すること

  • さらに24時間対応型の『定期巡回・随時対応型訪問看護介護』を実現すること

  • 厳しい坂や階段の上にある一戸建て住宅で暮らし続ける困難さを自らの意思で早めの住み替えを実現できるように『サービス付き高齢者向け住宅』を増やしていくこと

  • 『サービス付き高齢者向け住宅』以外の選択肢として『住宅型の有料老人ホーム』を増やしていくこと

ここに挙げたのは、ほんの一例に過ぎません。

病院からの景色

病院からの景色


他にもあらゆる課題があって、それらを解決・改善する為に政治家として取り組みをすすめている政策がたくさんあります。




胃ろうと気管切開をしている父との濃密な8年間、薄っぺらいメディアの報道

フジノの活動日記をずっと読んで下さっているみなさまはご存知の通りですが、父は2004年12月に病に倒れました。植物状態になってから、もう8年が経ちます。

脳の中に血があふれて、いろいろな機能が壊れてしまいました。

植物状態(遷延性意識障がい)にある父とは、全く会話ができません。

僕の声が届いているのか届いていないのかは分かりません。仮に届いているとしても、父には返事を伝えるすべがありません。声を出す為の信号が脳から送られているのか、送られていても筋肉が反応しないのか、それも分かりません。

けれども、父は自分自身の力で「呼吸」をしています。「心臓」も動いています。

ただし、自分の力で食べ物を口からとることはできないので、「胃ろう」を造設して栄養剤を胃に直接に流し込んでいます。

父は気管切開をしている


マスメディアを中心にして、この胃ろうを「=悪」と決めつける報道が増えています。

あなたは「胃ろう」を付けてまで生きたいですか?

といった感じで、口から栄養を取れないことが「人としての終わり」のように煽っています。

さらに、国会議員の間では「尊厳死法案」が超党派で作られて、父のような状況に追い込まれた人々は医療費がかかる為に財政を悪化させるという観点から、「治療はせずに死なせるべきだ」という流れが作られようとしています。

でも、どちらの動きも薄っぺらで、現実をまるで知らない議論に過ぎません。



いのちは理屈じゃない。社会保障の財源はもっと徹底した工夫で捻出できる

医療コストをカットする為に「胃ろうはさせない。そのまま餓死すればいい」と栄養を送ることさえさせない、そんなことを家族は絶対に受け容れることはできません。

人生の質を高めることが大切だという『クオリティ・オブ・ライフ』という理論があって、胃ろうや気管切開をしてまで生きていくことは『クオリティ・オブ・ライフ』が損なわれる、人生の質が低くなる、と決めつける福祉の専門家もたくさんいます。

けれども一方で、『クオリティ・オブ・ライフ』の在り方を選んで決めるのは自分自身ですが、植物状態にある本人から『クオリティ・オブ・ライフ』について聞き取りをした調査はゼロです。無いのです。

どれだけ意思疎通をしたくても言葉を発することができず、胃ろうや気管切開をして生きながらえていくしかない、ということは、本当に福祉の専門家が決めつけているようにクオリティ・オブ・ライフが無い状態なのでしょうか?

僕は、僕自身が植物状態になっても僕のいのちが続くことを願ってくれる家族がいてくれるならば、できるかぎり長く生き続けていきたいと強く感じると思います。

自分のクオリティ・オブ・ライフなんかよりも、ただ家族が自分のいのちが続いてくれることを願う祈りを、少しでも叶えてあげる為に。

いのちは、理屈じゃない。

僕にとっての大切な父、母にとっての大切な夫、失いたくない。僕たち家族は、どれだけ自分たちの暮らしが厳しくなろうとも必死に生活費を削って、父を生かし続ける為に医療費を払い続けるのだ。これまでもそうしてきたし、これからもそうしていくだろう。



父に会える限り僕は、誤ったメディアの論調には流されない

父の存在は、政治家としてのフジノに目の前の現実がいかに問題に満ちているものかをいつも教えてくれる。

僕や僕の家族が体験しているつらさや苦しさは、全国で同じようにたくさんの人々が体験していることだから、それを改善することは多くの人々の願いなのだと僕は信じている。

だから、僕は可能な限り父のもとを訪れて、その姿を目に焼き付けて、感じる悲しさや怒りやいろいろな気持ちと大切に向き合っていきつづけなければならないのだと思う。



社会保障の在り方そのものを変えていく為に学んだ半年間でした。修了証も頂きました/「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」

「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」最終日でした

夕方から、東京・青山一丁目の国際医療福祉大学大学院に向かいました。

4月14日から半年間にわたって毎週土曜日の夜は大学院で聴講してきたのですが、ついに今夜で最終回となりました。

国際医療福祉大学大学院前にて

国際医療福祉大学大学院前にて


今のフジノには「どうしても学ぶべき必然性があった」ので振り返ると、本当に感慨深い半年間でした。



政治家フジノの「ライフワーク」が増えた理由

10年前、フジノが政治家に転職した理由は、2つのことを実現する為でした。

  1. 対策が存在しなかった『自殺対策』を新たに創りだす為

  2. 質・量ともに圧倒的に不足している『精神保健福祉』を向上させる為

この2つへの想いが2003年にフジノを選挙に立候補させました。

政治家としての日々の中で全力を尽くしている政策は他にもいくつもあるのですが、『自殺対策』と『精神保健福祉』は僕にとっては特別なのです。

政治家でなくなっても、どんな立場に変わったとしても、これからの人生を賭けてずっと取り組んでいく『ライフワーク』なのです。

その『ライフワーク』は、当選の翌年に3つに増えました。

2004年12月、父が脳梗塞によって植物状態になってしまったことがきっかけで、新たに『高齢者福祉』についてむさぼるように学ぶようになりました。

高齢者の保健医療福祉について、全ては頭の中で『知識』としては知っていたことなのに、僕は自分自身が体験して、改めてその苦しさを痛感させられました。本当に苦しいことばかりでした。

「手術をしても助からない可能性が高い」

と言われた手術を終えて、あまりにも急なことに気が動転している中で詳しいことも分からないままに、胃ろうの造設や経管栄養を行なうようにドクターに言われるがままに家族として判断をせざるをえなかったこと。

障害者手帳の申請や、生命保険の一時金の申請、介護認定の申請、市役所のあらゆる窓口を駆けずり回ったこと。

3ヶ月が経つとすぐに退院を迫られて自宅で介護をするのか、特別養護老人ホームや療養病床に受け入れてもらえないか、悩みぬいて苦しんだこと。

施設への入所を決めた後も、全く受け入れ先が見つからなかったこと。すさまじい数の待機者がいることを改めて痛感させられたこと。

疲弊しきった家族は心身がボロボロになって家族が倒れたり、入院したりが続いたこと。

そんな時、助けてくれるはずの市役所の相談窓口も、病院の相談室も、何も有効な相談相手にはなってもらえなかったこと。

長期の入院は、医療費以外にも出費がすさまじくて、僕はどんどん借金をしなければ入院費をまかなえなかったこと。

高齢者福祉には、こうした問題がずっと昔から存在していて、しかも今も状況は全く変わっていないことを体験しました。

こうして『高齢者福祉』は『ライフワーク』になりました。

政治家としてこの現実を絶対に変えなければいけないし、家族として父を取り巻く現実を変えなければいけないのです。

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です


植物状態の父との8年間の日々を通して直面した問題に1つ1つ取り組んでいくうちに、その背後に、全てに共通している根っこが見えてきました。

それは、知れば知るほど、学べば学ぶほどにハッキリと見えてきました。

このままの政治・行政が続く限りは、僕と僕の父のような問題はむしろ避けることはできない。むしろ、この先もっと爆発的に増えていかざるをえない、ということが分かりました。

その理由は、

この先わずか30年のうちに人口やその構造が急激に変化していくから

です。

もはや完全に日本社会は変わってしまうのです。

コメントする武藤正樹教授

コメントする武藤正樹教授


それにもかかわらず、確実にやってくるその変化に対応する為の準備はほとんどなされていません。

現在の福祉政策の多くは、戦後60年間続いてきた経済社会状況の古い枠組みの中で、その場しのぎのやりとりをしているに過ぎないのです。

今の日本の社会保障制度のままでは、僕と僕の父よりももっともっと悲惨な状況を味わう人々が凄まじい勢いで爆発的に増えていくことを避けることはできないのです。

『社会保障制度の在り方』そのものを変えていかなければならない。

そんな『危機感』がフジノの中でどんどん強くなってきました。

こうして、『社会保障の在り方』そのものについて取り組むことが4つ目の『ライフワーク』なのだ、と考えるようになりました。



「ライフワーク」の政策に徹底して専念していくと改めて決意しました

3期目に立候補するにあたって、選挙ではそうした『想い』を率直に語ってきました。

しかし、実際には当選直後から今年3月末までは『震災対応』と『原子力事故』に関する仕事にひたすら追われていました。

そして、あっという間に1年間が過ぎていきました。

もちろん、『震災対応』も『原子力事故』に関する仕事も大切です。

けれども僕は

「自分の能力や心身のキャパシティを考えると自分の成すべきことを絞らなければならない」

と感じました。

「いくつもいくつも抱えすぎているテーマをリセットしなければならない」

とハッキリと思いました。

次から次へと相談を受けるがままに取り組んでいくだけでは自分はすり減っていくばかりで、本来成すべきことを実現できなくなってしまう。

僕が政治家として成すべきことは4つ。

そもそもこの4つだけでも、あまりにも大きすぎるテーマなのだ。

この4つだけに専念しよう、そう決心しました。

「その決心に忠実である為に僕は学ばなければならない」

と感じました。

2030年、2050年に向けて、今までとは全く違う社会構造の中で『地域保健医療福祉』を推進する為にもっと深く学ぶことが必要だと痛感してきました。

そして、これまで読んできた文献や、傍聴を続けてきた国の審議会などで強い関心のあった先生方から直接に学ぶ機会を得る為に、この半年間の講座を受講することにしたのです。

 半年間、通い続けることができて本当に良かったです。

修了証も頂きました

修了証も頂きました


『震災対応』と『原発事故』関連の課題への対応に奔走してきた昨年1年間のフジノのことを応援してきた」

という方々からはたくさんのひんしゅくを買うことになるのかもしれません。

けれどもフジノは本来のテーマに戻って、自分が今成すべきだと信じることに専念していきたいと考えています。

今、聴講を始める前よりもあらゆることを学んで、より一層、『危機感』は強くなりました。

学んだ成果はすでに本会議や委員会での質疑にどんどん反映しているつもりです。

さらに学び続けて、フジノはフジノが成すべきことをしっかりと1つずつ実現していきます。

どうか市民のみなさまには、そんなフジノの活動を信じて見守っていていただきたいです。