「介護療養病床」にかわる「慢性期医療を提供する新たな施設」の「たたき台案」が示されました/「第6回療養病床の在り方等に関する検討会」へ

「第6回療養病床の在り方等に関する検討会」へ

7月15日に第1回がスタートした『療養病床の在り方等に関する検討会』ですが、早くも今日で6回目の開催となりました。

「第6回療養病床の在り方等に関する検討会」会場にて

「第6回療養病床の在り方等に関する検討会」会場にて


前回(第5回)で『新たな選択肢の骨格』について議論が行なわれました。

これを受けて今回は『たたき台(案)』が事務局(厚生労働省)から提案されました。

議事次第

議事次第


ただ、フジノからすると『新たな選択肢』と言いながらも

厚生労働省の『介護療養病床』を廃止したいという今までの主張を、単に『新たな選択肢』に置き換えただけではないか

という疑念がどうしても拭えずに今に至っています。

確かに『介護療養病床』には欠点と言うべきものがあります。

例えば、本当に多くの方々が長期間にわたって暮らし続けている『社会的入院』状態にあることや、実際には『看取り』までなされていること(死亡退院と呼びます。自宅への退院よりも死亡退院の方が多い)や、個人のプライバシーが守られにくい(尊厳ある暮らしとは言えない)現状があることなどです。

事務局案ではこうした点を改善できないかという提案もなされています。

検討会は傍聴者もたくさんでした

検討会は傍聴者もたくさんでした


けれども、フジノは思うのです。

そもそも多くの方々が『介護療養病床』で生涯を終えねばならないのは、何故か。

それは、終の棲家である『特別養護老人ホーム』で受け入れられるだけの介護人材を確保できていないからではないか。

本来ならば住み慣れた我が家に帰って最期を迎えたいと誰もが願っているけれども、訪問看護・訪問介護を十分に受けて自宅で暮らせるようなサービスを提供出来るだけの医療人材・介護人材が圧倒的に不足しているからではないか。

この根本的な問題を解決しないままに、『新たな選択肢』という名前の『別の施設』を作っても何も解決しないのではないかとフジノは考えているのです。

つまり、抜本的に『医療人材・介護人材を確保できる為の改革』を進めなければ『介護療養病床』を廃止しても何も解決できない、とフジノは考えざるをえません。

療養病床・慢性期医療の在り方の検討に向けて〜サービスを提供する施設の新たな選択肢について(たたき台案)

療養病床・慢性期医療の在り方の検討に向けて〜サービスを提供する施設の新たな選択肢について(たたき台案)


今日の『検討会』では、委員のみなさまからは『たたき台案』に対して「反対」の論調の声は特にありませんでした。

そのことがフジノには理解できませんでした。

いち市議として、フジノは自分のまちでいろいろな取り組みを進めてきました。

例えば、『特別養護老人ホーム』において気管切開・経管栄養(胃ろう)をしている方々をもっと多く受け入れていかれるように、介護職員の方々に質の高い研修を受けていただいています。

また、『定期巡回・随時対応型訪問看護介護』サービスを提供できる事業所を増やしていく為の取り組みも進めてきました。

同時に、市と医師会との積極的な協力のおかげで、『在宅療養』を受けられる人数を増やす為の取り組みも進んできました。さらに現実に『在宅での看取り』の数もかなり増えてきました。

つまり、厚生労働省が指摘するような、病院を退院しても『特養』にも入れず『自宅』にも帰れない為に『介護療養病床』で死ぬまで暮らす人々が多い、という現実を改善する努力に務めてきました。

そして、『介護療養病床』には本来の目的を実施してもらえることを目指しているのです。

フジノは『介護療養病床』は必要な存在だと考えています。廃止すべきではないと考えています。

厚生労働省が示している『たたき台(案)』によって、本当に人々の『住まい』として『介護療養病床』が生まれ変われるのか、確信が持てないままだからです。

慢性期の医療・介護ニーズへ対応するためのサービスモデル

慢性期の医療・介護ニーズへ対応するためのサービスモデル


この議論はまもなく終わり、やがて2017年の法改正につなげるのだと言われています。

本当にそれで良いのか、今日の検討会の傍聴を終えてもフジノの疑問は消えないままでした。



後日談:4時間後には日経新聞に記事がアップされました。早い!

長期入院病院の転換先、2つの新モデル提示 厚労省

厚生労働省は25日の検討会で、長期入院の高齢者向けベッド(療養病床)を持つ病院の転換先として、2つの新たな施設のモデルを示した。

医師が常駐して必要な治療を施せる医療型の施設や、医療機関と併設する住宅型施設を創設する。既存の介護施設も含めて、転換先を病院自ら決めてもらう。医療サービスを必要な人に絞り込む。

年明けにも議論をまとめる。同省の社会保障審議会医療部会や介護保険部会で施設基準や介護保険と医療保険のどちらを適用するかを詰める。2017年の通常国会に関連法の改正案を出す。

長期入院ベッドは、治療の必要性が乏しいのに、介護施設が見つからなかったり、家族が介護できなかったりして利用する高齢者も多い。医療費が膨らむ一因となっていることから、一部は17年度末で廃止して、他の施設に移行することになっている。

施設案は医療を提供できる介護施設や、医療機関に隣接するサービス付き高齢者住宅のような施設を想定しているもようだ。この日の検討会では施設案に対して目立った反対は無かったが、「所得が低い利用者の負担に配慮してほしい」といった声が出た。

日本経済新聞・電子版・速報 2015年12月25日19:25←早い!)

あなたにとって来年が良い年になりますように祈っています/父のお見舞いへ

夕方を過ぎてからようやく父のお見舞いに行くことができました

今日は朝からずっと仕事が忙しくて、自分の時間がとれたのは夕方になってからでした。

大晦日は毎年、父のお見舞いに行くことにしています。

すでにみなさんがご存知のとおりで、僕の父は脳出血によって植物状態になってしまいました。かれこれ11年目になります。

大晦日の病院はガランとしていて静かです

大晦日の病院はガランとしていて静かです


父は大晦日まで生き延びることができたのは奇跡だと感じます。

今年だけで合計5回、危篤を言い渡されました。

朝早くや深夜を問わず、「今夜がやまです」「もってあと数時間です」「危篤です」「ご家族の方、いらしてください」という病院からのコール。

そのたび、フジノはパニック障がいに悩まされながら、父の入院している病院に向かいました。

泊まりこみでベットサイドに座り、生と死の間を行ったり来たりする父の姿を見つめ続けました。

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手


12月に入ってからも父の状態の悪さは変わりません。

12月27日には39度の発熱、今日31日も37度から下がりません。

元気な頃の父の平熱は35度なので、そうとう苦しい状態なのだろうなと切なく感じます。

でも、「生きよう」とし続けている父の意思を僕はこころから尊重したいと思います。

お見舞いから戻ったら『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』に向かう。

これが毎年のスケジュールです。

けれども横須賀に戻った時点で、すでに21時を過ぎていて、今年は叶いませんでした。

明日、1月1日はいつもどおり街頭に立ちます。



こころからみなさまの幸せを祈っています

本当ならばご自身もこどもたちとゆっくりとお正月を迎えたいであろう、警察、消防、救急、自衛隊、医療福祉関係のみなさん、サービス業のみなさま。

本日もお仕事、本当におつかれさまです。

あなたがたの働きのおかげで、世の中の多くの人たちが安心して暮らせています。政治家として、こころから感謝しています。

フジノ自身は今年は苦しいことがとにかく多かったです。

1月には、大好きな祖父が亡くなりました。

そこから立て続けに大変なことばかりが続きました。

8月には、15年ぶりくらいに僕の精神疾患も重くなってしまい、いつ自殺してもおかしくない日々が続きました(わが主治医の治療はすごい。4ヶ月後の今、なんとかフジノは生きていますからね〜)。

それだけに、人の優しさが深くこころに染み入る1年でもありました。

たくさんの出会い、細やかな優しさ、温かい気遣い。

感謝してもしきれません。

フジノが2014年を生き延びることができたのは、友達や先輩のおかげです。本当にありがとうございます。

そんなつらい日々にあっても、今回フジノは自分の病状の深刻さを世間に対してお伝えしなかったので(伝える余裕も無かった)、市民のみなさまからはどんどん相談や仕事の依頼が押し寄せました。

政治家フジノを信じて助けを求めて下さるこんなにもたくさんの方々がいらっしゃる以上、一刻も早く元気になって仕事しまくらなければ。

その想いがリカバリーへの後押しになりました。

フジノをこきつかい続けて下さる市民のみなさまにも、こころから感謝しております。

そして、その感謝の気持ちはたくさんの政策の実現でお返ししてきたつもりです。

今年もフジノの提案がたくさん実現しました。

フジノは自信をもって自ら「僕は今年も政治家としてかなり良い仕事をしてきました」と自負できるのも、いつもフジノを信頼して下さる市民のみなさまのおかげです。

その信頼に対して、フジノはいつも全力で働いて成果を出すことで、お返しをしてきました。

これからも常にその信頼に対して、成果をもってお応えしていく政治家でありたいと想っています。

フジノにとって年末年始もふだんと変わりませんし、明日も今日と変わらずいつもどおり全力で働くだけです。

でも、暦としてはひとまず「新年」になるので、人々の気持ちが新たに幸せに満ちた年になることを祈っています。

どうか、あなたの2015年が少しでも喜びと幸せの多い1年となることを願っています。

その為にフジノは、政治家として、個人として、全身全霊を尽くして働いていきます。

みなさま、どうぞ良いお年を!



このまちには医療的ケアの必要な乳幼児の通える保育園が無い/社会福祉法人みなと舎セミナー「医療的ケアをつなぐ」へ(その1)

心待ちにしてきたセミナー「医療的ケアをつなぐ」へ

今日は、湘南国際村センターへ。

湘南国際村センターにて

湘南国際村センターにて


『社会福祉法人みなと舎』が主催する公開セミナー『医療的ケアをつなぐ〜やさしい手から手へと受け継いで〜』に参加しました。

お知らせのチラシより

お知らせのチラシより


お知らせのチラシを頂いてからずっと参加するのを楽しみにしてきました。

何故なら、医療的ケアのあるこどもたちも共に過ごせる『カンガルー統合保育園』の存在を、このチラシで初めて知ったからです。

恥ずかしながら、今までフジノは

横須賀には、医療的ケアのあるこどもたちも一緒に通える保育園が無い

という事実を知りませんでした。

これは、とても大きなショックでした。

ほとんど知られてないけれど大切な「医療的ケア」

これまでもフジノは『医療的ケア』の大切さをみなさまにお伝えしてきました。

とは言え、父との関わりからフジノのブログでは、もっぱらご高齢の方々や成人の障がいのある方々への『医療的ケア』について記すことがほとんどでした。

けれども、『医療的ケア』が必要なのは、生まれたばかりの「赤ちゃん」から「大人」も「高齢者」まで「みんな」です。

誰にとっても『医療的ケア』は必要のものです。

だから、『医療的ケア』の必要な乳幼児の通うことができる保育園も当然ながら存在しているのだと思い込んでいました。

しかし、それはフジノの思い込みでした。

医療的ケアは、赤ちゃんにもこどもにも必要です

医療技術の圧倒的な進歩のおかげで、こどもの死亡数は激減しています。

下のグラフは、今から40年前(フジノが生まれた頃)から現在(最新のデータ)までを示したものです。

乳幼児の死亡数の推移・厚生労働省「人口動態統計」を元にフジノが作成

乳幼児の死亡数の推移・厚生労働省「人口動態統計」を元にフジノが作成


特に進歩が著しいのは、新生児の医療です。

医学の進歩のおかげで、生まれてきたばかりの赤ちゃんが亡くなることはかなり減りました。

厚生労働省「第2回周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会」配布資料より

厚生労働省「第2回周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会」配布資料より


フジノが読んだ、新生児の死亡率についてのWHOの統計(2011年)には、こう記されていました。

  • 世界平均1000人中24人
  • アメリカ1000人中4人
  • イギリス1000人中3人
  • ドイツ1000人中2人
  • 日本1000人中1人

つまり日本では、生まれてくる赤ちゃんの1000人に1人まで死亡を減らすことが実現しているのです。

世界的に見ても、日本の新生児医療は圧倒的に優れています。

こうして、昔は助からなかった赤ちゃんの命が、救われるようになりました。

そして、命を救う『救命』には優れている一方で、医療的ケアが必要な超重症の赤ちゃんも増えているのが事実です。

  • レスピレーター
  • 気管内挿管
  • 鼻咽頭エアウェイ
  • 酸素吸入
  • 吸引
  • ネブライザー
  • IVH
  • 血液透析
  • 導尿
  • 人工肛門

などの医療的ケアが必要な赤ちゃんとこどもたちがたくさんいます。

これは高齢者に医療的ケアが必要な理由と全く同じです。

そんな中で、

医療的ケアを必要とする赤ちゃんや幼いこどもたちの通うことができる保育園が存在しない

という事実はフジノにとって本当にショックでした。

調べてみると、横須賀に存在しないだけではなく、全国的に見てもその数はとても少ないことが分かりました。

これでは、家族はどうやって暮らしているのだろうか…。

いろいろなことを考えながら、今日のセミナーに向かいました。

(つづく)

父のお見舞いへ/父はいつもたくさんのことを学ばせてくれる

父のお見舞いへ

今日は夕方から父のお見舞いへ。

昨年も今年も、お見舞いが1年間の最後の仕事だ。「政治家」としても「個人」としても、僕が1年の最後にやるべきことは、やはり父に会うことこそがふさわしいと感じる。

大晦日の夕方の病院は、すでに玄関やロビーの照明も落とされていて薄暗く、病棟に入っても、僕の他にはお見舞い客もいない。

夜勤との引継ぎが行なわれているナースステーションだけが活気づいていて、あとは病院全体がひたすら静寂に包まれている。

31hospital


ナースステーションの隣の病室に、父はいる。

中に入って父のベットへ進む。顔を父のそばに近づけて

「父さん、英明です」

と声をかけると、こころなしか父は目を大きく開いたように僕は感じる。

「感じる」と書いたけれど、実際には家族として「確信」している。僕が来ると父はそれをハッキリと分かっているし、態度にも表している。

父は、8年間にわたって寝たきりの植物状態だ。

医学的には、視力も聴力も無い状態と言われている。

けれども確実に父は生きているし、そこには意思を感じとることができる。

父とフジノ


僕が『病室の中』で父と向き合う時間は、とても短い。

ふだんは2週間に1回くらい。特に僕がひどく体調を崩してしまった今年の後半は、3ヶ月ぶりの再会になってしまった。

けれども、『病室の外』で父と向き合う時間は、とても多い。

父のおかげで出会うことができたあらゆる社会的な課題を通して、確実に毎日何時間も、いつも父のことを考えている。

2年前の選挙で、選挙公報に僕はこう記した。

2011年の選挙公報

2011年4月の統一地方選挙での選挙公報

僕の父は、6年半前に脳梗塞で植物状態になりました。のどに穴をあけてたんを吸引し、胃に管を通して栄養をとっています。

特別養護老人ホームは足りず、いくら待っても入所できません。療養病棟の入院費用はあまりにも高く、家族はみな疲れ果ててダウン寸前です。

こんな悩みを誰もが抱えています。生きることに希望が持てない、つらく厳しい事態です。

柔道・剣道ともに有段者で体格も良く、お酒が飲むのが大好きな亭主関白の九州男児で、定年退職したばかりの父。

そのあまりに突然の変化に、僕は心身ともに疲弊したし、経済的にも本当に苦しい日々を過ごした。毎月の給料では入院費用を支払いきれず、貯金を取り崩し、貯金が無くなった後は借金をして何とか入院費用を工面した。

長男として父を支える僕の苦しみの一方で、配偶者を突然かつ実質的に失った母の悲しみ、そして、植物状態の為に自らの意思を伝えることができない父自身のこころと体の苦しみに思いを馳せない日は無かった。

いつもいつも父のことを考え続けた。

僕は思春期のかなり早い時期から実存主義の哲学を学んで『生きる』ことの意味と向き合ってきたし、大学時代から社会人になっても『死生学』を学んできた。だから、一般の人々よりは多く『生と死』について向き合ってきたはずだった。

しかし、やはり目の前の肉親の身に起こる出来事の数々は、そうした学問的な知識や哲学的な思索を全く超えていた。とても苦しい日々だった。

だから、選挙公報に記した苦しみの気持ちは、嘘偽りの無い本音の吐露だ。

けれども、その文章の続きに、僕はこう記した。

でも、僕はあきらめません。現実は必ず変えることができるからです。

僕が政治家になる前年、横須賀の自殺数は過去最悪でした。

僕はゼロから自殺対策を作りあげてきましたが、ついに昨年、過去9年間で最も犠牲者数を減らすことができました。

政治の力で、必ず現実は変えることができるのです。

これからも僕は変えていきます。

先ほどのネガティブな言葉とは全く逆で、ポジティブな言葉だ。

でも、これはカラ元気ではない。

僕が深く確信している本音の想いだ。苦しい現実を体験する中で迷いながら少しずつ獲得してきた強さだ。

続く苦しみの中でも、僕は父からいつも大切なことをたくさん教えてもらった。< 父と同じ苦しみを味わっている人々が全国に凄まじい数で存在している現実。同じく、家族としての悲しみや苦しみも、たくさんの人々が僕と同じように感じている現実。 さらに、その苦しみの多くは、政治・行政が法律や制度を変えることで、本来であれば感じなくて済むはずの苦しみであるという現実。 そして、僕はその現実を変えることできる立場にあるという現実。 だから、僕は必死に取り組んできた。 国の審議会を何年も追い続けた。国の法律が変わるように国会議員にも働きかけた。法律が変わった後は、それが自分の暮らすまちで制度として機能するように、議会で取り上げ続けた。

こうして、いくつもの現実を変えることができた。

例えば、横須賀の高齢者保健医療福祉で2つの挙げてみると・・・

これまでは、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々(医療的ケアが必要な高齢者)は、特別養護老人ホームに入所させてもらうことができなかった。

けれども、今では『介護職』による『医療的ケア』が実施できるようになり、『胃ろう』『たんの吸引』が必要な高齢者であっても、特別養護老人ホームに受け入れてもらえるように変わってきたのだ。

介護職による医療的ケアの実現


また、横須賀市内には夜間に対応してくれる(24時間対応できる)事業所が存在していなかった。

だから、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々は、夜中から早朝にかけては家族がひたすら医療的ケアをしたり介護をしなければならなかった。十分な睡眠もとれない日々が永続的に続くことは家族の心身を疲弊させたし、虐待にもつながりうる状況で、本当に大変だった。

でも、ついに24時間対応できる『定期巡回・随時対応型訪問介護看護』がスタートする。

これによって、医療的ケアが必要な方々が自宅で暮らすことが、今よりも少し暮らしやすくなるのだ。


定期巡回随時対応型訪問介護看護


傲慢に思われてもいいから、僕は本音を書こうと思う。

横須賀市の高齢者福祉は、僕が政治家でなかったら、ここまで早く変わらなかった。

それはつまり、父が倒れたおかげなのだ。

父の犠牲があったおかげで僕はこうした問題にこころの底から目覚めて、そして全身全霊をかけて仕事をした。もちろん、たくさんの方々のご尽力のおかげなのは当然のことで、深く感謝している。

それでもなお、究極的には、父の犠牲がきっかけで横須賀の厳しい現実が変えることができつつある、と言っても間違いではないと僕は確信している。

31father1


そして、2025年に向けて、問題は山積みだ。さらにそれは2050年まで続いていく。

僕は、改善することができた課題を父に報告して、また取り組み中の政策やこれからやらねばならないことを父に聴いてもらって、山積みの問題と闘っていく力にさせてもらい続けるのだと思う。

拘縮しつつある父の姿は決してカッコいいものでは無いし、喉の奥にたんがからんでゼーゼーという音があちこちから聞こえる病室で過ごすのは気持ちが滅入る。

でも、こうして父に会うたびにたくさんのことを学ばせてもらってきた。そんな父の存在を僕は誇りに感じている。

大晦日の病室で、父に誓う。

「来年も僕は父さんの為にがんばるよ」

それは、父さんと同じ状況にある全国の本人と家族の為にがんばることだ。

だから僕は、これからもずっとがんばり続ける。



「たん吸引」ってなに?/医療的ケアについて(その1)

「医療的ケア」って何?

『胃ろう』を造っている高齢者の方々の数は全国で26万人にのぼると言われています(平成23年全日本病院協会調べ)。

特別養護老人ホームに入所している方の5.3%の方が『たん吸引』を必要としていて、9.9%の方が『経管栄養』が必要だというデータがあります。

その他にも、保育園、小中学校、特別支援学校、障がいのある方々の入所施設、高齢者の介護施設、医療施設、グループホーム、在宅などをはじめ、本当にたくさんの方々が『医療的ケア』が必要な状態で暮らしています。

この『医療的ケア』について、数年前からフジノは市長への一般質問や委員会での質疑をはじめ、この活動日記でも、何度も何度もとりあげてきました。

でも、具体的に『医療的ケア』ってどんなことか、あなたはイメージがわきますか?

...イメージ、わかないですよね。

フジノも父に『医療的ケア』が必要になるまで全く知らなかったですもん。そこで、改めてしっかりと説明してみたいと思います。

『医療的ケア』で最もメジャーなものは2つあります。

  1. 『たん吸引』
  2. 『経管栄養』

「たん吸引」って何?

今日は『たん吸引』について紹介しますね!

1.たん吸引

人の身体は、素晴らしい仕組みになっています。

息を吸って吐く『呼吸』をする時、空気と一緒にどうしてもホコリなどの異物やウイルスや細菌などを取り込んでしまうのですが、人の身体はそうした異物を体の外に排出するようになっています。

例えば、鼻毛。

まずこれがフィルターの役割をしています。鼻から息を吸うと、鼻毛フィルターのおかげで大きなホコリなどの異物は、体内に入りません。

鼻毛の重要な役割

次に、粘液。

鼻毛フィルターでカットできなかった小さなホコリや細菌は、鼻の奥(鼻腔)から粘液が出て、からみとります。これはいわゆる『鼻水』です。鼻水によって、異物は外に排出されます。

鼻水・唾液の役割

さらにそれよりも小さなホコリやウイルスなどは、ノドの奥の気管や気管支に生えている細かい毛(綿毛と呼びます。粘液に覆われています)に、からみとられます。それがいわゆる『たん』です。この粘膜が刺激されると咳が出て、体の外へと排出されます。

気管支と気管には粘液に覆われた綿毛がある

また、外に排出されない『たん』や唾液や鼻水は、無意識に食道へと流れていきます。ノドの奥にある弁のおかげで、気管から肺の方には流れ込まないようになっています。

たんを吐き出すのはとても重要

こうして、肺は無菌状態に保たれているのです。この一連の動作を、人間は毎秒ごとに意識せずに行なっています。とても高度な作業です。

けれども、何らかの病気によって、このすごい仕組みが機能しなくなってしまうことがあります。

『たん』を吐き出せなくなってしまうと、うまく呼吸ができなくなって、呼吸困難や窒息に陥ってしまいます。

また、本来ならば食道に流れ込むべき『たん』や唾液や鼻水などが、気管から肺へと流れこんでしまうことがあります。

そうすると、本来は無菌状態であるべき肺に異物やウイルスが入り込んで肺炎になってしまいます。

このままでは死に至ってしまいます。

そこで、機械を使って体の外に排出するのが『吸引』です。吸引器という機械があります。

吸引器

吸引器の先にストローがついていて(吸引カテーテルと呼びます)、それを鼻や口から差し込んで、唾液や鼻水やたんを吸い出すのです。

口腔のたん吸引

窒息や呼吸困難を防いで、肺炎を起こさないようにする。いのちを守る大切な行為。それが『たん吸引』なのです。

少しだけ、分かっていただけたでしょうか??

医療費カットのための尊厳死法案や胃ろうを問題視するメディアの薄っぺらさと、目の前にある現実の重さ

父のお見舞いへ

今日は、父さんのお見舞いに行きました。

6月末に僕が体調を崩してしまってから、ずっとお見舞いに行くことができませんでした。3ヶ月半ぶりにようやく父さんに再会することができます。

たとえ植物状態であっても、父に会えるのはとてもうれしいです。

いくら語りかけても返事が帰ってこなくても、父が生きていてくれる、目の前に存在してくれている、その事実だけで、僕には十分に大きな意味があります。

いつか必ず父を地元へと連れ戻って、自宅で過ごさせてあげたい。

いつも、そう願いつづけています。



父のおかげで「日本の医療・福祉の貧困」を身を持って体験できた

父との日々は、政治家フジノに「この国の医療・福祉の社会資源が全く足りていない現実」を教えてくれました。

父の闘病生活で僕が直面した課題を通して、政治家として取り組んできた政策はとてもたくさんあります。

  • 小泉政権が決めた『療養病床の廃止』を撤回させること

  • 小泉政権が決めた「リハビリのカット」を撤回させること

  • 急性期(3ヶ月)が過ぎたら退院させられてしまう仕組みになっている中で、入院中から退院後の行き先探しをサポートしてくれる「地域医療連携室」「医療相談室」を充実させること

  • 『特別養護老人ホーム』への莫大な数にのぼる待機者を解消すること

  • 特別養護老人ホームの待機者の実数と実態(介護度の重さなど)を把握すること

  • 特別養護老人ホームには重症の方を優先的に入所できるようにすること

  • 医療ニーズの高い人でも特別養護老人ホームに入所できるようにすること

  • 医師・看護師にしか認められていなかった「たんの吸引・経管栄養」などの『医療的ケア』を介護職にも実施できるようにすること

  • 特別養護老人ホームなどの入所施設だけでなく、住み慣れた地域で自宅で暮らせるように『夜間対応型訪問介護』を実現すること

  • さらに24時間対応型の『定期巡回・随時対応型訪問看護介護』を実現すること

  • 厳しい坂や階段の上にある一戸建て住宅で暮らし続ける困難さを自らの意思で早めの住み替えを実現できるように『サービス付き高齢者向け住宅』を増やしていくこと

  • 『サービス付き高齢者向け住宅』以外の選択肢として『住宅型の有料老人ホーム』を増やしていくこと

ここに挙げたのは、ほんの一例に過ぎません。

病院からの景色

病院からの景色


他にもあらゆる課題があって、それらを解決・改善する為に政治家として取り組みをすすめている政策がたくさんあります。




胃ろうと気管切開をしている父との濃密な8年間、薄っぺらいメディアの報道

フジノの活動日記をずっと読んで下さっているみなさまはご存知の通りですが、父は2004年12月に病に倒れました。植物状態になってから、もう8年が経ちます。

脳の中に血があふれて、いろいろな機能が壊れてしまいました。

植物状態(遷延性意識障がい)にある父とは、全く会話ができません。

僕の声が届いているのか届いていないのかは分かりません。仮に届いているとしても、父には返事を伝えるすべがありません。声を出す為の信号が脳から送られているのか、送られていても筋肉が反応しないのか、それも分かりません。

けれども、父は自分自身の力で「呼吸」をしています。「心臓」も動いています。

ただし、自分の力で食べ物を口からとることはできないので、「胃ろう」を造設して栄養剤を胃に直接に流し込んでいます。

父は気管切開をしている


マスメディアを中心にして、この胃ろうを「=悪」と決めつける報道が増えています。

あなたは「胃ろう」を付けてまで生きたいですか?

といった感じで、口から栄養を取れないことが「人としての終わり」のように煽っています。

さらに、国会議員の間では「尊厳死法案」が超党派で作られて、父のような状況に追い込まれた人々は医療費がかかる為に財政を悪化させるという観点から、「治療はせずに死なせるべきだ」という流れが作られようとしています。

でも、どちらの動きも薄っぺらで、現実をまるで知らない議論に過ぎません。



いのちは理屈じゃない。社会保障の財源はもっと徹底した工夫で捻出できる

医療コストをカットする為に「胃ろうはさせない。そのまま餓死すればいい」と栄養を送ることさえさせない、そんなことを家族は絶対に受け容れることはできません。

人生の質を高めることが大切だという『クオリティ・オブ・ライフ』という理論があって、胃ろうや気管切開をしてまで生きていくことは『クオリティ・オブ・ライフ』が損なわれる、人生の質が低くなる、と決めつける福祉の専門家もたくさんいます。

けれども一方で、『クオリティ・オブ・ライフ』の在り方を選んで決めるのは自分自身ですが、植物状態にある本人から『クオリティ・オブ・ライフ』について聞き取りをした調査はゼロです。無いのです。

どれだけ意思疎通をしたくても言葉を発することができず、胃ろうや気管切開をして生きながらえていくしかない、ということは、本当に福祉の専門家が決めつけているようにクオリティ・オブ・ライフが無い状態なのでしょうか?

僕は、僕自身が植物状態になっても僕のいのちが続くことを願ってくれる家族がいてくれるならば、できるかぎり長く生き続けていきたいと強く感じると思います。

自分のクオリティ・オブ・ライフなんかよりも、ただ家族が自分のいのちが続いてくれることを願う祈りを、少しでも叶えてあげる為に。

いのちは、理屈じゃない。

僕にとっての大切な父、母にとっての大切な夫、失いたくない。僕たち家族は、どれだけ自分たちの暮らしが厳しくなろうとも必死に生活費を削って、父を生かし続ける為に医療費を払い続けるのだ。これまでもそうしてきたし、これからもそうしていくだろう。



父に会える限り僕は、誤ったメディアの論調には流されない

父の存在は、政治家としてのフジノに目の前の現実がいかに問題に満ちているものかをいつも教えてくれる。

僕や僕の家族が体験しているつらさや苦しさは、全国で同じようにたくさんの人々が体験していることだから、それを改善することは多くの人々の願いなのだと僕は信じている。

だから、僕は可能な限り父のもとを訪れて、その姿を目に焼き付けて、感じる悲しさや怒りやいろいろな気持ちと大切に向き合っていきつづけなければならないのだと思う。



社会保障の在り方そのものを変えていく為に学んだ半年間でした。修了証も頂きました/「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」

「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」最終日でした

夕方から、東京・青山一丁目の国際医療福祉大学大学院に向かいました。

4月14日から半年間にわたって毎週土曜日の夜は大学院で聴講してきたのですが、ついに今夜で最終回となりました。

国際医療福祉大学大学院前にて

国際医療福祉大学大学院前にて


今のフジノには「どうしても学ぶべき必然性があった」ので振り返ると、本当に感慨深い半年間でした。



政治家フジノの「ライフワーク」が増えた理由

10年前、フジノが政治家に転職した理由は、2つのことを実現する為でした。

  1. 対策が存在しなかった『自殺対策』を新たに創りだす為

  2. 質・量ともに圧倒的に不足している『精神保健福祉』を向上させる為

この2つへの想いが2003年にフジノを選挙に立候補させました。

政治家としての日々の中で全力を尽くしている政策は他にもいくつもあるのですが、『自殺対策』と『精神保健福祉』は僕にとっては特別なのです。

政治家でなくなっても、どんな立場に変わったとしても、これからの人生を賭けてずっと取り組んでいく『ライフワーク』なのです。

その『ライフワーク』は、当選の翌年に3つに増えました。

2004年12月、父が脳梗塞によって植物状態になってしまったことがきっかけで、新たに『高齢者福祉』についてむさぼるように学ぶようになりました。

高齢者の保健医療福祉について、全ては頭の中で『知識』としては知っていたことなのに、僕は自分自身が体験して、改めてその苦しさを痛感させられました。本当に苦しいことばかりでした。

「手術をしても助からない可能性が高い」

と言われた手術を終えて、あまりにも急なことに気が動転している中で詳しいことも分からないままに、胃ろうの造設や経管栄養を行なうようにドクターに言われるがままに家族として判断をせざるをえなかったこと。

障害者手帳の申請や、生命保険の一時金の申請、介護認定の申請、市役所のあらゆる窓口を駆けずり回ったこと。

3ヶ月が経つとすぐに退院を迫られて自宅で介護をするのか、特別養護老人ホームや療養病床に受け入れてもらえないか、悩みぬいて苦しんだこと。

施設への入所を決めた後も、全く受け入れ先が見つからなかったこと。すさまじい数の待機者がいることを改めて痛感させられたこと。

疲弊しきった家族は心身がボロボロになって家族が倒れたり、入院したりが続いたこと。

そんな時、助けてくれるはずの市役所の相談窓口も、病院の相談室も、何も有効な相談相手にはなってもらえなかったこと。

長期の入院は、医療費以外にも出費がすさまじくて、僕はどんどん借金をしなければ入院費をまかなえなかったこと。

高齢者福祉には、こうした問題がずっと昔から存在していて、しかも今も状況は全く変わっていないことを体験しました。

こうして『高齢者福祉』は『ライフワーク』になりました。

政治家としてこの現実を絶対に変えなければいけないし、家族として父を取り巻く現実を変えなければいけないのです。

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です


植物状態の父との8年間の日々を通して直面した問題に1つ1つ取り組んでいくうちに、その背後に、全てに共通している根っこが見えてきました。

それは、知れば知るほど、学べば学ぶほどにハッキリと見えてきました。

このままの政治・行政が続く限りは、僕と僕の父のような問題はむしろ避けることはできない。むしろ、この先もっと爆発的に増えていかざるをえない、ということが分かりました。

その理由は、

この先わずか30年のうちに人口やその構造が急激に変化していくから

です。

もはや完全に日本社会は変わってしまうのです。

コメントする武藤正樹教授

コメントする武藤正樹教授


それにもかかわらず、確実にやってくるその変化に対応する為の準備はほとんどなされていません。

現在の福祉政策の多くは、戦後60年間続いてきた経済社会状況の古い枠組みの中で、その場しのぎのやりとりをしているに過ぎないのです。

今の日本の社会保障制度のままでは、僕と僕の父よりももっともっと悲惨な状況を味わう人々が凄まじい勢いで爆発的に増えていくことを避けることはできないのです。

『社会保障制度の在り方』そのものを変えていかなければならない。

そんな『危機感』がフジノの中でどんどん強くなってきました。

こうして、『社会保障の在り方』そのものについて取り組むことが4つ目の『ライフワーク』なのだ、と考えるようになりました。



「ライフワーク」の政策に徹底して専念していくと改めて決意しました

3期目に立候補するにあたって、選挙ではそうした『想い』を率直に語ってきました。

しかし、実際には当選直後から今年3月末までは『震災対応』と『原子力事故』に関する仕事にひたすら追われていました。

そして、あっという間に1年間が過ぎていきました。

もちろん、『震災対応』も『原子力事故』に関する仕事も大切です。

けれども僕は

「自分の能力や心身のキャパシティを考えると自分の成すべきことを絞らなければならない」

と感じました。

「いくつもいくつも抱えすぎているテーマをリセットしなければならない」

とハッキリと思いました。

次から次へと相談を受けるがままに取り組んでいくだけでは自分はすり減っていくばかりで、本来成すべきことを実現できなくなってしまう。

僕が政治家として成すべきことは4つ。

そもそもこの4つだけでも、あまりにも大きすぎるテーマなのだ。

この4つだけに専念しよう、そう決心しました。

「その決心に忠実である為に僕は学ばなければならない」

と感じました。

2030年、2050年に向けて、今までとは全く違う社会構造の中で『地域保健医療福祉』を推進する為にもっと深く学ぶことが必要だと痛感してきました。

そして、これまで読んできた文献や、傍聴を続けてきた国の審議会などで強い関心のあった先生方から直接に学ぶ機会を得る為に、この半年間の講座を受講することにしたのです。

 半年間、通い続けることができて本当に良かったです。

修了証も頂きました

修了証も頂きました


『震災対応』と『原発事故』関連の課題への対応に奔走してきた昨年1年間のフジノのことを応援してきた」

という方々からはたくさんのひんしゅくを買うことになるのかもしれません。

けれどもフジノは本来のテーマに戻って、自分が今成すべきだと信じることに専念していきたいと考えています。

今、聴講を始める前よりもあらゆることを学んで、より一層、『危機感』は強くなりました。

学んだ成果はすでに本会議や委員会での質疑にどんどん反映しているつもりです。

さらに学び続けて、フジノはフジノが成すべきことをしっかりと1つずつ実現していきます。

どうか市民のみなさまには、そんなフジノの活動を信じて見守っていていただきたいです。



医療的ケアへの大切な議論、進まず/介護職等による「たん吸引・経管栄養」実施の検討会へ

介護職等による「たんの吸引」「経管栄養」の実施の検討会へ

今日は東京・新橋にある『航空会館』へ。

『介護職員等によるたんの吸引等の実施のための制度の在り方に関する検討会(第8回)』

を傍聴してきました。

『たん吸引』『経管栄養』は、医師・看護師だけが行なうことを許されている『医療行為』なのですが

現実的には、介護職員の方々はこれらをすでに実施しています。

(そしてフジノはこれを正しいと考えています)

「医療行為だから医療職しかやってはいけない」という法律と「医療行為であれど介護職もやらざるをえない」という現実との大きな『みぞ』を埋める為に

つまり、介護職員の方々がこれらの行為を違法ではなく実施できるようにする為に、どのような制度の改正を行なうべきなのかを議論している厚生労働省老健局による審議会です。

航空会館にて

航空会館にて


フジノは毎回必ずこの検討会を傍聴しています。
理由はこちらをご覧ください)

去年7月に第1回目が開かれたので、フジノがこの審議会を追い続けてまもなく1年になります。

1年間にわたってこの審議会を追い続けてきた中で、今日は最も違和感を覚えました。

2週間前の6月15日、国会で『改正介護福祉士法』が成立して、来年4月1日からは正式に『たん吸引』『経管栄養』を介護福祉士等が実施できるようになりました。

(画像:改正介護福祉士法のうち、関係している部分)



けれども、『検討会』がスタートすると、このことに対して、多くの委員から批判が続出しました。

 「制度の在り方を検討するのが私たちの役目なのに厚生労働省から法改正の前に私たちに説明が無かった」

というのが、委員の怒りの理由です。

そして、約2時間の会議の時間のほとんどが、この意見についてばかりになってしまいました。

委員のみなさんにとってはメンツが潰された形かもしれませんが、『たん吸引』『経管栄養』実施の介護職等への解禁を家族の立場としてずっと求めてきたフジノにすれば

改正法が成立したことは喜ぶべきことであって

厚生労働省による事前の説明が無かったことは問題でも、大切な検討会で「事前説明が無かったこと」ばかりを騒ぎ立てるのはあまりにも時間がもったいないです。

(画像:検討会の様子)



法改正がなされたとはいっても、法律には大雑把なことしか書いてありません。

正式には9月に公布される予定の『厚生労働省令』に、具体的なことが書き込まれなければいけません。

厚生労働省令の中身が『後退』したものであれば、法改正だけされても『前進』したとはいえません。

だから、委員のみなさんには省令の策定に向けて、議論すべきことをしっかりと議論してほしいとフジノは感じました。

結局、今回の検討会ではわずかな時間しか議論ができず、改めて次回(7月)の検討会で議論を行なうことになりました。

予定では、次回がこの検討会のラストです。

わずか2時間の検討会で省令案の策提案までたどり着けるのか、心配です。

次回もフジノは検討会に立ち会って、議論の行方をしっかりと見つめてきます。



介護職による「たん吸引・経管栄養」がようやく法制化へ/医療的ケアをもっと身近にしたい

介護職による「たんの吸引・経管栄養」がようやく法制化へ

今日は夕方から夜にかけて、厚生労働省へ。

ずっと追いかけ続けてきた『介護職員などによる、たんの吸引などの実施の為の制度のあり方に関する検討会』を傍聴してきました。

何よりも今回が大切なのは、ついに『中間まとめ』が決定されるということです。

ふつうの日本語の『中間まとめ』という言葉の意味とは違って、政治・行政用語で『中間まとめ』とは『方向性の決定』という意味があります。

今日ここで、新しい法律を作る為の方向性が正式に決まります。

「介護職員などによる、たんの吸引などの実施の為の制度のあり方に関する検討会」会場にて

「介護職員などによる、たんの吸引などの実施の為の制度のあり方に関する検討会」会場にて


『たんの吸引』がどれほど重要なことか、実際に目の前で見たことが無い方にはイメージするのはムリだと思います。

フジノも自分の父に『たんの吸引』が必要になるまでは、そんなことを1度たりとも考える機会がありませんでした。

でも、僕は今その『意味』を知っています。

だから、政治家としてフジノは、あなたに伝えなければいけないのですね。

『たんの吸引』が無ければ、生きていかれません。

ノドの筋肉を動かすことができる状態の時には、つまり、ふつうに暮らしている時には、誰もが無意識にノドの筋肉を動かして『たん』を外へと吐き出しています。

あるいは、気道に入らないように食道から胃の方へと『たん』を流し込んでいます。

人間の身体のメカニズムというものは本当に素晴らしくて、意識しなくても勝手にやってくれているのですね。

でも、ノドの筋肉を無意識で動かすことができなくなると、『たん』ひとつによってこんなにも苦しいものなのかと途端に気付かされるのです。

『たん』を吐き出せないと、息を吸ったり吐いたりすることができなくなります。

呼吸ができなければ、窒息してしまいます。つまり、『たん』ひとつで人は死んでしまうのです。

自分で『たん』を吐き出すことができなければ、少しずつ少しずつ気道に入っていき、肺へと流れていきます。そして、肺炎になります。

だから、『たん』を自力で吐き出せない人々にとって、ストローのような管をつかって他人の手を借りてノドから『たん』を吸引してかきだすことは、文字通りの『命綱』なのです。


(画像:検討会が始まる前の会場)


この『たんの吸引』は、日本では医者と看護師しか許されない『医療行為』と決められています。

しかも、深刻な医師・看護師不足があって『たんの吸引』まで、手が回りません。

つまり、どれほど苦しんでいたとしても放置せざるをえないのが現実です。

例えば、フジノが父のお見舞いに行った時、父のベットサイドに2時間いたとしても1度も来てもらえないことも当たり前の状況になっています。

1日に10回も来てもらえることはありません。

目の前の父は、意識が無いとはいえども本当に苦しそうな表情でのたうちまわっています。

僕は、父に対して本当に申し訳なく感じながらも目の前の父に何もしてあげることができません。

ナースコールを押したとして、たとえ今この瞬間は『たんの吸引』をしてもらえたとしても、それはその場しのぎにすぎません。

僕がお見舞いに来ていない時間の方が圧倒的に多い訳です。

その間は、父は誰にも見守られないままにもがき苦しむしかないのです。

誰もがこんなことは間違っていると分かっています。

それでも今の日本の法律・制度のもとでは「しかたがない」と本人も家族も諦めるしか無いのです。


(画像:検討会が終わったところ。今日はマスコミが多かったです)


こんな現実を少しでも変えたくて、せめて医者・看護師じゃない人であっても『たんの吸引』を可能にしたいと考えて

新しい法律をつくる/現在の法律を改正することによって、介護職員などの方々にも実施可能にする為に、この検討会が開かれています。

もしもこれが実現すれば、多くの人々が救われます。




今日の会議の結果、この『中間まとめ』が決定されました。

ようやく方向性が決まりました。

あまりにもゆっくりすぎる一歩ですが、確かに一歩が踏み出されました。

あと2年間も時間がかかるので、僕は自分の父の為には間に合わないかもしれません。

それでも、絶対に進めなければいけないのです。

この動きが本当に確かなものとなる為に、ささやかな力でもこうして情報を伝え続けていくのです。

この国には、父と同じような状況に追い込まれている人々があまりにもたくさん存在しています。

これからもとても多くの方々が父と同じような状態へとなっていくでしょう。

だから、絶対に今の状況を変えなければいけないのです。



マスメディアも中間まとめを報じました

ふだんはとりあげられることがほとんどないのですが、さすがに『中間まとめ』ともなるとマスメディアも報じてくれました。

各社の翌日の記事を紹介します。

(2010年12月14日・神奈川新聞より)





(2010年12月14日・毎日新聞より)





(2010年12月14日・朝日新聞より)




植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

今日、おふくろから

「英明に見せたい物があるの」

と言われた。

おふくろの後について庭に行くと、壁に立てかけられた横長の板があった。

真っ黒に汚れた板を裏返すと、それは4年前(2003年)の『藤野英明選挙事務所』の『看板』だった。


 
4年前の4月には、妹の結婚式があった。つまり、『選挙』と時期がクロスしていた。

僕の立候補には、おやじ(父)をはじめ家族みんなが反対だったので

「妹の結婚に差し支えるので、お前の立候補のことは(武山では)秘密にしてくれ」

と、おやじに言われていた。

誰に反対されても1人でやればいいだけのことなので、僕は、近所の人にも一切、何も話さなかった。

『今までの選挙』の常識は全てやめて、『新しい選挙』をやろうとしていたから、地元とのカンケーを断ち切るのは望むところだった。

(実際、選挙期間7日間を通じて武山には合計して2時間しか戻らなかった。

過去のブログを読みかえしたら、あえて『近所の人々へ』という文章まで書いていた)

けれど、1つだけ困ったことがあった。

それは、

「選挙の時には必ず1ヶ所、どこかに選挙事務所を作らなければいけない」



と、(たぶん選挙管理委員会から)言われていたのだ。

選挙事務所なんて僕には必要ない。
 
あっても使うことさえ無い。

けれども、法律で決まっいて、しかも自宅以外に住所が無いからどうにもできなくて、しかたなく、おやじに頭を下げて自宅を住所にした。

立候補に反対していたおやじなので、当然ながら、良い顔はしなかった。

電話もあえて別回線を引いて、とにかく家には迷惑をかけないようにした。

加えて、選挙事務所の『看板』だけは付けざるをえなかった。

「選挙の初日から最終日まで7日間だけ、家の壁に看板をつけさせて下さい」

とお願いをして、選挙当日の朝に着けて、選挙最終日にはすぐはずす約束をして、看板をつけることにした。

平成町の『ホームズ』でコンパネ(厚めのベニヤ板)を買ってきて、ステッカー会社に勤める先輩にシールを作ってもらって貼った。

選挙が終わって、約束どおりに看板はすぐはずした。

その後、燃えるゴミに出していたと思っていた。

その看板が、出てきたのだ。

「何これ?どうしたの?」

と、おふくろに尋ねると

「草ぼうぼうの物置の陰に置いてあって、草を刈ったら出てきたの」

と、言われた。

「へえ、捨ててなかったんだね」

そう僕は応えて、次の資源ごみの日までにこのでかい板をどうやって捨てようかと考えていた。

「板を表向きにしてみて」

と、おふくろが言った。

そして、僕は板を表にしてみた。

「あっ!」

思わず、声が出てしまった。

雨ざらしになっていた裏面こそ、どす黒く汚れていたけれど、表面は思った以上にキレイなままだった。

藤野英明選挙事務所の看板

藤野英明選挙事務所の看板


けれども、驚いたのは、それじゃない。

文字が書かれていたのだ。

当選

これは父さんの字だった...。

3年前の12月、僕の父さんは脳出血によって、完全に植物状態になってしまった。

朝、不調を感じた父は自分の足で病院に行き、主治医から入院をするように言われた。

東京の杉並区立和田中学校を視察していた僕は14時頃、入院先の父のもとへ向かった。

意識がある状態で元気だった父は、

「英明、リハビリすればまた動けるようになるかな?」

と僕に尋ねた。

僕はもちろんだよと応えた。

どこの家庭でもそうだろうけれど、父親と息子とはなかなかうまくいかないもので、30年間、僕はおやじとまともに向き合ったことがなかった。

その2日前、やっと僕たちは打ち解けた。
 
「これからは毎月でも一緒に映画に行こう」

と約束した。

でも、あっという間にそれはもはや実現できない夢となった。

父さんは、僕とは対照的な九州男児だった。

柔道・剣道ともに有段者で、豪快にお酒を飲んで、いろいろなことを一人きりで解決していく人だった。

がさつなところもあるけれど、いつも自分のことは後回しにして他人の為に生きてきた人だ。

強くて優しい、素晴らしい父親だ。

幼い頃から僕は、ずうっと父のことを尊敬していた。

けれども、そんな当たり前の気持ちさえ、本人の前では言葉にしたことが無かった。

父が言葉を発することができなくなったあの日から、毎日毎日、父さんのことを考えている。

悩んだり、答えが出ない問題にぶちあたると、

「父さんだったらどうするだろうか」

と、いつも考えてきた。

父さんの声が聴きたい、といつも想ってきた。

過去にもらったメールも手紙も保存してある。
 
父さんが書いたメモ(メモ魔だった)もたくさんとってある。

でも、『新しい言葉』はもう発せられることは無い。

何度お見舞いに行っても、父の状態が好転することは無いままだ。

喉と胃に穴があけられて管を通されて、目は開いているけれど視力は無く、音声だけは聴こえている可能性はあるけれども反応はできない。

植物状態。

真っ暗闇で音の無い世界にいる父。
 
洞窟の中に独りでいるような状態なのか、孤独なのか、苦しいのか。もう戻ってきてはくれないのか。

父さんは今、伊豆の病院に入院している。
 
リハビリがしっかりしているので有名な病院だ。

横須賀の病院ではリハビリをしてくれない。
 
リハビリをしてくれる関東の病院はどこも混んでいて入れない。

だから、遠くこのまちを離れた伊豆にいる。

どれだけ特急に乗っても2時間半、そこからタクシーで20分。

僕は仕事にかまけて、もう半年くらい父さんに会いに行っていない。

決算議会が終わったら、予算議会が終わったら、いつまでもぐだぐだ言っていて僕は足が動かない。

おれは父さんの姿を見たくないのか。

こんなにいつも想っているのに何故おれはお見舞いに行けないのか。

いつもいつも自問自答している。

そんな僕の前に、3年前の12月からずうっと願っていた『父さんの新しい言葉』が現れたのだった。


 
「母さんは、父さんがこれを書いたの知ってた?」

「ううん、私も知らなかったの。きっとね、英明が当選したのがうれしかったんだろうね」

父さん...。

空きスペースに書かれた「当選」の文字

空きスペースに書かれた「当選」の文字


おれは、どうすればいいんだろう。

これから生きていく道を迷って悩んでいるおれの前に、できすぎたタイミングでこんな言葉を送ってきやがって。

父さん、おれはどうすればいいんだろう。

父さん...。