2015年12月15日・本会議での議案への反対討論/共生社会実現のための障害者の情報取得及びコミュニケーションに関する条例制定について

「共生社会実現のための障害者の情報取得及びコミュニケーションに関する条例制定について」への反対討論

『議案第122号・共生社会実現のための障害者の情報取得及びコミュニケーションに関する条例制定について』に反対の立場から討論を行ないます。

まずはじめに、長期にわたり条例案の策定に関わって下さった全てのみなさん、当事者・家族・学識経験者などあらゆる立場の方々、パブリックコメントをくださった市民のみなさまに深く感謝を申し上げます。

長期に渡って条例策定にご協力下さったみなさまに御礼申し上げます


この条例の中身は、2014年1月にわが国が批准した『国連障害者権利条約』に基づいています。例えば、「条約」の第2条「定義」で示された「意思疎通」「言語」などをはじめ、第21条「表現及び意見の自由ならびに情報の利用の機会」などを、改めて横須賀市の条例として位置づけている内容です。

しかし、条例案の中の第9条(財政上の措置)は、そもそも『国連障害者権利条約』に明らかに違反しており、法令として整合性が取れていない内容になっています。

『国連障害者権利条約』の第19条では、障がいのある市民は障がいの無い市民と同様に地域社会で生活し社会参加する「完全に平等な権利」を持っていることを確認し、その権利の実現の為に国・自治体が取るべき措置を定めています。
 
つまり、障がいのある方々が自己の希望と選択に基づいて地域で暮らし社会参加する為に必要な支援は「権利」であり、その保障は国・自治体の「義務」なのです。
 
けれども本市の条例案第9条は、地域で平等に暮らす為に必要な情報取得やコミュニケーション支援が提供されなくてもやむをえない、という内容です。これが本条例案に僕が反対する理由です。

第9条の条文は以下の通りです。

「市は、コミュニケーション等手段の普及及び利用の促進に係る施策を推進するため、必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする」

つまり、「財政の努力規定」が書き込まれてしまっています。

「努力規定」とは何かというと、この条例に書かれた目的実現の為に施策をやらねばならないとしても、その実現の為に「絶対」に財政支出をするという「義務」ではなくて、市の財政状態によっては「努力」したけれどダメでも仕方がない、という言い訳を許すということなのです。

財政を理由に、いくらでも条例の理念や目的を果たさない言い訳を許してしまうという条文なのです。
 
どれだけ条例の前文や第1条から第8条まで素晴らしい文言が並んでいたとしても、この第9条がある限り、その理想は単なる絵空事に終わる恐れが極めて高いのが今の横須賀市政です。

討論に立つフジノ

この「努力規定」がいかに問題か、分かりやすい具体例を申し上げます。

現在開催されている12月議会に、学童保育の指導員の処遇改善を求める請願が出されています。

12月議会に出された請願第9号

12月議会に出された請願第9号

 
労働基準法違反の労働環境や最低賃金ぎりぎりかそれ以下という中で、指導員のみなさまの熱意だけで何とか今までこどもたちの暮らしが守られてきました。
 
この現状を改善することは、こどもたちを守ることそのものです。
 
国もこの問題にようやく目を向けて、新たに『放課後児童支援員等処遇改善等事業』を作り、ようやく指導員のみなさんの処遇改善が実施しやすくなりました。

これは横須賀市にとっても大変有利な補助メニューで、これまで処遇改善に取り組もうとすれば、その全ての財源は横須賀市が単独で支出しなければならなかったところを、国・県が合計3分の2を支出し、横須賀市はわずか3分の1という以前よりも極めて少ない支出で処遇改善に取り組めるようになったのです。

こどもたちを守る為には指導員のみなさまの処遇改善のメニューを導入するのは当然のことですから、第2回定例会では僕が、第2回定例会では複数の会派の議員が、早期導入を求める質疑を行ないました。

しかし横須賀市は補正予算案を組んで対応するようなことはしませんでした。
 
その為、この第4回定例会では、現状を知る保護者や市民の方々から、こどもたちの健やかな成長を守る為に処遇改善を導入して欲しいとの2万8,000筆を超える署名とともに請願「放課後児童クラブに対する安定的運営と質の向上に資する補助金の交付について」が市議会に出されました。

それに対して横須賀市側は、来年度以降の導入はほのめかしたものの、今年度補正予算を組んでの対応はしないとの答弁を繰り返しました。

「こどもが主役になれるまち」とか「こどもに選ばれるまち」を目指しているはずの吉田市長のもとで何故このような信じられない人権無視の指導員の雇用環境を放置しこどもたちを守らない対応が続けられているのでしょうか。

それは、昨年9月議会において、市長から提案された『放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準を定める条例(以下、学童保育条例と呼びます)』を横須賀市議会が可決してしまったからです。

上位の法律である「児童福祉法」ではそもそも学童クラブの運営に関しては市の責務だと規定しているのですが、横須賀市の学童クラブの運営に関して定めたこの条例では、市の責務を「努めるものとする」という「努力規定」へと格下げする条文が盛り込まれていました。

僕は4つの理由を挙げてこの条例案への反対討論を行ないましたが、残念ながら反対は僕のみにとどまり、可決されてしまいました。
 
つまり、横須賀市は「あくまでも努力さえすれば良い」という言い訳を「学童保育条例」に定めてしまったのです。市議会が可決した条例という法律的なお墨付けを得た横須賀市は、条例で「努めるものとする」と書いてあるとおり、指導員の処遇改善も努力したけれど財政上できなかったという立場を正当化できるようになりました。

かつて国の新たな補助メニューが無かった頃は横須賀市単独で約1億3,000万円ほどの財源が必要だった処遇改善が、新たな補助メニューができた今ではその3分の1のわずか4,000万円ほどの財政支出で実現できるようになりました。

にもかかわらず、今年、横須賀市はやらないのです。
 
この4,000万円は、こどもたちの命を守る為に必要な予算です。

それにもかかわらず横須賀市が財政支出をしなくても許されるのは、学童保育条例において市の責務を「努力規定」に格下げすることを市議会が許してしまったからです。

1年前、市議会が「市の責務」を「努めるものとする」と「努力規定」に格下げした条例を可決してしまったが故に、今、横須賀市がこどもを守らない財政運営をしていても条例違反ではありません。

このような条例を絶対に許すべきでは無かったし、可決すべきではありませんでした。

討論に立つフジノ


さて、討論を本題に戻します。

この12月議会に市長から提出された「議案第122号・共生社会実現のための障害者の情報取得及びコミュニケーションに関する条例制定について」においても、まさに学童保育条例と同じ罠が埋め込まれています。
 
第9条において市の「財政上の措置」は「努めるものとする」という「努力規定」に格下げされているのです。

障がいのある方々の情報取得とコミュニケーション支援に本気で取り組むには、あらゆる分野において膨大な数の事業を1つ1つ実施していかねばなりません。事業を進めていく為には当然ながら財政の裏付けが必要です。
 
この条例の理念を実現する上で、財源は4,000万円などでは到底済むとは思えません。

今年度、こどもの命を守る為に必要な4,000万円の支出さえ拒否したのが今の吉田市政です。

そんな今の横須賀市が、障がいのある方々の情報取得とコミュニケーション支援に必要な全ての財政支出に本気で取り組むと思うことができるでしょうか。
 
今回の条例案が成立すれば、必ず横須賀市は財政を言い訳にして、障がいのある方々への支援を中途半端な取り組みにしてしまうでしょう。
 
しかし中途半端な取り組みであっても、市議会のみなさまが可決した条例を盾にして、条例では「努力規定」だからと正当化することができてしまうのです。
 
僕は障がい福祉の向上に取り組んできたからこそ、あえて反対します。
 
この「財政の努力規定」が取り除かれない限り、超高齢少子多死社会の進展で縮小する財政を前に、横須賀の障がい福祉は後退してしまう可能性さえあるからです。

『WHO』(世界保健機関)は「世界障害白書」で障がいのある方々は人口の15%だと推計しています。

肢体不自由、視覚障がい、聴覚障がい、盲ろう、精神障がい、知的障がい、発達障がい、難病などのあらゆる当事者のみなさん、ご家族のみなさん、福祉職のみなさんは、毎日の暮らしの中で今の日本が共生社会からは程遠い現実を日々体験しておられます。

決して贅沢をしようというのではない、人としての当たり前の権利が損なわれています。

所得補償・住宅・医療・療育・教育・文化・スポーツ・労働雇用・虐待・建物利用・交通アクセス・災害・政治参加・司法手続き、そして本条例が対象にしている情報アクセス・コミュニケーション保障など、あらゆる課題があります。

必要な合理的配慮を行なうことが当然の基本ルールとされる社会には遠い現実があります。

このような現実を前にして、障がいの無い人もある人もそれぞれが価値ある存在とされるインクルーシブな共生社会を実現する為に1つずつ取り組みを進めていかねばならないとしたのが『国連障害者権利条約』です。

『国連障害者権利条約』は、障がいの無い市民と平等な権利を保障し、その実現に必要な支援を提供することは「義務」だとしています。
 
つまり、財政の壁を口実にしてはならない、人間の尊厳の為の支援は借金をしてでも行なわねばならない、そもそも財源不足を理由にすることができない事柄なのです。
 
日本もこの『条約』を締結し批准しました。
 
今やわが国は、国も自治体も「障がいのある方々の権利を守り、必要な支援を権利として保障し提供していくこと」が国際社会に約束した「果たすべき義務」なのです。
 
多くの新しい理念、特に基本的人権、選択の機会、社会的障壁の除去を実現していく為に、こうした理念を具体的な取り組みに落とし込んで実行していかねばなりません。

その動きの中で、あえて『国連障害者権利条約』に基づいた条例案が、その条約に反する「財政上の努力規定」を設けることは明らかに間違っています。

わが国にはかつて天下の悪法と呼ばれた「障害者自立支援法」という法律がありました。

法律の「目的」では障がいのある方々の尊厳ある社会生活の為の支援の提供をうたっていながら、実際には財政コントロールを優先させた内容になっていました。
 
その結果、全国で障害者自立支援法の違憲訴訟が起こされました。2009年の政権交代のきっかけのひとつになったとも言われています。

僕は今回の条例案が障害者自立支援法とかぶって見えます。

「目的」は素晴らしいが、結局は「財政のコントロールをかける条文」が盛り込まれているからです。

だから、このしばりを外さない限り、人としての尊厳を守る為の障がい福祉に関わる立場として絶対に認めることはできないのです。

傍聴席に語りかけるフジノ


横須賀市議会の先輩・同僚議員のみなさま、『国連障害者権利条約』を締結・批准した世界的な約束に照らしても、本条例案の第9条はあってはならず、この条文がある限り、あらゆる理念や目標は実現しません。

どうかこの条例案はいったん否決して下さい。

そして「財政の努力規定」を削った上で新たな条例案を一緒に作っていただけないでしょうか。

この条例そのものを骨抜きにする条文を盛り込んだまま、可決してはなりません。

どうか本条例案に反対して下さいますよう、心からお願いを申し上げて、反対討論を終わりにします。

先輩・同僚議員に深く頭を下げるフジノ



市議会の採決の結果

反対はフジノのみ、賛成多数で可決されました。