藤野英明のプロフィール

【一部更新しました(2020年7月7日)NPO法人の共同代表理事への就任を加えました】

1.現在の肩書き

  • 横須賀市議会議員

横須賀市議会ではただひとり、政党や会派などに所属していない無所属・無会派です。どんな団体の応援や推薦も全く受けていません。

初めての選挙から現在まで『後援会』もありません。

現在、5期目です。

  • NPO地域精神保健福祉機構・共同代表理事

NPO地域精神保健福祉機構は、愛称で『コンボ』と呼ばれています。全国に約8000人の会員がいるNPOです。

2010年6月に理事に就任しました。理事12名中、最年少でした。その後、2012年、2014年、2018年、2020年の合計4回、再任されました。

そして2020年7月、共同代表理事に選出されました。

  • 横須賀市議会の『質問王』

初当選から現在まで、全議員の中でただひとり15年間連続で全ての本会議で質問に立っています。質問回数が誰よりも多い『質問王』です。

(ちなみに本会議での質問回数は15年間合計71回です)

『心理学の専門家』として仕事をするために必要な最小限の標準的基礎学力と技能を修得していると日本心理学会が認定した者(日本心理学会ウェブサイトより引用)。

  • ツイッター議員

日本の政治家で最初期からツイッターを活用した『ツイッター議員』最初の5人としてウィキペディアで紹介されました。

2.外部から依頼・選任されて、就任している役職など

通称「リリー賞」と呼ばれています。2009年に就任しました。
2010年2011年、2012年、2013年2014年2015年2016年、2017年、2018年にわたって務めています。

授賞式に出席したフジノ
授賞式に出席したフジノ

精神保健医療福祉の当事者の年1度の大きなお祭り「リカバリー全国フォーラム」。2009年〜2017年まで9年連続で務めています。

2011〜2012年の間、務めました。完成した報告書はこちらをご覧下さい。

第2回大会でもノミネートされました。横須賀市議会でのマニフェスト大賞受賞はフジノが初めてでした。

マニフェスト大賞ベストHP賞を受賞

3.自分の意思で所属している学会・勉強会

政策を実現する為に必要な知識や情報を学ぶ為に、いくつかの学会や勉強会に参加しています。

2009年2月1日まで初代の代表を務めました。

季刊誌『ステージ』の編集に関わらせていただきました)

など。

4-1.初当選までの経歴

政治とは全く関係のない人生を送ってきました。

父は警察官、母はパートタイマー、親戚にも政治家は誰もいません。

幼い頃の夢は「映画監督になること」でした。

公立の小中高校に通い、映画撮影・陸上部・バンド活動とふつうの青春を送っていました。

できごと
1974年4月8日追浜の湘南病院で産まれる(現在、48才)

父が警察官だった為、追浜本町2丁目の官舎で暮らしました。
1981年3月白鳩幼稚園 卒園

幼稚園時代は、年少で『どんぐりの王様』の王様を、年長で『スペインの村祭り』でセンターを務めるなど元気いっぱいでした。

徒歩で幼稚園に通学していたのですが、園からの帰り道、うんちをがまんできなくて漏らしてしまうことが何度もあり泣きながら歩いて帰ったことを憶えています。
1981年5月市立夏島小学校に入学したものの、わずか1ヶ月で武山へ引越し

官舎を出て一戸建てに引っ越しました。

けれども小学校1年生の5月という中途半端な時期に引っ越した為に、すでにクラスには人間関係が確立されており、友達を作ることができませんでした。

また、横浜市に歩いて5分もかからなかった追浜と、漁業と農業の盛んな武山という土地柄の違いになかなかなじめませんでした。幼稚園時代までの明るい性格から一転して友達もいない、孤独・孤立感の深い小学生時代を送りました。
1987年3月市立武山小学校 卒業
1990年3月市立武山中学校 卒業
1993年3月県立横須賀高校 卒業
1998年3月早稲田大学・教育学部・教育学科・教育心理学専修(臨床心理学を専攻) 卒業
1993~98年大学時代を通じて、都内のメンタルクリニックにて無給研修生としてデイケアで働かせていただく
1998年4月東宝株式会社に入社
映画興行部、財務部(財務部資金課・財務課)にて丸5年間勤める

幼い頃からの夢だった映画の世界に入り、しかも日本映画界のトップである東宝に入社し、はたから見れば幸せな社会人生活を5年間、送っていました。

業界の花形である映画興行部での3年間は、まさにエキサイティングでした。週末ごとに国内外のトップスターを間近に見る、全国の映画館が東宝の動向を追っている。ドキドキする毎日、興行屋であり映画屋であることを誇りに感じました。

けれども29才の時、政治家に転職することになりました。



2003年できごと
1月30日政治家に転職する決心をする
2月5日 Yデッキにて街頭演説を始める
3月31日 東宝株式会社を退職する
4月20日統一地方選挙に立候補
4月27日 横須賀市議会議員に初当選(45人中、第4位。4,967票)

立候補の相談に行った選挙管理委員会でも「選挙の1ヶ月前に立候補を決心しても遅すぎる。やめたほうがいい」と言われた無謀な立候補、泡沫扱いでした。

けれども、横須賀市民のみなさまに僕の想いと政策は、届きました。

そして政治家に転職して、最初の4年間。

できごと
2003年5月民生常任委員会(福祉・医療・環境・消防)に所属する
財団法人横須賀市健康福祉協会・理事に就任する
議会だより編集委員会にて『議会でゲンキ』を作成する
議会IT化運営協議会にオブザーバーとして参加する
2004年4月日本社会事業大学通信教育科(1年7ヶ月)の精神保健福祉士養成過程に合格、入学する
5月民生常任委員会に再び所属する
議会IT化運営協議会に2年連続でオブザーバー参加する
2005年5月民生常任委員会に3年連続で所属する
10月31日日本社会事業大学通信教育科・精神保健福祉士養成過程を卒業
2006年3月31日精神保健福祉士の国家試験に合格
5月教育経済常任委員会(教育委員会・経済部・上下水道局)に所属する
6月30日 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の代表に就任する
9月15日 上智大学大学院・総合人間科学研究科・社会福祉学専攻(福祉政策・運営管理コース)に合格
2007年4月3日上智大学大学院・総合人間科学研究科・社会福祉学専攻(福祉政策・運営管理コース)に入学、福祉政策を専攻、地域社会政策の観点から自殺予防対策を研究する

4-2.2期目の経歴

政治家に転職した最大の目的であった『自殺対策基本法』成立を実現できた為、1期かぎりで退職するつもりでした。

もともと大学時代に恩師から大学院進学を薦められていたのですが、家計の事情で断念していました。

それでも社会人になって9年間コツコツと学費を貯めてきました。政治家1期目の終わりに改めて大学院を受験し、無事に合格しました。

地域社会政策としての自殺対策を研究しながら、精神保健福祉士として自殺へと追い込まれる方々を減らす為に働いていくことを決めていました。

けれども、多くの方からの「もう1度立候補してほしい」との声をいただき、2期目も立候補することになりました。

できごと
2007年4月22日 横須賀市議会議員(2期目)に当選(63名中、第2位。6,901票)
5月民生常任委員会に所属する(通算4年目)
2008年5月教育経済常任委員会(教育委員会・経済部・上下水道局を所管する)に所属する(通算2年目)
2009年2月『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の代表を辞任する
3月『市議会だより編集委員会』に就任
5月教育経済常任委員会(教育委員会・経済部・上下水道局)に所属する(通算3年目)

『議会IT化運営協議会』にオブザーバーとして3度目の参加
6月30日学費の支払いが不可能となり、上智大学大学院を自主退学する
11月6日第4回マニフェスト大賞(ベストホームページ部門)を受賞しました
2010年2月第6回リリー賞の選考委員会に任命される。選考に関わらせていただきました
5月民生常任委員会(健康福祉部・こども育成部・消防局・環境部を担当)に所属する(通算5年目)

『議会IT化運営協議会』に4度目のオブザーバー参加
6月NPO地域精神保健福祉機構の理事に就任
7月横須賀市民生委員推薦会下町地区準備会委員に委嘱される
2011年2月第7回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました

4-3.3期目の経歴

東日本大震災が起こました。

「こんな非常事態に、選挙なんかやってる場合じゃないのに」という強い怒りがありました。けれども同時にそれは「たくさんの困っている方々の為にもっと政治がやるべきことがある」という強い想いとなり、3度目の出馬を決意しました。

できごと
2011年4月25日市議会議員(3期目)に当選(61名中、第2位。6,457票)
5月12日教育福祉常任委員会(旧・民生常任委員会)に所属する(通算6年目)

財団法人横須賀市健康福祉協会・理事に就任

『議会報告会等準備会』委員に就任

6月『脱原発社会を考える議員連盟』の事務局長に就任
2012年1月第8回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました
5月教育福祉常任委員会に所属する(通算7年目)

議会IT化運営協議会に5度目のオブザーバー参加

横須賀市民生委員推薦会・委員に就任

6月NPO地域精神保健福祉機構の理事に再任
2013年1月第9回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました
5月教育福祉常任委員会に所属(通算8年目)

議会IT化運営協議会に6度目のオブザーバー参加

横須賀市スポーツ推進審議会委員に就任

6月民生委員推薦会下町地区準備会委員に就任

「市政功労者」と「全国市議会議長会在職10年表彰」を辞退(過去、辞退をしたのは木村正孝氏とフジノの2人のみ)

2014年1月第10回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました
5月生活環境常任委員会(市民安全部・市民部・資源循環部・上下水道局・消防局を所管)に所属

議会IT化運営協議会に7度目のオブザーバー参加

6月NPO法人地域精神保健福祉機構の理事に再任される
2015年1月第11回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました

4-4.4期目の経歴

2015年4月横須賀市議会議員に当選(4期目)
5月教育福祉常任委員会(健康部・福祉部・こども育成部・教育委員会を所管)に所属

議会IT化運営協議会に8度目のオブザーバー参加

2016年1月第12回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。選考に関わらせていただきました
4月日本福祉大学(通信教育学部)福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科入学
5月教育福祉常任委員会(健康部・福祉部・こども育成部・教育委員会を所管)に所属

議会IT化運営協議会に9度目のオブザーバー参加

社会福祉審議会・委員に就任

6月民生委員推薦会下町地区準備会委員に就任
2017年1月(仮称)政策検討会議等準備会にオブザーバーとして参加


第13回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される。
5月教育福祉常任委員会(健康部・福祉部・こども育成部・教育委員会を所管)に所属

政策検討会議にオブザーバーとして参加

議会ICT化運営協議会に10度目のオブザーバー参加

横須賀市民生委員推薦会・委員に2度目の就任

8月ごみ屋敷対策検討協議会に所属
2018年1月第14回リリー賞の選考委員会のメンバーに任命される
2月FM戦略プラン審査特別委員会の委員に就任
がん対策検討協議会にオブザーバー参加
3月日本福祉大学 通信教育部 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業(福祉経営学学士取得)
5月教育福祉常任委員会(健康部・福祉部・こども育成部・教育委員会を所管)に所属

政策検討会議にオブザーバーとして再び参加

議会ICT化運営協議会に11度目のオブザーバー参加

横須賀市社会福祉審議会・委員に2度目の就任

6月NPO法人地域精神保健福祉機構の理事に再任される



そして、現在に至っています。



5.政党・会派には一切所属していません

どんな政党とも会派とも全くカンケーの無い、無所属です。

2008年11月12日をもって、横須賀市議会議員の中でフジノたった1人だけが無所属・無会派となりました。残りの40名はみんな、どこかの政党か、会派に所属しています)

フジノには後援会もありません。

どんな組織からも『推薦』などは受けていません。

職業として政治家をやりたいのではなく、このまちを変えるという「目的」を実現する1つの「手段」として政治家に転職をしました。

2006年4月25日のシンポジウムでのフジノ

パネリストとして招かれたシンポジウム(2006年4月25日)「あなたにとって政治とは?」と尋ねられて「目的を実現するための、ただの手段です」と改めて断言しました。

*市民のみなさんに対して政治家が伝えるべきことはあくまでも「政策」「このまちの未来」「活動の実績」「政治とお金」などだと僕は考えています。

*どこの大学を出たとか、どこの地域で暮らしているとか、家族が何人だとか、趣味は何だ、とか、そういった情報は政治家を選ぶ上での情報ではあるべきでない、そう固く信じています。

つまり、「同じ高校/大学の卒業だから応援しよう」とか「育った地元が同じだから投票しよう」ということはまちがっているからです。

投票はあくまでも政策に基づいて行うべきだとフジノは信じています。

「あの人は若いからがんばってくれそう」「あのひとは高齢だから投票しない」などのエイジズム(年齢で他人を判断する)や、外見で判断するルッキズムなどは特にキライでまちがっていると思います。

政治家は政策で選ぶもの、と僕は心の底から強く信じています。

あなたが毎日の暮らしの中で感じているおかしい、もっとこうすればこのまちは良くなるのに、という想いと同じ想いを持った政策を訴えている人こそがあなたに必要な政治家だと僕は思います。

そんな政治家で在りつづけられる様にいつも全力で働き続けていきます。



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