大晦日、今年最後の「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」でした/ひとり自殺対策街頭キャンペーン2015-16

プロレス観戦後、ワイデッキへ

昨年までずっと大晦日はいつも父の入院先の病院にお見舞いに行っていました。

今年6月に父が亡くなり、『大晦日の午後から夕方のお見舞い』というスケジュールがぽっかり空いてしまいました。

でもそのおかげで、ドブ板通りで開催された大仁田厚選手の試合を観ることができました。

プロレスが大好きなフジノですが、父が12年前に入院してからはほとんど試合も観に行くことがありませんでした。大仁田選手の試合もずっと観たかったのですが、行けませんでした。

それが父の没後、初めて大仁田選手の試合を観れた、しかもいつも父と過ごすことにしていた大晦日に観れた、という不思議な巡りあわせに「人生って不思議なものだな」と改めて感じました。



今年最後の「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」へ

プロレス観戦から10分後にはもうワイデッキへ立っていました。

大晦日の実感が全くありませんでした

大晦日の実感が全くありませんでした


こちらは毎年変わらない、年末年始の『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』です。毎年、大晦日も変わらずに行なっています。

「横須賀こころの電話」をみなさまに知ってほしいです

「横須賀こころの電話」をみなさまに知ってほしいです


『横須賀こころの電話』は、大晦日も夜中0時まで電話を受け付けています。

多くの方々が『カウントダウン』でヴェルニー公園に集まったり、祖父母の実家に帰省したり、海外へ旅行しているこの年末年始。

それでも『横須賀こころの電話』の相談員のみなさまは、毎年大晦日も深夜0時まで電話を受けて下さっています。

もちろん明日の元日も朝10時から電話を受けてくれています。

そんなみなさんの日々の活動を思うにつけても、フジノも年末年始を休む訳には行きません。一緒にがんばるだけです。

今日もたくさんの方が声をかけて下さってありがとうございました。



2016年が「希望」を感じられる年になりますように

今年は、個人的にも、公人としても、厳しいことばかりでした。

個人的なことは割愛しますが、政治家としては解釈改憲からの戦争法案との闘い、本当に民主主義とは何かが問われた1年でした。

横須賀においても民主主義が揺らいだ1年でした。

数年前から何のノウハウも無いNPOに仕事を随意契約したり、不誠実答弁を繰り返してきた吉田雄人市長が、今年に入っても虚偽答弁を繰り返し、政治献金をもらった人間を採用するなど情実人事と疑われてもしかたないことがついに『100条委員会』の設置へとつながりました。

こうした間違った政治は、もう終わりにしなければなりません。

吉田市長は可能な限り早く辞任すべきだという結論にフジノは至りました。あらゆる面で停滞している横須賀を前に進めるには、トップが変わることがまず必要です。

長期的な人口推計はまず外れない、というのが社会保障に関わる人間の共通認識です。

このまち(そしてこの国)の人口は確実に大きく減少していくことは変わりません。

地方創生や小手先の少子化対策は、ほとんど効果が無いでしょう。

多くの政治家たちは、まるで数年で少子化や介護人材不足が解決できるかのようなことを言いますが、嘘です。論理的に絶対にムリです。

けれども、フジノもそうですが、社会保障・社会福祉の専門家は決して悲観していません。

必ずこのまち(この国)は、前に進んでいくことができます。

超少子・超高齢・多死社会においても、必ずこの困難を乗り越えていく方法はあるはずだと多くの専門家は信じています。

フジノも全く悲観していません。

ただ、市民のみなさまをはじめ、多くの方々はこのまち(この国)の将来に『希望』を感じることができていないのが現実だと思います。

それをフジノは2016年はしっかりと政策として分かりやすくご説明を繰り返し、市議会でも提案をしっかりと訴えて、実現していくことに全力を尽くしたいです。

誰もが『希望』を感じられるまち(国)へと改めて前に進めていきたい。

客観的な推計や事実に基づいた適切な危機感を持つこと、目の前の危機に対する合理的な対策をとった上での悲観は大切です。

しかし、その先に必ず『希望』はあります。

2016年は『希望』をしっかりと語っていきたいです。

みなさま、今年も大変お世話になりました。

明日もフジノはいつもどおり働いていますが、いちおう大晦日なので、来年への決意を語りました。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。



あなたにとって来年が良い年になりますように祈っています/父のお見舞いへ

夕方を過ぎてからようやく父のお見舞いに行くことができました

今日は朝からずっと仕事が忙しくて、自分の時間がとれたのは夕方になってからでした。

大晦日は毎年、父のお見舞いに行くことにしています。

すでにみなさんがご存知のとおりで、僕の父は脳出血によって植物状態になってしまいました。かれこれ11年目になります。

大晦日の病院はガランとしていて静かです

大晦日の病院はガランとしていて静かです


父は大晦日まで生き延びることができたのは奇跡だと感じます。

今年だけで合計5回、危篤を言い渡されました。

朝早くや深夜を問わず、「今夜がやまです」「もってあと数時間です」「危篤です」「ご家族の方、いらしてください」という病院からのコール。

そのたび、フジノはパニック障がいに悩まされながら、父の入院している病院に向かいました。

泊まりこみでベットサイドに座り、生と死の間を行ったり来たりする父の姿を見つめ続けました。

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手


12月に入ってからも父の状態の悪さは変わりません。

12月27日には39度の発熱、今日31日も37度から下がりません。

元気な頃の父の平熱は35度なので、そうとう苦しい状態なのだろうなと切なく感じます。

でも、「生きよう」とし続けている父の意思を僕はこころから尊重したいと思います。

お見舞いから戻ったら『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』に向かう。

これが毎年のスケジュールです。

けれども横須賀に戻った時点で、すでに21時を過ぎていて、今年は叶いませんでした。

明日、1月1日はいつもどおり街頭に立ちます。



こころからみなさまの幸せを祈っています

本当ならばご自身もこどもたちとゆっくりとお正月を迎えたいであろう、警察、消防、救急、自衛隊、医療福祉関係のみなさん、サービス業のみなさま。

本日もお仕事、本当におつかれさまです。

あなたがたの働きのおかげで、世の中の多くの人たちが安心して暮らせています。政治家として、こころから感謝しています。

フジノ自身は今年は苦しいことがとにかく多かったです。

1月には、大好きな祖父が亡くなりました。

そこから立て続けに大変なことばかりが続きました。

8月には、15年ぶりくらいに僕の精神疾患も重くなってしまい、いつ自殺してもおかしくない日々が続きました(わが主治医の治療はすごい。4ヶ月後の今、なんとかフジノは生きていますからね〜)。

それだけに、人の優しさが深くこころに染み入る1年でもありました。

たくさんの出会い、細やかな優しさ、温かい気遣い。

感謝してもしきれません。

フジノが2014年を生き延びることができたのは、友達や先輩のおかげです。本当にありがとうございます。

そんなつらい日々にあっても、今回フジノは自分の病状の深刻さを世間に対してお伝えしなかったので(伝える余裕も無かった)、市民のみなさまからはどんどん相談や仕事の依頼が押し寄せました。

政治家フジノを信じて助けを求めて下さるこんなにもたくさんの方々がいらっしゃる以上、一刻も早く元気になって仕事しまくらなければ。

その想いがリカバリーへの後押しになりました。

フジノをこきつかい続けて下さる市民のみなさまにも、こころから感謝しております。

そして、その感謝の気持ちはたくさんの政策の実現でお返ししてきたつもりです。

今年もフジノの提案がたくさん実現しました。

フジノは自信をもって自ら「僕は今年も政治家としてかなり良い仕事をしてきました」と自負できるのも、いつもフジノを信頼して下さる市民のみなさまのおかげです。

その信頼に対して、フジノはいつも全力で働いて成果を出すことで、お返しをしてきました。

これからも常にその信頼に対して、成果をもってお応えしていく政治家でありたいと想っています。

フジノにとって年末年始もふだんと変わりませんし、明日も今日と変わらずいつもどおり全力で働くだけです。

でも、暦としてはひとまず「新年」になるので、人々の気持ちが新たに幸せに満ちた年になることを祈っています。

どうか、あなたの2015年が少しでも喜びと幸せの多い1年となることを願っています。

その為にフジノは、政治家として、個人として、全身全霊を尽くして働いていきます。

みなさま、どうぞ良いお年を!



ラスト10分をツイキャスで生中継してみました/ひとり自殺対策街頭キャンペーン2014−15スタート

今年もスタートしました

今年も早いもので12月も終わりが近づきました。

そこで、今日から恒例のキャンペーンをスタートしました。

ワイデッキでのフジノ

ワイデッキでのフジノ


12月のクリスマス前から新年の三が日が明けて市役所が開くまで、毎年フジノは『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を行なっています。



365日年中無休の「横須賀こころの電話」をぜひご利用くださいね

365日年中無休で深夜0時までオープンしている『横須賀こころの電話』についてお伝えしました。

横須賀こころの電話のホームページより

横須賀こころの電話のホームページより


かつて、『横浜いのちの電話』や『川崎いのちの電話』への相談が殺到している為に、横須賀独自の相談電話を作るべきだとフジノが市議会で提案したのがスタートでした。

けれども今では『横須賀こころの電話』までも相談が多くて電話が混み合ってしまい、大変つながりにくくなる時があるようになってしまいました。

なかなかつながらない時も、どうかあきらめないでもう1度トライして、お電話をかけて下さいね。



今年は市役所の休館日が9日間もあります

今年は、とても困ったことがあります。

12月27日から1月4日までなんと9日間も市役所が休館・休庁なのです。

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消防・救急・警察・自衛隊などをはじめ、あらゆる民間企業のサービス業は、シフト制で年末年始もオープンしています。

それなのに、市役所や官公庁は9日間も休館してしまいます。

これは絶対におかしいです。

少なくとも相談窓口を持つ部局だけはシフト制勤務に改善して、365日オープンすべきです。

官公庁が休みだからって、市民のみなさまの困り事や悩み事が消える訳ではありません。

貧困に追い込まれている方々や様々な支援が必要な方々が、9日間もどこにもつながれず支援を受けられなくなってしまいます。

都内のフジノの仲間たちは、昨年に続いて

『ふとんで年越しプロジェクト2014~誰もが暖かく年を越せるように~』

を行ないます。

フジノも何日かボランティアに行く予定ですが、その前にまず自分の暮らすこの横須賀を守らねばなりません。

横須賀に暮らす全ての人々が安心して年明けを迎えられるように、やれるべきことを全てやらねばならないと今年も気を引き締めています。



初めてツイキャスでフジノの演説を中継してみました

ところで今年の『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』の初日である今日は、ラスト10分間だけ、ツイキャスで生中継してみました。

録画も観られるようにしました。

ふだんはもっと穏やかにやっている『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』なのですが、この数日(今日も!)市民の方から複数件の「忘年会帰りらしき酔っぱらった市長の醜態への苦情」を受けていたせいで、そのことへの怒りも混ざってしまいました。

ふだんはこんなことは話しません。

よろしければ、「こんな雰囲気なんだよー」というのをご覧下さいね。





父のお見舞いへ/父はいつもたくさんのことを学ばせてくれる

父のお見舞いへ

今日は夕方から父のお見舞いへ。

昨年も今年も、お見舞いが1年間の最後の仕事だ。「政治家」としても「個人」としても、僕が1年の最後にやるべきことは、やはり父に会うことこそがふさわしいと感じる。

大晦日の夕方の病院は、すでに玄関やロビーの照明も落とされていて薄暗く、病棟に入っても、僕の他にはお見舞い客もいない。

夜勤との引継ぎが行なわれているナースステーションだけが活気づいていて、あとは病院全体がひたすら静寂に包まれている。

31hospital


ナースステーションの隣の病室に、父はいる。

中に入って父のベットへ進む。顔を父のそばに近づけて

「父さん、英明です」

と声をかけると、こころなしか父は目を大きく開いたように僕は感じる。

「感じる」と書いたけれど、実際には家族として「確信」している。僕が来ると父はそれをハッキリと分かっているし、態度にも表している。

父は、8年間にわたって寝たきりの植物状態だ。

医学的には、視力も聴力も無い状態と言われている。

けれども確実に父は生きているし、そこには意思を感じとることができる。

父とフジノ


僕が『病室の中』で父と向き合う時間は、とても短い。

ふだんは2週間に1回くらい。特に僕がひどく体調を崩してしまった今年の後半は、3ヶ月ぶりの再会になってしまった。

けれども、『病室の外』で父と向き合う時間は、とても多い。

父のおかげで出会うことができたあらゆる社会的な課題を通して、確実に毎日何時間も、いつも父のことを考えている。

2年前の選挙で、選挙公報に僕はこう記した。

2011年の選挙公報

2011年4月の統一地方選挙での選挙公報

僕の父は、6年半前に脳梗塞で植物状態になりました。のどに穴をあけてたんを吸引し、胃に管を通して栄養をとっています。

特別養護老人ホームは足りず、いくら待っても入所できません。療養病棟の入院費用はあまりにも高く、家族はみな疲れ果ててダウン寸前です。

こんな悩みを誰もが抱えています。生きることに希望が持てない、つらく厳しい事態です。

柔道・剣道ともに有段者で体格も良く、お酒が飲むのが大好きな亭主関白の九州男児で、定年退職したばかりの父。

そのあまりに突然の変化に、僕は心身ともに疲弊したし、経済的にも本当に苦しい日々を過ごした。毎月の給料では入院費用を支払いきれず、貯金を取り崩し、貯金が無くなった後は借金をして何とか入院費用を工面した。

長男として父を支える僕の苦しみの一方で、配偶者を突然かつ実質的に失った母の悲しみ、そして、植物状態の為に自らの意思を伝えることができない父自身のこころと体の苦しみに思いを馳せない日は無かった。

いつもいつも父のことを考え続けた。

僕は思春期のかなり早い時期から実存主義の哲学を学んで『生きる』ことの意味と向き合ってきたし、大学時代から社会人になっても『死生学』を学んできた。だから、一般の人々よりは多く『生と死』について向き合ってきたはずだった。

しかし、やはり目の前の肉親の身に起こる出来事の数々は、そうした学問的な知識や哲学的な思索を全く超えていた。とても苦しい日々だった。

だから、選挙公報に記した苦しみの気持ちは、嘘偽りの無い本音の吐露だ。

けれども、その文章の続きに、僕はこう記した。

でも、僕はあきらめません。現実は必ず変えることができるからです。

僕が政治家になる前年、横須賀の自殺数は過去最悪でした。

僕はゼロから自殺対策を作りあげてきましたが、ついに昨年、過去9年間で最も犠牲者数を減らすことができました。

政治の力で、必ず現実は変えることができるのです。

これからも僕は変えていきます。

先ほどのネガティブな言葉とは全く逆で、ポジティブな言葉だ。

でも、これはカラ元気ではない。

僕が深く確信している本音の想いだ。苦しい現実を体験する中で迷いながら少しずつ獲得してきた強さだ。

続く苦しみの中でも、僕は父からいつも大切なことをたくさん教えてもらった。< 父と同じ苦しみを味わっている人々が全国に凄まじい数で存在している現実。同じく、家族としての悲しみや苦しみも、たくさんの人々が僕と同じように感じている現実。 さらに、その苦しみの多くは、政治・行政が法律や制度を変えることで、本来であれば感じなくて済むはずの苦しみであるという現実。 そして、僕はその現実を変えることできる立場にあるという現実。 だから、僕は必死に取り組んできた。 国の審議会を何年も追い続けた。国の法律が変わるように国会議員にも働きかけた。法律が変わった後は、それが自分の暮らすまちで制度として機能するように、議会で取り上げ続けた。

こうして、いくつもの現実を変えることができた。

例えば、横須賀の高齢者保健医療福祉で2つの挙げてみると・・・

これまでは、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々(医療的ケアが必要な高齢者)は、特別養護老人ホームに入所させてもらうことができなかった。

けれども、今では『介護職』による『医療的ケア』が実施できるようになり、『胃ろう』『たんの吸引』が必要な高齢者であっても、特別養護老人ホームに受け入れてもらえるように変わってきたのだ。

介護職による医療的ケアの実現


また、横須賀市内には夜間に対応してくれる(24時間対応できる)事業所が存在していなかった。

だから、父のように『胃ろう』をしていたり『たんの吸引』が必要な方々は、夜中から早朝にかけては家族がひたすら医療的ケアをしたり介護をしなければならなかった。十分な睡眠もとれない日々が永続的に続くことは家族の心身を疲弊させたし、虐待にもつながりうる状況で、本当に大変だった。

でも、ついに24時間対応できる『定期巡回・随時対応型訪問介護看護』がスタートする。

これによって、医療的ケアが必要な方々が自宅で暮らすことが、今よりも少し暮らしやすくなるのだ。


定期巡回随時対応型訪問介護看護


傲慢に思われてもいいから、僕は本音を書こうと思う。

横須賀市の高齢者福祉は、僕が政治家でなかったら、ここまで早く変わらなかった。

それはつまり、父が倒れたおかげなのだ。

父の犠牲があったおかげで僕はこうした問題にこころの底から目覚めて、そして全身全霊をかけて仕事をした。もちろん、たくさんの方々のご尽力のおかげなのは当然のことで、深く感謝している。

それでもなお、究極的には、父の犠牲がきっかけで横須賀の厳しい現実が変えることができつつある、と言っても間違いではないと僕は確信している。

31father1


そして、2025年に向けて、問題は山積みだ。さらにそれは2050年まで続いていく。

僕は、改善することができた課題を父に報告して、また取り組み中の政策やこれからやらねばならないことを父に聴いてもらって、山積みの問題と闘っていく力にさせてもらい続けるのだと思う。

拘縮しつつある父の姿は決してカッコいいものでは無いし、喉の奥にたんがからんでゼーゼーという音があちこちから聞こえる病室で過ごすのは気持ちが滅入る。

でも、こうして父に会うたびにたくさんのことを学ばせてもらってきた。そんな父の存在を僕は誇りに感じている。

大晦日の病室で、父に誓う。

「来年も僕は父さんの為にがんばるよ」

それは、父さんと同じ状況にある全国の本人と家族の為にがんばることだ。

だから僕は、これからもずっとがんばり続ける。