大晦日イブ/ひとり自殺対策街頭キャンペーン2013-14

人はみな必ずリカバリーできる

大晦日イブの今日も、ワイデッキで『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を行ないました。

ワイデッキにて

ワイデッキにて


12月27日(金)をもって市役所などの公的機関は『御用納め』となりました。

けれども、この『横須賀こころの電話』は年中無休で365日オープンしています。

明日の大晦日も深夜24時まで、つまり年が明ける瞬間まで電話を受けています。

どうか『横須賀こころの電話』をご利用くださいね。

今夜は、数年前に「死にたい」という相談をしてくれた市民の方が、ワイデッキまでフジノを激励に来てくれました。

とてもありがたかったです。ありがとうございました。

相談にのったフジノが「助けた」のではありません。本来、人にはどんなに苦しくてもリカバリーできる力が備わっています。

追い込まれてしまっている時には、リカバリーを信じられなくなってしまうこともあるでしょう。

でも、外部の支援などによって、追い込まれてしまったいろいろな原因が少しずつほぐれてくると、必ず元気は回復してくるものなのです。



横須賀でも炊き出し&シェルターを提供できるようにしたい

年末に入り、市役所などの公的機関はすでに休みに入っています。再開されるのは1月6日(月)です。

この年末年始は曜日のかねあいもあって、例年よりも閉庁期間が長くなっています。

12月28日(土)〜1月5日(日)までの9日間にわたって、公的な相談支援窓口が閉まってしまうのです。

公的な支援が受けられない期間が例年よりも長いのです

公的な支援が受けられない期間が例年よりも長いのです


けれども、支援の必要性は土日祝日や年末年始だからといって、無くなる訳ではありません。

むしろ、セーフティネットとなる相談支援窓口が無い空白期間が続くほど、支援が必要な人々は追い込まれてしまいます。

そこで、民間の支援団体が協力して『ふとんで年越しプロジェクト』を立ちあげました。

公的な支援を望めないこの期間、私たち民間の支援団体は、全国各地で路上生活者、生活困窮された方のために、炊き出し・夜回り・医療福祉相談などの「越年・越冬活動」をおこなっていますが、手弁当の活動のため、なかなか必要な支援を用意することができないでいます。

国や自治体が年末年始対策の施策をおこなってくれない状況のなかで、私たちは東京のホームレス支援、生活困窮者支援のさまざまな団体・グループと連携し、『ふとんで年越しプロジェクト』を結成しました。

『ふとんで年越しプロジェクト』を紹介している下のリンク先をぜひご覧下さい。

今夜の『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』では、この取り組みについて重点的にお伝えしました。

『ふとんで年越しプロジェクト』にはフジノの知人も関わっているので、もしも年明けまで持ちこたえられそうにないと感じていたら、ぜひ相談して下さい、とお願いしました。

ワイデッキにて

ワイデッキにて


来年には何とか横須賀でも『炊き出し』や『シェルター』の提供ができるようにしたい、とフジノは市内のNPOの方と相談しているところです。

『横須賀こころの電話』というソフト事業でサポートできるのは、不安感や孤独感などの心理的な側面までです。

食事をとるお金が無い、寝る所が無い、という状況に追い込まれている方々をサポートするには、『炊き出し』『シェルター』などの物理的な側面の支援も必要です。

今はひとりで街頭キャンペーンを行なうことしかできていませんが、『炊き出し』『シェルター』などの支援も来年は必ず実施できるようにしたいです。



鎌田慧さんから取材を受けました/週刊金曜日

鎌田慧さんから取材を受けました/週刊金曜日

今日、あの鎌田慧さんから取材を受けました。

ジャーナリスト・ルポライターとして広く知られているあの鎌田慧さんです。

雑誌『週刊金曜日』から取材依頼の電話を受けた時、編集部の方から「鎌田慧さん本人が横須賀に取材に行きます」とうかがいました。

僕は長年尊敬してきた方とお会いできることへの喜びと同時に、過去の自分自身の想いをはじめ、いろいろなことが思い出されました。

思い返したいろいろなこと

大学卒業を前に就職活動を行なっていた頃、新聞記者になることが、フジノの第1志望でした。

その理由はすでに過去の活動日記に書いたとおりですが、そもそも高校時代の恋人が統合失調症(旧・精神分裂病)を発症してしまったことが原因で僕は大学での専攻を心理学に決めました。

しかし、大学時代に痛感していたことなのですが、いくら東京やアメリカで最新の事例を見ても学んでも横須賀のような片田舎にはそんな進んだものは全く入ってきません。

恋人を守る為にも、日本全国の精神保健福祉が変わらなければ、とうてい横須賀の状況も変わるはずがないと考えてきました(それは今も全く同じ気持ちです)。

大学時代に複数のメンタルクリニックで無給研修生として働かせていただきましたが

しょせん大卒の青二才(=僕)が現場で働いていくだけでは精神保健福祉業界全体に変化をもたらすことはとうてい不可能で、

福祉の現場で働いて力をつけて発言力が持てるようになるにはきっと30年はかかるだろう、と当時の僕は思いました。

当時22才の僕にとって、50代半ばになってからやっと発言できるようでは遅すぎる、と思いました。

目指している目的の実現にはあまりにも時間がかかりすぎて「それでは僕の望むスピードではない、まにあわない」と感じていました。

何と言っても、僕は目の前の恋人を守る為にも「今すぐ」に精神保健福祉の現実を変えたかったのです。

この国のあまりにも立ち遅れた精神保健福祉を一刻も早く改善したい僕にとって、30年先では遅すぎたのです。

もともと僕の性格は目指している『目的』が実現できるならば、それを実現する為の『手段』は何でもかまわないというものです。

そこでいろいろ悩んだ末に、「マスメディアで働くことができたならばもっと早くそれが実現できるだろう、少なくとも15年くらい努力し続ければ何とか社会的影響力のある発言が可能になるかもしれない」との結論に至りました。

マスメディアで働く中で少しずつ取材対象を福祉へとシフトして日本の福祉があまりにも弱すぎるひどい現実を世間に広く知らしめて、海外の福祉の最新の事例をどんどん紹介することで

政治・行政にしっかりと改善をするように求めていく、メディアの力で訴えていく方が早いのではないかと考えたのです。

また、新聞・雑誌・本・テレビ・ラジオなど様々なメディアが存在する中で、当時の僕が最も有効だと考えたメディアは、『ルポルタージュ』でした。

もともと本を読むのが好きでしたから、いろいろな『ルポルタージュ(以下、ルポと略)』を読んでいました。

当時読んでいた『ルポ』をふりかえると

竹中労さん、本多勝一さん、鎌田慧さん、大熊一夫さん、本田靖春さん、柳田邦男さん、沢木耕太郎さん、

などの名前が思い浮かびます。

やがて就職活動に2年間もかけて、ことごとく新聞社の入社試験に落ち続けた末に僕は

精神保健福祉の改革という目的もジャーナリズムの世界に入るという手段も捨ててしまいました。

家でも学校でも仕事でも精神保健福祉と向き合うのではなく、その日その日を、その場その場を何とか笑顔で生きられればそれで良いのではないか、と気持ちを切りかえました。

そして生活の為に、就職が決まっていた映画会社に入社して、華やかで楽しくて夢がつまっている映画の世界へ飛び込みました。

それでも結局は恋人のいのちを失なってしまって、自分の浅はかさを悔やみながら、もとの目的へと戻ってきたのです。

ジャーナリズムという手段でも遅すぎるという想いから、今では目的実現の為の手段は、政治に切りかえました。

そして今、こうして政治家として現実と闘っているのです。

当時も今も変わらない想いについて

もはやジャーナリズムの世界とは縁が切れた今でも、現実世界をより良いものへと変えていこうとするジャーナリスト・ルポライターの方々への僕の尊敬の念は変わりません。

特に、取材対象の中に自ら飛び込んでいって、取材対象と一体化しながら現実世界の矛盾や問題点を描き出す素晴らしいルポをたくさん書いてこられた鎌田慧さんは、僕にとって特別な存在でした。

それは僕にとって過去形ではなく、今もそのお名前をうかがうと、熱い気持ちが蘇ります。

神様とまでは言いませんが、鎌田慧さんの存在はあまりにも大きな存在です。

大学卒業から約12年ほどを経て、まさか自分が尊敬する鎌田さんから取材していただけるとは、衝撃でした。

取材以来の電話をもらった夜は、かつて一緒にジャーナリズムの世界をめざした友達や、実際に今は新聞社で働いている友達らに、興奮しながら報告の電話をしてしまいました。

取材内容はあくまでも衆議院選挙の神奈川11区の情勢についてであって、

フジノにとって大切な意味を持つ精神保健福祉のことでもなければ、人生を賭けたテーマである自殺対策のことでもありません。

ふだん政治家としてフジノは、政策以外の取材は受けません。
 
特に、時事的なことがらの取材はお断りしてきました。

時事的な情報は単なる『商品』として『消費』されて『終わり』だからです。

特に、テレビの取材の多くは百害あって一利なしですから、大切な政策テーマ以外では、お断りしてきました。

でも、僕にとって鎌田慧さんは特別な存在です。
 
今日は、喜んでお会いしていただきました。

編集部からの電話では「20分ほどお話をうかがえれば...」と依頼をされたのですが

鎌田さんと実際にお会いしていただいて、この横須賀というまちの現実をお話ししていくうちにとても対話がもりあがって、

最終的には1時間40分も過ぎてしまいました。

それも同行しておられた編集部の方に

「鎌田さん、そろそろ次の取材に行かないと...」

と急かされて終了した1時間40分で、
 
あくまでも鎌田さんは

「必ずまた会おう」

と、おっしゃってくださったのでした。

MrKamata

政治家フジノという公的な存在としても、藤野英明という私的な存在としても

鎌田慧さんをこころから尊敬しているということをお伝えして、取材を終わりました。

もしも鎌田さんとの再会がありうるならば、次回は神奈川11区の選挙事情なんかじゃなくて

精神保健福祉の現状や改革の方向性や、この国の自殺の実態やこの国の変わるべき姿についてなどを語り合うことができたら、本望だと思いました。

人生とは、不思議でたまりません。

ルポライター/ジャーナリストを目指した21才の当時には、まさか35才になって自分が鎌田慧さんに取材をされるようになるなんてとても想像ができませんでした。

生きていくということは、一体何なのだろう。
 
本当に分からない。

でも、だから生きていくのかもしれない。

後日談

この取材をもとに執筆された内容はこちらをご覧下さい。