まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2003年8月14日(木)のフジノ(その2)
● 議員立法に、強く賛成します

 吉田議員が提案している『住民投票条例案』
 僕もこころの底から強く賛成します。

 まちの法律である『条例』

 本来ならば、条例というものは
 次の2種類の人々によってどんどん提案されるべきです。
 
 (1) まちの主役である、このまちに暮らしている人々
 (2) まちに暮らしている人々の代表として働く人間

 (1)はいわゆる『市民』、(2)は『議員』、のことです。

 しかしながら現実は
 市長をトップとする官僚組織(市役所ですね)によって
 ほとんどの条例がつくられています。

 そんな状況を少しでも変えていかなければいけません。

 まちの暮らしを決めていくのは
 あくまでもそのまちに暮らしている人々でなければ
 いけないからです。

 市議会議員も変わらなければいけない。

 政策を実現するためにも
 議員が条例案をどんどん提出していくべきなのです。

 その第一歩として
 吉田議員の提案はすばらしいと思います。


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 <議員立法のために>

 地方自治法112条によると
 議員定数の12分の1以上の賛同者がいれば
 議会に議案を提出することができます。

 このまちで言うならば、
 4人の賛成があれば議員が条例案を出せるのです。

 もちろん、この条例案がとおるかどうか
 それは議会が多数決で決めることになります。

 だから、提案はできても
 それが正式な条例になるかどうかはまた別なのです。

 吉田議員の提案がどうなるか、
 どうかみなさんも注目していてください。お願いします。


 <市民立法のために>
 
 地方自治法74条によると
 有権者の50分の1以上の署名があれば
 市民も『条例案』を議会に提出することができるのです。

 このまちの場合は、
 有権者が35万6684人(平成15年3月2日現在)なので
 7134人の署名があれば
 あなたも提案ができるのです。


 ぜひみなさんもこの仕組みを覚えていてください。

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 選挙が終われば何かが変わる、
 そんなかんたんな世の中ではありません。

 政治家と、このまちに暮らしているあなたと、
 一緒になってまちを変えていくのです。


 


2003年8月14日(木)のフジノ(その1)
● この数日のてんまつ

 メニエール病にかかってしまいました。

 現状は、クスリをのまなければ
 ひどい時にはまっすぐ立って歩けない状態が起こります。
 ふだんはめまいと頭痛と吐き気が
 断続的に続いています。

 クスリがうまく効いている時(?)と
 まったく苦しみが無い時間帯もありますが
 自分の意思(早く働きたいという強いあせり)と
 自分の体調(動くとめまいがする)との折りあいを
 うまくつけることができない状態でいます。

 数日間にわたって更新ができなかったのは
 PCのモニターを見るのもつらいからなのです。

 この文章は
 目をつぶりながら打って
 完成したものを目をひらいて訂正するという
 奇妙な作業をしながら書いています。
 
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 ここに至る兆候は
 ひどいめまいと頭痛として
 かなり前からずうっと出ていました。

 それでも自分を捨ててやらざるをえない事がある。
 それが僕のすなおな想いでした。

 1ヶ月ほど前から
 片耳だけずっと海の音が聞こえていました。
 耳鳴り。ざー、ざざー、ざざー...。

 めまいは数週間前から続いていました。

 政治家ならば
 自分がどれだけ苦境にあっても
 まわりの人たちには笑顔で接していたい。

 そんな気持ちが強くて、
 あまり自分の健康状態のことは
 書かないようにしてきました。

 あるいは、僕が不調だということが
 一部の人々を喜ばせるという事実も理解していました。

 だから、親しいほんの2名くらいにだけ
 現状を話してはいたものの、
 どんなことになっても
 今はひたすら体調不良を隠して
 やってくしかないのだ、
 そう考えてきました。

 そのつけは確実にまわってきていて
 浦賀でおこなわれた美術館トークの夜の演説では
 立っていることができなくて
 のぼりの旗をつえがわりにして話し続けました。

 三浦市議会への視察に1人で行った日には、
 バイクを運転することがうまくできませんでした。

 三崎なんて幼い頃から行きなれてて
 気持ち的には目と鼻の先なのに
 バイクでそこにたどりつくのが
 いったいいつになるのかすごく遠く感じてしまったのです。

 暑さしのぎに買ったペットボトルの
 キャップをあける握力も無くなっていました。

 両手にしびれが出ていたのです。

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 ある朝、目を覚ましたら
 天井がまわっていました。

 体を起こして座ってみたけれど、
 座っても状況が変わることはありませんでした。

 メリーゴーラウンドに乗っているように
 自分の目の前がゆっくりとまわっていくような
 そんなふうに脳みそが命令を出している。

 まいったなあ。

 ミネラルウォーターを飲もうと思って、
 冷蔵庫に向かうべく立ちあがりました。

 でも、立っていられないのです。

 さらには歩こうとしても、まっすぐ歩けない。

 ついに来たか、と思いました。

 メニエール病にかかった同い年の友人から
 同じ症状が出ている僕の体調について忠告を受けていたので
 フジノもこの病にかかっているのだろう
 という覚悟は決めていました。

 たから、受け容れるこころはできていました。

 けれど、予想よりも早く来てしまった。
 署名活動が終わる8月末までは
 どんなことがあっても
 おれは立っていなければいけなかったのに...。

 それだけが後悔の念でした。

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 近所の開業医にすぐに出かけました。

 問診の結果、メニエール病の疑いが強い、と言われました。
 耳の中の三半規管というバランスを取るための
 器官があるけれども、
 そこがいろいろな理由でまともに機能してくれない、
 それが今のあなたの状態です、と言われました。

 治療のためにも
 より精密な検査が必要なので
 紹介状を書くから大きな病院にいってください、
 と言われました。

 そしてフジノは、歩くのもふらふらしながら
 バスに乗って、タクシーに乗って、
 総合病院へと向かったのです。

 予約が入っているわけではないので
 ひたすら待たされて
 やがて通された診察室では
 いろいろな検査が待っていました。

 今回だけでは検査が終わらず、
 来週と再来週にわけて行われることになりました。


● 責任

 この病院行きの当日は、
 大切な『議会だより編集委員会』がありました。

 議員の義務である会議への参加を
 病気とはいえ、初めて欠席してしまいました。

 この編集委員会のためにも
 議会だよりの発行では定評のある三浦市議会を
 フジノは前日に視察してきたくらいだったのに。

 伊藤委員長をはじめ、
 編集委員会のみなさんには本当にご迷惑をおかけしてしまい
 こころぐるしさでいっぱいです。ごめんなさい。

 さらにこの夜は
 西公民館での美術館トークでした。

 この地区ではどんな人たちが
 参加するのか、ぜひ見たいと強く願っていたのに。
 自業自得なのですが、全く動けず、
 寝転びながら天井がまわるのを見ていました。

 すぐにも働きたい、という気持ちが空回りして
 よけいにマイナスに作用してしまったのか
 翌日になると
 さらにひどい症状が出てしまいました。

 フジノはもともと持病もちで
 毎日3食のたびに、5錠くらいクスリをのんでいます。

 それらのクスリと今回のクスリ(計8錠!)の
 のみあわせが悪かったのか
 ろれつがまわらなくなってしまいました。

 話そうにもうまく話せないのです。

 無所属議員の月2回の集まりにも出られず、
 みなさんにご迷惑をおかけしてしまいました。
 署名活動のラストスパートへのうちあわせに参加できず
 本当に申し訳ございません。

 正直に体調を説明しようにも
 自分の言葉で話すこともできず
 パソコンのモニターも見ていられない状態で
 伝えることができませんでした。

 しかたなく、友人に携帯メールで頼んで
 風邪で声が出ないことにしてもらいました。


● 今の状況

 あせりはその後も続き、
 少しでも外へ出て歩いてみたり、
 バイクに乗ってみたり、
 あるいは市の主催する会議に30分だけ出てみました。

 外出する時には
 たまたまお盆休みの友人たちが
 交代でつきそってくれて
 とにかく一刻も早く
 署名活動に戻りたい
 仕事に戻りたい、という気持ちでいる僕を
 サポートしてくれました。

 昨日から、なんとか小康状態になりました。

 まわりの友人からも
 「自分もメニエール病にかかっている」
 「親しい人もそうだけど、ふつうに働いている」
 という励ましをたくさんもらいました。

 そこで、このHPを観ている方々に
 きちんと説明をしようと決心しました。

 このHPを観ている人の中には
 基本的に僕を批判することだけを目的にしている人が
 たくさんいることを自覚しています。

 その人々にとっては
 こうやってフジノの病気を説明することは
 彼らが大喜びする材料を自分から与えることになるでしょう。

 けれども、そんなマイナスをさしひいても
 自分の中で強く願ったことは

 同じ病気でいる人たちに
 これからも僕が暮らし続けていく姿を
 知ってほしいということです。

 フジノはサラリーマン時代も
 別の病気を抱えながら丸5年間働き続けました。

 会社の方々にご迷惑をおかけしましたが
 それでも迷惑を超えるぐらいの成果を出すつもりで
 意地で働いてきました。

 それは、同じ病気の人たちにも
 希望を持ってほしかったからです。

 今回の病気で
 フジノはきっとこれから
 議員としての大切な義務を
 もしかしたら果たせないことがあるかもしれない。

 それでも、絶対にそんなことにならないように
 絶対に病気を言い訳にしないように
 同じ病気でありながら毎日を暮らしている人たちに
 決して恥じないようにがんばりたいと思うのです。

 介護の現場で働いている
 フジノの友人のお母さんもメニエール病です。

 彼女の他にもたくさんの方々が
 同じ状況にいます。

 口すがない人は

 「政治家が体調不良なんて
  次の選挙はもう終わりだ!」

 と書きますが
 フジノはあえて体調不良の政治家として働きたい
 と考えています。

 そもそも次の選挙を考えながら動く
 そんな人間ではフジノはありません。

 そんなことよりもむしろ、
 痛みをいつも身近に感じていることは
 苦しみを常に内側に抱えていることは
 ただつらいだけではなくて
 他人の痛みを自分のものとして
 よりリアルに感じられるようになることだと
 フジノは信じています。

 人の死やさみしさを抱えていけば
 いつの日か優しくなれる、


 フジノはそう信じて生きてきました。  

 それは政治家として
 より良い政治家になれることなのだと
 フジノは信じています。

 地方自治法が定めている
 『議員としての義務』を果たし続けられる限りは
 もうしばらくフジノを働かせてください。

 これからも、全力でがんばります。



2003年8月6日(水)のフジノ
● 10代の想い

 昨日書いたように、中学生や高校生からも
 美術館問題についてのメールが何通も届いています。

 掲載させてほしいというお願いをして
 ご本人から許可をいただいた1通のメールを
 今日はご紹介します。



 はじめまして。私は市内に住む、中3です。

 今回、社会科で税金について作文を書くという宿題が出ました。

 ひとことで税金と言われても、私にはあまり良く分からなかったので

 美術館トークに参加してみました。

 美術の宿題では美術館に行き、作品について感想を書くという

 宿題がでました。

 横須賀に美術館が出来て興味のあるものが展示されるようになれば、

 遠くまでいかなくてもよいなぁ〜。という思いもありましたが、

 大人の人たちに混じって話を聞いていると、

 そういう美術品を展示するためするためには、

 すごくお金がかかるし、

 建設すること自体、私たちにまですでに、

 税金を払うこと(負担すること)が決められているのでびっくりしました。

 どうせ払うのならば、もっと身近でやって欲しいことがあるのに・・。

 そもそも、横須賀市の市長さんの顔も見たことがありません。

 学校の友達の大半は、市長さんの名前すら知らなかったし、

 美術館が出来るということも知らない・・・・・・・・。

 美術館トークも、ほとんどが年配の方々。

 意見を言うのも・・・質問をするのも・・・・・・・・・。

 見ていて複雑な気持ちになりました。

 将来的に払うのは私たち若者なのに・・・みんな関心を持っていない。

 私も、広報を見るまで知りませんでした。

 子供の教育に良いから美術館を作る。

 なのに子供に意見を聞くような会はない。

 学校では市から100周年を記念して何ができるか案を書くという

 プリントが配布されました。(誰も書きませんでしたが・・)

 でも美術館についてのプリントはありません。

 100周年を記念してお祭りなどを開催するとしたら、

 税金が使われるのでしょうか???

 100周年記念で、美術館を建設するのに・・?

 私たち若者は少子高齢化社会となっていく世の中で、

 お年寄りを支えていかなければならないのに・・?

 今日美術館トークに参加をする前に、

 藤野さんのお話を道端で聞かせていただきました。

 自分も、もっともっと関心を持とうと思いました。

 なんにも知らない友達にも関心を持ってもらえるように、

 一生懸命調べて説明していきたいと思いました。

 今日は署名運動お疲れ様でした。

 乱文、失礼致します。





2003年8月5日(火)のフジノ
● 衣笠にいらしたみなさん、おつかれさまでした

 今夜は衣笠公民館で
 『美術館トーク』
がおこなわれました。

 フジノはぎりぎりまで衣笠で署名活動をしていました。

 そして公民館に着いてからは
 お子さんづれでいらした方のお子さんたちを
 ホールでお預かりしていました。

 そんなわけで会場の中にフジノは入らなかったのですが
 フジノの姿が見えないことで心配してくださった方々、
 心配をおかけしてごめんなさい。

 フジノはなんとかやってます。

 たくさんの方々に励ましていただいて、
 申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 体調不良は変わらないのですが、仕事は全力を尽くします。
 みなさん、心配をおかけして、本当にすみません。


● 打開策

 今日、衣笠で美術館建設みなおしの演説をしていたら、
 ある方から、県会議員であるAさんの伝言を受けとりました。

 「この状況を打開する秘策がある。
  フジノ、それは●●だ」

 ということでした。

 明日、さっそく●●に詳しい方々にお会いして
 実際に●●ができるかどうかを調べてみたいと思います。

 もしもそれが事実ならば
 最終手段としてフジノはそれを必ずやります。

 少なくとも、現在の美術館計画をすすめることは
 できなくなるはず、というアイディアをいただきました。

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 県会議員のAさんとは、1度しかお会いしたことがない。

 だから、1回きり数時間だけ
 話した方の言葉を信じていいのかは分からない。

 だけど、信じたいと思うのだ。

 もしもそれが実現できたならば
 このまちが変わっていく第一歩になるだろう。

 そのための犠牲ならば
 フジノがいくらでも犠牲になればいい。

 フジノは議員という立場をいとおしく思わない。
 フジノは金だっていらない。

 だから、たとえ僕が何らかの理由で
 市議会議員を辞めなければならなくなったとしても
 それが次の世代のためになるならば、僕はかまわないんだ。

 たとえ僕という人間がいなくなっても
 もう『このまちが変わろうとしている』という流れを止めることは
 絶対にできない。

 僕がもしも今死んだとしても
 4年後の選挙には
 同じ志を持った若手がどんどん現れてくるだろう。

 もうこの流れはとめられない。

 それならば、僕は喜んで捨石になってやる。

 あとに続く世代のためにできること、
 次の世代へ大人として責任を果たすということは
 そういうことだと僕は信じている。


● この数ヶ月、強く感じていること

 小さい頃、僕は政治家になんて絶対になりたくなかった。
 そして今だって、政治家なんてサイアクだと思う。

 僕が描いていた僕の人生は
 こんなではなかった。

 大切な恋人を守りながら
 幸せに暮らしていくことが僕のささやかな幸せだった。

 けれども、
 「人は何のために生きていくのか」「おれは何のために生きるのか」
 その人生最大の問題を考えると
 僕がたどりつく結論は、いつも1つだ。

 他人のために生きたい。

 それが僕の生きていく目的だ。
 そのためならば、僕は自分の幸せはいらない。

 今、本気でそう思う。

 この数ヶ月のめまいがする忙しさの中で分かったことは
 まじめに政治家として働くということは
 個人としての幸せなんてありえないということだ。

 もう自分の幸せなんてあきらめた。

 僕の成すべきことは
 次の世代のために捨石になることだと思う。

 子どもたちのために。次の世代のために。


● 10代のみんなへ

 美術館問題で、
 初めて政治のドロドロした世界を見た。

 美術館をすすめている市側の対応にも驚くことがたくさんあるし、
 本当にひどいウワサをたくさん聞いた。

 市役所の人たちへ『美術館トーク』への動員をかけているだとか、
 連合町内会の人たちを呼び出してるとか
 ウワサの粋を出ないけれど
 会場を見ていると信憑性の高いことも多い。

 同時に、見なおし側にだって
 いろんな種類の人々がいることを知った。

 『願う会』のように純粋な想いで行動している人々がいる一方で、
 そうではない人たちだってたくさんいるのを知った。

 2年後の市長選挙の話だとか、
 目先の利益だけを考えているヤツらとか、
 自分のエゴとかジェラシーとか
 そんなくだらないことが
 ぐちゃぐちゃとからまっている。

 けれども、大人たちのそんなくだらない争いごとの一方で
 中学生や高校生をはじめとする
 10代たちからの励ましのメールが届き始めている。

 10代の子どもたち。
 フジノにとって、本当に大切なかわいい弟たち妹たち。

 選挙の前も、選挙の時も、
 つらい時にはいつも10代の子どもたちが励ましてくれた。

 長い道のりを迷って歩き続ける僕についてきて
 道を教えてくれたり、
 Yデッキで話しかけてきてくれたり、
 部活帰りのみんなで僕を応援してくれたり、
 冗談を言い合ったりした。

 このまちに暮らしている
 ものすごくたくさんの子どもたちが
 いつだってフジノを励ましてくれた。だから僕はやってこれた。

 だから、彼らのために僕がしてあげられることを
 僕は全力で果たしたい。

 なあ、おまえたちのために全力を尽くしたいんだよ。

 疲労感なんか、おれがぶっとばしてやる。

 物事は必ず変わっていく。


 このまちにだって、まだ『希望』が残っていることを
 次の世代に、おまえたちの世代に
 必ずおれたちが見せてやるから。

 見ててくれよ。きっと変わるから。


● 福祉施設のみなさまへ

 フジノは見学を希望していますけれども
 施設を利用している人の家族にあえて会ったりするとか、
 そういう気持ちは全くありません。

 どうか特別なイベントの日には呼ばないで下さい。
 来賓とかではなく、
 「ふだんの日に施設に来てくれ」と
 声をかけて下さい。

 フジノが行きたいのは、ふだんの姿を見られる時間帯です。

 もちろんバザーなどでがんばる姿も良いでしょう。
 けれども僕が目の当たりにしたいのは
 いつもどおりの姿です。

 家族にあいさつをして、選挙で投票してもらう。
 そんな欲求は全くありません。

 むしろ、そんなつきあいはしたくありません。

 その施設に足しげく顔を出していれば
 自然に家族の方とも顔なじみになるでしょう。

 フジノにはそうやって自然に知りあいになった方々が
 今、ものすごくたくさんいます。

 僕は市内のどこにも
 自分の名前が書いてある看板を出していません。
 必要が無いからです。

 僕は福祉施設に砂場を作ったりできません。
 僕は福祉施設に補助金を増やしてあげたりできません。

 けれども、
 家族としての想い、当事者としての痛み、
 差別される側の悲しみ、
 それらには
 どこまでも深く共感することができます。

 そんな人間が政治家としてむいているのか、分かりません。
 むしろ砂場をつくれる人間こそ
 政治家としてむいているのかもしれません。

 けれども僕は、こういう人間なのです。

 どうか福祉施設の方々も、
 それをご理解ください。

 僕を特別なイベントには呼ばないで下さい。
 僕が呼んでほしいのは、
 地味な毎月の勉強会やふだんの施設です。

 来賓として僕に食べ物や飲み物を出す費用があれば
 それをどうか現場のためにつかってください。
 お願いします。


● このHPに書かれている内容について

 このHPは、毎日のアクセス数は1万件を超えています。
 日によって異なりますが、
 ふだんが1万件、多い日では1万5000件くらい。

 1人のひとが繰りかえして見てるのを抜かして
 実際に別々の人が見ている数(これをユニークといいます)で言うと
 ふだんが2500件、
 多い日では3500件くらいになります。

 日本、アメリカ、イギリス。
 日本は横須賀市内だけではなく、県内全域、東京、京都、
 福井、北海道、九州、あらゆるところからアクセスがあります。

 3月末までただのサラリーマンであった僕に
 これだけの注目が集まっているのは
 ものすごく複雑な気持ちです。

 もともと僕は文章を書いては『推敲』をするのが大好きで、
 1つの文章を5回でも10回でも書き直したり
 手を入れるのが常でした。

 だから、公人という立場になった今、
 もともと推敲好きであった僕は
 さらに推敲を重ねて注意に注意を重ねて
 この文章を書き続けています。

 このひとことがどんな影響を与えるのか、
 不愉快になる人がいるのではないか、
 ものすごい重圧を感じながら文章を書いています。

 ときに、感情的に勢いで書いているように見える文章も
 ものすごく推敲を重ねて、あえて出しています。

 けれども、毎日、数千人に見られているわけです。
 その全員に愛される文章を書くことなんて
 絶対に不可能です。

 価値観が1人ずつ誰もが違うこの世界で、
 全員に笑顔で読んでもらう文章なんて絶対にありえません。

 だから、もしもあなたが納得できなければ
 どんどん掲示板に批判をしてください。

 あるいは、フジノのHPの掲示板がイヤならば
 『喫茶横須賀』だとか
 『まちBBS』だとかでいくらでも書いて下さい。

 批判、意見、いくらでも書いてください。

 フジノが恐れているのは
 批判や意見ではなく、無関心です。


 無関心でまちのことを考えない市民が増えるくらいなら
 自分のことを批判される方がまだマシです。

 どうか、そのことを知ってください。

 いつも読んでくれるみなさん、ありがとうございます。

 フジノへの怒りや文句をつうじて、まちのことを考えてくれるならば
 それはこのまちの政治家として
 無上の喜びです。

 ありがとうございました。
 ぜひ今後とも読んでくださいね。

 今日も1日、おつかれさまでした。



2003年8月4日(月)のフジノ
● 人としての、恥を知れ

 正直なことを書けば、この数日間は体調が悪くて
 立っているのもつらい状態が続いており
 今日のこのコーナーは、2つだけ書いて終わりにします。

 今夜、浦賀での『美術館トーク』が行なわれました。

 その帰りのこと。

 参加者の大半が高齢者でした。
 ほとんどが60代から80代くらいの方々でした。

 ふつう、その年齢の人々は
 人としてのモラルや
 大人としての在り方を理解しているはずです。

 しかし、違いました。

 浦賀公民館の外に立っていた僕らに対して
 くちぐちに、汚い言葉を投げつけていきました。

 「バカヤロー!」

 「おまえらのやってることはムダなんだ、バカ」

 「バーカ!」

 自転車に乗りながら、
 車の窓をおろしながら、
 いずれにしても10人以上の人たちがこうやって
 ののしりながら帰っていきました。

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 かわいそうな人々。

 僕たちは、帰っていく方々に

 「お気をつけて」
 「おやすみなさい」

 と、あいさつをしていました。

 美術館建設に賛成であろうが反対であろうが
 そんなことはカンケーなく、静かに声をかけていました。

 僕たちの中には、20代前半の女性もいました。
 これまで政治とは無関係な、若い男性もいました。

 そういう人たちにむけて、
 浦賀の高齢者の方々はこうののしったのです。

 「バカヤロー!」

 「おまえらのやってることはムダなんだ、バカ」


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 人としての恥を知れ。

 あなたたちは、孫の世代にあたるような
 そんな若者たちを前にして
 しかもおだやかに

 「おやすみなさい」
 「おつかれさま」と

 ねぎらいの声をかけている若者たちを前にして
 どうしてそんなひどく口汚い言葉を投げつけることができるのか。

 浦賀の人々には、すごく失望しました。

 浦賀の人々は、そういう人たちの集まりですか?

 浦賀に住んでいる人たちは、自分とは意見が違う人がいれば
 「バカヤロー!」とかののしる人たちの集まりですか。

 浦賀の方々にはとても失望させられました。

 いや、『美術館トークに来ていた浦賀の人々』に失望しました。

 人としての恥を知れ。

 あなたたちの世代がやらなければいけないことは
 違うはずだ。

 人生の後半にさしかかって
 なすべきことは
 『若者の道しるべ』になることではないのか。

 人としての、恥を知れ。
 あなたたちにモラルは無いのか。

 とてもむなしくなる、
 とても哀しくなる、そういう人々。かわいそうな人たち。


● 「本当に止められるのか」と、たずねる人々へ

 それから、このまちに暮らしている
 大多数のふつうの人々へ。

 「フジノさん、本当に止められるんですか?」

 「おい、ほんとに美術館とめられるのかよ」

 こんなかたちで不安そうにたずねてくる人々がいます。

 そのみなさんに、答えたいと思います。

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 このまちは、誰が暮らしているまちですか?
 このまちは、誰が生きているまちですか?

 このまちのことを
 このまちに暮らしている人が決められない。

 そんなまちはやがて崩れ去るでしょう。
 そんなまちはやがて滅びていくでしょう。

 だから、「とめられるの?」なんてたずねてはいけない。

 あなたのまちだから。
 あなたが生きているまちなのだから。

 あなたが暮らしている、
 お子さんと暮らしている、
 お孫さんと暮らしている、このまち。

 自分のまちのことを
 自分たちで決めていくのが在るべき姿です。

 「とめられるの?」ではなく
 あなたがそうしたいと願うのならば、とまります。

 けれども、もしもあなたが
 他人まかせでいるならば、とまりません。

 いろいろグチグチと理由をつけて
 忙しいからとか見なおしという言葉がなければ手伝うとか
 そういうのはけっきょくのところ自分のまちを
 本当は大切に思ってないということです。

 もしもあなたがこのまちのことを大切に想い、
 そしてそのために行動をするならば、
 必ずこのまちは変わっていきます。

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 政治家が腐っている。
 市長がダメだ。

 そんなことを言う人々がたくさんいます。

 けれども、そんなことを言う人々は
 決して他人まかせにせずに、
 自分の頭で考え
 自分のこころで感じ
 そして自分自身が行動をしていますか。

 「とめられるの?」ではなく
 「とめよう」「とめたい」なのです。

 この意味が分かりますか。

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 気がついてください。

 僕たちの敵は、沢田市長でもなんでもありません。
 市長が誰であろうと、僕たちの敵は同じです。

 僕たちの最大の敵は、「他人まかせ」と「無関心」です。

 美術館の問題は、ただのスタートです。
 このあとにも、すさまじくたくさんの問題が山積みです。
 美術館問題のあとも、どんどん闘っていかなければならないのです。

 そんな僕たちに対して
 「何にでも反対する」「反対のための反対だ」という人々がいる。

 違う。そんなくだらないことなんかじゃない。
 何故分からないのか。

 僕たちの敵は、
 まちの人々が何も知らないあいだに
 物事がどんどんすすめられてしまうことなのです。

 そうさせないために、
 まちの人々に、あなたに、気づいてもらうために
 声をあげているのです。

 目を覚ましてください。

 他人まかせでいられる時代はもう終わりました。
 無関心で毎日を過ごしながら政治家だけにまかせてれば良かった
 そんな日々はもう終わりました。

 目を覚ましてください。


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 「美術館を止められますか?」という質問は
 他人まかせです。

 あなたが止めるのです。

 選挙のときに投票にいけば
 新人議員を選べば何かが変わるなんてことは
 絶対にありえません。

 あなた自身が行動に移した時に、
 初めて物事は変わりはじめます。

 「美術館を止められますか?」と質問されるたびに
 だから僕はこう答えます。

 「いいえ。あなたが止めようとしない限り、絶対にとまりません」



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 明日、衣笠公民館でお会いしましょう。
 はってでも必ず行きます。



2003年8月3日(日)のフジノ
● 開国祭に反対です

 とりあえず、3日間のイベントが終わるまでは
 邪魔をしないためにも批判をしてきませんでした。

 人としての礼儀だと思って
 3日間はガマンしました。

 なんといっても、
 本当にたくさんの市の職員が
 土日を返上して暑い中を働いてたのですから。

 しかし、それも終わりました。

 もういいでしょう。

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 政治家フジノは開国祭に反対です。

 この3日間のイベントが
 おこなわれなければ良かったと
 2年前からずっと思ってきたのです。

 去年のプレ開国祭にも反対でした。
 やるべきではないと固く信じてきました。

 その理由を書きます。


● そもそも『開国』なのか

 まずそもそもこの開国祭という
 考え方そのものに僕は反対です。

 アメリカから
 ペリーが黒船にのってやってきて
 武力を背景にして日本に要求をおしつけた。

 当時の軍事力が無かった日本が
 それをのまざるをえなかった。

 これを開国と呼ぶのは
 歴史のとらえかたとして正しいのか。

 もしもこれが開国ならば
 きっとイラクでも
 150年後には開国祭をやるだろう。

 現在のイラクと
 150年前の日本とは何が違うのか。

 そこをきちんと考えたうえでの
 今回のイベント開催なのだろうか。

 フジノの意見は、こうだ。

 ペリーが来たことは開国ではない。
 祝う必要もない。


 市制100周年を祝うとか
 そういうこととは全く意味が違っている。

 そもそもこの歴史認識の違いで
 開国祭という発想自体がまちがっている
 と僕はうけとめている。

 このまちがほんとうに『開国』するのは
 誰もが安心して笑顔で暮らせるまちになった時だ。
 

● テンコー、プロレスラー、アロハ姿の市長

 プリンセステンコーを呼んでマジックをさせ、
 プロレスラーをゲストに呼んで大八車を引く。
 そして市長がアロハを着る。

 今年の予算に、
 こんなことのために3億5000万円も
 横須賀市は大切な税金をつかった。

 開国祭と呼ぶのはイヤなので
 黒船来襲150年イベントと呼びます。

 黒船来襲150年イベントに
 このまちは3億5000万円もかけました。

 ほんとうに3億5000万円も
 こんなことに税金をつかう必要があったのか。

 僕はそうは思わない。

 テンコーを呼ぶこと。
 プロレスラーを呼ぶこと。
 市長がアロハを着てミス横須賀の隣で手をふること。

 ペリーが来て150年たつことと
 何のカンケーがあるのか。

 このイベントを毎年おこなおうと提案している議員がいる。
 僕は反対だ。こんなイベントはもう今年で終わりだ。


 イベントとハコモノのまち、よこすか。

 そんなまちはもういらない。


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