まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2003年7月16日(水)のフジノ
● 匿名、というコミュニケーションの拒否

 今日は数時間かけて
 書類の整理とファイリングをしていました。

 毎日たくさんのお手紙をいただくのですが、
 それらの多くが『匿名』によるものだ、ということを改めて考えました。

 『美術館建設反対の一市民より』
 『匿名で失礼します』
 『追浜に在住している者』
 などなど...。

 内容は基本的にいつも励ましや応援であったり、
 すべて埋まっている署名用紙を送ってくださっているのですが、
 何故、匿名にするのでしょうか。

 僕はこれまで29年間の人生をつうじて
 匿名の手紙というものを受けとったことがありませんでした。

 手紙というのは、気持ちを伝え合うためにあるわけです。

 それが『匿名による差出人不明』ということは
 はじめから返事を書けないようになっているのですね。
 つまり、相通じることは求められていないわけです。

 議員になってから、本当によく匿名の電話をうけ、
 匿名の手紙をもらい、匿名のメールをもらいます。

 けれどもあなたは毎日の暮らしの中で
 匿名で何かを相手に出すことはありますか?

 やっぱりそれは変ですよ。

 それがどれだけ僕への励ましであっても応援であっても
 身分を明かせない/明かすことが怖い、
 そういう状況はそんなにありますか?

 これは『憤り』の文章ではなくて、
 「お礼を伝えるためにもせめて名乗ってください」という意図で
 書いているものです。

 できることなら、匿名というコミュニケーションの拒否は
 やめてもらえればいいのに、と願います。

 (万人の目に触れてしまうHPの掲示板では
  匿名でまったくかまわないのですけれど)

 せめてお手紙くらいは、
 返事が出せるように
 お礼の言葉が言えるように
 匿名ではなくて差出人のお名前を書いてください。
 どうかよろしくお願いします。


● 武山小学校の、新体育館建設について

 できるかぎり武山の話題には触れないようにと
 ずっと努力をしてきたのですが

 (理由はもうみなさんご存知のとおりで、
  『地元出身』とか言われるのが嫌だからです。
  僕は武山で育ちましたが、それは政治家としての僕とは
  まったくカンケーがありません。僕は『横須賀全体』の代表です)

 『武山小学校の体育館建てかえ工事』については
 個人としての立場からも
 政治家としての立場からもとても気になっています。

 建てかえ、ということで
 これまでの体育館をとりこわして
 そこに新しいものをつくるのかと考えていたのですが
 ぜんぜん違いました。

 グラウンドから裏山(武山小の象徴です)へ向かう
 小グラウンドみたいなスペースがあるんです。

 波型うんていや、半分埋め込まれたタイヤたちや、
 樹木がたくさん植えられているスペースがあります。

 ここにドカンと新しい体育館を建てるのです。

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 この計画に対して、
 複数のメールをいただきました。

 内容はどれも、かつての武山小学校を知るOBで
 今はお子さんを武山小学校に通わせている方々からでした。

 (1)武山小学校の象徴である、
  樹木がどんどん切り崩されていくことへのかなしみ。

 (2)変化そのものへのかなしみと、自分たちの学び舎へのいとおしさ。

 (3)子どもたちの工事への不安。

 メールを読んで、
 個人としては(1)(2)に同じ気持ちを感じました。

 近日中にも武山小学校を訪れてほしい、とありましたので
 個人としてその変貌の様子を見てこようと考えています。

 僕はジョギングが好きで、
 かつて毎晩走っていたコースには武山小学校がありました。

 今でこそ生徒の安全のために校門はとじられてますが
 夜のジョギングでグラウンドを走ったり、
 そこから裏山の持久走コースにのぼっていったものでした。

 けれども、三浦縦貫道というひどい開発が進むにつれて
 裏山(武山小学校の象徴です)の景色がひどくなり、
 もう走るのが嫌になりました。

 裏山はすかすかになってしまい、
 こんな工事をすすめるまちはいつかダメになるだろう、と
 工事を計画した人々を
 強く憎んだことをはっきりと覚えています。

 それ以来、僕のジョギングコースから
 武山小学校は外れました。

 裏山の変わりはてた様子にがっかりしていたのが
 今度は体育館です。あーあ。
 個人としてのフジノはとてもがっかりしています。
 でも、がっかりするくらいなら、僕は何か行動をすべきだったのです。

 道路を作るのも体育館を建てかえるのも
 「個人には何もできない」と何故か決めこんでしまって
 何も声をあげなかったのです...。

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 けれども、僕は政治家になりました。
 かつてよりもかなり意見が言える立場になりました。

 しかし、6月の第2回定例会という議会で
 僕は政治家としてこの建てかえに賛成してしまいました。

 理由は、頭がまわらなかった、というものです。

 議員に当選してすぐに議会がひらかれ、
 あらゆる配られた資料を読み込みました。

 しかし、武山小学校の体育館建てかえについては
 「武山のことはなるべく見ないようにしよう」という気持ちもあって
 流して読んでしまいました。

 さらにこの建てかえの件は、
 僕の所属しない『教育経済常任委員会』で話し合われたこともあって
 僕の関心からはすっかり離れていました。

 だから、本会議でも
 賛成にまわってしまいました。

 深く考えないでの賛成、という
 情けない賛成でした。

 そんな僕には(1)(2)の気持ちを感じることは
 許されないと思いました。

 だから、せめて(3)だけは
 努力をしようと考えました。

 「親しんだ樹木が切り倒されていくさまを見ることで
  子どもたちはおびえているのを感じます」

 というメールを読んで、
 武山小学校の様子を見に行くことに決めました。
 教頭先生とお話をする中で、学校側も工事会社に対しては、
 安全にとにかく気をつけるようにという提言はされたそうです。

 けれどもとにかく近日中に
 必ず武山小学校の工事を見てきます。

 (完成予定図は近日ここに載せます。
  今はスキャナーが仕事場に無いんです。ごめんなさい)

 そして、工事の進展は
 工事に賛成してしまった議員として、責任をもって見守ります。

 さらには、体育館の建てかえだけでなく、
 その工事終了後の、『緑化』につとめる、ということを
 厳しくチェックしていきたいと思います。

 何故なら、武山小学校の学校としての魅力は
 新体育館なんかではなく、
 緑の裏山に囲まれた美しい自然環境にこそあるからです。

 工事で失われてしまった自然を
 少しでも復元することは、OBである個人としても、
 学校教育の環境を考える政治家としても、絶対に必要なことです。

 緑がもどるまでには長い年月がかかりますが、
 議員としての任期が終わっても、個人としてチェックを続けます。

 武山小学校OBのみなさん、
 どうかあなたの母校を見に行ってあげてください。

 開発やハコモノばかりのまちで
 本当にごめんなさい。


● イギリスから、美術館建設反対の署名が届きました

 今日、郵便を見て、驚きました。

 海外からの郵便なのですが、
 けっこう大きめでA4くらいなのですね。

 あけてみると、なんと署名用紙が入っていました!

 イギリスに留学している方から
 美術館建設に反対する署名が届いたのです。

 もともと横須賀市に住んでいる方で、
 イギリスに留学しながらも僕のHPをチェックしていてくれて
 美術館建設の計画を知ったそうです。

 そして、周囲の日本人留学生をはじめ、
 日本に来たこともある現地の方や
 クラスメートにも
 現在の美術館建設の話をきちんと説明した上で
 署名を集めてくださいました。

 本当に丁寧に署名を集めてくださって、
 署名をしてくれた人のプロフィールも詳しく書いてくれた
 手紙が同封されていました。

 だから、これは決していいかげんなものじゃない、
 きちんと説明をしたうえで納得して署名されたものなのだ、という
 そういう想いがハッキリと伝わりました。
 ありがとうございます!

 たとえ今、このまちを離れていたとしても
 想いは同じなんだなあ、と強く実感しています。

 今はこのまちを離れているけれども
 やっぱりこのまちが大好き、という方々のためにも
 署名を絶対にムダにしないように最後まで全力を尽くします。
 ありがとうございました!


● ベースからも美術館建設反対の署名が届きました

 夕方からある方にお会いして、
 署名用紙を受け取りました。

 イギリスからの署名と同じように
 ベースの中でも署名活動をしてくださっている方がいるのです。

 日本人の従業員の方々が基本的な対象にしているのですが
 アメリカ人の従業員や兵隊の方々にも説明をして
 署名をしてもらっています。

 この方とはすっかり1時間半も話し込んでしまいました。

 現在の美術館建設計画をみなおしできるかどうか、
 それは『想像力があるかどうか』という
 人としての在り方の問題なのかもしれません。

 そんなことをお話しました。

 このまちだけでなく、あらゆる地域で努力をしている方々を
 こころの底から応援したいと思います。

 ありがとうございました!


● いわゆる『不登校』、の問題について

 不登校/ひきこもりに関するグループの方々から
 会いに来て声を聞いてほしい、というお手紙を受け取っています。

 すみません、どうかもう少しだけお時間をください。
 もちろんかかわりたいのです。

 何故なら僕自身が小学校時代に
 あまり学校に行くことが得意ではありませんでした。

 どちらかというと、保健室登校だった子どもです。

 だから、いわゆる『不登校/ひきこもり』の問題は
 僕にとってもすごく切実なリアルな問題です。
 かかわらなければいけない、と強く感じています。

 けれども、精神保健福祉カンケー施設もまわれていない、
 このHPで約束してきた市内福祉施設ツアーもできていない、
 こんな状況なのです。

 会ってほしいという方々はとても多くて
 どうしても僕という人間は
 1人きりですから、全てを叶えることはできません。

 送られまくってくる招待状の山の中から
 儀礼的な『来賓行事』は全て行かないようにしています。

 少しでも僕を必要とする声に耳を傾けるべく
 全力を尽くしています。どうか、待っていてください。必ず行きます。


● 僕のやらなければならないこと

 ものすごい量のメールをいただいていて
 いまだに5月くらいにいただいたものにお返事をしています。

 いただいたメールから
 重要度の高いもの/返事に急を要するものを選んで
 毎日1〜2時間はかけてお返事しています。

 それから、勉強をしています。
 『決算』『予算』の勉強です。

 何故ならば、市議会議員の大きな仕事の1つとして
 税金のつかいみちを厳しくチェックする、
 ということがあります。

 3月末まで民間企業で財務部にいて
 決算や予算にはなれているつもりでいましたが
 市町村というか地方自治体の決算や予算には
 まったく対応できない、ということが分かりました。

 その勉強をしなければ、
 9月・12月の市議会は何も分からないままに
 ただ過ごすだけ(税金のムダづかいですよね?)になってしまう。

 「何故、仕事場にこもって
  1日に数時間も資料の整理や読書しているんだ!」

 そういうふうにはどうか受けとめないで下さい。
 このまちの税金のつかいみちをチェックするためにも
 予算と決算を厳しく行うことは
 ものすごく大切なことなのだから。

 基本的に僕はプライベートな時間を
 ほとんど持たないようにしています。
 大好きなプロレスが明日ありますけれども
 それも当然ながらあきらめて、気晴らしなんか何にもないまま、
 毎日勉強にあけくれて、人に会って、働いています。

 そうやって優先順位をつけていく中で
 無理やり睡眠時間を削ってやりくりをしています。

 今、あなたのところへ僕が行けないとしても
 今、あなたのところへメールの返事が来ないとしても
 それは僕の全力の結果なのです。

 どうか、それは理解してください。

 あなたにとっては大切な1通のメールも
 僕にとってはすさまじい数の中の1通なのです。

 本当にごめんなさい。

 僕を必要としてくれる全てのみなさまに
 やがて必ず応えられるように
 これからも努力していきます。



2003年7月15日(火)のフジノ
● 24時間365日オープンの、相談窓口の必要性

 現在の美術館建設計画の見直しを
 選挙前からずうっと
 僕が徹底してうったえている理由はこういうところにあります。

 例えば、『横浜いのちの電話』の運営費用は
 1年間でわずかに3,100万円。

 美術館建設後の運営費用で垂れ流される
 毎年3億円の赤字。

 どちらがこのまちに暮らしている人にとって
 本当に切実に必要なサービスなのでしょうか。

 『いのちの電話』の10倍もの費用をかけて
 美術館を運営していくことが
 どれほど切実に困っている人を救うというのでしょうか。

 こういう数字を見ていると
 ものすごく不愉快になってきます。

 だから見直しをうったえているのです。

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 昨日いただいた『横浜いのちの電話』の資料を
 読んでいると、胸がつまってきます。

 2002年度に受けた電話の件数は、3万4005件。
 1日あたり93件になります。

 これは、横浜だけの数字です。

 『いのちの電話』についてはよく言われることですが
 かかってくる件数が多すぎて
 出られない電話がたくさんあるのです。

 だから、あくまでも上に書いた数字は
 『受けた電話の件数』なのですが
 『かかってきた電話の件数』では無いのです。

 この数倍の、受けることができなかった電話があるのです。

 これらの救いを求める人々に対して
 できることがあるはずなのです。

 そこで僕はこのまちに
 夜間の相談窓口(電話/Eメールなど)をつくりたい、と
 考えています。

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 昨日も書いたことですが、
 僕はこの件については『政治家』として『個人』として
 両方の立場から挑戦したいと考えています。

 もしも、『個人』としての
 NPO法人『横須賀いのちの電話』設立への想いに
 共感してくださる方がいらっしゃいましたら
 どうか、一緒に活動してください。

 厳しい研修が1年間続きますが、
 専門的な経験が無い方でも全くだいじょうぶです。

 これから半年かけて自分たちで勉強会をして
 来年のあたまから1年間の研修をうけて
 そして『横浜いのちの電話』で経験を積んでいきながら
 横須賀での立ち上げをめざしていきたいと考えています。

 やる気のある方、メールくださいね。


● そんなもんかよ

 最近、ヒゲをはやしています。

 あまりにもその理由をたずねられることが多いので
 いっそHPに書いてしまえば
 1人ずつに答える手間が省けるかな(笑)。

 「現在の美術館建設計画の見直しに向けて
  願かけをしているのです」

 昔からの知りあいの方が、
 願かけでヒゲをのばしてたんですよね。
 それがけっこう叶っていたので、まねをしてみました。

 ところで、今日出たある会議で
 このことをやっぱりたずねられました。

 「フジノくん、どうしてヒゲはやしはじめたの?」
 「いやあ、美術館ストップの願かけなんですよ」

 そしたら、ある議員が横からこう吐き捨てました。

 「じゃあ、一生のばしてれば」

 ああ、むかついた。
 ぜんぜん冗談っぽい口調じゃないんだもん。

 その後、別の議員がフォローして
 「長いヒゲもおもしろいよね」とか言ってましたけど、うーむ。

 だけど僕のヒゲは、9月の定例会が終わる頃には
 市長の政策転換とともに
 きれいに剃られていますから。見てろよ。


● メールカウンセリング、という方法

 最初に話を戻しますね。

 24時間の相談窓口というものは
 決して電話だけに限定しなくても良いと考えています。

 特に、『インターネット』の普及のおかげで
 メールという手段をつかっての
 カウンセリングも
 今ではだいぶ確立されてきました。

 例えば、日本オンラインカウンセリング協会
 という組織があります。

 (無料相談のコーナーもありますので
  メールでのカウンセリングを受けたい方はどうぞ)

 選挙の前から今に至るまでの実感として
 このまちにはインターネットはまだぜんぜん行き渡ってなくて
 半分以上の人がパソコンと無カンケーの暮らしを
 しているように感じます。

 けれども、逆にインターネットを通じての
 コミュニケーションに重きをおいている人の存在も
 すさまじい勢いで増えているのも感じています。

 いずれにしても、
 困っている人たちへの手助けの手段は
 多くて困ることはありません。

 メールカウンセリングというしくみも、
 僕の考える24時間相談窓口の構想の中にはあります。



 (もっといろいろ書きたかったのですが
  もう明け方になってしまいました。とりあえず少し寝ます)



2003年7月14日(月)のフジノ
● 『いのちの電話』を見学しました

 今日は午後から『いのちの電話』を見学しました。
 ここを訪れるのは、数年来の僕の願いでした。

 何故なら、夜間に誰もが相談できる窓口の存在を
 何年も前から「絶対に必要だ!」と感じていて
 仲間たちを集めて
 夜間電話窓口のボランティア団体を
 作ったこともあったからです。

 『いのちの電話』という、すごい存在。

 24時間、365日、どんなときでも必ず
 電話の向こうには受けとめてくれる人がいる。

 この存在でどれほどの人が救われていることか。

 そしてこんなに素晴らしいものが
 行政ではなく、民間によって運営されているのです。

 ボランティア団体を設立するにあたって
 何冊も『いのちの電話』カンケーの本を読んできました。

 だから、研修方法や運営について
 『知識』としてはたくさんありました。

 けれども、『現場』をどうしても見たかったのです。

 ボランティア団体として手探りでやってきた僕は、
 長年のノウハウを持つ『いのちの電話』のその実際の現場が
 いったいどんな風なのかを
 この目で見てみたかったのです。

 だから、もう本当にドキドキして出かけました。

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 どうしてもここ数日は体調が悪くて
 今日も本当は外出もおっくうだったのですが
 やっと望みの場所に行かれると思うと気合も入りました。

 行き先は、横浜の某所。
 ビルの中です。

横浜いのちの電話

 この場所を明かすことが、実はできません。
 何故なら、こういう電話相談というのは
 本当にさまざまな事情があって
 住所を明かすことはできないのです。

 例えば、僕のような市議会議員のところでさえ、
 嫌がらせの電話が入ったり、
 議員控え室に変なオヤジがやってきます。

 『いのちの電話』のように
 毎日24時間必ず電話相談を受け付けているような
 そんな存在には、助けを求める声だけでなく、
 悪意だって押しかけてきます。

 だから、秘密なのです。

 郵便物はすべて、郵便局の私書箱宛に送られます。
 こういう体制をとらなければ、きちんとした
 相談環境は守ることができないのですね。

 それはたとえ議員である僕であっても例外ではなく、
 横浜市内のある駅を指定されて、
 その駅に着いたら事務局に電話をかける、という約束をしました。

 そして電話をかけて、お互いの服装など目印を確認して
 案内をしてくれる方につれられて
 やっとその場所にたどりついたのでした。


● うれしかった

 そこは、予想していたよりも広い場所でした。
 ぜんぶで5部屋くらいありました。

 事務所スペース、作業用スペース、
 電話相談スペース、外国語による電話相談スペース、
 そして、仮眠用のスペース、計5つ。

 スペイン語とポルトガル語での相談が
 常に可能だなんて、本当にうらやましい。

 横須賀にもたくさんのスペイン語圏の方々がいます。
 だから僕も一時期必死になってスペイン語を勉強したものです。

 『横浜いのちの電話』では年間2000件以上も
 外国語での相談があるんだもの。横須賀にもニーズがあるはず!

 うあ〜!うらやましい!

 正直なところ、感動しました。

 こんなこと書いても
 読んでいる人には伝わらないのは分かっています。

 けれども僕は本当に夜間の電話相談窓口を作るために
 これまでずうっとがんばってきたのです。

 1度目は数年前、複数のメンバーでボランティア団体を作りました。
 けれども残念ながらメンバーが多忙のため、解散。

 2回目は、2年前。たった1人きりからスタート。
 やがて途中で2人に増えたものの、
 パートナーの突然の脱退。

 そして今は、僕が議員になって忙しくなってしまって
 開店休業状態になってしまっているのですね。

 本当に大変だった日々を思い出して、
 僕の想いの原型である『いのちの電話』の現場に来ることができて
 まさに感無量だったのです。

 事務局長さんが応対してくれて、
 1時間半にわたっていろいろ教えていただきました。

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 見学の結果の感想は、
 やっぱり夜間電話相談窓口も
 行政ではできないかもしれない、というものでした。

 けれども政治や行政だけが僕の手段では無いので、
 あらためて思いました。

 いつか必ずNPO法人として
 夜間の電話相談窓口を横須賀につくるんだ。

 もちろん政治家としての公約なので
 行政の組織として僕は24時間の相談窓口を作りたいです。
 けれども、それを待っていては遅いこともあります。

 だから、政治的に作る努力をしながらも
 民間としてNPO法人として『横須賀いのちの電話』を作れたら、
 そう思いました。

 何よりもまず、僕自身が
 『いのちの電話』の相談員になるための
 約2年にわたる厳しい研修を、まず受けたいなあと思いました。

 今日は政治家としてというよりも
 1人の個人として、本当に『いのちの電話』見学が叶って
 うれしかったです。


● 高齢の方々の福祉に関心がある方々の集まりに参加しました

 今夜は、美術館建設反対の会合に出た後、
 福祉の勉強会に参加しました。

 介護の現場で働いている方々をはじめ
 高齢者の福祉に関心を持っているあらゆる立場の人々で
 先月、勉強会をたちあげました。

 情報を交換することで、
 より良い福祉をうみだしていく。

 自分の立っている場所を確認していく。

 そんな集まりです。
 勉強会というよりも、『集まり』という呼び方が正確かな?

 福祉の現場にかかわらず、
 ふつう、人というのは
 初めて自分が勤めた職場の文化にとらわれがちです。

 もしも転職することが無ければ
 そこでのやり方が全てだと思うような感じですよね?

 けれどもこの集まりをはじめたある方は
 「それが全てになってしまうのが嫌だから」ということで
 たとえば『施設と施設での交換留学』を提案されたりしています。

 こういうのって、本当にいいですよね。


● 政治家だから、とフジノを拒否した福祉の若手たち

 この高齢者福祉の第1回の集まりには、
 僕はあえて行きませんでした。

 せっかくの集まりなのに
 政治家が行くことが良いのかを、心配したからです。

 そう僕が考えたのには
 理由があります。

 僕にとって人生のテーマである
 精神保健福祉の
 その現場にたずさわっている若手の人たちから

 「自分たちの勉強会には
  政治家は参加しないでほしい」
 という断りを受けたからです。

 まさか、よりによって『精神保健福祉』の勉強会から、
 しかも『若手』の勉強会から、
 「政治家の参加は見合わせてほしい」なんて言われるとは
 どうしても信じられませんでした。

 けれども、そうやって言われてしまい、
 1ヶ月間悩んだ末に
 僕はこのグループとは訣別する決心をしました。

 若手だからといって、変化を好まない、
 そういう人々が確実にいるのです、としつこく書いてきたのは
 この方々の集まりに拒否されたことを指しています。

 精神保健福祉に関心がある政治家が全くいない、
 そういう現状を前にして
 どうして若手のくせに
 政治家を自分の味方にひきずりこんで
 精神保健福祉を変えていこうと考えることができないのか。

 僕はこの人たちのことを考えると
 激しくがっかりしてしまいます。

 政治家だから参加しないでほしい、と言うけれども
 この勉強会の主催者と僕は
 政治家になんかなるずっと前からの
 長いつながりがありました。

 それなのに何故、政治家になったら
 勉強会への参加がダメになってしまうのか、
 そういう発想にはどうしても僕はついていかれなかった。 

 7月10日に彼らとの訣別を決心するまでは
 僕は精神保健福祉について
 おもてだった活動をひかえてきました。

 このコーナーを読んでいる古くからの友人から

 「フジノは何故、精神保健福祉の活動をしないんだ?」

 と、ずっと僕は言われてきました。

 僕自身、もどかしい想いをしてきました。

 けれどもあえて精神保健福祉の分野での
 活動をしてこなかったその理由は、
 彼らのグループと
 一緒に勉強をしながら問題意識を共有して
 そして活動をしていきたかったからです。

 けれども、あきらめました。

 もう完全に彼らとのカンケーを切った今、
 僕は僕のやり方で
 このまちの精神保健福祉を変えるための活動を始めます。

 あーあ。

 ただでさえ、このまちの精神保健福祉活動は
 1つにまとまれなくて分裂している状態なのに
 どうして若手までもが
 まとまれないんだ。

 こうやってせっかくの『力』が分散されてしまうことが
 どうして分からないのだろうか。
 情けない。でも、もうしかたがない。

 ゴールは1つでも、行き方はいくつもあるのだろう。

 けれども目的を達成するのに
 手段なんて選んでる場合なのだろうか。

 フジノはこのまちの精神保健福祉を変えたくて
 だから政治家になった。

 精神保健福祉の現実は、手段なんて選んでる場合じゃない。


● 充実した集まりでした

 ともかく、そんないきさつがあったので
 高齢者福祉の集まりにも
 「政治家が行って良いのか?」と心配していました。

 だから第1回は行かなかったのですが
 主催している方が「そんなのカンケーないから来てください」と
 メールをくれたのでした。

 うれしい...。

 精神保健福祉の若手の件があったので
 本当にうれしかったので
 感謝の気持ちをあらわすために
 2名の方にお願いして
 特別ゲストとして集まりに来ていただきました。

 福祉オンブズマン活動をされている方と
 高齢者福祉の行政に詳しい方のお2人です。

 こんなゲストにも来ていただいて
 僕は本当に集まりが楽しくて勉強になって、感激しました。

 8名という小さな集まりですが、
 3時間半にわたっていろんなことを話しました。

 分からないことをたくさん教えてもらい、
 高齢者福祉について本当に勉強になりました。

 こうやって得た知識や情報を
 このまちの政治に反映していくことで
 少しでも高齢者の方々の福祉が変わっていけばいいなあと
 とても強く願います。

 NPO、ボランティア、福祉施設、あらゆる勉強会に
 僕はどんどん参加しています。

 けれども、こういう自発的な集まりに
 スタートの段階から参加できたのは初めてなので
 すごくうれしかったです。

 政治家としても個人としても
 もっともっと福祉の勉強をしていきたいと思いました。

 メンバーのみなさん、本当にありがとうございました。
 ゲストのお2人も、本当にありがとうございました。


● おめでとう!

 今夜、現在の美術館建設計画に反対している方々の集まりに
 参加するために集合した時に、
 雄人(吉田雄人議員)からこんな言葉が...。

 「実は今日、結納を済ませてきたんです」

 おめでとう!
 雄人、本当におめでとう!

 政治家になんかなっちゃうと
 個人としての暮らしの前に
 公人としての義務ばかりが周囲から叫ばれるけど
 本当に最後の最期で大切なのは、僕は個人だと信じています。

 だから、公人である前に個人として
 どうか奥さまと
 どこまでも幸せでいてください。

 2人の幸せをこころの底から願っています。

 本当におめでとう!



2003年7月12日(土)のフジノ
● 誰のためなのか

 現在の美術館建設計画を
 反対している理由についてもう1度おさらいしましょう。

 これが一体何故おこなわれているかを、確認したいのです。

 (1) 僕は市長反対とかそんなことはどうでもいい

 僕たちの活動をダメにしたい人たちは
 僕のことを『反市長派』とか『何でも反対している』と非難します。

 けれども、そんなくだらないことはどうでもいいんです。
 市長が沢田さんだろうが横山さんだろうが
 僕にはそんなことカンケーない。

 僕は29年間、このまちを愛して
 ずうっとこのまちに暮らし続けてきました。

 嫌いなところも多いけど、
 まずそっちょくにこのまちに生きていくことが大好きなんです。

 ここで死ぬまで暮らしたいんです。

 引っ越すチャンスは何回もありました。
 日本を出ることもできた。
 だけど、僕はここで死ぬまで暮らしたいんです。

 だから、このまちがこのまちらしく
 僕が大好きなまちでいてほしいのです。

 その想いにたてば、誰が市長かなんてどうでもいいのです。

 やりたいヤツが勝手にやればいい。
 選挙に出ればいい。勝手にしろ。

 僕のやるべきことは
 その市長が誰であろうがそいつの政策をチェックして
 この大好きなまちを壊させないように厳しく監視していくことです。

 だから、誰が市長になろうとカンケーない。
 政党がどうとか、政治オタクは勝手にやってればいい。

 僕はこのまちを守りたいだけなんだ。

 そういう僕の在り方に照らすと
 沢田市長の政策の1つである『現在の美術館建設』は
 どんな角度から見てもこのまちのためにはならないと分かりました。

 だから、反対しているのです。

 こういうまちに暮らしてきた純粋な想いを
 政治オタクのくだらない争いと一緒にしないでください。

 市長が好きだとかどうだとかそんな気持ちは
 まちを守りたいという想いの前には吹き飛んでしまうよ。

 誰だってそうでしょう?

 あなただって、もっと便利な東京のどこかへ
 引っ越すことだってできるでしょう?

 だけどそうしないのは、このまちが好きだからでしょう?

 好きな故郷を守りたい。
 その想いから『現在の美術館建設計画』に反対しています。



2003年7月11日(金)のフジノ
● 文化会館の手すり

 文化会館の大ホール内で転んで
 大たい骨を折ってしまった、という方のお話をうかがいました。

 さっそく文化会館を見に行きました。

 文化会館大ホールは
 小学校時代から横須賀交響楽団の演奏を聴きにいったり
 僕にはとても縁が深いところなのですが、
 手すりの存在を意識したことはありませんでした。

 場内の明かりをつけてもらって
 壁際の通路を見てみると
 やはりそこには手すりはありませんでした。

 映画館で働いたことのある僕にとって
 場内でお客さまに心地よくすごしていただくことは『絶対』です。

 たとえ場内が暗くても
 高齢者の方や体に障がいを持つ方も安心して
 トイレに行ったり、移動ができる環境でなくてはいけません。

 せめて、壁際だけでも手すりをつけることはできないか、
 大道具の方に相談をしてみました。

 もちろん場内で演劇を見たり演奏を聴いているお客様に対しても
 心地よくすごしていただけなければいけません。

 だから手すりがもしも暗い場内で光って
 邪魔をしてしまうのであれば、それはそれでいけない。

 光らずに、かつ、手すりの存在がすぐにわかる、
 そういうものが可能かどうかを相談しました。

 手すりだけではなく、
 演劇などではケーブルを場内に引くことが多く、
 プロの大道具さんでもそのケーブルに足をかけることがある、
 ということを知りました。

 手すりだけではなく、ケーブルを場内の壁の上部に
 通せるような仕組みをつくることも必要かもしれない、と思いました。

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 その後、市役所に戻って
 文化会館を担当している『企画調整部』にたずねてみました。

 ホール以外の
 ロビーやあらゆるところには手すりはすでにあります。

 だから、あとは大ホールだけなのですが、
 という話をしてみました。

 すると、基本的に手すりはつくる方向である、
 必要な場所のリストアップはすすめている、
 という回答でした。

 ただ、担当者が出張中で
 そのリストアップの中に文化会館大ホールがあるかどうかは
 わからない、ということでした。

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 いずれにしても、これは絶対行われるべきことです。

 高齢であろうとどういう状況であろうと、
 市の『文化』をうたうホールなのですから。

 市長の大好きな『文化度』を上げるためにも
 文化会館という名前がついている施設が
 過ごしやすい施設でなければ「何が文化だ!」と思いませんか?

 高齢者の方々にとって
 骨折などによる『入院』がきっかけで
 痴呆がはじまる/すすむ、ということは実際にあります。

 市がその原因になっては絶対にいけません。

 だから、一刻も早く
 文化会館大ホール内が暗くても誰に対しても安全なように
 仕組みづくりをしなくてはいけません。



2003年7月8日(火)のフジノ
● 発表は少しだけ待って...

 昨日お知らせした発表の件ですが、
 もう数日だけ待ってくださいね。微妙なこともありますので、
 より確実にしてから連絡します。


● 田浦で署名を集めました

 今日は感動することがありました。
 福祉オンブズマン養成講座を終えてから、夕方に戻ってきました。
 そのあしで京急田浦駅で降りて、ちらしを配りはじめました。

 今日は120枚用意して(昨日よりプラス10枚にしてみました)、
 小雨が降る中を1人きりで配っていました。

 ご存知のとおり、田浦というのは各駅停車のみが停まる駅だから
 電車が来る時間帯以外は、ほとんど人が来ないところです。

 1時間くらいかけてゆっくり配れればいいかな、と思っていました。
 それがなんと、昨日をさらにうわまわる早さで
 30分もかからずに配り終えられてしまったのです!

 これには、ある理由があります。

 配り始めてすぐに
 ある女性が声をかけてきました。

 「あっ!フジノくん!
  良かった、会えて。集めおわった署名を渡したくて」

 そういって、名前がうまっている署名用紙を
 カバンから取り出して渡してくれたのでした。

 「ありがとうございます。
  あの、HPでここでやるかもしれない、って書いたのを見て
  わざわざ渡しに来てくれたんですか?」

 「違うわよ!
  だって、私のいえ、インターネット見れないもの。
  署名用紙は友達からもらって、
  いつか藤野くんに会えたら渡そうと思って
  いつもずっとカバンに入れっぱなしにしてたのよ〜。

  駅に行けばいつかは藤野くんに会えるはず、と思って
  そうしたら今日、偶然に会えたでしょう?

  良かったわ〜。
  8月末までのしめきりっていうから
  会えなかったらどうしようかと思ってたのよね〜」

 ...!

 この時の気持ちを言葉にすることはできません。
 ぐっと来た、という表現はこういう時につかうのでしょうか。

 いつ会えるか、分からない。
 HPを見ているわけでもない。

 でも、駅に行けばきっとフジノはいるはず、と信じてくれている。
 そして、それを信じて集めおえた署名を
 いつもカバンに入れて持ち歩いていてくれている...。

 ありがとうございます。
 本当にありがとうございます。

 小雨の降る中、僕は言葉を失って立ち尽くして、
 だけど目の前の女性は、笑顔で僕に署名を渡してくれました。

 「あなた、今日も1人で配ってるの?
  私が手伝ってあげるから」

 そう言って、その女性はちらしを配りはじめてくれたのです。

 「フジノくんは恥ずかしがりだからいけないわね。
  マイクとかのぼりだとかつかいなさいよ」

 「いや、うるさいのって迷惑じゃないですか。
  それに人前に出るのって、僕はあんまり好きじゃないんです」

 「もう、男なんだからしっかりしなさい。
  マイクだって、聞いてもらってなんぼなんだから」

 今日も上大岡の帰りだったので
 のぼりもメガフォンもなし。
 僕たちは、ひたすらナマの声で通り過ぎていく人に声をかけて
 ちらしを配りながら書名を集めていったのでした。

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 その結果。

 ちらし120枚は、25分で配り終えてしまいました。
 集まった署名は、12名。

 25分で12名ってすごくない?
 ちらし10枚につき、1人が署名してくれたんだよ!

 これはすごい!

 ちらしが無くなってからも
 その女性は大きな声で署名を呼びかけてくださいました。

 「あの、そろそろ終わりにしましょう。
  ところで、僕はすごく失礼な質問をしますけれども
  すごく記憶力が悪いせいで僕は人の名前と顔を覚えられないんです。

  あの、僕はあなたに、以前お会いしていますか?
  あなたのお名前をお聞きしても良いですか?」

 「ああ、名前はまだ言ってないわよ。
  だって、1度も会ったことないもの。

  障がい者の勉強会に来たフジノくんの姿を1度だけ見かけて
  話しかけようとしたら、終わったらあなた
  すぐに帰っちゃうんだもの。
  政治家は忙しいのね、まったく」

 これにも、絶句でした...。

 最終的にお名前はうかがえたのですが
 お住まいも連絡先も聞かず(気が利かないのです、僕は)
 そのままお帰りになってしまいました。

 人が人を信じる、ということ。
 それが生み出す『力』の大きさ。

 僕はこのまちをまだ信じたいと思います。
 このまちに暮らしている人々を、まだ信じたいと思います。

 優しい強さ、温かいこころ。

 ありがとうございました。


● 福祉オンブズマン養成講座、終了!



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