まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記

2003年6月24日(水)のフジノ
● お願い

 フジノの政策を支持しているせいで、
 もしもあなたが近所の方々とのおつきあいが難しくなってしまったり
 あるいは友達から浮いてしまうようなことがあれば、
 ムリをしないでください。

 こころの中までは誰も立ち入ることはできません。

 政策を支持する気持ちは『こころの中』だけで
 でも『人とのつきあい』では
 うまくやりすごして他の政策を言っててもいいですよ、別に。

 テキトーにまわりの人やご近所さんにあいづちを打って
 「フジノって議員のくせにダメだよね〜」とか
 どうか、まわりの方々と仲良くうまく過ごして下さい。

 この国は残念ながら
 せまい地域ぐるみで特定の政治家を応援しなければ
 仲間はずれにされることがあるようです。

 くっだらねえなあ。

 その地域に住んでたら特定の政治家だけを応援する、
 というのもまちがいですが

 ある1人だけをずうっと応援し続ける、というのもまちがいです。

 芸能人じゃないんだから。
 人気商売じゃないんだから。

 ある『政策A』については政治家Aの考えを支持する。
 別の『政策B』については政治家Bの考えを支持する。

 みたいなのがフジノは『在るべき姿』だと考えています。

 まあ、そんな理想とはほど遠いのがこの国なので
 ご近所でのあなたの立場を悪くしてまで
 「美術館反対!」と叫ぶ必要はあなたにはありません。

 ひそかに署名をして、
 あとはまわりに合わせていて大丈夫ですよ。

 この国はくだらないことが多すぎる。
 でも、暮らしていく、ということはそれらをのみこむことですからね。
 ムリしてフジノの政策を支持してることを
 おおっぴらにしなくても
 フジノは全然困りませんからね。

 どうか、まずは毎日を楽しく過ごしてください。
 たとえそれがまやかしの近所カンケーであっても、ね?

 こころの中までは誰もふみこめないのだから。


● カリスマをつくってはいけない

 障がいのある方々の会議は本当にたくさんあるのですが
 そのあらゆる会議に僕が参加するたびに
 お会いする方がいます。

 その方のがんばりぶりを見るたびに
 フジノは胸が少し痛くなります。

 みなさん、お願いです。

 どうかカリスマを作らないで下さい。
 どうかヒーローを作らないで下さい。
 その人にまかせきりにしないで下さい。

 古くからフジノのHPを読んでくれてる人は
 フジノの言いたい意味を理解してくれるよね?

 ヒーローはいらない、とフジノはくりかえし伝えてきました。
 ヒーローが居てはいけないのです。

 ある方が、がんばりつづける。
 でも、もしその人が死んでしまったら?

 ヒーローの消滅とともに
 希望も消えてしまうのですか?

 絶対にダメです。

 ヒーローを作ってはいけません。
 ある分野といえば誰々、みたいな状態は絶対にダメです。

 障がいのある方々の団体があるとしたら
 複数の人がつねにリーダーシップを取れなくてはいけません。
 誰か同じ1人の名前がいつも出てくるようでは絶対にいけません。

 これは誰かを非難する文章ではありません。
 誰もがヒーローにならなくてはいけない、という文章です。

 どうか真意を理解してください。
 お願いします。


● おかあさんにも、人としてあたりまえのひとときを

 6月21日のこのコーナーに書いた
 『サポート=ホリデー』というボランティア活動の
 OBの方からメールをいただきました。ありがとうございます。

 ところで、以前から意味不明なカタカナがあったのを
 偶然に今日調べたんです。

 それは、『レスパイトサービス』という単語です。

 (この説明は、詳しくはこちらを見てね)

 ちょうどその単語の意味こそが
 『サポート=ホリデー』の行っていることの1つだったのか、と
 急に単語と現実が一致しました。

 やっぱカタカナは便利だけど、分かりにくいですよね。

 ともかく、『サポート=ホリデー』のHPをご覧下さいね。
 素晴らしい活動ですから。


● 署名へのご協力ありがとうございます

 わざわざ郵送で、集まった署名を届けてくださる方々が居ます。
 今日だけで、30人分もの署名がうちに届きました。

 ちなみに、今日送ってくださった方々は
 お名前もご住所も今日初めて拝見した方ばかりです。

 本当に、わざわざありがとうございました。

 けれども、感謝しているのは
 数についてでは無いのです。

 同封のお手紙から
 少しだけ、引用させてください。

 「それにしても、この件(美術館の建設の今の計画)については
  私も自分で考えたり、署名してくださった方達の意見も
  かなり聞いてみました。」

 そして、この後に数枚にわたって
 ご自分の考えやまわりの方々の意見が書かれていました。

 ありがとうございます!

 ただ名前を書くだけの署名は
 フジノ自身は望んでいないのですね。

 たとえ数は少なくても
 こうやってこの問題についてご自分で考えてみたり
 署名してくれた人たちと話しあったりすることが
 すごく大切
だと思うのです。

 だって、あなたのまちだから。

 郵送してくださった方々のお手紙からは
 こういうフジノの想いが十分に伝わっているようで、すごくうれしいです。

 本当にありがとうございます。



2003年6月22日(日)のフジノ
● やっと、波が去った

 まだまだ道を歩いていたりすると
 いきなり話しかけられたりすることは多いのですけれど

 当選の直後の一時期の
 すさまじい波は消えました。

 最初から予想していたとおりで、
 1ヶ月待てば
 この国の人たちのブームは
 どんなものであっても去っていきます。

 大騒ぎされるのにもうんざりしていたので
 少しずつ落ちついてきました。

 これで本腰を入れてフジノは仕事ができます。

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 さて、波が去ってみて
 残ったものは何でしょうか。

 (1) 他人に文句を言うだけの、評論家
 (2) 政治家を自分の利益のために利用したくてたまらない人々
 (3) 現実的な意味で、今この瞬間に福祉を必要としている方々

 この3種類の方々だと感じています。

 (1)の人たちの存在を感じたければ、
 他のHPの掲示板とか見てみてください。

 もう、することが無いむなしい人生を送っている人たちが
 攻撃の対象が欲しくてたまらなくてフジノのことを
 クソみそにけなしていますから。
 けっこう笑えます(笑)。

 でも、この人たちの存在は
 精神衛生のためにとても良いのですね。

 市役所の中で

 「フジノ先生は〜ですね」

 とか褒め殺しされそうな毎日だと
 時々わざと自分がけなされている2ちゃんねるの掲示板を読んで
 フジノは精神バランスをとってます。サンキュー!

 (2)の人たちというのは、
 自分が政治家になりたいような人たちです。

 けれどもフジノは『政治家をめざしている人たち』という存在を
 どうしても信用することができないので
 帰ってもらっています。

 フジノは笑顔なんかつくらないで
 どんどん帰ってもらいますから
 こういう方々がやがて(1)に移行していきます。

 そして、最後がフジノにとって
 唯一、大切な存在である(3)の人々です。

 フジノは自分が生まれ育ったある地域のことよりも
 卒業した学校のことよりも
 年齢が近い人のことよりも
 まちの有力者だとか言われてるヤツらよりも
 金持ちよりも有名人よりも偉いヤツよりも、
 誰よりも大切なのは
 福祉を求めている人たちです。

 フジノは自分自身が(3)なので
 (3)の方々の他には、
 基本的に何を言われてもへっちゃらです。

 毎日暮らしていて、本当に痛切に悩むことは
 どこまで毎朝毎晩、仕事をしていけば
 (3)の方々に納得してもらえるだろうか、それだけです。

 月に何日くらいなら休んでいいのだろうか。
 どこまで働けば納得してもらえるのだろうか。

 自分の体調よりもまず、
 (3)の方々の想いだけがフジノの関心の中心にあります。


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 いずれにしても、実力や結果とは無関係の
 『期待と勢いだけのブーム』は終わった。

 あとは地道な活動を評価してもらうだけだ。
 結果を出して、それを見てもらいたい。それだけだ。

 打ち上げ花火は嫌いだと言いつづけてきたので
 ここからがフジノの本番だ。よかった。


 


2003年6月21日(土)のフジノ
● 誰もが笑顔でいる、損をする人がいない

 ここ数日はとにかく全力で走ってきたので
 今日だけは久しぶりの完全1日オフにしたかったのですが
 そうはいきませんでした(笑)。

 自然とね、もうそこに行きたくなっちゃったのだから
 もうそれはしかたがないというか、フジノの自然体なんだろうなあ。

 朝、あるお母さんからメールをいただきました。

 その内容は、総合福祉会館で今日おこなわれる予定の
 『サポート=ホリデー』についてでした。

 このメールを読んだら
 やっぱりどうしてもそれを見たくなってしまい、
 自然と総合福祉会館へ足が向いてしまいました。

 会場に勝手に入っていって
 そのまま端っこの方に座りこんで
 おこなわれている活動を見学していました。

 誰にも案内もしてもらわず
 誰かを紹介してもらうこともしなかったので
 活動の正確な説明になっているかは分かりませんけれども
 このすばらしい『サポート=ホリデー』についてを
 書いてみたいと思います。

 (関係者の方がごらんになっていて
  もしも訂正すべき点があったらメールくださいね)
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 『サポート=ホリデー』とは、何か。

 それは、いわゆる知的障がいのあるお子さんたちと
 高校生を中心とするボランティアたちが
 一緒に遊ぶ、
 という活動のことです。

 今日は14時から16時でした。

 その2時間、お母さんたちは子どもから離れて、
 自由な時間を過ごすことができます。


 日頃は子どもにつきっきりのことが多く、
 1人の人としての趣味や自由な時間を持つことができない。

 そんなお母さんにとって、わずか2時間であっても、
 安心して買い物に出かけたりできることは
 ものすごく大切なことだと思います。

 武山養護学校の先生(だと思う)も数名いらっしゃいましたが
 あくまでもこの会を運営している会長や副会長は
 高校生です。

 湘南学院高校、大楠高校、久里浜高校、などなど
 横須賀だけでなく横浜の高校からも
 高校生たちが40人も集まってボランティアをしています。

 けれども、特にこれを書きたいと思った理由は
 ここから先です。

 ボランティアをしている高校生たちと
 帰りのエレベーターで一緒になりました。

 フジノは彼女たちの会話に、耳をかたむけていました。

 「すごい、超たのしかった!」
 「また来ようね」

 スカートは今の女子高校生らしく短め、
 髪の毛の色も当然、茶色です。
 とてもかわいい、今風の高校生2人組でした。
 今日初めて参加したようです。

 そう、「特別な人が慈愛のこころからボランティア活動をする」、
 そんな考え方とは完全に違うのです。

 彼女たちは、自分自身も楽しんでいました。
 楽しそうに子どもたちと遊んでいました。

 子どもたちも楽しそうに遊んでいました。

 そして、16時になって
 迎えに来たお母さんたちもとても笑顔でした。

 フジノはお母さんたちの会話を
 ドアのそばに立って聞いていました。

 「本屋でたっぷりブラブラして好きな本を買いましたよ」
 「ずっと行きたかったカフェでお茶しました」

 そう、3者とも、誰もが笑顔だったのです。

 こういうのをビジネスの用語で
 win−winといいます。
 誰も損をしない、誰もがハッピーな結末になる、
 そういうビジネスこそがこれから求められると言われています。

 そのwin−winが僕の目の前にはありました。


会の最後にみんなで輪になって座って、お話しの時間。  会の最後にみんなで輪になって座りました。
 高校生たちのパワーと
 子どもたちのパワーに、僕は見とれてました。


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 誰もが笑顔であること、
 誰もが損をしないこと、
 これこそが僕の願ってやまない『希望』です。

 『サポート=ホリデー』の活動には
 『希望』があります。


 40人のボランティアのうち、
 12人が今日初めて参加した人だったそうです。

 そして、高校生たちは楽しそうでした。

 フジノは総合福祉会館の7階のホールのかたすみに
 体育座りをしながら、『希望』をそこに見ていました。

 時々聞こえてくる話によると
 この活動は3年前くらいから行われているそうです。
 毎月1回程度、こうやってお子さんたちと遊ぶ活動をしているそうです。

 やがて夏休みがやってきます。

 そうすると、学校がお休みですから、
 ますますお母さん方はお子さんと一緒に過ごす時間が
 長くなりがちになってきます。

 だから、それに対応して、
 『サポート=ホリデー』の活動も夏休み期間中は
 回数を増やす方向で考えているようです。

 とてもとても素晴らしいと思いました。

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 政治や行政は、条例や制度を変えたり作ることができます。
 けれども、時間がかかりすぎてしまいます。

 それに対して、こういう民間の活動、
 まちに暮らしているふつうの人たちの自発的な活動は
 スピードが早く対応できて、とても柔軟性があります。

 高校生のみんなの、あの笑顔にうたれました。

 行政の光が届かないところは
 彼女たちの笑顔が照らしていくのだと思いました。

 フジノは政治家として、こういう大切な活動を
 しっかりと見つめて
 しっかりと評価して
 しっかりとそのよさを学んで
 政治の世界へと反映させていかなければと思いました。

 『サポート=ホリデー』のみんなに、とても感謝しています。
 すごく素敵な時間を過ごさせてくれて、ありがとう。


 障がいのあるお子さんのいらっしゃるお母さんから

 「福祉をかかげているフジノさんが
  政治家になったということは
  それだけで私にとっては『希望』の光が見えたことなのよ」

 と、おっしゃってくれます。

 けれどもフジノにとっては
 政治家でも何でもないふつうの人たちのこういう活動こそが
 強く『希望』を感じさせてくれる存在なんですよ。

 お互いに手をとりあって
 もっともっと福祉をよくしていくために
 活動していかれますように。


  


2003年6月20日(金)のフジノ
● ホームレスという問題

 フジノを応援してくれる人々の多くは、有権者ではない

 3才の小さな子どもからはじまって
 たくさんの学生のみんなやフリーターをしている人たち、
 そして、ホームレスの方々がいる。


 ホームレスの人たちとは
 今でも毎日あいさつをする。

 フジノが顔を見せない日が続くと

 「最近は忙しいの?忙しいのはいいことだね」

 とか、話しかけてくれる。

 逆に、その人たちの姿が見えないと、
 フジノもすごく心配になってしまう。

 ホームレス、という存在。

 この複雑な存在について
 フジノはいつも悩みながらも現状を変えたいと考えてきました。

 けれども、今日、1つの結論に達しました。

 「市議会議員としての僕には、今は何もできない」

 そういう敗北宣言です。
 悔しいけれど、フジノ1人だけではどうにもできない。

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 本当に本当に正直に書きますけれど、
 今の法律のワクの中では
 まだホームレスの方々の対策について
 横須賀市単独で何かをする、というのは非常に難しいです。

 (そしてそれは市が努力をしていないということではありません。
  書いていいのか分からないけれども
  市役所内でも課を超えての勉強会はおこなわれているし、
  関係部門ではとてもがんばっています。

  昨年からはホームレスの人で希望者があれば
  健康診断を受けることが可能になりました。
  結核がとても流行っているので
  この検診で救われたホームレスの方もいるのです)

 横須賀市だけがイニシアチブをとって
 ホームレス対策事業に真剣に取り組んだとしたならば
 美術館を運営するのと同じくらいの費用がかかります。

 対策事業をやるならば、
 市ではなく、神奈川県がやる必要があります。
 きちんと国が全国単位でとりくむ必要があります。


 たった1つの市だけでは限界があるのです。

 公式な数字では、横須賀市内には
 約45名のホームレスの方々がいます。

 45名のために、
 横須賀市だけが数億円の費用をつかうことは
 市議としてフジノにはどうしても考えられない。

 だから、ホームレスの人たちに支えられているフジノだけど
 個人的に親しいからすごく悩んでしまうけれど

 国も去年やっと動きだしたばかりの今、
 横須賀市の事業として
 何かをする、ということをフジノは今はあきらめました。

 (まだ何か必ず対策はあるはずです。
  ただ、けれども、『今この瞬間』は万策つきたと感じるのです。
  けれども必ずこの現実は変えていけるはずです)

 けれど、政治家ではない個人としての僕は
 民間の力を借りて、どうにかできないかと考えています。

 せめて、命の危機があるホームレスの方は
 絶対に助けたい。

 ホームレスの方々のための活動をしている団体が
 確認できているだけで
 横須賀にも2つあることが分かりました。

 この2つと何とか協力して
 せめて命を救うだけでも100%叶えたい。

 昨年だけで、8人のホームレスが亡くなったそうです。
 それをどうにかして止めたいのです。

 どうかみなさん、力を貸してください。
 どうかお願いします。

 (後日談:この考え方は100%変わりました。
  すでに市議会でもフジノは
  ホームレス支援を繰り返し訴えていますし、
  神奈川県がやらなくても横須賀市がやる!という想いでいっぱいです)



● 自殺を予防するための教育と、遺族へのケア

 自殺を無くす。

 これが政治家としてのフジノの
 最も大切な1番大きな目的です。

 そのために、政治ができるあらゆることをしたい。
 そうしなければ、政治家になった意味がない。

 初めての議会が終わったので
 やっと少しずつフジノの本当にやりたいことを
 やりはじめることができるように環境が整ってきました。

 忙しさに流されていく毎日ではありますが
 極力、招待されている来賓などの行事は勘弁していただいて
 しがらみも何もなく
 次回の選挙も考えなくてよい
 フジノにしかできないやるべきことをやります。

 さて、自殺の問題です。

 (この言葉自体をフジノはつかいたくありません。
  けれども、ふつうの方々への理解しやすさを考えて
  あえてこの単語をこれからもつかいます)

 自殺の年間死亡数は、
 1998年から4年連続で3万人を超えました。

自殺による死亡者数
1998年 3万2863人 
1999年 3万3048人 
2000年 3万1957人 
2001年 3万1042人 

 交通事故死が1万人を切っている今、
 その3倍以上のすさまじい死亡数はとても問題です。

 そして、1件の自殺の影には
 平均して10件の自殺未遂があると推計されています。

 さらに、10代などの思春期にいたっては
 1件の自殺の影に、100〜200件の自殺未遂があるという
 データが出ているのです。

 これは絶対に食いとめなければいけない。
 絶対に『教育の力』で減少させることができると僕は信じています。

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 今日、市役所の2つの部門の取り組みを確認しました。

 (1) 保健所の健康づくり課
 (2) 市民部の青少年課

 (1)が20代以上、(2)が20代未満、というように分担して
 自殺予防へのいくつかの取り組みをしています。

 特に、青少年課の取り組みについては
 積極的な姿勢でとても評価できます。

 (今後、ぜひともこの取り組みを紹介していきたいと思います)

 さて、最も重要だと僕が考えている『教育』からのアプローチですが
 今日は教育委員会の方々とスケジュールの関係で
 お話ができませんでした。

 予防教育として、何らかの取り組みをしているか、
 質問状を出させてもらいました。

 週明け以降に、教育委員会とお話しできたらと考えています。

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 自殺は絶対に止めることができる。
 そして、そのための予防教育をしていかねばならない。

 フジノはそう固く信じています。

 選挙公報には載せませんでしたが
 最大の課題が『精神保健福祉の改善』だとすれば
 第2の課題は『自殺の減少、遺族のケア』です。

 これがフジノの、僕自身に対する公約です。

 4年間で絶対に結果を出します。


● 何故、ネットワーク運動の方は2期8年しかやらないのか

 『神奈川ネットワーク運動の原島さん、
  今期かぎりで辞めないで!の会』を勝手になのっている、
 会長のフジノです。

 今回も勝手に『神奈川ネットワーク運動』の宣伝をします。
 ネットワーク運動のみなさん、勝手にごめんなさい!

 何故、ネットワーク運動の議員は
 2期8年かぎりで引退して、別の人を候補者にするか?

 その理由の大きなものとして、
 『議員年金』の問題があることが分かりました。

 ほんとに不勉強で知らなかったのですが、
 議員は3期12年やると『すげえおいしい年金生活』が待ってます。

 国民年金と同時に入れるから
 ダブルでもらえます。

 議員の給与から天引きされている掛け金で足りない分は
 『市町村民税』が負担してくれます。
 要するに、税金から支払われるわけです。

 このおいしい年金をもらわないために
 ネットワーク運動の議員は8年かぎりで引退するのですね。

 ぜひこのページを読んでみてください。
 勉強になりました。そうだったのか...。

 単に『世代交代』や『職業化』を防ぐだけではなくて、
 『税金のムダづかい』を無くすためでもあったのですね。

 だから原島さんをはじめとして、
 神奈川ネットワーク運動の方々は
 たとえどんなに

 「ああ、この人は政治家でいつづけてほしい」

 と思うような人であっても
 いさぎよく引退してしまうのですね...。

 うーん、どうしたらいいんだろう。

 フジノは今のままの議員年金制度であれば
 これは税金のムダづかいだと思います。

 僕も給与から天引きされている議員年金の掛け金なんですが
 はっきり言って、払いたくないのです。

 理由はただ1つ。受けとらないから。
 受けとらないのに支払う必要は無いはずです。

 今の議員年金のしくみは
 どうかみなさんも知ってください。ばかげています。

 今すぐこんなバカげた特権的な制度は
 廃止すべきだ。

 やれやれ、なんてこった。
 問題は山積みだ。


  


2003年6月17日(火)のフジノ(その2)
● まちの大切な自然を見る

 (その1)からのつづきです。

 おじいちゃんの家のすぐそばまで
 江口さん(江口友子・平塚市議会議員)
 車でわざわざ迎えに来てくれました。

 僕はといえば
 久しぶりにおじいちゃんの肩をもんで、
 大急ぎでおばあちゃんの仏壇にお線香をあげて、
 そして江口さんの待っていてくれる場所へと走っていきました。

 僕のおじいちゃんは85才になりますが
 江口さんのことを知っていました。

 おじいちゃんのことを江口さんに話すと、
 偶然にも彼女が選挙事務所を置いたところが
 おじいちゃんの家と同じ町内だったそうです。

 なんかよけいに親近感がわきました。

 車に乗せてもらいながら、いろいろなことを話しました。

 彼女の暮らしてきたところも、
 僕のおじいちゃんの家のあたりと同じで自然が豊かで
 たとえば、うしがえるの鳴き声を知ってるのが当たり前みたいな、ね。

 もちろんお会いする前に
 メールでやりとりがあるとは言っても、ほんの数通。

 フジノも政治家という人種をとても警戒しているし、
 逆に江口さんもまだ僕のこと信じてないだろうなあ、みたいな。

 そしてその気持ちはお互いに同じなんだろうなあとか
 話をしながらも考えていました。

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 そんなフジノの警戒心がとけてきたのは
 ここから先の僕たちの行動をとおしてでした。

 フジノはもともとお酒を飲まないし、
 平塚出身だから観光も必要ないし、
 ありきたりに会って話して飲んでなんてつもりはありませんでした。

 でも、その考えは
 江口さんもまた同じだったわけです。

 夕方の18時半を過ぎて集合したフジノたちがしたことは
 飲み会とかそんなことでも何でもなくて
 ある場所への『視察』です。

 江口さんが今日まさに本会議で
 質問を投げかけた
 ある場所へ。

平塚市松風町を視察する江口議員。  案内してくれる江口さん。
 ここは、通称『おばけ道』という細い道。
 この右側の塀の向こう側に
 フジノたちが見たいものがあるのでした。

 ある企業の副社長の、邸宅。

 そこはものすごく自然が豊かで、
 開発がすすんだ平塚駅の南側の中ではオアシスのように
 めずらしい樹木や老木が存在して、
 鳥たちも暮らしてきました。

 しかし、バブルが崩壊してからの
 長い長い不況。

 ある企業は、その邸宅を売却しました。

 その広く美しい自然に満ちたオアシスは
 マンションへと姿を変えることになってしまいました。

某邸宅の中にある美しい自然。  フジノのカメラ付きケータイでは
 この自然の美しさが
 伝わるでしょうか。

 日がのびてきた夕暮れ時、
 本当にほっとする風景。

 ある日、突然に売却されたこの邸宅は
 突然にマンション建設計画の看板が立ちました。

 そして、フジノの聞いた限りでは
 まわりに住んでいる方々の十分なコンセンサスも無いままに
 あっという間に「圧倒的な勢いで建設が動き出した」のです。

 この問題の構造は
 横須賀の美術館建設とすごく似ていて
 とても他人事とは思えませんでした。

某邸宅の中にある、樹齢の高い珍しい木。  これが、ものすごくめずらしい樹です。
 フジノは忘れっぽいので
 すっかり名前を忘れてしまいました。

 けれどもここまで大きくなるのは
 本当にめずらしく
 とても価値のある樹だそうです。

 けれども、横須賀の美術館の問題と違うのは
 この問題にとりくんでいる議員が
 江口さんほぼ1人だということなのです。

 フジノは自分が平塚の議員だったら
 絶対にこの問題にとりくむのに、と思いました。

 まちに暮らしている人々から圧倒的に支持されて
 選挙では第2位で当選した、
 その江口さんが1人きりで
 この問題に向かっているという現実
に胸がつまりました。

 まちの人の想いとは、
 政治には届かないのだろうか。

 分からない。

 フジノは平塚市長の大蔵さんの政策を
 けっこう支持していて、とても注目しています。

 パチンコ店の出店を阻止するために
 (市長はそうではないと言いますけれども)
 その土地を市が買うように指示をした大蔵・新市長なのに。
 この問題にまでは手がまわらなかったのだろうか。
 一体どうしたというのだろう。

 やがて、半月ぐらいのうちに
 この邸宅にある木々は全て伐採されてしまうそうです。

 市長、本当にいいのですか?

 なんか、やりきれない気持ちで
 苦虫をつぶしたような表情で眉間にしわをよせながら僕は
 案内してくれる江口さんのうしろを無言でついていきました。


● 温かい人たちに囲まれた、温かいこころの人

 この『視察』で、江口さんへの警戒は
 半分以上なくなりました。

 何故なら、この邸宅のまわりの方々が
 とても江口さんのことを信頼しているのを見たからです。

 フジノは政治とは遠い世界から転職をしました。
 だから、自分以外の政治家をなかなか信じられません。

 どれほど優しい方であっても
 それが演技なのか
 それとも本物なのか
 分からなくなってしまうのです。

 けれども、江口さんのまわりにいる
 あたたかい人々の存在に触れて、
 少しずつフジノは
 「彼女を人として信じていいのだなあ」と思いました。

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 それから、僕たちは夕食をとりました。
 昔ながらの定食屋さんです。

 夜には一杯やれて、
 でも基本はメシがすごくおいしい、
 おやじさんとおふくろさんが2人でやっている、そんなお店です。

 ここを選んだのも江口さんでした。

 なんか、そういうのってすごく好きです。

 座敷にあがって、
 なすカレー定食(またもや名前を忘れた!)を頼みました。

 そうして、お互いの現状をぽつりぽつりと話しました。

 今日の13時頃に初めて江口さんに会った時の僕は
 飲み込まれてしまわないように
 ひたすら虚勢をはって
 強がるようなことばかりを話してました。

 だけど、この定食屋さんに来て
 そしてお話した時にはもう本音で話していました。

 彼女が政治家にならなければならなかった理由、
 フジノが政治家にならなければならなかった理由。

 彼女もフジノも、企業で残業して働いてきた
 ふつうの、ごくごくふつうの、20代です。

 それが、どうしてもやりきれない想いをもって
 自分自身が政治の世界に転職しなければならないと感じて
 そして今ここに2人はいるのでした。

 人生とはとても不思議なものです。

 彼女はまちのタウン紙をつくっていた。
 フジノは映画会社で一生ずっと映画と人生を終えると思っていた。

 2人とも半年前を思い出してみれば、
 職場で夕飯を食うヒマさえなく働いてたのですから。

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 やがて、江口さんの友達もやってきました。
 そして5人で食事をしました。

 定食屋さんのおやじさんもすごくいい人でした。
 友達もみんな、ふつうのまちに暮らしている、いい人でした。

 それは、僕の選挙を手伝ってくれた友達と
 とても似ているような気がしました。

 初めてのことばかりでとまどいながら、
 だけど江口さんのことを(あるいは僕のことを)信じてくれて
 訳の分からない選挙活動というものを手伝ってくれた仲間たち。

左下が江口議員、右端が藤野、そしてお友達です。  ああ、こういう人たちに囲まれている彼女は
 信じていいんだ、と僕は思いました。

 すごく素敵な友達に囲まれて
 優しくて温かい友達に囲まれて彼女は政治家になった。
 そんな人のことを信じられなければ、誰を信じていいのだろう。

 そう、強く思いました。

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 このみなさんとごはんを食べている時に
 フジノは個人的にものすごくショックな電話を受けてしまって
 正直なところ、どうしても立ち直れないでいました。

 その電話はあくまでも政治的なことなのですが
 フジノにとっては個人的に深い関心が無いことは扱いません。

 だから、政治的なこととはいえども
 やっぱりとてもショックな電話だったのですね。

 みんなで居る時なんだから
 明るく振るまいたい、と思いつつも
 明るくしようとすると逆になんかドドーンとへこむばかりでした。

 けれども、そんなフジノを励ましてくれたのは
 やっぱり同じ職業である、
 同じ苦しみを理解することができる、江口さんでした。

 これからもがんばっていくしかない、
 ただひたすらに努力を続けて、
 その姿を見せていくしかない、それが私たちの仕事なのだから、と。

 他の誰に言われるよりも
 こころに響きました。

 そして江口さんに負けないように
 フジノも必死になって努力をしていこうと思ったのでした。

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 こうして夜22時半くらいまで
 フジノたちはいろんなことを話しました。
 お酒なしです。

 けれどもこうやって語り合える
 想いをもって政治家という仕事へ転職をした人がいる、
 そういう事実はとても僕に希望を与えてくれました。

 どうか平塚のまちに暮らしているみなさん、
 フジノの第2の故郷である平塚に暮らしているみなさん、
 江口友子を守ってください。


 横須賀市だけでなく平塚市だけでなく
 全国どこをとってもこの国では
 まだまだ政治の世界は汚くておかしな世界だと思います。

 そんな世界の中で
 彼女の想いは、時には古い慣習の前に
 打ち砕かれてしまいそうになるかもしれません。

 たとえどれほど彼女が企業の中でもまれてタフであっても、
 どれほど温かい仲間たちに囲まれていたとしても
 それでも彼女がくじけそうになった時に
 最後に彼女を支えるのは
 まちに暮らしている人たちの想いだと思うのです。

 少なくとも、僕はそう感じています。

 僕の大好きなまちを、彼女なら守ってくれるはずです。
 だから、どうか平塚のみなさんは、
 その江口さんを守ってください。

 人として信じられる、
 その人の職業がたまたま政治家であった。

 それが江口友子という人です。

 出会えてよかった。


江口議員とフジノ。



2003年6月17日(火)のフジノ(その1)
● 僕は『若手』が嫌いだ

 いわゆる『若手はイイ!』という考え方が、僕は苦手です。

 何故ならば、年が若い人にだって
 ろくでもないヤツはうようよしているからです。

 サラリーマンの頃だって、そうでした。
 会社をもっと良くしていきたい、変えていきたい、と語っても
 「おまえはまじめだよな」と軽く流してしまう同期はいませんでしたか?
 会社のサークル活動にどっぷりつかっていて
 会社に定年まで居つづけることだけが目的のような
 そんな若手がいませんでしたか?

 だから、年が若いだけでは人を信用したくありません。

 若くても物事の変化を嫌う、
 たとえ現状がひどくたってこのままがいいという若い人がいる。
 そんな現実を僕はずうっと見てきたからです。

 逆に、年が40代であろうと燃えている人はいました。
 60代であっても70代であっても
 現状を少しでも良くしようと燃えている人を
 僕はこれまでたくさん見てきました。

 ちなみに僕のおじいちゃんは85才ですが
 ものすごくプラクティカルな考え方をするカッコいい人です。

 だから年なんてカンケーないのです。
 年が若いとか若くないとか
 それは『人としての評価』とは無関係なのです。

 もちろん世の中には
 「これからは若い人にがんばってほしい」という意見が
 大半をしめていることもよおく分かっています。

 僕だって、もっと市議会に若い人がいてほしいです。

 けれども、若いというだけではダメなんです。
 同時に『想い』が無ければダメなんです。

 だから僕は、同世代の議員の集まりには参加したくありません。
 『全国若手議員の会』みたいなものがあるのですけれど、
 そういう集まりには行きたくありません。

 何故なら、どんな想いを持つかも分からない、
 ただ年齢が近いだけの人たちが集まることに何の意味があるのか
 冷静に考えても僕にはメリットがほとんど無いからです。

 想いを持つ人であれば、年齢なんてカンケーない。
 まちの暮らしをもっと良くしていきたい、
 福祉をもっと良くしていきたい、
 その想いを持つ人とこそ
 1度しかない限られた人生の時間を
 僕はつかいたいのです。

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 先日、僕と同じ学校だったという人が寄ってきて
 こう言いました。

 「僕の会社の先輩が、Aという市の議員になったんですよ。
  30代の若手なんですけど
  フジノさん、連絡とってあげてください」

 断りました。

 僕はその人のことを知らない。
 何故その人が政治家になったのかも全く知らない。

 僕から連絡をとる理由が全くありません。

 こういうのって、多いんです。
 全て断っています。

 市を超えた若手ネットワークが大切だという人もいますが
 そうしたい人はぜひそうしてください。

 けれども僕はそういう人為的なネットワークは欲しくないのです。
 必然性のあるネットワークは必然的にできるからです。

 だから、こちらから
 「若手のネットワークをつくろう!」なんて呼びかけは
 僕にはやりたくないことですし、
 僕の限られた4年間の仕事ではない、
 と考えています。


● 1通のメール、『若手』からの

 そんな僕のところに、
 あるまちの
 『若手』議員からメールが届きました。

 メールをもらった時、不信感でいっぱいで
 「また『若手』からのメールかよ...」と僕は思いました。

 けれども、たまたまその議員のことを
 雄人(吉田雄人議員)に話したら、知っていたのですね。
 そして、その人のことを
 雄人は良い評価を持っていました。

 それで、珍しく僕は
 その『若手』議員に興味を持ちました。

 フジノは雄人のことを信頼しているので
 雄人が評価している人ならば、
 その人は良い人なのかもしれない、と思いなおしました。

 その人のHPも読んでみました。
 数日間、考えてみました。

 こうやって、いろいろ考えた末に
 その方に返事を書くことにしました。
 「1度、お会いしませんか」と書きました。

 政治業界に転職して2ヶ月、
 中に入って
 知れば知るほど政治の世界は汚くて
 なかなか他人を信じられなくなってしまいました。

 そんな激しく不信感を持っている僕にとって、
 自分から他の政治家に「会いましょう」なんて返事を書くということは
 ものすごくものすごく珍しいことでした。


● 平塚市議会議員、江口友子さん

 そして今日、お会いしてきたのです。

 平塚市の市議会議員、
 江口友子さん。
 27才。

 今回の選挙で
 第2位で当選した方です。


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 平塚の6月市議会はまだ終わっていなくて
 17日に江口さんが本会議で質問することになっていました。
 そこで、平塚市議会を傍聴して
 終了後に江口さんとお会いする約束をしたのです。

 他のまちの議会を見るのは初めてでした。

 13時に本会議がスタートして、
 江口さんは5番目(最後)でした。

 やがて彼女の質問の番になりました。
 2階の傍聴席に僕は座っていたのですが
 もう思い切り身をのりださないと彼女の姿が見えませんでした。

 市長とのやりとりは、あっという間に終わりました。

 というのも、平塚市議会では
 『質問をする時間』が決められているからなのです。

 江口さんは、わずか10分しか
 持ち時間がありませんでした。

 なんか変な信号みたいなのが壇上にあって
 時間が経つごとに、緑→黄色→赤、ってなっていくのです。

 だから、その時間の中で
 想いを伝えるというのは難しそうだなあ、と思いました。

 JR横須賀駅から平塚駅まで行って、
 それからタクシーで平塚市議会まで到着するのに
 僕は2時間かかってしまいました。

 でも、議会は1時間ちょっとで終了。

 雨の中、往復4時間かけて出かけたのに...。
 別に長ければいいわけでもないんだけど
 少しさみしかったなあ。

 そんなわけで、初めて見た江口さんは
 あっという間に議会のドアからいなくなってしまいました。


● 平塚市長、登場

 初めていった平塚市議会だから
 建物のどこに何があるのか全く分かりません。

 いちおう僕もスーツに議員バッジをつけてるけど
 横須賀とは何もかも違うから
 もうしかたないから
 建物の中をがんがん勝手に歩き回りました。

 何人もすれ違うのですが
 本会議が終わったばかりですからみんな忙しそうにしてて
 江口さんの控え室の場所を尋ねたくても
 なかなか誰にも聞けません。

 思い切って通りがかった人に声をかけたら
 神奈川ネットワーク運動ひらつかの方でした。

 なんかネットワーク運動の人って
 どこの人でもみんな優しいんだなあ、と感謝。
 江口さんの控え室を教えてもらいました。

 でも、控え室のドアをノックして中をのぞくと
 江口さんはたくさんの人に囲まれていました。

 そうだよな、初の本会議だもん。
 しかもたった今、質問を終えた後だもんな。
 きっと新聞記者とかだろうなあ。

 控え室の前で、待つことにしました。

 10分待っても、記者は出てきません。うーん。
 その間にはたくさんの人が通り過ぎては
 僕のことをジロジロと見ていくし、正直すごくまいりました。

 と思ってたら、なんか見たことのある
 おばさんがこっちに向かって歩いてきました。

 なんだよ、大蔵さん(平塚市長)じゃんか!

 助役が決まったので
 全ての会派の控え室にあいさつにまわってたのです。

 大蔵さんにあいさつをして、
 でもやっぱり手持ちぶさたでぼおっと市長を見てたら、
 江口さんの控え室にあいさつに行ったの!

 そうしたら、新聞記者は遠慮して出てきた!

 ...助かった。市長、ありがとう。
 あなたが来なかったらまだインタビュー続いてたよ。

 もうこのチャンスを逃すものかと思って
 大蔵さんが江口さんの控え室を出てきたのと同時に
 今度は僕が江口さんの控え室に入ったのでした。


● 第2の故郷、僕の大好きな平塚

 江口さんと「はじめまして」とかあいさつをしつつ、
 なんかあんまり初対面な感じがしなかったせいもあって
 すっかり控え室にくつろいでしまいました。

 おまけに、江口さんの後援会の方や
 平塚の市民活動をされている方から
 たくさんお話を聞かせてもらいました。

 というのも、僕は平塚は第2の故郷みたいな存在なのです。

 僕のおじいちゃんが暮らしているまちなのです。
 だから、小さい頃から毎年何回も平塚には通っているし
 夏休みにずっと平塚に住んでたこともあるし
 自転車で走り回って遊びにいってるし
 土地カンもふつうにあるんです。

 昔ながらの川が流れていて、田んぼがひろがっていて、
 土手のわきを犬をつれて散歩していると
 うしがえるが車にひかれてぶっつぶれていたり。

 プールにも出かけたし、大山にも登ったし、
 ダイクマにもよく買い物に行ったなあ。

 サッカーも観にいったし、2軍の試合も野球場に観にいったし、
 運動公園のわけわかんない日本庭園にも行ったなあ。

 タイヤ公園で野ぐそして葉っぱで拭いたのも
 今ではいい思い出だし、休みのたびに平塚に居たよなあ。

 フナ釣りもしたし、昔は牧場があって牛がたくさんいたし、
 大雪が降った日に大縄橋のバス停で
 ほんとにバスが来てくれるのかずっと待ってたりもした。

 お正月なのに中耳炎で熱がひどく出て、
 つらい思いもしたなあ。
 そういえばおじいちゃんが共済病院に入院した時には
 毎週、横須賀から平塚まで通ったんだよなあ。

 だから平塚で起こってることって
 どうしても他人事とは思えないのですね。

 平塚も、美しい自然が残っているところを
 開発して企業を誘致しようとしていたり、
 いろいろな企業の跡地の利用方法をめぐって
 新聞でもよく話題としてとりあげられていたりするんです。

 特に、ある問題については
 どうしても気になりました。

 江口さんとあいさつを交わした後も
 やっぱりお客さんは途切れることが無いので(そりゃそうだ)、
 いったんお別れをして、夕方に再会することにしました。

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 平塚は、この20年のあいだに
 ものすごく姿を変えました。

 もう牧場はありません。大きな道路ができました。
 昔はお正月の3が日はあいてるお店なんて全然無かったのに
 今は逆にしまっているお店の方が少ないかも。

 おじいちゃんの家にそのまま行こうと思ったけど
 駅まで歩いて戻ったところで気が変わって
 江口さんが議会でとりあげたところを見ていくことにしました。

 駅の商店街の空洞化。
 新町のプラスチック工場の跡地。

 今年の七夕祭りはどれくらい飾りが出るのかなあ。
 そんなことを思いながら、ぶらぶらとまちを見て回りました。

 はっと気づくと、おじいちゃんの家には
 もうほとんど居られない時間になっていました。

 大急ぎでタクシーを飛ばして、おじいちゃんの家に。
 3月に法事で来て以来なのに、けっきょく30分しか会えませんでした。
 おじいちゃん、ごめんね。また来るからね。

 おじいちゃんちのそばのお店の人たちも
 幼い頃から買い物に行ってるから顔なじみになってて
 通りがかった僕のことを
 「当選おめでとう!」と声をかけてくれました。
 ありがとね。また来るからね。


つづきます


2003年6月18日(水)のフジノ
● いやがらせ、おつかれさま

 今日もわざわざフジノ宅に電話をかけてきて
 無意味ないやがらせをありがとうございました。

 読者のみなさんも、いやがらせの電話の内容を聞きたいですか?

 ご希望があれば録音してありますので
 このHP上でみなさんも聞けるようにできます。

 政治家になると
 こういう人間のくずから電話がかかってくるという
 おもしろい現実を知ることができます。

 名前も名乗らず、罵詈雑言をわめいて、
 そして一方的に切っていく人々。

 人として、大人としての恥を知れ。

 だいたい、そんな電話で
 フジノがビビッて意見を変えるとでも思ってるのかね(笑)。
 電話代のムダだって早く気づきなよ。


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