まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2003年10月12日(日)のフジノ
● 連休で久しぶりに笑うことができました

 今月からは、あらかじめ休日を決めることにしました。
 そうでもしないと、体調を崩さない限り休まなくなってしまって
 結果的に効果的な仕事が
 できなくなってしまいそうだから。

 そんな状況に加えて、ずっと連休が取れていなかったので
 この2日間は休みを取ることに決めました。

 数冊の本と英会話のCDを持って、
 このまちを離れました。

 新聞も見ないようにしました。

 けっきょくテレビのニュースで
 衆議院の解散について少しだけ観てしまったのですが
 基本的にはあらゆる情報から離れて過ごした2日間でした。

 そっちょくな感想としては
 「久しぶりに笑うことができたなあ」というのが本心です。

 相手のことを思いやって笑うとか
 話を聞いていることを伝えるための表情として笑うとか
 嫌悪感を持っていないことをアピールするために笑うだとか
 そういう微笑には少し疲れました。

 久しぶりにふつうに笑うことができました。
 風邪もそのおかげで少しましになりました。

 半年に1回くらいは、
 こういうふうに過ごしたいと思います。

 また明日から、ガンガン努力していきます。



2003年10月9日(木)のフジノ
● 誰にも知られていない頃から僕を支えてくれた人

 今日いただいたメールの中に
 とてもショックなものがありました。

 ずうっと僕の活動を支えてくださったAさんからで、
 「引越しが決まりました」というものだったのです。

 Aさんとの出会いは、まだ今年の3月くらい。
 僕が立候補を決めた少し後くらいだったと思います。

 だから出会ってから
 まだ半年も経っていないのですね。

 けれども、ずっと前からの長いつきあいをしているような
 そんな気持ちがしている方なのです。

 その方と、幼稚園に入ったばかりのお子さんと2人で
 一緒によくYデッキに来てくれて
 僕がメガフォンで話しているのを聞いてくれたり
 何度もちらしを配ってくださいました。

 お会いした時から
 だんなさまのお仕事のつごうで
 近いうちに転勤をしてしまうというのは聞いていました。

 けれども、こんなにも早いとは...。

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 このまちで生まれ育った僕は
 『地元のつながり』で当選したように言われることがあります。

 生まれた地域があるから、育った学校があるから。
 だから昔からの知りあいがたくさんいる。
 だからフジノは当選したんだ。
 そんな言われ方をすることがあります。

 けれども、僕はそれを全く信じていません。

 4位で当選した今になって
 いろんな人が
 いろんな風に僕のことを持ちあげますけれど
 僕はそういう持ちあげる人々の言葉を全く信じていません。

 寒くてたまらなかった2月に立候補を決心して
 1人きりでYデッキに立って話しつづける僕の言葉に
 足を止めてくれる人はいませんでした。

 「勝てば官軍」という言い方がありますが
 当選してからは
 僕に声をかけてくる人や
 近づいてくる人はものすごく増えました。

 けれども、当選する『前』の僕の言葉に
 耳を傾けてくれる人は、ほとんどいませんでした。

 髪の毛の色や若さから
 むしろ偏見に満ちたまなざしで見られることの方が多かった
です。

 僕は絶対にそれを忘れません。

 そういう偏見にとらわれずに
 フジノの言葉に純粋に耳を傾けてくれたのは
 障がいのあるお子さんと暮らしているお母さん方や
 このまちの生まれでも無いし
 このまちに暮らしてから1年も経っていない
 Aさんだったことを僕はハッキリと覚えています。

 「フジノくんに投票したくても
  このまちの選挙権も無いのよね」

 と笑いながら
 安針台や逸見の広い地域にちらしを配ってくださったAさん。

 純粋に、僕の想いに共感してくれて
 そしてお手伝いをしてくださったのです。

 最初の、本当に本当の最初の頃から僕を支えてくれた人は
 決して家族でも同級生でも無く、Aさんのような方だけでした。

 毎朝の駅前での演説をすごく手伝ってくれた先輩も
 横須賀の出身ではありません。

 1人きりで立っている僕を支えてくれたのは
 このまちに生まれ育った人では無い、と僕は自覚しています。

 それが今になって
 生粋の横須賀うまれの29才が頑張っている
 フジノとは昔からの知りあいだ、
 というような言われ方をすると、僕は腹が立ってきます。

 卒業した学校が同じでも、僕はあなたのことを知らない。
 同じ時を過ごしてもいない、一緒に汗をかいたこともない、
 そんな知らない人に知りあいだとか言われたくない。

 そうではなくて、名前も何も知られていない僕を支えてくれたのは
 僕を助けても1円の得にもならない、
 しがらみも地縁も全くカンケーのない、
 Aさんのような方々でした。

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 脱線してしまいましたが
 話を戻すと、Aさんが引っ越してしまうことがとてもショックです。

 当選してからも
 全く以前と変わらずに接してくださるAさん。

 そもそも彼女との出会いは、
 僕が臨床心理学系の出身ということで
 妊娠前後の女性のメンタルヘルスの重要性について
 教えていただいたことがきっかけでした。

 妊娠は病気では無いために
 周囲は喜びの反応だけで迎えます。
 けれども、かつてとは社会事情が全く異なる現在では
 たった1人きりで妊娠・出産・子育てをこなしていかねばならない
 女性の精神的な負担や不安についてを
 もっと守ってあげられる環境でなければならない。

 そんなことをAさんから教えてもらいました。 

 また、子どもを持たない主義の僕に対して
 実際に子育てをしている経験から
 その苦労や喜びや
 このまちの子育て関係の施設など
 いろいろ教えていただきました。

 例えば、このコーナーで3月24日に記した
 『愛らんどよこすか』もAさんに教えていただいて行きました。

 本当に勉強熱心で
 すごく活動的な方でした。

 僕を応援をしてくれた方を失う、ということよりも
 このまちにとって一生懸命な方を失う、ということがつらいです。

 転勤が多いことから他のまちをとても良く知っていて
 たまたま暮らすことになっただけのまちなのに
 このまちのためにすごく活発に動いてくれたのがAさんです。

 そういう方を失ってしまうということが
 このまちにとって、ものすごく残念なことに感じます。

 外側の視点を持っている。
 このまちではないまちを知っている。
 けれども、このまちのことを愛してくれている。

 そして何よりも『実際に行動できる人』であるということ。

 それがAさんでした。

 本当に残念です。
 メールを読んだばかりの勢いもありますが
 僕の率直な気持ちを書きました。

 きっとAさんは、次のまちでも
 彼女の行動力によって
 新しく暮らしていくまちを愛して、行動していくのだろうなあ。

 Aさん、本当にありがとうございました。

 これからも初心を忘れないで
 Aさんに応援していただいた頃のままであるように
 努力してがんばります。


● 県立武山養護学校

 月曜日に計画していた武山養護学校の見学を
 やっと今日になって果たすことができました。

 風邪でせきがひどくて
 別にフジノ自身は平気なのですけれども
 子どもたちにうつしてしまうわけにはいかないので
 延期していました。

 この近くにある中学校に通っていた僕は
 13年前に生徒会長として生徒会のメンバーと一緒に
 武山養護学校の文化祭に交流行事として行ったのを覚えています。

 その時の印象がとても強くて
 正直なところ、今日の見学はクリアに物事を見れませんでした。

 記憶になんか引きずられずに
 現状を見れなければいけないのですけれど
 昔と比べてしまって
 (屋内プールができたんだ、すごい!とか
  前はまわりに何も建物なんかなくて孤立してたよなあ、とか)
 情けないのですがフジノは
 現状だけをそのままに見ることが
 できなくなっています。

 武山養護学校に通っている方や
 卒業生の方や、ご家族の方、
 もしよろしければ、ご意見をいただけないでしょうか。
 どうかよろしくお願いします。

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 昔話なのですが、中学時代の僕の生徒会のメンバーというのは
 会長である僕自身が面接をして 
 1人ずつ選んだ仲間なので
 かなり意識が高い人たちばかりでした。

 まじめ、ということではありません。

 不良といわれていた人もいたし
 むしろ勉強ができる人や先生の言いなりになる人は避けて、
 人間性だけで僕はメンバーを選びました。

 他者への視線や思いやりも強い仲間たちで
 あれから13年経った今、
 福祉・医療・保育の現場で働いている人が多いことも
 それを証明していると僕は信じています。

 そんなメンバーだったのですが
 武山養護学校に行った時に、こんなことがありました。

 校内をまわったり、
 体育館であいさつをしたりして、その帰りのことです。

 メンバーの1人が、笑いながら
 僕に、こう言いました。

 「フジノ先輩、おもしろいから
  粘土食べてるコがいたんですよ!」

 これを聞いた時に僕は思いました。

 ああ、このメンバーでさえも、
 こういう反応が出るのか。

 なんて難しいのだろう...。

 そう感じました。

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 現在の僕は、
 そういう風に感じることも(粘土食べてる、おもしろいと笑うこと)
 率直な気持ちとして受け容れていかなければ
 差別や偏見への根本的な解消は
 生まれていかない、と信じています。

 けれども13年前の僕は、

 「僕のメンバーでさえもこんな風に言うのだから
  もっともっと気をひきしめなければ」と感じたことを覚えています。

 それがものすごく長く気持ちに残っていて
 だからこそ、
 日常的に交流していくことの必要性を強く感じています。

 小学校や中学校時代の
 1年間に1日だけ交流で福祉施設を訪問しました、みたいな
 ある日だけ特別にそこを訪れるということだけでは
 足りないと僕は思います。

 ふだんから、当たり前のように一緒にいる。

 僕はそこをめざしたいと考えています。

 考えている、というよりも
 体験から来ている『願い』かもしれません。

 武山養護学校を見学しながら
 そんな想いがぐるぐると頭の中をかけめぐっていました。

 遠足ということもあって生徒さんも少なかったし、
 今度はもっとふつうの日に
 あらためて訪れたいと思いました。

 くりかえしになりますが、
 武山養護学校に通っている方や
 卒業生の方や、ご家族の方、
 もしよろしければ、ご意見をいただけないでしょうか。
 どうかよろしくお願いします。

県立武山養護学校



2003年10月8日(水)のフジノ
● フジノ=福祉至上主義者?

 今日は東京へ行く用事があったので、
 前の会社時代の先輩方とお昼ごはんを食べました。

 丸5年間のサラリーマン暮らしの中で
 2年間は映画興行部、
 3年間は財務部、に僕はいました。

 財務部時代は
 1年半は資金課という部門で
 会社の資金関係の仕事で銀行相手でした。

 次の1年半は財務課という部門に異動して
 証券会社が取引先でした。

 昨日のこのコーナーに書いた上の世代との交流の場で
 『フジノ=福祉至上主義に見える』と言われたのですが
 僕自身はその評価に違和感を覚えています。

 市という地方公共団体の財政には
 まだまだ疎い僕ではありますが
 財政政策を無視して福祉を重視しろ
 と言ったことは全くありません。
むしろ、その逆です。

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 会社時代の先輩との食事をしながら
 この先輩とは
 昼メシに行っても
 いつも仕事の話をしたよなあと思いました。

 そこで話すことというのは
 僕は財務部でしたから、
 金融商品のことや市場のことです。

 だから、政治家になる前から
 そもそも福祉なら何でも手厚くしろなんて言ったことは1度もないし
 むしろ生活保護の受給は完全に見直した方がいいとか
 年金制度が破綻してしまう前に
 上の世代の給付を少しずつカットしながら
 20年くらいかけて個人口座制にした方がいいとか
 ふつうに主張しています。

 今は外資系に勤めている友達と
 大学時代からずっと主張していることはこんなことです。

 「企業の源泉徴収を完全に廃止して、
  受けているサービスと払っている税金のカンケーを
  誰もが自覚するべきだ」

 そうすれば、福祉への過大な期待も無くなります。

 僕はそういう風に考えて生きてきました。

 今日も、先輩と会ってまず話したことも
 日本振興銀行の今後がどうなるだろうかという話でした。

 この話題は先輩から話しかけられたのですが
 ちょうど僕が今読んでいる本
 まさにその日本振興銀行の設立までの経緯を書いたものでした。

 中小企業への支援こそ
 この国が今成すべきことだという意識が僕には強くあります。
 それは福祉への意識と同じレベルです。

 ただ、福祉について語る人が少なすぎるから、
 だから僕が突出して見えるだけです。

 すごく健全でない状況だと思います。
 もっとたくさんの人が福祉について語るべきです。

 いずれにしても、僕が福祉至上主義者に見えるならば
 それはまだまだ福祉が当たり前のこととして
 受けとめられていないことの証明だと思います。

 フジノは福祉至上主義者ではありません。

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 ともかく、現役で企業財務をしている先輩と
 同じ関心をまだ持てていることにホッとしました。

 しかし、とにかく会社員時代のように
 地方公共団体の財政についても
 もっともっと勉強してふつうに語れるようになりたいと感じます。

 会社時代は
 経済の知識が本当に素晴らしい上司がいて
 (彼は至上最年少で部長になり、今では重役になってしまいました)
 彼との会話についていけないのが恥ずかしくて
 必死で勉強をしたものでした。

 今の自分は、
 上司がいるわけでもなく
 まちの財政について激論をできる仲間もいません。

 毎週自分で分野を決めて勉強しているのですが
 会社員時代のように昼メシ食いながらも仕事の話をする相手が
 今の自分にはいないので、
 モチベーションを維持するのが時々難しくなります。

 市役所の方々も本当にたくさんの方々が
 このHPを読んでいらっしゃるので
 どうか僕に議論を吹っかけてください。

 よろしくお願いします。

 ちなみに今のフジノは
 行政コスト計算書について勉強をしています。

 それから、僕はバリバリのバランスシート派&時価会計主義者で
 不動産についても減損会計をすすめるべきだと考えています。

 地方公共団体に
 バランスシートを導入するのに本当に意味があるのか、とか
 ぜひご意見を聞かせてください。

 楽しみにお待ちしてます。



2003年10月7日(火)のフジノ
● 僕は『若い世代』ではありません

 かねてから感じ続けていることなのですが
 今日改めてその想いを強くしたことがあるので書きますね。

 今日、僕よりもだいぶ上の世代の方々と
 交流する機会がありました。

 そんな上の世代からは
 僕は若手だと思われているようですが
 違います。

 僕は来年に30才になりますし、
 転職していなければ、すでに『係長年次』です。

 僕は昭和の生まれですし、
 完全な合理性よりも人の情けに動かされることが多いです。

 若手というよりも、
 かつての古い世代の一部だと自覚しています。

 何故こういうことを書くのかというと
 僕のことを『新しい世代だから』というふうに
 敬遠するというか、不安を感じている世代がいるからです。

 僕たちのことを心配に感じている世代は
 どうか考え方を変えた方がよろしいのではないか、と思います。

 僕もすでに古い世代です。

 もっと新しい世代は
 価値観が僕たちとも決定的に違います。

 もっと合理的です。
 もっと情に流されません。

 飲み会の場で物事を決めたりするのは
 僕たちの世代で終わりましたが
 僕たちの下の世代は行きたくない飲み会自体に
 最初から参加なんかしません。

 僕はまだアメリカに留学したり
 アメリカへの憧れを錯覚していた時期がありますが
 僕たちの下の世代には
 そんな感覚は最初からありません。

 転職前の会社にいた時の実感ですが
 今の23才くらいから下のコたちとは価値観が決定的に違います。

 インターネットやパソコンが
 すでにあるものとして育ってきた世代が
 さらにその下の世代には待ち構えています。

 構造改革や時代の変化というものを
 僕を透して見ている方々は
 その認識を変えた方が本当に良いと思います。

 僕程度で『不安』に感じていたら
 この下の世代が社会で活躍していくことを
 数年後のあなたたちは『恐怖』に感じてしまうことでしょう。
 どうか、今から覚悟をされていた方がよろしいかと思います。

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 独立して開業をしている友達に話を聞いて、
 改めてこの想いを強くしました。

 「下の世代を育てようという気持ちなんか無い。
  自分の知識や技術は劣っていくだけ。
  けれども新しい世代は
  おれたちが苦労して手に入れた知識が
  当たり前のものとしてすでにある。
  ふつうにしていたら最初から負けてしまう」

 そう言っていました。

 下の世代を叩き潰そうとは思いませんが、
 彼の実感は僕にもあります。

 茶髪だとかそういうことにショックを受けていたり
 僕の存在や言うことに対して
 新しさや時代の流れを感じている方々が多いはずです。

 けれども、もう本当に時代は動いています。

 僕は僕のことをすでに『古い世代』だと自覚しています。

 僕にショックを感じている方々、
 次の波がすぐに来ることを覚えていてください。

 もう僕なんかをすぐに「ちょろかった」と思うくらいに
 次の世代の波は激しく、断絶していて、
 共感できる根っこを持っていませんから。

 これは生意気な気持ちとかではなく、
 むしろ老婆心から、上の世代の方々に伝えたいと思いました。

 僕はむしろもう古い世代です。
 本当の次の世代を覚悟した方が良いと思います。




2003年10月6日(月)のフジノ
● 成年後見制度をもっと知ってもらえたら

 今日は『社会福祉協議会』にお邪魔しました。
 成年後見制度への取り組みについて、お話をうかがうためです。

 30分くらいの予定だったのを
 1時間半にわたってじっくりと聞かせていただきました。
 ものすごく勉強になり、とても感謝しています。
 ありがとうございました。

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 『成年後見制度』というのは
 名前は分かりにくいですけれども、とても大切なしくみです。

 こちらを見てもらうと
 かなり分かりやすく説明されています。
 ぜひご覧下さいね。

 (1)いろいろな原因で
 (2)物事を判断する能力が不十分な状態であるために
 (3)財産が侵害されてしまったり
 (4)人としての尊厳が損なわれてしまったり
 (5)しないように
 (6)法律面や
 (7)生活面で
 (8)支えていくしくみ

 ということですね。

 例えば、次のような場面を
 想像してみてください。


 あなたは1人暮らし。
 とても内気で、しばしば混乱しやすい性格だとします。

 ある日、あなたのアパートで玄関のブザーが鳴りました。

 玄関のドアを開けた瞬間、
 あなたは後悔しました。

 ものすごくこわもての男性が立っていたのです。

 「このふとんを買って下さい」

 低くてドスのきいた声で、
 その男(セールスマン)はあなたにそう言います。

 あなたのことをしっかりとにらみながら、
 脅しているように話します。
 しかも、ふとん1枚で40万円だというのです。

 セールスマンは玄関にあがりこむと
 どっかりと座ってしまいました。

 あなたはすっかり恐ろしくなってしまって
 ふとんなんかぜんぜん欲しくないのですが
 きっぱりと断ることができません。

 「いま、お金ないんです...」

 やっとのことで言い返したあなたですが、
 セールスマンはさらにしつこく言い寄ってきます。

 「カネはあとでもいい。
  とにかくこの契約書にハンコを押してくれるまでは
  絶対に帰らないからな」

 あなたは恐ろしくて恐ろしくて
 すっかり混乱してしまって
 引き出しからハンコを持ってきてセールスマンに渡しました。

 「ありがとよ」

 セールスマンはそう言い残すと
 帰っていきました。

 あなたはホッとして
 思わずその場に座り込んでしまいました。
 全身が冷や汗でびっしょりになっていました。

 そんなあなたのもとへ
 数日後、ふとんと40万円の請求書が届きました。

 こんな大金、払えない。

 あなたはすっかり途方に暮れてしまいました。
 一体、どうしたらいいんだろう...。

 そんなあなたのところに
 信頼している友達が訪ねてきました。

 友達に、これまでのことを聞いてもらいました。

 「大丈夫、その契約は無効だよ。
  私が断ってあげるから」

 友達は電話をかけて
 相手と話をはじめました。

 やがて話を終えると、にっこり笑って言いました。

 「もう平気だよ」

 良かった。

 あなたはひと安心。
 どうなることかとすっかり混乱してしまいましたが
 友達のおかげで、無事に解決しました。




 想像していただけましたか?

 あえてイメージしやすくするならば、
 こんな状況から
 あなたを守ってくれるのが『成年後見制度』です。

 クーリングオフに似てますよね。
 まずはそんなふうにイメージしてもらえればいいかな、と思います。

 こういう状況から、あなたを守るしくみ。

 むりやりさせられた契約をやめにしたり、
 もともとそんな契約をしないように
 『守ってくれる人』がついてくれるしくみ。

 それが『成年後見制度』だ、と
 あえて僕は説明したいと思います。

 別に特別な制度じゃないでしょう?
 とても身近な、大切なしくみだと思います。

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 『成年後見制度』というのは
 高齢者をはじめ
 知的障がいや精神障がいを持つ人々を守るしくみとして
 しばしば紹介されています。

 確かに『高齢者や知的障がいを持つ方々』を
 守るしくみなのですが
 とても当たり前で大切なしくみだと僕は考えています。

 誰でもそうですけれど
 体調が悪かったり気持ちが混乱している時には
 なかなかうまく物事を判断できないものだ、と僕は思います。

 そういう時に、
 ものすごく重要な判断をしなければならなかったりすると
 うまくいかないことも多いと思います。

 あるいは、むりやり何かを頼まれたり
 おしつけられたりしても
 断れないこともあると思います。

 『精神障がい』を持つ、というと
 特別な人のように感じてしまう方もいるでしょうけれど、
 そんな特別な状態でも無いんです。

 誤解を恐れずに
 あえてイメージしやすくしてもらうならば
 上で想像してもらったあなたのような状況が
 いつも続いてしまっているような感じとも言えます。

 あるいはその状況が
 アルツハイマーから来ているかもしれない。
 知的障がいや精神障がいによるものかもしれない。

 そういう状況のところに
 セールストークのうまい人間がつけこんできたり
 強引におしつけようとしてきたりする人々がいます。

 あなたは断りきれない。
 そして、すごく損をさせられてしまう。

 そんな状況からあなたを守ってくれる人を
 法律によって選ぶ、それが成年後見制度なんですね。

 とても大切な制度だと思いませんか?


● まだまだこのまちでは知られていない

 これを読んでいる福祉や法律の専門家からは
 「そんな例えは間違ってる!」と怒られるかもしれません。

 けれども、多少の誤解は恐れずに
 まずはたくさんの人にイメージをしてもらえたら、と
 僕は願っています。

 上に書いた例のような
 悪質なモノの売りつけなどに限らず、
 『成年後見制度』はあらゆる契約に対して有効です。

 あらゆる契約、というのは何でしょうか。

 この世の中のほとんど全てが
 契約によって成り立っています。

 何かを買う。何かを売る。
 貯金をおろす。
 高齢になって介護サービスをうける。

 実はこういうもの
 すべてが『契約』なんですね。

 その契約をとりかわす時に
 信頼できる誰かにチェックしてもらえる、というのが
 『成年後見制度』のしくみです。

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 『成年後見制度』を
 できるだけたくさんの人に知ってもらいたい、
 できるだけたくさんの人に使ってもらいたい、
 そう僕は願っています。

 もしかしたら、あなたのお子さんは
 いわゆる知的障がいを持っているかもしれません。

 子どものことを想って
 一生懸命働いて、わずかではありますが
 自分が老いて亡くなった後も子どもが無事に暮らせるようにと
 お金を貯めていきました。

 いろいろな福祉サービスがあって
 地域の中であなたのお子さんは暮らしています。

 けれども、子どもを残して自分が先に死んでしまうことが
 あなたは気がかりでならない。

 そんなふうに話す方々に
 僕は出会ってきました。

 「この子を残して...」という言葉ほど
 切実に胸につきささる言葉はありません。

 だからこそ、この制度を知ってもらえたら、と思うのです。

 成年後見制度はまだまだ完全でも何でもない。
 けれども、現状ではこれが
 『最もマシな制度』だと言えると僕は思います。

 このまちでは、
 平成14年度で7件しか申請がありませんでした。

 けれども、僕の実感から来る感想は
 もっともっとたくさんの件数があるはずなのです。

 それは、このしくみが知られてないから、という気持ちがします。

 講演会をひらいたりして
 このまちのたくさんの人に
 成年後見制度を知ってもらえるようにしていきたいです。


● 人として、生まれて、暮らして、亡くなっていくまで

 このコーナーでは
 その日の僕の動きを書き連ねているので
 『最終的にどんなことをめざしているのか』ということは
 伝わりにくいと思っています。

 政策コーナーも、忙しさにかまけて
 中途半端に書かれたままになっています。

 けれども、僕の中には
 「こういうふうにしていきたい」
 「こうなればもっと暮らしやすくなるのに」というイメージが
 わりとハッキリと見えているんですね。

 これらを今年いっぱいくらいかけて
 ホームページにも載せていけたらと考えています。

 日々の忙しさに追われていますが
 そういう全体像を見てもらえるように努力します。

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 例えば、僕の最大の目的である
 『精神障がいを持つ人々の現状の改善』についてであれば、
 下のように挙げることができます。

 (1)偏見や差別の解消
 (2)予防
 (3)早期発見
 (4)早期治療
 (5)リハビリテーション
 (6)地域での生活
 (7)最期まで安心して暮らせるまち

 それぞれに対して
 政治家としてこれまでの5ヶ月間
 わずか2回の議会でしたけれども、
 こんなふうに質問や提案をして取り組んできました。

 (1)について
 →『障害』という表記をやめて『障がい』としたい。

 (2)について
 →健康手帳に『こころの健康』について載せてもらう。

 (3)について
 →24時間体制での『電話相談』をつくりたい。

 (6)について
 →退院できるにもかかわらず入院しつづけている
  『社会的入院』がどれくらい居るか、の確認。

 さらに今日書いたとおりですが
 (7)について
 →『成年後見制度』を広く知ってもらうことが重要だと考えています。

 これから残りの3年半で、
 全ての項目について
 具体的な提案とその成果を得ていきたいと考えています。

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 「政治家は4年間も任期があるのか、
  じゃあ、4年間は食いっぱぐれなくていいよな」

 と皮肉まじりに言われることもありますが
 僕のめざしていることは
 この任期でやりきれるかどうか分からないし
 (いや、きっと難しいのだろうな)
 わずか4年間しか無いのだから
 徹底して努力したいと思います。


 なんか風邪でぼおっとしてると
 文章も不明瞭ですな。

 こんなふうに今日のフジノは考えました。
 終わり。



2003年10月4日(土)のフジノ
● 13年ぶりの合唱大会

 桜台中学校の文化祭に行ってきました。

 以前このコーナーに書いたとおり(6月2日7月7日
 初めてお邪魔させてもらった時から、
 とてもこの学校を好きになってしまって
 僕は勝手にファンになって、一方的に応援しています。

 「母校でも無いのに
  どうしてそんなに関心を持っているの?」

 こんなふうにまわりの人から尋ねられた時にはいつも
 この4つの理由を答えています。

 (1)少人数を活かした教育
 (2)充実した国際交流
 (3)障がいがある/無い子どもたちの交流教育
 (4)校長先生がとても熱心

 でも、本音での最大の理由は

 『桜台中のコたちが好き』

 ということに尽きるのだと思う。

 行くたびに
 そう感じるんだよなあ。

 玄関とか廊下ですれちがうとみんながあいさつしてくれるし
 野球部のコたちもテニス部のコもすごく礼儀正しいし
 フレンドリーで大好き。

 生徒のことだけでなく
 校長先生がひょっこり畑作業してたりするのも
 なんかすごく好き。

 だから、バイクでこの学校のわきを通る時とか
 「1年1組のみんなはどうしてるかな」とか考えてしまう。

 雰囲気がとってもいい学校だと思います。

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 さて、そんなわけで今日も呼ばれてもいないのに(笑)
 勝手に文化祭にお邪魔してきました。

桜台中学の文化祭  13年ぶりに体験した合唱コンクール!
 とても楽しかったです。

 1年生から3年生までが
 共通の課題曲と、
 そのクラスが選んだ自由曲の
 合わせて2曲をそれぞれ歌います。

 歌を聴きながら、
 僕自身が中学生だった頃のことを思い出しました。

 僕は合唱がけっこう好きなんですけど
 まわりの人たちはもちろん合唱なんか好きじゃないわけです(笑)。
 ふつう中学の頃は
 合唱なんか、かったるいんだよね。

 でも入学したての僕は、
 3年生の先輩が『大地賛唱』という歌を合唱するのを聞いて感動して
 「おれも3年になったらあの歌を歌いたい」って思ったんです。
 当時の僕の母校では、
 その歌は『3年生が歌う歌』として
 扱われていたんです。

 やりたい人がいないから立候補して
 僕が男子のパートリーダーになって練習をやるんですけれど
 昼休みをつぶしてやるのとか
 みんな大キライで(そりゃそうだ)
 うまくいかなかったのをよく覚えています。

 でも、発表の当日になると
 みんなでバシッと決まる。
 そういうのがすごく好きでした。

 そんなことを思い出したりしがら
 桜台のみんなの歌を聴いていました。

 閉会式までは居られなかったので
 どのクラスが受賞したのかは分からないのですが
 フジノ個人的にはこうでした。

 課題曲は3年1組。
 自由曲では2年2組。
 全体では第1教室の合奏。

 課題曲は同じ歌を全学年全クラスが歌うので
 違いがすごくハッキリ分かるのですが
 3年1組は声の量もきわだっていて
 合唱への想いが3年生はやっぱり違うなあと感じました。

 自由曲は、
 『あの素晴らしい愛をもう1度』を歌った2年2組に惹かれました。
 聴いていて、不覚にも涙がじわっと来ました。
 自分の中にある記憶をすくいあげるような歌だから。
 このコたちもぜひいろんな思い出をつくってほしいなあと思いました。

 全体をつうじて良かったのは、第1教室の合奏です。

 第1教室というのは、いわゆる特別学級ですけれども
 そういう区分けにはカンケーなく、
 全体をつうじてこの合奏が1番好きでした。

 実際に聴くまでは、
 去年の練習風景のビデオを観ていたりしたので
 「どうか今年も演奏がうまくいきますように」とか
 「誰も熱なんて出ないで全員で演奏できますように」とか
 第1教室だけ特別視している自分がいました。

 けれども、音楽なんて
 聴いてしまえば誰が演奏してるかとか歌ってるかなんて
 全くカンケーないんだよなあ。

 その演奏が自分にとって好きかキライか。
 その音楽が自分にとって気持ちいいかそうでないか。

 これしか無いんですね。

 その意味で、特に第1教室の『軽騎兵序曲』は
 タイコの演奏がとても気持ちよくて
 知らずのうちに僕もリズムを取っていました。
 すごく楽しかったです。

 というわけでフジノ個人的グランプリは
 第1教室の合奏でした。

 他にもいろいろ感想はあるのですが
 (バイオリンの演奏すてきだった、
  3年2組のクラス紹介おもしろかった
  『チェリー』のピアノのコはうまかった、などなど)
 長文になってしまったのでここまで。

 桜台のみんな、素敵な合唱・合奏をありがとね!


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 午前の部が終わって、昼ごはん。
 PTAの方々がつくったパンと紅茶とエクレアを買って食べました。
 
 政治家になんかになってしまったせいで
 受付では来賓扱いでお弁当を渡されてしまったのですが
 やっぱりパンと紅茶とエクレアの方が
 とてもおいしかったです。

 (どこの学校でもそうなのですが、どうか政治家を特別扱いしないで...。
  僕は好きで勝手に来てるだけだから来賓では無いのです)


 PTAの方々、先生方も、みなさんおつかれさまでした。


● 素敵なコラボレーション

 秋の気持ちよい空の下、
 武で行なわれていた『手作り雑貨マーケット』へ。

 このイベントは、
 言うならばフリーマーケットみたいな感じなのですが
 ちょっと特別な感じの試みに感じられて足を運びました。

 まず、会場はモデルハウスなんです。
 つまり、企業が経営している住宅販売の場なわけです。

 そこを借りて、ドール作りなどが好きな地域の女性の方々と
 障がいを持つ方々の作業所『ワークショップどすこい』
 協同で出品しているんです。

 これって、すごいと思いませんか?
 2つの点で僕はすごいと思います。

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 よくある福祉バザーでは
 もう『そこに行くこと』自体=『福祉という視点』があるわけです。

 バザーで何かを買うことは、
 時として『買ってあげる』という『善意』になりがちです。

 でも、ここでは福祉バザー的なことはうたわれていなくて
 日頃からインターネット上のお店(ウェブショップといいます)などで
 手作りのカントリードールを販売している方々の商品と
 全く同じ位置づけで作業所の方の商品も置かれているのです。

 だから、そこで買われるものは
 『良いから買われる』のです。

 「障がいを持つ人々のバザーだから」なんてことは
 一切カンケーないわけです。

 これはとても大きなことです。

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 もう1つすごいなあと思うのは、
 これが『誰も損をしないしくみ』だということです。

 企業のモデルハウスが会場なのですが、
 まず、企業にとっては
 雑貨マーケットに来てくれたお客さんに
 そのモデルハウスを見てもらえるというメリットがあります。
 (『宣伝・広告効果』ですね)

 これに対して、出品した側にとっても
 マーケットをおこなう会場を
 借りることができたこと(『会場の確保』)や、
 レンガ作りのかわいいモデルハウスが会場なので
 出品したカントリードールの雰囲気にも合っていたこと
 (『商品とその売り場の相乗効果』があったと思います)などの
 メリットがありました。

出品されたカントリードール。かわいい。

 こういうコラボレーションって、とても素敵だと思います。

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 おなかが減ったのでティラミスを買うと
 ふたに『ワークショップどすこい』と書いてあって
 初めてそれが作業所の商品なのだと分かったのでした。

 いいな、こういうマーケット。

 こんな試みがもっともっと地域でおこなわれると
 世の中が変わっていくんだなあと感じます。

 楽しかったです。
 『手作り雑貨マーケット』のみなさん、おつかれさまでした!


● 三浦しらとり園20周年でした

 次に訪れたのは、
 長沢にある『三浦しらとり園』です。

 ここは県立の施設で
 いわゆる知的障がいを持つ方々が
 暮らしたり、通いながら、いろいろな訓練を受けられる所です。

 まだ1度も中に入ったことが無かったので
 せっかくの機会なのでお邪魔させていただきました。

 しらとり園は芝生の広場みたいなグラウンドがあって
 そこにステージと屋台村が組まれていました。

三浦しらとり園グラウンド  秋の青空の下で、
 とても気持ちが良かったです。

 屋台村をのぞいてまわっていると
 「フジノくん!」と呼ばれました。

 声をかけてくれたのは、
 精神障がいを持つ方々の家族会の方や作業所の方でした。

 「やせたね、っていうか、やつれたね」
 「長丁場なんだから、僕たちもそうだけど、ゆっくりいかなくちゃ」
 「ちゃんとごはん食べるんだよ」
 「ひげ、そりな。似あってないよ(笑)」

 そんなふうに親しく声をかけてくださって、
 本当にうれしかったです。

 政治家になる上で
 僕が1番の目標にしているのは
 精神障がいを持つ方々の現状を少しでも良くすること。

 けれども、現実には政治家になって5ヶ月、
 まだ何も結果を残せていないのです...。

 僕にはお詫びしたい気持ちこそあれど、
 逆に心配していただいて、
 申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 「ちょっと座っていきなさいね」

 ということで、屋台村のテントの内側に入って
 お茶をのみながら、いろいろとお話をうかがいました。

 やっぱり僕にはやらなくちゃいけないことがたくさんある。

 みんなに励まされてしまった頼りない僕なのですが
 静かに燃えてくる気持ちがいつもあります。

 高齢者の方々の福祉、知的障がいを持つ方々の福祉、
 これらもまだまだ十分ではありません。

 けれども、精神障がいの分野とくらべると
 高齢者の福祉なんて
 もう十分なくらいにとても充実しているように見えてしまう。

 それくらいに精神障がいの分野は
 他の福祉分野にくらべて、立ち遅れているのですね。

 もっともっと努力して
 政治という手段でできることを徹底してやりたい、
 そう改めて強く感じました。


● 違和感、それは切実さの違いから来ている

 1日中走りまわった最後の仕事は、
 文化会館での展覧会を見ることでした。

 ある作家の美術品が展覧されています。

 木材をつかっての芸術。
 説明書きによると、
 この芸術家は木材の特性を熟知していて
 世界から高い評価を受けているということでした。

 じっくりと時間をかけて、見つめてみました。

 けれども、いちばん僕の目をひいたのは
 作品ではなくて、
 展示室から見えたこのまちの景色でした。

 どれだけ木材のことをよく理解していて
 どれだけ木の特性を活かした美術品であっても
 それはただ造られたものでしかない。

 レゴブロックのような人工のビル群の向こうに見える、
 このまちの海、このまちの樹木、このまちの丘。
 これが僕にとっては
 1番しっくりくる最大の美でした。

 こころが癒される、ずうっと見つめていたいものたち。
 それはこのまちの、そのままの姿でした。

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 美術館問題は、市長と議会の多数派によって
 幕をおろされようとしています。

 市長は5万5千人の署名を受けてもみなおしを拒否、
 市議会の多数派も住民投票条例案を否決。

 市長も市議会も、
 僕の想いとはカンケーなく、建設に突き進んでいっています。

 けれども、秋晴れの土曜日を過ごして
 改めて感じたことは『切実さ』の違いでした。

 「美術館の対極は福祉では無い」とか
 「美術館も福祉のためになる」とか
 いろいろと言われました。

 しかし、僕が今日感じたのは
 やっぱり違う、ということです。

 もっと切実に、もっと今、必要なことがある。

 だから僕はみなおしを求めた。

 市長と市議会の多数派におされて
 なんとなく美術館みなおし運動は立ち消えっぽくなってるけど
 僕は違います。

 僕の原点に戻れば戻るほど
 この財政状況や福祉の現実を見つめるにつけても
 今この瞬間に必要なものは別にある、と改めて確信しました。


 これが僕の土曜日でした。



2003年10月2日(木)のフジノ
● 10月は徹底的に勉強します

 勉強するために買い集めた本が
 20冊くらい机に積みあげられています。

 これでも議会を終えてから
 すでに4冊は読み終えたのですが、まだまだ時間が足りない!

 付箋をつけまくって蛍光ペンで塗りながら
 読みまくっています。

 特に今読んでいる本で
 何回も読み返しているのはこれです。

 「障がい理解教育」の授業を考える
    (真城知己著、文理閣、2003年)

 学校教育やあらゆる場での
 障がいについての理解を深めるための教育は
 どうあるべきかについての本です。

 福祉にかかわっている人間は
 ややもすると『福祉バカ』になってしまう恐れがある、
 というのが大学時代に感じた僕の本音です。

 だから、福祉にのめりこめばのめりこむほどに
 冷静に自分を見つめる視点を持ちたいといつも思います。

 そんな自分にとって
 この本は
 僕自身の価値観をもう1度根っこから見直させてくれる、
 これまで出会ったことが無いタイプの論文でした。

 著者は千葉大学の先生ということなので
 できればお会いしたい/講義を受けてみたいと強く思いました。

 また、こういった個人的な勉強だけでなく
 若手の仲間たちとの泊りがけでの勉強合宿も予定しています。

 今月はこうやって
 徹底的に勉強したいと考えています。


● 住民投票条例について

 今夜は、住民投票条例案を提出した4人の議員で
 お疲れさま会をおこないました。

 そもそもは『お疲れさま会』だったのですが
 あまり僕たちは疲れていません。

 このまちの在り方についてなど
 いろいろと話し合いました。

 僕はまちの人々が想いを明らかにできる手段として
 『住民投票』ができるべきだと思います。

 今回、僕たちが提案したのは
 『美術館』という『個別の問題について』の住民投票でした。

 けれども、個別の問題のための住民投票ではなく、
 まちに暮らしている人々が
 想いを明らかにできるための手段として
 『常設型』の住民投票条例をつくるという方法も存在しています。

 最終的には、まちの人々みんなの意思で
 この『常設型』の住民投票条例ができることを
 僕は願っています。



2003年10月1日(水)のフジノ
● 充実した夏休みの1日

 そもそも政治家には
 『夏休み』という制度は存在していません。

 けれども今日は丸1日お休みをいただいて
 僕個人的に『夏休み』をとりました。

 今年の夏は全く休みが取れなかったからね〜。

 午前中は、久しぶりに
 めちゃくちゃコーヒーがおいしい喫茶店に行きました。

 マスターをはじめ、居合わせたお客さんたちに
 美術館みなおし活動をはじめとして
 とても励まされてしまいました。

 仕事場に戻ってこのHPを更新してたら
 インターネット上ではなくて僕自身の『ナマの声』で
 どうしてもまちの人々に
 きちんと想いを伝えたくてたまらなくなりました。

 そこで、久しぶりにメガフォンを持って
 Yデッキの上で歩いていく人々に想いを伝えました。

 それから、急いで平塚へ。
 朝から行くつもりだったのに
 すっかり午後になってしまいました。

 平塚は僕の第2の故郷で、おじいちゃんの家があります。
 おじいちゃんと一緒におばあちゃんのお墓参りへ。

 その後、江口さん(江口友子・平塚市議会議員)
 まちあわせをして、一緒に視察をしてまわりました。

 そんな感じで
 あっという間に、夜。

 これが僕の『夏休みの1日』でした(笑)。

 まちの方と政治について話して、
 Yデッキで演説をして
 他のまちの想いを同じくする政治家と視察しまくる。

 ...やっぱおれは仕事が好きなんだなあ。


● 僕のライバル

 平塚市議会議員の江口さんと3ヶ月ぶりにお会いして
 今回もまた、全くお茶も飲まずに
 がんがん視察しまくりました。

 お互いの近況報告は、移動の車の中で話す。
 視察先では、お互いの考えていることをばちばち話す。

 こういう姿勢が大好き。

 僕は働きたいんです。

 例えば、政治家として招待されて勉強会とかあっても
 プログラムが3時間だとしたら
 たった1時間だけが本当の勉強会で、
 残りの2時間は豪華な食事を食べながらの懇親会、
 なんてことがあります。

 僕はこういうのがすごく苦手です。
 メシよりも本気で勉強がしたい。

 だから、江口さんの姿勢が大好きです。

 また、江口さんという政治家にお会いするたびに
 僕は自分を外側から
 見ているような気がしてしまいます。

 物事の考え方や感じ方がすごく近くて驚くことばかりです。

 成年後見制度に強く関心を持っていたり
 問題意識も共通することが多くて、うれしい限りです。

 というわけで、今日から勝手に
 江口さんをライバル視することに決めました(笑)。

 彼女のがんばりに負けないように
 僕も全力で努力しようと改めて思いました。


● 消えてしまったオアシス 

 3ヶ月前、僕はこのコーナーでこんなことを書きました。
 以下、6月17日の日記です。

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 夕方の18時半を過ぎて集合した僕たちがしたことは
 飲み会とかそんなことでも何でもなくて
 ある場所への『視察』です。

 江口さんが今日まさに本会議で
 質問を投げかけた
 ある場所へ。

平塚市松風町を視察する江口議員。  案内してくれる江口さん。
 ここは、通称『おばけ道』という細い道。
 この右側の塀の向こう側に
 僕たちが見たいものがあるのでした。

 ある企業の副社長の、邸宅。

 そこはものすごく自然が豊かで、
 開発がすすんだ平塚駅の南側の中ではオアシスのように
 めずらしい樹木や老木が存在して、
 鳥たちも暮らしてきました。

 しかし、バブルが崩壊してからの
 長い長い不況。

 ある企業は、その邸宅を売却しました。

 その広く美しい自然に満ちたオアシスは
 マンションへと姿を変えることになってしまいました。

某邸宅の中にある美しい自然。  僕のカメラ付きケータイでは
 この自然の美しさが
 伝わるでしょうか。

 日がのびてきた夕暮れ時、
 本当にほっとする風景。

 ある日、突然に売却されたこの邸宅は
 突然にマンション建設計画の看板が立ちました。

 そして、僕の聞いた限りでは
 まわりに住んでいる方々の十分なコンセンサスも無いままに
 あっという間に「圧倒的な勢いで建設が動き出した」のです。

 この問題の構造は
 横須賀の美術館建設とすごく似ていて
 とても他人事とは思えませんでした。

某邸宅の中にある、樹齢の高い珍しい木。  これが、ものすごくめずらしい樹です。
 僕は忘れっぽいので
 すっかり名前を忘れてしまいました。

 けれどもここまで大きくなるのは
 本当にめずらしく
 とても価値のある樹だそうです。

 けれども、横須賀の美術館の問題と違うのは
 この問題にとりくんでいる議員が
 江口さんほぼ1人だということなのです。

 僕は自分が平塚の議員だったら
 絶対にこの問題にとりくむのに、と思いました。

 まちに暮らしている人々から圧倒的に支持されて
 選挙では第2位で当選した、
 その江口さんが1人きりで
 この問題に向かっているという現実に胸がつまりました。

 まちの人の想いとは、
 政治には届かないのだろうか。

 分からない。

 僕は平塚市長の大蔵さんの政策を
 けっこう支持していて、とても注目しています。

 パチンコ店の出店を阻止するために
 (市長はそうではないと言いますけれども)
 その土地を市が買うように指示をした大蔵・新市長なのに。
 この問題にまでは手がまわらなかったのだろうか。
 一体どうしたというのだろう。

 やがて、半月ぐらいのうちに
 この邸宅にある木々は全て伐採されてしまうそうです。

 市長、本当にいいのですか?

 なんか、やりきれない気持ちで
 苦虫をつぶしたような表情で眉間にしわをよせながら僕は
 案内してくれる江口さんのうしろを無言でついていきました。


 (ここまでが6月17日のこのコーナーからの抜粋です)
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 3ヵ月後の今日、僕たちは
 この場所を再び訪れました。

変わり果てた姿の、某邸宅跡。  2枚上の写真と
 同じ位置から撮影したのがこれです。

 ほとんどの樹木が切られてしまい
 整地されてしまいました。

 ここにはマンションが建つのです。

 僕はこの脇を通った時に、
 あのオアシスのような森と同じ場所だとは分かりませんでした。

 江口さんに「着いたよ」と言われて
 初めて気がついたほどの変わり様でした。

 ショックでした。

 江口さんは、工事が始まって
 樹木が切られはじめてからは
 週に何日もここに足を運んでいるそうです。

 僕もその気持ちが痛いほど分かるような気がしました。

 政治が負ける、というのは
 こういうことなんだ...。

6月17日、美しい自然のオアシスでした。 10月1日、わずか3ヶ月でオアシスは消えてしまいました。
6月17日 10月1日

 あの珍しい古木も切られてしまいました。
 オアシスは消えてしまったのです。

 とても、とても、悔しくなりました。


● 50億円の施設

 次に訪れたのは、50億円をかけて作られている
 室内のスポーツ競技場です。

 前市長の時に計画されて
 今すでに工事がすすんでいます。

 「横須賀の美術館計画も約50億円でしょう?
  同じくらいの規模だから、現場を見にいきましょう」

 そう言われて、行ってみました。

馬入川わきの建設中施設  携帯電話のカメラでは分かりづらいのですが
 真ん中に写っているのが建物です。

 馬入川(相模川)のわきに、
 高さ45メートルの
 巨大な体育施設が建設されています。

 鉄骨が組みあげられていて
 そのスケールの大きさに圧倒されました。

 ヘルメットと手袋をつけて、中にも入らせてもらいました。

 ジョイントベンチャー(JV)の1社である
 鹿島建設の方が案内をして下さいました。

建設中の施設内部を視察する江口議員  手前が江口議員、
 奥が案内してくださった所長さんです。

 僕はハコモノには反対の立場なのですが
 所長さんの熱い説明と
 高所で作業する方々の姿を見て
 率直に「すごい仕事だ」と感嘆しました。

 よく言われる、こういうセリフがあります。

 「あの政治家は引退する前に『建物』をつくって
  あれは自分が作ったんだ、って名前を残したいんだよ」

 けれども、現場を見て思いました。

 作っているのは、現場の人々であって
 政治家なんかじゃない。

 建物の予算案を通したくらいで、
 政治家が自分の名前を残せるなんて思いあがりだ。

 体をはって激務で働いている、
 孫うけの中小の建築会社の人たちが作ったんだ。

 そう、思いました。

 「こういう建物をつくりあげて
  やっぱり子どもに『これはお父さんが作ったんだよ』って
  見せたいと思いますね」

 案内してくれた方が、そうおっしゃいました。

 これだけの建築をなしとげたなら
 誇らしいだろうなあと思います。

 政治家が自分の名前を残すために何かを作ろうとする、
 僕にはそういう感覚は全く理解できません。

 つくりあげているのは、現場の人々です。
 赤字覚悟で仕事をひきうけている
 中小の建築会社の人々こそがつくりあげているのです。

 名誉欲で何かをつくろうとする、
 そんなことは絶対に行なわれてはいけないし、
 もしもそれがつくられたとしても
 それは政治家の名誉ではない。

 はっきりとそう思いました。

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 また、改めて想いを強くしたのは
 税金の使われ方についてです。

 まちの人々が一生懸命働いて稼いだお給料から
 税金として毎月お金がとられていく。

 その大切なお金は、絶対に政治家のものではない。
 まちの人々のものだ。

 本当にそれをまちの人々が望んでいるのか、
 本当にその税金のつかいみちがふさわしいのか。

 いつもいつも厳しく自問自答していく、
 市役所の職員も市長も議員も、絶対にそうでなくてはいけない。

 改めてそう思いました。


● 若手とつながっていきます

 その後にもう1ヶ所、相模川河口のわきにある
 マリーナ的な施設がつくられる予定の港を見にいきました。

 今回の9月議会では、横須賀でも
 秋谷漁港の改修工事のための補正予算が組まれています。
 平塚も横須賀も共通する問題が多いなあと感じました。

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 11月に、江口さんが主催しておこなう
 『成年後見制度』のシンポジウムに
 横須賀の議員として出席してほしいと頼まれました。

 もちろん喜んで引き受けました。

 たとえ市が違くても
 想いが同じならばどんどん協力していきたい。
 僕は今そう強く思っています。

 特に成年後見制度が
 もっと知られてもっと利用されるためならば
 僕にできることは可能な限り、何でもやりたいと考えています。

 また、同じく11月には
 大和市の若き政治家である菅原くんと
 渋谷の区議会議員である平田さんと一緒にイベントをやります。

 これは10〜20代のコたちを
 もっともっと政治に巻き込んでいかれるようにという
 楽しくも熱いイベントになりそうです。

 どんどん若手とつながっていって、
 そして必ず変化を起こしたいと思います。


● つきぬけていく、負けない

 HPの更新をしていなかったことからも
 すでにみなさんお分かりだったと思うのですけれども
 この1週間はひどく苦しんで悩んでいました。

 自分自身がいくら文句を言われてもかまわないし
 どれだけイヤなことをされても平気なのですが
 このまちに暮らしている人々の暮らしや想いを考えるにつけても
 これから自分がどうしていけばいいのか、
 応えられないことに苦しくてたまりませんでした。

 したり顔の中年サラリーマン男性に
 「やっぱり何も変わらないじゃんか」と言われたりするのは
 別に何も感じません。

 けれども、熱心に署名活動をしてくださった女性の方や
 人生をつうじて初めて選挙に行って僕に投票をしてくれたという方々が
 悲しそうな表情をするのがつらくてたまりませんでした。

 このまちに必要なのは

 「このまちは自分たちの想いと行動で変わっていく」

 そういう実感を、ふつうに暮らしている人々が
 実際に体験できることです。

 成功体験が人々の意欲を高めていきます。

 けれども、市長と議会がまちの人々に与えたものは
 『挫折感』と『失望感』でした。

 こうやって、政治ばなれと行政アレルギーが増えていき、
 初めて行動にうつしたという人々を
 ニヒリズムに追い込んでしまうのが悔しくてたまりませんでした。

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 けれども、やっと長いトンネルを
 つきぬけられるような気持ちになっています。

 どんなに絶望しても
 やっぱり政治家の仕事というのは
 人々に『希望』を語ることなのだと僕は思うのです。

 僕はどんなに迷っても
 帰ってくる場所は1つしかないのです。

 眠れば見る夢は、署名をしてくれた人々の悲しい顔。
 うなされて起きても考えることは、障がいを持つ人々のこと。
 読む本は、いつだって福祉のこと。

 逃げたくなっても、
 自然に僕が戻ってくる場所はここしかないのです。

 あきらめてなんかいられない。

 僕はまた『希望』を語りたい。

 僕自身だって、すごく絶望している。
 市長にも、他の議員にも、すごく絶望している。
 変化を止めようとしているまちの人々にも、すごく絶望している。

 けれども、闘うしかない。

 だからあきらめずに
 体がダメになるまで僕は永久にずうっと
 前に向かって歩き続けてやる。

 絶対に負けない。

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 心配をおかけしたみなさん、
 活動に挫折と失望を感じているみなさん、
 これからも僕は全力を尽くします。

 議会の中の絶対的な少数派である僕には
 あなたの期待には応えられないことが多いかもしれません。

 けれども、全力を尽くしていく、
 この1点だけは必ず果たしていきます。

 厳しく見守っていてください。

 よろしくお願いします。


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