まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2004年7月16日(金)のフジノ
● 公的保証人制度の導入にむけて

 6月議会でフジノが質問をした
 『公的保証人制度の導入』について、
 その後の経過を
 市の住宅政策課に確認しました。

 すでに4回にわたって
 長寿社会課と検討会を行なっているとのことでした。

 横須賀の公的保証人制度は
 まず高齢の方々から始まることになります。

 まだオープンにできないこともありますが
 確実に『良い制度』が動きはじめていますからね。


● 美術館問題は終わってなんかいない

 昨日に引き続き、
 2人の自民党県議がタッグを組んで
 美術館みなおしの請願の紹介議員になってくれたことに対して
 大きな反響がありました。

 英会話教室に行っても聞かれました(笑)。

 僕は4年間ずっと『無所属』です。

 どうしても市民の方々の中には
 僕のことを「自民党に入るの?」と決め付ける人がいます。

 でも、政党がどこだとかそういう問題じゃないのです。

 このまちに暮らしている人々の想いに
 きちんと耳を傾けられる政治家であるかどうか。

 それだけが大切なのです。

 今日も情報を更新しておきました。
 新聞各紙の報道県が出した許可の書類を載せました。
 見てくださいね。


● インターネット時代の政治家

 政治家になってから
 大学の研究室やサークルやら商業雑誌など 
 いろいろなところからアンケートを依頼されるようになりました。

 基本的に時間が許す限り
 全てにお答えすることにしています。

 何故なら、政治家というものの実態を知ってほしいからです。

 あるいは、古い政治家たちに混ざって
 フジノみたいなタイプも存在するのだということを
 知ってほしいからなのかもしれません。

 今日は、湘南地域を中心に発行している
 『調べもの新聞』という新聞(?)の編集部から来た
 アンケートに答えました。

 「横須賀市議会議員が
  ITに関してどのような考えを持っているのか」を紹介する記事を
 書くためだそうです。

 そんなわけで、3つの質問に回答してみました。

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 名前:藤野英明(無所属)

 質問1.日頃、インターネットをどのように活用していますか?

 回答1.

 広報活動の1つの手段として使用しています。

 具体的には、HPを公開しており、
 活動報告・収支報告・議会での発言・毎日のスケジュールなど
 あらゆる情報を毎日更新して
 市民のみなさまへの
 「説明責任」を果たしています。

 またメールの使用は、
 市民の方々からの相談を毎日受けたりお答えする上で
 不可欠の手段です。

 いずれにしてもインターネット無しでは
 議員活動はできないと感じる程に活用しています。


 質問2.携帯電話、どのような使い方をしていますか?

 回答2.

 まず、市民の方からの相談を受けるツールとして重宝しています。

 携帯電話の番号をあらゆる媒体で公開していますので、
 毎日相談を頂きます。
 外出していることが多いので、
 携帯電話は重要なツールです。

 また、スタッフとの連絡は
 全て携帯電話のメールで行っておりますし、
 携帯電話のメールを使ったメーリングリストも毎日発行しています。


 質問3.行政のIT化に関して1番重要だと思う事柄を教えて下さい

 回答3.

 最も重要なことは、このまちに暮らしている人々が
 「IT化によってハッピーになった」と
 実感できる施策を実施することです。

 現在の横須賀市のIT化は、
 先進都市として外側からは高い評価を受けていますが、
 市内に暮らす人々にはほとんど利益がありません。
 こういうIT化は無意味です。

 独り暮らしをしている高齢者の方が倒れたりした時、
 視覚・聴覚・言語に障がいを持つ方の緊急時、
 そういった時に
 スイッチ1つで助けを求められるような
 切実なIT政策こそが必要だと考えています。

 以上です。

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 けっこうおもしろいアンケートですよね。

 45人全員に送ったとのことなので
 他のみなさんはどんな回答をしたのか楽しみです。


● どうしても議会でとりあげたいこと

 世の中から見ればタブー視されていることであっても
 僕とっては
 ずうっと長い間
 どうにかしなければと考えてきたことがいくつもあります。

 それを市議会で言うのが正しいのか、
 まだ残念ながら焦点が定め切れていません。

 けれども、絶対に欠かせないことがらだと思うのです。

 それは、障がいのある方々で
 「赤ちゃんを産みたい」という方のサポートのことです。

 もう10数年以上前から
 この件について悩んできました。

 当事者の方々ならば
 誰もが同じ想いのはずです。

 国や県や市町村ができることは本当にたくさんあるはずです。

 僕は、どうやったらこの問題を市議会で扱えるのか、
 どの切り口から質問をすべきなのか、
 悩んでいます。

 障がいのある方々はただ障がいがあるだけですから、
 当然ながら性欲もあるし、当然ながら生殖能力もあるし、
 赤ちゃんを産みたいという本能もあります。

 けれども、これまでは
 多くの場合があきらめさせられてきたのが現実です。

 僕はこの現実を変えたい。

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 今、すごく切実に情報を求めています。

 障がいのある方々の団体が発行している本などでは
 出産がうまくいった例がたくさん掲載されていたりして
 僕の知っている現実とは違う気がするのです。

 最悪な質問だとは思いますが
 どうか答えられる方は僕にメールをしていただけませんか。

 障がいがあるが故に
 子どもを持ちたいのに産むなと言われた経験がある方。

 妊娠をしたのに周囲から「堕ろせ」と言われまくって
 悲しみの中で子どもをあきらめざるをえなかった方。

 お願いします。

 声にならない声を、僕のところに届かせてください。

 人は人として生まれたというその事実だけで
 誰もがその人らしく生きる権利があると僕は信じています。

 あと2年半程度のフジノの政治家としての任期の中で
 横須賀市議会の議事録の中に
 市役所の職員の方々に
 この問題をクローズなものではなくて
 オープンな問題にできないか、挑戦したいのです。

 障がいのある方であっても
 僕は当然の権利として子どもを持つことができると信じています。

 問題は、サポート体制の有無にこそあって
 あるいは、周囲の偏見や差別にこそあると僕は考えています。


● 大学気分は早くも完全に消えてなくなってしまった

 スクーリングは政治家にとって
 年に1週間だけの夢のような一瞬でしか無かったのだなあ。

 また明け方4時まで事務所にいて、
 自殺予防の本を読んだり
 他都市の事例を調べたり
 訳の分からない法律の文章を読みまくる暮らしに逆戻り。

 やれやれ。

 そう、『カフェトーク』というのを始めます。

 休日をつかって市内各地をまわって
 みなさんと語り合うタウンミーティングは
 何とかして来年までに実現させたいと思います。

 まずは小規模なところから。

 平日ですけれども、関心のある方、来られる方、
 いらしてね。

 明日は、東京で
 自殺によって亡くなってしまった方々の
 遺族ケアの集まりがあります。

 昨年12月議会で質問を市長にしたけれど
 らちがあかないので、いっそNPOをたちあげたいのだけれど...。


 戻ったら、明日は久里浜の花火大会です。
 晴れるといいですね。みなさんもどうか楽しんでください。

 おつかれさまです。



2004年7月15日(木)のフジノ
● スクーリングの終わり、また政治の日々へ

 今、19時ちょうど。
 スクーリングの帰りの京急の中でこれを書いています。

 本当なら19時にはドブ板のライブハウス『かぼちゃ屋』で
 高校生の友達のライブを観ているはずでした。

 それが、人身事故によって
 電車が30分ほどストップして
 さらに出発してはまた止まるを繰り返して
 まだ電車内です。

 考え事をする時間はたくさんあったので
 2つのことを想いました。

 (1)まず、人身事故にあった方のこと。

 僕をはじめとする300人もの人々が
 今日まで丸7日間も
 仕事を休んだり工面をつけて
 沖縄から北海道から全国から日本社会事業大学へと
 精神保健福祉士になるためにスクーリングに集まって勉強をしたのは
 まさに電車に飛び込んでしまうような状況に追い込まれた方を
 1人でも多く、少しでも支えることができれば、
 という想いからでした。

 けれども、その帰り道に...。

 救えなくて、本当にごめんなさい。

 見ず知らずの方であっても
 こころの底から悔しさを感じます。

 自殺は予防できるからです。

 守ることができたはずの1つの命の向こう側に
 その方のご家族やたくさんの方々の悲しみを想ってしまい
 とても苦しい気持ちになります...。

 300人の学生たちは
 来年の10月に通信教育課程を卒業して
 再来年1月に国家試験を受験して
 合格できたらやっと精神保健福祉士になることができます。

 でも、それまでのあいだにも
 僕たちはそれぞれの場所で
 少しでも人々のこころの健康が保たれるように
 全力を尽くしていくはずです。

 僕自身は学生気分は昨日の夜にもう終わり、
 政治家としての気持ちに完全に切り替わっています。

 今日はスクーリングで講義を受けている最中にも
 県への請願提出のことで市民の方々から
 お電話をいただきました。

 今日はすでに別れのさみしさよりも
 政治家として成すべきことに気持ちはきりかわっています。、

 自殺予防、徹底的にやります。
 うつ対策、あらゆる手段を駆使します。

 もう、1年で3万人を超えるような方々が
 自分で命を絶つような悲しい出来事は
 政治が責任を持って防ぐ。

 改めてそう強く決心しました。


 (2)次に、高校生の友達のことを想いました。

 彼は本当に頭の良い男の子で
 (もちろん受験とかそういうくだらない
 暗記テクニック能力の話ではありません)
 同い年の友達だけでなく
 僕の友達世代やその上の世代からも
 集まりなどで会うたびにかわいがられています。

 彼は本当に有能で
 国(文部科学省)が全国の高校生からえりすぐって
 おこなったユースフォーラムの代表に選ばれたりもしています。

 そして、外見がカッコいい。

 外見がカッコいい、というのは
 本当に大切なことですよね。

 自分のやっていることに自信が持てて
 さらにそれを他人が評価してくれている人は
 どんどんカッコよくなる。

 エステとか整形とかそんな話じゃなくて
 オーラみたいなものの話かもしれません。

 こういう年下の友達を持てたことを
 僕はこころから誇りに感じています。

 そして、ライブハウスでの勇姿を
 観られなかったことをとてもがっかりしています。

 きっとカッコよかったんだろうなあ。

 それはともかく、
 Yデッキで演説しているといろんなコがライブに誘ってくれるので
 可能な限り時間が合えば行くようにしています。

 この国をやがて背負っていかねばならない10代の
 その想いに耳を傾けることは
 絶対に最期まで僕は続けたいと思っています。


● 最後の講義

 最後の講義は『精神科リハビリテーション学』でした。

 午前中は、諸外国の精神保健福祉の現状を学んで
 驚くことばかりでした。

 先生は世界中をいつも飛び回っていて
 あらゆる国の精神保健福祉施策に精通しています。

 その成果を先生は厚生労働省にどんどん提案しているそうです。

 僕も講義を通して、アイディアをたくさんいただきました。
 市で提案できることはどんどん提案していきたいと思いました。

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 今日も天気が良かったので 
 昼ごはんはキャンパスの中庭で食べました。

 このメンツは20代から40代まで
 年齢も性別もカンケーなく
 精神保健福祉の向上のために勉強をして
 そして、休憩時間には雑談をして...。

 こんな仲間とこんな時間は
 もう2度と得られないだろうなあ。

 『オレンジデイズ』のような日々(笑)

 こんな大切な仲間を失いたくないので
 メーリングリストを開設して管理人になってしまいました(笑)。

 すごく心強い仲間ができました。
 しかも、とてもたくさん。

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 それにしても、本当にサイコーの1週間でした。

 自分のこれまでの知識は
 あくまでも大学時代のものと独学で積み重ねたもの。

 ちゃんとした先生についてもらって
 すごくブラッシュアップされました。

 知らなかったんだけど、日本社会事業大学って
 けっこうすごい教授をそろえているのですね(笑)。

 論文や文献を読んだことがあったり
 講演を聴いたことがある方ばかりでした。

 さあ、座学の次は実践だ!

 といきたいところだけれども、
 僕の本職はただの政治家なので
 ここで学んだことを知識の引き出しの1つに入れて
 政治の場で闘っていくんだ。がんばろう。


● 美術館問題は終わってなんかいない

 まだ毎日新聞しか見れていないのですが
 こんな報道だったようですね。

毎日新聞より 





 今日は夕方17時くらいまで
 Yデッキの下で雄人が美術館問題について
 演説をしてくれていました。

 横須賀を離れていた僕にとって
 市民の方々に「まだ終わってなんかいない」
 アピールしていく手段はHPしかなかったわけですけれど
 明日からはこころおきなく
 また僕も闘い続けます。

 市議会では確かに僕は敗北しました。

 けれども、県議会では(個人的意見ですが)
 僕には勝算があると信じています。

 まだまだ僕たちを信じていてください。

 このまちに暮らしているみなさんがあきらめない限り
 僕たちも絶対にあきらめないし、
 必ずこのまちは変わっていくから。

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 7月は県議会に注目です。

 美術館問題に対する
 竹内県議牧島県議の活躍をどうか応援してください。

 松沢県知事はおととしの3月に
 僕がYデッキで演説してる時に褒めてくれたこともあって
 なんとなく恩義を感じていたけれども
 今回の件については
 ハッキリと『敵』だと思っています。

 松沢知事がタウンミーティングを横須賀で行なった時
 市民の方の質問にも
 「それは市のことだから」なんて
 問題を理解していないような返事をしていたけど
 県が許可出すんだから
 市だけの問題であるわけないじゃないですか。

 県立観音崎公園の中を壊して
 美術館を作るんだから。

 いつもは、神奈川県議会での知事と議会の対立を
 報道で知るたびにかわいそうに思います。

 でも、松沢知事、
 悪いけど
 今回はあなたが負けろ。



2004年7月14日(水)のフジノ(その2)
● 美術館問題の闘いはまだ終わってない!

 午前9時30分から
 横須賀市役所内の記者クラブにて、
 今まででは考えられないような記者会見が行われました。

 美術館建設みなおしの活動を
 ずっと一緒にがんばってきてくださった
 『民意が市政に活かされることを願う会』の方々が
 今度は神奈川県に対して「みなおしを求める請願」を出しました。

 なんと、その請願に対して

 竹内英明さん(県会議員)と
 牧島功さん(県会議員)のお2人が
 請願に対する紹介議員になった、という発表が行われたのでした。

 左から、願う会代表の野村さん、
 牧島県議竹内県議吉田市議

 手前が新聞記者のみなさん。

 これはすごいことです!


 はじめに断っておくと、
 フジノは政治の世界には全く詳しくありません。

 そんな政治オンチのフジノにさえ
 この出来事のすごさはハッキリと分かります。

 お2人が共に立ち上がったということは
 横須賀の政治が大きく動きはじめた、ということを意味します!

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 「ハコモノ反対=福祉の財源に」を公約として当選したフジノは
 50億円もの借金をして美術館を建設する計画を
 ストップするためにあらゆる活動をしました。

 竹内さん・牧島さんのお2人にも
 協力をお願いにうかがいました。

 無所属のフジノが自民党の県会議員さんに会ったことを
 けげんに感じる方もきっといらっしゃるでしょう。

 「フジノくんは自民党に入るつもりなの?」

 今回の一連の出来事で
 新聞記者の方からそう尋ねられたこともありました。

 違います。
 僕は4年間、絶対に最後まで無所属で通します。

 けれども、僕は自分の信じた政策を実現するためならば、
 想いが共通だと信じられる相手であれば
 たとえ相手が共産党でも自民党でも
 政策ごとに手をつなげる
 そういうタイプの人間なのです。

 だから、横須賀の実力者であり
 かつ美術館みなおしに理解を示して下さっていたお2人に
 僕は相談にうかがったのです。

 けれども、その当時いただいたお返事は

 「お前の気持ちは分かるが
  市のことは、市議会でかたをつけろ」

 というものでした。

 そのとおりです。

 市のことは市議が、
 県のことは県議が、
 国のことは国会議員が
 それぞれ分担してことにあたるために存在しているのです。

 だから、僕は市議会議員として
 市民のみなさんとできる限りのすべてを
 これまで必死になって活動してきました。

 しかし、市に合計4回出された美術館みなおしの請願は
 徹底的に市議会の多数派によって
 否決されてきました。

 また、僕たちが必死に集めた約7万人(市民の6分の1)の署名も
 市長は完全に無視しました。

 「もう美術館建設は止められないのか」という絶望が
 市民の中にも漂いつつありました。

 しかし、今回、最後の挑戦として
 『願う会』は神奈川県に請願を出すことに決めたのです。

 そして、なんとあのお2人が
 ついに立ち上がってくれたのです。

 これはすさまじい出来事です!


● 横須賀の政治は、大きく動きだした

 僕はお2人に心から感謝しています。

 何故ならば、今までの常識では
 考えられないような行動をとってくださったからです。

 僕みたいな政治シロウトであっても
 『政党』に所属している方々には
 ピラミッド型の命令系統が存在するのは理解しています。

 横須賀の自民党で言うならば
 小泉純一郎(首相・国会議員)をトップに命令がおりてきて
 県会議員団がそれにしたがって
 市議会議員団がそれにしたがって...、
 というピラミッド型の
 意思系統があるはず。

 それが『政党』というものだと思うのです。

 横須賀市議会では、
 自民党の市議会議員たちは全員が美術館建設に賛成しました。

 にもかかわらず、お2人は
 自民党の県会議員として美術館建設みなおしの側に
 あえて立ってくれたのです。

 つまり、市の自民党とは
 全く逆の行動をとったのです。

 同じ政党ならば、国から県から市まで
 同じ判断を取るのがこれまでの政党の在り方だったはず。

 かつての政治では考えられないような変化が起こっていなければ
 こんな出来事はありえなかったはずです。


 神奈川県議会にて、
 請願を提出する
 『民意が市政に活かされることを願う会』

 受理してくださったのは
 自民党県政調会副会長の桐生さん

 すごい絵だ!

 僕たちの美術館建設みなおし活動は
 ずうっと自民党に反対されてきたのに。


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 「福祉のまち、よこすか」をめざしている僕にとって
 借金が3300億円もあるこのまちが今やるべきことは
 50億円も借金をしてまで美術館を建設することではない。

 この想いは全く揺らいでいません。

 市民のみなさんも同じ想いのはずです。

 そんなみなさんの想いが 
 政治の世界を変えはじめたのではないでしょうか。

 少なくとも僕はそう感じています。

 このまちは、必ず変わります!


● さみしいな〜

 話題は全然変わります。

 明日でスクーリングもついに終わり、
 横須賀に戻ります。

 行く前は1週間も横須賀を離れることに対して
 仕事の責任感からひけめを感じて
 来たくなかったこのスクーリングでした。

 でも、明日で終わりかと思うと
 本当にさみしくてかなしい。


● 元ラブホテルみたいなこのホテルさえもいとおしい

 泊まっているこの安ホテルも
 初日は自分の選択を後悔したのですけれども
 今ではすっかり慣れ親しんだ。

 
僕の泊まった部屋から見える景色  窓から見える景色なんてこんなだけど
 これにもすっかり慣れた。

 昼間はホテルの改装工事がうるさくて
 夜になると目の前の道路工事の騒音で
 勉強するのも苦労したけれど
 それも今ではすっかり慣れた。

 フロントの人たちとも仲良しになった。

 毎朝僕が食べるために焼いてくれる食パンの枚数は

 「2枚じゃなくて1枚だけでいいですよ」

 と伝えなくても1枚しか出てこなくなった。

 こういう阿吽の呼吸が
 僕は大好きなんですよ。

 毎晩、大学から帰ってきたら僕はジョギングに行ってたんですが
 Tシャツ短パンでジョギングに行こうとした
 最初の日には
 ぎょっとされたけど、
 今ではそのカッコで僕がエレベーターを降りてくと

 「気をつけていってらっしゃい」

 と、声をかけてくれる。

 ここのホテルのフロントは
 全員、男性なんですよね。

 そのおかげですごく気がラクでした。


● 台湾人の中華料理屋のじいちゃん

 昨日に続いて夕飯たべた
 台湾人のおじいちゃんがやってる中華料理屋さんも
 すごく別れがたいなあ...。

台湾家庭料理屋さんの看板  これ、お店の看板。
 しぶいでしょ?

 僕、大好き。こういうお店。

 昨日は朝青龍と雅山の取り組みについて
 えんえんと解説されてしまったけど
 またおじいちゃんに会いたくて
 こりずに行ってしまったよ。

 今日注文したのは、角煮ラーメン!

角煮ラーメン  おいしかったなあ〜。

 しかも2日連続で行ったことを
 喜んでくれて
 ラーメンの前には
 えんどう豆をサービスしてくれました。

 さらに食後には
 昨日にひきつづき、スイカまで(涙)。

 公職選挙法のかねあいで
 僕はとにかくふだん絶対にサービスで出される食べ物のオマケを
 徹底的に断っているんですね。

 とにかく無料での食べ物・飲み物をもらうことは
 政治家が腐っていくことの始まりだから。

 だから、自分が当選した選挙区である横須賀市内では
 市民の方のお宅におじゃましても
 コーヒーには手をつけないし、
 ごはんを出されたらお金を代金として置いてきたり
 ふつうの常識ならかなり不愉快に感じられるようなことをしています。

 でも、ここは西所沢。

 そして、僕は明日にはここを離れて
 このお店に来ることも2度と無いだろう。

 ありがたく、えんどう豆とすいかをいただきました。

 帰りがけに

 「おにいさん、また来てね」

 と、おじいちゃんに言われた時には
 ぐっと来ちゃったよ(涙)。

 「スクーリングでたまたま来てるだけなんだ」って
 最初から言っておけば良かったよ...。

 昨日も今日もたくさんお話したので
 すっかり情がうつってしまって
 別れをつらく感じました。


● 大切な仲間たちができたよろこび

 話は前後しますが、大学でのこと。

 今日は天気が良かったので
 学食(室内)ではなくて
 大学のキャンパスのまんなかにある中庭で
 お弁当を食べました。

スクーリングの仲間たちと昼食の風景  この写真だけ見ると
 女性4人にフジノ1人だけだから
 ハーレム状態に見えますけど
 あと3人の男性が
 見えない角度に居ますからね(笑)

 こんなふうに
 キャンパスの階段に座りながら
 昼飯を食べるなんて
 すごく久しぶりの気持ちでした。

 しかも、大学時代の僕にとっては
 同じように強い想いを抱いて勉強してた人が周りにいなかったから
 もしかしたら初めての感覚かもしれません。

 朝から夕方までへとへとになるまで
 徹底して精神保健福祉について勉強をする。

 休み時間にはお互いに励ましあったり
 冗談を言ったり、おしゃべりをしたり。

 あるいは、ふだんはみんな働いている人々ばかりだから
 現場での出来事を話しあったりもする。

 こんなふうに、精神保健福祉への想いを
 強く抱いた仲間たちと過ごせた7日間。

 僕にとっては永久の宝物級の思い出です。

 ありがとう。
 本当にありがとう。

 あと1日だけだ。
 がんばろう。

帰りのバスから見える景色、夕焼け。これを毎日見ながら帰りました。  帰りのバス停からの景色、
 それさえもとても美しくて
 いとおしく感じた。
 やれやれ。



 別れに弱いぜ。


2004年7月14日(火)のフジノ(その1)
● 重大発表

 14日(火)午前9時30分から
 横須賀市役所内の記者クラブにて

 重大な発表をします!

 今までに想像できなかったようなことが
 ついに動き出します。

 詳しい内容については
 記者会見が終わりしだい、HPでアップします。


2004年7月13日(月)のフジノ(その2)
● 池袋へ

 さて、演説を終えて
 市議会へ大急ぎで行って
 たまっていた3日分の書類を受け取って
 急ぎのものは持って行くことにして
 滞在わずか10時間で
 再び横須賀を離れました。

 まずは、池袋です。

 ヴェルニー公園にカフェレストランをつくる予算が通った時に
 かねてから障がいを持つ方々の働く場を増やしたかった僕は
 いろいろなカフェを見てまわりました。

 ものすごくたくさんの数を調べたので
 その中には「気になったけれども行く時間が無かった」ところも
 たくさんありました。

 その中でも「かなり行きたかった!」のが
 池袋の豊島区役所裏にある『Cafeふれあい』です。

 ここは、黒字のカフェです。

 そこで、行ってきました!
 
Cafeふれあいの看板  このカフェは、精神障がいを持つ方々が
 運営しているのですけれども
 池袋の激戦区で
 かれこれ9年間も経営されています。

 3年ほど前から店長になった方の手記を
 僕はかつて読んだことがあって
 それがすごく印象に残っていました。

 場所はまさに池袋駅のそば。
 飲食店の激戦区です。

池袋の区役所のそばの人通りが多いところにCafeはあります  初代の店長は
 飲食業をずうっとやってきた方を迎えて
 立ち上げ・指導・オープン・運営を
 行ってきたのです。

 その間には、店員になる
 障がいを持つ方々とも
 いろいろご苦労があったそうです。

 障がいがあろうとなかろうとサービス業はサービス業です。
 それが前店長の考え方で徹底して厳しい指導をされたそうです。

 かたや精神障がいを持つ方々にとっては
 それはかなり厳しく扱われたという感じだったりして、
 でもこういう日々の積み重ねが 
 現在の『ふれあい』につながっているのだと思います。

その日のおすすめメニューが1階の路面に出ています  僕はお話をうかがうことは
 その手記を読んだことでOKだったので
 とにかく混んでいる時間帯に
 実際に食べに行くことにしました。

 働いているさまを見たいとか
 そんなことではなくて
 「おいしいかどうか」
 「サービスがOKかどうか」

 見たいのはこれだけです。いつもそう。スワンカフェの時もそう。

 お店が2階にあるんですけど
 1階に分かりやすい看板を出していたり
 その日のおすすめメニューを出していたりしてナイスでした。

おすすめのコーヒー。  まずは、自慢のコーヒーです。

 本当は「ホットこそうまい!」と
 聞いていたのですけれど
 この暑さ(今年1番の暑さだそうですね)
 アイスコーヒーに走ってしまいました。

 でも、アイスもおいしかったよ!

 そして、ランチとして
 『ふれあいセット』を食べました。

カレーとサラダとヨーグルトの「ふれあいセット」。おいしかった!  カレーとサラダと
 ヨーグルトまでついています。

 カレーおいしかった。
 お肉がとくにおいしかったです。

 それにしても、スクーリングに来て良かった。

 実はこのお店で職員として働いている方と
 知り合いになることができたのです。

 フシギな縁ですよね〜。

 真剣にがんばって活動していれば
 必ずそれに応えてくれる人に出会えるという
 シンクロニシティだと僕は信じています。

 『ふれあい』のコーヒーとカレー、
 とてもおいしかったです。 そして、会計のあとに
 『ポイントカード』を渡されたのもいいなあと思いました。

 リピーターを作る手段の1つとして
 ポイントカードはとても有効ですよね。

 いずれにしても、
 日ごろはなかなか池袋まで出てこれないので
 ずっと来たかったここに
 来れるきっかけができて本当にラッキーでした。

 ちなみに、ここは作業所では無いんですよ。
 あくまでもカフェ。喫茶店です。
 働く場所です。

 そして、支払われているお給料も
 その仕事ぶりによって
 ちゃんと差がある、という民間企業では当たり前のことを
 福祉的就労の世界にも取り入れて、そして黒字である、ということは
 絶対に見習わなければならないと思いました。

 また、カレー食べに来ます。
 そして、今度はホットコーヒー飲みに来ますからね。

 いきなりおしかけて失礼しました。
 そして、おいしいごはんをありがとうございました。


● ハンセン病資料館へ

 スクーリング会場の前に
 自由に情報をはりだせる大学時代の掲示板みたいなのがあって
 フジノもはりださせてもらいました。

 ハンセン病資料館に行きませんか?
 
 というものです。

ハンセン病資料館に一緒にいったスクーリング仲間たちと  そうしたら、なんと合計6名も
 来てくれたのでした。感謝、感謝です。

 スクーリングの中日でみんな疲れてるのに
 わざわざ勉強につきあってもらえて
 すごくうれしかったです。

 ハンセン病への扱いこそ
 この国の厚生行政の最悪の汚点の1つです。

 人として生きることを許さない、という
 ドイツのナチスと全く同じ政策をハンセン病の方にとったのです。
 (ぜひこちらのHPを見てください)
 
 断種、隔離・隔絶、戸籍そのものから存在を抹消してしまう。
 劣悪な生活環境の中で暮らさせる、最悪です。

 ナチスよりましな点が1つだけあるとしたら
 ガス室に送り込まなかったということぐらいだけです。

 最悪の差別と偏見を
 国が作ったのです。

 そんな差別の歴史は今も続いています。

 つい7ヶ月前にも
 ハンセン病にかかったことがあった人を
 宿泊拒否したホテルがありました。

 いったん人々のこころに根付いてしまった差別を
 取り除くことはものすごく大変な作業なのです。

 宿泊させなかったホテルはけっきょく潰れましたが
 会社の人々だけを責めて終わりにするような
 そういう世の中の風潮には
 僕は強い嫌悪感を抱きました。

 昔から民間伝承としてあった偏見を
 国が増幅させた結果がこの現実なのです。

 差別の気持ちを抱いた人だけを責めて
 一体何が解決するというのでしょうか。

 国の対応にこそ、僕は強い怒りを感じています。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ー

 さて、そんなわけで、どうしても
 このハンセン病資料館に
 ずっと前から来たかったんです。

 けれども、上に書いた池袋もそうですけれど
 やっぱり僕にとってはとても遠くて
 なかなか足を運ぶチャンスがありませんでした。

 でも、今日、思い切って来て
 本当に良かった。

 実は、ものすごくラッキーだったんです。

 名古屋から看護学校の学生さんが団体で資料館に来ていたので
 ハンセン病の回復者の方が、ガイドとして説明をされていました。

 僕たちは学生さんのグループにくっついて
 じかにお話をうかがうことができました。

 その方の名前は、平沢保治さん

 来年の11月まで講演活動がびっしり埋まっている
 すさまじいスケジュールをこなしている方なのですね。

 厚生労働省の審議会メンバーにも入ったり
 偏見・差別を無くすには小学生のうちから積極的な教育をという
 理念のもとにすごく活動をされている方です。

 その活動は高い評価を得ていて
 東京弁護士会人権賞をはじめ、ウェスレーベイリー賞など
 数々の表彰をされています。

 でも、だからといって決して偉ぶるなんてことはなくて
 近所の小学生たちからも
 「平沢さーん!」と遠くからでも声をかけられるほどに
 すごく仲良しなのですね。

 ガイドを終えた平沢さんは
 事務所の控え室へと戻っていかれました。

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 けれども僕はせっかくの機会を絶対に逃したくない性格なので
 平沢さんが控え室から出ていらっしゃるのを
 ひたすら待ちました。

 有名な方の『出待ち』はいつものこと。
 何時間だって僕は待ちます。

 そうしたら、10分くらいしたところで
 平沢さんが出ていらっしゃいました。

 よっしゃ!そっこうで話しかけましたよ!

 平沢さんに事情をお話したら
 僕たちのグループに来てくださって、
 たくさんお話を聞かせてくださいました。

 僕は、お願いして握手してもらいました。

 無知や偏見とは恐ろしいものです。
 かつては握手しただけでも感染すると考えられていたのです。

 けれども今ではハッキリと
 そんなことはありえないことが分かっています。

 それなのに、上にも書いたとおりで、つい数ヶ月前にも
 あるホテルがハンセン氏病にかかったことがある方を
 宿泊拒否した事件が起こりました。

 まだまだ偏見と闘っていかなくちゃいけない。

 平沢保治さんと。


 

 彼は本を4冊出版されてますが
 フジノ的に最もおすすめなのは、こちらです。

 『ぼくのおじさんは、ハンセン病〜平沢保治物語〜』
        (全国障害者問題研究会茨城支部、99年) 

 小学生の副読本としても
 最適な、すごく素敵な本だと思います。


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 ハンセン病資料館を出ると、
 広大な緑あふれる土地があります。

 「何故こんなに緑が残されているのだろう?」
 「緑のトラスト運動かな?」

 その答えは、恐ろしいものです。

 なんと、この広大な土地こそが
 ハンセン病にかかってしまった方々を隔離していた場所なのです。

 1つの村をつくり、決してそこから出られないよう柵を作ったのです。
 ここの名前は『多摩全生園』といいます。

 全生園だけでなく
 全国に『療養所』という名前の隔離施設がいくつも作られました。

 逃げられないようにするために
 柵を作るだけでなく
 見張り所もありました。

 また、入所させられると
 お金もこの園内だけでしかつかえない
 園内適用券というものに
 交換されてしまうのでした。

 12畳しかない部屋に8人が暮らさねばならない
 雑居部屋などが住まいでした。

 今は誰でもが自由に散策できる
 自然に満ち溢れた静かな場所です。

 まだ、ここで暮らしている方々も
 わずかながらいらっしゃいます。

 ハンセン病療養所に入所させられた方々の平均年齢は
 現在では70代後半と高齢化が進んでいます。

 何十年間もこの中で暮らさせられて
 70代後半になっていきなり違うところに暮らすのは
 誰でも大変です。

 だから、今もこちらにお住まいの方がいらっしゃいます。

 時代が変わったおかげで
 退所して、引越しをした方々もたくさんいます。 

お墓  けれどもかつては
 1度ここに隔離されたら
 亡くなっても出ていくことが
 許されませんでした。

 本当に、絶対に許されない
 最悪な人権侵害、
 人間の尊厳に対する国家犯罪だったのだと
 僕は考えています。

 僕は神を信じませんけれども、
 合掌させていただきました。

 魂の存在も信じませんが、
 もしも肉体が滅びた後も魂というものが存在するのならば
 せめて自由にあってほしいと願います。



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待ち合わせの目印につかった紙  しかし、今日は本当に暑かったですね。

 遅刻しちゃいけないと思って
 清瀬駅の南口に
 待ち合わせの40分も前から
 この紙を持って突っ立ってました(笑)

 階段を降りてくる人がみんな僕と目を合わせるから

 「おっ、この人が一緒に行く人かな?」

 と思うたびに違う...。

 いいかげん何回もそれを繰り返していると
 ただ通り過ぎる人にとっては
 こんな紙をかかげて
 突っ立っている男が「珍しくて見ているだけ」だと気づくのですが
 なんかね、目が合っちゃうとさ、ダメだよね。

 思い切り笑顔で紙を見せてみたら
 PSW4期生でも何でも無いカンケーないこの人も
 一緒に資料館へ行くかもしれない。

 なんて、暑さにやられて
 だんだん本気で思うようになるんだよね(笑)。

 そんなわけで、昨日は
 熱にやられて
 清瀬のみなさんにひたすら笑顔を送り続けたのでした。


今年初めてのスイカをいただきました  でも、つらいことがあれば
 必ず良いこともありますね〜。

 ふらりと入った中華料理屋さん、
 おじいさんが1人きりでやってる
 小さなお店なのですが
 フラフラしてる僕を見て
 スイカをサービスしてくれたのです!

 今年初めてのスイカだ!うれしい〜。

 台湾出身のおじいさんのお話を
 ひたすらたくさん聞かされてしまったけれども
 そのお話もすごく興味深いものでした。

 人生って、本当にいろいろだ。



2004年7月13日(月)のフジノ
● 選挙が終わってからこそが本当の始まり

 参議院選挙の前には
 『選挙に行こうツアー』を勝手に1人でやりました。

 けさは朝6時半から8時半までYデッキで
 『選挙が終わってからが始まりですよツアー』をやりました。

 いつもみなさんにお伝えしているのですが
 政治家の仕事は
 『選挙で選ばれること』なんかでは全く無くて
 『選ばれた後、議会で何を発言し、どういう法律を作ったか』という
 このことだけが大切なんです。

 なることよりも
 なって何をするかだけが大切なんです。

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 よくみなさんはフジノの職業を知ると

 「へぇ〜、政治家なんだ。すご〜い」

 と言いますけれども、それは間違っています!

 「へぇ〜、政治家なんだ。議会ではどんな発言してるの」

 ぐらいの言葉がかえてくると、うれしいな(笑)。

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 今回、横須賀から
 選ばれた3人の参議院議員はみなHPを持ってます。

 浅尾慶一郎HP千葉景子HP小泉あきおHP

 彼らが国会でどんな仕事をしていくのか
 6年間しつこくチェックしつづけてください。

 政治家にとって大切なのは
 何をしたか、だけです。


 マニフェストや選挙公報を捨てないで
 時々見て、ちゃんとあなたとの契約を守っているかを
 厳しくチェックしつづけてください。


● これから大学に戻ります

 仕事が気になって帰ってきて
 帰ってきたらどうしてもこのまちに暮らしているみなさんに
 きちんと演説をしておきたくて、やってしまいました。

 横須賀への滞在時間10時間で
 また日本社会事業大学に戻ります。

 今日は戻りながら
 池袋にある(前からずうっと行きたかった)
 精神障がいを持つ方々が運営している
 黒字のカフェに行ってきます!

 そして、14時にみんなで集合して
 ハンセン病資料館を見学してきます。

 ではまた夜に。

 おつかれさまです!


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