まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2004年9月7日(火)のフジノ
● 準備は整った。あとは明日が本番だ。

 今夜は『民意が市政に生かされることを願う会』だった。

 明日は、ついに市長との会談だ。

 最後のうちあわせをしてきた。
 準備として、やれるべきことは全てやった。

 市議として在る前に
 1人のこのまちに暮らす人間として
 『民意が市政に生かされることを願う会』の1人として
 明日を迎えられることをうれしく思う。

 ついに明日、市長が
 美術館問題について市民の生の声を聞く。やっとだ。

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 そもそも、今回の話し合いは
 僕たち『願う会』が呼びかけたものではない。

 あれだけ呼びかけても1度も美術館トークに出なかった市長が
 『願う会』に連絡をとってきて、そして会うことになったのだ。

 市長が僕たちに何を話そうとしているのかは分からない。
 市長が僕たちをどう説得しようとしているのかは知らない。

 でも、僕たちが伝えなければならないことは
 いつだってハッキリと分かっている。

 僕たちは最初から最後まで
 何も変わっていない、ずっと変わらない想いで活動をしている。

 このまちに暮らしている人間としての
 『生の声』をそのまま伝えることだ。

 それが僕たちの使命だ。

 準備として、やるべきことは全てやった。

 あとは明日を迎えるだけだ。


● 明日、徹底的に援護射撃します

 僕は『願う会』の一員なのですが
 市長側は明日の場には市議は含まないということが条件らしく
 僕は参加しません。

 けれども、『願う会』の精鋭8名が
 僕や、署名をしてくれた約7万人の想いを背負って
 その想いをぶつけてきてくれるはずです。

 僕がその場にいなくても
 マスコミ各社の同席が許可されていますから、大丈夫。

 それから、終了しだい
 徹底的に速報をHPに載せる体制をとります。

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 明日は、徹底的に援護射撃にまわります。

 このまちに暮らしている人々の
 ほとんどの人がまだ
 市長がやっと重い腰をあげて市民側と話しあうことを
 知らないのです。

 僕はスタッフとともに
 明日は1日中、
 選挙の時以上にこのまちを徹底的に走り回って
 演説しまくってチラシを配りまくって体を削ってでも
 徹底的に告知してまわります。


● カフェトーク

 今日は、9月議会が始まる前の
 最後のカフェトークでした。

 僕が質問する内容を話したり
 参加してくれた方々が「こんなことを聞いて欲しい」という声を
 聞かせていただくつもりでした。

 詳しいことは今日のレポートに書きましたけれども、
 今日の参加者は6名でしたが
 今回も様々な方々がそろいました。

 なんと、僕ともう1人だけが横須賀市民で
 1人は葉山町民、
 1人は三浦市民、
 2人は逗子市民、なのでした。

 どんな立場の人でも
 どんな想いの方でもウェルカムです。

 どこに住んでいようとそんなこともカンケーありません。

 どしどし遊びに来て下さい!

 次回は9月28日(火)です。

 9月と10月は議会がひらかれているので
 これまでのように定期的(第1と第3の火曜日)に開けないのですが
 それでも必ずやりますからね。

 今日参加してくださったみなさん、ありがとうございました!



2004年9月4日(土)のフジノ
● 雨。ライブハウスのロビーで資料読み&原稿書き

 やられた...。
 今、渋谷にいてライブハウスにいて、これを書いている。

 すさまじい雨にやられてしまって、
 びしょぬれになって到着した。

 ライブそのものが始まるまでは
 2時間以上もある。
 だから、ここで仕事をすることに決めた。

 まわりではみんな仲間たちと
 「音楽が好きだ!」とファッションからアピールしてるコばかりで
 そんな中ひとり僕はスーツを着込んで
 モバイルパソコンを打っている。明らかに変なヤツだ。

 自殺予防や危機管理の本を読んでいる僕の隣で
 3人組が楽しそうに音楽の話をしている。

 本当ならばファミレスで夕飯を食べながら
 持ってきた資料を読んだり
 一般質問の原稿を書いたりするつもりだった。

 いつもならスタート時間ぎりぎりに来るのに
 今日だけは場所が分からないから
 あらかじめ下見をしておこうと思って歩いてたら、ひどい豪雨!

 しかたがないから見つけたライブハウスの中に入って、
 夕飯も諦めて
 ロビーでこれを打っている。やれやれ。
 ライブまではまだ2時間もある。

 仕事にはもってこいの環境とは言えないけど
 うるさい環境でも仕事できる性格で良かった。


● 今すぐに自死遺族のケアが必要だ

 今日は、NPO法人「生と死を考える会」が主催する
 「自死遺族の分かち合いの会」に参加した。

 これまで「生と死を考える会」では
 「死別体験者の分かち合いの会」
 ものすごく長い間にわたって開催してきた。
 この国のグリーフケア(遺族の悲嘆へのケア)を担ってきたのだ。

 これまではどんな亡くなり方かは問わず
 あらゆる死別を対象にして
 その痛みや悲嘆の分かち合いの会を開いてきた。

 けれど、今回ついに
 初めて「自死遺族」だけを対象にした場を開催した。

 今日がその第1回だった。

 この発表がおこなわれてから
 すぐに行く決心をしてスケジュールに入れたけれど
 同時に行きたくなくて
 イヤでたまらなかった。

 ただでさえ、遺族の悲嘆というのは激しい痛みを伴う。

 それを自死のみに限定して、
 3時間にわたって聞くことに僕は耐えられるだろうか...。

 これが僕には不安でたまらなかった。
 自分が耐えられるかどうか怖かった。

 そして、今日を迎えた。

 12時に横須賀を出発。
 13時半には目的地についてしまった。
 逃げたい気持ちを引きずりながらも30分早く会場へ入った。

 そして...16時半に終了。

 結果、どうだったか。
 内容はもちろん守秘義務で言えない。

 けれども

 「これは絶対に必要不可欠な会だ」

 と断言できる
 そういう会合だった。

 東京だけではなく、
 あらゆる地域でおこなわれるべきだと思う。

 つまり、横須賀でもおこなうべきだ。

 僕はできることならば
 月1回おこなわれる
 「生と死を分かち合う会」による信濃町での集まりに参加し続けて
 いつの日にか自分の住むまちで
 これをやりたいと考えている。

 いや「やりたい」ではなくて
 「必ずやらなければならない」と考えている。

 今、横須賀は
 神奈川県(政令指定都市を除く)でワースト2位の
 自殺者数(毎年約100人)という哀しい状況だ。

 1人命を落とせば、最低でも5人は
 深刻なダメージを受けている遺族がいるというのが定説だ。

 だからこのまちでは
 毎年500人にものぼる方々が
 深刻なダメージを受けていてケアを必要としている。

 自殺予防をするだけでなく、
 自殺による遺族のケアを徹底的にやらなくてはいけない。

 横須賀市は
 フジノが市議会や委員会で何度質問をしても
 市側から積極的にケアに乗り出す気持ちはないと答弁を繰り返した。

 そんなことではダメなんだ!
 何故そんな大切なことをやろうとしないんだ!

 分かっていないのだと思う。

 市がやろうとしないなら、
 おれがNPOでも何でも勝手にやってやる。

 何故なら状況はいつだって「待ったなし」なのだから。

 そんな決意を
 改めて持った会だった。


● 恩人は元気だった

 いろいろな情報の錯綜があって、
 数日前に書いた『転職前の会社の恩人』の手術は
 8月中旬にすでにおこなわれていた。

 ものすごい偶然のおかげで、
 入院先が信濃町にある大学病院だったおかげで
 僕は同じく信濃町でおこなわれた
 「自死遺族の分かち合いの会」が終わった後に
 病院へとお見舞いに訪れることができた。

 約1年ぶりにお会いするその方は
 予想を上回る元気さだった。良かった。

 確かにものすごくやせてしまったけれど
 それでも気持ちの芯は変わらない
 その方のままだった。

 ベットのテーブルの上に
 ノートPCが置いてあったので

 「まさか、決裁したり仕事してるんじゃないですよね!」

 と尋ねると、

 「入院してから数日は
  毎日やってたけど
  今は3日おきくらいだけにしてるよ」

 とハニかんでいらした。

 仕事好きな人が大好きなフジノなので
 そんな「その方」の行動を
 「その方らしい」と思ったけれど
 それでもとにかく長生きしてほしいので
 せめて入院中は仕事をしないでほしいとお願いした。

 ガンで胃をとったばかりだというのに
 その方は僕の体のことをずうっと心配してくれていた。

 僕は恥ずかしくて
 「大丈夫です」としか答えられなかった。

 僕の前の会社は映画会社だから
 DVDを見る、という行為は娯楽というよりも仕事だ。

 その方は病室にたくさんのDVDを持ち込んでいた。

 僕も仕事が大好きなので
 その方の変わらない姿勢にうれしい反面、
 心配でたまらなかった。

 その方はものすごい重責を担っていて
 僕が会社を辞める前には
 会社を改革する新しいプロジェクトチームの責任者だったし
 同時に外資系A社との合併を進めていた。

 さらにその2つを終えた後は
 新しく作られた会社(これは単なる子会社ではない)の社長として
 忙しい日々を送っていた。

 そういう姿勢をみると
 「それでこそ働くってことだよな」とうらやましくなるけど
 だけど身体だけは壊してほしくない
 と強く思った。

 ...でも、とにかくお会いすることができて良かった。

 政治家としての僕の仕事ぶりをずっと気にかけてくれて
 だから「僕は毎日全力でがんばっています」と説明した。

 人の命の長さ、というのは
 僕にとってはものすごく複雑なものだ。

 僕自身はいくら短くてもかまわない。
 27才から先の僕の人生は、
 本当は必要が無かった余りの人生だという気すらしている。

 だけど、僕にとって大切な人の命が少しでも短くなることは
 どうしても耐えられない。
 少しでも大切な人には長生きをしてほしいと願う。

 僕の命の長さを分けられるなら
 少しずつ、大好きな人たちに分けてしまいたい。

 大切な人を失うことは
 僕自身が消えてしまうことよりもつらい。

 今日はお見舞いに行くことができて、
 そして、お元気そうな姿を見ることができて、
 本当に良かった。

信濃町の大学病院


2004年9月2日(木)のフジノ
● この国にいて、そして世界と戦っている友達

 昨日は、この国を離れて
 自分のスキルを最大限に発揮できる/評価される場所へと
 向かった友達のことを僕は書いた。

 この僕の文章をこんな風に「誤読」している人がいる。
     ↓
 優秀な人間は
 海外に出ていなければいけない。
     ↑
 こんなことは一言も書いていない。

 僕がこう書いたと誤って読んでいる人がいるようなので
 今日は別の友達のことを紹介したい。

 このまちに暮らしながら
 世界を相手に勝負している友達の話だ。

 彼は明日からおこなわれる
 世界中が注目している、ある競技にスタッフとして参加する。

 そのために今、北海道に滞在している。
 (詳しい人ならばこれで何の競技か分かったでしょう?)

 彼のようなすごいスキルを持つ人は
 なかなか存在しない。完全に日本ではトップの1人だ。

 彼のスキルは素晴らしいので
 あえて海外に出ていく必要が無い。
 日本代表として、他の国々の代表とスキルを競い合えばよいのだ。

 彼のような人間に対して励ましの言葉なんて必要ないのだけれど
 明日からの本番を前に
 ささやかながら励ましのメールを送らせてもらった。

 僕はきみのことを誇りに思う。
 全力で悔い無き戦いをしてきてね。

 こういうメールを送ることで
 僕は自己満足させてもらっているのだろうと正直に思う。

 アテネオリンピックに出る選手だとか
 全国大会に出る高校生などを
 市長たちは
 すぐに激励会なんか開いたりするけれど
 僕からすればそういうのを催すべき対象として値するのは
 実はこの友達なのではないかと感じる。

 でも、行政の激励なんて全く必要としないのが
 僕たちの世代だとも同時にハッキリと感じる。

 好きだからそれに熱心に取り組んでいる。
 24時間それを続けても飽きないぐらいに
 自分自身がそれをすることが好きだからやっている訳で
 それについて
 他人がどう評価する(激励会とか)なんてことは
 全く無意味なのだ。

 変なパーティーで無意味なスピーチをやらされたり
 食べたくない食べ物や飲み物を出されれば
 自己管理の時間を取られるし
 よけいなことに気を回さねばならず
 時間のムダになるだけだ。

 いずれにしても、そんな激励会なんてくだらない。
 まわりの人間の自己満足でしかない。

 僕の友達はそんなこととは無関係に
 世界のトップと戦ってくるだろう。

 悔い無い戦いをして欲しい。
 そして、思い切り楽しんできて欲しい。

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 あと、もう1人のことも書きたい。

 僕の1才上のある方は職人さんだ。

 彼の腕は世界レベルであり、
 彼が何を作っているかをここで書いてしまえば
 その実名が分かってしまうくらいのスキルを持っている。

 何故なら日本でそれを作れるのは
 彼を含めて数名しかいないからだ。

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 こんな2人の友達が
 このまちで暮らしている。

 僕はとうていかなうことの無い、すごい人たちだ。

 「優秀な人間はみなこの国を捨てるべきだ」

 などと僕は言っていない。

 「優秀な人間は
  より正当な評価を受ける場所へ移動するのは当然だ」

 そう、書いただけだ。

 そして素晴らしいスキルを持っている友達が
 このまちにもまだまだ残っている。

 そういう人への評価が
 もっと高くあるべきだ。

 僕はそう考えている。


● 恒例の独り合宿

 今日は都内のホテルに泊まって
 市議会がおこなわれる前のフジノにとって
 恒例の『独り合宿』を行なった。

 5冊の本とipodミニとノートPCだけ持って、ホテルにこもった。

 本会議での一般質問と
 委員会での質問を作るのが目的だ。

 どうしてもこのまちにいると
 やらなければならないことが別にたくさんあって
 まとまった時間がとれない。

 だから、安いホテルをインターネットで見つけては
 市議会の始まる前には缶詰めになるよう
 自分で決めている。


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 だけど、今回は
 1つ大きな手違いがあったせいで
 ほとんど時間が取れなかった。

 横須賀を離れていて動けない僕のかわりに
 市内のスタッフにすさまじくムリなお願いをして助けてもらった。

 タイムリミット2時間、という状況の中で
 的確にその作業をこなしてくれたスタッフに
 本当にこころから感謝しています。

 ありがとう。

 横須賀を離れてまとまった時間を作りたかったのだけど
 そんな日に限って横須賀で急用ができてしまって
 一時はどうなることかと思った。

 だけど、僕のスタッフは
 本当に親切で優秀な人ばかりで僕は救われていると思う。
 本当に助かった...。

 繰り返しになるけど、本当に本当にありがとう。


● おまけ

 質問づくりに疲れて
 ホテル内をぶらぶら歩いていたら
 こんなのに出会いました。

パン生地と砂糖で作られた慎重180センチのハットリくん  これは、なんとパン生地や
 砂糖で作られているのです。

 僕は身長175センチですから
 どれほど大きいか
 分かりますよね。

 ハットリくん以外にも
 しし丸やシンちゃんや影千代もいました。

 僕は前職が映画会社なので
 映画館があるとすごく気になってしまいます。

 実写版の『忍者ハットリくん』、僕は好きです。

 自分が在籍した会社の作品だというひいき目もあるけれど
 それだけじゃないなあ...。

 政治家に転職する前は全てのジャンルの映画を観ましたけれど
 今はお金を払ってまで悲しみや苦しみの映画を
 観る気持ちにはなれません。

 今は仕事でリアルな痛みの声を
 毎日聞いているから。
 あえて映画でまで観る必要が無い気がする。

 何もかも忘れられるような、そんな映画が好きになってきました。

 『ヴァン=ヘルシング』なんかも好きです。
 『バイオハザード2』も早く観たいですね。


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 僕の9月議会での一般質問は
 9月16日ではなく
 9月30日に行なうことにしました。

 16日は雄人がやりますから
 ぜひ注目していてください。



2004年9月1日(水)のフジノ
● 友達の出発を祝いながらもさみしくてたまらない

 大学時代の親友が
 明日、ベルギーへと留学に旅立ってしまう。

 僕の親友の多くは
 この国にはいない。

 学問の道を究めようとしている友達の多くはこの国にはいないし、
 仕事の道に入った人たちは
 たとえこの国にいても多くは外資系にいる。

 何故、この国ではダメなのか。

 僕らの世代は
 そんなことを言葉にしなくても理解している。

 けれども、大切な仲間がこの国を去っていくことは
 この国に残ることをあえて選んだ僕には
 とてもさみしくつらい。

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 NHKに入社してから5年間活躍をして
 あっさりとそれを捨てて
 海外の大学へ留学した友人は
 今年、卒業したけれどもこの国には戻ってこなかった。

 戻ってこない、というEメールをもらった時に
 当然だよな、と彼の選択に共感しながらも
 この国、このまちに最期まで残ることを決めた僕にとっては
 すごく複雑な気持ちだった。

 優秀な人はこの国を離れる。

 優秀というのは
 東大法学部を卒業するとかそんなくだらないことではない。

 偏差値が何かを表していると考えるのは
 ブランド物のカバンを買わないと不安でならない人たちと同じで
 ものすごく陳腐でくだらない過去の遺物を愛するだけの人たちだ。

 優秀とはそんな意味ではない。

 自分自身の現在と未来に対する適切な認識とビジョンを持っていて
 そのビジョンを実現するためのスキルを身につけている、
 そういったことだ。

 彼らがこの国を離れていくのは
 国を捨てる、とか、大げさな時代がかった意味では無い。

 その能力をより活かせる世界へと
 より正当な評価を受けられる場所へと
 移動していくのは
 僕たちの世代には当然の行動だ。

 この国では
 受けられるべき評価を受けられない。

 けれども、それでもあえて、
 希望が無いところで
 希望を訴え続ける仲間が居て欲しい。

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 明日、この国を離れる親友は
 大学時代に
 未来を語り合った大切な3人の仲間の1人だ。

 表現手段は異なるけれど
 同じ想いを持つ仲間だ。

 1人は学問の道を究めるために大学に残った。
 1人は全国紙の新聞記者をしている。
 僕は市議会議員になんかなってしまった。

 僕は同じ想いを持ち続けていると自分のことを信じているけれど
 『手段』に飲み込まれて
 『目的』を見失われるのではないかと
 時々、すごく不安になってしまう。

 そんな日々の中で、
 大切な友人がこの国を離れてしまうという事実は
 僕の気持ちを
 改めて引き締めてくれた。

 彼はきっとベルギーでも活躍をするだろう。

 彼の新しい出発を
 こころから祝いたい。

 そして、できることなら
 彼が帰ってきたくなるような国に
 少しでもこの国を変えていくことができたらと願っている。

 どうか体にだけは気をつけて
 親友よ、いってらっしゃい。


● 大切な人のことを想う

 さっき電話があって
 転職前の会社の方が大きな手術をしたと聞かされた。

 僕にとっては、大切な恩人の1人だ。

 僕が選挙に出るために
 辞表を出した時に
 その方は最初は受け取ってくれずに、こう言った。

 「フジノ、お前が選挙に負けるのはかまわない。
  けれどお前は自分の人生に勝つ自信はあるか?」

 「あります」と僕は答えた。

 「よし、それなら辞めさせてやる」

 その方は最後まで僕のことを心配して下さって
 僕が退職してからも、

 「フジノは大丈夫なのか」
 「あいつを応援してやってくれ」

 と、まわりの方々によく言っていたと
 人づてにしばしば聞いた。

 だから、当選した後、
 その方に直接に伝えたくて僕は会社を訪れた。

 その方はとても喜んでくれて
 僕はその方が喜んでくれたことがうれしかった。

 僕は僕自身が当選したことは別にうれしくなかったけれど
 まわりの方々、特にお世話になった方々が
 喜んでくれることがうれしかった。

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 僕は筆不精だしこまめに親しい方に連絡を取らない。

 けれども、こころの中では
 大切な方々のことはいつもいつも想っている。

 だから、さっき電話を受けた時、
 あまりのショックに声を出して泣いてしまった。

 別に死んだ訳でも何でも無い。

 すごく大きな手術をしただけのことだ。

 お見舞いに行けば
 きっとまたその方はガハハといつもみたいに笑うだろう。

 この世界はいつも善い人から先に奪っていく
 そんな想いは、僕のただの思い込みでしかないだろう。

 それなのに
 横須賀中央のカフェの中なのに
 他人の目も気にならずに
 涙が出てしまったのは何故だろう。

 こんな僕の心配を、不安を、
 大きな笑い声で吹き飛ばして欲しい。

 早くお見舞いに行きたい。


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