まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2005年4月6日(水)のフジノ
● お花見

 今日は、仲間たちと夜桜を楽しんできました。

 僕たちは1年を通していろいろなイベントを行なうのですが
 それぞれに意味があって、とても大切なことだと思っています。

 桜のはなびらが風で舞って
 コップの上に浮かぶ。

 そういう景色を
 僕はみんなのこころの奥に
 ずっと焼きつけていてほしいと願います。

 集まった仲間たちと
 くだらないことを話しながら
 今年も再会できたこと、
 こんな風に冗談を言い合える仲間が
 誰にとっても存在するということを
 確認してほしいと願っています。

 桜に限らず、自然は美しいものですが
 その素晴らしさに立ち止まる時間を持てたら、と願います。

 いろいろな大切なことをゲラゲラ笑いながら、
 無意識に感じていけたらいいな、と僕は思っています。


● 人が生きるということは、カネなのか

 父の今後について、
 市民病院の地域医療連携室と初めて話し合いをしました。

 地域医療連携室というのは
 退院後の過ごし方について相談にのってくれるところです。

 現在の父の容態は、意識は戻らず、
 (未申請ですが、ほぼ)身体障がい1級・要介護5、です。

 家族のみんなで今日に至るまでいろいろ調べてきたけれど、
 地域医療連携室の方に
 さらにアドバイスをしてもらって
 少しずつどうしていくことが良いのかが見えてきました。


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 以前にも書きましたが
 改めて僕が感じている怒りと想いは

 「この国は、生きていくには結局はカネなのか」

 ということです。

 何が言いたいのかというと、

 手足も動かせず意識が無い状態に追い込まれた人は
 (働けないのだから)当然のこととして
 収入なんてある訳が無い。

 それなのに、その人のケアには
 すさまじくカネが必要である、ということ。

 僕にはそれが矛盾に感じられて仕方が無いのです。

 つまり、金持ちしか生き残れない。
 そういう結論にならざるをえないのですね。

 何のために『国』という制度をつくったのか。

 こういう状態に追い込まれた人々を助けていくためではないのか、と
 改めて強く僕は思います。



2005年4月5日(火)のフジノ
● 久しぶりのカフェトーク

 今日は、1ヶ月ぶりのカフェトークでした。

 報告&参加してくれた方の感想については
 カフェトーク担当スタッフのAさんがカフェトークのコーナーに
 後日、掲載されると思います。

 合計8名の方々が来て下さり、
 いろいろなお話をしました。

 カフェトークは基本的に何も決め事が無いのですが
 1つだけ、毎回必ず参加者にお願いしていることがあります。

 それは、自己紹介の時に
 『最近うれしかったこと』を挙げてもらうことです。

 うれしかったことを挙げる、というのは
 とても大切なことですし、大きな意味もあるのですね。

 慣れないうちは、この作業は意外に難しいのですね。
 今回はフジノにとっても、すごく難しかったです。

 ぜひみなさんも、
 『最近うれしかったこと』を考えてみて下さいね。


● 市民マニフェストの作成をやめることに決めました

 いずれきちんとした形で報告できると思うのですが、
 フジノには『やりたいこと』ができました。

 すでにスタッフには
 ほぼ報告を終えているのですが、
 もう少し時間が経ったら、HPでも報告ができると思います。

 その『やりたいこと』と、
 これまで続けてきた『市民マニフェストの作成』とは
 利益がぶつかりあう、というか
 続けていくことに対して
 僕の中では整合性が取れなくなりました。

 そこで、ものすごくたくさんの方々に協力していただいた
 市民マニフェスト作成のための
 ニーズ調査票の受付を本日をもって終わりにします。

 市民マニフェストの作成も中断し、
 今回のプロジェクトは終了としたいと思います。

 ご協力いただいたみなさまのうち、
 住所などの連絡先が分かる方々には直接にお詫びをして
 まわりたいと思います。

 また、「住所や名前の記入は必要ありません」ということで
 今回のニーズ調査票をお願いしてきましたので
 連絡先の分からない方々につきましては
 このHPでのお詫びをもってかえさせていただきます。

 ご協力いただいておきながら
 市民マニフェスト作成の中断という事態になってしまい、
 本当にごめんなさい。

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 ただ、今回の中断は
 決してマニフェスト推進をあきらめたものではありません。

 いくつかの市民団体が
 現在、市民マニフェストを作成しているとも聞いています。

 また、

 「市議であるフジノが先頭に立って
  市民マニフェストを作ることはどうなのか?」

 という声もありましたが、
 市議も1人の市民である以上、全く問題は無いと思っています。

 むしろ、マニフェストが当たり前になること、
 その為の過渡期にある現在では
 マニフェストを理解している立場にある人間(例えば市議ですね)が
 積極的にそれを提唱していく事は大切だと考えています。

 今回、僕の場合は
 作成中断という結論になってしまいましたが
 今後はマニフェスト選挙が当たり前のことになることを信じています。



2005年4月4日(月)のフジノ
● ぶっとおし4時間、語りまくり

 なんか、ここまで来たら
 政治家フジノとしての宿命を感じてしまう。

 まさか今夜で3日連続、語り合うとは思わなかった。

 今夜は4時間に渡って
 このまちのことやそれぞれの将来について
 語りまくった。

 人数こそ4人と少なかったけれど、
 もう、何となくフジノとしての宿命を受け容れ始めている。

 もともと約束があった訳でも無いのに
 3日連続、しかも明日は1ヶ月ぶりのカフェトークだから
 4日連続になるのだろう。

 政治家フジノとしての役目は終わったな、と感じた途端に
 これだけ連続して、人々がフジノと語りあうことを求めている事実を
 体感させられた。

 いろんな人の説得があっても

 「いや、もうおれの役割は終わったと思うよ」

 と、受け流してきた。

 けれど、延べ50人近くの人々と
 わずか3日間で合計20時間も語り合うという出来事に出会い、
 政治家として僕は
 自分のやらなければならないことが
 まだたくさん残っていることに気づかされてしまった。

 意図的に50人近く集めようとしても
 20時間近く語らせようとしても
 そんなことはできないだろう。

 だから、もう分かったよ。
 僕は、受け容れるよ。

 もともと逃げるつもりなんて無かったのだから。

 議員バッジを外そうが外すまいが
 僕がやっていくことに変わりは無いけれど、
 それでもこの権力を手段として
 闘うことで実現できるたくさんの人々の想いがあるのだろう。

 だったら、ガンガンやってやる。



2005年4月3日(日)のフジノ
● ぶっとおし5時間半、語りまくり

 今日も、熱く『語り・語られ』まくりの5時間半だった。

 このまちの将来について、
 このまちの現在について、
 あらゆることを同世代の若手のみんなと語り合った。

 サーファーだったりスケーターだったり
 海外から6年ぶりに帰ってきた人だったり
 いろんな人と語りまくった。

 これだけこのまちのことを熱く語れる人たちが
 きっともっともっと増えていくだろうということが
 僕にはうれしくてたまらない。

 ヒーローを作ってはいけない。

 1人のヒーローよりも
 想いのある人々が10人いる方が強い。
 僕はこれを信じているし、
 実際にこうなると思う。

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 夜21時半に集まって、
 10〜20人くらいだろうか、豪雨で強風の中、
 本当にいろいろなことを語り合った。

 気づくと明け方近い3時だった。
 でも、まだまだみんなは一緒にいて
 いろいろなことを語りたそうだった。

 身体はくたくただけど、
 こころはとてもクリアだ。

 おかしなこと、納得ができないことが
 このまちにはたくさんありすぎる。

 僕たちは、それらと闘う。



2005年4月2日(土)のフジノ
● ぶっとおし11時間

 今日は、取材を約2時間半、受けた。

 それから市民の方のお宅に移動して
 お話をしたり、相談を受けたりした。

 その市民の方のお宅に
 さらにたくさんの方々がいらっしゃったので
 夕方5時から夜中の2時半まで、ひたすら語り、ひたすら傾聴した。

 合計、11時間半。
 ぶっ続け。

 これを書いているのは、帰ってきた夜中の3時過ぎなんだけど
 こころはものすごくクリアだ。

 昨日、自分自身が書いたセリフが
 本当に身にしみてすんなりとあてはまる。

 僕はすさまじく弱い。

 それを認めた今、僕はものすごく強い。

 このまちもこの国も
 苦しんでいる人々がいつもたくさん存在している。

 その存在を知らずに過ごすことは
 多くの人々にとってはたやすいことだろう。

 けれども、僕は、僕自身が弱い人間だから
 苦しんでいる人の痛みや困っている人の悲しみが
 自分の痛みとしてとてもつらいという想いに共感してしまう。

 僕は弱っちい人間で良かった。

 弱っちいからこそ、僕はでかいものと闘える。
 他人の痛みを自分の痛みとして引き受けて、闘える。

 僕はどうしようもなく弱い。
 それを認めた今、ふつふつと闘志が沸いている。

 僕は、闘う。



2005年4月1日(金)のフジノ
● 議員バッジを外す決意

 政治家フジノとして1年11ヶ月間全力で働いてきたけれど、
 昨年12月に父が病床に臥して以来、
 激しく大きな心境の変化が
 絶えず僕の中で起こり続けている。

 具体的に「こう変化した」とは
 まだ言語化(言葉として表現すること)がうまくできない。

 率直に自分の変化にとまどっているし、
 どう表現すれば最もきちんと説明ができるのか分からない。

 ただ、ハッキリ言えることが1つある。

 それは「議員バッジを外す決心ができた」ということだ。

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 自分がどれほど努力しても
 決してコントロールできない状況の変化に追い込まれて
 やっと僕は僕のいろいろな飾りを捨てることができた。

 僕は全ての飾りを捨てる。
 カッコつけることをやめる。

 これまで僕は「政治は手段だ」と言い続けてきた。
 実際にそう信じてきた。

 けれども、こころのどこかでは少しずつ
 僕は他人から褒められたりすることが
 うれしくなってきていたと思う。

 目的と手段が逆転しはじめたら、
 その時は、政治家として終わりだと僕は信じてきた。

 その終わりの兆候が
 僕の中にも在ることが見えた。

 生きる、死ぬ、という出来事を
 僕の人生にとって本当にリアルな意味で大切な数名を
 失ってしまったり、失いかけている今、
 自分にとって本当に大切なことが
 どれほどわずかしか無いかとハッキリ見えた。

 家族と友人たち。この2つだけだ。

 友人の中には、仕事を通じて出会った
 いとおしくてたまらない人々も含まれている。

 障がいのある方々、虐待を受けている子どもたち、
 たくさんのがんばっているシングルマザー/ファーザーの方々、
 介護されている方々、難病に苦しむ方々、いろいろな人たち。

 仕事だからこの方々と付き合っているのではなく、
 僕はただ大切な友人だから付き合っているだけだとも分かった。

 もうこの2つしか僕には必要ないと分かった今、
 必要なことのためにしか働きたくないし、
 必要なことのためにしか時間を遣いたくない。

 そういう働き方を少しずつ僕は12月から始めてきた。

 街頭演説もチラシ配りも辞めた。
 時間がもったいないからだ。

 広報活動を止めても
 僕を必要としている人々は
 クチコミで毎日メールが来るし
 電話がかかってくる。

 もうこれ以上、政治家として
 フジノという名前が知られる必然性は全く無い。

 守るべき人たちのためだけに僕は働く。
 43万人の為には働けない。

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 当選してから今まで、
 型破りな選挙だったことや外見の奇抜さや若さもあって
 いくつもの出版社から取材を申し込まれて
 だけど僕は全て断ってきた。

 それは、僕自身が5年間マスコミで働いてきたこともあって
 いかに商品として消費されてしまうかを
 分かっていたからだ。

 何らかの「政策について」のインタビューは受けるけれど、
 「政治家フジノ」についての取材は完全に拒否してきた。

 でも、明日、最初で最後の「僕について」の取材を受けることにした。

 本音を全て語る。

 政治家フジノが消えるかもしれないなら
 その前に1人だけ、
 本音を聞いてくれるライターがいてくれてもいい、と思った。

 だから、取材を受けることにした。

 もう、明日以降は
 どんな取材も受けない。


● 高村光太郎さん、長沼智恵子さん、という存在

 今日は1日休暇をもらって
 湯河原ゆかりの美術館を訪れた。

 高村光太郎さんの甥にあたる方が写真家で
 高村光雲さん(光太郎さんの父)・光太郎さん・長沼智恵子さんの
 作品群を写真におさめた
 その写真展が行なわれているからだ。

 僕は小学校から高村光太郎さんの作品が大好きで
 こころが揺れ動いている今だからこそ
 僕の原点に戻りたかった。

 ちょうど良かったと思う。

 そして、実際に足を運んでみると
 ラッキーなことに
 写真だけでなく
 彫刻の現物も飾られていた。

 大学時代以来の、数年ぶりの再会に
 涙が出そうになった。

 湯河原への行きも帰りも
 病床の父のことばかり考えていたけれど
 作品を前にしている間、例えば『智恵子抄』の原稿を前にした瞬間は
 その世界の中に没入していた。

 智恵子さんの生家や、
 光太郎さんが晩年過ごした花巻の山小屋や、
 詩『樹下の二人』のモデルとなったと言われる場所に行った日々が
 鮮明に思い出された。

 僕は、わずかな時間ながらリセットされた。

 僕は原点に戻る。
 シンプルに生きる。
 大切なものを守ることだけが僕には大切だ。

 それだけができれば、後はもういい。

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 僕はすさまじく弱い。

 そしてそれを認めた今、僕はものすごく強い。

 これで良い。
 これで良いのだ。


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