まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2005年4月13日(水)のフジノ
● 身体障がい者手帳の申請をしてきました

 今日は、健康福祉部の障がい福祉課の窓口へ。
 父の身体障がい者手帳の申請をしてきました。

 以前にも書いたとおり、申請の手順は
 『情報としては知っていた』けど
 『実際に体験した』のは初めてでした。

 診断書と写真を窓口に提出すると
 すぐに係の方が処理をしてくれて
 たぶん5分もかからずに終わりました。

 この後、父の申請は
 審査を受けることになります。

 係の方が今後の予定を書いたプリントを渡してくれるのですが
 予定通りならば、5月10日には説明会が行なわれて
 手帳も交付される予定です。

 説明会の場で手帳が交付されるということは
 1・2級の場合ですね。

 3級からは確か郵送のはず。

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 でも、いちおう申請はしたのですが
 父の場合は65才を超えているので
 むしろ介護保険の認定を受ける方が重要のようです。

 次は、介護保険の申請をしなければ...。

 正直なところ、家族みんな、へとへとです。
 でも、がんばらなければ...。

 とにかく、家族として
 絶対に後悔を残さないように全力で動きたい。



2005年4月12日(火)のフジノ
● セカンドオピニオンは絶対に必要です

 今日は、横浜市脳血管医療センターを訪れて
 父の容態について、現状と今後に関する
 セカンドオピニオンを受けてきました。

 セカンドオピニオンをお願いするのは
 今回が2度目ですが、本当に大切で不可欠な仕組みだと
 つくづく思います。

 セカンドオピニオンというのは
 主治医を変える、ということでは無いんです。

 そうではなくて、複数のお医者さんに
 症状や治療方法に対する見解をもらう、ということなんですね。

 やっぱり僕たち患者の家族には
 情報を集めるよりも少しでも時間があれば
 時間をお見舞いに割きたいという想いから行動する訳で
 なかなか複数の考え・視点を持つ、というのは難しいと感じています。

 そんな時こそあえて逆に時間を取って
 セカンドオピニオンをお願いすることが
 新たな視点や考え方の転換をもたらしてくれると思います。

 市民病院うわまち病院
 セカンドオピニオンを積極的に勧めています。

 どんどんこの制度を使ってくださいね。

 本当に、本当に、お勧めです!


● 市長選挙もろもろ...

 昨日このHPで紹介した蒲谷・前副市長の新聞折込チラシですが
 毎日新聞ではこんな記事が出ていました...。

 『横須賀市長選 蒲谷氏後援会、折り込みにチラシ
  「事前運動」の声も』

 とのことなんですけれども、うーん...。
 選挙管理委員会に通報って、少し恐ろしいですね。

 理想論に聞こえるかもしれないけど
 選挙は『引きずりおろしあい』ではいけないと思います。

 フジノ的には
 この国の公職選挙法の問題点を改めて感じました。

 実際の選挙活動ができるのは
 わずか7日間です。

 43万人のまちの経営トップを決める判断をする上で
 本当に有権者である市民のみなさまに
 十分な時間でしょうか?

 フジノは、法改正をして
 こんな風にきちんと決め事を作ればいいと考えます。

 選挙4週間前:全ての候補者が正式に立候補表明をする
    3週間前:全ての候補者がマニフェストを提示し、配布する
    2週間前:全ての候補者が集まって、市民向け討論会を行なう
    1週間前:街頭演説などを行い、政策を周知する

 1ヶ月くらいかけて、きちんと自分の政策を説明する。
 他の候補者と政策について議論をする。
 それらを全て市民のみなさまに見ていただく。
 会場に足を運べない方々の為に
 候補者が市内各地を説明してまわる。
 (名前だけをわめくうるさい選挙カーなんて必要無し)

 こういうことが必要なプログラムだと思います。

 正々堂々と政策論議をマニフェストを通じて行なう、
 市民のみなさまは選挙を通じて、その選択を行なう。

 こんな当たり前のことができない法律だから、

 「事前運動(法律違反)じゃないのか?」

 という指摘を受けながら
 政策を広めなければいけないというのは、おかしいです。

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 その一方で「政策論議を進めよう」という動きも
 きちんと行なわれています。

 神奈川ネットワーク運動よこすかの原島議員のHPでは、
 『市政検証フォーラム』の告知をされています。

 6月に市長選挙があるのは分かったけど、
 「でも、どういう基準で選んだらいいの?」という方って
 きっと多いと思うのですね。

 そんな方々のために、
 まずは「沢田市長による市政はどうだったのか?」という視点で
 検証を行なっていくとのことです。

 こういう動き、本当に素晴らしいなあと思います。


● ホームエコノミクスについての情報ください!

 もうかれこれ2週間以上前から
 アメリカの学校教育で行なわれている『Home economics』
 調べているのですが、全然情報がありません。

 経済問題に詳しいアメリカ人の友達と話していて
 その科目の存在を知りました。

 どうやら、日本で言うところの

 『家庭科』+『総合的な学習の時間』+『消費者教育』

 『キャリアカウンセラー』+『スクールカウンセラー』

 のようなのですね。

 きっと、杉並区立和田中学校の藤原校長先生が行なっている
 〔よのなか〕科に近いものではないかなと推測しています。

 ものすごく興味をもったフジノは、
 インターネットで調べまくったりしたのですけれども
 家政学や家庭科的なことばかりが検索されて出てくるばかり。

 唯一あるのは文部科学省の官僚(?)が
 イギリスへ行った時の体験記ぐらい...。

 そこで、アメリカ人の方々に会うたびに

 「学生時代にホームエコノミクスって授業を受けましたか?」

 って尋ねてばかりいるのです。

 ほとんどみんなこの授業を受けているみたいなのですが
 全体像がつかめなくて困っています。

 このホームエコノミクスを
 フジノは知りたいのです。

 もしも、どなたか情報をお持ちの方がいらしたら
 (特に大学で家政学を学んだ方など)
 ぜひ教えてくださいませ!

 特に、日本語文献で
 2000年代になってからのホームエコノミクスの
 全体像を描いているようなもの、
 あるいはそれを体験した生徒の手記的なものがあれば
 どうか教えて下さい。

 よろしくお願いします!



2005年4月11日(月)のフジノ
● 初めての『身体障がい者手帳』申請へ

 今日やっと全ての書類がそろったので、
 父の『身体障がい者手帳』を申請に明日行く予定です。

 必要なものは、

 (1)指定医による診断書
 (2)4×3センチの本人写真
 (3)認印

 これまで、いろいろな方の相談にのってきましたが
 僕自身が申請に行くのは初めて。

 仕方が無いとは言え、病床の父の写真を撮るのは
 父に対して申し訳なく感じました...。

 (手帳の取得についての横須賀市のHPはこちら

 次は、介護認定の為の申請だ!


● 転院先さがしはすごく大変...(涙)

 いろいろな方の市民相談にのってきて

 「もう病院では症状固定(慢性期ですね)になってしまったので
  介護認定を受けて施設に入りたい」

 という方の
 お話をたくさんうかがってきました。
 次の行き先を探すのがものすごく大変なのですね。
 それでみなさんどうしたらいいのだろうかと相談をされる訳です。

 でも、いざそれが僕自身の身に起こってみると
 本当に、本当に、受け入れ先って
 見つけることが難しいのですね...。泣けてきます。

 地域医療連携室の方のアドバイスを受けながらも
 家族みんなで必死に情報を集めたり電話したりしまくっています。

 僕の場合は、とにかくいろいろな友達に父のことを話して
 病院と関わりのある方にはどんな人にでも相談をして
 父を受け入れてくれるところを必死に探しています。

 こんな風に苦しんでいるご家族の存在を
 これまでも相談にのってきたのに...。

 自分の身に起こって
 初めてリアルに苦しいことが本気で分かりました。

 人は、絶対に他人にはなれないからこそ
 だから想像力によってその痛みを理解しようと努力するのに
 僕にはまだまだ全然努力が足りなかったよ...。まいったなあ。

 明日、横浜の病院まで出かけて
 相談にのってもらう予定です。

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 それにしても、父が病床に臥して以来、
 14才になる飼い猫が2度目の病気になりました。

 これまで全然そんなこと無かったのにね。

 やっぱり飼い主がいないと、
 家族の一員である猫もつらいんだろうなあ...。


● すごいな、全戸配布したのかな

 けさの新聞折込をチェックしましたか?

 外食してばかりなのにスーパーの売出しが気になる僕は
 毎日、新聞を読み終わると折込チラシをチェックします。

 そうしたら、市長選挙に正式に立候補表明をしている
 あの蒲谷・元副市長のチラシが...。

 武山の自宅にも、上町の事務所にも、新聞の間に入ってたから
 きっと全戸配布したのでしょうね。

 これまで美術館問題で1回くらいだけ
 新聞配達をしてくれる会社に
 全戸折込をお願いしたのですが、すっごくお金がかかるんですね。

 自分たちで印刷して折ってから持ち込んだけど
 それでも50万円くらいかかった気がする。

 「もう2度とこんなことやれないよな」って思ったものです。

 でも、やっぱり副市長やってた人だから
 新聞に折込チラシを市内の全戸に配布できるくらいのお金は
 フツーにあるんだろうなあ...。

 彼のHPのアドレスが出てました。

 プロフィールと政策の2ページ構成ですが、
 フジノはもっと蒲谷・元副市長の『生の声』が読みたいなあ、と
 思いました。

 とにかく『選挙へ行こう!』1人勝手にキャンペーンを実施していて
 かつ、マニフェスト選挙推進をめざすフジノとしては
 ぜひ蒲谷・元副市長の政策を
 1人でも多くの市民のみなさまに
 チェックしてほしいと思います。


● 市長選挙もろもろ

 明日、記者会見して立候補表明する人がまた居るらしいですね。

 いろんな人が立候補して
 このまちのビジョンをきちんと示して、
 候補者同士で政策を議論しあう選挙になってほしいです。

 とにかく選挙カーはうるさいから
 全ての候補者にやめてほしいとフジノは強く願います。

 誰が出るとか、基本的にフジノには
 全然興味がありません。

 そんなことよりも、このまちに暮らすみなさんが、
 つまりあなたが立候補した人々のことを
 しっかりと見極めて、ちゃんと投票に行ってほしいと願います。

 友達だからとか組合で頼まれたとか
 そういうバカらしい理由は、投票をする理由ではありません。

 この国は、民主主義です。

 長い年月をかけて
 たくさんの人たちが命がけで勝ち取った
 選挙という仕組みがあります。

 あなた自身が立候補者の言葉に耳を傾けて
 自分自身の頭で考えて
 自分自身の心で感じて
 そして、判断してください。投票に行って下さい。

 子どもたちのために、孫たちのために、
 新しい世代のために、僕たちができることはたくさんあります。

 その1つであり、
 とてもカンタンだけど
 とても大切なのが投票です。

 ぜひ選挙が始まったら、投票に行って下さいね!



2005年4月10日(日)のフジノ
● 仲間の存在にいつも勇気をもらいます

 今日は、精神保健福祉士養成課程の同期の仲間たちと
 合格祝勝会をかねてお花見をしました。

 といっても、僕自身は昨夜の寝不足がたたり、
 3時間も遅刻してしまって(ごめんなさい)僕はお花見できず。

 でも、美しい桜は横須賀でたくさん見れたから
 今年もとても満足です。

 昨日寝不足の理由は、夜中の11時から1時まで
 市民の方々とお話をしていたからです。

 最近、急にたくさんの方々と知り合いになる機会が増えて
 しかもいろいろなことを語り合えるので
 政治家として伝えたいことがたくさんあるので
 ものすごくラッキーです。

 本当に最近はたくさんの方々と
 お会いしていることに我ながら驚いています。

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 話を戻して、精神保健福祉士養成課程の同期について。

 それにしても、2年前に
 日本社会事業大学の通信課程を受験した時には
 まさかこれだけ『仲間』と呼べる人たちと
 出会えるとは思いませんでした。

 通信課程ですから、そもそも同期生と知り合いになるなんて
 最初は全く期待していませんでした。

 でも、夏のスクーリングのおかげで
 現場で活躍しながらも
 さらに勉強に励んでいる方々の存在を知って
 とても仲良くなりました。

 フジノはメーリングリストを作り、
 お隣の三浦市で受講している方が掲示板を作り、
 スクーリング後も連絡をとりあえるようにしました。

 さらに、集まる音頭をとってくれる方の存在のおかげで
 こうやって数ヶ月に1回集まることができて
 すっごくうれしいです。

 何といっても、現場で働いている人たちの集まりだし、
 職種も様々なので、毎回会うたびに勉強になります。

 もちろんプライベートの話もしますけれど、
 話題になるのは精神保健福祉と福祉全般のこと!

 改正介護保険法についてや
 障がい者自立支援法案について
 お互いの意見を言ったり情報交換をしたりしました。

 いつも思うのですが、こんなふうに
 自由に議論できる場が持てることがすごくうれしい!

 特に、障がい者自立支援法案については
 納得できないこともたくさんあるので
 今いる場所でやれること(例えば厚生労働省にメールを送るとか)を
 とにかくやっていこう、戦っていこう、と話したり。

 あるいは、提出した課題レポートについて
 意見交換をしたり。本当に楽しい。

 1人で家や電車の中で勉強している時は
 本当に「通信教育課程ってつらい」としばしば思います。

 だけど、1人じゃないんだと感じられる仲間の存在があるおかげで
 絶対に卒業するぞ、絶対に国家試験に合格するぞ、と
 志や熱意を持ち続けることができます。

 仲間の存在に本当に感謝です。
 ありがとう、みんな。


● 生で『夜回り先生』のお話を聴いて

 夜回り先生こと水谷修先生の講演会へ
 小田原まで行ってきました。

 著作は全て読んでいるので
 基本的な考え方は知っているのですけれど、
 やっぱり生でお話を聴いてみたかったのですね。

 フジノの知っている限りでも
 横須賀から3名も参加してくれていて
 少しでも水谷先生のエッセンスを持ち帰ってもらえたら、と思いました。

 元カトリックということもあって
 水谷先生の考え方は基本的に保守的ではあるのですが
 いくつかの考え方の違いなんてどうでも良いくらいに
 彼の行動力にはリスペクトせざるをえません。

 彼のようになることはできないし、
 マネをする必要もない。

 でも、やっぱり
 Yデッキで演説をしてきたカンケーで
 10代のコから相談を受けたり、
 夜の仕事をしている方々から相談を受けたりするので
 フジノは水谷先生が感じている問題意識をリアルに共感します。

 ドラッグ、リストカット、自傷、中高生の性交渉、
 どれも横須賀でもたくさん起こっていることです。

 カフェトークに参加して下さったある方は、
 まさにこれらの問題と毎日格闘しています。

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 講演は抽選だったのですが
 あまりにも応募が多すぎたので急きょ会場を変更して
 3000人が入れる小田原アリーナで講演は行なわれました。

 場内には、たくさんの10代が来ていました。
 もしかしたら5割以上は10代だったかもしれません。

 リアルに切実に10代の子どもたちは
 「水谷先生を必要としているのだ」と思いました。

 そんなフジノの想いは
 まさに水谷先生に否定されました。

 「子どもたちは水谷を必要としているのではありません。
  水谷を通して、優しさやぬくもりを求めているのです。
  それは水谷だけでなく、大人なら誰もが与えられるものです」と。

 その通りだと思いました。

 フジノは彼のようには決してなれない。
 けれども、もっと10代の想いに寄り添えるような人間であろうと
 努力し続けたいと思いました。


● たくさんの仲間と真夜中まで語り合える喜び

 小田原からの帰り道2時間は、
 メンバーが車で来ていたので送ってもらいました。

 久しぶりに2時間じっくり話をすることができて
 とてもうれしかったです。

 1ヶ月に渡る予算議会があっただけでなく、
 父の闘病のこともあって
 スタッフともおもしろくする会のメンバーとも
 最近まで全然話をする機会がありませんでした。

 だから、こういう機会は本当にうれしい。

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 さらに小田原から11時に戻ってきたその足で
 今度はバイクに乗り換えて、再び出発。

 ネガティブな意味で気になる市の計画があって
 その地域の方々のもとを訪れて、説明&意見交換をしてきました。

 同世代の方々と
 深夜2時まで語り合いました。

 どうすれば現状を変えることができるのか、
 みんなで集まってアイディアを出しあおうと話し合いました。

 彼ら/彼女らとは
 もう『仲間』と呼んでも良いカンケーだと思います。

 僕たちのまちなのだから
 僕たち自身が守らなければ。

 そういう意識のある、カッコいいヤツらです。

 マジで思うのですが、彼ら/彼女らの中から
 政治家になる人が出てくれたらいいのに、と本気で思います。


 彼ら/彼女らの全力でがんばる姿に勇気をもらっています。
 お互いに、これからも全力でがんばろう!

 おれもがんばるよ!



2005年4月9日(土)のフジノ
● 『選挙へ行こう!』1人キャンペーン始めました

 今日から、『選挙へ行こう!』キャンペーンを始めました。

 衆議院選挙の時も
 参議院選挙の時も
 何かしら選挙が行なわれる2ヶ月くらい前になると
 いつもフジノは1人で勝手に
 『選挙へ行こう!』キャンペーンをしています。

 このまちは
 6月26日(日)に市長選挙が行なわれるので
 今日からフジノは勝手に
 『選挙へ行こう!』キャンペーンを始めました。

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 それにしても、久しぶりのYデッキでしたが
 今日も相変わらず熱かったです。

 18時半から20時まで
 Yデッキを通り過ぎる方々に語りかけたのですが
 その『生の反応』にはいつも驚かされます。

 相変わらず、フジノはからまれますね(笑)。

 酔っ払いながら世の中への怒りをぶつけてくるおっちゃん。
 (小泉首相への怒りはフジノに言われても...)

 10代後半くらいのちょっと粋がってる感じの子どもたち4人組。
 (「お前、うるせえんだよ。マイク貸せよ、おれにしゃべらせろよ」)

 日本語では無い言葉で怒りをぶつけてくる(おそらく隣の国の)方。
 (竹島・独島のことを話していると誤解しているのかな?)

 今日は何か怪しいおじさんたちに
 写真を撮られました(何に使うんだろう、怖いね)。

 1時間半で3回からまれたとして
 30分に1回はからまれている訳ですね(笑)。
 やれやれ。


 その逆に、熱心に聴いてくれている人々もいます。

 「応援しているから。絶対にこのまちを変えてね」

 と熱く語りかけてくれる男性、

 「今20才なんですけど、政治家を目指しています!
  フジノさんのお手伝いをさせてください」

 と話しかけてくれた法学部の学生、

 「母親がファンなんです。応援しています」

 なんて言ってくれる方や
 通り過ぎる瞬間に手を振ってくれる方もいます。


 フジノが語りかける言葉は、
 『怒り』か『共感』か
 いずれにしても激しく感情を揺り動かすようですね。

 また、フジノの外見は
 ありがちな政治家のそれとも違うので
 生の感情をぶつけやすいのだと思います。

 数ヶ月ぶりのYデッキでの演説でしたが、
 ライブでのやりとりはいつも緊張の連続です。

 それでも「このまちの明日はあなたが決める」という
 当たり前のことをみなさんに思い出してほしくて
 一生懸命にそのことを繰り返しました。

 選挙に行って下さいね。

 選挙の時に投票に行く、というのは
 本当に15分もあればできることなのですね。

 どうか、ぜひ選挙に行って下さいね。


● 分かっている市民は分かっているのだ

 今日は午前中、英会話へ。

 土曜日はクラスも混んでいて、
 平日だと先生と生徒がマンツーマンだったりするのが
 生徒4人に先生1人という満員状態。

 話題は時節柄、お花見について。

 走水水源地(水道局の土地)がオープンされていて
 桜が見事だということが、何度も話題にあがりました。

 けれども、加えて話題になるのは

 「あそこが今年から開放されたのは
  近くにあった走水園地という桜の名所で工事が始まってしまい、
  美術館が建てられているからだ」

 ということなんですよね〜。

 英会話スクールでは
 僕はマンツーマンの時以外は政治の話はしないから
 他の生徒さんたちは僕が政治家だなんて知らない訳ですね。

 おまけに美術館建設に反対していたことも
 そのために署名活動をしていたことも知らないのですね。

 それでも、自然とこういう話題になるのです。

 ああ、分かっている市民の方々は
 状況をとても分かっているんだなあ、と感じました。

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 ちなみに、市民の方々から
 質問が多かったのでお答えしますね。

 3月26日から明日4月10日まで
 美しく咲いた桜を見ることができるあの走水水源地ですが
 みなさんの税金は
 約320万円かかっています。

 内訳は次の通りです。

 ・警備の委託   130万円(平日5名、土日7名)

 ・仮設トイレ7基の設置&場内清掃の委託 80万円

 ・会場設営(照明など)と撤去の費用  110万円 

 ちなみに、電気代はこれに含まれていません。


 これだけみなさんの税金が使われている訳ですし、
 加えて、日頃は立ち入ることのできない
 走水水源地を見学できるチャンスですから
 明日の最終日は
 ぜひみなさんで桜を見に行って下さいね!

 1度すでにオープン期間を延長をしていますが
 満開の桜が花びらとなって散っていくさまを
 せっかくですからもう少しの間、眺めることができればいいのに。

 美術館建設が無ければ、
 限られた期間なんてカンケーなく、
 桜の美しい姿がやがて散っていき緑になるまでいつでも
 眺めていることができたんですけれどね...。



2005年4月8日(金)のフジノ
● 31才になりました

 今日で31才になりました。

 たくさんの方が誕生日を覚えていて下さって
 本当にうれしかったです。

 8日になる0時を過ぎると同時に
 携帯メールに「誕生日おめでとう」と送ってもらえたりして
 とても感謝でいっぱいです。

 ありがとうございました。


 ただ、今はメールへの返事をうつのもつらくて
 このコーナーでのお礼をもって
 頂いた個別のメールへの
 お返事と代えさせて下さい。ごめんなさい。

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 今日は、政治に関わり始めたこの3年間で初めて
 メガフォンを持たなかった誕生日でした。

 おととし去年もYデッキの上で
 フジノはみなさんに語りかけていました。

 その記憶が僕を仕事に駆り立てようとしましたが、
 今日は家族と過ごすことに決めていました。

 ひと言で「家族と過ごすことに決めた」と言っても、
 僕のこころの中ではものすごく葛藤がありました。

 政治家であること、というのは
 いつも僕に24時間政治家であるべきだということを意味します。

 これは政治家になったことの無い人には
 本当に分からない感覚だと思います。

 ややもすると、政治家で居続けることの方が
 僕にはカンタンに感じることがあります。

 けれども、演説をしなければ、とか、
 仕事をしていなければ、という義務感に今日は負けずに、
 家族と過ごすと決めたのでした。

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 衣笠山公園に桜を見に行きました。

 坂を登っている途中に
 前から降りてきたおじさんおばさんの集団に
 政治家フジノと気づかれてしまい、
 「がんばってね」「ご苦労さま」と声をかけられてしまいました。

 けれども、ささやかにお辞儀だけして
 限りなくやりすごしました。

 当選してから他人に気づかれるのが
 本当にイヤになり、
 帽子やサングラスをふだんからかけるようになりました。

 けれども桜の花びらの美しさは
 自分の目で見つめたくてサングラスをはずしていました。
 そしたら声をかけられてしまって...。

 本当に家族と過ごしたい時に
 知らない人から緊急性の無いことで声をかけられるのは
 とても苦痛に感じてしまいます。

 ふつうの感覚で生きていたら
 ノイローゼになっても仕方が無いような、
 そんな弊害とも向き合わなければならないのが
 僕の今の仕事です。

 けれども、桜は美しかった。

衣笠山の桜

 僕が生まれてすぐに住んでいたアパートの前には
 桜が何本もあって、毎年誕生日の頃にはきれいに咲いていました。

 だから、4月に桜を見ないなんてことは
 僕にとって考えられないことなのです。

 この桜の美しさを
 もう一目でいいから父に見せたいと思いました。


● 1人の人間として生きること

 衣笠山を降りると、そのまま市民病院に向かいました。
 病床の父に会うためです。

 主治医の診断では
 父の意識は「この先戻ることは無いだろう」ということです。

 未申請ですけれど、
 身体障がい1級・要介護5に該当する状態です。

 けれども、僕にとっては
 父の両目は開いているし、目は合うし、
 僕の声は聞こえているし、理解されているし、
 返事をするための行動をつかさどる脳が損傷を受けているという
 理解をしています。さらに今日は首を少しだけ動かすこともできました。

 僕が31才を迎えたという報告をして
 母が「毎年のようにお祝いしなくちゃ」というと
 父は両目に涙を浮かべました。

 動けない、話すことができない、その父の悔しさ・無念さを
 僕はこの国の医療への怒りとして
 確実にこころに記しました。

 毎年、僕が嫌がるのを笑いながら
 両親が小さなケーキを僕に買ってきてくれて
 それがここ数年の恒例になっていました。

 本来ならば父はきっと
 また僕が嫌がるのを見るためにケーキを買ってきて
 文句を言うのを聞きたかっただろうなとつくづく思いました。

 僕たち家族は父さんに話しかけながらマッサージをして
 数時間を過ごしました。

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 病室の他の方のご家族とも仲良くなり
 いろいろなお話を聞くにつけても
 また、父との体験を通しても
 本当に悲しみと怒りが強くなっていくのを感じます。

 いろいろな痛み、たくさんの悲しみ、
 僕が働く燃料は、それらだとつくづく感じます。


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 気づくとすぐに政治家の顔に戻ってしまうけれど、
 今日は何とか1日を1人の人間として
 過ごすことができたと思います。

 たとえこんなくだらない肩書きを持っていなくても
 僕の生き方は何も変わらないと思います。

 だから、やがて僕は議員であることをやめるでしょう。

 けれども、僕が僕であることをやめることは
 この命が無くなる瞬間までは絶対に変わりえないことです。

 僕はこのままずっと
 変わらずに僕らしく生きていきます。

 そして、長年のつきあいをしている友人もそれを知っているし
 選挙の後に知り合った人たちでも深くつきあった人たちは
 僕の肩書きなんかカンケーない生き方を理解してくれています。

 だから僕はこの先もずっと
 守るべきもののために生きて
 大切なものを僕は大切にして生きていきたいと思います。

 僕をこの世に送り出してくれた両親にこころから感謝して
 また、家族と友人達にもこころから感謝して
 31才という1年も、僕は全力で生きていこうと思います。

 厳しい時期が続いていますけれど
 僕は全力でがんばります。


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