まちの政治家は、こんなことしてます


2007年6月7日(木)のフジノ(その1)
● コムスン問題、横須賀市の状況(速報その1)

 大手の介護事業者であるコムスンの問題が
 あらゆるマスコミで報じられていて、
 たくさんの方々から不安の声を聴きました。

 先ほど、横須賀市のコムスンの状況について
 健康福祉部長寿社会課長にヒアリングしましたので報告します。

 (1)横須賀市内にコムスンは3つの事業所があります

 (2)利用されている高齢の方々の数は、
   訪問介護が約90名、グループホームは約20名です

 (3)神奈川県の監査はすでに入りましたが不正は無い、とのことです

 (4)仮にコムスンが撤退したとしても
    横須賀市内には介護事業者は多数ありますので
    訪問介護90名・グループホーム20名は
    他の事業者が十分に受け入れられる体制であろうと言えます

 とりいそぎ、この報告まで。
 続報が入りしだいまたご連絡いたします。



2007年6月7日(木)のフジノ(その2)
● 『民意が市政に生かされることを願う会』は7月をもって解散します

 今夜は『民意が市政に生かされることを願う会』の集まりでした。
 このメンバーのみんなと会うのも本当に久しぶりです。

 今日のテーマは、たった1つ。
 『願う会』の今後について、です。

 そして、『解散』が決まりました。

 多数決をしたのですが、
 参加者全員が『解散』に賛成しました。

 解散についての正式なコメントは、
 後日、『願う会』のHP上で表明される予定です。

 あえてひとことで言うならば、



 市民運動としてスタートした『願う会』の活動は
 いくつもの壁にぶつかって、市民運動だけでは限界があると感じた。

 そこで『願う会』代表の野村たかひろさん
 市議会議員に立候補することを決意し、
 4月の選挙で実際に当選した。『願う会』の代表が政治家になった。

 ならばもうここから先は、
 野村さんが『願う会』の意思を
 市議会の場で代表して訴えることができる以上、
 市民運動体としての『願う会』は役割を終えた。

 だから、解散をする。



 と、いうことです。

 政治団体として県に登録してあるので
 その正式な解散届けや
 お金の清算などを行なって
 正式には7月中旬をもって解散となる予定です。

 これまで『願う会』を応援して下さった
 たくさんの市民のみなさまに、こころから感謝を申し上げます。

 今まで本当にありがとうございました。


● 『願う会』とは何だったのか

 政治家フジノは『願う会』のメンバーの1人でした。

 「市民活動のメンバーに政治家はなれないでしょ?」

 という意見もあるでしょう。

 たぶん、そうなのかもしれません。

 でも、『願う会』とは何だったのか、という総括に対して
 政治家フジノはこころの底から、こう断言します。

 『願う会』とは、僕だったのだ。

 きっと、『願う会』メンバーの誰もが
 同じように感じているとは思います。

 自分こそが『願う会』であったのだ、と。

 すでに追手門学院大学の滝端助教授が
 学術論文として学会発表までしてくださったように
 横須賀の美術館反対運動は
 全国的にも稀有な取り組みでした。

 そんな貴重な意義ある活動の中で中心的役割を果たした
 『願う会』に対して、フジノはとても強い愛情を持っていました。

 その解散は、フジノにとって
 本当に残念です。

 でも、もう終わったのです。


● フジノ個人が解散を支持した理由

 1番上の文章に、公の理由としての解散理由を書きました。
 でも、『フジノ個人として解散を支持した理由』は別にあります。

 下の文章を読んで下さい。

 『願う会』の副代表であるJさんが
 HPに連載していたブログ(07年5月31日)です。



 『いまだ人生を語れず』


 夜まったく眠れず、天井の薄い明かりを見ながら
 昨日の滝端助教授の結文を思い出していた。

 そのとき僕の中で何かが消えたような感じを受けた。

 燃えるような心、前に進めと突き動かした力
 それらの「芯」というか「火」のようなものが消えた。

 思い返せば4年ほど前に

 「横須賀に美術館ができるらしいよ」
 「それに反対する市議達が話をしたいんだって、来る?」

 と言われ
 市政はどうなっているかだとか、行政がどんな状態なのかなんて
 まるで関心が無かった僕だから
 営業の一環のように、何も考えず気楽に出席したんだ。

 だけど、物静かに話す1人の若者のことば
 インターネットで映される市長との激論

 情緒的だとは思いながらも
 熱い心と冷静な分析を持ち
 どこか目が虚ろな、この20歳代の市議に
 僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 そう、それは藤野市議だった。

 20歳代の若者が僕らの街の将来を憂い
 何かを変えようと、貪欲までに言葉を走らせる。

 自虐的な雰囲気を持ちながらも
 前向きでもある、この二面性を持った若者に言葉を失なった。

 一回り以上も年下の人達が
 自分たちの将来や、子供たちの未来を危惧しているのに
 いったい僕は何をしているんだろう。

 傍観者だった気持ちは無いのに
 日々の生活に追われ、何時のまにか傍観者になっていた自分

 「若造に負けていられない」

 これが僕を突き動かす原動力になった。

 その中で多くの仲間に会い
 下は吉田市議の27歳
 上は70歳のおじさんまで
 まるで学生時代のように熱く語り合った。

 1回目の請願が否決されると
 当初のメンバーは半分ほどになってしまった。

 けれど残ったメンバーは最強の人達ばかりだ。

 そして僕たちは知らず知らずの間に、各担当に分かれていた。

 簡単に言えば「言いだしっぺ」が原則なんだけど
 この法則は完璧だった

 だれかが

 「こんなことやったらどうだろう?」

 なんて言うと

 「それいいね、やろうよ!」
 「責任者は君ね」・・・「え〜」

 一見無謀だけど、言い出した本人は最高の案を考えて出したんだから
 方法を考えるのも意外と熱が入ったんだ。

 そして僕は副代表になり、役割は当初、政治家との折衝だったけど
 話すには財政のことや、派閥を知らなければならないから
 夜寝ないで勉強するようになった。

 とても自分自身、考えられない行動なんだが・・・

 その後はHPを創り、ブログの担当にもなった。

 僕の学校は理数系だから
 文系の人達のように、旨くは話せないし書けない。

 だから「願う会」のブログだって
 いまだにメチャクチャな文体だ。

 でも、多くの人に「美術館問題」を知ってもらうには
 へたくそでも書かざる得なかった。

 それが一番お金がかからないで
 多くの人に知ってもらえる方法だったからだ。

 しかし、掲示板には参った・・・。

 嫌がらせや、怒らせようとしているのが解っているのに
 思わずPCに怒ってしまう。

 文才が無いから、怒っているのに旨く書けないし
 怒りながらも、失礼にならないように書いているうち
 へんてこりんな文章になって、自分で笑ってしまうほどだった。

 でも、文字とは面白いもので
 一つの言葉が、単純な文字一つを入れることで
 意味も、雰囲気も変わってしまう。
 まるで数学で言う、オイラーの公式ようだ。

 だからこそ怖いものでもあると、僕は実感した。

 その間、県の請願、入札延期、市長対談と
 一喜一憂している間に、工事は着手した。

 それならと市長選に最後の戦いを挑んでみたが
 僅差ではあったけど、結局負けてしまった。

 この選挙に当たっては、自分自身をほめてあげたいほど動いた。
 だけど、何かが違うのを心の端で感じ始めていた。

 そして、少し時間がたつうち
 次の市議選挙ではこの街は大きく変わり始めるかもしれない。
 この街が変わるか変わらないかは、次の市議選挙だとも思った。

 「願う会」野村代表を担いでの選挙。

 熱く戦った、こんなに一生懸命やった選挙は初めてだった。

 色々なことがあったけど、当選したときの嬉し泣き
 仲間と初めての喜びの分かち合い
 すばらしい人達との出会いであり、新しい世界との扉のように感じていた。

 その時、僕の携帯メールが鳴った。

 「おめでとうございます!」

 藤野市議からだった。

 ふと、4年前の事が頭に浮かんだ。

 市議選の当選は嬉しくて、涙が出て、感動したけど
 あの突き動かされる感動ではない。

 嬉しいけれど、何かが燃え尽きた感じなんだ。

 「僕はこの先、何をすればいいのだろう・・・」


 選挙後、家族と一緒に長野に行き
 知り合いとは誰とも話さず、会わず、静かな時を過ごし考えた。

 そして滝端助教授からのメール
 そう「美術館反対運動の主張と波及効果」の最終論文だ。

 眠れない夜に僕は決心した。

 「願う会」からの卒業、いや脱会かもしれない。

 「願う会」はもともと、美術館建設の見直し運動に端を発した
 その中での僕の活動は、もうやることがない。

 「願う会」の代表が市議になり
 僕とは意見が違うが、確固たる考えを持ってゆくだろうし
 若い市議たちも驚くほどに得票を増やした。

 もう4年前の「街」ではない。

 確実に変わり始めていると思う。

 まだ僕にできることが、あるかもしれないが
 一度、自分自身を見つめなおしてみたい。

 人間だから考えも変わるかもしれないし
 変わらないのかもしれない。

 やめることで4年間がムダとも思わないし
 反対に意義深い4年間だったと思う。

 「願う会」はこれからも存続するでしょうから
 後は、残った仲間たちに託します。

 でも「願う会」の僕はこれでお別れです。

 僕自身は生きられるだけ存在すると思うから
 また、いつか、どこかで会ったり
 なんか変なこと遣っているかもしれないけど
 そのときまで、少しお別れです。

 長い間、本当にありがとうございました。


 「民意」が市政に生かされる事を願う会
 副代表Jより




 『願う会』の解散が正式に決まったのは今夜ですが、
 この文章が書かれた5月31日、
 読み終えたフジノの決心は固まっていました。

 副代表のJさんが辞めるのであれば、
 もうフジノが『願う会』に存在する理由も無くなります。

 美術館建設反対の活動において
 Jさんはとても大きな存在です。

 『願う会』の理論的な支柱として
 活動を裏方から支え続けてくれました。

 政治家としてのフジノが
 最後まで美術館問題であきらめなかったのは、
 Jさんの生き方や物事へ取り組む熱い姿が常にあったからだと思います。

 これまで『願う会』HPへフジノHPの表紙にリンクしていました。
 しかし、野村代表が4月22日に当選してからは
 すでにフジノHPからのリンクも外していました。

 こころの準備はできていました。

 初当選から4年以上が経った今も
 フジノが必死になって
 美術館の赤字ゼロをめざして活動をしているのは
 Jさんとの出会いが無ければ、ありえなかったと思うのです。

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 4年前、選挙を終えて当選した途端に
 政治家になったフジノに
 すさまじい数の人々が群がりました。

 ありとあらゆる『利益が欲しいだけの最低な種類の人間』が
 フジノのもとへ大量にやってきました。

 1度も会ったことも無い人から「50万円貸してほしい」と言われたり、
 市役所に口ききをしてほしいと堂々と言ってきたり。

 平気でウソをつくヤツら。
 選挙・政治オタクのヤツら。

 福祉のことなんか何も分かってないくせに知ったかぶるヤツら。

 政治家のそばにいれば
 何かおこぼれにあずかれると考えるバカども。

 新興宗教に脳みそをのっとられて日本が消滅すると信じて
 ムリヤリ布教活動を押し付けてくる狂信者ども。

 信じられないくらいたくさん、
 こういう人々は次々と現れました。

 だから、当選から1ヶ月も経たないうちに
 フジノは1つの決心をしました。

 「当選後に出会った人間のことは絶対に信じない。
  選挙前からずっと変わらず友達でいる人間だけしか信じない」

 もともとフジノは、人間の好き嫌いが激しいのですが
 フジノにとって本当に大切な一部の人々
 (障がいのある方、そのご家族など)を除いて
 新たに近づいてくる人間のことは一切信用しないことに決めました。

 そんな中、美術館反対運動を始めていたフジノが出会ったのが、
 Jさんたちをはじめとする
 異業種での勉強会をしている方々でした。

 これが今の『願う会』のメンバーです。

 4年前、フジノがこの方々に出会った時の様子は
 上に引用したJさんの文章に書いてあるとおりだと思います。

 >だけど、物静かに話す1人の若者のことば
 >インターネットで映される市長との激論
 >
 >情緒的だとは思いながらも
 >熱い心と冷静な分析を持ち
 >どこか目が虚ろな、この20歳代の市議に
 >僕は頭を殴られたような衝撃を受けた
 >
 >そう、それは藤野市議だった
 >
 >20歳代の若者が僕らの街の将来を憂い
 >何かを変えようと、貪欲までに言葉を走らせる
 >
 >自虐的な雰囲気を持ちながらも
 >前向きでもある、この二面性を持った若者に言葉を失った


 最初、フジノは『願う会』の前身である
 この異業種勉強会のメンバーのことも全く信じていませんでした。

 自殺を無くしたくて政治家になった。
 福祉を守りたくて政治家になった。
 だけど、このまちの税金の使い方の優先順位は間違っている。
 あまりにも全てがおかしい。

 だからその間違いの代表である美術館を
 ストップさせなければならなかった。

 誰も信じられないから
 僕はひとりきりで全てのカタをつけるつもりだった。

 まわりから見たら情熱的に見える時もあったと思う。
 そういう風にわざと意識してふるまっていたから。

 でも、いつも僕は死んでしまいたくてたまらなかった。

 出会う人間はウソばかりつくし、
 行政の壁はとても厚くて政治家になっても砕けなさそうだった。
 議会の中は権力争いばかりでくだらないことばかりだった。
 全てがバカバカしくてたまらなかった。

 人の命がどんどん失われているのに
 このまちの人間は何がどうなっても全く他人事で
 カンケーないみたいだった。

 僕は生まれ故郷を守りたくて必死なのに
 誰もそんなことどうでもいいみたいだった。

 そんな横須賀市民が大キライでたまらなくなった。
 そんな横須賀にいると吐き気がするようになった。

 自殺予防対策に必死に取り組んだとしても
 亡くなった人は決して戻ってこない。

 だから、いつも冷めていた。バカバカしかった。

 若手のホープみたいに言われるたびに
 おれはそんなもんじゃないといつもうんざりした。

 そんな僕は、Jさんの書いたように
 目がうつろだったと思う。自虐的であったと思う。

 実際に、僕はいつ死んでもかまわないと思ってきたのだ。

 僕のそんな傾向を当時から見抜いていたのは
 Jさんただ1人だったと思う。

 それはきっと推測するに
 僕と同じように(あるいは僕以上に)
 生きていく上で出会わなければならないたくさんの悲しみを
 Jさんが体験してきたからなのではないかと感じた。

 だから、誰も信じないことに決めていたフジノは、
 Jさんのことだけは信じることに決めた。

 やがて、Jさんを通して『願う会』のメンバーのことも信じた。

 すさまじい熱意で現実に立ち向かっていくメンバーのみなさんに
 活動を通じてフジノの気持ちは少しずつ溶けていった。

 そして、ついには「『願う会』は僕自身である」と言えるほど
 4年間、活動に全力でコミットしたのだった。

 けれども、今、Jさんが『願う会』を辞める、という。

 どんなにみんながくじけそうになっていた時も
 絶対にくじけなかったのがJさんだった。

 今でもよく憶えているのが
 県議会に提出した請願の議論を見る為に
 Jさんと僕だけで横浜・関内まで行った時のことだ。

 あんなに暑くて気持ちが折れそうな日々でも
 絶対に2人して、何時間待たされても、気持ちは折れなかった。

 そのJさんが辞める。

 ならば、僕も存在し続ける理由が無い。

 これが僕個人が『願う会』を辞める理由だ。

 『願う会』が果たした歴史的な意味はすごく大きいし、
 解散しないでこれからもいろいろな横須賀の問題と戦えると思う。

 でも、僕にはJさんがいない『願う会』は考えられない。

 だから、僕は辞めようと決めた。

 たまたま同時期に解散が決まったから
 全体的に会そのものが無くなることになった。

 でも、僕も『願う会』から卒業したのだと思う。

 今まで『願う会』ありがとう。

 そして、「もう1度このまちを愛する気持ち」と
 「他人を信じても大丈夫だという気持ち」を僕に与えてくれたJさんに
 こころから感謝しています。

---------------------------------------------------

 これから先、このまちで問題が起こっても
 もう『願う会』は存在しない。

 この先は、誰が闘うのだろう?

 もちろん僕は死ぬまで闘い続けるだろう。

 でも、市民のみなさんを巻き込んで闘えるような
 そんな『願う会』みたいな存在は、もう無くなってしまうのだ。

 その時は、あなたが闘うしかない。
 あなたたち自身が立ち上がるのだ。

 もう「誰かに任せておけばいい」なんて
 『お任せ民主主義』は通用しない世の中だ。

 あなたが立ち上がるしかないのだ。

 『願う会』が無くなった今、
 それがこのまちに残された現実だ。

 次はあなたの番だ。



2007年6月8日(金)のフジノ(その1)
● コムスン問題、横須賀市の状況(速報その2)

 大手の介護事業者であるコムスンの問題が
 毎日のように報道されていて
 たくさんの方々から不安の声を聴きました。

 昨日、高齢の方々についてのコムスン問題の速報を書いたところ、
 いっせいに問い合わせの電話が止まりました。

 だから、本当に多くの方々が情報を求めているのだと
 改めて痛感しました。

 そこで、今日は障がいのある方々の支援についての
 コムスン問題の速報をお伝えします。

 先ほど、健康福祉部障がい福祉課にヒアリングしましたので報告します。

 (1)横須賀市内のコムスンは、障がい福祉サービスもしています。

 (2)利用されている障がいのある方々の数は、約11名です。
   (07年3月現在)

 (3)この事業所を、神奈川県は2012年まで指定をしています。

 (4)2012年以降は指定をしません。

 (5)しかし、障がい福祉サービスの事業所も
   市内に約30ヶ所ありますので
   仮に今すぐにコムスンが撤退したとしても
   サービスが途絶えることは無く、対応はできる見込みです。

 という訳で、コムスン問題については
 横須賀市においては
 高齢の方々も障がいのある方々もサービスが途切れることは無く
 影響はほとんど無いと言える状況だと思います。

 もしも何か大きな動きがあればご報告いたしますが
 このまま問題なくいけるのではないかと
 現時点ではフジノは考えています。



2007年6月8日(金)のフジノ(その2)
● 日刊ゲンダイがとりあげてくれた、大切な問題/未婚のシングルファーザー

 先日インタビューを受けた日刊ゲンダイが
 すぐ翌日に記事として報道してくれました。

 30分の取材がわずか17行になってしまって
 フジノの本心が伝わりきらない部分もたくさんあります。

 けれども、そのデメリットがあっても
 それでもなおこの問題を知ってほしいと願っているので
 その記事を掲載します。

 (日刊ゲンダイより)

 one parent(ひとり親)家庭が増えているのは
 あなたも知っていると思うのです。

 けれども、お母さんとこどもだけの家庭も大変ですが
 さらに困難に追い込まれているのがお父さんとこどもだけの家庭です。

 また、日刊ゲンダイのS記者が特に注目してくれたのは
 シングルファーザーの増加だけではなくて
 その内訳です。

 全国で20万3000人のシングルファーザーがいますが、
 その内訳は次の通りです。

 ・離婚、15万7000人

 ・死別、2万7000人

 ・未婚、1万9000人


 この内訳にぜひ注目してください。
 これまではシングルファーザーというと、離婚と死別だけがとりあげられてきました。

 けれども、未婚のシングルファーザーがこの5年間で4割以上増えているのです。

 昔は、『未婚の母』という言葉がありましたが
 現在ではあらゆる側面で、男女共同参画社会になりました。

 それは、

 ・男性も当然のこととして育児をする

 ・女性も当然のこととしてフルタイムで働く

 という社会的な変化と共に
 人々の意識にも大きな変化をもたらしました。

 つまり、子育てが女性だけのものではなくなったのです。

 かつては、望まない妊娠=要するに「できちゃった」時に
 結婚はできないけれど堕ろしたくない、だから未婚の母になる、
 という事例がたくさんありました。

 けれども今では、結婚はできないけれど堕ろしたくない、に加えて
 母親が引き取らないけれど
 父親が引き取る(積極的にも、消極的にも)ケースが
 確実に存在するのです。

 また、結婚という法律の縛りにも
 意味を見出さない人々が多くなってきていることも
 事実としてあります。

 こういう世の中のリアルは、確かに存在しているのです。

 かねてから父子家庭への支援を訴えてきましたが、
 もっともっと現実の状況に合った支援が必要です。

 政府にはもっとリアルな対策をしてほしいと強く望みます。



2007年6月9日(土)のフジノ
● 発達障がいのある方々の支援の向上の為に

 今日は、13時から新宿にある東京都議会議事堂で
 シンポジウム『発達障がい者支援の確実な向上を目指すには』
 参加しました。

 発達障害者支援センター全国連絡協議会の主催で
 公開シンポジウムと記念講演が行なわれたのですね。

 これまで本当に長い間、
 法律の『障がい』の枠組みから外れていた
 (いわゆる『福祉の谷間』に取り残されていた)為に
 支援がほとんど無かったのが発達障がいです。

 当事者・ご家族・福祉関係者・国会議員連盟によって
 法律作成に向けて様々な活動の結果、
 ついに『発達障害者支援法』が施行されたのは、2年前のことでした。

 発達障害者支援センターもまだ全国に50ヶ所しかありません。

 来年には、初めての『発達障害者支援法』見直しの検討が始まります。

 障害者自立支援法の見直しに合わせて、
 しっかりと発達障がいに対する支援を組み込んでいく必要があります。

 また、今年の暮れには新しい『障害者基本計画』(後期5ヵ年計画)
 政府によって作られることになります。

 こちらにも、発達障がいに対する
 財政的な措置も含めた支援の在り方を
 しっかりと載せていかねばいけません。

 そんないくつもの課題がある現在の状況の中で、
 こうしてシンポジウムに参加して、改めて全国の声を聴くことは
 本当に勉強になりました。

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 まずシンポジウムとして
 『発達障害者支援の確実な向上を目指すには』が行なわれました。

 市川宏伸さん
 (東京都立
  梅が丘病院・
  院長)

 奥野宏二さん
 (全国自閉症者
  施設協議会・
  会長)

 山岡修さん
 (日本発達障害
  ネットワーク
  代表)

 瀧本寛さん
 (文部科学省
  初等中等教育局
  特別支援教育課
  課長)

 土屋喜久さん
 (厚生労働省
  職業安定局
  障害者雇用対策課
  課長)

 質疑応答

 記念講演として『発達障害者支援の展開』というタイトルで
 福島豊さん(公明党・衆議院議員)が講演を行ないました。

 福島豊さん
 (公明党・衆議院議員)


● 滝沢さん(江戸川区議)とお会いしました

 今日は、シンポジウムに参加していた江戸川区議会議員の
 滝沢泰子さん(民主党)に偶然にお会いしました。

 実は、彼女は区議会議員に立候補・当選する前に
 カフェトークに遊びに来てくれたことがあるのですね。

 そこで、シンポジウムの休憩時間と終わってからと、
 1時間くらい、いろいろ意見交換をしたり、お話をうかがいました。

 発達障がいのある方々への支援は都道府県が中心なのですが、
 市区町村ではどのような対策ができるかなどをお話したり、
 当選してから初議会を終えての感想をうかがいました。

滝沢さん(江戸川区議)とフジノ  おもしろいお話だったのが
 滝沢さんが選挙期間中に
 しばしばフジノの言葉を
 思い出していたそうなのですね。

 その言葉というのが

 初めてのカフェトークに
 参加してまだ2分も経たない時に
 フジノが

 「僕は暗いんですよね」

 と言ったそうなんです。

 フジノ自身の
 記憶には無いのですが
 いかにも言いそうなセリフ(笑)

 フジノは、ハキハキしていつも脂ぎって声がでかいような
 なんかいわゆる政治家くさい人が大キライなんです。

 だから、カフェトークに来る参加者の人々にも
 最初からハッキリとフジノは自分はそういうのはイヤだ、って
 毎回言っていますからね〜。

 たぶん、滝沢さんがいらした時にもきっと

 「僕は暗いんですよね。
  明るくていつもハキハキしているような人は
  僕は苦手だし、そんな風な人間には僕は絶対になれません」

 みたいなことを、言っているはず(笑)。

 なんか市民の方々が勝手にイメージを作って
 政治家は明るくて元気じゃなきゃいけないみたいに思っているのが
 本当にイヤなんですよ。マイペースに生きたいんです。

 でも、そんな言葉が滝沢さんの励み(?)になって良かったです。

 立候補者に対して周囲の人間って
 「いつも明るく居ること」をムリに求めたりするんですよね。
 そんなのムリにやったらウソですからね〜。ふつうでいいと僕は思います。

 ●

 政治家の仕事はめちゃくちゃつらいので、
 フジノは同業者として「当選おめでとう」なんて言えません。
 苦難の4年間が待っているからです。

 すでに区議会は始まっていて
 滝沢さんは本当にしっかり良い仕事をしているようです。

 市民のみなさんからは愛されて、
 行政からはびびられて、
 まわりの政治家からは一目置かれる、
 ぜひそんな区議になってほしいなあと思いました。

 滝沢さん、これからもりらっくす&ふぁいとで
 マイペースで進んでいってください!


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