まちの政治家は、こんなことしてます


2009年4月4日(土)のフジノその1
● 事務所の引っ越し作業スタート

 新しい事務所への『引っ越し作業』を始めました。

 まずは、ゴキブリ・ダニ・ノミを撃退する為に
 バルサンを炊きました(写真は『アースレッド』ですね)。



 容器に水を入れて、セットするだけ。



 煙が噴き出します。あとは、2時間ほど放置したら、ぞうきんで水拭き。



 最大の課題である『本の移動』は、カバンに20冊くらいずつ入れて
 バイクで1000往復くらいすれば何とかなるのではないかと...。

バイクに本を載せるフジノ

 4月は議会が無いので、過去の資料で今は使わないものから
 気長に1ヶ月かけて運んでいきたいと思います。

 あ、まずはスリッパ持っていこう。



2009年4月3日(金)のフジノその2
● 全日本手をつなぐ育成会へ行きました

 今日は夕方から、東京の虎ノ門駅から徒歩5分ほどの所にある
 『(社)全日本手をつなぐ育成会』の事務所へ行ってきました。

 知的障がいのある方々が中心となって
 編集委員として発行している季刊誌『ステージ』の、
 6月号の発行に向けた編集会議にフジノも参加する為です!

 目的地の虎ノ門駅から
 地上に出ると

 夕暮れに東京タワーが
 浮かび上がっていました。

 その姿を眺めながら

 「ああ、手をつなぐ育成会の
  本部に来たんだなあ...」

 と、とても感慨深い
 気持ちになりました。

 フジノにとってどれほど思い入れが深い団体であるか
 かつてこの活動日記にも記しました。

 まさか自分がここに『招かれて』
 来ることになるとは想像もつきませんでした。感動です。

全日本手をつなぐ育成会事務局

 ビルに到着してエレベーターに乗って
 ドキドキしながら、8階で降りました。


● 季刊誌『ステージ』編集会議に参加しました!

 18時30分集合ということで、お腹が減る時間...。
 会議室のテーブルには
 お菓子とペットボトルがありがたかったです。

 さて、総勢14名(1名欠席)でテーブルを囲んで
 とても活発な議論が行なわれました。

 季刊誌は、合計8ページなのですが
 1面から8面までの構成はこんな感じです。

 1面:完全に自由。編集メンバーの関心が高い話題。

 2面と3面:ニュース欄。

 4面:エンターテイメント欄。

 5面:スポーツ欄。

 6面:情報欄。

 7面:『わたしにもいわせて』欄(本人活動の紹介)。

 8面:やってみようの欄(参加・体験など)

 例えば、過去にとりあげたテーマはこんな感じです。

 <4面:エンターテイメント欄>

 ・『だいすき!!』香里奈さんにインタビュー

 ・ドラマに出てみました!(テレビドラマ『だいすき!!』に出演)

 ・夏だ!夏祭り

 ・『ハートをつなごう』に遊びに行ってきました(石田衣良さんインタビュー)

 ・この人に会いたい!西岡奈緒子さん


 <8面:やってみようの欄>

 ・星をみてみよう

 ・はとバスに乗ってみよう

 ・大学生と交流しよう!

 ・ステージおすすめ、お雑煮レシピ

 ・やってみようよ、合コン!!

ステージ編集会議資料

 4面と8面はすごく楽しい感じですが、6面は割とカタめです。


 <6面:情報欄>

 ・国連障害者権利条約に日本がサイン!

 ・働くを考えよう!

 ・詐欺にだまされるな!

 ・裁判員制度を勉強しよう!

 ・『うつ病』ってなに?

 ・東金事件、みなさんはどう思いますか?


 最新号の企画を1ページずつ決めていったのですが、
 誰が原稿を書くか、文字数を何文字にするか、
 取材をいつにするか、写真はどんなものにするか、などなど
 あっという間の2時間半でした。


● 『本人活動』という喜び

 知的障がいのある方々がメインで編集委員をしている会議というのは
 どんな感じで進んでいくか、あなたはイメージが浮かびますか?

 素直に書きますが、実際に今回参加するまで
 フジノにはイメージが浮かびませんでした。

 例えば、時々、フジノが参加するイベントなどの場で
 質疑応答や意見を述べる場で
 障がいのある方々がマイクを握るのですが

 実際にはあらかじめその施設の職員が仕込んでいて
 練習をさせられた上で発言させられているんだろうみたいな
 観ていて不快になるものがあります。

 横須賀でもそういう場が毎年あります。

 ハッキリ言って「こんなものは茶番だ」とフジノは感じていて
 いつも参加するたびにうんざりさせられます。

 障がいのある方々の意思を尊重するような姿勢を取りながら
 代弁者であろうとしているフリだけしながら、そうじゃないのです。

 こういうニセモノ会議になったらイヤだな
 ということだけ、思っていました。

 でも、今日は全くそんなことはありませんでした。
 むしろ、その正反対です!

 フジノの他にも新聞記者の方が居たり、
 月刊『手をつなぐ』の編集部の方も同席してはいたのですが
 (いわゆる障がいがない立場の人ですね)

 司会進行をはじめ、ほとんどの意見は
 知的障がいのある本人の方々がどんどん述べていました。

 とても気持ち良かったです。

 むしろ、あまりの活発な意見がとびかうので
 フジノは発言するチャンスがありませんでした...(汗)。

 本当は8面のやってみようの欄で

 「身近な議会に傍聴に行ってみよう!」

 という企画を提案したかったのですが、
 残念ながら提案すらできず...。むー、次号こそ!

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 こんな風に障がいのある方々が中心になって
 活動しているいろいろなことを『本人活動』と呼んでいます。

 全国でもたくさんの本人活動があります。
 例えば、横須賀にもサッカーチームをはじめ、複数あります。

 本人活動をフジノはもっともっと知りたいです。
 こうした場にもっと参加したいです。

 特に、知的障がいのある方々の本人活動をもっと体感したいです。

 精神障がいのある方々の活動は
 フジノはかなり長い年月にわたって目の当たりにしてきましたが

 残念ながら、知的障がいのある方々の活動とは
 たまたまた接点が無いままに来てしまいました。

 次回の編集会議も楽しみです!

 会議室の窓からは
 東京タワーが
 目の前に見えました。

 時間帯によって変わる
 イルミネーションの色が
 とてもきれいでした。

 今日は活発な編集会議に圧倒されてしまったけれど
 元気をもらいました。僕もさらにがんばろう。

 明日も、りらっくすでふぁいとですね。



2009年4月3日(金)のフジノ
● 美しい桜たち@田戸台分庁舎

 11時から横須賀中央の不動産屋さんへ。

 不動産屋さんと保険屋さんとフジノとで集まって
 新しい事務所についてのもろもろの重要事項の説明を受けて、
 契約書の作成をしていきました。

 あまりにもテンポよく作業が進み
 予想外に全てが完了して、
 みんな思わぬ時間の余裕ができたので

 不動産屋さんと保険屋さんから
 お昼ごはんを一緒に食べにいきませんかと誘われました。

 「せっかくですが、ごめんなさい」

 と僕はお断りして、バイクに乗って田戸台へ向かいました。

 今年はどうしても忙しくて
 毎年やっているようなみんなでお花見をすることができないので

 せめて少しの時間で良いからきれいに咲いた桜を見ておきたくて
 人生で初めて『田戸台分庁舎』に行ってみることにしました。



 聖徳寺坂の奥に入っていくと
 横浜地方裁判所の横須賀支部(横須賀簡易裁判所)がありますが
 さらにその上に『田戸台分庁舎』はあります。

 ふだんは開放されていないのですが
 敷地内の桜がとてもきれいなので桜の開花している時期に
 (今年は4月1日から5日まで)一般公開されています。

 もともとは横須賀鎮守府司令長官の官舎です
 敷地が1万3000uもあります。

 開放日といっても庭を歩くだけだと思ったら
 建物の中にも入ることができました。

 それぞれの部屋や2階には入れなくて
 廊下から中をのぞく感じでしたが、とても興味深かったです。



 かつて海軍の方々がこの美しい内装がされたリビングから
 歴代の司令官らも桜を眺めてきたのだろうなと思いました。



 高台に建っているので、遠く走水の方まで見渡すことができます。



 初めて来てみましたが、とても良いところですね。

 ふだんはレセプションの時にしか公開しないそうですが
 今日だけでもすごくたくさんの方々が訪れていて
 観光資源として有効に使いたい施設だなあ、と考えたりしました。


● 桜に自らの来し方と行く末を想う

 僕の4月8日に生まれたのですが
 ちょうど桜が咲く時期なので
 幼い頃から自分の意識に桜の景色が強く結びつけられています。



 小学1年生まで暮らした追浜のアパートの前には
 大きな桜の樹が何本もありました。

 誕生日が近づくと、桜が満開になります。

 さらに4月には入園式や入学式があったり、学年が変わったり、
 出会いと別れが同時にあって、やがて桜も雪のように散っていきます。



 人との出会いや別れがこの時期に集中することと

 美しく咲いた桜は
 人々の新たなスタートを祝福しているように見えるのですが

 やがてすぐに、はかなく散っていってしまう姿に
 その出会いの喜びは
 突然に訪れる別れと実は表裏一体であることを思わされます。

 それは、生きていくことの喜びやいのちの存在そのものも
 実は弱さやもろさと裏腹であることと同じですよね。

 自分自身がこれまで生きてきたこと、
 そして、これからも生きていくこと、
 それは同時に1秒ずつ死へと向かっているのだということを
 思い起こさせられました。



 今年もまたいろいろなことを決断し続けていかねばならないので
 神経は磨り減るし、ストレスもたまる一方なのですが

 そんな現実を一瞬だけ考えずに済んだ
 美しい桜たちの姿でした。

 さあ、現実に戻ってまたがんばろう。



2009年4月1日(水)のフジノその2
● 予算議会が終わったばかりだけど...

 それにしてもつい1週間前に
 予算議会が終わったばかりなのですが
 フジノは早く市議会で仕事がしたくてたまりません。

 というのも、昨日31日付けで国会へ
 『障害者自立支援法』の見直し法案が提出されたのです。

 2008年5月から2009年4月末まで
 フジノは『教育経済常任委員会』に所属しているのですが

 (担当は、教育委員会・経済部・上下水道局です)

 今こそフジノの本籍である『民生常任委員会』に戻って
 この法律に対して、
 市がどう対応すべきなのかを議論したいです!

 (民生常任委員会の担当は、
  健康福祉部・こども育成部・消防局・環境部・病院管理部です)

 かつて無所属がまだ4人いた時期に、
 話し合いによって4つの委員会を交代制でやるべきだ、みたいな
 申し合わせをしたので

 この1年間は、教育経済常任委員会に所属しました。

 確かに『緊急経済対策』をはじめとして
 『性的マイノリティの方々に対する偏見・差別の解消』など

 まさに激動の1年間にこの委員会に所属していたことは
 大きな意味がありましたし、政策実現の成果もたくさんありました。

 けれども、フジノの専門は『福祉』です。

 もはや無所属もバラバラになって
 会派に入った人たちもいれば、当時の申し合わせも無効なはずです。

 フジノは6年間の政治家生活の中で
 4年間を民生常任委員会に所属して、
 2年間を教育経済常任委員会に所属してきました。

 横須賀市議会は、委員会中心主義なので
 市長に質疑する本会議も重要ですが
 細かい部分の議論は、やはり所属する委員会での議論が勝負です。

 5月に臨時議会がひらかれて
 所属する委員会が決まりますが、

 早く民生常任委員会に戻って
 フジノは本来の仕事がしたいです。

 所属する委員会は、無所属にわりあてられた委員会を
 激しい話し合いの末に取り合うことになるのだと思いますが
 今年はもう遠慮はしないつもりです。

 そうでなければ、何故、フジノが政治家をしているのか、
 市民のみなさまにとっても損失だと感じます。

 予算議会が終わったばかりですが
 早く議会での議論に突入したいです。

 何故なら、それが政治家の仕事なのですから。



2009年4月1日(水)のフジノ
● 事務所を引っ越すことになりました

 過去6年間にわたって政治家フジノの闘いの発信地であった
 上町1丁目の事務所をついに引っ越すことになりました。

 現在の上町の事務所は、
 フジノ自身が歩いて探しだした場所です。

 市議会へバイクでわずか10分、徒歩でも20分という
 素晴らしい立地でありながら、家賃が3万5000円という安さでした。

 もちろんその金額に応じて
 『古さ』も『せまさ』もすごかった訳です。

 ガスも引いてありませんので、お湯も沸かせません。
 トイレは和式です。スペースは4畳半と6畳の2部屋でした。

 クーラーも暖房も無い為に、
 夏は熱く、冬は極寒の、職場環境でした。

 よくマスメディアから取材の依頼を受けて

 「取材場所は、フジノ議員の事務所でよろしいですか?」

 と言われるたびに

 「いや、事務所は書類と本の山で
  とても人が入れません。イスが2つも置けません」

 と、お断りせざるをえませんでした。

 実際に、フジノ1人きりが仕事をするには
 もう慣れてしまったので全く困ることは無かったのですが

 この事務所で市民の方からご相談を受けたり、
 マスメディアの方の取材を受けることは、不可能でした。

 1面だけの壁を除いて全ての壁に本棚があって、
 1000冊を軽く超える文献があります。

 自殺予防対策と精神保健福祉に関する文献は
 下手な図書館よりも充実していて、
 むしろ、大学の研究室に近いイメージかもしれません。

 しかし、この狭くて汚ない、
 でも素晴らしく愛着のある事務所とも
 お別れすることにしました。

 理由は、上に書いたとおりです。

 6年間の政治家としての活動の中で
 てがける課題・分野が毎日のように広がっていく中で

 現在の事務所スペースでは
 とても対応しきれなくなってしまったのです。

 行政側から毎日配られる大量の書類も
 選別して必要なものはPDF化して
 書類を捨てても捨てても
 それでもこれ以上は捨てきれない状況で

 文献の量によって床も落ちてしまいそうですし、
 真夏の暑さと真冬の寒さでパソコン類の故障が多発してしまい、
 仕事が滞ることもしばしばでした。

 調査・研究をはじめ、議会での質疑の原稿作成など
 とにかくフジノは仕事に集中している瞬間は

 あらゆることがらに関心が無くなり、
 食事も睡眠もいらなくなるくらいに無頓着なので

 熱い暑さも寒さも狭さもお湯が沸かせないことも
 全く気にならずに何日でも
 ここで徹夜をして仕事をしてきたのですが

 毎回、議会が終わるたびに冷静になると、
 引っ越さなければ限界だと感じて、物件を探していました。

 そんな中、昨日、
 運命的に素晴らしい物件に出会いました。

 古さは現在と全く変わらないのですが、広いのです。
 そこならば、ますます調査・研究に集中できます。

 何よりも、文献を重ねて置かずに
 タイトルが見えるように全てを本棚におさめられそうです。

 また、数名が座ることのできるテーブルを
 新しい事務所には置くことができそうです。

 これまではカフェトークの際に『BUENO』『RRROOM』といった
 素晴らしいカフェにご協力を頂いてスペースをお借りしていたのですが

 「カフェでの開催だと障害年金が出た月しか来れません。
  コーヒー代1杯を支払うのも精一杯だけど、
  カフェトークには参加したいんです」

 といった声があったのも事実です。

 カフェトークは大切な場ですから
 今のまま続けていきますが、

 新しい事務所にテーブルが置けるようになれば
 フジノはそこに無料で誰もが交流できる場を作りたいと思います。

 引っ越しは、おカネがもったいないので業者は頼まずに
 1か月かけて、じっくり1人で荷物を運んでいきたいと思います。

 (昨日急に引っ越しを決めたので、
  すでに現在の事務所の4月分家賃を支払ってしまったのです。
  だから4月だけは新旧両方の事務所があることになります)

 今後さらにフジノの政治家としての仕事を
 もっと高い質でもっとたくさんの仕事を行なっていく為の
 大事な拠点となるはずです。

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 現在の事務所には、とても愛着があります。

 脅迫状が送りつけられたり、
 ストーカーに事務所の外に待機されてしまったり、
 大声でわめかれたり
 延々とドアをノックされつづけたまま
 何時間も缶詰めになって出られなかったり
 本当につらく苦しい出来事もいろいろありました。

 体調不良で倒れてしまったのに
 誰にも連絡が取れなくて、
 動けるようになるまで
 数時間にわたって書類の山の上に伏せっていたこともありました。

 「勝手に事務所をかまえておいて、あいさつも無いのか」

 と、知らない人々から
 インネンをつけられたこともありました。

 それらも全て、今となっては笑い話です。

 政治家として活動していれば
 利害の衝突から当然多くの人々から憎まれたりするのは
 しかたがないリスクですし、

 政治家フジノの『根性』も『気合い』も
 この事務所で養われました。

 闘う政治家フジノを育ててくれた
 とても愛着のある、大切な場所です。

 お別れが、とてもさみしいです。

 でも、もっと前に歩いていく為には
 別れも必要なんでしょうね...。


 新しい事務所の所在地などは、
 引っ越しが完了したら、ご報告いたします。

 まずは明日、本契約です。


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