まちの政治家は、こんなことしてます


2009年4月15日(水)のフジノその1
● 記者会見を行ないました/市長選挙でのフジノの対応

 本日、お昼1時半から2時半まで
 市役所4階の記者クラブ脇にあるカンファレンスルームにて
 フジノは記者会見を開催させていただきました。

 報道関係のほぼ全てのみなさんが集まって下さり
 本当にありがとうございました。

 また、当初は30分のみの予定だったのに
 フジノが30分にわたって熱く語りすぎてしまった為に
 合計1時間にわたってしまいました。


 (画像:記者会見中のフジノ)

 それでも途中で退席する記者の方も全くおらず
 報道関係各社のみなさまの関心の高さに
 こころから感謝しております。ありがとうございました!

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 さて、市民のみなさま。
 フジノが記者会見でお配りした資料はこちらです。

 (PDFファイルが開けない方の為に、下に全文を引用しますね)



                                平成21年4月15日
  報道関係者各位
                                 横須賀市議会議員
                                      藤野 英明


     横須賀市長選挙では、『勝手連』として
       吉田雄人さんを応援します


      「希望」を感じて生きていかれる「新しい横須賀」を
      市民と共に創る「新しい市長」の誕生をめざします





 横須賀市長選挙において、私は『勝手連』として、
 吉田雄人さんを応援いたします。

 私はこの4年間、蒲谷市長の市政運営を間近に見つめ、
 また市議会での質疑を通じて、
 緊急に解決すべき問題が山積みで
 危機的状況にある本市のリーダーとして、現市長はふさわしくない、
 との結論に至りました。

 特に、派遣切りなど雇用危機が差し迫っていた
 昨年12月という重大な時期に、
 緊急経済対策・雇用対策を打ち出す前に、
 自らは早々と続投を表明した現市長には、
 厳しい状況に置かれた市民を想う気持ちは無いのだと強く失望しました。

 同時に、やはり新しい市長の誕生が不可欠だと決意しました。

 そこで予算議会の終了後、現時点での立候補予定者
 (呉東正彦さん・吉田雄人さん)にお会いしていただき、

 市長として目指す『横須賀の未来の姿』とは何か、
 またその未来像の実現に必要な政策群を
 市民のみなさまに契約として掲げる『マニフェスト』はどのようなものか等の
 お話をうかがい、

 加えて現市長に最も欠けている資質である
 『情熱の強さ』を体感させていただきました。

 約1ヶ月間、市民の方々のご意見もうかがいながら
 熟慮に熟慮を重ねた結果、私は本日のこの結論に至りました。

 その判断基準は

 「希望を感じて生きていかれる新しい横須賀を
  市民と共に創り出すことができる新しい時代の市長にふさわしいか」

 でした。

 (呉東正彦さんの、市民活動のリーダーとしての
  長年のご活躍に対する私の尊敬の念は、
  この判断をした現在でも全く変わりません。
  過去も現在も高く評価しています)

 私は、あくまでも『勝手連』として吉田さんを全力で応援します。

 吉田さんから応援依頼や要請の言葉を一切受けていませんし、
 選挙対策本部に入るようなことは決してありません。

 これから私が行なうことは、市民のみなさまに広く呼びかけて、
 想いを同じくする市民の方々と一緒に、
 新しい横須賀を創るための
 『勝手連』運動を
 まきおこしていきたいと考えています。

 あくまでも市議として無所属を貫いてきた私は、
 組織やしがらみとは全く無縁の、

 「希望ある新しい横須賀を創り出したい」

 という想いの1点でつながった
 新しい『勝手連』運動を行ない、新しい市長の誕生を支援していきます。

                                          以上

 (本件のお問い合わせ先:046(824)3162、070(6401)2832)



 こちらがフジノの結論です。

 長い間、たくさんの方々をお待たせしてしまい
 本当に申し訳ございませんでした。

 でも、ついに全てが吹っ切れました。

 さあ、一緒に始めましょう!


● 敵は強大だけど、僕たちは「希望」の為に闘う

 かなり信頼できる筋からの情報として
 相手側には、まだまだ大人気の元総理が応援に付くとのことです。

 はじめ、この情報を聴いた時、衝撃を受けました。
 すさまじく驚きました。

 何故なら、元総理はもう2度と表舞台には出てこないと
 フジノは思っていたからです。

 昨年、彼が引退を表明した日の
 フジノの活動日記(08年9月25日)をどうかご覧下さい。

 どれほどフジノが彼の誤った政策をこころの底から憎んでいるか
 みなさん、ご理解いただけると思います。

 本当にその彼と直接に闘うことができるのならば
 こころから大歓迎です。

 政治家としてのフジノの最大の敵である彼と
 真正面から闘うことができるとしたら、最高の喜びです。

 全力でフジノは命を賭けてぶつかっていき、
 真正面から必ず倒してみせます。

 この国の医療と福祉と経済を破壊して
 自殺に追い込まれた方々が11年連続で3万人を超えたほどに
 国民に絶望を与えた政治家と

 自殺対策をメインに政治家となり
 このまちに生きる希望をもたらす新しい市長を生み出す為に
 勝手連として名乗りを挙げたフジノと

 どちらが今、市民のみなさまに必要とされているのか
 フジノは市民のみなさまに、ぜひ聞かせていただきたいのです。

 今までフジノは選挙が大キライでした。
 しかし、今回だけは政治家として全てを賭けて闘います。



2009年4月13日(月)のフジノ
● 市長選挙へのフジノの対応/記者会見を行ないます

 徹夜明けの朝8時、ようやく決心しました。

 さっそく記者クラブに電話をして、あさって15日(水)午後1時30分から
 記者会見を行なうという連絡をさせていただきました。

 横須賀市長選挙に対するフジノの想い、
 今後、どのように活動していくのか。

 そのフジノの決意を報道関係者のみなさまに
 お伝えすると同時に、このホームページにも掲載いたします。

 お叱りを受けるのを承知で、まだ立候補予定者の方々にも
 フジノの決心はお伝えしていません。

 まず誰よりも、市民のみなさまに対して
 フジノの決心はお伝えしたいと考えています。

 今日、記者クラブにお渡ししてきた
 プレスリリースはこちらです。



 (PDFファイルが開けない方の為に、下に全文を引用しますね)


                                平成21年4月13日
  報道関係者各位
                                 横須賀市議会議員
                                      藤野 英明


   「横須賀市長選挙に対する藤野英明の想いと今後の活動」
    「報道関係者のみなさまとの懇談会」開催のお知らせ



 みなさまにおかれましては、ますますご活躍のこととお喜び申し上げます。

 報道関係のみなさまには、本市の政治行政をはじめとする
 このまちの現状を広くお伝えいただくと共に
 諸問題に対する厳しい報道によって、
 これまで本市のいくつもの問題が改善されてきました。

 一方、このまちに暮らす市民のみなさまの、
 毎日の暮らしの中での喜びや悲しみを、
 たとえそれがささやかな出来事であっても
 報道関係者のみなさまに汲みあげていただき、
 紙面でとりあげていただくことで、
 市民のみなさまはとても強く励まされてきました。

 こうした政治と行政には果たすことのできない大きな役割を、
 報道関係のみなさまが実践して下さっていることを
 毎日痛感しております。この機会に改めて御礼を申し上げます。

 さて、このたび私藤野英明は、
 報道関係のみなさまと懇談会を開催させていただきたく、
 その開催をお知らせいたします。

 懇談の内容は
 これから行われる横須賀市長選挙についてです。

 すでに複数の候補者名が挙がっておりますが、
 この6年間このまちの市議会議員として活動をしてきた経験を通じて、

 市長選挙に対して私が現在どのように考えているか、
 今後どのように行動していくのか、

 そうした私の姿勢を
 みなさまにお伝えさせていただきたいと思います。

 また、報道関係者のみなさまのご意見もぜひうかがわせていただきたく、
 記者会見ではなく、「懇談会」とさせていただきました。

 ご多忙中のところ、誠に恐縮に存じますが、
 どうかぜひご来場賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


                   記

 1.日時 4月15日(水)午後1時30分〜2時00分

 2.場所 横須賀市役所4階の記者クラブの隣の会議室

 3.内容 13時30分〜40分
         市長選挙での私の対応についてご説明いたします。

       13時40分〜終了
         報道関係者のみなさまからの質疑を承ります。

 4.お問い合わせ先 藤野英明 事務所046(824)3162、
                      PHS 070(6401)2832

                                    以上


 市民のみなさまにもあと2日だけお待ちいただけますよう、
 どうかよろしくお願いいたします。



2009年4月11日(土)のフジノその1
● 引っ越し作業8日目

 新しい事務所への『引っ越し作業』の第8日目です。

 今日の僕個人のテーマは
 パソコン用の机の移動でした。

 これはキャスターが
 付いていることもあって
 自分自身で気合いで運びました。

 ところで...

 素晴らしいことに
 今日の夜は、友人が1人、
 クルマを出してくれることになって
 2時間ほど手伝ってくれました。

 Aくん、本当にありがとね!

 Aくんは、2003年にフジノが
 初めて県の選挙管理委員会を訪れた時に不安だったので
 一緒についていってくれた友達です。

 僕が本当に困っている時には助けてくれる
 とてもサイコーな友達です。

 今日の最大の成果は『イス』です!



 いつもの本棚の前に、イスが運び込まれているのが
 画像で分かりますでしょうか?



 現在の事務所には、6脚のイスがあったのですが
 ずうっと書類と本の置き場になっていました。

 このイスに座ったことがあるのは、
 イスとテーブルを導入した数年前の最初の頃だけで
 たぶん合計10名も存在しないのではないかと思います...。

 でも、新しい事務所ではきっとたくさんの方々に
 イスとして座っていただけるはずです。

 例えば、数年前から要望がとても強いにもかかわらず
 場所が見つからない為に実施できていない
 『平日の午前中』のカフェトーク。

 事務所はカフェではありませんから
 カフェトークが持つ『場』の魅力が半減してしまいますが

 それでも現在のゼロよりは絶対に良いはずです。
 市民のみなさまの交流の場として
 ぜひ活用していただきたいと願っています。

 あるいは、自死遺族のわかちあいの場が
 正式に見つかるまではぜひ利用していただきたいと願っています。

 全国の自死遺族のわかちあいの場の
 悩みの1つとして必ず挙がるのが『会場の確保』と『費用』です。

 そんな悩みを減らして
 本来の活動の為に少しでも協力できれば、と思います。

 政治家が事務所を持つ目的は
 『政務調査・研究』の為ですが、

 こうした場として提供することは
 全く目的に反しないとフジノは考えています。


 さらに、本棚を組み立てて
 合計11個目となりました。

 ようやく新しい事務所の
 片方の壁が本棚で埋まりました。

 こちらの壁に入れた文献は、
 フジノが政治家として
 ずっと訴えてきた
 主要テーマのものです。

 やっとあと半分です。

 作業用のパソコンも1台目を運び入れました。
 (インターネットに接続しない、作業用のパソコンです)



 現在の事務所に残っている本棚は、あと3つ。
 無印良品に取り置きしてもらっている本棚もあと3つ。

 友達は、来週も手伝ってくれるとのことで
 ついに最大の難関である、『印刷機』と『テーブル』に挑戦します!

 新しい事務所に入ったことがあるのは
 これで合計3名になったのですが(不動産屋さんらを除く)

 「HPに『大学の研究室みたい』と書いてあったけれど
  そのとおりの印象だった」

 と言ってもらえて、本当にうれしかったです。

 というのも、過去にフジノは
 何人かの政治家の事務所を訪れたことがあるのですが

 政策の為の資料とか全く無くて

 後援会の名簿とかばっかりファイリングされてて
 ひどくガッカリしたものでした。

 後援会を持たないフジノの事務所に必要なものは
 政策の為の先人の知恵と知識がつまった本たちです。

 いつの日か、それこそ本当の大学の研究室のように
 市民のみなさまと政策を議論できるような
 そんな事務所にしたいと願っています。



2009年4月9日(木)のフジノ
● 引っ越し作業6日目

 新しい事務所への『引っ越し作業』の第6日目です。
 今日は時間が取れなくて、真夜中になってからの作業でした。

 深夜なのでとにかく騒音を出さないように
 現・事務所から新・事務所へと本棚を運びました。



 これで本棚が8つ目です。
 バイクで文献を120冊ほど運びました。



 現・事務所に残っている本棚は、あと4つ。
 無印良品に取り置きしてもらっている本棚はあと6つ。

 それでも入りきらない予感。

 今は、現・事務所の押入れや床全体に
 とにかくたくさんの本を寝かせて積んである状態になっている。

 新・事務所は4面の壁は、窓以外は全て
 本棚で埋まる予定です。



2009年4月8日(水)のフジノその2
● 35才になりました/父のお見舞いへ

 今日は、僕の誕生日でした。

 29才で政治家に転職をして早6年、
 35才になりました。

 これまで、誕生日にはいつもYデッキで
 街頭演説をしてきたのですが

 (政治家には年末年始もクリスマスイブも誕生日もカンケーなく、
  いつもいつだって市民のみなさまと共に働いていますよ
  という想いをお伝えしたくて、そうしてきました)

 今年は、絶対に父のお見舞いに行こう
 と、決めていました。

 自分を生み育ててくれた父に、感謝を伝えたかったのです。

 かつて僕にとって誕生日は
 自分のことをお祝いするような気持ちでいました。

 プレゼントをもらって、たくさんの人に祝福の言葉をもらって、
 誕生日は自分がお祝いされるものだと感じていました。

 でも、フシギなことに、今は全く違う気持ちでいます。

 誕生日は、自分を生み育ててくれた親に対して
 感謝の気持ちを伝えるべき日なのだ、と今は感じるのです。

 いつもフジノは議会期間中には
 プライベートの用事を一切入れないのですが、

 たとえ明後日10日に臨時議会を控えていても
 今日の父へのお見舞いは
 決してズラしてはいけない日程だと感じました。

 午前中いっぱい仕事をして
 お昼から、市議会を出ました。


● 闘っている姿を見て、僕も闘い続けようと決めた

 父の移った病院は、鎌倉にあります。
 JR鎌倉駅から江ノ電(江ノ島電鉄)に乗り換えていきます。

 晴れた4月の鎌倉駅はすさまじい混雑で、
 さらに4両しかない江ノ電は、おそろしく混み合っていました。

 中高年のグループの方々がたくさん乗っています。
 観光できっと長谷寺などの寺院めぐりをしているのでしょう。

 元気であれば、父も母と一緒にそうすることができたかもしれません。
 母もかわいそうですが、父自身が最も無念だろうと思いました。



 晴れた江ノ島。たくさんの楽しそうな人々。
 笑い声、食べ物のおいしそうな匂い。

 そうした全ての外界と、病院の中は全く異なります。

 特に、父のように意思疎通ができない方々ばかりの暮らす
 療養病棟は、完全な別世界です。

 植物状態というと静かなイメージかもしれませんが
 現実にはものすごく雑多な音があふれています。

 聞こえるのは、気管切開の管へと送り込まれる酸素の音、
 痰がのどに詰まっているのを必死に吐き出そうともがく音、
 意図的に出している訳では無いであろう、永遠に続くようなうめき声。

 初めてのお見舞いの方々は
 こうした全ての音の数々に圧倒されてしまいますが

 家族にとってはそうした音の1つ1つが
 「生きている」ということの証なのです。

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 1時間ほど父のそばにいて、耳元で父に話し続けました。

 「父さんは今、どういう状態にあるの?
  中脳しか生きていないというのは、本当に意識が無いの?

  それとも医学的にはドクターはそう判断するしか無いとしても
  魂のレベルというか本当は聞こえているのかなあ。

  聞こえているのに、返事をする為の
  のどを動かしたり、口を動かしたりする筋肉が動かせないから
  返事ができないだけという状態なの?

  もしもそうなら、父さんは、真っ暗な洞窟の中で
  体が全て縛り付けられているような感じなのだろうか。

  おれの声が聞こえているのに
  体が全く動かせないし、

  誰もお見舞いに来ない時には、
  いろんな想いを抱えながらも
  叫ぶことさえできないという状態なのだろうか。

  いや、そんな生活を4年間もしていたら
  とっくに心が折れてしまうよね。

  もしかしたら、何も感じない、痛みすらない、
  そんな穏やかな状態なのかな、父さん...」

 やがて、いつもの激しいせきこみが始まりました。

 痰がのどにつまっているにも関わらず
 我々のように痰を吐きだすのどの筋力がもはや無いので
 看護師さんに機械で吸い出してもらうしかありません。

 けれど、日本の療養病床の基準では
 患者さんがせきこむたびに痰吸引が可能なほどには
 看護師さんは配置できません。

 僕がお見舞いをしていた1時間、
 看護師さんは1度も来ませんでした。

 「父さん、おれがお見舞いに来た時だけ
  ナースコールを押すのもウソくさいから、押さないよ。

  おれがお見舞いに来てる瞬間よりも
  圧倒的に来ていない時間の方が長くて

  その間もこうして痰のはきだしと
  命がけで闘っているんだよな...」

 この痰は、1日10数回の痰吸引では取り出しきれずに
 少しずつ食道ではなくて肺へと流れていきます。

 肺へと流れていった痰は、少しずつ肺にこびりついていきます。
 だから、父のレントゲンを見ると、肺がどんどん白くなっていっています。

 当然、酸素が吸収できづらくなっていきます。
 そこで父は濃度の高い酸素を吸入しています。

 けれども、濃度の高い酸素は体には良くありません。

 酸素を入れなくても苦しみが、酸素を入れても体には毒が、
 いずれにしても父には痛みが常に与えられています。

 やがて、こびりついた痰によって肺炎が起こり、
 体力は消耗していきます。それを繰り返していきます。

 そして、遠くない日に、父は死にます。

 僕は、目の前の父が顔を真っ青に
 チアノーゼを起こしているのを見つめながら

 心配と不安で圧倒されそうな感情を押し殺して
 これから父を(そして僕を)待ち受けている現実を
 目をそむけずに、直視しようとしました。

 「父さん、意識が無くなっている、というのは
  人間としての高次な脳の働きではなくて
  生物的なレベルでの活動しかできないということでしょう?

  それにも関わらず、生きている、生き続けている、というのは
  父さんはきっと生物的なレベルでもタフなんだね。

  おれは、意識があったらとっくにこころが折れているし
  意識が無くなって生物的なレベルの活動しかできなくなったら
  もっと早くに根源的な意味で
  生きることをやめているはずだよ。

  僕は弱い。

  父さんは、常に闘っていて、本当にすごいと思う。
  おれも、闘いつづけなければいけないね。

  おれは、いろいろなことが怖くてたまらない。
  だけど、父さんの姿を見るたびに逃げてはいけないと感じるんだ。

  まだまだ、おれは闘わなければいけないね。

  父さん、おれを35才まで生かせてくれてありがとう。
  これからもがんばるよ」

 そして、病院をあとにしました。

 外の世界は美しく輝いたままで、
 江ノ電は観光を終えて帰る人であふれていて

 病院の中に全く別の世界があることなんて
 まるでウソのように平和でした。

 でも、確かに存在しているのです。

 植物状態と言われようと、
 そこには確かに生きる為の闘いがあって

 そして、その闘いにかろうじて勝ち続けている父の姿に
 僕は励まされて、生かされているのです。


● 生きよう、生きている限りは、生きよう

 横須賀に戻り、事務所で働いた後、
 休憩する為にカフェ『RRROOM』へ行きました。

 コーヒーとチョコスフレを頼むと
 オーナーが素敵なはからいをしてくれました。



 いつでもスマイル。

 ふと、これを見た瞬間に
 あるシングルマザーの方を思い出しました。

 娘さんに、いつも笑顔でいてほしいと願って
 笑顔を意味する「SMILE」をローマ字読みにして名づけた
 スミレちゃん。

 このおかあさんはスミレちゃんを笑顔にしたくて
 複数の仕事をかけもちしながら毎日必死に働いている。

 おれは、スミレちゃんとおかあさんを笑顔にしたくて
 政治という仕事を必死に働いている。

 だから、生きよう。

 いつ死ぬのか限界がいつ来るのか分からない。
 うつがひどくなって追い込まれて明日死ぬのかもしれない。
 何も分からない。

 でも、とにかく生きている限りは、生きよう。

 誕生日、おれは自分で生きているのでは無いや。
 いろんな人に生かされているから、生きているのだろう。

 だから、とにかく生きている限りは、生き続けよう。

 そう決心した35才の誕生日でした。

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 たくさんの市民のみなさまから
 僕の誕生日を祝うメールをいただきました。

 こころから感謝しています。
 この感謝の気持ちを、しっかりと仕事でおかえしします。

 ありがとうございました。



2009年4月8日(水)のフジノその1
● 吉田雄人市議のマニフェスト骨子です

 昨日おこなわれた吉田雄人・市議(無所属)による
 公開での記者会見の時に配られた

 『マニフェスト』の骨子を掲載してほしい、という
 複数のメールをいただきました。

 吉田市議の確認をいただいたので、PDFファイルで掲載しますね。
 こちらをご覧下さい。


 (昨日の様子)



● 公開記者会見の報道です

 昨日おこなわれた吉田雄人・市議(無所属)による
 公開での記者会見が、マスメディア各社によって報道されました。

(2009年4月8日・朝日新聞より)

(2009年4月8日・読売新聞より)

(2009年4月8日・神奈川新聞より)

 今回の横須賀市長選挙は、
 横須賀が生まれ変われるかどうかの最後のチャンスです。

 だから、マスメディアの関心もとても高いですね。


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