まちの政治家は、こんなことしてます


2009年11月30日(月)のフジノ
● 市長へのフジノの質問内容を紹介します/12月議会まもなくスタート

 昨夜はあまりの悲しさで眠れなくて
 かといって仕事も手につかなくて、つらい時間を過ごしました。

 それでも何とか今日は徹夜して
 必死で本会議に向けた質問を練り上げました。

 市議会へ提出する発言通告書はこちら(PDFファイル)です。

 PDFファイルが開けない方の為に
 全文はこちらになります。

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 1.マニフェストの達成状況について

 (1)マニフェストで「すぐにやります」とした28項目の進捗状況は
  どのようなものか。


 吉田市長の就任から約5か月が経過したが、
 「チェンジ。やればできる!改革マニフェスト2009」で掲げた
 207項目のうち、「すぐにやります」とした項目について、
 現在までの達成状況はどのようなものか。


 (2)マニフェストの進捗状況を定期的に報告する仕組みを
  作るべきではないか


 マニフェストの進捗状況について少なくとも4半期ごとに市長自ら、
 車座会議などによる報告や紙媒体やインターネットなどで
 情報発信を行なっていくべきではないか


 2.予算編成の過程から積極的に情報公開していくべきではないか

 (1)ホームページの利用や、財政部査定や市長査定の場を
  公開で行なうなどあらゆる手段を用いて、
  予算編成の過程から
  より積極的に情報公開・発信を図るべきではないか


 本市はシーリングをかけたにも関わらず予算要求の結果、
 約116億円もの財源不足になったと発表したが、
 これだけでは市民は
 財政危機に対する「不安感」が高まっただけに過ぎない。

 市長は財政再建をマニフェストの柱の1つに位置づけ、
 財政状況をきちんと知らせるとした以上、
 より積極的な情報公開・発信が求められている。

 新政権の事業仕分けが国民的な高い関心を集めたが、
 さらに財務省では平成22年度予算編成の各省庁の要求や
 財務省の査定内容をホームページで公開している。
 予算編成終了まで、マニフェストを中心に
 毎週1項目ずつ「予算編成上の個別論点」として掲載、
 財務省と各省の議論の経過も追加するなど
 「予算編成の透明化」を図っている。

 今後、本市は様々な場面で
 財政再建に対する市民の理解を求める必要が出てくるはずだが、
 その為には常に積極的な情報公開・発信が重要だ。

 そこで本市は、予算編成の過程からあらゆる手段を用いて、
 より積極的に情報公開・発信を図るべきではないか。


 3.本市採用試験における欠格条項の廃止について

 昨年の本市職員の採用試験(身体障害者採用)の募集に際して、
 差別的な欠格条項が盛り込まれた内容であった為、
 障がいのある方々や団体から抗議を受けたが、
 本市は即時撤回し、受験を再度開催した。

 来年度採用試験の受験案内では、
 新たに点字での受験も可能となるなど多くの改善がなされており
 率直に評価できる。

 さらなる改善によって
 障がいのある方々の雇用機会を増やすべきだ。

 (1)年齢制限を撤廃すべきではないか

 市長のマニフェスト\−1(2)@において
 職員採用試験における年齢制限の撤廃が
 「すぐにやります」項目として挙げられているにも関わらず、
 何故、実施しなかったのか。

 マニフェストにしたがって年齢制限を撤廃すべきではないか。

 (2)「自力で通勤ができ、介助者なしに職務の遂行が可能な人」  
  という条件は削除すべきではないか

 そもそも根本的な問題として、通勤にサポートを受けたら
 何故、市職員として働くことが認められないのか。

 さらに、個人の障がい特性による困難だけではなく、
 地理的条件や、公共交通機関や道路などのバリアフリー化といった
 社会的環境の不備によって、多くの障がいのある方々の
 自力通勤が不可能になっている現状もある。

 すでに「自力での通勤ができる」という条件を
 削除している地方自治体(北海道、静岡県、滋賀県、大阪府、
 兵庫県、鳥取県、佐賀県、札幌市、新潟市、川崎市、横浜市、
 静岡市、神戸市、京都市、広島市など)も多数ある。

 どんなサポートがあれば良いか経験の裏付けを持つ
 障がいのある方々が公務に従事することは、
 市長のマニフェストU−3(2)@
 ノーマライゼーション理念の普及啓発を充実します、を
 実現する上でも重要ではないか。

 したがって、この条件は削除すべきではないか。


 4.「自殺対策100日プラン」を受けて
  本市のさらなる自殺予防対策について


 11月27日に政府の自殺対策緊急戦略チームが発表した

 『自殺対策100日プラン
  〜年末・年度末に向けた「生きる支援」の緊急的拡充へ』

 では、

 我が国は「自殺戦争」の渦中にあり、自殺に追い込まれる人を減らす為に、
 特にこの年末・年度末に向けて社会全体で緊急的に
 対策を推進する必要があると明記している。
 本市もさらに自殺予防対策に全力を挙げる必要がある。

 (1)精神保健福祉相談員の増員をすべきではないか

 本市の精神保健福祉相談員は
 自殺対策に重要な役割を果たしているが、
 精神科医の数が三浦半島全体でも少ないこともあり、
 あらゆる業務に忙殺されており、現在の人員配置では十分とは言えない。

 自殺者が3万人を超え続ける危機的な時期を抜け出すまでは、
 精神保健福祉相談員を増員すべきではないか。

 (2)横須賀版フローチャート式「生きる支援ガイドブック」を
  作成すべきではないか


 「100日プラン」の緊急的施策の1つとして、
 今ある社会資源を最大限に有効活用できるように、
 様々な分野の「生きる支援策」を当事者に使いやすく整理した
 フローチャート式の「生きる支援のガイドブック」の作成が例示されている。


 すでに本市には冊子「横須賀こころのホットライン」があり、
 これをフローチャート化すれば、 
 より分かりやすく適切な社会資源へと導く助けになりうる。

 本市版フローチャート式「生きる支援ガイドブック」を作成し、
 活用すべきではないか。

 (3)諸施策の認知度をアップさせる広報へと転換すべきではないか

 横須賀こころの電話や多重債務特別相談会など
 今ある本市の取り組みは非常に素晴らしいが、認知度は低い。

 市長のマニフェストU−1(7)Aにあるように、
 自殺予防の施策に対する認知度を高めることが緊急の課題である。

 そこで従来の公的機関の広報の枠にとらわれずに、
 市民の方々がリアルに目にしている媒体に
 本市が広告を出すなどの取り組みが必要ではないか。

 例えば、失業した若年層はハローワークだけでなく、
 フリーペーパーや派遣会社の携帯サイトを観て仕事を探すことが多い。

 こうした媒体に本市の相談先を掲載することで、
 今までの広報では決して届かない相手だが
 切実に支援が必要な対象に対して、情報が届く可能性が高まる。

 認知度を高める為の広報を早急に活用すべきではないか。


 5.子宮頸がんを「過去の病」にする為の本市の取り組みについて

 (1)子宮頸がんの予防ワクチンの早期保険適用を政府に求めるべき

 12月から予防ワクチンの接種が可能となるが、
 保険適用がない為に自己負担が高額で、接種の大きな障壁となりうる。

 日本では子宮頸がんによって毎日10名の女性が命を落としているが、
 欧米では予防ワクチン接種と検診によって「過去の病」と言われている。

 市長は、政府に対して早期の保険適用を求めていくべきではないか。

 (2)市単独でワクチン接種への公的助成を行なうべきではないか

 10月16日、日本産婦人科学会と日本婦人科腫瘍学会と
 日本小児科学会の3学会が声明を出し、
 ウイルス感染前で免疫力も獲得しやすい
 11〜14才に優先的に接種することを強く推奨すると共に、
 公費負担を求めた。

 政府の方針が明らかになるまでは、
 3学会の推奨する年代への予防ワクチンの接種に対して、
 本市単独での公的助成を行なうべきではないか。

 (3)無料クーポン券の配布などで検診の受診者数は増加したか

 今年はワクチンの承認に加えて、
 政府が検診の無料クーポン券を配布したこともあり、
 子宮頸がんに関するメディアの報道もかつてない高まりを見せたが、
 実際に受診行動に結びついているのか。

 ア.無料クーポン券の対象となった本市の1万2957名の女性のうち、
  10月中旬からこの1カ月半で何名が受診したのか。

 イ.来年3月までに対象者全員が受診するように、
  どのような取り組みを行なうのか。

 ウ.現在までの女性全体での検診率は、前年度と比較して
  どのような状況なのか。

 (4)本市は「検診は年1回」を推奨すべきではないか

 厚生労働省の指針では
 公費での検診は2年に1回とされているが、
 がん細胞を見逃す例があることから日本産婦人科学会では
 年1回の検診を推奨している。

 前市長に年1回の検診を本市は推奨すべきだと質したが
 研究課題とさせてほしいとの答弁であった。

 市長の交代に伴って再度質問するが、
 本市では年1回の検診を推奨すべきではないか。


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 以上の合計14個の質問です。

 フジノが本会議で与えられている質問時間はわずか20分なので
 1問について1分くらいしか時間を使うことができません。

 もっともっと質疑をしたいことはたくさんあるのですが
 今の問題意識の優先順位から削って削った末の結果なので

 とにかく原稿作りにがんばりたいと思います。

 本会議は3日(木)と4日(金)の2日間にわたります。
 フジノをはじめとする質問者の発言順番は
 2日(水)の議会運営委員会で決まります。

 さて、徹夜明けなので、少し眠ります...。

 起きたら再び原稿作成に全力を尽くします!



2009年11月29日(日)のフジノその2
● 突然の訃報

 僕は会社員時代にアルバイト担当を任されて、
 大学生たち約100人を相手に
 面接・採用から
 出勤のシフト作成などを行なっていた時期があった。

 新卒で入社したばかりの23才の会社員と、
 18〜22才のアルバイトでは年齢がとても近くて、

 僕以上に仕事ができるアルバイトもたくさんいて、
 新入社員としてできることはただひたすら必死になって
 一緒に汗を流して働くことだけだった。

 とにかく映画会社というところは
 毎日がずっとお祭りのような状態で

 週末ともなれば、数千人のお客さまを相手に
 映画興行の現場でアルバイトたちと徹夜で働いたものだった。

 その激しい仕事の日々の中で
 僕がアルバイトたちと築いた信頼や絆は

 会社の同期入社組メンバーたちに対する想いよりも
 とても強く深くて、むしろ一緒に働き続けたアルバイトたちこそ
 本当の『同期』だと思っていた。

 政治家に転職する為に会社を辞めた2003年から
 全く1度たりとも会社の同期と連絡は取ったことがないのに

 当時アルバイトだった『同期』たちとは
 何度も集まったり、飲み会に読んでもらったりして、
 本当に大切な存在としてずっと想いを抱いていた。

 会社員時代には全てのアルバイトたちに対して
 同じように接するのを原則にしていたから

 誰に対しても好悪の感情なんて
 絶対に見せなかったけれども

 それでもやっぱりこころの底では
 とても深く信頼していたり、友情を感じていた存在が何人もいた。

 特にそのうちの1人は絶対的に信頼していて、
 僕が政治家に転職する時には、
 わざわざ半日間、応援に来てもらったりしてしまった。

 僕はすさまじくガンコな人間で
 会社員時代に少しでも関わりのあった人々を
 選挙になんて関わらせないように徹底的に拒否していた。

 だって、カンケーないから。

 そもそも辞める本当の理由を
 会社の人には、3名にしか話さなかった。

 (この3名は今でもこころの底から信頼する恩人です)

 僕のガンコさかげんは、身近で接した人なら分かると思うのですが
 とにかく初選挙の時から
 「同級生や友達は応援するな」と自分から言いまくって

 選挙期間中は武山(約30年間暮した地域)には
 1度も近寄らないようにしていたくらいです。

 とにかく政治家は地元代表じゃなくて
 市全体の代表だという想いと
 政策だけで判断してほしいという想いが強くて

 徹底して自分1人きりで
 しがらみとか地縁・血縁とかを捨てて
 2003年の選挙に飛び出したのです。

 そんな中、選挙最終日の前日に
 どうしようもなく体調が悪くなってしまって
 立っていられないくらいの状況になってしまいました。

 たぶん明日は歩けない、歩けても途中で倒れる、という感じ。

 でも、自分の選挙活動スタイルというのは
 ただひたすら市内を歩いては5分ほど演説して、
 また少し歩いては立ち止まって5分ほど演説して、というのを続けていて
 最終日もただひたすらそれを貫くことしか考えられませんでした。

 15〜20kmくらいを歩いて1日を終えるだけならまだ良いのですが、
 当時の僕は、ケンカ上等で、訳の分からない人々に怒鳴られたりすると
 大声で怒鳴り返したりしていたので
 よくチンピラに胸ぐらをつかまれたりしていました。

 このスタイルのまんまで、
 明日の最終日、
 最後、夜8時にYデッキまでたどりつけるかどうか
 不安でたまりませんでした。

 その時、僕の脳裏に浮かんだのは、
 アルバイトだった『彼』のことでした。

 ひどい言い方ですが、『彼』ならば
 僕のことをどんなことがあっても信じて守ってくれる、
 そう感じたのです。

 さっそく電話して、事情を話したところ、
 ふたつ返事でOKをしてくれて、

 翌日、埼玉からわざわざ横須賀まで
 朝8時には到着して、
 ずっと一緒に市内を歩いてくれたのでした。

 僕は彼の存在がこころづよくて、元気が出てきました。

 そして、お昼3時くらいには用事があるからと
 笑顔で帰っていき、

 「最後までがんばって下さいね」

 と彼は言うと、別れたのでした。

 僕は、最後まで歩き続けました。
 そして当選しました。

 僕は、当選の電話を彼にかけて、それ以来でした。

 約7年間、会うことがないままに、
 でも、何か機会があるといつも思い出しました。

 この10月31日に、会社員時代のアルバイトだったみんなと
 一気に数十人と会えるチャンスがあったので

 もちろん『彼』にも連絡をしてほしい、と
 幹事役に頼んだのでした。

 でも、連絡がつかないということで、
 すごく残念に感じていました。

 その『彼』が亡くなった、

 という連絡をついさっき受けました。

 癌だった、ということです。

 僕からの「会いたい」という連絡がいった10月中旬には
 状況からしてすでに闘病していたのではないかと思います。

 そんな闘病のことを全く知らないままに

 どうしても会いたい、と感じていたのに
 きっとまた会えると信じ込んで僕は、のほほんと過ごしていました。

 お通夜は、4日に行なわれます。
 本会議のある日で、きっと市議会は夕方まで続くでしょう。
 葬儀場は埼玉県なので間に合わないかもしれません...。

 5日の葬儀の日は、朝から僕は
 日本臨床死生学会に参加する為に東京大学へ...。

 どちらもキャンセルはできない。

 そして今も12月議会のスタート直前なので
 市長への一般質問の原稿を書かなければいけないのですが

 泣けてしかたがなくて
 仕事が手につきません。

 年下だけど『彼』のことをとても信頼していて大好きで
 ガンコで他人に助けてもらうのが大嫌いな僕が
 『彼』には助けを求めた...。

 そんな『彼』への恩返しはただ1つ、政治家として仕事をすること。
 全力を尽くし続けること、それしかありえない。

 働かなければ...。

 頭はそう強く命令しているのに、こころが機能しない。

 あまりにも早すぎる。悔しい。
 自分が代わりに死んだら良かったのにと強く感じる。

 働かなければ、がんばらなければ...。

 どうして世の中はこんなことになっているんだ。
 何故『彼』なのだ。あまりにも理不尽すぎる。

 悲しい。



2009年11月29日(日)のフジノその1
● カフェトークがもうすぐ通算200回です

 最初は2週間に1回のペースではじめて、
 途中から毎週1回になった『カフェトーク』ですが
 本日で192回目でした。

 早いものですね〜。

 他の政治家の方々からよく質問されることがらに

 「本当に事前に申し込み無しなんですか?」

 「誰でも出入り自由って怖くないですか?」

 「何もテーマが決まってないのにどう進行するのですか?」

 というものがあります。

 でも、カフェトークでは政治の話題は基本的になしですし、
 ギスギスしたこともほとんど無くて
 毎回穏やかに楽しい時間を過ごしています。

 昨年くらいに知ったのですが
 フランスのパリで始められた『隣人祭り』というのがあるんです。

 『隣人祭り』について知った時に
 カフェトークとすごく似ているなあ、と感じました。

 時々、カフェトークにいらっしゃる方で

 「政治の話題がダメだなんて
  ただの茶髪のあんちゃんに会う為にわざわざ来たんじゃない!」

 なんて怒る方もいますけれど、

 フジノ自身がわざわざ反論をしなくても
 すでにカフェトークに何度か来て下さっている方々が
 「カフェトークとはどういう場所なのか」を説明して下さったりしています。

 みんなでお茶を飲みながら
 初めて会う人も何度も来ている人も
 楽しく話そうよ、という場です。

 政治的なカラーはありません。

 誰でも気軽に遊びに来て下さいね。




2009年11月27日(金)のフジノその2
● 論説委員の方から取材を受けました/長く闘いつづけることの大切さ

 本会議を終えて、事務所で大急ぎで仕事をして、
 上町のカフェ『RRROOM』へと向かいました。

 朝日新聞の論説委員の方から取材を受ける為です。

 先日に取材を受けた石橋さん
 朝日新聞の論説委員ですが東京本社の方でした。

 本日お会いした伊藤智章さんも論説委員なのですが、
 名古屋本社がメインの仕事場でして

 わざわざ今日はこの取材の為だけに
 名古屋から横須賀まで来て下さいました!

 しかもカメラマンの方まで...。感激です。



 お会いする前に伊藤さんについてインターネットで検索したら
 長良川河口堰やダム建設の問題をはじめとする
 環境と公共事業についての取材がメインの方、というイメージでした。

 でも、実際に今日お会いして
 2時間以上いろいろお話してみると

 本当に長い間、自殺予防対策についても
 取材をしてきて下さったことが分かって、
 フジノはすごく感激しました。

 例えば...。

 2005年5月30日に参議院議員会館で
 自殺予防対策のフォーラムをNPOライフリンクが開催しました。

 (当時はフジノもライフリンクのメンバーでした)

 その場に、伊藤さんも取材で居て下さったそうです。

 あの頃、自殺に関する話題は本当にタブー視されていましたし、
 マスメディアでとりあげてもらう機会も本当に少なかったです。

 お互いに『あの場』に居たけれど
 当時は知らない者同士だったのが

 今も変わらない問題意識を持って
 こうしてお会いして語り合っているという機会が与えられたことを
 僕は神様にとても感謝したい気持ちでいます。

 誰も見向きもしてくれない頃から
 強い問題意識を持ってくれた方々が道を切り拓いてきたから

 だから、今では政府もこの問題に取り組んでいる。
 社会も今では完全にこの問題の切実さに気付いている。

 それは、こうして一緒に取り組んできてくれた
 様々な立場の、本当に気合いの入った方々が存在してくれたから。

 そうした方々がそれぞれに全国で活動を起こして
 最初のマッチの1本の役割を果たしてくれたからこそ
 今では大きな炎として燃え始めているのです。

 今日の取材はフジノにとって、
 何年間であろうと歯を食いしばって活動し続けることの大切さを
 改めて確認させてもらった貴重な機会でした。

 加えて、伊藤さんの自殺予防に対する想いを聴かせて頂いたり、
 これから進むべき方向についての意見交換をさせて頂いたことは
 とても大切な時間でした。

 政治家とマスメディアという肩書を超えて
 「自殺を無くしたい」という
 想いでつながっている同志なんだ...

 そんな風に強く感じたのでした。

 伊藤さん、本当にありがとうございました!

 (この取材の結果がいつ掲載されるかとか
  そうした事柄はまた決まったら報告しますね)

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 それにしても、プロのカメラマンの方って
 本当にすごいのですね!

 カフェの中でもずっと撮影していたのですが

 「群衆みたいな感じで人がいる雑踏で撮影したいですね」

 と言われて、フジノが思わず

 「横須賀には渋谷みたいに人がたくさん居る場所は
  この夜の時間帯でもありません...」

 と答えたのですが、

 あらかじめ取材の前に、
 駅のまわりをロケハンしていたカメラマンさんは

 「駅の方に降りていくと、いい場所があると思います」

 と言いました。

 そして、撮影したのは、ここです。



 平坂の途中にある不動産屋さんの前でした。
 偶然にもフジノ事務所の賃貸契約をお願いした不動産屋さん!

 ここの灯りを活かしながら、中央方面のライトを背にして
 さらには坂を上ってくる人々を風景として撮影すると...

 完成した写真は、別世界の風景でした!
 すごい腕前です。本当にプロですね。

 (デジカメ一眼レフだったので、その場で見せて頂きました)

 この場での写真が記事に載るのかは分かりませんが
 プロは本当にすごい、と感じました。
 ぜひみなさまに観てほしかったです。



2009年11月27日(金)のフジノその1
● 「ボーナスの恒久的ダウン」の議員提案は、否決されました

 昨日の活動日記に書いたとおりで

 今日の本会議では、
 『市議会議員の給与&ボーナスカット』がとりあげられました。

 2つの提案が出されました。

 多数派による提案(議員提出議案第2号)と、
 フジノら5名による提案(議員提出議案第3号)の2つです。


 まず、『多数派』による提案理由です。

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 議員提出議案第2号

 ただいま議題となりました議員提出議案第2号について、
 提出者を代表いたしまして提案理由の説明を申し上げます。

 議会議員の議員報酬等に関する条例中改正の件は、

 平成21年10月30日に
 横須賀市特別職報酬等審議会から出された答申に基づき、

 平成22年4月1日から議員報酬を減額するとともに、

 平成21年度の議会議員の期末手当を、
 特別職の国家公務員の支給月数の引き下げに準じ、
 本市常勤特別職と同様に0.25月、引き下げようとするものであります。

 なお、平成22年度の議会議員の期末手当については、
 第2回定例会までに改めて協議することを
 議会運営委員会において確認しております。

 議員の皆様におかれましては、
 本提案に御賛同賜りますようお願い申し上げまして、
 提案説明とさせていただきます。


 (引用おわり)
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 次に、『5名による提案』の提案理由の説明が
 井坂しんや議員によってなされました。

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 議員提出議案第3号 

 日本共産党の井坂です。

 私は、

 日本共産党議員団とネットワーク運動よこすかの瀧川議員、
 無所属の藤野議員で提出させていただいた
 議員提出議案第3号

 議会議員の議員報酬等に関する条例中改正について

 提案者を代表し、
 提案理由を述べさせていただきます。

 今回提出した条例案は、
 議員報酬と議員期末手当の削減について
 提案するものです。

 まず、議員報酬については、
 報酬等審議会の答申に基づくもので、
 先に出されました議員提出議案第2号と内容は同じものです。

 期末手当の削減については、附則の改正により、
 本年12月の支給額を0.25カ月分減額し
 年間で3.35カ月分とするとともに、

 当分の間その減額を続けるための附則を改正する内容です。

 私たちが提出した議案と
 先の議員提出議案第2号との違いは、

 附則において
 当分の間減額措置を続けるかどうかにあります。

 これまで、本市議会は、人事院勧告に基づいて
 常勤特別職や本市職員の期末手当の減額が提案された時、

 議会で論議を重ね、
 常勤特別職の減額とほぼ同様の措置を行っており、
 期末手当の減額措置が当分の間続く対応を取ってきました。

 今回、市長から提案のありました
 常勤特別職の期末手当の改定議案もこれまでと同様に
 減額措置が今後も続く内容のものでありますので、
 市議会としても
 同様の対応が必要と思います。

 附則において当分の間減額を行わないとすると
 来年度支給される期末手当は、
 減額前の月数3.6ケ月に戻ってしまいます。

 今回、報酬等審議会の答申に基づき
 議員報酬の減額をするため、
 来年度から報酬と期末手当の二重の減額措置になるとはいえ、

 期末手当の月数が元に戻るような条例では、
 市民的な理解が得られないのではないかと思います。

 今回減額した月数の3.35か月分から
 行うべきだと思いますし、

 そのためには減額措置を続ける附則を
 設けることが必要と考えるものです。

 以上提案理由を述べましたが、

 本市議会としての姿勢を示す上で
 議員のみなさまには御理解をいただき、
 ご審議いただきますようよろしくお願いいたします。

 以上で提案説明とさせていただきます。

 (引用おわり)
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 本会議では、2つの議案の提案理由が述べられた後、
 『質疑』はお互いにありませんでした。

 続いて『討論』では、フジノが我々の提案した議案について
 賛成討論をおこないました(全文はこちら)。



 そして、採決(=多数決)が行なわれました。

 結果は、フジノたちが提案した議案第3号には

 井坂しんや議員、大村洋子議員、瀧川きみえ議員、
 根岸かずこ議員、浜野まさひろ議員、フジノ、

 の合計6名が賛成しました。

 つまり、42名中6名のみの賛成ということで、否決されました。

 一方の多数派が提案した議案第2号は、
 多数の賛成(フジノらは反対)によって、可決されました。

 こうして、市議会議員については

 給与は来年4月から2.5%カット、
 ボーナスは今年12月分のみを0.25ヶ月分カットすることで
 決まりました。

 市議の給与とボーナスがカットされること自体は良いのですが
 そのカットの額がとても小幅に終わったことは、とても残念です。

 市民のみなさまは、どのようにお感じでしょうか?
 ぜひご意見をお願いします。


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