まちの政治家は、こんなことしてます


2009年10月20日(火)のフジノその1
● ようやく公開された美術館評価委員会へ

 今日は、観音崎にある横須賀美術館の会議室で開催された
 『美術館評価委員会』を傍聴してきました。



 ハコモノ3兄弟の1つである『横須賀美術館』について
 評価を行なう為に設置された委員会です。

 この評価委員会ですが、前回までは『非公開』でした。

 しかし、いくらフジノが議事録を読んでも
 あえて市民のみなさまに『非公開』にしなければならないような
 合理的な理由は全く見出すことができませんでした。

 むしろ、終わってから約2ヵ月ほど経って公開される
 議事録を読めば読むほどに

 『密室』の状態で『無責任な発言』が
 垂れ流されていることに
 フジノは強い怒りを覚えてきました。

 去年の活動日記でそのことを厳しく指摘しましたが
 その後もなかなか『公開』に変更されないので、

 正式に今年3月の市議会で取り上げて
 「公開すべき!」だとフジノは指摘しました。


 (2009年3月13日の教育経済常任委員会より)



 来年度(2009年度)は
 美術館評価制度を実際に施行していく1年となると思いますので、
 ぜひ全力を尽くしていただきたいと思います。

 美術館については、もう1点質問なのですが、
 美術館評価委員会というのは非公開で行われているのですが、

 これは公開される予定というのは
 今後もないのでしょうか。









 評価のフェーズに入りますので、
 1年間ほど試させていただいて、

 その後、できれば公開する方向で、
 少し検討するお時間をいただければと思います。





 ぜひ市民の皆さんの公開の場で
 評価委員会を行っていただきたいと思います。




 この指摘を受けて、教育委員会では検討を行なってくれました。

 さらに、美術館運営課長が異動によって
 新しい方へ変更にもなりました。

 その結果、今年6月25日に開催された
 今年度の第1回目の美術館評価委員会にて

 「公開にする」ことを決定してくれて、ようやく傍聴が可能となりました。

 その『公開』となった最初の評価委員会が
 今日だったのです。

 美術館を訪れると、
 傍聴者はフジノだけでした。

 何故なら、委員会の開催が平日昼間15時からだから、
 ふつうに働いている市民の方々が傍聴するなんて、不可能な時間帯です。

 今もこの美術館に対して
 怒りを抱いている市民の方々はとても多くいらっしゃいます。

 つい先日も市民の方々から

 「何故あんなハコモノに税金をつぎこむのか、理解できない」

 「吉田市長は市議会議員時代には反対していたのに
  市長になったとたんに美術館に対して甘くなったのは
  官僚に取り込まれたのか?」

 「生活が苦しくてたまらないのに毎年赤字を出すなんて悔しい。
  市民生活がどれだけ苦しいかを市長は分かっていない!」

 との厳しい声をたくさん頂きました。

 だからこそ、政治家として
 フジノはしっかりとチェックしなければ!


 (その2へつづく)



2009年10月16日(金)のフジノ
● 「自殺/うつ」について講義をしました@生活介護施設『茜洋舎』

 今夜は、久里浜の市立総合高校のお隣にある
 障がいのある方々の生活介護施設『茜洋舎』にて講義をしました。

 職員のみなさまを対象にして
 『自殺/うつ』について1時間半ほど、お話をしました。

 実は、この依頼は数か月も前に頂いたものでした。
 つまり、市長選挙よりもっと前です。

 半年以上も気長に待って下さった『茜洋舎』のみなさまには
 こころから深く感謝しております。

 本当にありがとうございます。


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 今年の横須賀市長選挙で勝つことこそ
 この4年間のフジノの最大の仕事だと決意していましたので

 昨年暮れあたりから『市内』にある組織や団体からの
 講演の依頼や来賓出席の招待はひたすら全てお断りしてきました。

 何故ならば、対立することになる陣営(つまり現職ですね)の方々に
 フジノに肩入れしている団体なのかと誤解されたりして
 依頼をして下さった施設やNPOなどが
 選挙後にダメージを受けることがあってはいけないからです。

 市民の方々は

 「そこまで心配する必要があるの?」

 と思うかもしれません。

 でも、選挙というものは終わった後の何年間にもわたって
 お互いの陣営に深く大きな傷跡を残すものだと
 フジノは理解してきました。

 実際、フジノ自身はこの4年間、執念のように
 「絶対に新しい市長を生みだすのだ」とずっと決意していました。

 特に今回の市長選挙というものは
 「結果によっては横須賀が分裂してしまいかねない選挙になる」
 と受け止めてきました。

 だからこそあらゆる余波が及ばないように
 とにかく昨年暮れくらいの早い時期から
 市内の団体からの依頼を断り続けました。

 特に、福祉系のNPOや社会福祉法人は
 フジノカラーが少しでも付いてしまわないように徹底的に断りました。

 断り続ける理由を当時のフジノは伝えませんでした。
 さらに、一方で横須賀市外のイベントにはたくさん出てきましたから、
 きっと今も多くの団体が怒っていることと思います。

 当時は事情を話すことができなくて、
 ごめんなさい。

 でも、守りたかったからこそよけいに
 何もお伝えすることはできなかったのです。
 本当にすみませんでした。

 いつか時間が解決すると願いながらも
 良い機会でしたので、率直な想いを記しました。

 どうかご理解いただけますように...。

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 そんな状況があった訳なのですが

 『茜洋舎』の施設長・高谷さんは、
 ただ「忙しいから」と断り続けるフジノのことを

 本当に気長にあきらめずに
 半年以上も講師として待ってくれました。

 自殺対策に取り組んでいるフジノを必要として下さったことを、
 とても深く感謝しています。ありがとうございました。

 さらに、講義が終わった後は居酒屋に場所を移して
 職員のみなさまと本当にたくさんのお話をさせていただきました。

 今日、『茜洋舎』では秋祭りの行事を開催していて
 そのうちあげもかねての懇親会だったのですね。

 ここでの数時間はフジノにとって、
 福祉施設で働くみなさまの声を聴かせていただく
 とても貴重な時間でした。

 数年前からフジノは

 「障がいのある方々の暮らしをもっと深く知りたいから
  グループホームでも入所施設でも泊まりがけで行きます!」

 とお伝えしてきたのですが、なかなか声がかかりません。
 (今も同じ気持ちですので、ぜひお声がけください)

 特に今年は前述のような理由もあって
 自分からは施設などにお願いできなかった事情もあったので

 福祉施設で働く方々とこうしてじっくりとお話をできたのは
 こころからうれしい機会でした。もっともっとこういう機会がほしいです。

 『障害者自立支援法』がやがて廃止されますが
 新しく作られる『障害者総合福祉法(仮称)案』に向けて

 今こそ現場の声を政府へと届けていかねばなりません。

 これからはフジノの方から積極的に
 福祉施設にお声がけをさせていただきますので
 ぜひみなさまの声を聴かせて下さい。

 どうぞよろしくお願いします!


● 茜洋舎と京浜急行の素敵なお話が翌日の新聞に載りました

 翌日17日の神奈川新聞に
 なんと『茜洋舎』の記事がどかーんと大きく載っていました。

 素敵な記事でした。

 昨日講義をしたばかりという親近感もあるのですが
 あんな風に気持ちのあたたかい
 職員さんたちが働いているからこそ

 障がいのある当事者の方の想いをしっかりと大切にしてくれていて、
 そして、京浜急行もその熱意に動いてくれたのだろうなあと
 何だかとても納得してしまいました。


 (2009年10月17日・神奈川新聞より)


 優しさの青いベンチ設置
 足の不自由な女性の手紙きっかけに/横須賀の京急バス停



 横須賀市久里浜の京浜急行バス停「自衛隊前」に
 今月上旬、ベンチが設置された。

 きっかけをつくったのは、
 バス停前にある生活介護施設に通う、足の不自由な女性。
 ベンチを要望する手紙を京浜急行バスへ送った。

 女性だけでなく、施設職員も

 「小さなバリアフリーの積み重ねが、
  本当に住みよい町をつくることにつながる」と喜んでいる。

 ●

 女性は、三浦市在住の中澤麻衣さん(28)。
 社会福祉法人誠心会が運営する
 「茜洋舎(せんようしゃ)」(高谷信好施設長)には
 杖を利用しながら週5日、通所。
 漬物製造や刺し子製品の制作などに取り組んでいる。

 帰宅の際、京急久里浜駅までバスに乗るが、
 長い間、バス停で立っているのが困難なため、施設内で待機。

 バスの到着時刻を見計らって外へ出るも、
 目の前でバスが通り過ぎていったことが数回あった。

 「自分だけでなくベンチがあれば便利と思う人は多いはず」

 そう思い続けてきた。

 茜洋舎は9月上旬、中澤さんの手書きの手紙を添えて要望書を提出。
 受け取った同社が約1カ月後、
 プラスチック製の青いベンチを取り付けた。

 「サービスの一環。ベンチの設置にはさまざまな条件があるが、
  今後もできる範囲で対応したい」と担当者。

 ベンチの件を「とてもうれしい」と喜ぶ中澤さんについて

 「従来から行動力があり、
  みんなのためにという意識が強い」と職員らは口をそろえ、

 高谷施設長も「こうした行動も障害のある人の立派な社会参加」と話す。

 中澤さんは今、同社にお礼の手紙と
 刺し子のふきんを送ろうと準備している。

 ベンチは今後、職員や通所者らが定期的に掃除する予定。

 「京急への感謝の気持ちであると同時に、
  地域の人たちに気持ち良く使ってもらいたいとの思いからです」(高谷施設長)


 (岡本晶子)
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 (引用終わり)


 今度は講師としてなんかではなくて
 フジノが学ばせていただく為に
 ぜひおじゃまさせていただきたいです!



2009年10月15日(木)のフジノ
● 技能労務職員の給与を見直す意向/神奈川新聞より

 吉田市長は、技能労務職の給与を見直す方向だそうですが
 今までの答弁のように「やるやる詐欺」にならなければいいのですが...。

 (2009年10月15日・神奈川新聞より)

 議会で答弁していても実際には「指示をしていない」なんてことが
 これまでもあったので、答弁にあまり信頼が置けない...。

 なんだか情けないですね。



2009年10月13日(火)のフジノ
● 県外視察を欠席させていただきました/パニック障害の診断書

 本来でしたら、教育経済常任委員会のメンバーであるフジノは
 今日から2泊3日で『県外視察』へ出発していたはずですが
 『欠席』とさせていただきました。

 政治信念として『県外視察を廃止すべき』と
 かねてから提案をしてきたのですが

 現在の横須賀市議会では、
 『委員会規則』で出席が義務づけられている『正式な公務』です。

 正式な公務ですからフジノ個人の信念とは別に、
 当然ながらフジノにも『出席すべき義務』があります。
 『義務』を守るのは『公人』として当然のことだとフジノは考えています。

 ですから、今回の欠席は、
 個人的な政治信念とは全く別の理由です。

 (どうかこの点をまずご理解ください)

 今回の欠席の理由は、『パニック障害』による病欠です。

 市議会から診断書の提出を求められましたので
 下に、その診断書のコピーを掲載いたします。


 フジノは22才の夏からパニック障害にかかってしまい、
 それ以来、バスや電車などの
 交通機関をはじめとして、
 エレベーターやエスカレーターなどにも
 ストレートに乗ることができません。

 日頃は、クスリをのみながら
 いろいろな工夫をして目的地に到着しています。

 例えば、特急電車には乗らずに各駅停車を乗り継いだりすることで
 1時間で行かれる場所ならば数時間かけて向かったり、

 飛行機を使うような遠距離の移動が必要な場合には
 前日から新幹線(各駅のヤツです)を利用して
 1日かけて移動をして、前の日のうちになんとか到着して
 翌日に合流するような形で何とかスケジュールをこなしてきました。

 エレベーターやエスカレーターは
 たいていの場合、階段を使うことでクリアしてきました。

 バスや車には乗れないので
 バイクや自転車を使って移動してきました。

 映画会社での5年間の勤務の間も
 自宅から勤め先の有楽町までストレートに乗り継げば
 わずか1時間半で行かれる行程を
 2時間半から3時間以上かけて
 必死に通い続けました。

 目的地に到着してしまいさえすれば、仕事は完璧にこなします。
 交通機関などの利用が困難なだけで、
 あらゆる日常生活において問題はありません。

 だから、これまでの人生を通じて、パニック障害を理由にして
 仕事や何かの行事を欠席したことは1度もありません。

 病気を盾にするような『疾病利得』も
 1度もしたことはありません。

 どんな時でも根性と意地をつらぬいて、
 他の方々がまだ眠っていられる早朝から起きて出発して

 必死に、交通機関を乗り継いで
 乗っては降り、降りては乗りを繰り返しながら
 目的地へと到着してきました。

 しかし、残念ながら、今年は特に体調が悪く、
 横浜や品川くらいの行き慣れた場所であっても
 乗り降りを繰り返さなければ前に進むことができず、

 (父のお見舞いに使う江ノ電の30分でさえ苦しくてたまりません)

 移動に要する時間が
 あまりにも長くかかるようになってしまいました。

 その為、今回の県外視察において
 10名の議員の方々や議会事務局の方々と
 同じスケジュールでの移動はかなり困難だと判断いたしました。

 そこで、フジノの主治医の先生をはじめ、
 所属する教育経済常任委員会の正副委員長と
 議会事務局の方々と相談させていただき、
 あらかじめ『欠席』の決断をさせていたきました。

 正副委員長をはじめ、委員会メンバーのみなさま、
 議会事務局の随行の方々、

 そして誰よりも、視察受け入れ先のみなさまと
 視察に要する多額な予算を
 税金から出していただいている横須賀市民のみなさまに対して

 こころから欠席のお詫びを申し上げます。
 本当に申し訳ございませんでした。


● パニック障害と僕

 世の中には、同じ病に苦しんでいる方々が
 たくさんいらっしゃいます。

 僕は大学4年の時に発症をしました。

 毎日、横須賀から高田馬場まで平気な顔で電車で往復していたのに
 ある日から突然に山手線に乗れなくなりました。

 全く家を出れないほどの症状が重い時期も長く続きました。

 けれども僕自身は臨床心理学専攻の人間ですから
 パニック障害の存在をそもそも知っていましたので
 ドクターに自分の症状を説明して
 治療を求めることに抵抗はありませんでした。

 クスリもそれ以来、のみつづけています。

 (残念ながら薬を使えばすぐに治る、というのは
  必ずしも全員にはあてはまりません。
  フジノはもう10年以上、服薬して闘病しています)

 当時、横須賀に新しく設立された
 同じ病気の方々の集まりである
 『横須賀パニック障害の会』にメンバーとして参加しました。

 (現在、同会は解散しました)

 自分自身の症状に本当に苦しみながらも
 多くの同じ病に苦しむ方々が克服しようとがんばっている姿に
 とても励まされました。

 だから、夢だった映画会社に就職が決まって
 通勤を始めて長距離を移動しなければならなかった5年間は

 この会のみなさまの姿に励まされて
 自分が外出できるようになったように

 僕が動けるように必死に通っている姿を
 会のみなさまにお見せすることで
 今度は自分が励ませる側になりたいと願ってがんばってきました。

 それが僕の長年の想いでした。

 ある日突然に政治家に転職しなければならなくなってしまい、
 勤め先はそれまでの有楽町から
 基本的に地元・横須賀のみになりました。

 無所属であるフジノは長距離の移動であっても
 1人きりで行動する為、
 新幹線を使うような移動であっても、

 誰か他人に迷惑をかけることはなく、
 今まで必死に乗り降りを繰り返してきました。

 繰り返しになりますが、交通機関などの状況だけが問題であって
 それ以外のあらゆる日常生活場面では全く問題がありません。

 だから、政治家としてあらゆる公務をこなしてきました。

 また、移動に関する問題を抱えている為、
 他人以上に努力をしてきたつもりです。

 僕は、自分のパニック障害を隠したことはありません。

 本当に多くの方々が苦しんでいるこの病の実態を知ってもらい、
 世間の理解が進むことで副次的な苦しみが減って
 多くの方々が生きやすくなることを願ってきました。

 今回、県外視察を欠席するというご迷惑をおかけしたことに
 こころからお詫びの気持ちを抱きながらも

 この機会をパニック障害への理解を促す
 チャンスにさせていただきたいと願って

 改めて、このような文章を書きました。

 どうか、同じ病気に苦しむ方々が
 少しでも早く苦しみから抜け出せますように...。

 誰もがかかる当り前の病気です。
 その当たり前を、この国では偏見が強くて
 助けを求めたくても他人に伝えることができません。

 どうか、この病気のことを知らない多くの方々が
 正確な知識を得て理解を深めていただけますように...。



2009年10月12日(月)のフジノ
● 雨宮処凛さんの連載にフジノが載りました/クイック・ジャパン最新号

 9月5日にあの雨宮処凛さんに
 月刊誌『QuickJapan(クイック・ジャパン)』(太田出版)の
 連載の取材を受けました。

 (その時のことを雨宮さんブログでも紹介して下さいました)

 今日、その記事が載った最新号が
 フジノ事務所に届きました。
 編集部の方が1冊、送って下さったのです。ありがとうございます。

 (下の写真が『クイック・ジャパン』最新号です)

 表紙や目次を見てもらえば一目瞭然なのですが、
 この雑誌、すごくおもしろいです!

 メジャーな芸能人からサブカル系の局地的人気を誇る方まで
 あらゆるテーマやカルチャーを扱っています。

 そんな中、雨宮処凛さんの連載である
 『タダで世界を変える10の方法』の第3回に
 政治家フジノを取り上げていただきました。

 しかも、約1万字で、5ページにもわたっています。

 高校時代に『ロッキン・オン』なんかのロック雑誌で
 アーティストの1万字インタビューをよく読みましたけれども

 まさにそんな感じで、破格な扱いをしていただいています...。
 すごいです。

 (1ページ目)

 (2〜3ページ目)

 (4〜5ページ目)


 14日に全国の本屋さんで発売されますので
 関心がある方はぜひ買って読んでいただきたいと思います。

 テレビ、ラジオ、本、新聞、インターネット、
 これまでフジノはいろいろなメディアの取材を受けてきましたが

 多くの場合、完成したものを観たり読んだりして
 想いが全く伝わっていないことにガッカリさせられてきました。

 その原因というのは
 フジノの伝え方のまずさ(=発信力)もあったとは思うのですが
 聴き手=書き手の方の力(=受信力)にもあったと思うのです。

 でも、今回の雨宮さんの連載記事ほど
 フジノのこころにとって非の打ち所が無いものはありませんでした。

 本当に、最新号の『クイック・ジャパン』を100冊ほど買い占めて
 「これまでお世話になったみなさまにお渡ししたい」と本気で思いました。

 それくらいに完成度や満足度がフジノにとってはとても高い、
 フジノの本音を書いていただけた文章でした。

 僕の拙い発信力を、
 雨宮さんの優れた受信力で受け止めて頂いたのだと感じます。

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 加えて、すでに9月5日に取材を受けた後に書いた通りで
 いくつもの共通点があったことも大きかったと感じています。

 まさに学年も同じ(74年生まれのフジノ、75年の早生まれの雨宮さん)で、
 同じこの時代の空気を吸って生きてきました。

 さらに、僕たちが闘っている理由にも
 共通点があったからなのだと感じています。

 それを僕は『弔い合戦』と呼びました。
 雨宮さんは『敵討ち』と呼んでいました。

 そして最大の共通点は、祈るような気持ちとともに
 闘いのその先に『生きられる社会』を見つめているということではないかと
 僕は、個人的に感じています。

 また、9月5日の活動日記に書いた

 > お会いしたら1つだけ質問させていただこう、
 > とあらかじめ決めていたことがフジノにはあったのですが
 > 彼女の答えは、同世代の、等身大の、
 > なんだかとても納得いくものでした。

 この文章を読んだ市民の方から
 「フジノさん、どんな質問をしたんですか?」というメールを頂きました。

 実は、このフジノの質問への雨宮さんのお答えも
 今回の記事には静かに織り込まれています。

 雨宮さんとフジノだけでなく、僕たちの世代の多くの人々は
 『絶望』と『希望』を見つめながら生きてきたと思います。

 そんな同世代の空気感も、すごく感じた文章でした。

 雨宮さんに取材していただいたことは
 こころからうれしい出来事でしたが、

 完成した文章を読ませていただいて再び、
 本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 くりかえし書いてきたことですが、これからしばらく
 『個人』としての僕はマスメディアとの接触を断つことに決めています。

 その現時点での最後の相手が、
 雨宮処凛さんであったことに、僕はこころから感謝しています。

 雨宮さん、本当にありがとうございました。

 ぜひみなさま、『クイック・ジャパン』最新号を
 書店でお求め下さいませ。絶対に損はしないと思います。

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 ところで、フジノが書いた『最後』という言葉に、
 多くの市民の方々からいろいろな反応をいただきました。

 言葉が足りないせいで
 なかなかご理解いただけないかもしれませんが、

 僕は止まるつもりはありません。

 その為にも、よけいな荷物を捨てる必要があるのだ
 と、ご理解ください。

 僕はまだ前へとしっかり歩んでいきたいのです。
 正しいと信じる方向に向けて、ずっと歩き続けていきたいのです。

 ただそれだけなのです。

 僕は信じる道を歩き続けたいだけなのです。
 今までも、明日も、変わらずに。ただそれだけなのです。
 どうか、ご理解ください。


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