まちの政治家は、こんなことしてます


2011年4月24日(日)のフジノその2
● 逗子高校吹奏楽部の定期演奏会へ/めだちまくりで疲れた(汗)

 午後から夕方にかけて
 逗子高校吹奏楽部の定期演奏会に行きました。

 春は横須賀芸術劇場、冬は逗子文化プラザ、と
 年2回の定期演奏会が開かれているのですが

 昨年暮れに続いて、
 今日も行ってきました。



 いつもながら演奏はとても素晴らしくて
 楽しい時間を過ごせました。



 けれども、今日は別の意味で
 とても疲れてしまいました。

 演奏が始まる前、休憩時間、終了後、
 とても大変でした...。

 昨日までの1週間、世の中は選挙でした。

 市内約650か所に
 フジノは顔と名前がポスターとして貼り出されて
 すっかり面が割れてしまっています。

 そして、今日が投票日。
 夜には開票されて当選・落選が決まります。



 演奏会場に来ていた多くの方々がフジノに気づいて
 驚いたり指をさしたり
 応援の声をかけてくれるのですが...。

 「投票したよ!がんばってね!」
 「きっと1位だよ」

 と言われたりするたびに

 「政治家は当選しても落選しても
  応援に対してお礼もお詫びも申し上げられませんので
  もしも当選したら全力で仕事をすることでお礼にかえさせてください」

 とか

 「1位か1位以外かは僕の中ではカンケー無いんです。
  とにかく被災地支援の仕事に一刻も早く戻れれば
  ビリでも何でもいいのですよ」

 とかフジノはお返事をしまくって
 すっかり疲れてしまったのです。

 こんなこと言うと
 応援して下さっているみなさまに
 怒られてしまうのは分かっているのですが

 フジノはここに来ているのは
 音楽を聴きに来る為なので

 できれば、放っておいていただけたら、と思いました。

 うまく言えないのですが、今のフジノにとって
 当選でも落選でもどちらでも構わない気持ちです。

 フジノは今この瞬間も現役の政治家ですから
 選挙中だってずっと仕事してきましたし

 どっちにしても放っておいても時は流れて、
 夜中には結果は出ます。

 フジノは当選すれば
 選挙で公約した政策を全力で実現に向けて働きますし

 落選すればそれはフジノの政策が
 市民のみなさまの想いとは違うということなので
 私人に戻るだけです。

 選挙なんてやってる暇は無いと感じながらも
 フジノが伝えるべき政策はしっかりとお伝えしました。

 あとは市民のみなさまが
 判断することです。

 いずれにしても、逗子高校吹奏楽部のみなさま、
 今日もとても楽しいひとときをありがとうございました!



2011年4月24日(日)のフジノその1
● 災害が起こっても、切れ目の無い医療・福祉が受けられる体制へ

 朝いちばんでヴェルクよこすかへ。
 『横須賀市腎友会』の第4回・定期総会に出席しました。

 今日は『投票日』なので、実は候補者の多くは
 こうした行事には参加しません。

 選挙活動の最後の活動として
 市民の方々に選挙へ行ったかどうかの電話かけをします。

 いわゆる『追い出し作戦』です。

 (「選挙へ行って下さい」「投票して下さい」とは言えないのですが
  「投票に行きましたか?」と尋ねることだけはできます。
  公職選挙法の変なルールの1つです)

 でも、フジノは過去1度もやったことがありません。
 もちろん今回もやりません。

 だから今回、腎友会から総会へお招きいただいた瞬間、
 とてもうれしくて参加を即決しました。

 2008年4月の腎友会・結成総会に参加してから
 腎友会の総会への参加は3年ぶりになってしまいましたが

 今夜フジノが落選すれば
 この総会への出席が市内での最後の仕事になる訳ですが

 保健医療福祉に取り組んできたフジノに
 最もふさわしいラストだと感じました。



 毎回、腎友会の総会では、
 透析歴の長い方々(15年・30年・35年・40年)を表彰します。

 わが国で透析療法がスタートしてから
 約40年になりますが

 透析を続けながら元気に生活をしてこられた人生の先輩方の姿は
 今、新たに透析療法を始めた/始める方々にとっても
 大きな希望を与えてくれます。

 その表彰に立ち会わせていただけることは
 政治家冥利に尽きるとありがたく感じます。

 今年は、透析歴15年表彰の方が8名、
 30年の方が1名、35年の方が3名でした。

 35年というと、昭和50年にあたります。

 フジノが生まれたのが昭和49年ですから、
 僕の人生とほぼ同じだけ、
 透析を続けながら暮らしてこられた訳です。
 本当にすごいことだと思います。

 ご本人をはじめ、ご家族、医療関係者の方々の
 大変なご苦労にこころから敬意を表します。

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 今回の総会のテーマは、

 『大災害の中でもふだんどおりに透析を受けられるようにするには』

 ということでした。

 災害のもとでも継続して透析治療を続けられる体制づくりは
 2007年の新潟中越沖地震、2008年の岩手・宮城内陸地震の時にも
 大きなテーマとなりました。

 けれども、今回の東日本大震災のように
 全国的に大規模な計画停電が行なわれるのは初めてです。

 電力会社による送電が不可能になった時にも
 自家発電によって医療を続けられるようにする体制は
 1日から数日程度であれば、可能です。

 しかし、1週間から1ヶ月などの期間になると
 透析に限らず、ほとんどの医療機関が対応できません。

 神奈川県が平成8年に作成して改訂を行なってきた
 『災害時透析患者支援マニュアル』があって

 横須賀市は県と連携しながら
 『災害が発生した時にも透析が可能な診療所・病院』の
 情報収集や情報提供をはじめとするネットワーク化をすすめています。

 けれども、情報を集めることだけでなく、
 そもそも『災害が発生した時にも透析が可能な診療所・病院』を
 増やすことが絶対的に重要
です。

 それも今までのような
 重油などを使った自家発電だけに頼るのでは無くて

 ・太陽光発電(ソーラー発電)を診療所・病院に設置する

 ・移動式のソーラー発電を整備する

 ・横須賀市内にメガソーラーを設置する

 ・晴天時でなくとも長時間の対応ができる充電池の開発促進と実用化

 など、考えうる限りの新しい取り組みを
 市も県も国も行なっていかねばなりません。

 どんな災害が起ころうとも、切れ目の無い医療・福祉を継続する。

 この体制づくりは政治家としてフジノにとって
 ものすごく重要なテーマに今、なっています。

 それは10年単位の長期的な取り組みになるかもしれません。
 でも、大震災は必ずまた起こるのです。
 絶対にやりとげなければ。


● カネの切れ目が医療の切れ目になんかさせない

 僕のまわりには人工透析をしておられる方が
 何人もいらっしゃるのでいつも関心を寄せてきました。

 政治家としても、神奈川県による『医療費の助成制度カット』の問題
 この3年間ずっと追いかけてきました。

 約40年前、透析療法がスタートした頃には
 何の制度も無かった為に
 自己負担が1ヶ月50万円という時代がありました。

 昭和42年にようやく保険が適用されたのですが
 それでも自己負担が1ヶ月20万円にものぼりました。

 当事者のみなさまの全国的な粘り強い活動によって
 昭和47年に『透析医療の公費負担』が実現して
 自己負担額は1ヶ月1万円になりました。

 さらに、神奈川県は独自の制度によって
 この自己負担額も補助をして、
 実質ゼロ円で透析を受けることができました。

 それを松沢県知事が『見直し』という名前の『カット』をしてしまったのです。

 

 横須賀市は、県がやめてしまった補助を
 市単独でなんとか補助を続けています。

 そこで、腎友会をはじめとする障がいのある方々の団体から
 何度も請願・陳情がなされています。

 昨年8月下旬にも腎友会から市議会宛てに
 『重度障害者等医療費助成制度』の継続についての陳情が出されました。

 フジノはこの陳情を『主旨了承』(=賛成)としましたが
 横須賀市議会としては『審査終了』(=賛成でも反対でもない)という
 結論になりました。

 まだまだ市議会議員のみなさんにとっても
 透析療法を続けながら生活していくことのリアルな現実が
 理解されていないことを感じます。

 これまではフジノは
 自分がその大切さを理解していれば良いと考えていましたが

 これからは他の議員のみなさんに対しても
 大切なことの大切さを同じように理解してもらえるように
 説得も行なっていきたいです。

 災害が起こったら医療が受けられなくなる
 おカネが無くなったら医療が受けられなくなる

 そんなまちでは絶対にダメです。

 どんな時でも誰もが医療・福祉を切れ目なく受けられる。
 そんな当たり前のまちをフジノは目指していきます。



2011年4月23日(土)のフジノ
● 選挙2日目〜7日目の様子を紹介しますね

 選挙2日目から最終日までの様子を
 写真で、まとめて紹介いたします。

 1日目の夕方までは貼られていないところが目立っていた
 34番(フジノの選挙ポスターの番号)ですが

 選挙2日目には、空いているところが無くなりました。
 すごい速さで全ての場所に貼ってくれたチームフジノのみんな、
 本当にありがとうございます!



 フジノは『絶対に選挙カーを使わない主義』なので
 ひたすらまちを『徒歩』で歩きまわります。

 まず、お昼にYデッキで「いってきます!」を伝えた後、
 横須賀中央駅で目的地まで電車に乗ります。

 そして、そこからひたすら歩いて演説をして歩いて演説をして
 夜8時までに、横須賀中央に戻るのですね。

 今回、フジノはいくつかのルールを自分に課しました。

 ・通勤通学の方々にあいさつするだけの
  無意味な朝の駅立ちは絶対にしない。

 ・『現役の政治家としての仕事』を最優先して午前中は働いて
  選挙活動はお昼12時を過ぎてからスタートする


 などなどです。

 「選挙なんてやってる場合では無い」とずっと訴えてきたフジノは
 最後の最後まで現役の政治家としての仕事を優先しました。

 選挙活動はあくまでも
 お昼12時から夜20時までとしました。



 選挙期間中に、京急のホームやJRのホームで
 フジノの姿を見かけた市民の方々も多いのではないでしょうか。

 追浜で生まれて小学校1年生まで育ったフジノは
 この白鳩幼稚園に通いました。

 幼稚園時代には、まさか自分が
 こうして選挙に出るなんて思いもしませんでした。



 そして、ここがフジノが暮らしていた追浜本町公舎です。



 追浜の浦郷町にあるスパークの前ですね。



 トンネルの中もひたすら歩きました。



 京急田浦駅ですね。

 電車に乗ると、お客さんがたくさん話しかけて下さるので
 率直に意見交換をすることができます。とてもありがたいです。



 安針台ですね。



 JR横須賀駅前の地下道です。



 東浦賀。
 本当に天気が良くて気持ち良かったです。

 今回の選挙、本当にずっと笑顔でした。フシギ。
 こころが穏やかで過ごしました。



 叶神社(東)。



 浦賀では、なんと選挙のたびに偶然にお会いする方に
 またも再会しました!

 8年前に初めてお会いした方と、
 4年前の選挙の時にも偶然にお会いして、
 さらに今回も偶然にお会いしました。

 すごくフシギ!

 時間帯もバラバラだし、場所もバラバラ。
 ふだんから市内をたくさん歩いているのに会うことが無くて
 選挙の時だけ会うなんて、本当にフシギ!



 それにしても、小原台の方から
 防衛大学にのぼる坂を歩いたのはきつかったです〜。

 走水伊勢町を歩いた時も
 本当に気持ち良かったなあ。



 猿島が向こうに見えますね。



 京急長沢駅。これは5日目の写真かな?



 野比から長沢にかけての海岸線は
 本当にきれいでした。



 本当に海がきれい。

 選挙中って、みんな、どんな表情なのかなあ。
 今回、僕は本当に穏やかな気持ちのままでした。



 通信研究所の前の坂です。長沢から武3丁目まで歩きました。
 この坂も、防衛大学の坂と同じできつかったなあ〜。



 僕の大好きな武山!



 最終日は、土砂降りの雨でした!

 激しい風と打ち付ける雨。
 もうパンツの中まで濡れてしまい、のぼりも折れました!



 叶神社です(西)!



 もう、ずうっと雨・雨・雨!



 浦賀から長瀬へと歩いて行きました。

 さらに、3回の選挙で初めてなのですが
 歩いている時の様子をセルフ撮影してみました(笑)。

 フジノがどんなふうに歩いているか、
 下の動画を観ると、イメージしてもらえると思います。



 先日オープンしたばかりの
 『しらかばベビーホーム』『こどものいえ』の前も通りました。



 久里浜の火力発電所の煙突が見えますね。
 久里浜7丁目ですね。

 ここを歩いていた時には
 もう『のぼり旗』の竿がバキバキに折れてしまいました。



 『おにぎりカフェゆんるり』の前です。



 さらに歩いて歩いて鶴久保小学校前まで到着しました。



 そして、全ての選挙が終わった後の写真です。

 こんなにさわやかな笑顔なのは
 何故だったのかなあ、と思います。



 ずうっと笑顔で走り抜けた1週間でした。

 どんな結果が出ても、何も後悔はありません。
 さあ、働くぞ。



2011年4月23日(土)のフジノ
● 選挙中の新聞報道などなど

 選挙期間中に新聞でとりあげられた市議会議員選挙の様子を紹介します。

(2011年4月23日・神奈川新聞より)


 神奈川新聞では
 『世代交代』にも注目していたそうです。


(2011年4月19日・神奈川新聞より)



2011年4月17日(日)のフジノ
● 選挙スタート

 今日から1週間、選挙の始まりです。
 朝8時半、ヴェルクよこすか6階ホールに集合しました。

 ここで『立候補届け出』を行ないます。

 すでに『事前審査』をしてもらって封印済みの書類
 『正式』に提出をすることで、立候補したことになります。

 ほとんどの立候補者は、代理の人に来させていますが
 フジノは自分自身で届け出に来ました。

 2回のくじ引きをしなくてはいけないのですが、
 第1回目のくじ引きではフジノは58番でした。



 61人の立候補者中58番目に、2回目のくじを引きます。
 2回目のくじの番号が『ポスター掲示板』の番号になります。

 フジノは、34番になりました。

 街頭演説をする時に掲げなければいけない『のぼり旗』や
 メガフォンを使う時に付けなければいけない『プレート』などの
 『選挙グッズ』一式を受け取って

 9時半くらいに
 全員の届け出が終わりました。


                        
 さて、これからついに『ポスター貼り』をしなくてはいけません。
 横須賀市内640か所です。

 今日はこの為に親友たちが集まってくれて、
 ポスター貼りを行なってくれました。

 友達はもうみんな子どもがいますし、土日休みでは無い人も多くて、
 子どもを預けて来てくれたり、休暇を取って来てくれたり、
 すごくありがたいです。

 それにしても本当にうれしかったのは、
 フジノが届け出会場から戻る途中にある児童図書館前に
 朝いちばんなのにすでにポスターを貼っていてくれていたことです。

 下の写真を観て下さい。61人の候補者のうち
 フジノの他にはまだ2人しか貼れていません。すごい!

 これは、きっと友達らがフジノの気持ちを高める為に
 まず目に入る場所に貼りだそうと配慮してくれたんですね!

 ありがとう、友達。



 さらに、『のぼり旗』にマジックで名前を書きこんで
 フジノも街頭演説に出発します。



 立候補を決めるまでのこの1年間、
 本当に悩み苦しみました。

 特に、昨年の3月30日からの1年間は
 誰にも言えない苦しみがあって、本当につらかった。

 でも、今日の気持ちは澄み切っています。
 自分で自分の表情を見ても、すごく穏やか。



 今回の選挙ほど、こころが穏やかなのは初めてです。

 さあ、これから1週間、
 正々堂々とフジノは政策を訴えてきます!



2011年4月16日(土)のフジノ
● いのちを守ることが政治家の仕事であり、僕の人生をかけた仕事だ

 昨日、父さんが入院している病院へ行ってきました。
 出馬することを報告する為です。

 報告といっても、父さんは6年半前からずっと植物状態なので
 僕が一方的に語りかけるだけ。

 返事はありません。

 どれほど父さんのくだらない冗談を聴きたいと僕が強く願っても
 たん吸引をする為にのどに穴をあけてしまってからは
 うめき声も出せなくなってしまいました。



 家族でも何でもない他人がその僕の姿を見たら
 むなしく独りごとをしているだけに見えるでしょう。

 けれども医学的に植物状態だと宣告されてからも
 この6年半、ずっと僕は父の回復を信じて暮らしてきました。

 父のような植物状態の方々が
 再びふつうに生活できるようになる治療の研究が少しずつ進んでいて
 (遷延性意識障害の回復治療と呼ばれています)

 もしも最新の医学が受けられるならば
 父は回復するかもしれないからです。

 だから、僕はあきらめないで
 借金をしてでも毎月20万円ちかい入院費用を払い続けてきました。

 6年半もの入院の費用を支払い続けることは厳しく
 父の生命保険の一時金はあっという間になくなり

 僕の貯金も完全に底をつき、
 生活を切り詰めながら、
 とにかく毎月、必死にお金を工面しています。

 自分自身の暮らしがたちゆかなくなろうとも
 とにかく借金をしてでも
 1日でも長く父さんが入院できるように。

 そんな治療を父が受けられる日が来るまで
 少しでも長生きしてもらえるように。

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 でも、絶望に打ちのめされそうな時があります。

 そんな最新の医学は、一部の大金持ちだけが受けられるもので
 僕たちには永遠に手が届かないものだと感じるからです。

 どんな努力の甲斐も無く、ある日電話が鳴って
 あっけなく父さんの訃報が病院から告げられるのではないか。

 さらに、何も知らない人々は、
 「政治家だから金を持っている」というイメージで僕を見ます。

 実際には利息しか払えずに
 借金で首が回らなくなっているのに「金持ち」のように言われると
 気持ちもギスギスしてしまっているので
 世の中を激しく憎む気持ちになったりします。

 絶望的な想いで、
 何も希望を感じられなくなる時があります。

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 けれども、そういう時には改めて
 父さんの写真を見るようにしています。

 父は自分自身でたんを出すことができないので
 放っておけば、窒息して死んでしまいます。

 ひどく苦しそうな表情で父は苦しみます。
 たとえ植物状態であっても、悶え苦しむのです。

 その窒息を防ぐ為に、看護師さんがのどにあけた穴に
 ストローのような管をつっこんで『たん吸引』をします。

 たん吸引をする時も、父は本当に苦しそうに
 体を硬直させてまるで痙攣のようになります。

 たんが取れると、少しだけ安らいだ表情になります。

 けれども、またすぐにたんは少しずつたまりはじめて
 再び父は苦しそうに悶え始めるのです。

 父は、毎日こうやって生きる為に
 必死に苦しみに耐えながら生き続けています。

 その苦しんでいる姿の写真を
 何度も何度も見るようにしています。



 写真を見て、父の闘っている姿を目に焼き付けるのです。
 そうすると、いつも勇気が蘇ってくるのです。

 父さんは生きる為に必死に闘っている。
 それならばおれだって、必死に闘い続けなければいけない。

 こうして、僕はギスギスした気持ちをふりはらって
 気力を振り絞って、もう1度たちあがろうと決心するのです。

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 たくさんの人々が僕のことを誤解していて
 なかなか理解はしてもらえません。

 僕は『政治家』という仕事を好きではありません。

 多くの人々にとっては、野心や権力への欲から
 政治家に「なりたくてなる」のでしょう。

 だから僕のことも同じように
 「政治家になりたいからなっているのだ」と勘違いしています。

 けれども、僕は
 政治家になりたいと思ったことは
 1度もありません。

 あなたがテレビのニュースを観ながら
 金にまみれた政治家たちを「醜い」と感じるように
 昔から僕もずっと政治家を嫌悪してきたのです。

 あなたと同じです。

 それにもかかわらず
 8年前に、僕がこの大嫌いな仕事にあえて転職をしたのは

 『政治家』の持つ権力を正しく使えば、
 現実を変えることができるから


 です。

 政治には、現実を変える力があります。

 今までの政治が腐っていたのは、
 その力を正しく使わなかったからです。

 でも、本当は政治には現実を変える力があるのです。

 かつて、僕は恋人を自殺で失ないました
 その時、僕は現実を変える為に政治家に転職を決意しました

 そして、それから8年間が経った今、
 現実は正しい方向へと変わり始めています。

 政治の力が正しく使われる時、
 希望が生まれることを改めて僕は確信しました。

 絶望してはいけないのです。あきらめてはいけないのです。

 目の前の現実は必ず変えることができます。
 必ず良い方向へと変えることができるのです。

 だから、テレビに出てくる政治家に文句を言っているだけではなく
 僕は僕自身が政治家になって正しい行動を取ることにしたのです。

 政治家という仕事をこころから嫌いですが
 同時に誇りを持ってこの仕事に就いて、僕は毎日必死に働いています。

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 「やりたい」から政治家になったのではなく
 「やらなければならない」から政治家に転職をした僕は

 8年間ずっと必死に働いてきました。

 他人に憎まれることも多いこの仕事は
 うつ病もちの僕にはストレスだらけで逃げてしまいたい。

 いつだって辞めたい気持ちと
 僕に与えられた責任の重さとのはざまで揺れ動いています。

 けれども、ハッキリわかっているのは

 まだ「やらなければならない」ことが
 目の前に山積みになっている

 ということです。

 父のように、一生懸命がんばって働いてきた人が
 高齢になった時に、長寿を喜べる社会にはなっていません。

 孤独死という形で社会から疎外されたり、
 いくら待機しても特別養護老人ホームに入所することもできず
 老老介護で苦しんでいる方々もたくさん見てきました。

 自殺もゼロにしなければいけない。
 こどもたちへの虐待も、DVに苦しむ人たちも、ゼロにしたい。

 高次脳機能障がいに苦しむ方々にも
 精神疾患と闘っている方々にも、必要な支援がたくさんある。

 いわゆる性的マイノリティとされる方々への
 世間の理解は今も低く、もっともっと啓発しなければならない。

 社会の仕組みを変えなければならないことが
 たくさんある。

 時に「辞めてしまいたい」と感じると迷いを持ちつつも
 目の前にやらなければならないことに疑いはありませんでした。

 そして、震災が起こりました。

 その日を境に、僕の中の迷いは消えてなくなりました。
 「やらなければならないこと」が圧倒的に僕には増えました。

 一刻も早く再び仕事に戻らなければいけない。
 ハッキリとそう感じたのです。

 いのちを守るのが政治家の仕事です。
 そしてそれは、僕の人生をかけた仕事でもあるのです。

 僕は、自分の運命から逃げないことに決めました。

 迷い悩むことはこれからもあるでしょう。
 でも、そのことからも逃げずに、向き合うことに決めたのです。

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 だから、僕は明日から1週間、
 市民のみなさまに僕の想いを伝えていくことに決めました。

 もう1度、政治家として
 「やらなければならないこと」を果たす為に

 フジノが必要かどうかを
 市民のみなさまにお聞きしたいと思うのです。

 もしも、あなたがこのまちを変えていく為に
 政治家フジノという存在が必要だと感じるのであれば

 僕は全身全霊をかけて働き続けるでしょう。

 もしもあなたが必要ではないと判断すれば
 僕はそれを受け入れて、福祉の現場に戻ろうと思います。

 明日から1週間、僕は僕の信じる全てをみなさまにお伝えします。

 現実は必ず変えることができる。
 そして、希望のある社会へと変えることができる。

 その想いをあなたに伝えにいきます。
 もしも、僕の声が届くことがあれば、どうか耳を傾けてみて下さい。

 ホームページの更新は法律のきまりで
 これから1週間はできなくなります。

 それでは1週間後、25日にまたお会いできることを信じて
 明日から1週間、あなたのもとへ必死に声を届けにいってきます。

 またお会いしましょうね!



2011年4月15日(金)のフジノその1
● 原子力空母などの原子力軍艦への不安を減らす為に

 これまでわが国では放射能について
 正確な情報がほとんど周知されずにきました。

 その為、東日本大震災によって
 福島での原子力発電所の放射能漏れ事故が起こってから

 人体への影響がどの程度なのか、
 飲み水・食べ物への汚染は大丈夫なのか、
 日本全国で、大きな不安が巻き起こっています。

 さらに、原子力発電所事故の深刻度を表す
 国際評価尺度が最悪を示す『レベル7=深刻な事故』となりました。

 今や日本だけでなく、世界中の人々が
 放射能の脅威に不安を抱いています。

 そんな中、今日、外務省から横須賀市に対して

 「アメリカ軍の原子力空母ジョージ・ワシントンが
  近日中に横須賀に戻ってくる」

 との連絡がありました。

 原子力空母は、ディーゼル燃料を使う通常型空母とは違って
 原子力発電所と同じく『原子炉』を動力として使っています。

 その為、

 原子力軍艦の持つ危険性は
 原子力発電所と根本的には同じではないか


 という不安が
 市民の方々には常にあります。

 (フジノもこの立場で、原子力艦船の母港化に反対してきました)

 こうした原子力軍艦に対する不安を持つ
 市民のみなさまの想いを受けとめて

 今日、吉田市長が外務大臣に対して
 安全性を改めて確認する要請書を出しました。

 (実際には、政策推進部長が市長の代理で
  外務大臣の代理である外務省北米局日米地位協定室長に
  この要請書を渡しました)



 これに対する日米地位協定室長の回答は

 「本日いただいた要請とお申し越しの内容は
  大臣に必ず伝え、対応させていただきたい」

 というものでした。

 市民のみなさまの不安をきちんと解消する為には
 徹底的な情報公開がさらに必要です。

 そこにはもはやイデオロギーとか政治的なスタンスとか
 どうでもいいことです。

 すさまじい震災と原発事故による被害を受けた今、
 右も左も保守もリベラルも上も下もカンケーありません。

 日本政府とアメリカ軍は
 もっと徹底的に情報発信を行なっていくべきです。


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