まちの政治家は、こんなことしてます


2011年3月29日(火)のフジノその2
● 介護保険運営協議会へ/アンケート調査の集計結果が出ました

 支援物資の提供をお願いする広報活動を終えると
 大急ぎで市役所へ向かいました。

 2010年度のラストとなる
 『介護保険運営協議会』が開かれました。



 昨年から横須賀市では
 第5期の『高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画』を
 新たにつくる為の作業がスタートしています。

 この計画づくりは、政治家フジノの政策の優先順位の中で
 とても大きな位置を占めています。

 (何故この計画づくりがすごく重要なのかは
  ぜひこちらをご覧下さい)

 市民のみなさまのニーズにしっかり寄り添った計画にする為に
 約3ヶ月間をかけて、大規模なアンケート調査が行なわれました。

 基礎的なデータを可能なかぎり多く集めることと
 そのデータをしっかりと分析していくことで、ニーズが見えてきます。

 このアンケート調査の『集計結果』
 ようやく昨日、市議会に報告されました!

 フジノにとっては「待ちに待った集計結果が来た!」という想いで
 昨日の夜から何回もこの集計結果を繰り返し読んでいます。

 データがとても多い為に、まだ『分析』はできていません。
 けれども、集計結果だけでも
 いろいろなことが見えてきました。

 例えば...

 ・介護認定(要支援・要介護)を受けている方々の
  4人に1人が「近所にはつきあっている人はほとんどいない」と回答。


 ・介護認定を受けている方々の2人に1人が
  「ひとり暮らし」「高齢者のみの世帯(全員が65才以上)」

  暮らしていると回答。


 ・「あなたのことをよくわかってくれて、治療や健康についての
  相談を受けてくれるかかりつけのお医者さんは
いますか」に対して
  「いない」と回答した
  要介護認定を受けている方々は10人に1人



 データによって、こんな現実が見えてきました。
 本当に重要な調査結果です。

 今日の『介護保険運営協議会』でも
 この『集計結果』が報告されました。

 これからさらにクロス集計が行なわれて
 市民の方々のニーズがさらに浮き彫りになってくるはずです。

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 残念ながら、超高齢社会であるにもかかわらず
 『高齢の方々の福祉政策』に関心のある政治家は少ないです。

 例えば、フジノが所属している
 福祉を担当している委員会での質疑を聴いていても

 こうしたアンケート調査をやっていることさえ知らない、
 そんな議員もいました。

 (この方は「福祉に熱心だ」と言われている議員でしたから
  本当にフジノはショックで残念でした)

 政治家でさえ関心が低い状況で
 市民のみなさまに関心を持っていただくのは
 難しいのかもしれません。

 それでも、フジノはどんどん情報をお伝えします。

 ですから、どうか市民のみなさま、
 高齢の方々の保健医療福祉について知って下さいね!

 介護保険制度ができてから10年が過ぎても
 決してこの制度は完成されていないし、使い勝手は良くないです。

 けれども、もっともっと改善していくことができます。

 その為にも、ぜひ市民のみなさまにも強い関心を持って
 この第5期の計画づくりを見守って下さい。

 そして、どんどんご意見をお寄せください。
 よろしくお願いします。



2011年3月29日(火)のフジノその1
● 市民のみなさまに『救援物資』の提供をお願いしています

 4日前から『救援物資の提供』のお願い
 街頭で広報しつづけています。

 今日も横須賀中央駅のそばで自作のチラシを配りながら
 呼びかけを行ないました。


 横須賀市では、下の10品目の物資を
 市民のみなさまに提供をお願いしています。

 窓口は、もよりの行政センターです。
 31日まで受け付けています。


 27日現在で、提供していただいた物資は
 621件となりました。

 市民のみなさまのご協力に深く感謝しています。
 本当にありがとうございます!

 今日も多くの市民の方から
 たくさんのご意見をいただきました。

 若い女性から厳しくお叱りを受けました。

 「支援物資を受け付けているのを
  横須賀市はどうやって広報しているの!?

  いつからやってるの?
  え、もう24日からやってたの!?

  今まで全く知らなかった!
  もっとちゃんと広報しなさいよ!」

 「今の横須賀市の状況ではこの広報で精一杯なのです。

  市民の方からは『防災無線を使ってでも知らせろ』という
  ご意見もいただきましたが
  緊急用の防災無線を使用することはできません。

  だから、自分のできることを自分はやろうと決めて
  僕がこうして直接に広報しているのです」

 その答えを聴いて、さらにキッとフジノをにらんだその女性が
 改めて怒鳴るのかと思いきや...。

 「それは正しいよね。自分のやれることを自分がやる。

  あなたのそのチラシを50枚ほど私にちょうだい。
  まわりの人に支援物資のことを広めるから」

 おお、ありがたい。

 こうしてその女性はフジノの手から
 支援物資の提供を呼びかけるチラシを奪うように
 持っていってくれました。

 実は、こういうふうに「まわりにも知らせたい」という方が
 毎日たくさんいらっしゃいます。

 人々の優しさに、深く感謝しています。
 ありがとうございます。

 それから、2番目に多い意見としては

 「横須賀市が受け付けている10品目以外でも
  支援物資として提供したい!」

 という声です。

 明らかに必要度が高い支援物資は
 フジノが個人的にお預かりしております。

 野比の友人がすでに被災地を2往復しています。
 まもなく3回目の被災地入りをするので、彼に渡します。

 さらに、気仙沼の現地で支援物資を
 各避難所や個人宅に振り分けて下さっている方と
 昨日、連絡がとれました。

 気仙沼は被害がとても大きく
 物資もとても不足しているとのことです。

 特に、避難所ではなく
 個人宅や小規模のグループホームなどにいらっしゃる方々に
 物資がほとんどまわっていない状況とのことです。

 そこで、フジノの友人が3回目の現地入りを終えた後は
 気仙沼へと物資をお送りすることにしました。



 まだまだ多くの市民の方々が
 支援物資を受け入れていることを知りません。

 31日まで、しっかりと広報していきます!

 今、フジノにできることは
 全てやりとげたいと思います。

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 被災地の状況が少しずつ分かってくるにつれて
 行方不明であった方々の消息がハッキリとしてきました。

 僕の友達は、東北地方の出身。
 彼は、今回の震災によって
 17人も親戚を失なってしまいました。

 この数日、こうした訃報をたてつづけに聴いています。

 改めて、犠牲になった全ての方々と
 全国のご遺族のみなさまに、こころからお悔やみを申し上げます。



2011年3月28日(月)のフジノその3
● ついにポスターの見本刷りが届きました

 ポスター用の写真撮影を16日に終えたのですが、
 すぐ印刷に回せる訳ではありません。

 写真のデータに文字などを入れていく『デザイン』という作業が必要です。

 こういう段取りですね。
 (1)撮影 → (2)デザイン → (3)印刷

 フジノのポスターの場合、「無所属」「藤野英明」「37才」など
 いくつかの言葉しか無いのですが

 どんなフォントで、どれくらいの大きさで、
 何色で、どこにどんな風に配置していくのか、などの細かな作業は
 やっぱり専門のデザイナーさんでなければできません。

 けれども、すでに書いたとおり
 フジノのポスターを過去2回とも担当してくれたデザイナーさんは
 会社を倒産させてしまった後、消息不明に...。

 これまで1ヶ月間ずっと探してきたのですが
 フジノにはデザイナーのアテは全くありませんでした。

 もしも新たにデザイナーを見つけられたとしても
 その人が信頼できるかどうか、全く分かりません。

 さらに今回は、印刷も含めて納期がわずか12日後
 というすさまじく厳しい条件付きです。

 まさに、絶望的な状況でした。

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 そんな時、Mくんが名乗りをあげてくれました。

 かつて『エンマ堂』として知られていたMくんとは
 2006年に彼が主催したイベント『詩孫』を通じて出会いました。

 共通の友人はいるものの、お互いに全く知らない同士で
 最初はピリピリしていました。

 でも、それから、1つの場を創りあげるために
 一緒に活動していくうちに、印象は大きく変わり

 やがて『詩孫』が無事に大成功に終わった時には
 共に汗を流した仲間としてMくんのことを大好きになりました。

 そして、「いつか『詩孫2』をやろう!」と約束したのです。

 あの日に感じた『熱』をいつかまた感じたい、
 と、フジノはずっと願ってきました。

 でも、あっという間に5年間が過ぎていきました。

 フジノにとってMくんは
 お酒を飲んでくれる数少ない大切な友人になってくれたのですが

 やっぱりいつか一緒に何かに挑戦したくて
 その機会が来るのを心の中でずっと願っていました。

 だから、「フジノくん、おれがやるよ」とMくんが言ってくれた時は
 本当にうれしかったです。

 Mくんには、デザインの経験があります。

 でも、もちろん、選挙ポスターを作った経験なんてありません。
 ちゃんとしたポスターが完成する保証は全くありません。

 友達の中にはとても心配して

 「今回ばかりは金額が高くても仕方ないから
  専門家をとにかく探して頼むべきだ」

 と言う人もいました。

 でも、フジノは再びMくんと一緒に仕事をできることが
 純粋にうれしくてたまりませんでした。

 Mくんを100%信じて賭けてみたいと思いました。

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 Mくんとフジノは忙しくて会えなくて
 打ち合わせはひたすら
 EメールとiPhoneのショートメールだけで行ないました。

 ちゃんとできあがるのか、とてもドキドキしました。

 それでもMくんはフジノの想いをじっくりと受け止めてくれた上で
 予想以上のスピードで完成させてくれました。

 わずか2日間です!

 16日の夜に写真のデータをMくんに届けたのですが、
 18日には早くもデザイン完成となりました。

 残り時間は、あと10日。
 ここからが時間との戦いでした。

 次にやらねばならないことは、印刷所へデータを送って
 完成品と全く同じの見本刷りを作ってもらうこと。

 印刷所の心当たりも全く無かったフジノですが
 Mくんが印刷所も手配してくれました。

 「大阪で印刷所をやっている友人なら必ずやってくれる」

 こうして19日に大阪のKくんのもとへ
 データが届けられました。

 もしも震災が起こっていなければ
 10日間もあれば何の不安も無かったのですが

 今は、関西から関東への発送も
 ふだんよりかなり時間がかかってしまうとのことでした。

 「1番早く着くとしたら24日か25日の予定」とのことでしたが、
 ドキドキしながら到着を待ち続けたものの
 25日にも届きませんでした。

 そしてようやく今日28日、大阪からポスターが到着しました。

 (画像:大阪から届いたポスターの包みをあけるMくん)


 明日29日が選挙管理委員会への提出日なので
 本当にギリギリでした。

 今日ばかりは忙しいみんなも集まって、
 4人で実物を見てみることにしました。

 ドキドキしながら、みんなで見守ります。



 そして、ついにポスターの見本刷りが!



 出来栄えは、100点だと思いました。

 過去2回とも引き受けてくれたチームが壊滅して
 完全にゼロからのスタートだったのが今回です。

 唯一、カメラマンの方だけが引き受けてくれたものの、
 震災が起こったことで撮影中止になる可能性もありました。

 無事に撮影ができた後も、
 デザインを頼める人がいませんでした。

 そこにMくんが引き受けてくれることになったものの、
 選挙ポスター作成の経験はゼロだったのです。

 さらに、デザインが完成した後も
 印刷所が大阪と離れているが故に
 提出締切日までに間に合わない可能性もありました。

 そして実際に届いたのは、しめきり前日でした。

 全て「ムリかもしれない」と覚悟しながら
 1つずつ何とかクリアしてくることができました。

 この経緯を思えば、フジノが願ったとおりに完成したポスターは
 100点以上の出来栄えだと思いました。

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 できるかどうかは、やってみなければ分からない。
 やっても、できないかもしれない。

 やらないのも1つの道かもしれない。

 そんな時、たいていの場合、僕は
 やってできなくてもいいからやってみたい。

 今回のポスター作りも「もうムリだ。作るのをやめよう」と
 最初は思いました。

 それでも「やっぱりやるだけやってみたい」と感じたのです。
 そして、たまたま今回はうまくいきました。

 でも、もしも何もしなかったならば
 うまくいくことはありませんでした。

 僕は、逃げなくて良かったと思いました。

 さらに、Mくんと5年ぶりにドキドキするような仕事を
 一緒にすることができたのが本当にうれしかったです。

 たぶん、世の中の99%のふつうの政治家たちは
 選挙ポスター1つ作るのにこんな想いをすることは無いでしょう。

 1年以上も前にポスターの写真撮影を終わらせて
 その写真をブログのトップ画像にしてる人もいますし

 デザイナーも印刷所もお金をかけて
 プロの専門家にお願いしている人ばかりです。

 大きな政党の場合には、政党がまとめて発注していて
 候補者は写真撮影の場に来るだけでいい、と聴いたこともあります。

 でも、フジノは今の僕のやり方が好きです。

 ぎりぎりのスケジュールにドキドキしながらも
 仲間たちが知恵をふりしぼって問題をクリアしていく。

 だって、そもそも選挙ポスターなんて
 「存在する必然性は無い」のです。

 本当は無い方がいい。
 でも、今はある。

 それならば、フジノはポスター1つであっても
 そこに全身全霊を賭けて自分の想いを反映したいのです。

 4月17日に、市内638ヶ所の掲示板に
 そんなフジノのポスターが貼り出されるはずです。

 ぜひみなさま、観て下さいね。



2011年3月28日(月)のフジノその2
● ついに30万円を供託しました...

 公職選挙法(92条)で定められていることなのですが
 選挙に立候補する人は
 法務局にお金を支払わなければいけません。

 当選すれば(あるいは一定の得票をすれば)
 このお金は
 後日、返してもらえます。

 けれども、前もって高いお金を支払わなければ
 立候補できないようにすることで

 『候補者が乱立するのを防ぐこと』を目的にしています。
 この仕組みを『供託金』といいます。

 供託金の金額は、 30〜600万円まで
 選挙の種類によって違います。

 (詳しくはこちら

 フジノの場合は、30万円を用意して
 明日(3月29日)までに供託をしなければなりませんでした。

 けれども、以前にも書いたとおりで
 生活費が厳しくて、貯金もゼロでありません。

 3月分のお給料が15日に出ましたが
 30万円を用意することはどうしても不可能でした。

 そこで、親族から借金をしました。

 ホームヘルパーをしているその親族も
 生活はとても厳しいものがあります。

 「それでも、福祉を良くする為には
  フジノくんにがんばってもらわなければいけないから」

 と、30万円を貸してくれました。

 本当に、ありがとうございます。
 本当に、ごめんなさい。

 (画像:供託をする為の書類)


 この30万円は、必ず5月に返します。

 そして、福祉を守る為にしっかり働くことで
 恩返しをしたいです。


 (画像:法務局はヴェルクよこすかの裏にあります)


 立候補する人が乱立しないようにするのが目的で
 この『供託金』という仕組みが作られたそうですが

 フジノには、あらかじめ30万円ものお金を用意することは
 本当にハードルが高くて、つらいことでした。

 父の入院費が足りなくて、
 親戚に頭を下げてまわった時もそうでしたが

 他人に借金をし続けていると
 こころも気持ちもいつも重苦しくて窮々としてしまいます。

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 まもなく行われる予定の選挙では
 40人の定数に約70人もの方々が立候補するそうです。

 (2011年1月3日・神奈川新聞より)


 これは、ある意味では『乱立』です。

 でも、『政策』の選択肢が多ければ多いほど
 市民のみなさまにとって良いことだとフジノは信じています。

 立候補する人が多ければ多いほど
 選択の幅は広がる訳です。

 『乱立』=『悪いこと』ではありません。
 むしろ、=『良いこと』だと思います。

 だから、30万円を用意する義務のせいで
 立候補できなくなるようなことがあれば、それは間違いです。

 フジノは最後の最後の土壇場で
 なんとか明日に間に合って
 今日、法務局に供託することができました。

 でも、もしも1日ずれていたならば、

 つまり、介護福祉をしているヘルパーの親戚の方が
 もしもOKしてくれなければ、

 フジノは、政策を訴えても
 『選挙』という土俵にあがることさえできませんでした。

 お金を準備できるかどうかで
 立候補できなくなる。

 こんな制度は廃止した方がいい、とフジノは思います。



2011年3月28日(月)のフジノその1
● 市民のみなさまに『救援物資』の提供をお願いしています

 おとといから毎日『救援物資の提供』のお願い
 市民のみなさまに広報しています。

 今日はお昼休みの時間帯に
 横須賀中央駅のそばで自作のチラシを配りながら
 呼びかけを行ないました。

 下の10品目の物資を
 市民のみなさまに提供をお願いしています。


 今日も多くの市民の方から

 「市はこの10品目しか受け付けていないけれど
  うちには紙マスクの予備があるの。
  今、使っていないから寄付したいけれど、
  どこかで受け付けてない?」

 「さっき支援物資を届けてきたところよ!」

 「下着はシャツとパンツだけしか受けてないけれど
  女性はブラジャーだって必要でしょ。現地ではどうしてるの?」

 「新聞を契約する時にもらったトイレットペーパーが
  まだ12ロールもある。おれは一人暮らしだから寄付したいけれど
  行政センターまで行くあしが無いんだ」

 などなど、たくさんのご意見をいただきました。

 横須賀市が受け付けている10品目以外でも
 明らかに必要度が高いものは、フジノが個人的にお預かりします。

 フジノの友人が被災地をすでに2往復しています。
 彼に3回目の被災地入りの時に届けてもらいます。

 まだまだ多くの市民の方々が
 支援物資を受け入れていることを知りません。

 31日まで、しっかりと広報していきます!



 下の記事は、25日に神奈川新聞が
 報じてくれたものです。

 神奈川新聞はいつも地元密着の記事を書いてくれて
 本当にありがたいです。

 どうかマスメディアの各社の方々も
 支援物資の受け入れをお知らせしてくださいね。
 よろしくお願いします!

 (2011年3月25日・神奈川新聞より)



2011年3月27日(日)のフジノ
● 市民のみなさまに『救援物資』の提供をお願いしています

 23日の記者会見で市長が発表した
 横須賀市による『被災者支援』のメニューは4つあります。


  1.被災地・被災者への支援プロジェクトチームのたちあげ

  2.被災地への支援
     (1)人員の被災地への派遣
     (2)救援物資の提供

  3.被災者の受け入れ
     (1)市営住宅での受け入れ
     (2)一時避難所の提供
     (3)相談窓口の一元化

  4.市民のみなさまからの協力
     (1)個人・団体からの救援物資の受付
     (2)提供可能な住居の受付


 このうち、『4(1)救援物資の受付』については
 24日から市内の行政センターで
 すでに受け入れをスタートしています。

 下の10品目の物資を
 市民のみなさまに提供をお願いしています。



 けれども、残念ながらなかなか広報がいきわたっておらず
 『物資の受付』をしているのが知られていないことを
 痛感しています。

 フジノが毎日お話を聴かせていただく中で
 たくさんの市民の方々から質問されました。

 「支援物資を届けたいのに
  横須賀市は受け付けているのか分からない」

 「どこに持っていけば良いの?」

 「被災地では物が足りないというのをニュースで見て
  募金じゃなくて、水や粉ミルクを届けたいけれど
  どうすればいいの?」

 「ある地区の行政センターに物資を届けたけれど
  もう2日も経っているのに自分がまだ通し番号で3番目だった。
  もっと知らせたら届けたい人はいるのに」

 はじめは、横須賀市が受け入れをスタートしたことを
 そのたびにお答えしていたのですが、
 きりがありません。

 もっと広報をどんどんした方がいいのではないかと
 フジノは思うに至りました。

 せっかくの市民の方々の想いをムダにしたくありません。

 そこで、市の記者会見の資料をもとにした自作のチラシをつくって
 市民のみなさまに広報することにしました。



 昨日は夕方から、今日はお昼から、
 2時間ほどチラシを配りながら
 市民の方々からの質問にお答えしました。

 いろんなご意見をいただいています。

 「横須賀は支援物資で歯ブラシは受け付けているけれど
  歯磨き粉が無ければみがけないのではありませんか?

  うちは薬局をしているのですが
  チューブの歯磨き粉なら20セット提供させてください」

 と声をかけてくれた方がいました。

 「横須賀市では受け入れていませんが
  僕の友人が被災地にトラックで直接に物資を届けているので
  僕がお預かりしても良いですか?」

 とお返事すると、

 わざわざフジノ事務所まで
 歯磨き粉を届けてくださいました。

 別の方からは

 「支援物資の受け入れを始めるのが遅すぎる!
  横須賀市は被災者の受け入れも何もかもが後手後手だ」

 と、厳しく怒鳴りつけられたりもしました。

 怒りの気持ちもよく理解できます。

 フジノにもフジノのまわりにもたくさんの方々が
 被災地に家族や親戚や友達がいて、焦る気持ちが強くあります。

 だから、毎日のニュースから流れてくる映像を観るにつけても
 やりきれない気持ちにこころをしめつけられます。

 厳しい批判は、政治家として甘んじてうけます。
 でも、フジノはとにかく今できることをやりつづけていくだけです。

 市民のみなさまのいろいろな想いを全て受け止めて
 それを政治家として受け止めて、

 個人の立場では実現できないことを
 政治家としてみなさまのかわりにしっかりやっていきます。


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