まちの政治家は、こんなことしてます


2011年5月29日(日)のフジノその2
● 浜岡原発の恒久停止と脱原発の電力を求める集会へ

 一柳洋議員と横粂勝仁代議士が呼びかけ人となって開かれた
 『浜岡原発恒久停止と脱原発の電力を求める集会』に参加しました。

 呼びかけ人のお2人がそれぞれ詳しい報告をなさると思いますので
 フジノはあくまでもメモ的な報告だけ。



 2人の講師からお話をうかがいました。

 『浜岡原発を考える静岡ネットワーク』の代表である
 白鳥良香さん。



 『環境エネルギー政策研究所(ISEP)』
 古屋将太さん。

 反原発・脱原発と言えば今、ISEPは本当にひっぱりだことです。
 先日、所長の飯田哲也さんの講演をフジノも聴いたばかりです。



 「ようやく横須賀の政治の場でも
  脱原発・反原発の動きが進みつつあるのかな」

 と、うれしく感じます。

 今日の集会は、一柳議員と横粂代議士の呼びかけでしたが

 5月22日に全国の地方議員によって立ちあげられた
 『反原発自治体議員・市民連盟』では
 山城保男議員が役員として選ばれています。

 全国的なうねりへと高めていく活動に
 横須賀の政治家が声をあげていくことは
 とても大切だと感じています。

 フジノも市民の方から

 「脱原発・自然エネルギー推進の勉強会を行なってほしい」

 との声を受けて、できれば6月中には
 勉強会をスタートさせたいと考えています。

 大急ぎですぐに取り組まなければならない課題ですが
 フジノ自身も必死に勉強している最中です。

 市民のみなさまとともに学びながら
 どんどん声をあげていく場にしたいです。

 勉強会スタートの時にはまた連絡しますので
 みなさまもどうかご協力をお願いします。



2011年5月29日(日)のフジノその1
● 横須賀市視覚障害者協会の総会へ

 今日は、汐入の総合福祉会館へ。
 『横須賀市視覚障害者協会』の総会へ出席しました。

 フジノは毎年参加しているのですが
 年1回のこの機会をいつもすごく大切に感じています。

 昨年は2名の会員の方が亡くなられてしまったものの、
 みなさんに今年もお会いすることができて、
 本当にうれしかったです。 



 点字の本を作って下さっている点訳奉仕会の2名の方と
 音訳ボランティアはまゆうの会の3名の方が表彰されました。

 情報へのアクセスを保障することは政治・行政の使命ですが
 実際にはボランティアのみなさまの力が無くては実現できません。

 ボランティアのみなさま、本当にありがとうございます。

 特に、横須賀市点訳奉仕会は、この秋に50周年を迎えます。
 半世紀にわたる活動、とても素晴らしいことですね。



 総会では出席した来賓の方々が
 マイクをとおしてみなさまへ挨拶する時間があります。

 視覚障がいのある方々への支援は
 政治家としてフジノは特に重視して取り組んでいる分野なので
 毎年このスピーチに力を入れています。

 前の年よりも前進した成果を
 1つでも多くこの場で報告できるようにと願って
 ふだんからフジノは働いているのですね。

 そして、今年は2つのことをお話ししました。

 第1に、今年3月の予算議会での質疑を報告しました。

 電車の駅へのホームドアの設置や
 危険な箇所へのフェンスの設置などを求めて
 フジノは市長に質疑を行ないました。



 第2に、政府の取り組みを報告しました。

 国土交通省が主催して、全国の鉄道事業者とともに
 転落事故の防止を目指して
 『ホームドア等の整備促進に関する検討会』がスタートしました。

 今年2月から現在まで4回の会合が開かれていて
 夏頃には『中間とりまとめ』が出されるスケジュールです。



 毎年の活動日記で繰り返し記してきたことですが

 視覚障がいのある方々は
 僕たちの未来を先取りしてくれているのです。

 生まれつきで視覚障がいのある方々は
 わずか5%ほどです。

 残りの95%の方々は、糖尿病などの病気や加齢によって
 人生の途中で視覚障がいがある状況になるのです。

 僕たちは誰もが病気になったり年を重ねるうちに
 視覚障がいがある状況になるのです。

 だからこそ、視覚障がいのある方々の声をもとに
 このまちを良いまちへと変えていくことが大切なのです。

 どんな大震災が来ても、避難所での暮らしであっても、
 苦しい中でも何とか横須賀ならば
 がんばって暮らしていかれる、そんなまちにしたい。

 来年の総会では、もっともっと良い報告できるように
 ますますがんばりたいです。



2011年5月27日(金)のフジノ
● 記念艦三笠・復元50周年記念式典へ

 今日は、記念艦『三笠』が復元されてから50周年。
 その記念式典が開かれたのですが、ご招待いただき参加しました。



 他の多くの市民のみなさまと同じように
 フジノは幼い時から三笠公園を訪れてきましたが

 いつも颯爽としたこの美しい姿の『三笠』しか知りません。



 でも、歴史をふりかえると記念艦『三笠』は、
 戦後の一時期、スクラップ同然に朽ち果ててしまっていました。

 当時の写真を観ると、まさに見る影もありません。

 それを多くの方々の情熱によって、今の形へ復元がなされました。
 現在もさらに当時の姿に近づくように
 復元は続けられています。



 三笠に関わりのある方々が国内外を問わず
 たくさんいらっしゃって、この日を祝いました。




2011年5月25日(水)のフジノ
● 横須賀市長マニフェスト中間検証大会でした(速報*後で書き足します)

 今日は、汐入のベイサイドポケットで
 横須賀市青年会議所(JC)の主催によって

 『横須賀市長マニフェスト中間検証大会』が開かれました。

 吉田市長の4年間の任期も半分が終わって
 残りはわずか2年間となりました。

 選挙で市民のみなさまに実現をお約束したのが
 『チェンジ!改革マニフェスト2009』です。

 実際に2年間でどこまで達成できたのか、
 その進捗状況を検証することがマニフェストは必要です。



 2年前の市長選挙でも、青年会議所が主催して
 『ローカルマニフェスト型公開討論会』が開かれました。

 あの夜、フジノはこのベイサイドポケットで
 雄人の一言一句や立ち居振る舞いを
 手に汗握る想いで、じっと見守っていました。

 司会者の方の質問に対して

 「マニフェストの何ページをおひらきください」

 と冷静沈着に答える雄人の姿はどの候補者よりも頼もしく
 市長に最もふさわしい、とフジノは自信を深めていきました。

 討論会といえば、とても有名なエピソードがあります。

 1960年のアメリカ大統領選挙で
 史上初めてTV討論が行なわれました。

 当時は無名だったケネディ候補(当時は上院議員)が
 圧倒的有利な現役の副大統領であるニクソン候補と討論しました。

 それまで劣勢だったケネディ候補が
 この討論会を境にして、
 圧倒的に優位に転じたと言われています。

 そして、2年前、討論会が無事に終わった瞬間、
 フジノはまさにこのケネディとニクソンの討論会を重ねて感じました。

 「ケネディが1960年の討論会を境に大統領になったように
  今夜の討論会を境にして横須賀に新しい市長が誕生したと
  将来、言われるようになるだろう」

 と、誇らしく感じました。

 ただ、正直に書くと、もうあの時のような熱気は
 今日の会場には全くありませんでした。

 フジノ自身にも、がらがらの客席にも。

 (画像:開始直前に入場したフジノの番号は98番、会場はガラガラでした)


 今日の大会にあたって、1ヶ月前くらいからでしょうか、
 市民のみなさまを対象にした事前アンケートが行なわれました。

 その事前アンケートの結果
 資料として配られました。

 2年間では、市政の変化は感じられないという方が60%でした。
 変化を感じたという方は、わずかに9%だけでした。



 また、吉田市長が見直しを行うと公言してきた
 『マニフェスト見直し版』が配られました。

-----------------------------------------------

 翌日の神奈川新聞では、次のように報じられました。

 マニフェスト見直し版への評価について
 フジノも取材を受けました。

 本文中の市議からの発言には
 フジノの発言も含まれています。

 (2011年5月26日・神奈川新聞より)

 (2011年5月26日・神奈川新聞より)





2011年5月24日(火)のフジノ
● 財団法人横須賀市健康福祉協会の理事になりました(1年かぎり)

 今日は、三春町のコミュニティセンターへ。

 この建物の中に
 『財団法人横須賀市健康福祉協会』が入っています。

 実は、フジノはここの理事に就任することになり、
 今日はあいさつにうかがいました。

 横須賀市がほぼ100%出資して
 設立された外郭団体です。

 理事会(12人)のメンバーは
 横須賀市・市議会・医師会・看護協会から
 それぞれ選ばれているのですが

 フジノはその『市議会枠』で今年1年間、理事になります。


 2003年にもこの理事を勤めましたので
 今回は2度目になります。

 (前回、理事だった時の活動日記は
  2003年6月2004年1月2004年3月などをご覧ください)

 全国的に外郭団体の改革が進められている中で
 「内側から変えていこう!」と決意して
 かなりたくさんの提案をさせていただきました。

 特に、最後の理事会では
 市民の方々から頂いた多くのご意見をもとに作った
 『健康福祉協会への提言』というペーパーもフジノは出しました。

 こうしたフジノの提案はかなり受け入れていただきました。
 特に印象に残っているのは、市民向け講演会です。

 年2回の市民向け講演会を開催しているのですが
 フジノの提案を受けて
 講師にナミねえ(竹中ナミさん)をお招きいただきました。

 一方で、現場のみなさんのお話もたくさん聴かせていただいて
 ご高齢の方々・精神障がいのある方々・
 難病の方々への支援に取り組む訪問看護・訪問介護の実態を
 詳しく知ることができました。

 フジノにとっては、貴重な1年間でした。



 健康福祉協会では、 
 ご高齢の方々、障がいのある方々、難病の方々を支援する為に
 大きく分けて4つの仕事をしています。

 1.本庁第2地域包括支援センター

 2.居宅介護支援センター

 3.よこすか訪問看護ステーション

 4.訪問介護(ホームヘルプサービス)


 介護業界全体が本当に厳しい状況にある中で
 健康福祉協会も過去2年間は赤字に転落してしまいました。

 けれども、現在は再び黒字に持ち直しています。
 かなり経営努力が進められているとフジノは考えています。

 H17年度 1259万円の黒字

 H18年度 2200万円の赤字
 H19年度 1427万円の赤字

 H20年度 1477万円の黒字
 H21年度 1633万円の黒字

 かつては横須賀市から健康福祉協会へ市職員を出向させていました。
 多い時には約40人もの市職員が出向していたのですが
 平成17年度にはゼロになり、 現在も出向はゼロです。

 国が進めている公益法人制度改革によって
 平成25年11月30日までに
 全ての財団法人は『一般財団法人』か『公益財団法人』へと
 移行しなければならないと義務づけられました。

 (移行できない財団法人は、解散させられます)

 フジノの理事としての仕事は、平成25年の移行に向けて
 この1年間の経営をしっかりチェックすることだと受け止めています。

 『外郭団体』というとネガティブなイメージが強いのですが
 健康福祉協会は、地域の福祉を守る為に必要な存在です。

 より良い福祉サービスが市民のみなさまに提供できるように
 健康福祉協会の内側からフジノも努力していきたいです。



 さて、毎年2回の市民向け講演会を開いているのですが
 来月6月18日に、今年1回目の講演会が行なわれます。

 『認知症』について、久里浜アルコール症センターの
 松井敏史さん(内科診療部長・物忘れ外来担当)が講師です。

 ぜひみなさま、いらしてくださいね!



2011年5月23日(月)のフジノ
● 民生委員・児童委員のみなさんと再会を果たしました

 今日は、汐入のベイサイドポケットへ。
 『横須賀市民生委員児童委員大会』に参加しました。



 現在の民生委員制度の起源にあたるものとして
 岡山県に設置された『済世顧問制度』というものがあります。

 この済世顧問制度の設置規程が
 大正6年5月12日に公布されたことにちなんで
 5月12日は『民生委員・児童委員の日』と定められています。

 そして、その前後を『活動強化週間』としています。

 民生委員・児童委員を広く市民のみなさまに知ってもらい、
 その活動への理解を深めていただく為に
 全国でいろいろな広報・啓発活動が行なわれます。

 こうしたことから、横須賀市でも
 『民生委員・児童委員大会』を毎年5月に行なっています。

 政治家に転職してからフジノは
 ほぼ毎年、お招きいただいているのですが

 この大会に参加して
 民生委員のみなさまと再会できたことを
 今回は特にうれしく感じました。

 (画像:会場にいらっしゃるのはみなさんが民生委員の方々です)


 今年の1月初旬、まだフジノが立候補すべきか悩んでいた頃、
 ある民生委員の方の言葉に、とても強く励まされたのです。

 「フジノさんには福祉の為に働く政治家として
  必ず戻ってきて、また一緒に働いてほしいです。
  民生委員の仲間たちもそう思っている人はたくさんいますよ」

 この言葉は、深くフジノのこころに染みました。

 民生委員の方々は、朝も夜もカンケーなく、
 地域の福祉の為に活動して下さっています。

 しかも、無給です。

 全国23万人の民生委員の方々は
 善意と熱意によって、毎日、相談・援助に駆け回っているのです。
 本当に尊い仕事です。

 そんな現場の最前線で働く方々に
 「また一緒に働いてほしい」と言っていただいたことは
 フジノのこころの深い部分を揺り動かしました。

 そして今日、ステージから
 会場の民生委員のみなさまの姿を見渡して

 「ああ、民生委員のみなさまと
  共に働ける場に再び戻ってこれたのだ」と感動しました。



 大会の冒頭、民生委員児童委員協議会の鈴木達也会長から
 震災で犠牲になった民生委員の方々が
 40名を越えたというお話がありました。

 多くの民生委員の方々が
 地震が起こった後、
 寝たきりの高齢の方々や障がいのある方々をはじめとする
 いわゆる災害弱者とされる方々の
 安否を確認する為に戻って、
 津波の犠牲になってしまったと言われています。

 さらに、避難所での生活の中でも
 民生委員の方々が自らも被災しているにも関わらず
 活動を続けているという報告も受けています。

 こうした民生委員のみなさまの献身的な活動に
 フジノは、こころから深く敬意を表します。

 (2011年5月23日・共同通信社の配信したニュースより)


 民生委員の死者・不明44人 “地域の世話役”が危機に

 東日本大震災で、1人暮らしの高齢者などを支援する
 民生委員の死者や行方不明者が、
 岩手、宮城、福島の3県で少なくとも計44人に上ることが

 23日、各県の社会福祉協議会や
 民生委員児童委員協議会への取材で分かった。

 被災地では“地域の世話役”とされる
 民生委員が十分な活動をできない状態で、
 被害が甚大な地域では制度が崩壊する恐れもある。

 各協議会などによると、岩手県が死者21人、不明者5人。
 宮城県は死者10人、不明者6人。福島県が死者1人、不明者1人。

 岩手県陸前高田市の高田地区では、
 16人の民生委員のうち7人が死亡、または不明となった。

 「地域によって正確な把握ができない」(宮城)、
 「原発事故で混乱している」(福島)などと

 委員の被災状況を把握できていない自治体もあり、
 今後さらに増加する可能性がある。

 自宅を失い、避難所での暮らしを余儀なくされている被災者は、
 政府が8月までに全戸完成を目指す仮設住宅や、 
 公営住宅、民間賃貸住宅などに順次、入居していく予定だ。

 民生委員は、高齢者などの
 こうした生活の変化や仮設住宅などでの暮らしに伴う課題を把握し、
 問題を解決していくことが期待される。

 しかし、委員自身も被災し活動を大きく制限されているため、
 関係者からは

 「地域によっては制度が破綻するのではないか」
 (岩手県の民生委員)と危ぶむ声も聞かれる。

 民生委員の活動は交通費以外は無給で、
 厚生労働省は
 「(被災した)民生委員には過度の負担をかけられない」と指摘。

 保健師やケアマネジャーとの役割分担のほか、
 災害ボランティアや
 内陸の別の地域を担当する民生委員を活用することで、
 制度を支えていく必要があるとしている。




 第1部が終わると、来賓はみんな帰ってしまいましたが
 フジノはいつもどおり第2部にも残らせてもらって

 民生委員のみなさまと一緒に
 県立保健福祉大学学長の中村丁次先生の講演を聴きました。

 『健康と食生活』のタイトルで栄養学についての基礎的な知識を
 分かりやすく語ってくださいました。



 中村学長は今回の震災が起こった後、
 被災地を訪れて

 乾パンやカップラーメンやレトルト食品などが中心の食生活で
 引き起こされてしまう栄養の欠乏症について
 必要な対策を指摘されました。

 すでに実際に対応が行なわれていますが
 こうした栄養学の観点は、とても重要です。



 さらにフジノ個人の関心から言えば
 今、栄養学は、精神保健福祉の領域とも
 新たな接点が生まれつつあります。

 (例えば、うつ病と食事の関係が指摘されつつあります)

 もっともっと学んで、人々の生活の為に役に立てるように
 しっかりとがんばっていかなければと改めて感じました。

 今日は、民生委員のみなさま、
 本当にありがとうございました。

 これからもどうか地域福祉の為に
 みなさまの力を貸して下さい。よろしくお願いします!


→日記過去分の目次へ
→はじめのページに戻る