まちの政治家は、こんなことしてます


2011年11月21日(月)のフジノ
● 改善措置命令の取消を求める訴訟の行方を見守る為に

 お昼から横浜市中区日本大通りにある
 横浜地方裁判所へ向かいました。

 『平成23年(行ウ)第66号・改善措置命令取消請求事件』

 を傍聴する為です。

 社会福祉法人クオレ(旧体制での)
 不正経理問題に関して行なわれている裁判の1つです。



 今日は『弁論』の日でした。

 しかし、書類の確認と日付の確認ばかりで終わり、
 口頭で弁論が交わされることはありませんでした。

 裁判モノの映画やドラマでは
 法廷でのやりとりが華々しく行なわれますが

 現実には、それぞれが主張することを記した文書を持ってきて
 提出することで終わってしまいました。

 争点になっていることが何なのか
 それに対してどのような反論をしているのか

 傍聴席にいるだけでは
 なかなかつかめません

 前回に続いて今日もまた
 10分ほどで終わってしまいました。

 次回は1ヶ月後。
 こうして1年間で10回ほど裁判は続くようです。

 こんなやりとりでは、あっという間に年月が経ってしまいます。
 現実の世界と裁判所の中では時間の流れが全く別のようです。

 裁判所の仕組みも議会と同じで
 まだまだ改革が必要ですね。



 裁判所の地下1階には
 軽食をとれる食堂があるのですが

 今日もカレーを食べながら、
 改めて今回の問題について振り返ってみました。

 (2011年9月16日・神奈川新聞より)

 社会福祉法人クオレで不正経理が行なわれていたとして
 昨年12月10日付けで横須賀市は『改善措置命令』を出しました。

 これに対して、不正経理を行なったとされる元施設長(退職)が
 「横須賀市の命令は全てにおいて事実誤認がある」として

 改善措置命令の取消を求めて
 今年8月23日に訴えを起こしました。

 精神保健福祉の向上をメインの政策に掲げる政治家として
 フジノは厳しい提案も行なってきました。

 だから、この全てが終わるまで
 見届けなければならないと考えています。

 新しい体制になったクオレを
 この夏にも訪問させていただきましたが

 利用しているみなさんにとって
 良い存在へと生まれ変わったと確信できるまでは
 継続して訪問させていただくつもりです。

 そして、裁判についても
 判決が確定するまで傍聴を続けていくつもりです。



2011年11月20日(日)のフジノ
● 学童保育まつりへ/何故、新校舎に学童クラブが入れないのか?

 今日はお昼から市役所前の公園で開かれている
 『学童保育まつり』へ行ってきました。

 横須賀市内には54か所の学童保育があります。

 この学童クラブのネットワーク組織である
 『横須賀市学童保育連絡協議会』(略称・市連協)が主催して
 毎年このお祭りが開かれています。

 今年で第14回目となりました。
 (プログラムはこちらをご覧ください)



 たくさんの知り合いの方々と再会することができるので
 毎年とてもうれしい機会になっています。

 フジノの学生時代の恩師とのおこさんが
 井坂議員のおこさんと同じ学童クラブに通っているとのことで

 井坂議員とフジノの恩師とフジノが
 3人で談笑するというような楽しい瞬間もありました。

 天気もとても良くて、こどもたちが一生懸命に売り子をしている
 出店の焼きそばやウインナーやスープの匂いがとてもおいしそうで
 素敵な日曜日の昼下がりでした。

 (画像:中央学童クラブのウィンナーは好評で1時過ぎに完売してしまいました)


 けれども、今年は
 楽しい時間ばかりではありませんでした。

 先日10周年記念式典にお招きいただいた
 中央学童クラブ(諏訪小学校)の保護者の方々から
 こんな相談を受けました。


 「今、建て替え工事をしている諏訪小学校の校舎が完成しても
  中央学童クラブを校舎の中に移転させてもらえないのは何故ですか?」

 「せっかく建て替えしているのだから
  移転できるようにあらかじめ設計してくれたら
  使いやすさも財政的にも後から手を加えるより良いのではありませんか?」

 「横須賀市の担当者の方から
  『汐入の総合福祉会館に空き部屋が出るのでその中へ移転しないか』
  という話を持ちかけられています」

 「総合福祉会館への移転をすべきかどうかで
  保護者の間で意見が分かれてしまい、困っています」



 諏訪小学校のこどもたちの為の学童保育である
 中央学童クラブは現在、民間のビルを借りて運営しています。

 市内の最も大きな繁華街である
 横須賀中央のすぐそばに位置しているので
 家賃は高いです。

 学童クラブとして民間の物件を賃貸すれば
 毎月の保育料はどうしても高額になってしまいます。

 だから、市の担当者が持ちかけたように
 市の建物である『総合福祉会館』の中へ移転すれば

 確かに家賃ゼロになって無くなる分、
 保育料は少しだけ安くなるかもしれません。

 でも、大きな問題があります。

 学童保育の場所としては
 今の民間のビルよりもさらに小学校から離れてしまいます。

 学校からの距離が離れれば離れるほど
 こどもたちの放課後の安全面で
 保護者の方々が不安になるのは当然です。

 (画像1:赤丸で囲んだのが諏訪小学校と現在中央学童クラブの位置)

 フジノは本来全ての学童クラブは
 小学校の校舎内に在るべきだと考えているので
 現在の場所でも「離れている」という感じを持っています。

 これを総合福祉会館に移転させると
 今よりも3倍くらい遠くしてしまうことになります。

 市外の方々にはイメージしづらいと思うのですが
 地図でオレンジ色に塗られている道路は『国道16号』と言って
 横須賀で最も交通量の多い路線です。

 そうした道路沿いを学童クラブに通う為に
 毎日通らせるのも交通安全上どうなのかとフジノは感じます。

 (画像2:移転先として提案されている総合福祉会館と小学校の位置)


 フジノは、そもそも市が学童保育をもっと大切にして
 全ての学童クラブを学校の校舎の中に移転させるべきだと考えます。

 今回の移転話が全く他の学校の話ならばまだしも、
 今まさに校舎の建て替えを行なっている諏訪小学校での話なので
 納得は全くできません。

 過去の市議会の議事録を読み返しても
 フジノだけでなく、複数の議員が同じ想いでいます。

 諏訪小学校の建て替えと学童クラブについては
 繰り返し質疑として取り上げられています。

 まもなくスタートする12月議会では
 この問題を必ず取り上げようと思います。



2011年11月19日(土)のフジノその1
● 山崎小学校が創立100周年を迎えました/ぜひ記念誌をご覧下さい

 今日は、山崎小学校創立100周年記念式典
 来賓としてお招きいただきました。

 親しいこどもたちが山崎小学校に通っているので、
 この日の為に一生懸命練習をしてきたことを聴いてきました。

 来賓として100周年を祝うと共に
 そのこどもたちの姿を見ることもできて

 政治家としても個人としても
 とてもありがたい機会になりました。



 天気こそあいにくの雨となりましたが
 生徒たちをはじめ、保護者の方々、地域のみなさん、
 OB・OGのみなさんが勢ぞろいして、盛大な式典となりました。



 市内で9番目、明治45年(1912年)に
 『尋常山崎小学校』として創立されました。

 1926年、山崎町が誕生。
 1935年、山崎町→春日町へ改称。
 1950年、春日町→三春町へ改称。

 歴史の移り変わりとともにまちの名前も変わっていきますが
 山崎の地名は『山崎小学校』の名前に今も受け継がれています。



 ところで、100周年を記念して作られた冊子が2冊あるのですが
 とても良い出来栄えなので、みなさまにご覧いただきたいと思います。

 (容量がとても大きいのでダウンロードは
  かなり時間がかかりますのでご注意ください)

 『山崎小学校創立100周年記念誌』(18.1MB)

 『やまざき 創立100周年記念副読本』(19.8MB)

 貴重な写真もたくさん載っていますので
 ぜひご覧ください。



 山崎小学校のみなさま、
 本日はおめでとうございました!

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 フジノの母校・武山小学校(1891年開校)も
 すでに100周年を迎えているのですが

 長い歴史を持つということは
 それだけで素晴らしいことだとつくづく感じます。

 たくさんの人々の記憶がそこに集っているということ、
 そして、帰っていかれる場所があるということ。

 故郷のまちには母校が残っているという
 そんなかつては『当たり前だったこと』も
 実は、今では得難いことになってしまっています。

 日本は超高齢社会・少子社会になりました。

 高度経済成長期の人口増加を前提に作られた
 あらゆるインフラは財政的に維持していくことができなくなっています。

 どれだけ人々の思い入れがあろうとも
 財政危機の前には
 歴史も文化もあっけなく破壊されていきます。

 学校さえもそうなのです。

 横須賀市でも
 平成11年の青葉小学校と坂本小学校の統合を皮切りに
 学校の統廃合が進められています。

 フジノは政治家になってすぐの頃、
 たくさんの方々から愛されていた桜台中学校の統合
 ストップさせることができませんでした。

 その時の無念の想いがフジノにはあって
 そして絶対にこのことを忘れないようにする為に

 旧・桜台中学校(現・坂本中学校校舎)を
 今でもほとんど毎日のように観に行ってしまいます。

 (画像:旧桜台中学校の校舎)


 1度失われたものは、2度と戻ることはありません。
 だから、歴史や文化は全身全霊をかけて守らなければいけないのです。

 財政危機という言葉の前には
 人々のいろいろな想いが簡単に踏みにじられていきます。

 例えば、横須賀市は今、
 大津にある『婦人会館』を売却しようとしています。

 大津の行政センターを建て替える為には財源が必要で
 その為に歴史ある婦人会館を売却して、その費用に充てるのです。

 こうして、文化は破壊されていきます。
 あっけなく人々の想いは消えていきます。

 あらゆるムダなハコモノを造って
 財政赤字を膨らませていっtたツケとして
 人々の思い出を根こそぎ奪い去っていくのです。

 帰ることのできる場所や想いを馳せる故郷を失えば
 どんどん人々のこころは脆く薄くなっていくでしょう。

 そんな現実が今目の前にあるからこそ、
 100周年を無事に迎えられた素晴らしい学校のことを
 これからもみんなでずっと大切に守っていかなければなりません。

 放っておいても、ずっとそこに存在していてくれるのが
 かつての『故郷』や『母校』というものでした。

 今は時代が変わりました。
 守らなければ、失われてしまうのです。

 どうか、失われてしまう前に
 そのことに気づいてほしいとフジノは願っています。

 失われてしまったものは、戻ることは無いのですから。



2011年11月18日(月)のフジノその2
● 市立看護専門学校の戴帽式へ

 今日は、市立看護専門学校の『戴帽式』でした。



 来賓として第1回(2004年)第2回(2005年)と参加してきたのですが
 ここ数年間は日程が合わずに参加できませんでしたが

 厳かな雰囲気の中で行なわれる『戴帽式』は
 そこにいる僕の身も心も引き締めてくれる独特の空気があって

 今年は立ちあうことができて
 とてもうれしく感じました。



 市立看護専門学校は、とても倍率が高い人気の学校です。

 フジノとしては、
 看護専門学校の『定員』を増やしたいと考えています。

 全国的に貴重な人材である看護師が不足していて
 その確保がとても強く求められているからです。

 今までの形としての
 病院・診療所に勤務していただく看護師も足りていませんが、

 地域での訪問看護、特別養護老人ホームなどの介護施設での看護など
 新しい形での看護師のニーズが高い場でも足りていません。



 また、フジノはもう1つ提案していることがあります。
 それは、退職した看護師資格のある方々の『復職』を増やすことです。

 日本では、結婚・出産などの一般的な意味での退職だけでなく
 厳しすぎる労働条件などを理由として退職した看護師の方々が
 すさまじくたくさんいます。

 勤務環境を改善しなければ戻ってもらえないのは当然ですから
 それは政策課題として取り組んでいますけれど

 その一方で、1度辞めてしまうと
 最新の知識に追い付く為の座学の研修や
 現場のカンを取り戻していく為の実習などの機会が必要です。

 そこで、現役に復帰していただく為の研修の場として
 市立看護専門学校の場を提供したいとフジノは考えています。

 例えば、この決算議会でも下のような質疑をしました。
           ↓

 (今年9月22日の決算議会・教育福祉常任委員会での質疑より)



 では、一般会計から順次質問をしてまいります。
 まず、健康部の5ページをお願いします。

 歳入で、看護専門学校の入学検定料が173人×8000円です。

 (平成22年度・決算書より)


 募集人数は推薦15名・一般25名で合計40名ですから
 約4.5倍という高い倍率です。

 そこに、これだけ多くの方々が
 横須賀市立看護専門学校を受験したいのだと来てくださっている。

 そのことをどんなふうに評価しておられますか。









 実は、平成22年度は例年になく、
 特に一般の応募の方が多かった年でした。

 内訳を見ますと、高校生もいますけれども、
 社会人の方が非常に多かったと思います。

 これは景気が悪いということで、
 より安定した職につきたいという熱意の表れだったかな
 と思っております。

 ちなみに、一般入試は応募された方が154名で、
 大半の方が就職経験のある方であった、と思います。




 先ほど井坂委員の質疑の中で、
 「本市の市立病院の評判が悪い」という話がありました。

 僕自身が読んだ新書で『看護崩壊』という本があるのですが、
 この中では「横須賀市立市民病院が非常に厳しい状況である」と
 大きく取り上げられてしまっています。

 特に、横須賀でこれから看護師になろうという人は
 大体あの本を読むと思うのですけれども
 「本当に悪いイメージを持たれてしまうな」と思ったのです。

 けれどもその一方で、「看護師になりたい」という方が
 これだけ多く受験して下さっている訳です。

 世間的な評判とは別に
 看護師になりたいという方の希望は非常に多いのですね。

 そこで、これだけ人気の高い専門学校ですから、

 『定員の拡大』というのも考えていくのが必要ではないか。

 『看護師確保対策』という意味でも必要ではないか

 
と思うのですが、いかがですか。









 今、定員が1学年1クラス40人で、3学年120名です。

 これは厚生労働省や文部科学省も
 1クラス40名ということで上限が決められていますので、

 1人でも増やせば
 2クラスに教室を分けなければいけないことになります。

 けれども、残念ながら今の看護学校の建物で
 1学年2クラスに増やすだけの余裕が無い
ので、

 現状、物理的に難しい
 という状況にあります。




 今の御答弁ですと、昼間の通学生を2クラスにする余裕は
 施設のスペース的に無いと受けとめたのですが

 『昼間部』と『夜間部』という形をつくる。

 あるいは

 一般の学生ではなくて、退職をしておられる潜在看護師の方々の
 現場復帰の為の研修をするコースにする。


 いろいろなやり方で昼間と夜と両方とも
 施設を活用することもできると思うのですね。

 そういったこともお考えいただけないか
 と思うのですが、いかがでしょうか。









 実は今、看護学生のカリキュラムが増えています。

 平成23年度も増えていまして、今まで以上に実習が多くなったり、
 あるいは新しく統合分野というのができて、在宅医療ですとか、

 今までは無かったカリキュラムが増えて
 教員の負担が非常に増えております。

 平成23年度からは教員を1人増やせるように
 市のほうとしても予算をつけてますけれども

 現状の教員の人数、マンパワーの中では
 昼間部の指導をするのが精いっぱい
というところで

 ただもう少し増やしたいということで、
 いろいろな広報でも募集をかけるのですけれども

 なかなか資格のある方の応募が無いという状況の中で
 現状ですぐにそれ以外に広げることは難しいかなと思っております。




 長期的な課題として、
 そういったことも視野に入れていただければ
 と考えています。


 (*委員会審議は話し言葉なので意味が伝わりづらいところがあります。
   その為、一部、文章をフジノが修正しています)


 施設的なスペースの問題や
 教員不足が課題、とのことですが何とか解決していきたいです。

 もっと他の学校の取り組みも勉強して
 具体的な提案を行なっていきたいです。

 東日本大震災をきっかけとして、
 看護師という素晴らしい職業を
 将来の夢にしているこどもたちも多いと聴いています。

 そんな夢を実現できる場として
 市立看護専門学校が広く門戸を開けたらとフジノは願っています。

 さて、8期生のみなさま、今日はおめでとうございました!

 これから厳しい実習がスタートしますが
 みんなで助け合ってのりこえて下さいね。

 どうか8期生のみんなが無事に卒業できますように。

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 (後日談)
 翌日の神奈川新聞がこの様子を報じてくれました。

 (2011年11月19日・神奈川新聞より)



2011年11月18日(金)のフジノその1
● 写真展『三陸素描』へ

 今日は、市役所のすぐそばにある
 カフェ『珈琲時代』へ行きました。



 『鍋パーティー』などをはじめ、
 フジノがいつも大変お世話になっている
 魚屋『魚源』源さんの写真展が開催されているのです。

 源さんは、魚屋さんとしてだけではなくて
 アマチュア写真家としてもとても有名です。

 もともと源さんのことをフジノが知ったのは
 写真家の友達が「自分の師匠は源さんです」と話してくれたからです。

 だから、長い間フジノにとって源さんは写真家であって
 お魚屋さんだということを知りませんでした。


 写真展のタイトルは、『三陸素描』です。
 東日本大震災が襲った福島を源さんは訪れたのでした。



 11月30日までのあいだに展示替えもありますので
 ぜひみなさまも足を運んでみて下さいね。



 ちなみに、カフェ『珈琲時代』のマスターである伊藤さんは
 素晴らしい芸術家の方です。とても博学な、ダンディで素敵な方です。

 有志の方々と開催する『6人の視点』『5人展』などを
 毎回フジノは見せていただいているのですが

 現代美術を追求していく姿勢は
 いつもこころ打たれるものがあります。

 かねてフジノは美術館建設反対の活動を繰り広げました。

 そうした時、いつもフジノは

 「美術や芸術はハコモノで創られるのではない」

 と訴えてきました。

 市井の方々によってこそ
 芸術や文化は生み出されるのです。

 そんなフジノのこころには、
 伊藤さんをはじめとするアーティストの姿がいつもありました。

 そして、そのフジノの訴えは
 今も全く間違っていないと感じています。



 ところで、伊藤さんの『珈琲時代』は
 佐島の名産として知られる『へらへら団子』を
 市内で初めてメニュー化したお店です。

 今では商品として売っていたり
 食べることができるお店も増えましたが

 元祖は、ここです。



 こちらのビーフシチューセットもとてもおいしいです。
 (先日、吉田市長も食べてました)

 フジノのオススメは、手作りのジャムがたっぷりのトーストです。

 ぜひ源さんの写真展と珈琲時代のおいしい珈琲を
 どちらも味わいにいらして下さいね。


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