議会では、こんなやりとりしています

動画で質問の様子をみることができます。
市議会HPの日程平成20年5月16日をご覧下さい。

2008年5月臨時議会 本会議(5月16日)、議案への賛成討論


















 藤野英明です。

 議案第53号「原子力空母の横須賀配備および安全性を問う
 住民投票に関する条例制定について」に対して

 賛成の立場から、つまり、
 住民投票を行なうべきだとの立場から討論を行います。



 すでに、住民投票と憲法や法律との関係や、
 地方自治推進の観点や、日米同盟との問題や
 実質的に「不信任」をつきつけられたに等しい
 2度目の直接請求を引き起こした
 蒲谷市長の責任問題についてなどの論点は

 平成19年第1回臨時議会で行なった
 前回の住民投票条例案に対する市長への質疑と賛成討論、
 そして、今回の住民投票条例案に対する市長への質疑において
 ひととおり述べておりますので、
 そうした論点は今回一切述べません。

 今回は、一般的な討論の形式を離れて
 僕個人の体験を通じての考えをお話しするという形で、
 賛成討論とさせていただきます。

 今回の僕の討論は、

   市議会は市民に絶望を与えるのではなく
   このまちの主役である市民をもっと強く信じて
   市民と共に歩んでいく存在であるべきだ


 という主張、この1点のみです。

 とても当たり前のことですが、今の市議会にとって
 最も大切であるこの1点について述べたいと思います。



 そもそも「討論」とは、議案に対して、
 自分が賛成か反対かの意見を明らかにすることで
 自分と反対の意見の議員や
 賛成か反対かをまだ決めていない議員に対して
 説得をすることで、自分の意見に賛成してもらうことが目的です。

 けれども、昨日の総務常任委員会で
 この住民投票条例案は共産党と無所属をのぞく
 全ての会派が反対をして、否決をしました。

 このことはつまり、会派制をとっている横須賀市議会においては
 事実上、本会議での否決も決定したことを意味しています。

 総務常任委員会が終わった夕方から夜にかけて、
 一体、僕は今さら何を討論で語るべきなのか悩みました。



 例えば、憲法の観点から、主権在民の観点から、
 住民投票制度の持つ意味の観点から、
 署名数の重みの観点から、
 安全対策を促進する観点から、

 いろいろな観点から下書きを書いてはみましたが
 結局、否決されるならばどんな言葉も無意味だという、
 絶望に襲われて、原稿を全て消しました。

 そして、いったんパソコンの前を離れて、
 改めて署名活動をされた市民の方々に
 電話でご意見をうかがってみることにしました。

 さらに事務所を出て、市内をぐるぐるまわって
 直接に市民の方々と夜中すぎまで意見交換をしてみました。

 お話した市民のみなさんが
 すでに委員会での否決を知っていたのですが
 何人もの方々とお話をして、そして分かったことは、

 委員会で否決されたからといって決してあきらめてはいないし、
 横須賀を愛する気持ちは変わらないし、
 今回の活動が挫折に終わったとしても
 それで終わりだとは全く考えていない、ということでした。

 僕にはそれがとても意外なことでした。
 もっともっと市民の方々は政治に絶望しているかと思いました。

 それは僕自身が体験してきた署名活動への
 挫折の繰り返しから来ていた「誤解」でした。

 みなさんがご存知の通り、僕は5年前、
 美術館建設みなおしの為に
 市民のみなさんと一緒に署名活動を行いました。

 たくさんの方々に署名に協力してもらい、
 自分自身も晴れの日も雨の日も
 必死にかけずりまわって署名を集めました。



 先ほど署名の集め方への批判もありましたが
 署名活動のつらさや苦しさは、
 署名活動を実際にやったことがある人にしか分かりません。

 駅前に立って署名を集めている自分の前を
 嫌なものを見るように大急ぎで避けていくサラリーマン。

 話をじっくり聞いてくれて、署名をしてくれるのかと思えば
 署名簿を地面にわざと叩き落として立ち去っていく人。
 たくさんのつらさを味わいながら、
 それでも現実を変えられると信じて、署名を集めたのです。

 最終的に6万6452名もの署名をいただいて、
 市長に提出しました。

 けれども、美術館建設を止めることができませんでした。

 それまで政治と無縁の人生だった自分にとって
 この時が初めての市民活動の体験だったので
 初めて心の底から横須賀市と市議会、
 つまり、政治に絶望を感じました。

 翌年は長井海の手公園について外部監査を求める為に
 再び署名活動を行ない、1ヶ月で1万6815名もの
 署名をいただきましたが、外部監査は実現できませんでした。

 僕は再びたくさんの方々を絶望させてしまったと感じ、
 もう今後、署名活動は一切やめよう、と思いました。

 そこに、おととしの冬、原子力空母の母港化問題について
 住民投票を行なう為の署名活動の声があがったのです。

 僕は書類上、受任者になりましたが
 1人分の署名も集めることができませんでした。

 自分がお願いして署名を書いてくれた方々が、
 住民投票が実現しなかった時に
 再び絶望する顔を見ることが耐えられなかったからです。

 美術館の署名も長井海の手公園の署名も
 何の成果も引き出せなかったので

 「もう市民の方々は署名なんてしてくれないだろう」

 と誤解していました。

 しかし、市民のみなさんは
 なんとわずか1ヶ月間で4万1591人もの署名を集めました。
 本当にすごいことだと思います。

 残念ながらこの第1回目の住民投票条例案は、否決されました。

 それでもなお、「再び住民投票を」の声があがり、
 4088人もの市民の方々が受任者になって
 今年の3月6日からいっせいに署名活動がはじまりました。

 そして、1ヶ月が過ぎた4月6日には、なんと前回を
 1万人以上をも上回る5万2438人もの署名が集まったのです。

 前回の住民投票条例案が否決された後、
 2回目の署名を集めてもうまくいくはずがないと
 僕だけでなく、外野席の観客たちは思っていたはずです。

 しかし実際には1万人以上も前回を上回りました。

 その時、僕はこれまで自分がまちがっていたことを知りました。
 僕は、市民という存在は「弱いもの」だと誤解していました。

 署名を集める際には、本当にたくさんのご苦労があったでしょう。
 しかも、署名を書いても、いつも政治に裏切られる。

 だから、署名活動を何度も何度もやっていくうちに
 もっともっと政治ギライが増えて、政治離れが進んでいく。
 そんな風に誤解していました。

 けれども、このまちをもっと良いまちにしていきたい、という想いを
 絶対に市民のみなさんはあきらめないのです。

 たとえ何度政治に裏切られても
 たとえ何度絶望しても、決してあきらめないのです。

 昨日、条例制定請求代表者の方々の
 意見陳述を聞かせていただきましたが、
 ある方は、こんな風におっしゃいました。

 前回同様、市長や市議会が否決すると分かっていても
 前回を超える5万人にもおよぶ市民が署名をしたのです、と。

 政治に絶望を感じながらも、それでもなお
 このまちのより良い未来を信じて前に進んでいこうとする
 市民の方々の姿。

 これこそ誇るべき、横須賀市民らしさなのでしょう。

 だから、我々、政治の側も
 もっと市民の方々を信頼して、信じるべきなのです。

 この本会議場におられる先輩議員、同僚議員のみなさま、
 この後の採決で、住民投票を否決することはカンタンです。

 けれども住民投票ができなくても、市民の方々は
 決してあきらめることはないはずです。

 これからも市民の方々は何度でも何度でも立ち上がるでしょう。

 8月19日を迎えて原子力空母がやってきても
 たとえ母港化されてしまったとしても
 反対の声は永遠に続いていくことでしょう。

 そうした横須賀市民のみなさんに
 市議会はいつも寄り添っていくべきではないでしょうか。

 絶望的なことばかりがあふれているこの時代ですが、
 このまちの市民の方々は絶望の中にあっても
 いつも未来を信じて
 希望を信じて歩み続けているのです。

 それは、横須賀市民の持つ気概・特質とも言うべきものだと
 2回の直接請求を通じて知りました。

 今回市長と質疑を行なうにあたって、僕は
 『横須賀市議会史』という横須賀の戦後の歴史を読みました。



 ミッドウェーの母港化問題、トマホーク配備艦船の母港化問題、
 インディペンデンスへの交代配備問題、
 原子力空母カールビンソンの寄港問題、
 いつもいつも政府と米軍にだまされて
 負け続けてきた歴史でした。

 それでもいつも市民の方々は立ち上がってきました。

 だからこそ、市議会の側も
 例えば、政府との関係だとか、日米同盟だとか
 現実主義というタテマエに陥るのではなくて

 どこまでも市民の方々に寄り添ってどこまでもあきらめずに、

 市民の方々には絶望ではなくて
 むしろ希望をこそ与えることができなければいけないはずです。


 僕はけさの明け方、文化会館の上にある
 横須賀中央公園に行ってきました。

 そのてっぺんには
 高さ20メートルの平和モニュメントがあります。

 これは、今から20年前に横須賀市が行なった
 「核兵器廃絶・平和都市宣言」を形として見える
 象徴にして残すことで宣言をただの言葉だけではなく、
 永遠に実行していく為に作ったものです。
 設置費用の一部は、市民の方々からの募金が集められました。

 当時の横山市長・市議会をはじめ、
 横須賀の先人たちが願いをこめて創ったモニュメントを見て、
 横須賀市民がいつの時代も平和を求めてきたことを
 改めて思い出しました。

 そんな先人たちの想いに
 現在の僕たちは応える責任があります。



 昨日の条例制定請求代表者の意見に、

 「横須賀市は米軍との信頼関係を強調する一方で
  市民との信頼関係を築くことには熱心では無い」

 との指摘がありました。

 僕たち市議会は、そんな声に対して、

 「いや、市議会は市民のみなさんとの強い信頼関係を
  ぜひ築いていきますよ」

 と応えていくべきではありませんか。

 だからこそ、この条例案に賛成していただきたいのです。
 それが、市民の想いを信じるということだと僕は信じるからです。

 戦後ずっと続いてきた
 政府と米軍に負け続けてきた横須賀市の歴史の中で
 今回の原子力空母母港化問題もなし崩し的に押し付けられて
 また横須賀市は負けるのかもしれません。

 それでも大切なことは、わがまちの市民の想いを
 その「市民の代表」である我々市議会が信じることです。

 そうすることで、この横須賀市は希望に満ちた
 もっと良いまちに必ず変わっていくはずです。



 どうか、先輩同僚議員におかれては、
 あらゆる政党や会派の壁をこえて
 このまちに暮らす市民のみなさまの命と暮らしを守る為に
 市議会はいつも市民を信じて市民と共に歩んでいくのだ、と
 ぜひ市民に力強く応えて下さい。

 その為にも
 この議案第53号にどうか賛成していただけますように
 こころからお願い申し上げます。

 以上で、賛成討論を終わります。

 ありがとうございました。


フジノの賛成討論もむなしく
議会の多数派によって否決されてしまいました。


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