JR福知山線事故・なぜ想像を超す救援活動ができたのか/日本臨床死生学会(第16回)

日本臨床死生学会@早稲田大学へ

今日は、東京・高田馬場へ。
 

第16回日本臨床死生学会

第16回日本臨床死生学会


『第16回・日本臨床死生学会』に参加しました。

日本臨床死生学会の会場にて

日本臨床死生学会の会場にて


昨年、東京大学で開かれた第15回大会に続いて、年1回の大切な学びの場に参加です。

「死生学」とフジノの関わり

もともと大学時代から『死生学』に強い関心があって学び始めました。

まだ一般的に知られてはいない学問ですが、本当に大切な分野です。

就職してからも、上智大学のコミュニティカレッジで開かれているアルフォンス=デーケン先生らによる『死生学』の連続講座に仕事帰りに通ったりしていました。

政治家に転職してからは、「これほど重要な分野は無い」と改めて感じるようになりました。

医療のすさまじい進歩によって、『人が生きることと死ぬこと』はその内容が大きく変化をしています。

その激しい変化に対して、これまでの歴史の中でじっくりと育まれた既存の哲学や宗教では現代の人々のこころに全く対応できなくなっています。

法律・制度も全く対応しきれていません。

脳死、臓器移植、尊厳死、安楽死、尊厳のある生き方、尊厳のある死に方、

あらゆる目の前の現実に対して、自分なりの価値判断をしっかり持っていなければいけない、とフジノはいつも感じます。

だからこそ、政治家こそ誰よりも『生きること』と『死ぬこと』をいつも考えて考えて考え抜かなければいけない

そうフジノは考えています。

会場にて

会場にて


臨床死生学会は、死生学を単なる机上の学問として扱うのでは無くて、最前線の現場(=臨床)から向き合っている、とても大切な場なのですね。

年1回だけの学会なので、フジノにとっては「必ず出席したい場」になっています。

実家に帰ってきたみたいな感覚に襲われました

今年の会場は、早稲田大学の図書館に併設されている国際会議場でした。

早稲田大学・図書館入り口

早稲田大学・図書館入り口


大学時代、フジノはこの図書館の地下にある書庫でいつも論文を読みあさっていました。

こうして仕事で立ち寄ったのですが、かつて図書館に暮らしていたような生活だったので、上の写真は図書館の入り口なのですが、なんだか実家に帰ってきたみたいな気持ちになって、すごく変な感じでした。

JR福知山線事故 なぜ想像を超す救援活動ができたのか

今日のプログラムは、

  • 終末期のケアについて
  • 遺族のケアについて
  • 継続的な遺族ケアの実践について

などについて、臨床の現場からの発表がありました。

グリーフケアで重要なポイントとは

グリーフケアで重要なポイントとは


そして、今日の最後のプログラムは『JR福知山線での事故』についての特別講演でした。

今回のフジノの最も強い関心をひいたプログラムだったのですが、民間企業の社長である齊藤十内さんが講師としてお話をしてくれました。

「JR福知山線事故 なぜ想像を超す救援活動ができたのか」

講師の齊藤十内さん

講師の齊藤十内さん

2005年4月25日、JR福知山線事故。

事故の報告を受けて現場に直行した斎藤さんは工場の操業を全て止めさせて、社員全員によって救助活動を行なうように指示を出しました。

その結果として、多くの被害者が救われたのです。

何故、即座に援助の決断ができたのか?
 
何故、想像を越す援助活動ができたのか?

詳しい内容はこちらをご覧ください)

関西で起きた事故に対して、関東ではどうしても関心が薄くなっています。

けれども、この事故について、僕たちはもっと学ばなければならないことがたくさん存在しているのだと知りました。

最悪の事故のもと、何故、民間企業のふつうの社員の方々が、消防・救急よりもめざましい救助活動にとりくむことができたのか。

一方で、現場にいたはずのJR西日本の関係者は、消極的な対応にとどまってしまったのは何故なのか。

フジノが死生学を学んでいるのは『ふだんの暮らしの中での人の生きることと死ぬこと』についてですが、こうした『非日常の中での死生学』というものは、災害現場での対応に必ず活かすことができる貴重なものだと受け止めています。

まだまだフジノは学びが浅いので、この活動日記を通じてあなたにフィードバックできるほどではありません。

でも、先ほども記したとおりで、『政治家としての必修科目』だと考えていますので

もっと深く学んで、必ず仕事に活かしていきたいです。

過去の日々との和解

大学時代、図書館を出ると下の写真のとおりでいつも真っ暗でした。

外に出ると真っ暗でした

外に出ると真っ暗でした

未来に希望なんて何も見えない。

そんな自分の気持ちの同じような外の暗さだといつも思いました。

フジノの人生をふりかえると、18才から23才まで5年間通った大学時代は、最もつらくて厳しい日々でした。

自分の大学では友達もつくらずに、師と呼べるような先生もこの大学には最後までいなくて

与えられた大学の枠組みからは完全に離れて、自分自身でひたすら学び続けました。

他の大学のゼミに通わせてもらったり、都内の複数のメンタルクリニックで無休研修生をさせてもらったり、

だから、僕は自分の大学が大嫌いでした。
 
つい最近まで本当に大嫌いでした。

大隈さん

大隈さん


それなのに、今年に入って、いろいろなことが僕のこころの中で変化が起こって、

今日ここに来ても『激しい嫌悪感』がわき起こらずに、自分の中でわだかまりが消えていたことに気づきました。

過去の自分と折り合いがついたのかもしれません。

人生というのは、本当に不思議ですね。

日本臨床死生学会の会場にて

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