クリスマスイブ、あえて厳しい現実をお伝えした「ひとり自殺対策街頭キャンペーン2014-15」/「横須賀こころの電話」を激励に訪れました

今夜は、クリスマス・イブ

今日は12月24日、クリスマス・イブ。

ワイデッキ下の広場の樹にもイルミネーションが飾られています

ワイデッキ下の広場の樹にもイルミネーションが飾られています


ワイデッキには、たくさんの人が集まっていました。

手をつないで歩く若いカップルやみんなで飲みにいくのか大声で楽しそうに過ごしている学生たち。

そんな聖夜も、フジノはいつもどおり『ひとり自殺予防街頭キャンペーン』を行ないました。

昨年のクリスマスイブは、サンタクロースのコスプレをした男の子たち(通りがかりの方々です)が一緒になって『街頭キャンペーン』を手伝ってくれました。

下の写真が、昨年のクリスマスイブの様子です。

2013年12月24日、たくさんのサンタに囲まれたフジノ

2013年12月24日、たくさんのサンタに囲まれたフジノ


「『強い希望』を感じた」

と、昨年のブログにフジノは書きました。

けれども今年は、真逆の気持ちで『街頭キャンペーン』を行ないました。

『内閣府自殺対策推進室』が発表した最新の自殺統計を見てフジノが感じた『激しい絶望』を、そのままお伝えしました。



2014年11月末現在の自殺による犠牲者数は、昨年より10人も増えています

これがフジノが見た現実です。

横須賀市の自殺による犠牲者数の速報値

地域における自殺の基礎資料より自殺による犠牲者数
2013年11月末現在62名
2014年11月末現在72名

昨年よりも10名も自殺による犠牲者が増えているのです。極めて危機的な状況です。

この現実をワイデッキのみなさまにお伝えしました。

2014年11月末現在の自殺による犠牲者数

2014年11月末現在の自殺による犠牲者数


今年、横須賀市は人口減少(引越しなどを理由とする『社会減』)が全国ワースト1位という結果になりました(総務省6月25日発表)。

さらに、追い込まれた末に自殺で亡くなった方々が昨年より10名も増えているのです。

「この2つの現実は、政治・行政に大きな責任がある」とフジノは受け止めています。

ワイデッキを通るみなさんは、明るい笑顔の方が多く、みんな楽しそうでした。

けれども、その笑顔の下には「このまちを出て行こう」という想いや「苦しくて自殺してしまいそうだ」という想いが同居しているのです。

クリスマス・イルミネーションの灯りだけしか目に入らないのでは、政治家失格です。

もっと全力を尽くして市民のみなさまの暮らしの中の想いに寄り添わねばならない、と強く感じています。



街頭でたくさんのご相談を受けました

「どんなにささやかなことでもお悩みごとやお困りごとがあれば、『横須賀こころの電話』をご利用ください」

とマイクでお話を続けていくうちに、フジノに声をかけてくる方が少しずつ増えてきました。

定年退職して2年という男性、70代後半の女性、仕事帰りの中高年の方・・・。

また、疲れ切った表情の女性が近づいてくると、強い口調で言いました。

「あなたが紹介している『こころの電話』にかけても話し中でつながらないの。あなた自身は相談を聴いてくれないの?」

フジノはいつも『街頭キャンペーン』の最中でもご相談を伺うことにしています。

やがて「相談を聴いてほしい」という方が数人の列になってしまい、フジノはマイクを持つのをやめました。

そして、おひとりおひとりのお話に耳を傾けました。

ワイデッキの足元はタイルでとても冷たく空気もとても寒いのに、前の方のお話を一緒になって聴きながらみなさん自分の番が来るのを静かに待っていました。

最後の方のお話を伺った時には30分以上が経っていました。



「横須賀こころの電話」を訪れて、相談員のみなさんを激励させていただきました

今夜は『横須賀こころの電話』を19時半頃に訪問して、相談員のみなさんを激励させていただく約束をしていました。

けれども上記のような事情で『街頭キャンペーン』を予定通りに終えることができずに、結局、到着したのは20時半を過ぎてしまいました。

それでも、みなさんこころよく迎えてくれました。

『横須賀こころの電話』がスタートすることが決まった11年前。

フジノは『横須賀こころの電話』設立の提案者ですから、「自分自身が『横須賀こころの電話』の電話相談員をやりたい」と言ったことがあります。

しかし、当時の担当課長から「フジノさんは政治家であって、相談員になることは絶対におかしい」と厳しく批判をされました。

また、政治家が訪問すれば必ずみなさんとても気を遣いますので、電話相談業務の差し支えになってしまうのがイヤで、『横須賀こころの電話』を直接に訪問するのも避けてきました(この10年間で5回ほどしか訪問していません)。

フジノのやるべきことは、とにかく『横須賀こころの電話』をひたすら市民のみなさまに広報することだ、宣伝マンに徹することなのだ、と今日まで考えてきました。

でも、それは間違いでした。



激励されたのは、フジノの方でした

今夜、『横須賀こころの電話』のスタッフの方々から

「いつも街頭で宣伝して下さるのはありがたいです。でも、こうしてフジノさんがここに来て下さることは、とても嬉しいです」

「政治家であるフジノさんが、私たちが実際に活動しているところを見て下さるのは、大きな励みになります」

「これからもどんどんボランティアのみなさんのがんばりを応援しに来てください」

とおっしゃっていただきました。

今日、現場に到着する直前までフジノは「僕なんかが激励に訪れてもどれだけの意味があるのだろう」「電話を受ける邪魔にならないだろうか」とずっと考えていました。

でも、やっぱり来て良かったんだ。いや、もっと早く来なければならなかったのだ、と気が付かされました。

深く深く反省しました。

実際に電話を受ける部屋で、ヘッドセットをつけさせてもらったフジノ

実際に電話を受ける部屋で、ヘッドセットをつけさせてもらったフジノ


これからは、毎月でもここに来よう。

そして、スタッフのみなさんのがんばりをこころからねぎらい、感謝の言葉をかけさせていただこう。

かつて2002年には約110人もの自殺による犠牲者が出ていたのが、ここ数年間は80人台まで減少させることができた。

それには『横須賀こころの電話』の存在がとても大きい。

フジノは自殺を無くしたくて政治家になったのだ。

政治家という立場は難しくて、まわりにいろいろな気を遣わせてしまう。

『横須賀こころの電話』に集うスタッフのみなさんは、フジノの戦友であり同志なのだ。

もっともっと一緒に力を合わせていこう。

そう思いました。激励されたのは、むしろ、フジノの方でした。

『横須賀こころの電話』スタッフのみなさん、毎日365日年中無休で本当にありがとうございます。

この10年間、3.11の東日本大震災の日を除いては1日も休むことなく必ず『横須賀こころの電話』はオープンし続けてきました。

誇らしく素晴らしいことです。

そして、今日も訪問を受けて下さってありがとうございます。

どうかこれからも市民のみなさまの為に、一緒に頑張っていきましょうね!

これからもどうぞよろしくお願いします。



人は『希望』を持ってより良い未来へ変えていかれると僕は信じている/後輩の死。日本臨床死生学会(第15回)へ

人は『希望』を持ってより良い未来へ変えていかれると僕は信じている

本来ならば朝7時くらいに家を出て『日本臨床死生学会』に向うつもりだったのですが、朝から行くのはやめることにしました。

やっぱり、葬儀に行きたかったのです。

けれどもあまりに昨日憔悴しきってしまって、もう1度、葬儀へ出席する為に埼玉まで行くだけの気力・体力を奮い起こすことはできませんでした。

だから、葬儀が行なわれている時間帯だけでも、出席できないかわりにせめて大切な後輩のことを想いながら過ごそうと決めました。

ひととおりの読経や儀式が終わった後、やがてついに『彼』の肉体が灰になってしまうとしても『彼』に対する僕の想いが消えてしまうことだけは絶対に無い。

昨日、僕は「死ぬまで生き続けよう」と改めて後輩と約束をしたんだ。
 
どれだけつらくても、生きていくのだ。

『彼』のことを思い浮かべるたびに、笑顔か汗を流しながらがんばっている姿しか浮かばなくて、本当に『彼』は素敵な人だったのだ、と思いました。

「日本臨床死生学会(第15回)」へ

大切な喪の時間を終えて、11時半くらいに横須賀を出発して本郷三丁目へ向かいました。
 
会場は、東京大学・本郷キャンパスです。

赤門の前にて

赤門の前にて


『赤門』っていつ来ても、誰かしら写真を撮っていますね。
 
フジノもつられて、撮っている人々とかわりばんこに写真を撮りました。

さて、第15回日本臨床死生学会のテーマは、

『臨床現場で生きる/活かす死生学』

です。

自殺予防対策をメインの政策に掲げていれば、生きることと死ぬこととの意味については日常的に常に向き合って考え続けているのですが、

ふだんは、働きながら学んでいく、体を通じて体験が蓄積していく、ということばかりです。

あるいは、父とのかかわりの中で死の在り方と生きていくことの在り方を体験しています。

そんな風に僕は体感的に死生学と接しているので、せめて『学究的な知識』を年1回くらいは吸収していかなければいけないと考えています。

だからこその学会への参加です。

そうして得た知識や情報を日常の仕事に反映していかれれば、より良い市民相談や政策に活かすことができると思います。

そんなフジノの想いはまさに今回の学会テーマ、『臨床現場で生きる/活かす死生学』と合致していますね。

第15回学会のテーマ

第15回学会のテーマ


下の写真は、メイン会場の安田講堂の前で、学会パンフレットを持つフジノ。

中学生時代のフジノにとって、安田講堂という言葉は特別な響きを持っていました。

学生運動の是非はともかく、理想とする社会を実現していく為に、あれだけの活動を多くの学生たちが行なったという事実が当時の僕を強く惹きつけました。

自分の机や生徒会室の壁に、日大全共闘の言葉をマジックで書いていたりしました。

正確かどうか自信が無いのですが、こういう言葉です。

生きてる 生きてる 生きている

バリケードという腹の中で 生きている

毎日 自主講座という栄養をとり

友と語る という清涼飲料剤を飲み

毎日 精力的に生きている

生きてる 生きてる 生きている

つい昨日まで 悪魔に支配され 栄養を奪われていたが

今日飲んだ解放というアンプルで 今はもう 完全に生き変わった

そして今 バリケードの腹の中で生きている

生きてる 生きてる 生きている

今や青春の中に生きている」

僕は自分のことを『左翼』だとは思いません。

左翼の中にある要素の1つである、「未来は常に良い方向へと必ず変えていかれる」ということを僕は信じています。

それはマルクスの言うような、一方向へと進化を続けていくという意味ではなくて

人には未来に対する『希望』を持つ、という力があることを僕は深く信じているのです。

その『希望』だけは、中学時代も今も、変わることはありません。

政治家になろうが、中学生の時であろうが、変わりません。

人間の未来への希望を、僕は強く信じています。

つらいことがあるたびに、大切な人が亡くなるたびにその信念はいつも試練に直面させられます。

けれども、失われてしまった多くの物事にさみしさを覚えても、それでも、僕は明日は今日よりも良い世界になっていると信じたいのです。

そこに根拠は無くて、根拠無くただその想いへと立ち返ってしまうのです。

そこに根拠が感じられるならば僕はきっと悩むことが無いままに、生きていかれるんだろうなあと思います。

でも、そんな風にはなれないので、ただひたすら悩みながらも、常に『希望』を信じながら転んでも転んでも立ち上がる、それしかないのです。

祖母の命日のお参りへ/大好きな祖父は「補聴器」を付け始めました

祖母の命日のお参りに、祖父宅へ向かいました

鎌倉を後にして、江ノ電で藤沢駅へ向かって、JRに乗り換えて、平塚の祖父宅へ。

明日(3月15日)は、祖母の命日なのでお参りに向かいました。

いつも仕事にかまけてばかりの僕は年末年始さえも、おじいちゃんの家に行けませんでした。

親戚一同の中で僕は誰よりもおじいちゃん子なのに、本当に忙しくて動けなくて、さみしい気持ちでした。

そこで、父のお見舞いとあわせて「エイヤ」と決心しました。

実は、昨年暮れからおじいちゃんには心配なことがあって、これまで右耳の聴力に問題は無かったのに、ついに聞こえが悪くなってしまったのです。

左耳は医療ミスのせいで10年前からほとんど聴こえなかったのですが、これで両方の耳の聴力が厳しくなってしまいました。

そこで補聴器をつけはじめたそうで、それを聴いてすぐに会いに行きたかったのですが、数ヶ月が過ぎてしまいました。

フジノと、大好きな祖父

フジノと、大好きな祖父


だから今日、ようやく会うことができました。



祖父に会うたびに僕は「希望」を感じる

明日が命日のおばあちゃんにお線香をあげて、予算議会の最中で忙しくて滞在わずか1時間であっという間に帰らざるをえませんでした。

でも、祖父と会うたびに本当に会えて良かったと感じます。

父と祖父と会うことだけが、僕にとって生きていくことに安心と信頼を無条件で感じることができます。

対世間では、『政治家としてのフジノ』は市民のみなさまに『希望』を語らなければいけない立場にあります。

でも、『個人としての僕』にとって唯一の『希望』は、父の存在であり、祖父の存在です。

さあ、仕事に戻らなければ。
 
また朝まで仕事だ。がんばろう。