ついに神奈川県でも「地域医療構想」づくりがスタート/「神奈川県保健医療計画推進会議」へ(その3)

前の記事から続いています)

神奈川県での地域医療構想づくりスタート

さて、前置きをとても長く書いたのですが、肝心なのはここからです。

今日は、『神奈川県保健医療計画推進会議』が開催されました。

神奈川県保健医療計画推進会議の会場にて

神奈川県保健医療計画推進会議の会場にて


神奈川県は『地域医療構想』づくりの為に新たな組織を作ることはあえてせずに、既存のこの会議の場で策定作業を進めていくこととしています。

「2015年度第2回神奈川県保健医療計画推進会議・議事次第」より

「2015年度第2回神奈川県保健医療計画推進会議・議事次第」より


いつもながら思うのですが、ここでの議論は神奈川県全体に関わることなのに傍聴者がほぼ毎回フジノのみ(あとは医師会の方と神奈川新聞の方がしばしばおられます)なのは本当に残念です。

医療・介護・福祉にまつわる議論の場に、現場で働く人々や、医療・介護・福祉を受ける側の神奈川県民のみなさまがもっともっと来てほしいとフジノは強く願っています。



どのように作っていくのか

これから1年強をかけて、『地域医療構想』を下の3つの組織で、作っていくことになります。

神奈川県の「地域医療構想の策定体制」

神奈川県の「地域医療構想の策定体制」


フジノの数年間の体験から、実質的に最も決定権があるのは2の『保健医療計画推進会議』です。

  1. 医療審議会=名目上の最終決定機関
  2. 保健医療計画推進会議=実質的な決定機関
  3. 各地区保健医療福祉推進会議=地域ごとの意見を述べる場

けれどもフジノとしては「それはおかしい」と考えています。

繰り返し訴えてきましたが、医療政策の権限を持っているのは都道府県です。しかし、あなたがふだんかかっている診療所や病院のことを最も理解しているのは、『市区町村』です。

しかも地域包括ケアを実現するには介護・福祉との連携・統合が必要ですが、介護政策と福祉政策の権限を持っているのは市区町村です。

つまり、あくまでも現場に最も近い、地域の医療・介護・福祉を熟知している3の『各地区保健医療福祉推進会議』こそが強い発言権を持つべきなのです。

例えば、フジノたちが暮らす横須賀市をはじめ三浦半島の場合は『三浦半島地区保健医療福祉推進会議』が立ち上げられます。

『地区ごとの保健福祉推進会議』の場で、どんどん生の声を伝えて現場の意見を訴えていかなければなりません。

そして、この場には医療・福祉・介護の提供者側だけでなく、実際にサービスを受ける側も参加できるようにすべきです。

傍聴だけでなく、実質的な意思決定のプロセスに参加できるようにすべきです。

また、あくまでも『県』には『現場の声に対する調整役』として活躍してほしいです。

人々のニーズや想いを理解することないままに、県がデータだけをもとに医療機能や病床の増減を決めるようなことは許されません。



これからのスケジュール

これからのスケジュールは下の表のとおりです。

県資料「地域医療構想策定スケジュール」より

県資料「地域医療構想策定スケジュール」より


来年10月には完成させねばならないので、かなりタイトです。

しかも、市民のみなさまの声を県に伝えるタウンミーティングなどは一切なく、唯一の機会は2016年7月頃のパブリックコメントしかありません。

  • 『骨子案』の作成と『素案の』作成=2016年1~2月
  • 『構想案』の作成=3~6月(その後にパブリックコメント
  • 10月には決定

繰り返しになりますが

「これはおかしい。もっと市民(=医療が必要な方をはじめとする全ての人々)の声を伝える機会を持つべきだ」

とフジノは考えています。

(この指摘は、会議の終了後に県担当者の方にもお伝えいたしました)

今日の会議では、委員メンバーがデータの共有をして終わりました。

先に記した『医療機能報告制度』の初めての報告結果にもとづいたデータ集計をメンバーで共有したのです。

神奈川県にはベットが不足しています。

ベットだけでなく、医療人材・介護人材も不足しています。

これからいかにしてベットを増やすとともに、人材を育成していくか、離職されない労働環境へ改善していくか、こうした点をしっかり議論して『地域医療構想』に盛り込むべきです。

フジノはこれからもどんどん情報発信を続けていきます。

だから、どうかあなたも知って下さい。

「今、全国ではすさまじい数のベットを減らそうという国の動きがある」

「神奈川県は逆にベット数が不足している。いかにしてベットを増やし、医療・介護人材を増やせるか」

という大切な議論がスタートしました。

あなたもどうかこの議論に参加していって下さいね。2025年、2050年、みんなが生き延びられる為に。



社会保障の在り方そのものを変えていく為に学んだ半年間でした。修了証も頂きました/「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」

「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」最終日でした

夕方から、東京・青山一丁目の国際医療福祉大学大学院に向かいました。

4月14日から半年間にわたって毎週土曜日の夜は大学院で聴講してきたのですが、ついに今夜で最終回となりました。

国際医療福祉大学大学院前にて

国際医療福祉大学大学院前にて


今のフジノには「どうしても学ぶべき必然性があった」ので振り返ると、本当に感慨深い半年間でした。



政治家フジノの「ライフワーク」が増えた理由

10年前、フジノが政治家に転職した理由は、2つのことを実現する為でした。

  1. 対策が存在しなかった『自殺対策』を新たに創りだす為

  2. 質・量ともに圧倒的に不足している『精神保健福祉』を向上させる為

この2つへの想いが2003年にフジノを選挙に立候補させました。

政治家としての日々の中で全力を尽くしている政策は他にもいくつもあるのですが、『自殺対策』と『精神保健福祉』は僕にとっては特別なのです。

政治家でなくなっても、どんな立場に変わったとしても、これからの人生を賭けてずっと取り組んでいく『ライフワーク』なのです。

その『ライフワーク』は、当選の翌年に3つに増えました。

2004年12月、父が脳梗塞によって植物状態になってしまったことがきっかけで、新たに『高齢者福祉』についてむさぼるように学ぶようになりました。

高齢者の保健医療福祉について、全ては頭の中で『知識』としては知っていたことなのに、僕は自分自身が体験して、改めてその苦しさを痛感させられました。本当に苦しいことばかりでした。

「手術をしても助からない可能性が高い」

と言われた手術を終えて、あまりにも急なことに気が動転している中で詳しいことも分からないままに、胃ろうの造設や経管栄養を行なうようにドクターに言われるがままに家族として判断をせざるをえなかったこと。

障害者手帳の申請や、生命保険の一時金の申請、介護認定の申請、市役所のあらゆる窓口を駆けずり回ったこと。

3ヶ月が経つとすぐに退院を迫られて自宅で介護をするのか、特別養護老人ホームや療養病床に受け入れてもらえないか、悩みぬいて苦しんだこと。

施設への入所を決めた後も、全く受け入れ先が見つからなかったこと。すさまじい数の待機者がいることを改めて痛感させられたこと。

疲弊しきった家族は心身がボロボロになって家族が倒れたり、入院したりが続いたこと。

そんな時、助けてくれるはずの市役所の相談窓口も、病院の相談室も、何も有効な相談相手にはなってもらえなかったこと。

長期の入院は、医療費以外にも出費がすさまじくて、僕はどんどん借金をしなければ入院費をまかなえなかったこと。

高齢者福祉には、こうした問題がずっと昔から存在していて、しかも今も状況は全く変わっていないことを体験しました。

こうして『高齢者福祉』は『ライフワーク』になりました。

政治家としてこの現実を絶対に変えなければいけないし、家族として父を取り巻く現実を変えなければいけないのです。

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です


植物状態の父との8年間の日々を通して直面した問題に1つ1つ取り組んでいくうちに、その背後に、全てに共通している根っこが見えてきました。

それは、知れば知るほど、学べば学ぶほどにハッキリと見えてきました。

このままの政治・行政が続く限りは、僕と僕の父のような問題はむしろ避けることはできない。むしろ、この先もっと爆発的に増えていかざるをえない、ということが分かりました。

その理由は、

この先わずか30年のうちに人口やその構造が急激に変化していくから

です。

もはや完全に日本社会は変わってしまうのです。

コメントする武藤正樹教授

コメントする武藤正樹教授


それにもかかわらず、確実にやってくるその変化に対応する為の準備はほとんどなされていません。

現在の福祉政策の多くは、戦後60年間続いてきた経済社会状況の古い枠組みの中で、その場しのぎのやりとりをしているに過ぎないのです。

今の日本の社会保障制度のままでは、僕と僕の父よりももっともっと悲惨な状況を味わう人々が凄まじい勢いで爆発的に増えていくことを避けることはできないのです。

『社会保障制度の在り方』そのものを変えていかなければならない。

そんな『危機感』がフジノの中でどんどん強くなってきました。

こうして、『社会保障の在り方』そのものについて取り組むことが4つ目の『ライフワーク』なのだ、と考えるようになりました。



「ライフワーク」の政策に徹底して専念していくと改めて決意しました

3期目に立候補するにあたって、選挙ではそうした『想い』を率直に語ってきました。

しかし、実際には当選直後から今年3月末までは『震災対応』と『原子力事故』に関する仕事にひたすら追われていました。

そして、あっという間に1年間が過ぎていきました。

もちろん、『震災対応』も『原子力事故』に関する仕事も大切です。

けれども僕は

「自分の能力や心身のキャパシティを考えると自分の成すべきことを絞らなければならない」

と感じました。

「いくつもいくつも抱えすぎているテーマをリセットしなければならない」

とハッキリと思いました。

次から次へと相談を受けるがままに取り組んでいくだけでは自分はすり減っていくばかりで、本来成すべきことを実現できなくなってしまう。

僕が政治家として成すべきことは4つ。

そもそもこの4つだけでも、あまりにも大きすぎるテーマなのだ。

この4つだけに専念しよう、そう決心しました。

「その決心に忠実である為に僕は学ばなければならない」

と感じました。

2030年、2050年に向けて、今までとは全く違う社会構造の中で『地域保健医療福祉』を推進する為にもっと深く学ぶことが必要だと痛感してきました。

そして、これまで読んできた文献や、傍聴を続けてきた国の審議会などで強い関心のあった先生方から直接に学ぶ機会を得る為に、この半年間の講座を受講することにしたのです。

 半年間、通い続けることができて本当に良かったです。

修了証も頂きました

修了証も頂きました


『震災対応』と『原発事故』関連の課題への対応に奔走してきた昨年1年間のフジノのことを応援してきた」

という方々からはたくさんのひんしゅくを買うことになるのかもしれません。

けれどもフジノは本来のテーマに戻って、自分が今成すべきだと信じることに専念していきたいと考えています。

今、聴講を始める前よりもあらゆることを学んで、より一層、『危機感』は強くなりました。

学んだ成果はすでに本会議や委員会での質疑にどんどん反映しているつもりです。

さらに学び続けて、フジノはフジノが成すべきことをしっかりと1つずつ実現していきます。

どうか市民のみなさまには、そんなフジノの活動を信じて見守っていていただきたいです。



横須賀市主催の「ひとり親家庭交流会」に参加しました

「ひとり親家庭交流会」に参加しました

『ワンペアレント=ファミリー』あるいは『シングルマザー/シングルファーザーのご家庭』のサポートは、政治家フジノにとってとても大切な課題の1つです。

特に、シングルファーザー(父子家庭)の方々を取り巻く課題については新聞社の取材を受けたり、テレビ局からの問い合わせをしばしば受けています(現在も2社から取材依頼を受けています)。

今日は、横須賀市が年数回、開催している『ひとり親家庭交流会』に参加してきました。

横須賀市が主催した「ひとり親家庭交流会」

横須賀市が主催した「ひとり親家庭交流会」


日頃は市民の方と1対1でお話をうかがうことが多いのですが、『交流会』という形で15人を超える方々のお話をいっぺんにうかがえたことはとても良かったです。



改めてたくさんの声に触れて様々なことを考えさせられました

どんな話題も人の数だけ想いがある訳ですからね。
 
生の声をうかがうのは、とても大切ですね。

10~12時まで2時間、お話をうかがいました。

「時間が足りないなあ」

「もっと話したいなあ」
 
と、みんなで感じた場でした。

12時からは市の栄養士さんが作ってくれたごはん(今日は冷やし中華!)を食べながら、こどもたちを交えてなごやかに交流をしました。



差別に対する激しい怒りをおぼえました

お話をうかがう中で、『差別』の問題が何度も話題になりました。

保育園など公の職員による言葉や行動にどれほど傷つけられているか、ということを改めてうかがいました。

特に、いわゆるハーフのおこさんに対する差別には激しい怒りを感じました。

肌の色が違うとか、そんなことで差別する人間は許さない。

あまりにも資質に欠ける保育士はすぐに調査をして、事実カンケーが分かったら厳しく注意をしようと決めました。

また、世間全体の認識の低さにも改めて悲しみと怒りを感じました。

それから、ワンペアレントでおこさんを育てている中で身体が弱くて病気になりがちな親御さんの場合、収入の面でも働き方の面でも子育ての面でも本当にご苦労が多いことを改めて理解しました。

僕もいつも何かしら病気を抱えていてそんなに身体は強くないので、もしこの状況でひとりきりで子育てをしていたらと想像するとその心身のご苦労は並大抵のものではないと感じました。



「児童扶養手当」のカットへの不安の声もうかがいました

さらに、これまでシングルマザーの家庭のこどもに支給されてきた『児童扶養手当』(最大で月額4万1720円)が来年度から減らされることが決定している点についての不安の声も多くありました。当然の不安の声だと思いました。

これもひとことで言うならば、国の財政悪化によるカットです。

厚生労働省は(障害者自立支援法と同じ論法ですが)手当てを払い続けるよりも自立を支援する為に、就労に向けてバックアップすることの方が大切だと主張します。

この点についてフジノは、福祉の考えの中に自立支援が重視されてきたことはEU諸国をはじめとする世界的な流れなので、考え方そのものは理解できます。



「自立支援」とは「無理やり働かせること」ではなく、一人ひとりにあった支援のこと

でも、日本の場合は『自立』=『働くこと』だけを指しているという誤った価値観・偏った解釈がなされていることが多くて、とても心配しています。

本当の自立とは、その方々ひとりひとりの置かれた経済社会状況や環境や能力や健康面などによって全く異なるはずです。
 
つまり、人それぞれに在り方は違うはずなのです。

それをただ「働け!働け!」だけでは自立とは言えません。

働くことだけが自立ではありません。

また、

「児童扶養手当に頼りはじめると働くかなくなる」

みたいな発想はすごく一面的で間違っている、とフジノは考えます。

多くの親御さんたちはかなり身体をボロボロにしながらこどもを守る為に暮らしを守る為に必死に一生懸命に働いています。

むしろ政治・行政が先にしっかりと正すべきは、不安定なパート労働や非正規雇用などの在り方だと思います。

まわりのサポートも得られないことが多い状況の中で、市場経済だけを最優先させる働かせ方を変えなければいけない。

フジノはそう考えています。

いずれの問題にしても、

  • 国がダメな制度の場合には、横須賀市としてどう対応できるか、横須賀市の在るべき姿を提案していきたい
  • 1人1人にあった暮らしの在り方をサポートする支援体制をめざす
  • 差別的な世間の対応は、徹底的に啓発して変えていく(フジノは差別禁止条例を提案していますが)。時には、差別をする企業や個人を罰していく必要がある

こんな風に考えています。

確かに『離婚』は、個人の意思でなされたことではあります(そうではない場合もたくさんあります。それをぜひ知っていて下さい)。

仮に百歩譲って「個人の意思で『離婚』したのだから」という発想がまかりとおったとしても、こどもに何の責任があるのでしょうか。

死別の場合もあります。DVによる別れの場合もあります。

ひどい配偶者に突然去られるというケースもあります。

どのようなケースにおいても、こどもに罪はありえません。

政治家としてフジノは、こどもたちを守る為に、政治・行政が『ひとり親家庭』をサポートする事は当然だと信じています。

今後もしっかりと生の声を聞かせていただいて、政治・行政の責任において行なうべきことをしっかり行なっていきたい。

この今までの決意を改めて確認しました。



大学院に合格しました/「地域社会政策の観点から自殺予防総合対策の『横須賀モデル』を提案する」が研究テーマです

大学院(福祉政策)に合格しました

忙しくてなかなかHPでみなさんに報告できなかったのですが、大学院入試を受験して、無事に合格することができました。

大学院での専攻は、もちろん社会福祉学です。

さらに詳しく言うと『福祉政策』をメインに研究します。

福祉政策という『理論』と『実践』を統合した研究ができるのは、日本ではまだわずか3つの大学院しかありません。

そんな中で、尊敬する先生方が6人もそろっている素晴らしい大学院に出会うことができました。

  • 福祉の世界に新しく介護保険制度を導入した時に政府委員として活躍されていたT教授。
  • 自殺予防対策で初めて日本で数値目標を導入することができた大きなきっかけとなった『健康日本21』を政府がつくる際にその根拠法となった健康増進法の策定に関わったT教授。
  • 精神保健福祉に関わっている人間であれば知らない人はいない『やどかりの里』でこれまで長く実践の立場で関わってこられたF教授。

この3名をはじめとする先生方のことは、もともと大学教授に就任する前からその活躍を知っていました。

こんな素晴らしい教授陣のもとで研究活動をする機会が与えてもらえて、本当にうれしいです。

来年4月からは大学院生として全力で研究を行なっていきたいと思います。



大学院への進学を決心するまで(2年前)

もともとは2年前に、日本社会事業大学の通信教育課程で全国の福祉を志す仲間と出会ったことから全ては始まりました。

残念ながら市議会の中では福祉について議論するチャンスはほとんどありません。

市の職員さんたちには熱い想いを持つ人々もたくさんいるのですが、どうしても政治家と行政という壁があってじっくりと議論する機会はなかなかありません。

福祉の現場で出会う方々とは想いは基本的に同じなのですけれども、現場は常に忙しいので貴重な時間を取ってしまうことは申し訳なくて、国や市の福祉制度そのものを財政面も含めて話し合うことはなかなかできませんでした。

だから、いつもフラストレーションを感じてきました。
 
「もっと福祉の将来を真剣に議論したい」

といつも思ってきました。

そんな時に、1年に10日間だけスクーリングで日本社会事業大学のキャンパスに全国から同期が集まって、丸1日ぶっとおしで福祉の講義を受けて、昼休みも夜も、福祉について語り合うことができました。

それは本当に大きな喜びでした。

でも、それは年にわずか10日間だけのこと。

しかも1年7ヶ月の通信教育課程なのでスクーリングは2回のみ。

すぐに卒業になってしまい、全国の仲間とは年に数回会うこととメールでやりとりするだけになってしまいました。

僕はもっと福祉を守る為に学ぶべきことがたくさんある。

僕はもっと福祉の将来を議論したい。

いつもそう考えてきました。

そんな想いから日本社会事業大学の大橋先生・寺谷先生・鈴木先生に進学について相談にのっていただきました。

でも、結局は『遠い夢』だとあきらめていました。

政治家をしながら大学院に通うなんてあまりにも忙しすぎて両立は不可能だろうなあ...と。



大学院への進学を決心するまで(1年前)

そんな昨年2月のこと、なんと同期の友達が大学院に進学したと連絡を受けました。

彼はわずか20代なかばで福祉NPOの事務局長をしているOくん。

「彼こそ国会議員になってほしい」

と願うフジノにとって存在の1人がこのOくんなんですね。
 
高い行動力と深い知識があるのです。

そのOくんが、NPOの運営だけでも忙しいのに大学院に進学して研究活動も行なうことになったのです。

Oくんのがんばりを目の当たりにして大学院はいかに大変かということも理解しました。

けれども、ものすごく充実している日々だということも分かりました。

すっごくうらやましいと思いました。

僕も大学院進学を真剣に考えていく決心をして研究したいテーマに合う大学院を探し始めました。

僕が研究したいのは、まず第1に
 
「この国の福祉制度を守る為の福祉政策を創りだすこと」

です。

こんなにひどい障害者自立支援法なんかではなく、もっとまともな、障がいのある人の暮らしが守られる制度が必要です。

かと言って、財政を無視した空想の世界ではダメです。
 
現実をのみこんだ上で、よりよい制度を生み出すのです。

こうして必然的に僕のテーマはものすごく広い社会福祉の分野の中でも『福祉政策』に決まりました。

いろいろな人の話を聞いたりインターネットでいろいろ調べてみたりしてついにその大学院にたどりつきました。

福祉政策を専攻できる数少ない大学院であるということに加えて

  • 理論と実践を統合する
  • 高い専門性を持つ人材を育てる
  • 新しい福祉社会をデザインする

というこの大学院の『目的』は僕の想いに何よりもマッチしていました。

そこで、すぐに願書・入学案内を取り寄せてみました。



挫折...(1年前の夏)

でも、届いた願書を読んで

「ああ、もうムリだ...」

と、がっくりきてしまいました。

社会人だからといって、何も優遇は無し。

今では多くの大学・大学院は人を集めるために『社会人枠』をつくって試験を小論文だけにするなどカンタンに入学できるのですね。

でも、手加減は全く無し。ゼロ。
 
大学を卒業してそのまま進学する学生たちと同じラインでゼロからの受験です。

さらに、僕は大学時代は心理学専攻なのでいわゆる『他学部出身者』になります。

提出する願書には卒業論文を一緒に出さなければならないのですが、僕には社会福祉の論文がありません。

だから、卒業論文に相当する大量のレポートをかわりに提出しなければなりません。

もう完全にムリだと思いました。

だって、卒業論文って大学時代に僕は1年がかりで書いたよ。

僕の場合、社会福祉学は全て独学だから(日本社会事業大学だって通信教育課程だからほぼ独学です)それをゼロから学んで、さらに卒業論文と同じレベルのレポートを書くなんて完全に不可能だと思いました。

もちろん、書く努力はしました。

けれども政治家としてあまりにも忙しい日々の中で完全に挫折しました。

こうして昨年は、願書を出すことさえ叶いませんでした。
 
とても悲しかったです。

でも、いつの日かしっかりと研究したい、進学したい、という気持ちは決して消えることはありませんでした。



大学院への進学を決心するまで(7月27日)

でも、今年7月27日、神奈川新聞の社説を読んでついに決心が固まりました。

その社説とは

「自殺予防は『横須賀方式』うちだして」

というものです。

2006年7月27日神奈川新聞・社説

2006年7月27日神奈川新聞・社説


全国からお手本にされる横須賀モデルの自殺予防対策をしっかりと打ち出せ、がんばれ、横須賀!

という強いエールと問題提起を神奈川新聞から受けました。

横須賀の自殺予防対策を引っ張ってきたのは僕だ

という想いがフジノには強くあります。

ならば、神奈川新聞の社説で投げかけられた問題提起にフジノなりの回答を出さなければいけない、と決心しました。

僕の中でモヤモヤとしていた気持ちがはっきりとクリアになりました。

福祉政策を研究するというテーマはいったん置いてもっともっと自分にとって切実なテーマを修士論文にしよう!

そして、僕が大学院で書く修士論文のタイトルが決まりました。

「地域社会政策の観点から自殺予防総合対策の『横須賀モデル』を提案する」

です。

願書は今年も取り寄せてありました。
 
こうして、本格的に大学院受験を決心しました。

受験は、1次試験が9月11日。

合格したら2次試験が9月13日。

何よりもまず、あの大量のレポートと願書のしめきりが8月23日でした。

しめきりまでわずか1ヶ月。
 
挑戦が始まりました。



なんとか受験できるようになるまでの準備(8月)

7月30日に『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の総会が終えて、過労から数日間ぶっ倒れて、8月に入ってからやっと論文を書き始めました。

過去のスケジュール欄を見てみるとわずか13日間しか論文を書く時間が取れなかったのですね。

その間にはストーカー騒動もあったし、連日のようにメール&電話相談も受け続けてきましたし、政治家としての仕事もしっかり続けてきました。

あまりに忙しくて精神的にも肉体的にもかなり追い詰められていました。

途中でとにかく横須賀を離れようと思って、2泊3日で都内のビジネスホテルにこもって、朝から真夜中までずっと勉強しては論文を書いたりしました。

これが本当にきつかったです。

部屋のカーテンをしめて朝なのか夜なのかも全く分からない状態にして、1日18時間くらい勉強と論文を書いていました。

政治家になってから毎年夏は勉強の時期なのですが、今年はすさまじい量の文献を読み込みました。

社会福祉・社会保障・福祉政策のぶ厚い本を20冊は軽く読みました。

5冊くらい同時に読みながら、1日1~2冊ペースで読んでいきました。

そして、徹夜につぐ徹夜をくりかえして8月23日のしめきり(消印有効)の夕方、横須賀中央郵便局の時間外もあいている窓口に願書を届けました。

ふつうは1年がかりで書く卒業論文を気合と根性と燃える想いだけで13日間で書きました。

書きあがった時にはもう何もかもが真っ白ででもすごく充実していました。

正直なところ、今年9月の試験で不合格でも次にある来年2月の試験を受ければいい、不合格ならば来年9月、不合格ならば再来年2月、と合格するまで何十回でも受け続けるつもりでした。



働きながら、受験をすることの大変さ

こうして、9月11日が1次試験でした。

前日は『世界自殺予防デー』で、横須賀は独自の取り組みを初めて行ないましたからその反響がいろいろありました。

試験前日だからといって特別に勉強の時間が取れるわけでもなくて、相談の電話を受け続けていました。

「今夜、絶対に死ぬ」みたいな相談電話をもらってしまい、先輩の精神保健福祉士さんにヘルプを求める電話をしたり、何だかいつも以上に忙しい夜でした。

こうして、1次試験の朝を迎えました。

1次試験が終わった夜には、以前からどうしてもふだん会えない友達と約束をしていて休みたくてたまらなかったけれども横浜まで会いにいき、夜中まで過ごしました。

きつかった...。

1次試験の合格発表は翌12日の夕方でした。

でも、ぎっくり腰の件があって痛くて寝床にいました。

発表から1時間くらい経って見たのですが、腰の痛さのせいで『1次試験合格』の発表を見てもなんだか実感がわきませんでした。

すぐに受験会場のそばのホテルを探して明日朝一番で行なわれる2次試験(面接)のために大急ぎで準備をしました。

ホテルに到着できたのは23時すぎ。

そしてこの夜もまた忙しくて結局ほとんど寝ないで2次試験の朝を迎えました。

9月13日朝、2次試験の面接でした。

2日後の15日の11時が合格発表、フジノは本会議でした。

本会議にあまりに熱中していて午前中の議論が終わった後もその場に残って、教育長職務代理者・生涯学習部長・代表監査委員の方々と意見交換をしました。

こうして、控え室に戻った後、コンビニで買ったおにぎりを食べながら携帯電話のインターネットで合格発表を見ました。

合格していました。

これもまた僕の性格なのですがお世話になった人にすぐに伝える方が先だということで、そこから20分くらいはいろいろな方々に合格の連絡をしまくりました。

すぐに13時が近づいてきたのでまた本会議の大切な議論の中へと戻りました。



合格した今、思うこと

翌日からまたずうっと忙しかったので、実は、全く合格の実感とか喜びはありません。

働きながら受験するというのはこんなにも苦しい作業なのか、というのが実感でした。

でも、こんなにも苦しい作業をのりこえた自分自身を再発見することができたのは大きな収穫でした。

ぎっくり腰で座っているだけでもつらいのに1次試験で朝からずっと論述試験を耐え切ったのは自分でも驚きでした(終わった後は何回も吐いてしまいました)。

それくらいがんばれたのはやっぱり福祉政策への想いが強かったからだと思います。

もっともっとこの国の福祉を良くしたい、その為に自分が何とか力になりたいんだ、という想いは僕を突き動かしていきました。

途中、何度も挫折しそうになりましたが苦しみをのりこえていく自分に出会うたびに

「ああ、おれはまだ何とかがんばれるんだ」

と感動しました。

本当ならば、この進学の報告を誰よりも僕の父に喜んでほしかったです。

意識不明のまま病床に臥している父には残念ながら共に喜んでもらうことはできません。

「福祉を食い物にするような生き方だけはするな!」

というのが、父の口グセでした。

福祉をメインに活動する政治家というのは、ある意味で父にとっては『福祉を食い物にする』ようにも見えていたのだと思います。

僕が生涯を福祉に捧げる決心の現れであるこの大学院進学を伝えて、あなたの息子は福祉を良くしたいのであって決して福祉を食い物にしているのでは無いんですよ、と改めて安心してほしかった。

いずれにしても、父に今の僕の活躍を少しでもいいから知ってもらいたかったです...。

ともかく2年越しの夢が実現できました。

次は、来年4月から実際に大学院に通ってしっかりと研究を行なって、成果を出すことが僕の夢です。

大学院は、通う必要はあまりありません。

そのかわり、自分でふだんから徹底的に研究をしたり準備の時間がものすごくかかります。

学校で行なうことはそうした研究成果を研究室の先生や先輩方と議論しあうことです。

もう授業があって先生が教えてくれる、なんてことはほとんどありません。

きっと厳しい日々が待っているんだろうな、と思います。

それでも自分はこのまちの福祉を守る為にしっかりと研究を行ないたいと思います。

これからも全力でがんばり続けますのでどうか見守っていてください。

最後になりましたが、あらかじめ受験することをお知らせしていた親しいみなさま、励ましの言葉をいただいたこと、合格への祝福の言葉をいただいたこと、改めてこころから感謝しています。ありがとうございました。

僕はこれからも全力でがんばります。