横須賀市議会選挙に立候補しました!/横須賀市議会選挙2019・1日目

横須賀市議会議員選挙に立候補しました

本日、正式に選挙管理委員会に立候補届け出を行ないました。

50人が立候補しました

50人が立候補しました


50人が立候補をしましたが、フジノの届け出番号(同時のポスター掲示板番号)は14番です。

フジノの立候補届け出番号(ポスター掲示板番号)は14番です

フジノの立候補届け出番号(ポスター掲示板番号)は14番です


そもそも立候補できるかどうか分からない状況だったフジノです。

フジノは元気いっぱいです

フジノは元気いっぱいです


だから今こうして、市民のみなさまにお会いして元気な姿を見ていただけることが嬉しくてたまりません。



立候補届け出を終えて「第一声」をインターネット中継でお届けしました

本音を言えば、一刻も早く仕事に戻りたい。

「選挙なんてやっているヒマはないのに」とさえ感じます。

けれども、選挙こそ民主主義の根っこであり、有権者の付託なしに政治家は存在しません。

この1週間はせっかく頂いた時間だと受け止めることにしました。

そして、ふだんの日々以上に市民のみなさまの声をたくさんお聴かせいただきたいと思います。

『選挙』というと候補者がひたすら政策を訴えるだけというイメージがあります。

フジノはそれを逆転させて、「ぜひあなたの想いをたくさん聴かせて下さい」とお伝えして、徹底的に生の声を聴かせていただく選挙にします。



1週間、市内を歩き回っていますので、ぜひあなたの声をお聴かせ下さい

今回もフジノは『選挙カー』を使いません(過去16年間1度も使ったことがありません)。

選挙カーは使いません。徒歩・電車・バスで移動します

選挙カーは使いません。徒歩・電車・バスで移動します


過去4回の選挙と同じく、ひたすら歩いて移動しては演説して、歩いて移動しては演説して、横須賀市内を歩き回っています。

平成町での演説

平成町での演説


メガフォンを持っていると話しかけづらいと思いますので、演説は短めにして、みなさまの声をたくさん聴かせていただこうと思います。

県立大学駅前での演説

県立大学駅前での演説


もしもどこかで見かけたら、ぜひお声がけ下さい。

夜の街頭演説@モアーズシティ前

夜の街頭演説@モアーズシティ前


あと6日間、お騒がせして誠に申し訳ございませんが、あなたにお会いできることを楽しみにしております。

おかげさまで1日で全ての掲示板にポスターを貼り終えることができました!

おかげさまで1日で全ての掲示板にポスターを貼り終えることができました!





先輩がフジノのプロモーションビデオを作ってくれました!

夕方17時くらいにフジノが街頭で演説をしていたら、映像制作の仕事をしておられる先輩がカメラを持って撮影をして下さいました。

その数時間後に、なんとこんな素敵な編集をした動画をプレゼントして下さいました。

フジノが特別養護老人ホームの待機者数と待機期間を減らす取り組みをしてきた演説をコンパクトにまとめて下さいました。

すごくかっこよくできていますので、ぜひご覧くださいね!



神奈川県議会議員選挙スタート/井坂しんや候補を応援しています!

神奈川県議会議員の選挙が今日からスタート!

新しい神奈川川県議会議員を選ぶ選挙がスタートしました。

今日から10日間、県議会議員候補のみなさんが市内を政策を訴えて回ることになります。

満開の桜の下の選挙ポスター掲示板

満開の桜の下の選挙ポスター掲示板


市内のポスター掲示板(650ヶ所近くあります。多いのです!)にも、少しずつポスターが貼られています。

どうか市民のみなさま、全ての立候補者の政策に耳を傾けて、選挙公報などもぜひご覧くださいね。

そして、あなたが支払っている県民税で雇うことになる神奈川県議会議員として、誰が本当にあなたの為に働く政治家7日を見極めて下さいね。



フジノは、社会保障・社会福祉を守る同志「井坂しんや候補」を応援しています

フジノは、井坂しんや候補を応援しています。

立候補の手続きを終えて、横須賀中央での第一声に駆けつけた井坂しんや候補

立候補の手続きを終えて、横須賀中央での第一声に駆けつけた井坂しんや候補


政治家としてフジノは『社会保障』『社会福祉』を最も大切にしてきました。

その最も大切にしてきた政策で、どれだけ勉強を重ねてもフジノが「絶対にかなわない」と感じるのが市議として1期先輩の井坂しんやさんです。

井坂さんは国の法律にも県の条例にも精通していて(すさまじい努力をされているのだと思います)、そんな井坂さんに負けないように、フジノはその背中に追いつこうと努力を重ねてきました。

たくさんの市民のみなさまに囲まれて笑顔の井坂しんや候補

たくさんの市民のみなさまに囲まれて笑顔の井坂しんや候補


しかも『安全保障政策』でも井坂しんやさんとフジノはほとんど同じ考えでいます。

つまり、『社会保障』『安全保障』ともに同じ想いを持つ2人なのです。

だから、井坂しんやさんが県議会議員に当選してくれたならば、『神奈川県議会にフジノと同じ想いを持つ政治家が生まれるということ』なのです。

たすきをつけた井坂しんや候補の後ろ姿

たすきをつけた井坂しんや候補の後ろ姿


これは『井坂しんやさんの選挙』です。

しかし同時に『フジノの政策が市民のみなさまに届くのかどうかという選挙』なのです。

だからこそ、フジノは全身全霊をかけてこの10日間、井坂しんや候補の政策を市民のみなさまに訴えていきます!



横須賀市長選挙の立候補予定者・吉田雄人さんにお会いしました(その1)

6月の市長選挙に立候補を予定している3人に順番にお会いして頂き、お話を伺ってきました。

4月4日、岸牧子さん4月7日、広川さとみさん

今日は、ついに最後の1人である吉田雄人さん(現・横須賀市長)にお会いしました。

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」


そこで感じたことを記します。

現職の市長と市議会議員である前に、長年の戦友であり、大切な後輩

今日は、3年半以上ぶりに、僕は『政治家フジノ』という公人の肩書きを外して、『藤野英明』という私人として、吉田雄人さんと向き合いました。

このブログを読んで下さっている方々は、この11年の間に大きく変化しました。

かつては、僕の同級生や長年つきあいのある方々を中心に、いち私人としての僕を立候補前から知っている方々がメインでした。

それが今では、このブログを読んでいる方々の半数以上が、政治家になった後のフジノしか知りません。

フジノを知ったきっかけというのも、「自殺対策」「性的な多様性を保障する政策」「脱原発」「給食食材の放射性物質対策」などを通して知った、という方々が大半を占めるようになりました。

特に「3.11後に初めてフジノの存在を知った」という方々がとても増えました。

そうしたみなさまは「吉田市長」と「政治家フジノ」が、政治家になる以前から20年という長年の関わりがあることも全くご存じないと思います。

そこで、改めて(僕の側から見た)これまでについて少し記したいと思います。


そもそも、フジノ(39才)と吉田市長(37才)は、神奈川県立横須賀高校の先輩・後輩にあたります。

僕が高校45期生、吉田市長が高校46期生。

当時、僕は17才。雄人は16才。

1学年しか違わず、現役の高校生時代からお互いに知っていました。

だから今でも僕は、つい当時からの親しみをこめて「雄人」と呼びすてにしてしまいます。

当時から、接点はいろいろありました。

例えば、高校の文化祭の実行委員会。僕が2年生代表、雄人が1年生代表を勤めました。

また、体育祭では、各学年から1クラスずつで3学年で1つのカラーを作るのですが、僕と雄人のクラスとは同じカラー(緑軍)でした。

20年以上前からお互いに知りあいであるだけでなく、共通の知人も多いです。

大学も、同じく早稲田大学でした。

僕は93年入学、教育学部。雄人は94年入学、政治経済学部です。

ふだん接点は無いものの、同じ早稲田キャンパス(当時は「本キャン」と呼んでました)ですから、見かけることもありました。

また、渋谷駅で偶然に再会したりすると、お互いの近況について話したりしました。

大学時代、僕はアメリカへ。彼はイギリスへ。それぞれに短期留学をしています。

卒業後は、それぞれ民間企業に勤めていました。

僕は映画会社、彼はコンサルティングファームです。

同じ時代の空気をともに吸って生きてきました。

雄人と僕は、高校・大学が同じ、年齢も1才しか違わない。街頭演説を中心とする活動や、若さや同期での当選。

こうしたキャリアパスに共通点が多いことから、現在に至るまで、市民のみなさまから「吉田・フジノ」と並べて言及されることが多いです。

でも、実際の2人は、かなり対象的な在り方でした。

11年前(2002年)の夏、彼が初めて横須賀市議会議員選挙に立候補する為に、逗子から引っ越してきました。

今では信じられないと思うのですが、雄人は僕に「選挙の応援をしてほしい」と頼んできました。

僕は、雄人に対して

「お前の幸せは、本当に政治家になることなのか?それで良いのか?」

と、強く引き止めました。とても良く憶えています。

雄人は高校時代から「総理大臣になりたい」と言っていたのですが、僕は「政治家なんかになることは間違っている」と感じていました。

だから、僕は、彼が政治家なんかを目指すよりも、ひとりの個人として、ハッピーな人生を送ってほしいと素直に願ったものでした。

それにも関わらず…。

とても数奇な運命から、そのわずか数カ月後(2003年1月31日)に僕自身が政治家に転職をする決意をしました。

この僕の決心も、実は、雄人が僕にかけてくれた言葉が強く背中を押してくれたのでした。

公職選挙法などを全く知らない無勝手流の僕に対して、時にアドバイスをくれたのも雄人でした。

こうして2003年4月の統一地方選挙で、2人とも市議会議員に当選しました。

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

それから6年の間に、雄人は、政界の階段を2段抜かし3段抜かしでどんどん登っていきました。

彼は、後援会組織をしっかりと固めて、学生インターンを募集してシンパを増やし、街頭演説を1000日も続けるなど地歩を固めていきました。

市内のあらゆる交差点などの人目につく場所には、彼の看板が付けられています。

選挙になれば、日に焼けた姿で自転車に乗りまくる。

そして自転車と同時に、選挙カーもしっかりと活用していました。

イメージ戦略・空中戦と同時に、地べたをはうようなドブ板選挙・地上戦も雄人は得意でした。

真夜中の終電まで駅に立ってお辞儀を繰り返す、精力的な選挙でした。

政治家に当選後は、4年間の任期で4つの常任委員会を全て回りました。

会派(ニューウイングよこすか)にも所属したり、離脱したり

また、他のまちの若手政治家と積極的に交流をして、他のまちで選挙があればすぐに飛んでいってお互いの選挙を支援しあったりというのが雄人のスタイルでした。

かたや僕は、政治家でありながら政治家であることにいつも違和感があり、自分が政治家であることを嫌い続けました。

後援会は作りませんでした。

まちなかにも、1つも看板を出していません。

街頭演説に立つことはあっても、政治家になる前からパニック障がいとウツ病もちの為、人前で話すことは今に至るまで嫌いなまま。

選挙では「選挙カーは絶対に嫌だ」と、僕は1度も使ったことはありません。

しかも、「雄人が自転車に乗るのはパフォーマンスだから絶対に間違っている」と公言してきました。

だって、『自転車に乗ってまちを走り回ること』は政治家の仕事ですか?

ひたすら政策を訴えて市民のみなさまに信を問うのが政治家の本分でしょう?

彼の選挙のやり方が嫌いでしたので、僕はひたすら自分の足(徒歩)で市内を歩いてはひたすらに政策を訴えて回りました。

体力抜群の雄人とは違い、精神疾患もちで体力の無い僕は、すぐに過労で倒れてばかりでした。

心理学を専攻していた学部生時代から大学院進学をすすめられていたように、僕はもとから研究者気質の性格でした。

政治家に当選した後も、政局は大キライで、ひたすら保健・医療・福祉の政策の為だけに働くことを望みました。

資料を読み漁る方が性格にあっていました。

派閥に属することも嫌い、無所属でひとりきりで仕事だけに専念することを好んできました。

8年前、『政治家としての父』と慕っていた木村正孝さんが市長選挙に立候補しました。

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

雄人はこの時すでに市長選挙立候補の決意をしていましたが、みんなで「まだ早い」と必死に止めました。

「将来、必ず良き政治家に成長するであろう『プリンス』である雄人を、みすみす落選させるなんてできない」

というのが、木村さんや僕の想いでした。

木村さんが立候補してくれたのは、あくまでも僕の中では「雄人を守る為に代わりに立候補してくれたのだ」と受け止めています。

2005年市長選挙、木村さんは落選しました。

政治家としてたくさんの市民の方々から厚い信頼を受けていた木村さんの、政治家人生を絶つことになってしまいました。

この時、フジノは「どんなことをしてでもオヤジ(=木村さん)の仇を取る」と誓いました。

そして4年前(2009年)、横須賀市長選挙が行なわれました。

今回は、もはや雄人が立候補するしかありませんでした。

フジノは全てを賭けて、吉田雄人候補を応援する決心をしました。

記者クラブでの声明発表では

「吉田候補が市長選挙に落選したら、僕も市議会議員を辞職します」

と宣言しました。

雄人が市長になる為に、僕は全てを捨てる決意をしました。

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

「新しい横須賀」を実現する為であると同時に、政治家としてのオヤジの仇を取る為であり、大切な後輩(=雄人)をどんなことをしてでも守る為でした。

こうして、2009年の市長選挙に突入しました。

当時は「現職が絶対に有利」「絶対に当選不可能」と言われていた吉田候補は、奇跡の逆転当選を果たしました。

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

市長選挙終了後。

僕は、公人に戻りました。

フジノは「市長が誰であろうと僕は是々非々で厳しく臨む」と市民のみなさまにあらかじめ約束してきました。

その言葉どおり、歴代市長に向きあってきたのと同じように、吉田市長には、フジノこそが誰よりも厳しい追及をしてきました。

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました


プライベートでは雄人の結婚式にまで呼ばれている間柄ですが、市政という41万人のいのちを預かる場において、とにかく僕は私情をはさんではいけないと自分を強く戒めました。

先輩・後輩の『情』の部分で流されてしまわない為に、彼が市長に就任してからは公の場以外では一切接点を持たないようにしてきました。

つまり、年4回の市議会だけが2人の接点です。

その場での真剣勝負の質疑のやりとりだけが、フジノが吉田市長と交わる唯一の接点です。

来賓などで招かれたり、自殺対策街頭キャンペーンなどで一緒に活動する時であっても、第三者が立ち会って居る場だけでしか一切の会話をしないようにしてきました。

市議会議員として、市民のみなさまに開かれた場で無ければ、市長とは個人的な会話は徹底的に慎んできました。

つまり、今日に至るまで3年半以上、私的な会話をしたことはありません。

これが僕の側から見た「政治家として10年間、個人としては20年以上にわたる藤野英明と吉田雄人との関わり」です。

吉田雄人はフジノにとって、市長と市議会議員である前に、同じ時代を同じ空気を吸って生きてきた大切な同世代のひとりなのです。

そして、僕にとってはどんなことがあっても、20年来の大切な後輩なのです。

誰がなんと言おうとも、僕たち2人にしか分かりあえない固いつながりが存在しています。

適当な言葉が見つからないのですが、『信頼感』や『絆』のようなものでしょうか。けれども、もっと強いつながりです。

だから、フジノが市議会議員としてどれだけ激しく厳しく吉田市長を追及したとしても、それによって2人の20年以上のつながりが消えることは無かったと僕は信じています。

こうしたことを知らない方々は

「フジノさんは吉田市長のこと大キライなんですよね?」

と真面目な顔で尋ねてきたりします。

僕は、笑い飛ばしています。

僕は、2003年に政治家に転職することを決意した時、こころの深い底の部分で信じている希望ある未来を実現することを誓いました。

それ以来、「好き」「嫌い」といった感情のレベルで『まちの未来』『政治』『市長』などを考えたことは全くありません。

政治家として雄人と僕がお互いに目指した夢、『新しい横須賀』の実現を市長としての雄人の取り組みがダメな時、大切な後輩に檄を飛ばすのが先輩の義務ですし、このまちの為に働く公人として全力で批判をしてきました。

それができるのは、20年間のつながり、同じ時代を生きてきた戦友、と雄人のことを感じているからです。

市長選挙が近づいてきて、いろいろな人が僕に近づいてきては(僕からすると信じられないような)『不仲説』みたいなものをニヤニヤしながら話しかけてきます。

そういった全てのことを、僕は否定します。

長い長い前置きになりましたが、まずこのことを市民のみなさまに改めてお伝えすべきだとフジノは感じました。

(その2へ続く)

市長選挙で「市民に問うべき争点」はそれじゃない!

あと2ヶ月で市長選挙。神奈川新聞に特集記事が出てました

足をケガしてしまい、数日ぶりに事務所に向かいました。

溜まってしまった新聞を、少しずつ読んでみました。

すると、神奈川新聞に『横須賀市長選挙』の記事が載っていました。

2013年4月12日付・神奈川新聞より

2013年4月12日付・神奈川新聞より

横須賀市長選/課題山積、争点どこに
出馬意向3氏が活動本格化

任期満了に伴い6月23日に告示、30日に投開票される横須賀市長選に出馬を表明している3氏が、活動を本格化させている。

現職1期目の吉田雄人氏(37)、昨年12月まで副市長を務めた広川聡美氏(61)、市民グループ元代表の岸牧子氏(56)がこれまで順番に立候補の意向を表明。

少子高齢化に対応した財政運営や経済対策、医療福祉の充実など課題は山積している。

選挙戦までに政策面の争点をどれだけ明確化できるかが焦点だ。

(引用はここまで。この後に、3氏それぞれの事務所開きや集会でのコメントなどが掲載されていますが、以下省略します)

6月下旬に市長選挙は実施ですから、あと2ヶ月。

もはや目の前です。

それなのに、残念ながら全国紙では全く取り上げてくれません。

そんな中、神奈川新聞はちゃんと報じてくれている。やっぱり地元紙の存在はありがたいなぁと思いました。

今回の市長選挙は、前回以上に重要です

『財政』が厳しい横須賀。

6月から国民健康保険の保険料が値上げされ、12月には下水道使用料が値上げされます。

今後もあらゆる分野での『値上げ』が避けられません。

他市よりも『高齢化率』も高く、『人口減少』のスピードも早い横須賀。

この先の数年間のかじ取りを誤れば、2025年を待つまでもなく、このまちは一気に衰退していくでしょう。

ですから、市民のみなさまにとって今回の市長選挙はとても重要です。

4年前より、もっと重要な選挙です。

信じられないコメントに衝撃を受けました

神奈川新聞の記事は「立候補を予定している3者がそれぞれに活動を本格化させている」という見出し。

『政策論争』が進むことは、とても良いことだと感じました。

しかし、記事を読み進んでいくうちに、フジノは衝撃を受けました。

市長を支援している市議のコメントが取り上げられていたのです。

2887億円の規模を持つ横須賀市予算のうち「わずか3500万円の減額修正」が市長選挙の争点?

2887億円の規模を持つ横須賀市予算のうち「わずか3500万円の減額修正」が市長選挙の争点?

3月27日に閉会した予算議会において、吉田市長が提案した当初予算案を、市議会は減額修正しました。

この「予算が減額修正された経緯を市長選挙で市民に信を問うべきだ」というのです。

ショックで思わず、絶句しました。

フジノは、同じ政治家としてこのコメントを「恥ずかしい」と感じました。

それは、2つの理由からです。

  1. もしも、本気でそう信じているならば…
    →政治家としていかに無能であるかを自ら世間にアピールしているコメントだから。
  2. もしも、あえてそう発言したのならば…
    →『市議会と市長の対立』を必要以上に市民にアピールすることで『劇場型選挙』を狙っているものであり、『政策』を競う場である市長選挙を単なる『政局』に貶めているから。

コメントの真意が2だとすれば、『このまちの未来を決める大切な選挙』を『くだらない政局』に歪小化するもので、『政治屋』のやることです。

このまちの将来を本気で考えていない発言だと情けなく感じました。

もしも4年前のようにフジノが雄人のそばに居たら、少なくともこんなコメントは絶対に周りに出させなかったのに。

市の財政規模の0.012%を市長選挙の争点にするのは完全な誤り

コメントの真意が1で、3500万円の減額修正を本気で争点とすべきだと考えているとすれば、それも完全な間違いです。

横須賀市の予算規模は、2887億円です。

このうち、減額修正されたのは3500万円に過ぎません。

横須賀市全体の予算のわずか0.012%です。

一方、市長選挙というのは、これからの4年間の横須賀市の進路を決める政策選択の場です。

横須賀には、もっと問うべき大切な争点がいくついくつも存在しています。

例えば、横須賀の未来を想って立候補を決意した岸牧子さんを、フジノは讃えずにいられません。

3.11後、初めての市長選挙なのに原子力空母が争点にならないのはおかしい、と自らが立つ決意をしたのです。

こういう姿勢こそが横須賀のリーダーを決める選挙に臨む者の『本当の覚悟』です。

では、フジノが争点にすべきだと考えるの何か?

国民皆保険の最後のとりでである『国民健康保険』についてです。

横須賀市の国民健康保険の赤字は毎年約50億円にのぼる見込みです。安心して医療を受けられるセーフティネットが今、崩れようとしています。

市長選挙で市民に問うべきなのは「これから毎年続く赤字50億円をどうやって対応すべきなのか」という財源の選択肢についてであるべきだ、とフジノは考えます。

  1. 選択肢の1つ目は、保険料の値上げによって『国民健康保険に加入している世帯』に負担してもらう。
  2. 選択肢の2つ目は、市の一般会計から税金を投入することで『市民のみなさま』に広く負担してもらう。
  3. 選択肢の3つ目は、行政改革やハコモノ廃止によって財源を作り出す。
  4. 選択肢の4つ目は、この1から3を全てミックスして対応する。

ただでさえ財政危機の横須賀で、どうやって毎年50億円もの財源を生み出すのか。

こうした重要な争点から目を逸らさせて、3500万円の減額修正を煽り立てるのは、ニセモノの政治家のやることです。

国民健康保険の他にも、いくつもいくつもの争点にすべきテーマが横須賀市には山積みです。

まさに神奈川新聞の記事の見出しが

課題山積み、争点どこに

だった通りです。

この記事を書いた神奈川新聞の記者の方は、このコメントをした議員よりも『横須賀の現実』をしっかりと直視しています。

政局はいらない。政策を語れ!

今回の市長選挙には、くだらない『政局』レベルの策略はやめてほしいです。

市民のみなさまも、現実がどれほど厳しいものか、肌ですでに感じておられます。ワイドショーレベルの話題に飛びつくはずもありません。

あと2ヶ月。

市長選挙の立候補予定者もまわりで応援している市議たちも、もっと誠実に、もっと切実な目の前の問題を直視して、議論すべきです。

フジノは近日中に吉田市長にお会いして、政策についてお話を伺います。

すでに岸牧子さんと広川さとみさんにはお会いして頂いています。

その後で、フジノの想いを託せる政策を訴えている方はどなたなのか、フジノ自身も決めます。

その決心がついた時は、すぐに市民のみなさまにもお伝えします。

横須賀市長選挙の立候補予定者・広川さとみさんにお会いしました(その1)

フジノは、市長選挙では全ての候補者から政策をうかがい、意見交換をします

政治家は『政策』で選ぶものです。

だから、過去2回の横須賀市長選挙(2005年2009年)では、フジノは全ての候補者の方々にお会いしていただきました。

じかにお会いして、その政策をうかがい、意見交換をさせていただくのです。

これは、フジノが絶対に譲れないポリシー(信念)です。

その上で

「自らの想いを託したい」

と感じた方に対して、フジノは『勝手連』として応援してきました。

ですから、今年6月に行なわれる市長選挙でも、フジノは立候補予定者のみなさんにお会いしていただくつもりです。

こうして、先日は岸まきこさんにお会いしていただきました。

そして今日は、前副市長の広川さとみさんにお会いしていただきました。

広川さとみさんと意見交換を終えて

広川さとみさんと意見交換を終えて


ただ、3人の立候補予定者の中で、実は、広川さんに対してフジノはやや特別な想いがあります。

あらかじめ、それをご説明しなければ、不公平というか誤解をみなさまに与える気がしています。

まず、そのことをお話します。



広川さとみさんに「立候補してほしい」とフジノは期待していました

実は、フジノは「広川さんに立候補してほしい」と強く願っていました。

2012年12月14日〜2013年2月までの間、とても強く「立候補してほしい」と願っていました。

その理由を説明します。



対立候補がいない選挙は「民主主義が機能していない状態」だ

広川さんは、2012年12月に副市長を辞職しました。

そして、2013年2月に立候補を表明しました。

それから2ヶ月が経った今でこそ、吉田市長の対立候補として、少しずつ市民の方々に知られるようになってきました。

けれども昨年12月の段階では、誰も対立候補は名乗りをあげていませんでした。

(岸まきこさんが立候補表明をされたのは2013年3月25日のことです)

もともと市長選挙というのは、統計上、圧倒的に『現職』が有利とされています。

それこそ全国の選挙において『現職』の勝率は9割と言われています。

市長は仕事であらゆる団体に顔を出しては挨拶してまわります。

『市長としての公務』がイコール『選挙活動』のようなものです。つまり、何もしなくても吉田市長が圧倒的に有利なのです。

だから、

「吉田市長が無投票での再選か?」

「もしも共産党が対立候補を擁立しても吉田市長の圧勝か?」

という、『吉田市長の不戦勝もしくは圧勝』という空気が漂っていました。

フジノはそんな空気がとてもイヤでした。

とても重苦しい閉塞感を感じていました。

「対立候補がいない」ということは、「民主主義が機能していない」ということです。

このまちにとって、とても不健全な状態です。



ほぼ成果ゼロなのに、改革のイメージ戦略がうまく高い人気の市長

しかも、これまでフジノのブログを読んで頂いた方々であれば、吉田市長の『改革』はほとんど実現していない事実はご存知のはずです。

ハコモノ改革は、形だけ。大手広告代理店にうまく利用されて、法的な問題があっても進めてしまう。

自治基本条例が実現できないのは市議会の反対のせいにしていますが、実際には否決されてもそれを再度提案できる権能である『再議』も行なっていません。

マニフェストの中でも小さなことばかりを「達成した」「実現した」と言い、実現する努力をしなかったものは全て「市議会が反対したからできなかった」というのです。

こんな今の横須賀市政に、フジノは心底うんざりしています。

けれども、イメージ戦略が圧倒的に上手な吉田市長は、今も市民のみなさまにとても高い人気があります。

「若くて何かを変えてくれそう」という漠然としたイメージだけが、4年間が経った今も多くの市民の方々には浸透しています。

『改革派のイメージ』と『成果がほとんど無い現実』との間に圧倒的な断絶があることに、フジノは強い閉塞感を持っていました。

だって、市民のみなさまにお聴きしたいのです。

あなたの暮らしはこの4年間で良い方向に変わりましたか?

少なくともフジノは、良い方向に変わったとは全く考えていません。



吉田市長就任後、8人の部局長が定年を前に辞職して去っていった現実

現実の吉田市長は、組織のマネジメントが全くできておらず、破綻していました。

なんと吉田市長の就任後、8人もの部局長が定年を前に辞職していました。こうした事態は過去に1度も例がありません。

特に、8人目の辞職者である(市長が自ら連れてきた)上下水道局長にいたっては、市長の失敗をかばって辞任したという印象しかフジノにはありません。

3年半前の市長就任の演説では「職員の尻をぬぐえる市長になる」と宣言したのに、尻をぬぐうどころか、吉田市長によって8名もの貴重な人材(=人財)が損なわれてしまったことにフジノは強い怒りを感じていました。

市長の組織運営能力に疑問を持った上地克明議員(2010年9月2日)田辺昭人議員(2012年2月28日)がすでに一般質問で質していました。

それにも関わらず、2012年7月に民間団体が主催したイベントにパネリストとして出演した吉田市長は、

「退職した部長たちは変革について来ることができていなかった」

と発言しました。

自分の方針に従わずに辞職していった人間は『変革』についてこれなかったから仕方がない。

こんなパワーハラスメント的な発言は、自殺対策に取り組んできたフジノには許せませんでした。

そこで、12月議会での本会議における市長への一般質問で、フジノは市長に対して発言の撤回を求めました。

しかし、吉田市長は自らのパワハラ発言を反省することも撤回することもありませんでした。



なんと最後の「重し」であった広川副市長までもが義憤にかられて辞職へ!

フジノがそんな一般質問を行なった12月議会の最終日(12月14日)のことです。

本会議が終わり、議員研修会も終わった後、なんと「広川副市長が辞表を出した」という連絡が入りました。

その知らせを受けて、フジノの怒りは頂点に達しました。

これで、市役所は9人もの人材(=人財)を失なってしまったのです。

その日、フジノはこんなツイートをしました。

議員研修会終わりました。この後、広川副市長から全議員に話したいということで、今、控え室で待機しています。

広川副市長、本日付けで辞表を出したとのことです(涙)

吉田市長のマネジメント能力はゼロだ!怒りが消えない。広川副市長、素晴らしい行政マンだったのに。スーパー公務員として全国に知られた方を、吉田市長は全く人財として活用することができなかった。37年9ヶ月もの経験をムダにしてしまった。

それもまた吉田市長は外部の講演で「改革についてこれなかった」とかほざくのか!?あの広川さんが辞職するなんて、本当に大きなダメージだ。

僕はつい先日、神奈川県の副知事とお話した時に「横須賀は広川副市長が頑張っていますね」と会話したばかりだったのに。まさに内外どちらから見ても、広川副市長が『重し』となって市政をサポートしてくれていたのに。。。

吉田市長はマニフェストは総崩れ。7人もの部局長が定年前に退職していき、上下水道局長としてつれてきた人は辞職に追い込み、そして副市長も今日、辞めていってしまった。なんてことだ。

これで9人辞めてしまった

僕は吉田市長を選挙で応援してしまった戦犯なので、本当に広川副市長にはこころからお詫びを申し上げました。。。国とのパイプ役、アメリカ軍とのパイプ役としても、広川副市長は大きな存在感がありました。これからが心配です…>_<…

次の市長選挙、選挙が得意な吉田市長はまた再選されるのかもしれないけれど、選挙がうまいだけで全く市政の経営能力が無い吉田市政が8年も続くのにはうんざりだ。横須賀はこの3年半、失われた3年半だった。

正直なところ、パフォーマンスはもう心底うんざりなので、イタリアみたいに実務家内閣が良いと思います。パフォーマンスがウンザリなのでフジノ自身は街頭演説をやめて2年以上になります。吉田市長は次の選挙に向けて駅立ちばっかりやってて、予算編成時期なのに頭にきます。

むしろ広川副市長に、来年の市長選挙に出馬してほしいです。そしたらフジノは吉田市政を生んだ罪滅ぼしとして、広川さんを全力応援するのになぁ。。。

広川副市長は、神奈川県からも「若い市長の政権運営を広川副市長がサポートしてあげているから市政が回っている」と評価されていた存在です。

しかも、常に吉田市長の暴走を「重し」となってサポートしてくれていた大切な存在です。

その広川副市長が来年度予算案の策定の前に、辞職を決意したということは、どれほど重い決断だったことか…。

無会派の控え室に辞職のあいさつに来てくれた広川副市長は

「これ以上あの方にお仕えすることは、私自身の公務員人生を否定することになります」

と切々と訴えられました。

フジノはこころを打たれました。

僕自身、吉田市長当選後、必死に支えてきたのに何も市長ご自身は僕らの苦労なんて全く理解していなかったから。

広川副市長が義憤にかられた気持ちには、とても共感できました。

そこでフジノは広川副市長に

「どうか市長選挙に立候補して下さい。有力な対立候補が必要です。広川副市長ならば、即戦力ですし、必ず横須賀を良い方向にリードしていくことができます」

とお願いしました。

けれども、広川副市長は

「今はとにかく休みたいです。先のことは何も考えていません」

とだけお返事をされて、お帰りになりました。

これがフジノが「広川副市長に立候補してほしい」と強く願って経緯です。

2013年2月2日・神奈川新聞より

2013年2月2日・神奈川新聞より


ですから、2月に広川さんが立候補表明をした時にはすぐにお電話をして、

「広川さん、よくぞ決心して下さいました。対立候補がいない市長選挙なんて間違っています。横須賀の為に、本当にありがとうございます」

とこころから感謝の気持ちをお伝えしました。




(その2へ続く)