まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2003年10月26日(日)のフジノ
● 働きたい人が働ける世の中に変えていきたい

 今日、逸見にあるウェルシティーで
 保健所が主催しているおまつり(『ウェルシティまつり』)がありました。

 精神障がいのある方々の作業所が
 お店を出すと聞いていたので遊びに行ってきました。

 そこで、うれしい話を聞きました。

 ある女性が、就職をしたという報告をしてくれたのです。

 明るい表情で話す彼女は
 こう言いました。

 「5月頃にフジノさんにお会いした時には
  すごく悲壮感をこめて、
  『仕事が無い』って話しちゃったと思うんです。
  だから就職できたことをフジノさんに報告したくって...」

 感動しました。
 本当に良かったです。うれしい報告をありがとうございます。



2003年10月25日(土)のフジノ
● 健康手帳の『こころの健康』

 このまちで生まれ育って
 現在は他のまちで暮らしている方から、
 『健康手帳』の情報をいただきました。ありがとうございます。

 健康手帳の情報、というのは
 『こころの健康』について
 他のまちではどのように扱っているか、についてです。

 今はこのまちを離れていても
 いつか帰るかもしれない『ふるさと』として
 このまちのことを気にかけてもらえるのはとてもうれしいです。

 他都市で暮らしている方々も
 ぜひ気がねなくメールしてくださいね。
 ありがとうございました。


● みんなで力をつけていこう!(ナミねぇを呼ぶ会の企画会議)

 来年1月10日(土)に
 健康福祉協会が主催する講演会があります。

 その講師は、あの竹中ナミさん(通称ナミねぇ)です。
 ナミねぇがこのまちにやってきます!

 さらに、この講演会の後には
 『ナミねぇを横須賀に呼ぶ会』メンバー主催による
 別の企画がおこなわれます。

 今夜は、その『ナミねえを呼ぶ会』の企画運営会議でした。

 いろいろな立場の方々に呼びかけて
 6名のメンバーで事務局をつくりました。

 ナミさんのエネルギーを
 このまちに暮らしているいろいろな人に感じてほしいと
 僕は願っています。

 ・あらゆる障がいのある方々
 ・障がいのある方のご家族(親御さんだけでなく兄弟姉妹の方にも)
 ・企業の人事担当の方々
 ・学校の先生(特に普通学級の先生)
 ・学生たち(特にこれから福祉の世界をめざす人々)

 こんな方々をターゲットにして
 みんなに元気になってもらいたいと僕は願っています。

 障がいがあったら、かわいそうなのか。
 そんなことはありません。

 障がいがあるから、働くことができないのか。
 そんなことはありません。

 障がいのある人だって
 働いて納税者になるのが当たり前の国にしたい。

 そんな想いのあらわれの1つとして
 僕はこの企画を成功させたいと考えています。

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 企画運営会議を終えたメンバーの感想は
 こんな感じだったのです。

 「すごく元気が出てきた!」
 「燃えてきた!」

 とてもうれしい感想でした。

 このまちの人々に
 元気を出してほしいと願っておこなう企画ですから
 まずメンバーが元気になれる集まりでないとね。

 だから、こんな感想が出たということは
 きっとうまくいくはず。

 少しずつ詳しいことが決まっていくと思いますので
 どうかみなさんも期待していてください。


 <HPはこちら>

 ナミねぇが理事長をしている社会福祉法人
 プロップステーションのHPはこちら

 <おすすめの本>

 『プロップステーションの挑戦』

 『ラッキーウーマン』

 「福祉の本なんて関心ない」という方であっても
 『ラッキーウーマン』を読んでみて下さい。
 下手な小説なんかよりも、全然すごい本ですから。

 1人でも多くの方に
 もっともっと元気になってほしいと願っています。


● ぜんかれんについて

 昨日は、ぜんかれん(全国精神障害者家族会連合会)の
 年1回の全国大会に参加してきました。

 大学時代の僕は、この大会の運営のお手伝いをしました。
 受付をしたり、会場の誘導や案内をしたり...。

 それなのに今年の僕は
 客席に座ってお客さんとして参加しているので
 すごく不思議な気持ちになりました。

 ずっと体調を崩していて
 県外視察にも行かれなかった僕なのですが
 この全国大会には
 どうしても参加したかった。

 実際、かなり無理をして
 必死になって会場の埼玉県大宮まで行きました。
 無理がたたって1日あけた今日は、
 ぶりかえしが来て
 午前中いっぱい動けませんでした。

 けれども、どうしても
 どうしても参加したかったのです。

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 ぜんかれんは
 昨年11月に新聞報道で『補助金の不正流用』が発覚して
 団体がつぶれてしまうかもしれない
 危機に陥っています。

 当然ながら団体幹部は全員辞職して、
 新しいメンバーになりました。

 しかし、返還を求められている補助金の額は
 数億円にものぼります。

 さらに、かつて建設した施設の返済金も加えると
 ぜんかれんが抱えている負債は
 約10億円にものぼります。

 ここまでひどいことになっているとは
 僕は全く知りませんでした。

 補助金の不正流用は、犯罪です。
 どんな理由があっても絶対に許されません。
 返還は、最後の1円まできちんとおこなうべきだと思います。

 けれども、この施設まで今や重荷になっているとは。
 建設当時には、希望の星のような施設だったのに...。

 ぜんかれんは、お金のある組織ではありません。
 だから、寄付をつのったり
 事業を削減したりして
 再建の道を必死になって探しています。

 そんな危機の中で
 今回の全国大会はおこなわれました。

 そもそも今回の大会は、中止になるはずでした。
 団体がつぶれるかもしれないのに
 大会など行なえるはずがありません。

 それがあえて行なわれたのは
 「もう1度、再建にむけてがんばってほしい」と願った
 全国の家族会からの要望でした。

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 絶対に団体をつぶしてはいけない。
 精神障がいのある全ての方々のためにも
 その家族のためにも、
 絶対につぶしてはいけない。

 僕はこんな切実な気持ちでいっぱいでした。

 だから、どうしても大会に参加したかったのです。
 ぜんかれんが本当に生まれ変われるのか
 自分の目で見たかったのです。

 やがて1日が終わりに近づき
 そして本当に最後のプログラムとして行なわれたのが
 事務局からのあいさつでした。

 新しくなったメンバーで連日深夜まで話しあいを続けて、
 どうやって再建していけばよいのか
 手探りで進んでいる、ということ。

 莫大な返済金のために
 全国から寄付が集まっていること。

 その寄付は、作業所で働いていて
 毎月1万円ぐらいしか収入が無い方々からも
 届けられていること。

 そんな話がされました。

 この時、僕は不覚にも涙が出てしまいました。

 同じように会場の中でも
 泣いている方々がいました。

 もちろんこんなメッセージに対しても
 退屈そうにあくびをしながら
 早く帰りたそうに身じたくをしている人々もたくさんいました。

 分科会で僕の隣に座った高齢の男性も
 パネリストに耳をかたむけず、僕に話しかけてきました。
 公務員を勤めあげて定年になってね
 NHK文化センターの講座をいくつも修了してしまって
 家でじっとしてたらぼけちゃうから
 ずっと体を動かしていないといけないと思って
 今ではデイケアで布をつかった細工を教えているんだよ
 ボランティアをしているんだよね
 きみはヘルパーさんか何か?
 あ、そう、きみはそんな若さで政治家なんだ
 ふうん、すごいね、髪の毛の色そんなで平気なんだ
 私はね、今年で75才になるんだよ
 75才には見えないだろう 
 今日の大会はみんなでツアーで飛行機に乗って
 九州から泊りがけで来たんだよ
 このあとは懇親会だけど、きみは参加しないの
 名刺あげるよ、この名刺も私が自分でつくったんだよ
 めずらしいだろう、これがとても評判がいいんだ
 パネリストの発言を必死でメモしてる僕のことなんか気にもとめず
 ずっと楽しそうに僕に話しかけつづけていました。
 体調が悪い僕のことも見抜けないのだから
 さぞかし立派な精神保健福祉ボランティアなのだろう。

 こんなふうに
 切実さを抱えていない人々も
 たくさん、たくさん、参加していました。

 けれども、ツアーで楽しく大会に参加なんてできないでいる
 実際に障がいがあって苦しんでいる人々が
 今この瞬間にも確実にいるのです。

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 一体、何がリアルなのか。

 大宮までの電車は、人身事故でひどく遅れていた。
 それは単なる事故なのか、
 それともそうではないのか。

 ただ流れてくる駅のアナウンスの向こう側に
 横たわる亡骸が確かに存在していることを想うこと。
 それこそがリアルだと僕は思う。

 僕はそれを考えると吐き気がしてしまう。
 その線路の上を通り過ぎていると思うと悲しくなってしまう。

 けれども、それを考えることができるかどうかが、
 僕にはリアルだ。それが切実なリアルだ。

 必要以上にシリアスになるべきではない。
 だけどこんな世の中の現実を前にして
 シリアスにならないなんてそっちの方がどうかしてる。

 いろんな怒りがこみあげてくる。
 精神障がいとそれをとりまく状況を考えると
 いつも感じる世の中への怒りだ。

 もうずうっと前から続いているこの怒りを
 初めてどうにかできるかもしれないと信じられたのが
 僕にとっては、ぜんかれんの存在を知った瞬間だった。

 これが僕のリアルだ。
 だから、絶対につぶさせない。

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 きっと、涙を流した人々たちの力がある限り
 この団体はつぶれない。

 僕はそう信じました。

 ゼロから再出発していくのだ、と改めて思いました。



2003年10月24日(金)のフジノ
● お詫び

 体調が悪く、県外視察を欠席させていただきました。

 ご迷惑をおかけした議会事務局の方々、
 民生常任委員会のみなさま、
 そして、このまちに暮らしているみなさまにお詫び申し上げます。

 県外視察へ参加しなかったことで
 いくつかの不利益を生み出してしまいました。

 (1)議員同士で共有すべき知識を得られなかったこと
 (2)視察費用のうち、払い戻しができなかった分

 これらの不利益を補えるように
 今まで以上に全力を尽くして勉強をして見聞を広めて
 このまちに暮らす人々のためになるように努力します。

 みなさま、申し訳ございませんでした。


● 24時間相談体制にむけて

 まだくらくらするので、
 お詫びの気持ちを記すこと以外は短めで失礼します。

 24時間365日の相談体制を作ることが
 僕の願いなのですが
 埼玉県東松山市にヒントがありそうです。

 直接に訪れて、勉強したいと考えています。
 なんとか来月中に実現して
 報告できたら、と思います。



2003年10月18日(土)のフジノ
● 財団法人・横須賀健康福祉協会、という仕事

 このまちの議会では、議員は必ず
 4つある委員会のどこかに入らなくてはいけません。
 僕は『民生常任委員会』に所属しています。

 さらに委員会ごとに
 役職が割りふられています。

 昔からのなごりで『学識経験者』という立場で
 市議会議員がいくつかの仕事に就くのですね。
 (このしくみはいずれ廃止される方向だと僕は思います)

 さて、民生常任委員会でも
 いくつかの仕事が割りふられていて
 くじびきでそれぞれの議員に仕事が割りふられました。

 例えば、絵美さん(岩崎議員)の場合は
 『消防委員』という仕事です。

 そうやって
 偶然に僕が選ばれたのが
 財団法人・横須賀市健康福祉協会の『理事』という仕事です。

 この理事ですが
 偶然の結果だからと『ただの名誉職』には絶対なりたくなくて
 選ばれた以上は積極的に関わろうと決めました。
 理事としての報酬もお断りしました。

 勉強をして少しずつ知っていったのですが
 (おかしな話ですよね、
  就職してから初めてその職場の存在を知ったのですから)
 健康福祉協会というところは、
 本当に良い仕事をしているんですね。

 今日はそれを知ってほしくて
 このコーナーを書いています。

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 これまでは、外側からしか
 健康福祉協会のことを知りませんでした。

 理事会に1度だけ出席しました。
 過去数年分の決算資料を取り寄せて読んでみました。
 協会主催の講演会に参加しました。

 こんなふうに、文章や、外側からしか、
 健康福祉協会のことを知る機会が無かったのです。

 しかし、理事である以上は
 もっともっとこの組織を知らなければという想いがあって
 見学をお願いしました。

 そして昨日、見学に行き
 実際に働いている方々と接して、大きく印象が変わりました。

 市がそのほとんどを出資している組織ということもあり、
 『天下り組織』という批判も聞いていました。

 実際に、事務局長のポストには
 元・市職員が就いています。

 そういった批判的な視点を持ちながら見学に臨みましたが
 本当に印象が変わりました。


● 仕事は大きく分けて2つです

 健康福祉協会の仕事は、
 大きく分けて2つあります。

 (1)医療・福祉の訪問サービス

 (2)すこやかんの運営

 実は、あの『すこやかん』の運営も
 健康福祉協会が行なっています。

 健康福祉協会っていうと全然知られていなけど、
 『すこやかん』なら身近でしょう?

 まず、これが1つ。

 でも、僕が「すごいなあ」と感心したのは(1)の方です。
 健康福祉協会といえば、僕にとっては(1)がメインに感じます。

 これを紹介したいです。


● 訪問しての医療・福祉サービスをしています

 医療と福祉の訪問サービスって
 どんなことでしょう?

 (1)お宅を訪問して『看護』するサービス

 (2)お宅を訪問して『介護』するサービス


 (1)は、自分の家で
 看護士さんのお世話を受けられる、というものです。

 (2)は、自分の家で
 ホームヘルパーさんのお世話を受けられる、というものです。

 看護と介護、って
 言葉は似ているのですけれども
 その中身はかなり違います。

 例えば、入院した時にお医者さんと一緒になって
 お世話をしてくれる人が看護士さんです。

 ホームヘルパーさんは
 生活のいろいろなことをお手伝いしてくれます。


● 見捨てない、という方針

 僕もカン違いしていたのですが
 健康福祉協会は、市から『補助金』をもらっていません。

 協会をスタートさせる時に
 出資の大半を横須賀市が出した、というだけで
 運営は市とはカンケーなく
 『独立採算』でおこなわれています。

 つまり、仕事をして
 そこから入ってきた収入でやりくりしている、というわけです。

 けれども、そもそものスタートが
 市によって(ほぼ)設立されたという経緯があるので
 ふつうの企業とは違って
 『公共』という立場を求められることが多いようです。

 例えば、介護が必要な方がいるとします。

 痴呆がすごくすすんでしまって、
 ケアを受けたいのに
 他の事業所からは断られてしまって
 どこからもサービスを受けられない方がいるとします。

 そういった、サービスを受けることが
 困難な方がいた場合に
 健康福祉協会が受けることが多いそうです。

 逆に言うならば、健康福祉協会は
 サービスを受けることが困難な方でも断らない方針と言えます。

 お話を聞いていて感じたのは
 市民病院に似ている、ということでした。

 救急車が運ばれた方がいて
 他の民間の病院がどこもいっぱいで断っても
 市民病院は断らないで治療をひきうける。

 何故なら市民のための病院だから。

 それと同じような立場なのが
 健康福祉協会なのだ、と感じました。

 難病の方や赤ちゃんの看護も引き受けていますし、
 高齢者の方の介護だけではなく、
 精神障がいを持つ方への
 ホームヘルプサービスも行なっています。

 あまり福祉とは縁が無い方は
 知らないと思うのですが
 福祉サービスも今や『契約の時代』なのですね。

 サービスを売る側と買う側がいて、
 お互いに合意して
 契約が結ばれて
 そして初めて福祉サービスが開始されます。

 その『契約』の時代にあって
 「断らない」という方針はすごく大きいです。

 健康福祉協会の場合は
 立場的に「断れない」の方が近いかもしれないですけれど
 この意味は本当に大きいものだと思います。


● お給料への誤解

 市から『補助金』をもらってるとカン違いしていた、と書きましたが
 もう1つ、大きな誤解をしていたことがありました。

 それは、健康福祉協会の『お給料』です。

 市役所と同じ金額だと思っていましたが
 これも大きなカン違いでした。

 お給料の一覧である、俸給表を見せてもらったのですが
 もうまったく他の福祉施設と同じで
 とてもとても安かったです。

 たぶん、健康福祉協会のヘルパーさんのことを

 「どうせ市の組織なんだから
  けっこうお給料もらってるんだろうなあ」

 と思っている福祉関係者は多いと思うんです。
 (僕もその1人でした)

 けれども、そんなことは全くありません。

 1号級から順番に金額があがっていって
 28号級まであるのですが、
 転職前の会社時代の
 6年目だった僕のお給料の方が
 ホームヘルパーさんの28号級よりも高かったのです...。

 やっぱり、福祉カンケーはお給料が安い。

 その苦労は、どこも同じでした。

 むしろ、本当に困難な方々のケアも担当していて
 健康福祉協会に属している方が
 大変なのではないか、と感じたりもしました。

 特に看護サービスの方々は
 いつも24時間体制で
 家にいても携帯電話を常備していて
 何かあればすぐに飛び出していきます。

 儲けなければ赤字になる、
 赤字になれば続けられない、というのは
 他の福祉サービスをしている方々と全く同じです。

 「どうせ、市が助けてくれてるんでしょ」
 という誤解を受けることが多い健康福祉協会ですが
 実際はそんなことは無くて、
 他の福祉施設と同じなのでした。


● とはいえ、100%独立しているとも言い切れません

 とはいうものの、
 市から完全に独立している訳ではありません。

 そもそも健康福祉協会を
 市が出資してつくったのは時代的な背景がありました。

 当時の法律ではいろいろな制約があって
 市が率先して組織をつくることが
 必要だったのです。

 そのような経緯から
 出資の大半が横須賀市なので
 役員(理事会や評議会などのいろいろな役職)に
 市議である僕や副市長など市の関係者が多く就いています。

 この意味では
 市から完全に独立しているとは言えません。

 ただ、これは企業の場合でも
 出資している株主が経営に携わると考えれば
 あまり不自然なことでは無いと思います。

 (例えば、大株主である銀行が役員に銀行員を送りだすなど)

 しかし、時代が動きはじめて
 多くの事業所が
 福祉サービスをおこなえるようになった今、
 健康福祉協会も役員を減らしてスリム化することなども
 必要なのかもしれません。

 現在、数名の市職員が
 事務局に出向しているのですが
 やがて彼らも数年以内に全員ひきあげる予定だそうです。


● 健康福祉協会の方々、応援してます

 理事だから
 自分の所属する組織を応援するのは当然なのですが
 改めてその仕事を知るにつけても
 すごく応援したくなりました。

 事務局長さんから
 彼が訪問看護の現場に同行していって体験した話に
 とてもこころを揺り動かされました。

 この方の場合は
 単なる『天下り』という批判は当たらないのです。
 立場的に机で決裁しているだけでも済むのに
 そんなことはなくて、積極的に現場に出る方だったので
 とても驚きました。

 事務局長みずからが
 現場を積極的に体感しようとする方ですから
 理事である僕も当然そうでなければいけません。

 議会のあいまを見て
 訪問看護・訪問介護の現場に
 1週間くらい一緒に行かせてもらうことになりました。

 高齢者の福祉については
 もっともっと現場を知りたいので
 勉強させてもらいたいと思っています。

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 そんなわけで、
 健康福祉協会は全然知られていない組織ですが
 今日もあなたの知らないところで
 確かにがんばっています。

 もちろん福祉サービスというのは
 健康福祉協会に限らず
 あなたが福祉に縁が無ければ
 どれほどの汗が毎日流されていたとしても
 その仕事は誰にも知られないものです。

 けれども、かつてとは世の中のしくみが完全に変わり
 福祉サービスを受けないで暮らすことは
 もう不可能だと僕は思います。

 健康福祉協会の方々をはじめ
 このまちには、多くの人々にとっては名前さえ知られていない
 たくさんの福祉サービスを提供する事業所・人々がいます。

 低いお給料、誰もが腰を痛めている、
 いろいろな苦労があります。

 そんな方々のことを
 こころの底から応援しています。

 今日はたまたま健康福祉協会の方々の
 お仕事を知ることができました。

 健康福祉協会の方々、応援しています。
 その活動はなかなか日の目を浴びないものではありますが
 僕は強く支持したいと思います。

 くじびきで偶然に選ばれた理事なので
 来年になれば僕は
 辞めなければいけません。

 残念ですが、役職としては
 たった1年きりの関わりかもしれません。

 けれども、それまでは少しでも多く
 現場を見させていただいて
 みなさんが仕事をしている姿を目に焼きつけて
 できる提案は理事会でどんどんしたいと考えています。

 そして来年が過ぎて仕事としては関わりが無くなっても
 福祉施設のひとつとして応援していきたいと思います。

 みなさん、がんばってください。

 僕は、見ていますから。



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 みなさんに健康福祉協会を『紹介』するはずだったのですが
 なんかエールを送る文章になってしまいました。

 まあ、これもありかな...。

 今後も1つでも多くの現場を訪れて
 できるかぎり紹介していきたいと思います。

 終わり。



2003年10月17日(金)のフジノ
● 市役所の中を、ときどき歩いてまわります

 今日、1時間ほど時間に余裕があったので
 市役所の中を
 ずっと歩いてまわりました。

 9階から1階まで、部署の名前を音読しながら
 時々ぼおっと立ち止まってみたり
 お客さま用のイスに座ってみたりして。

 1号館が終わると、2号館、3号館、分館。
 そして、最後が消防局庁舎。

 (こんなふうになってます)

 あなたは市役所に来る機会って
 年に何回くらいありますか?

 これまでの僕は、多くても年に1回くらいでした。

 だから、市役所について
 ほとんど何も分からないのですね。

 けれども、今の僕にとって市役所は『職場』ですし、

 どの階にどの部署があるのか、
 どの部署に誰がいるのか、
 その部署がどんなふうな雰囲気なのか、

 ぜんぶ知らなければいけないと思ったのです。

 以前からずっとそう考えてきたのですが
 なかなか実行できないでいました。

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 いきなり行っても迷惑だろうな、と思って
 なるべく気づかれないように
 市役所の方々が働いている姿を見て歩きました。

 部署の名前を見ても、
 どんな仕事をしているのかイメージが沸かないところが
 まだまだ僕の中にはたくさんあります。

 そういうところも
 実際にその場に足を運んで、知りたいと思いました。

 職員のみなさん、ご迷惑かもしれませんが
 これからも毎週1回以上は
 全ての部署を歩いてまわりたいと考えています。

 いきなり質問したりするかもしれませんが
 その時は業務の許す範囲でお時間いただければと思います。


● いろいろな方々にお話を聞いてまわっています

 3日ぶりの更新になってしまいました。

 更新されないとみなさんで僕の体調を心配してくださいますが
 今回の3日間の不在は体調不良ではありません。
 だいじょうぶ、マイフレンド。

 3日間、いろいろな場所を訪れて
 たくさんの方々からお話をうかがいました。

 それらが忙しかったために
 更新作業ができないでいました。

 訪れたのは、次の5ヶ所です。

 (1)権利擁護センターあしすと
 (2)福祉サービス運営適正化委員会
 (3)青年会議所
 (4)知的障がいのある方々の入所施設『いちばん星』
 (5)財団法人横須賀健康福祉協会

 どこもすごく勉強になりました。

 全てについて詳しい話を書きたいし
 とても紹介をしたいと感じています。

 この土日で少しずつ書いていけたら、と思います。


● 定期的な勉強会を始めます

 今月末から、横浜の市議の方々がおこなっている
 都市計画法についての勉強会に参加させてもらう予定です。

 また、僕自身も何人かの方々に声をかけて
 いくつかのチームをつくって
 定期的な勉強会を始めることにしました。

 幅を広げながら、同時に深く掘り下げていきたいです。



2003年10月14日(火)のフジノ
● 読んでいる本

 10月は勉強期間ということで
 本を読みまくっています、と書きました。

 「どんな本を読んでいるのですか?」と質問を受けたので
 かんたんに紹介をしたいと思います。


 『救急精神病棟』
    野村進著、講談社、2003年

 千葉県精神科医療センターで
 精神科救急の現場を3年間にわたって取材したノンフィクションです。
 専門家ではなくて一般の人むけに書かれたものとしては
 素晴らしいものだと思います。
 ぜひみなさんも読んでみてくださいね。


 『人権保障としての成年後見制度』
    一番ヶ瀬康子監修、一橋出版、2002年

 いかにして成年後見制度を分かりやすく伝えるか、
 このことを僕は今どうしたら良いのか、勉強をしています。
 何かを知っていることと、
 何かを伝えられることとの間には
 大きな溝があります。
 分かりやすく伝えるためにも
 かんたんに書かれているハンドブックなどは参考になります。
 この本はとてもうすいので、
 伝えるための勉強として読んでいます。


 『区市町村社会福祉協議会における
   成年後見制度への取組みに向けて〜検討委員会報告書〜』
    (社)東京都社会福祉協議会、2003年

 成年後見制度を考えていく上で、
 社会福祉協議会は大きな役割があると僕は考えています。
 僕はそう考えているのですが
 彼ら自身は自分たちの役割をどのように考えているか
 それを知りたくてこの本を読み始めました。


 『地域福祉計画と地域福祉実践』
   日本地域福祉研究所監修、万葉舎、2001年

 現在、横須賀市でも
 『地域福祉計画』をつくる作業をしています。
 この計画はとても重要なものになるはずなのですが
 作成のための委員会を傍聴していても
 まだまだ方向性が見えないままに
 進んでいる感じがしています。

 とは言うものの、僕自身も
 『地域福祉計画』の在るべき姿が見えないでいます。

 この本では、その作成の過程に
 いかに政治をまきこんでいくかなどが書かれていて
 とても関心を引かれました。勉強になります。


 『住民派女性議員の挑戦16年〜産廃と残土と町おこし』
    三宅節子著、論創社、2003年

 神奈川県には藤野町という地域があって
 昔から僕の名字と同じ名前ということで親近感を持っていました。
 その藤野町で女性初の政治家になった
 三宅さんの16年間の活動をまとめたのが本書です。
 僕は政治家の本は読まない主義なのですが
 政治的にとても閉鎖的な土地で
 負けずに活動を続けていく姿を知りたいと思い
 読み始めました。


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 このほかに趣味の読書としては、
 木村剛さんの(竹中さんが再任されたので)や
 Paul Auster(昔から大好きなのです)の新作が
 やっとペーパーバックになったで買って、読んでいたりします。

 とりあえず「こんな本を今読んでます」という紹介でした。


● 他人のためでは無いのですよ

 今日お会いした方から、こう言われました。

 「HPを拝見しました。
  他人のためにがんばっていらして、すごいと思います」

 その場でもご説明したのですけれど
 短い時間だったので意図を伝え切れなかったので
 改めてお話ししたいと思います。

 他人のため、に見えるとしても
 最終的には僕は僕自身のために働いています。

 僕にとって、
 どうしても納得がいかないことがあって
 その状況を何とかして少しでも変えることができれば、
 という想いが
 ここ数年間の僕の
 人生の大きな目的になっています。

 その目的をどうにかして果たすために
 たまたま政治家という職業が
 手段として有効に感じられたのです。

 だから、政治家になったのですね。

 その結果として
 他人のために働いているように見えるかもしれないのですが
 最終的なゴールは、あくまでも僕自身のためなのです。

 他人のため、というと聖人のように感じられて
 とても僕とはかけはなれている気がします。

 最終的には
 僕は僕自身のために働いているんですよ...。



2003年10月13日(月)のフジノ
● このまちにいる、ということだけで

 連休を取った2日間も
 このまちを離れていたとはいえ、勉強をしていました。

 だから自分の仕事について
 頭から離れた瞬間は無かったように感じていました。

 でも、それは違うのだと分かりました。

 このまちに帰ってきた夜から、
 強い緊張感が体にバリアのようにまとわりつくのが
 すごく自覚されています。

 市議会議員という仕事をしている限り、
 この緊張感は24時間ずっと体を包んでいます。
 たぶんこれだけは本人が政治家にならない限りは
 まわりの誰にも理解できない感覚だと思います。

 泣き言とかではなく、
 すごく責任を背負っていることを感じます。

 三浦半島を離れるということが
 無意識的にその責任を僕から少しだけ解放してくれるということを
 初めてハッキリと体験的に分かりました。
 不思議なものですね。


● ぜひみなさんも参加してください

 来月16日(日)に、
 神奈川県知事である松沢さんが
 横須賀に来て、みなさんと語りあう会をひらきます。

 知事と語ろう!神奈川ふれあいミーティング
    11月16日(日) 17:30〜19:30
    場所:県立保健福祉大学・講堂

 申し込みは、上のHPから
 Eメールでできます。

 ぜひたくさんの方々が参加していただけたら、
 そう願っています。

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 9月の市議会で僕は、
 「市長が直接に市民と語りあうべきだ」と提案しました。

 この提案は決してとっぴなものではなく、
 前市長の横山さん時代には
 市民と語りあう会が行なわれていたそうです。

 けれども沢田市長は
 「私には私なりのやり方がある」として
 特に市民と直接に語りあう機会は設けないと答弁しました。

 (この模様は9月議会の
  中継のコーナーからご覧いただけます)

 それでも僕はやっぱり
 このまちに暮らしている人々と市長が直接に
 ひざをまじえて語りあう機会があるべきだ、と考えます。

 リーダーが直接に語りかける、耳を傾ける、
 そういう機会をまちの人々は望んでいるはずです。

 今回の松沢県知事のタウンミーティングに
 僕自身も参加して、まちの人々の反応を見たいと思います。



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