まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2004年12月13日(月)のフジノ
● 明日の新聞記事が心配だ

 横須賀市は『美術館をつくること』
 『市制100周年記念事業』だと市長が断言しています。

 例えば、平成16年3月議会(3月4日)の
 雄人への質問には、こう答えています。


 <市長答弁>
 美術館は、後世に引き継いでいくにふさわしい施設として
 市の基本計画に位置づけ、これまで周到な準備をして
 進めてきた施設であり、開館時期を、
 記念すべき市制施行100周年を迎える19年度としたものであります。
 論理とかそういう次元の問題ではありません。


 こんな風に、沢田市長が

 「美術館は論理とか理屈を超えて100周年記念事業だ!」

 と断言しているのにも関わらず、
 とてもおかしなことを横須賀市は行なっています。

 今日、行なわれた市制100周年記念事業実行委員会の会合で
 配られた資料には『美術館』が全く載っていないのです。

 あれだけ沢田市長が
 断言しまくったのにもかかわらず。何故?

 この委員会のメンバーには
 横須賀市選出の県会議員が『顧問』として就任を依頼されて
 名前をつらねています。

 竹内さん牧島さん藤田さん(欠席)、山田さん(欠席)、
 かやまさん、大村さん。

 このうち、竹内県議、牧島県議のお2人には
 美術館みなおしの請願に対して
 県議会で紹介議員になっていただいています。

 ふつうに考えたら、
 みなおしを求めている政策が含まれている100周年事業に
 顧問として参加することなんかできないですよね。

 そこで、お2人の県議は出席した上で

 「私たちはこの委員会に顧問として参加することはできない」

 「美術館を100周年事業としているくせに
  何故に資料に載せないような姑息なことをするのだ」

 と意見を述べて、メンバーを辞退したのです。

 政治家であれば、政策を貫くのが当然ですから
 お2人がとった行動は当然のことです。

 筋が通っている。政治家として在るべき姿です。

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 けれど、ものすごく心配なことがあります。
 それはマスコミの反応です。

 こうして席を立った2人の県議に対して
 当然ながら
 あせった新聞記者の方々がインタビューをしました。

 そのインタビューの内容は
 何故か市長選挙の話ばかり。

 何故そういうインタビューをするのか?

 どう客観的に見ても、同業者(政治家)であるフジノから見ても
 お2人の県議の行動は
 ご自分たちの『政策』と『信念』を貫いただけ、だよ!

 市長選挙のためにメンバーを辞退したんじゃない!

 まだ明日の新聞を見ていないけど
 きっと市長選挙をあおるような内容で
 書かれてしまうのだろうなあ。

 もしそうなったら、僕はすごくガッカリです。

 そもそも、『美術館見直し』と『市長選挙』は
 フジノと『願う会』にとって
 完全にカンケーの無い別々の2つの話です。

 ずうっと僕は繰り返してきました。

 このまちの税収はこれ以上、伸びるはずが無い。
 だから、限られた税金(おカネ)は
 優先順位をつけて使わなければならない。

 そして、今あえて美術館に50億円もかける必要は無い!
 さらに毎年運営費で3億円も赤字を垂れ流させたくない!

 これだけの理由です。
 どうして市長選挙をからめる必要があるんだ!

 明日、新聞によっては
 市長選挙うんぬんと書くところがあるかもしれませんが
 はっきり申し上げますが、カンケーありません!


● 誰だったの?もう1度電話して!お願いだから...

 今日、僕のPHSにものすごくつらそうな声で
 電話をかけてこられた女性がいらっしゃいました。

 あいにくあなたは携帯電話で
 電波が悪いところにいるようでした。

 そして、何も十分に聞けないままに
 電話が切れてしまいました。

 僕は、もう何時間も心配でたまらずに電話を待っています。

 どうか、もう1度、電話をかけて下さい。

 こんな僕が何かの力になれるかは分かりませんが
 僕はあなたの話を少しでいいから聞かせて欲しいです。

 もしも悲しいニュースがこの数日のうちに起こったら
 僕はとても悲しくてたまらなくなってしまいます。

 どうか、もう1度電話をかけて下さい。

 見ず知らずのあなたですが
 この世界中の60億人の人々の中からあえてこの僕に
 助けを求める電話をかけてくれたことを
 僕はうれしく感じています。

 それなのに、そんなあなたに何かがあったら
 僕はとても悲しい。あなたがいなくなったらとても悲しいです。

 お願いですから、もう1度、僕に電話をかけてください。
 お願いします。本当にお願いです...。


● 手術、24時間、3日。3つの危機を乗り越えたのに!

 僕のまさに目の前で
 急激に父の容態が悪くなっていき、
 まさか彼は自分が手術なんて受けさせられるなんて知らないまま
 意識を失った。

 そして、僕が手術をすることに同意した。

 手術をしなければ亡くなるし、しても亡くなる可能性は高い。

 それが手術が無事に終わって、
 次は24時間がとても危機だと言われた。

 24時間が経った。少し安心して良いのかと思ったら
 今度は3日間が過ぎるまではとても危険だと言われた。

 やっと丸3日間が経った。
 土日をはさんだから医師の説明も受けられなくて
 5日目の今日やっと説明を聞けた。

 そしたら、今度は
 当分のあいだ生命の危険は続きます、だって...。

 おやじは毎回与えられた危機を乗り越えて
 そのたびにおれは病床の父に向かってそれを説明して

 「それを乗り越えられたらきっと良くなるよ」

 と言い続けてきたのに...。

 今後ずうっと意識が戻らないのも覚悟しているし
 介護をする覚悟なんて福祉の世界に入った十数年前から
 そうするものだって覚悟している。

 だけど、死ぬなんてことは許せない。

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 これまで、理屈では「脳死は人としての死だ」と僕は
 政治家としても個人としても考えてきた。

 だからこそ、僕自身は
 体のほとんど全てのパーツは死後、他の人々に提供される。

 目は小学校の時に決めたし、
 その他のあらゆる臓器も中学校に入った時には登録した。

 僕は僕自身の脳が止まったら
 それで人生が終わりでかまわない。

 けれども、肉親のことは
 今はもう全く判断ができなくなっている。

 あさって見学する和田中学校の
 『自殺抑止ロールプレイング』の2回目の授業では
 2つのディベートがおこなわれる。
 
 1つは「誰にも迷惑をかけない状況での自殺は許されるか」。

 2つ目は
 「母から人工呼吸器を外してほしいと頼まれた娘は
  それを外しても良いか」。

 まさに、リアルの、現実を学校の中で教えようとしている。

 残念ながら僕は学生時代にそういうことを考える
 訓練の場を与えてもらえなかった。

 だから、自分自身で必死に勉強をして
 表面上の理屈だけで理解して判断をしてきてしまった。

 僕は理屈は大体なんでも理解しているから
 父にも母にもかなり早い時期から(40〜50代くらいの頃から)
 遺書をきちんと書いておくべきだと言い張ってきた。

 だけど、当然、2人はそんな僕を微笑んで
 まさかこんな時が実際に来るなんて思いもしないで
 父は65才という若さで生死の境目にいる。

 父さん、僕に判断をさせないでくれ。
 僕のこころは、悩んだ挙句に決まりつつあるけれど、
 それはあなたの判断と同じかどうか僕には分からないよ。

 父さん。僕には分からない。

 なんて人生は難しいんだろう。

 情けないけど、表面上はバリバリ働いているのに、
 右目のまぶたがチック症状が止まらないや。
 参ったなあ。

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 明日はカフェトーク
 久しぶりにちゃんと資料も作ったから、
 来れる方はぜひ来て下さいね。


 


2004年12月12日(日)のフジノ
● 人生はいろいろだなあ

 僕はHPで電話番号を公開していることもあって
 相談を受ける相手は、横須賀市民では無いこともとても多いです。
 (たぶん、割合にすると市内と市外は6:4くらいかも)

 今日も真夜中に
 とても若いお母さんからお子さんのことで相談を受けました。

 けれども、やっぱり横須賀市民では無いのですね。

 僕はどこの誰でも
 その人が僕を必要としている限り、対応は変わりません。

 けれども相手の暮らしている自治体が分からないと
 その自治体が行なっているサービスも分からないし、
 僕自身も対応に悩んでしまいます。

 一般論なんて、相手は必要としていないのだから。
 だから『政治家』であるフジノに
 電話をしているのだから。

 そんな訳で、お電話をいただきながら
 相手が暮らしている地域だけうかがって
 急いで事務所に向かって
 インターネットでその自治体の業務を調べました。

 (だから絶対に自治体はインターネットでの広報を
  しっかりやらなければならないとつくづく思います)

 東京の、S区。

 僕はいつも相手のお名前も
 相手が自分から名乗るまでうかがいません。

 昨日は最後まで知らないまま、電話を終えました。

 どうかS区の行政に
 その方がヘルプを求めてくれますように。

 いつもこういうお電話をいただくたびに
 自分のまちの方では無いから
 僕にできることの限界を感じてしまい
 とても胸が苦しくなります。

 どうか明日、彼女とそのお子さんが救われますように。


● 箱根の野天風呂のかわりに

 もしも父が倒れていなかったら
 今日と明日は、箱根のよく行く『野天風呂』の宿へ骨休めでした。

 でも、キャンセル。

 しかもキャンセルの時に、この旅館と大きくモメて
 もう2度と行かない!この宿はお客様への対応が最低!

 もともと勝手に客室の冷蔵庫を覗いたりとか
 サービス以前のレベルがひどかったけど
 温泉からの景色(箱根の山々)が
 素晴らしかったから行っていただけで
 もう絶対に行かない。どこがサービス業だよ、って怒り心頭でした。

 ともかく、疲れきっていたので
 かわりにどうしても温泉に入りたくて
 友達にすすめられた
 『のぼり雲』という佐野にある温泉に行ってきました。

 時間が無くて、夜23時から45分だけ入ってきたのですが
 独りでも十分に楽しくて、時間に追われていなければ
 すごく楽しかったと思います。

 また行きたいなあと思いました。おすすめです。

 ちなみに料金は1000円、 
 タオルなどコミコミで300円でレンタルできます。



2004年12月11日(土)のフジノ
● 性から逃げてはいけない

 『障がいのある方の結婚と出産』について
 僕は切実に問題意識を持っています。

 初めてこの問題に直面したのは
 高校時代でした。

 以来、僕は絶対に
 障がいの有無なんかにカンケーなく
 本人が望むような幸せな暮らしができる社会であるべきだと
 強く望んできました。

 この国はおかしい。

 (1)制度としてもおかしいし、
 (2)人々の態度としてもおかしい。

 障がいのある方が結婚したり出産することを
 妨げようとする傾向がものすごく強い。

 僕はこの傾向をぶっ壊したい。

 何故、障がいがあるくらいで
 結婚や出産が拒否されなければならないのか、許せない!

 誰もが当然の権利として
 誰かを愛して、2人の合意がなされたなら結婚をして、
 条件さえ整えば子どもを持つことは当たり前のことだと僕は思う。

 それが妨げられているのは
 例えば制度で言うならば
 生まれついて障がいのある方の場合、
 出産をしても補助(『子の加算』)が出ないことからも
 はっきりと分かる。

 この国は障がいのある人が
 子どもを持つことを支持していないのだ。

 こういう差別的な制度は
 憲法違反ではないだろうかとつくづく思う。

 加えて、人々は
 障がいのある方々が「結婚をしたい」「子どもを持ちたい」と言うと
 たいていの場合、それをやめさせようとする。

 何の権利があって
 他人の当たり前の権利を奪うことができるのか。

 けれども、そういう風土が確実にあり、
 障がいのある人々の多くが断念している事実が存在している。

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 例えば、ラブホテルに入ろうとしても
 車いすに乗っていたら
 入店拒否されたという話がすさまじくたくさんあります。

 だからインターネットのHPを観てみれば

 「入店拒否しないラブホテル」

 が紹介されているサイトがあって
 どこのホテルがユニバーサルな造りになっているか、などが
 報告されています。

 僕はこういう状況をぶっ壊したい。


● 誰もが幸せになる権利がある

 そんな風に、怒りと悲しみをいつも感じている僕にとって
 今日おこなわれたシンポジウムは
 ものすごく期待していたものでした。

 『障がい者の結婚について考えよう!』

 シンポジウムは3部構成。

 第1部はビデオの上映でした。

結婚生活の様子が上映されました

 藤沢市にある特例子会社・山武フレンドリー
 フジノも見学に行きました。いい会社です。

 この会社で石井敬章さんは真由美さんと恋に落ちました。

 お2人は、今日のシンポジウムのメインシンポジストです!
 何故ならば、2人はご夫婦だからです!

 石井さんご夫婦はお2人とも知的障がいがありますが
 結婚をしていて、とってもかわいいお子さんがいます。

 これまでのこの国では否定されていた暮らしが
 ここでは『当たり前の暮らし』として送られています。

 石井さんご夫婦の1日を紹介したビデオ
 (「ビデオスケッチ9わたしたちのくらしでーす)は
 『全日本手をつなぐ育成会』のHPからでもご覧になれますから
 ぜひ観て下さいね。

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 第2部は、3つの立場の方が
 それぞれにお話をしました。

 まず、ある石井さんご夫婦です。
 (連れてこられた赤ちゃんがすごくかわいかったです)

 次に、石井さんの奥さんがまだ養護学校に通っていた頃の元先生。
 (今では『同じママ友達』として過ごしているそうです)

 最後に、ご夫婦が暮らしている
 『グループホーム下宿屋』の施設長さん。

 それぞれの立場からの
 とても興味深いお話がたくさんうかがえました。

シンポジウムの様子

 特に、石井さんの奥さんの元先生!
 何組もの結婚した方々の相談にのられていたり
 すごくその存在をうれしく僕は思いました。

 そこでシンポジウムが終わった後、
 フジノは走っていってお話を聞いていただいて
 連絡先を交換してもらいました。
 僕のまわりには残念ながらまだまだ
 障がいのある方で結婚している方々が少ないのです。
 この状況を打ち破る支援の在り方について勉強させてほしいです!
 そう思って話しかけさせていただきました。

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 第3部は質疑応答でしたが
 もうあっという間に時間が過ぎてしまって
 ここでは10分くらいしか時間が取れませんでした。

 2時間のシンポジウムとは思えないくらいに
 あっという間に終わってしまった
 時間を感じさせない素晴らしいシンポジウムでした!

 しかし、会場をぐるっと見回して
 僕は少しがっかりしてしまいました。

 お客さんはたくさん来ているのですが
 どうも横須賀の人が見当たらないのです。

 ある知り合いの、お子さんが障がいを持つお母さんが
 嘆きながら僕にこう言いました。

 「フジノさん、横須賀の人々がほとんど参加していないね」
 「本当ですね」
 「今日は養護学校の行事とぶつかっちゃったのよ」

 うーん...。

 家族の人たちにも来て欲しかったけれど
 当事者のみなさんにもたくさん来て欲しかったのになあ。

 すっごく残念。

 だけど、1回のフォーラムで何かが変わるとは思ってないし、
 どんどんたくさんの人に伝えていければいいか
 と思い直しました。

 石井さんご夫婦の姿を見て
 やっぱりこれが当たり前の姿だと感じたし、
 お2人が暮らしている『グループホーム下宿屋』も素晴らしいから
 ぜひとも見学(視察?)させてもらいたいと思ったらOK出そうですし、
 石井さんの奥さんの元先生にはぜひとも
 これからいろいろ勉強させていただけたらと思います。

 フジノにとって、ものすごく収穫のあったシンポジウムでした。

 必ずこのまちの福祉政策に
 反映させていかれるように全力を尽くします。


● 院内学級の子どもたち

 シンポジウムが終わった後は
 大急ぎで病院へ。

 3日目を過ぎるまではとても危険だと言われていて
 今日がその3日目でした。

 とても苦しそうだけれども
 何とか自発呼吸ができています。

 意識が戻らないのは分かっているけれど
 父の大好きな孫たちの声を録音したテープを
 ベッドサイドで再生して聴かせたり、話しかけています。

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 最近は、父親の病室を20時10分に出て、
 帰りながら1階の廊下の壁に飾られている
 『院内学級』の子どもたちの
 作品を観ながら帰るのが習慣になっています。

 僕自身、幼い頃は体が弱くて
 病院はとても身近なところでした。

 すさまじく長期の入院、というのは無かったので
 院内学級を利用したことは無いけれど
 僕は彼ら/彼女らのことをとても身近な存在に感じます。

 その『院内学級』の子たちの
 作品(絵画・俳句・短歌・小物・オブジェ・もろもろが
 展示されています。

院内学級の子どもたちの作品が展示されています

 上の写真は、病院の入り口を入ったすぐの所にあります。

 でも、僕が「すごいなあ、いいなあ」と
 強く思った作品たちは、廊下に飾られた作品たちのうち、
 『俳句・短歌』です。

 本人たちの許可をもらってないので
 載せられないですけれども
 ものすごく紹介したいくらい素晴らしい作品がありました。

 言葉の選び方に非凡な良さを感じました。
 また、擬音(風の音とか葉っぱの舞う感じとか)が
 素晴らしいです。

 病院にいく機会のある方々は
 どうかぜひ『院内学級』の子どもたちの作品展を
 見てください。本当に素晴らしいですから。


● 少しだけ休みたい...

 絶対に後悔したくないので
 全てに全力を尽くします。

 でも、本当は明日は
 1泊2日の温泉に行く予定でした。
 父のことが無くても、すでに僕自身がボロボロなのです。

 少しだけでよいから休みたい。

 もう本当に全てに疲れてしまった。
 市民の方のお話を聞いている時をはじめとして働いている時や
 父のそばに居る時には疲れなんて吹っ飛んでしまうけど
 動くのをとめると僕は倒れてしまいそうだ...。

 休みたい...。




2004年12月10日(金)のフジノ
● それでも、僕は元気です

 誰にも話していないのに
 すでにあまりにも多くの人々が僕の父の容態を知っているので
 しかたがなく諦めてこのコーナーにも
 今日、事実(8日のその29日の分)を掲載しました。

 何故知っているのか知りませんが
 フジノの事情に詳しい方々は、
 いろいろ心配をして下さってすみません。

 僕は、僕ができることに全力を尽くすだけです。

 ただ、今、本当にがんばっているのは
 僕では無いのです。

 どうか僕のことは心配しないで下さい。

 祈ってくれるのならば、
 僕なんかの為ではなく、
 生死の境目で苦しんでいるその本人の為に祈って下さい。

 彼は今日も意識が戻るどころか
 死ぬか生きるかのラインの真上にやじろべえのように
 揺られながら立っているのですから。

 そして、いつも困っている時に限っていつも現われる
 「信心が足りない」とか言って近づいてくる
 エセ宗教のヤツらは放っておいてくれ。

 歴史を持つ確立された宗教群では
 そういうセリフやお布施の要求はこんなタイミングで
 絶対に言わない。

 神はそんな薄っぺらい存在ではないはずだし
 そういう行為でしか信仰心を示せない信者は
 その人こそ信仰心が弱いと思う。

 不愉快だ。

 僕は『祈りの力』を信じるけれども
 金と交換可能な神の力なんてものは信じてたまるか。
 バカバカしい。


● 去年から気になってたこと

 誰も言わないから、言わせて下さい。

 僕はこの看板を見るたびに
 毎回、毎回、不愉快ですさまじく怒りがこみあげてくる。

 同じ想いを持つ人はいませんか。
 青少年開館の看板

 身体障がいのある方のことを
 この国では法律用語として
 『身体障害者』という呼称を用いることがあります。

 けれども、この看板に書かれているような
 差別的な省略された言葉は
 僕の知る限りでは『公的』に存在していないはずです。

 いつか誰かが発言してくれるだろうと信じてきましたが
 誰も言わないから僕が言います。

 この看板は、身体に障がいのある方への謝罪と共に
 そっこく取り外すべきです。

 ちなみにこの看板の実物を見たい方は
 『障がい者福祉センター』の目の前にありますから
 ぜひ行ってみて下さい。

 センターの出口を出て
 目の前の坂を降り始めた瞬間にあります。

 毎日こんなものを見せ付けられている
 当事者の方々とご家族の方々は、
 マザーズA・Bの方々は、
 障がい者福祉センターで働いている職員の方々は、
 一体どんなお気持ちなのでしょうか。

 少なくとも、僕はすさまじく不愉快です。




2004年12月9日(木)のフジノ(*12月10日に掲載しました)
● 父ならば、きっとそう望むと信じて

 今日は、12月議会の最終日でした。

 すでに昨夜のうちに議会事務局に電話をして
 本会議を欠席するかもしれないと
 伝えました。

 何故なら、死に目に会えない可能性があるからです。

 「いったん家に帰って少し休んで下さい」

 と医者に言われて家に帰ったけれども
 けっきょく昨日は眠れないままに今朝を迎えました。

 そして、決心をしました。

 本会議には絶対に出よう。
 おやじにたとえ何があっても出るんだ。

 そう決めました。

 そもそも、地方自治法第137条にのっとり
 政治家には『会議に出席する義務』があります。

 頑固でクソまじめだったおやじは
 きっと僕に向かってこういうだろうと思いました。

 「英明、公務員は公のために務めているのだから
  家族が危篤でも出席するのが当然だろ」

 警察官であった僕のおやじは、
 おやじ自身の父親・母親のどちらの死に目にも会えていません。

 僕はおやじに対して
 恥ずかしくない息子でありたいとこころから願い、
 本会議に出席することに決めました。

 そして、本会議の間は
 ひたすら43万人の利益のことだけを考えて
 冷静さを失うことなく、きちんとした想いで採決に臨みました。

 「フジノくんはいつもと変わらない表情だった」

 というメールを夜に知り合いの方から頂いて、
 僕は政治家としての顔で在り続けられたことを誇りに感じました。

 僕は公務員なのだ。

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 本会議が終わりを告げるブザーと共に
 僕は急いで会議場を飛び出て
 父のいる病院へと向かいました。

 公務を終えて、私人として
 少しでも長く父のそばに居たいと切実に思います。


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