まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2005年1月26日(水)のフジノ(その2)
● 感傷もへったくれも無いぞ!

 下の1月26日(その1)までは
 秋田県や新幹線の中で書いて送信してきたのですが、
 これは横須賀のフジノ事務所に戻って書いています。

 帰ってきた途端に、すさまじい量の留守電と
 Eメールと電話の数には、参った...。

 疲れてるけど、ガシガシ返事を書いたりしています。

 出発前に片づけたはずの問題も再燃してたり
 いろいろ「まじ?」という内容の相談メールがどーんと来てます。

 一方で、東京でがんばっている友達が
 新潟の子ども達との交流の為のアートプログラムを準備してたり
 いい感じの動きもいろいろ動いていて、うれしい!

 けれども、家族のことは
 入院している両親ともに悪化していたりして
 すごく3日間の不在というのは大きかった、やばいなあ、と思いました。

 とにかく横須賀市議としての
 戦線に復帰します。

 これじゃあ、合川の方々にお礼状を書く時間も無いよ、とほほ。



2005年1月26日(水)のフジノ(その1)
● 横須賀へ戻って、再び闘いの日々へ

 これまではどこかを訪れても、いつも気持ちは横須賀にあって
 早く戻らなければという想いがあった。

 だけど、今回、秋田県の合川町で講演をして
 佐藤町長をはじめとする、合川町役場の方々、合川町の人々、
 特に保健センターの方々に強く惹かれてしまった。

 このまちは3月22日で無くなる。
 複数のまちで合併して、『北秋田市』という新しい市になる。

 僕は、この合川町の素晴らしさが
 合併で損なわれないように見届けたいと本気で感じてしまった。

 保健センターの方々と語り合い、
 合川町の人々と語り合い、
 僕はこのまちの未来について一生懸命語り合った3日間だった。

 これほど自分のまちについて
 僕は横須賀市の人々と話ができたことがない。

 『平成の大合併』という異常事態がそうさせているのか、
 あるいは合川町の7919人という人口が
 1人1人の意識を高くしているのかもしれない。

 けれど、こんなにもまちの未来について
 こんなにも真剣にたくさんの考えている人々がいて
 でも、僕には「本当はこれがものすごく自然な状態」だと感じた。

 帰りたくない。ここで未来をつくりたい。

 そんな風に思わせてくれた、合川町。
 本当に、こころから大好きです。

 朝9時の汽車(旅館のおかみさんはそう呼びます)で
 僕はこのまちを出て、
 夕方には横須賀市に戻って
 また市議会議員として全力で闘い続けます。

 けれども、必ず戻ってきます。

 合併によって北秋田市になっても
 この合川町の素晴らしさが失われていない未来を信じて
 必ず戻ってきて、みなさんと再会しに来ます。

 小さくともきらりと光る輝いているまち、
 それが合川町でした。

 みなさん、本当にありがとうございました。

旅館を出て合川駅へ向かうフジノ



2005年1月25日(火)のフジノ(その2)
● うれしかった、秋田での語りまくり(その1)

 講演終了後の真夜中に書いています。
 (1月25日その1「講演のこと」は、また後で書きます)

 今日は、夕方から
 保健センターの方々やシンポジウムの関係者の方々とともに
 打ち上げに参加させていただきました。

 僕は『打ち上げ』というと
 やれ、お酒が出て、とかそういうのを想像してしまったので
 横須賀を出発する前に事情を説明して
 けっこうごうまんなメールを送ってしまいました。

 つまり、

 ・僕は絶対にお酒を飲みたくない

 ・そういう打ち上げならば参加したくない

 という感じですね。

 そうしたら、すでに
 こんなフジノを講師として呼んで下さった方々ですから
 とっくに理解していて下さったのですね。

 「カフェトークみたいにやりましょうよ」って言って下さって、
 みんなでごはんを食べながら、
 ひたすら語り合う場になったのでした。

 打ち上げというよりも
 昨日に引き続き
 完全に『カフェトークin秋田2』でした!

 ・参加者は全員が自費(これは本当に大切です!)。

 ・お酒は一切ナシ!


 そして、保健師さんや栄養士さんや議員さんや
 市民活動をしている方や福祉のお仕事をしている方など
 20代から60代の、男性3名、女性8名による
 想いのある方々の集まりで
 とても素晴らしい時間を過ごしました!

 ひたすら、語り合いました。
 語って語って
 語り合いました。

 決して僕を中心に進むというのではなくて(これも大切!)、
 それぞれの席のまわりの人同士で話をしたり
 時にはテーブル全体で話をしたり
 とにかくあっという間に時間が過ぎてしまいました。

 すっごく素敵な場でした。

 こんなにまじめに語り合って過ごせるなんて、
 本当に素晴らしい時間でした。

 話題は、ちょっと思い浮かぶだけでも

 ・自殺予防
 ・保健活動
 ・秋田という県の姿
 ・合川町の現状と合併後の北秋田市の姿
 ・合川町保健センターの素晴らしいノウハウをどう引き継いでいくか
 ・かつての政治の在り方と新しい政治の在り方
 ・ひきこもり、不登校について
 ・精神保健福祉について
 ・全力で働きつつ、どううまく息抜きをしていくか

 をはじめ、もっとたくさん出ました。
 すごく語り合いました。

 ここに集ったメンバーというのは
 誰もが現役バリバリで福祉やボランティア活動をしている方々で
 なんてパワフルでなんて気合に満ち満ちていて
 すばらしい人たちなんだろう!

関係者のみなさんで

 僕はものすごく勉強になったし、
 まだこの人々と過ごしたい、一緒に活動したい、と思いました。

 みなさん、本当にありがとうございました!


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 ちなみに、会場だったのは
 小さな素敵なお店だったのですけれど
 雪景色が本当に美しかったのです。

 障子をあけて電気を消すと
 外にはしんしんと雪が降っていて
 庭は僕の腰ぐらいまで雪がつもっています。

 石の燈篭や樹木にも雪がつもり、
 でもそれは飾られているかのように感じられる美しさでした。

懇親会の素敵な小さなお店  僕の携帯カメラでは
 美しさが写し取れません。
 ピンボケでごめんなさい。

 この写真は
 入り口の写真です。

 それにしても、初めて『側溝(そっこう)』というものに
 落ちてしまいました。

 雪を捨てたりするためのドブのものすごく深いものを
 側溝と呼ぶそうなのですけれども
 道路かと思って車から出て
 一歩踏み出したら
 ...片足がズボッってはまった!

 しかも、完全に片足すべて。腰の高さまで。

 反対側の足で力を入れて抜こうにも抜けないのです(涙)。
 けっきょく助けてもらいました。

 僕のスタッフは

 「絶対に写真を撮っておけば良かった!(笑)
  横須賀のみんなにも見せてあげたかった(笑)」

 と大はしゃぎでした。やれやれ。

 でも、これはこれで真剣なことだそうで、
 参加者の1人である小坂和子さん(鷹巣町会議員・いまや仲良し)は

 「子どもが落ちると危険なので一刻も早く全ての側溝に
  ネットをはるなど何らかの措置を!」

 と議会で質問したそうです。

 確かに僕の腰まで来る側溝ですから、危ないかも。
 でも、本当に僕のスタッフはよく笑っていたなぁ。
 まあいいけど。

 考えてみれば、往復の旅費や宿泊費を出すとはいっても
 スタッフにはわざわざ会社に休暇をとってもらって
 秋田まで来てもらったのですね。

 旅の疲れもあったり
 初めてのまちに来たり
 緊張も強かったと思います。スタッフにも感謝。
 こころから感謝。本当にありがとう。
 そんなスタッフに笑いを提供できて良かったです。


● 盟友・小坂和子さん(秋田県・鷹巣町会議員)

 小坂さんのことをぜひ紹介させて下さいね。

小坂和子さん(鷹巣町議員)と共に  ちなみに、
 昨年の写真なのですが
 小坂和子さん(鷹巣町会議員)です!

 彼女とは昨年に秋田で行なわれた
 『精神保健ボランティア全国のつどい』で
 出会いました。

 信じられないくらいに
 フジノと考え方が合う方です。

 自殺予防、精神保健福祉の向上など
 目指している所が同じ。

 鷹巣町も合併するのですけれど、
 合併した時点では70名以上になる北秋田市議会議員も
 特例の期間が過ぎたら一気に20数名に減るそうです。

 今まで僕は「他人の選挙応援なんてくだらない」、
 と考えて生きてきました。だって時間がもったいないから。
 僕は横須賀の政治家であって他のまちの政治家では無いから。

 だから、誰の応援にも行ったことがありません。
 その分、自分のまちのことをきちんと1秒でも長く仕事したいから。

 だけど僕は本気で「小坂さんの選挙応援に来ます!」と思いました。

 だって、70名→20名でしょ。
 当選人数の激減、という厳しい条件もあります。

 でも、そんなことよりも

 今回話してみて初めて知ったのですが
 彼女は還暦(見えないでしょ!)なのですね。
 還暦にして初当選ですよ。
 すごいことだと思いませんか?

 おまけに立候補の動機も
 フジノとすごく似ている。

 僕は僕が何故本当は立候補したのかを
 横須賀では話したことが無いのですが
 小坂さんとお互いにそれを話し合って、こころをうたれました。

 さらに、選挙での人々への訴え方もフジノと同じで
 ひたすら歩いては演説、というパターンなのです。

 僕がこれをやれたのは、20代だったからですよ!
 体力的にも、精神的にも。命がけだったからできたのですね。

 だけど、それを小坂さんはやってのけた訳です。
 小坂さんも同じ。命がけで生きた。

 なんてカッコいい人なんだ!
 なんてすごい人だ!
 と、僕はこころから小坂さんをリスペクト(尊敬)しています。

 いずれにしても、県が違くても遠くても何でも
 同じ考えの政治家を減らすわけには
 絶対にいかないもん。
 人としての仁義、
 とにかく手伝いに行かなくちゃ、と決めました。

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 不思議なことに僕と小坂さんは
 お互いに『政治家』として話をしたことが全く無かったのです。

 理由は『そんな必要が無い』から(笑)。

 純粋に見ている方向が同じ、ということで昨年知り合いになって
 でも、それだけだったんですよね。
 政治の話なんてしたことがなかった。

 出会いからしてお互いに政治家だなんて知らなかった。
 ガーンとこころを惹かれて
 そしてたくさん語り合っていく中で
 初めて「職業はフジノくんと同じ」と事実を知らされて
 僕はすさまじく驚きました。

 でも、それを聞いてからも
 ふつうに話題はどこまでも続いていって
 政治のことなんて全然話題にならなくって
 目指している方向が同じということでひたすら話をしまくりました。

 しかもいまだに小坂さんが政治家として
 政党に所属しているのか?とか
 会派に入っているのか?とか
 そんな基本的な事柄さえ知らないや。別にどうでもいい。

 そんなことすらどうでもいい(聞く気にならない)くらいに
 目指している基本的な部分が同じなんです。

 こんな風に本気でふつうに語り合える政治家に出会えたのは
 本当にやっと10人目くらいです。

 この業界、おかしいもん。
 おかしな業界の中でも
 ふつうの感性のままでいてくれる大切な仲間。

 こういうシチュエーションは
 アサノ知事と全く同じ。
 好きな人がたまたま職業が政治家だった、というだけ。

 今回も同じです。

 語りまくって語りまくって
 大好きになった相手が
 たまたま政治家という職業だった。

 そんな相手の1人が小坂和子さんです。

 僕は友達としても
 自殺予防・精神保健福祉の向上をめざす政治家の同志としても
 絶対に選挙のお手伝いに行ってこようと
 初めて思ったのでした。


● うれしかった、秋田での語りまくり(その2) 

 さらにこの夜は、
 旅館に帰ってからも真夜1時まで語りまくりました。

秋田県横手市で知り合いになった方  昨年に秋田県横手市でひらかれた
 『精神保健ボランティア全国のつどいinあきた』
 知り合いになった
 福祉関係のお仕事をしているAさん。

 (注:この写真のAさんはボランティアとしてわざと
  この格好をしているだけですからね)

 それからはメールを通じて
 これまでいろいろなことを教えていただいてきて
 秋田と横須賀で離れてはいるけれども
 今ではすっかり『友達』というか『同志』というか『仲間』のような
 僕にとって、とても大きな存在になって下さいました。

 内陸縦貫鉄道の合川町を出る終電は19時10分と早かったので、
 講演を聞いて打ち上げに参加するんだったら
 いっそ泊りがけの方がラクだよ、ということで
 同じ旅館に泊まってもらって
 夜中まで語り合いました。

 (注:同じ旅館とか語り合ったとか書くと誤解する人々がいるので
  あえて注釈。合川町に旅館は2軒しか無いのと
  会場から1番近い旅館に泊まれば必然的に同じところに
  宿泊をせざるをえません。当然、部屋も完全に別ですし。
  語り合うといっても仕事の話をするわけで
  愛を語り合う訳では無いので、
  どうかこんな部分で攻撃をしないで下さいね)

 僕が本当に苦しかった時期に
 気づいてくれたのは秋田の友達だけだった、と11月に書いた
 まさにその方なのでとにかくお礼を伝えました。

 あとはひたすらお互いの状況や
 福祉の今後の在り方や
 問題に感じていることや
 未来に向かってどんな風に進んでいくかを
 気力が続く限り、語り合いました。

 それにしても、Aさんは前夜は徹夜、
 フジノは1時間睡眠、と2人とも全然寝てないのに
 よく数時間も語り合ったものだと思います!

 でも、最後はフジノが脱落...。

 Aさん、本当にありがとうございました。

 なかなか秋田県と横須賀市では
 お会いする機会そのものが無いのですけれども
 目指しているこころざしは同じだから
 絶対に距離が離れていても
 想いがずれることは無いと信じています。

 小坂さんにしてもAさんにしても
 合川町のたくさんの方々にしても
 本当にみなさん大好きです。

 物理的には距離が離れているのに
 見ている景色が同じ、
 目指している未来が同じ、
 って本当に気持ちがいい。

 秋田での語りまくりは
 本当に僕にとって
 サイコーの体験でした。

 今日は気持ちよく眠れるな、きっと。



2005年1月25日(火)のフジノ(その1)
● 大成功でした!

 フジノが行なった講演の内容については
 また後日、あらためて記したいと思います。

 とりいそぎ、報告です。

 大成功でした!

 こんなにも
 大きな会場でした。

 来て下さった方々も
 ものすごく
 たくさんでした。

 感動しました。

 講演を終えた後も、たくさんの方々から
 握手を求められました。ありがとうございます。


 講演後、佐藤町長がフジノを呼び止めて下さり、
 10分くらいそのまま立ち話をしました。

 フジノの講演を聞いて、感じたことを話してくださいました。

 役所の職員さんが後で走ってフジノの所へ来て

 「フジノさん!町長と何をお話されたのですか!」

 と真剣に質問されたので、驚いてしまいました。
 その訳を尋ねてみると

 「町長が10分もあんなふうに立ち話するなんて
  本当に珍しいことなんですよ。
  きっとフジノさんのお話に感じるところがあったんですね」

 と言われました。

 (佐藤町長と何をお話したかは秘密です)

 今回、フジノを
 合川町に
 講演に呼んで下さった
 佐藤町長です。

 本当にこころから
 感謝しています。

 僕はこんなにも
 温かくみなさんから
 迎えていただけるとは
 想像すら
 していませんでした。

 ありがとうございます。

 合川町のみなさん、本当に本当にありがとうございました!



2005年1月24日(月)のフジノ(その2)
● 原稿ができない!

 今、24日の深夜というか
 講演当日の早朝5時です(涙)。

 いまだに原稿ができていません...。

 というのも、今日の夜に
 なんか全て話したいことを話してしまったんですよね。

 夜、合川町保健センターの事務局長さん(保健師)と
 1度お会いして大好きな小坂和子さん(鷹巣町会議員)と
 僕のスタッフと4人で、たくさん話をしたんです。

 そもそもは明日の打ち合わせのために集まったのですが
 完全に『カフェトークin秋田』でした!

 お互いに感じていること、
 3時間も話してしまいました。

 この4人で話す、なんて
 今後一生無いかもしれない組み合わせなんですけど
 感性がみんな合うので
 話が止まらないんですね。

 明日の講演で
 話そうと思っていたことを
 全て話しきってしまいました(涙)。

 そんな訳で、全て原稿を書き直そうとしていて
 朝5時なのに終わりません...。

 あと5時間でおれの講演はじまるよ!まいった!

 やっぱり、講演の前日に
 話をしちゃダメだなあ...。

 以前に、ナミねぇ(竹中ナミさん)に
 横須賀に来ていただいた時も
 翌日にフジノはインタビューをさせてもらう時間を取っていたの。

 だけど、前日にスタッフとナミねぇとみんなで
 夕食を食べながら話をしてたら
 話したいことを全部話し切ってしまった!

 だから翌日にインタビューなんて言っても
 昨日聞いたことをまた聞くのも変だし、
 結局訳の分からないインタビューになってしまったのでした...。

 あ〜、本当にやばい!

 原稿、どうなるんだ!?





2005年1月24日(月)のフジノ
● 秋田県・合川町に来ました

 今、夕方の17時で
 秋田県北秋田郡合川町の山喜旅館という所にいます。

山喜旅館にて  今書いているこの原稿が
 今日中にはインターネット上に
 アップできない環境なのですが
 ともかく活動を伝えたくて
 ぱたぱたと
 キーボードを打っています。

 17時から佐藤・合川町長とお会いする予定だったのですが
 合併協議会が長引いてしまってお会いできませんでした。

 そう、合川町は合併するのです。

 横須賀出身の小泉首相の改革が
 確かに東京から離れたここにまでも影響を与えていることを
 実感しました。うーむ。

 合川町HPの掲示板を読みましたが
 合併に反対の方々もいらっしゃって
 その方々の気持ちも僕にはとてもよく理解できるわけです。
 なんといっても、桜台中学の統合に大反対したフジノですから。

 けれども、3月22日をめどに
 合併が成されるそうです。

 もともと合川町は、
 昭和の大合併の時に複数の村が1つになりました。

 3つの川の流れが町内で1つになるのですね。
 それで「川が合う」ということから
 『合川町』という名前の由来になっています。

 今日はあいにく、というか、いつもそうなんですが
 観光は一切無しなので、
 その『川が1つになる場所』を見る事はできずに
 僕は合川町から帰ることになります。

 フジノの視察や見学や今回の講演もそうですが
 目的だけ果たしたらすぐ来てすぐ帰ってしまうスケジュールなので
 さみしいけれど、しかたがないですね。


● 秋田にあえてフジノが来た理由

 秋田県北秋田郡にある合川町に来るには
 横須賀から電車でだいたい7時間かかります。

 新幹線にのって、やがて雪一面の世界へ。

秋田の景色

 フジノと秋田県の結びつきは
 一体何なのだろうか、とたくさんの人々が思っていることでしょう。

 僕自身、今この時期に
 父も母も入院していて
 しかも横須賀市の政治家なのに
 別の県に来て(頼まれたとはいえ)講演をすることは
 できれば避けたい気持ちもありました。

 それでも引き受けた理由は、
 実はたった1つです。

 秋田県を『同志』だと感じているからです。

 実は、秋田県は今年で連続9年間、
 自殺率が全国でワースト1位です。

 しかし、平成12年に寺田知事が自殺予防の調査の為に
 予算を300万円つけて以来、自殺予防に対して
 行政がファイティングポーズをとりつづけている自治体なのです。

 この国でタブー視されている問題はたくさんあり、
 自殺(自死)もその1つです。

 現実にはたくさん存在しているのに
 それを公の場で議論したりすることを
 すぐにいつもこの国は逃げてしまいます。

 でも、秋田県は行政が闘う意思を見せた、
 つまり大きな大きな『錦の御旗』をかかげてくれたのです。

 いまだ国の政策も自殺予防に対して
 十分だとは言い切れない中で
 フジノも横須賀市で自殺予防を公約に政治家をしています。

 この仕事は、本当に味方がいないのですよ。

 『いのちの電話』の方々と話していても
 自殺はどんどん増えていっているのに
 電話ボランティアになってくれる人はどんどん減っている。

 人の命は、憲法で保障された
 最も基本的な人権なのに!

 だから、ファイティングポーズを
 一緒に取り続けてくれている秋田県とフジノとは
 勝手に『同志』です。

 同志の為なら、僕は仁義を果たしに行きます。
 たとえ微力ではあっても、僕のできることはお手伝いしたいのです。

 今回、合川町に講演に呼んで頂いたのは

 『差別や偏見の無い愛に満ちた共生のまちづくり』

 というテーマを与えられての講演ですが
 それでも秋田県への恩返しに変わりはありません。

 だから、秋田県にいます。
 そして、明日、精一杯の講演をしてきます。

秋田県の雪景色



2005年1月23日(日)のフジノ
● 原稿が書けないよ〜(涙)

 秋田に行く前に
 今受けている相談の全てにカタをつけたくて
 この数日めちゃくちゃ走り回っていたら
 原稿が書けない!

 今も真夜中の3時なんですけれど
 まだ市民の方との話し合いが続きそうなんですけれど...。

 フジノは横須賀の市議会議員だから
 当然、横須賀のために働きます。

 でも、明日は体力的に
 ものすごくきつくなりそう。うーむ。


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