まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2006年6月30日(金)のフジノ
● 市の『教育基本計画』を推進する委員会

 けさは10時から11時までの1時間、
 『教育基本計画推進委員会』の傍聴をしました。

 そもそも、教育基本計画推進とは何か、という説明をしますね。


(1)教育基本計画とアクションプラン

 横須賀市には「教育をこうしていくぜ!」という計画である
 『横須賀市教育基本計画』というのがあります。
 
横須賀市 教育 基本計画
(H14〜H23)
アクションプラン
(H17〜H18)
新アクションプラン
(H19〜H21)
新・新アクションプラン?
(H21〜H23?)

 基本計画というのは、
 10年間もの期間が対象になっている『長期』計画です。

 そこで、『長期』計画をきちんと実行していく為の
 細かい『短期』計画もつくっています。

 それが『アクションプラン』です。

 これは3年間くらいの期間にくぎって
 しばらくしたら見直し、見直ししたら新しいアクションプランをつくる、
 っていう感じで動かしていきます。

 短期のアクションプランを実行していくと
 長期の基本計画が実現する、というイメージですね。


(2)この委員会が行なうこと

 そして、この推進委員会が今年やることについて。
 3つです。

 1.去年の進行チェック

 2.基本計画の見直し

 3.新アクションプランをつくる

 1については、毎年やっていることなのですが
 「去年はどうだったか?」というチェック作業を行ないます。

 反省点を分析したり、改善点を提案したりして、
 計画がうまく実行されるようにチェックしていきます。

 2については、どんな計画でも
 「時間の流れ」という要素を無視することはできません。

 どれだけ「つくった当時」は素晴らしかったとしても
 毎年毎年、確実に時代は動いていますから
 計画は必ず「合わない」ものになっていくものです。

 そこで、見直しをかけていくわけですね。

 3については、現在のアクションプランが終わるので
 新しいものを作る、というものですね。


 今日の委員会では
 今年度おこなうことを確認して終わりました。

---------------------------------------------------

 あなたは『教育基本計画』って
 どんなものか知っていますか?

 教育によってどんな人間になってほしいか、を
 横須賀市がどういう風に考えているか。

 そういう人間像に導くために
 横須賀市がどんな教育政策をとっているか。

 あなたもぜひ読んでみて下さいね。



2006年6月29日(木)のフジノ
● 自殺対策基本法はまだ『施行』されていません

 複数の方からメールや電話で

 「フジノさん、自殺対策基本法はいつ施行されるのですか?」

 と、質問を受けました。

 そうなんです。自殺対策基本法は
 国会で『成立』はしましたが
 いまだ『施行』はされていないのです。

 (公布は6月21日付『官報』でなされました)

 法律は『施行』されない限り、そのルールは使わないのです。

 だから、 実際に『施行』されなければ
 ダメなんですね。それでいろいろな方から「いつ施行なの?」と
 質問を受けた、というわけですね。

 でも、ふつう『施行』なんて知らないですよね。

 流れとしては、こんな感じ。


   議会で『法案』が可決=『成立』
        ↓
   『公布』します(多くの場合、1週間以内)
        ↓
   『施行』します
        ↓
   法律が有効になります



 『成立した日』=『施行する日』という場合もあるのですが、
 今回の自殺対策基本法のように
 「6ヶ月以内に施行する」と
 法律に書かれていることもあります。

 公布をしたのに何故6ヶ月も放っておくかというと

 ・新しいルールを広く理解してもらう必要がある

 ・関係している省庁の調整にじっくりと時間をかける。
  (政省令という細かなルールを作る調整期間でもあります)

 新しいルールを広く理解してもらう必要がある、って
 例えば、消費税の値上げとか分かりやすいと思います。

 仮に今、値上げが法律で可決されても
 スタートは数年後の4月から、とかみたいな感じ。

 国民生活に大きな影響を与えるから
 スタートするまでにじっくり知ってもらう必要がありますよね。


● でも大丈夫、12月には必ず施行されています

 みんなに協力してもらったおかげで『成立』した
 自殺対策基本法なのですが、
 まだ『施行』するには至っていません。

 質問をいただいてから、
 フジノ自身も調べるためにいろいろなところに
 お話をうかがいました。

 厚生労働省と内閣府大臣官房の方にも
 お話をうかがったのですが
 あと1ヶ月くらいは準備に時間がかかりそうだとのことです。

 ちょっと不安になってしまって、
 超党派の国会議員有志で法案成立に向けて活動して下さった
 中心人物の武見敬三さん(参議院議員・自民党)に
 様子をうかがいました。

 秘書の方がわざわざ調べてお電話くださったのですが

 「9月には動くかもしれません」

 とのことでした。

 武見さん、お時間とらせてしまってすみません。
 本当にありがとうございました。

 9月といえば、10日が世界自殺予防デーです。

 自殺対策基本法の施行日は
 9月10日にしてもらえたらいいのに、なんて思いました。

 いずれにしても、考え方としては

 「6ヶ月以内に施行する」=「6ヵ月後には必ず施行されている」

 ということだそうなのです。

 全国の地方自治体の
 自殺予防対策を担当している職員さんの中には

 「施行されていない法律では『予算要求』ができない!」

 というご意見の方もいらっしゃいます。

 確かに地方自治体がつくる来年度予算案は
 夏くらいから作業がスタートします。

 だから、自殺対策基本法が施行されている方が
 予算作成を含めてあらゆることがやりやすいことも理解しています。

 でも、すでにあらゆる種類の取り組みを
 説明している行政向けの活動マニュアルもあります。

 上司が「施行されていないならダメ」なんて言ったとしても
 確かに法律はそうかもしれないけれども
 参議院の決議はすでに去年7月になされているし
 今は確かに施行前でも法律は必ず12月にはスタートするのです。

 どうか予算づくりの場で、施行前だということを理由に
 自殺対策カンケーの事業を認めないようなことを言ってきたとしたら
 絶対に負けないでください!



2006年6月27日(火)のフジノ
● 目の前で人が命を失いかける、凍えるこころ

 今は27日(火)というよりも
 すでに28日(水)の朝4時、という方が正しい。

 場所は横浜東口の
 終夜営業のインターネットマンガ喫茶。

 個別のパーティションで区切られた
 ざしきみたいな1人用のスペースに僕はいる。

 長い1日だった。

 でも、まだ何も終わっていないのだけれど
 とにかく今はやっと
 ここでひと息つくことができて
 あと1時間半くらいで京浜急行の始発が出るのを待っている。

 とても疲れた...。

----------------------------------------------

 夕方17時、僕は月2回通っている
 横浜の病院を出た。

 僕はとても体調が悪い。
 定期的に病院に通わないとふだんの暮らしが叶わない。

 病院を出て15分後、友達とまちあわせ。
 1時間ほど歩きながら話をして、
 それからメシ屋に入った。

 初めて入った店なので
 注文する量が良く分からなくて僕たちは頼みすぎてしまった。

 僕たちはそれらをたいらげるために
 かなりムリをしてお腹に詰め込んでいったわけだけど
 友達の様子がおかしいことに気づいた。

 最初はもちろん食べ過ぎたせいだと思った。

 けれども、何かが違う。

 「調子悪いんだろ?」

 とくりかえし尋ねると、
 最初のうちは強がって「平気だ」と答えていた友達が

 「うん、少し休みたい」

 と答えた。

 やがて外の空気に当たりたいというので
 会計をして外に出ることにした。

 しかし、友達はうまく歩くことができない。

 僕は肩を貸しながら
 タクシーを呼ぶべきか救急車を呼ぶべきか考えていた。

 ベンチに座りたい、と友達が言ったので
 何とか必死になって10mほど先まで歩いていった。

 日ごろは体育会系で
 他人に弱みを見せない友達が
 今では目の前でベンチに寝転がっている。

 気づくと僕の後ろには
 ガードマンが立っていた。

 「お酒はまったく飲んでいないし、
  急病なんです。
  この近くに病院はありませんか?」

 と僕は尋ねても、ガードマンは分からないと答えた。

 友達は僕にくりかえし

 「左腕がしびれる。左足に力が入らない。立てない」

 「頭が痛い」

 と伝えようとしている。

 けれども、ろれつが回っていない。

 僕は友達を救急窓口に連れて行くことに決めた。

------------------------------------------------

 2年前の12月、僕は東京の杉並区で
 和田中学校の自殺予防ロールプレイングを視察していた。

 お昼、母から電話があって
 父さんが朝、自分で体調が悪いからと病院に行ったら
 そのまま入院になった、と伝えられた。

 僕は急いで横須賀に戻った。

 14時半ころ、やっと病室に僕は着いた。

 そこから数時間は、この先の人生を通じて
 僕は2度と忘れることができない光景に出会うことになった。

 父さんが、どんどん動けなくなっていき、
 どんどんしゃべれなくなっていき、
 最後には意識不明になってしまったのだ。

 父は見舞いに来た僕に対して
 「仕事に戻るように」とハッキリと言った。

 男同士の親子というのは
 いつだってこんなものだ。強がりがいつも言葉に出る。

 僕はそのまま病室に残った。

 母は着替えを取りに行っているから
 家族は僕だけだからなおさら帰るわけにはいかない。

 父さんはくだらない冗談をたくさんいって
 僕をあきれさせた。

 父さんはメモを取って、自分の体調の変化を
 時間と一緒に記していた。

 けれども、少しずつ、父は調子がおかしくなっていったのだ。

 ろれつが回らなくなる。

 メモをとっていた文字が読めないような文字になる。

 僕は何度も何度もナースコールをした。
 そして、ドクターを呼んでくれ、と頼んだ。

 けれどもドクターは来てくれなかった。

 父の様子はどんどん悪くなっていった。

 姉がお見舞いにやってきた。

 父は、姉を心配させないように
 もはやしゃべれないので
 身振りで冗談を伝えようとした。

 僕は必死にナースコールを鳴らした。

 その時に来てくれた看護師さんだけが
 本当にまともな人で、僕の訴えをちゃんと聞いてくれて、
 父の様子がどんどんひどくなっていくことを
 一緒につきそって見てくれた。

 3分くらいしかいないうちに
 看護師さんはすくっと立ち上がって僕に言った。

 「今すぐドクターを呼んできます。
  分刻みで様子が悪くなっています」

 そして、散々長い時間の後に
 やっとドクターが来た時には
 僕の大切な父さんは、昏倒してしまった。

 意識を失ってしまった。

 父は脳内出血がひどくて脳がぐじゃぐじゃで
 それから2年間、完全な植物状態になってしまっている。

 僕は2時間半、父がどんどんひどくなる様子を
 目の前で見ていた。

 ナースコールを何回も押したけれど
 来てくれた人はまともにとりあってくれなかったし、
 ドクターは最後になるまで来てくれなかった。

 僕はこの病院とドクターを殺したいほど憎んでいるし
 今でも父さんの弱っていく姿を夢に見ては
 浅くしか眠れなくて苦しい。

 おれのせいだ。

 おれがこんな病院を早く変えさせておけば良かった。

 何度も僕はすでに父さんに
 「何かあったら別の病院にして!」と頼んでいた。

 けれども昔気質の父は
 1度通った病院を変えようとはしなかった。

 あるいは、おれがもっと必死になって
 看護師をひきとめて、もっと必死になってドクターを呼べば...。

 いずれにしても、僕は僕の中に
 拭いようのない罪責感を抱きながら今も生きている。

 ドクターも憎いけれど、おれ自身が
 もっとやれることがあったはずだと感じている。

-------------------------------------------------

 今、目の前の友達が
 まったく同じ状態になっている。

 症状は父さんより軽いけれども
 あの時とまったく同じ感じがする。

 友達は「大丈夫だ」としつこく食い下がって
 病院に連れて行かれることを必死に拒んだけれども
 僕の腹は決まっていた。

 すでに「良い病院」と評判のK病院の
 救急窓口に容態を伝えて、「連れてきて下さい」と返事をもらっていた。

 あとはタクシーに乗せるだけだ。

 父さんのように友達をするわけにはいかない。

 タクシーに友達を乗せて
 病院に着いた頃には
 友達自身も自分の病状の重さにあきらめて
 診察を嫌がるそぶりはまったく見せなかった。

-------------------------------------------------

 そこからもまた、とても苦しい体験だった。

 友達は意識が混濁していて
 僕もドクターの説明にたちあった。

 髄膜炎か、ギランバレー病か、若年性の脳梗塞か。

 熱も39度もある。

 ドクターの説明を聞いているうちに
 僕は吐き気がしてきた。

 けれども友達が、家族に電話できないから僕にかけてほしい、と
 頼んできたので、僕は真夜中に遠くの彼の実家へと
 電話をかけなければならなかった。

 突然の電話にとまどう友達のお母さんに
 髄膜炎かギランバレー病か脳梗塞か分からないけれど
 友達はいまとても苦しんでいて
 できるだけ早くここに来てほしいんです、と
 伝えるのは本当に難しい作業だった。

 友達のお母さんは
 今からでは電車も飛行機もムリなので
 明日の朝いちばんで向かう、と僕に返事をした。

 僕は救急病棟に戻って
 友達の入院承諾書類一式を受け取って、
 代理署名できる書類をすべて書いた。

--------------------------------------------------

 深夜2時半になって
 やっと髄膜炎ではない、という結果が出た。

 これで今すぐに命が失われるという心配は無くなった。

 そこでドクターに

 「つきそいのあなたは帰って下さい。
  ご家族と患者さんのあいだに第三者が入ってしまうと
  あとで大変なことになることがありますよ。
  今日もずっとつきそっていたのだから
  今日は早く帰って休まれた方がいいですよ」

 と言われてしまった。

 しかたなく、病院を出た。

 郊外にある病院の外は、
 タクシーも車もまったく走っていなかった。

 僕は途方に暮れるしかなかった。

 横浜に住んでいる友達に電話をしたら
 10分後に迎えに来てくれた。

 彼の家では赤ちゃんが産まれたばかりなので
 さすがに泊まらせてもらうのは申し訳なくて
 駅のそばにあるインターネットマンガ喫茶を紹介してもらった。

--------------------------------------------------

 そうして、はじめに戻る。

 僕は小さなパーティションで区切られたスペースで
 パソコンを打っている。

 目の前で人が死にそうになっている光景は
 僕のこころを明らかに凍えさせてしまっている。

 物事を考えることや
 なすべきことをなす、ということはできるけれども
 感情の部分が機能停止している気がする。

 まだ友達の症状は
 予断を許さない。

 僕はとにかくあと1時間で
 始発の京浜急行が動き出すので
 それまでここに身を潜めていよう。

 長い1日がまだ終わらない。



2006年6月18日(日)のフジノ
● 日本グループホーム学会第3回大会(2日目)


 アンケートにご協力お願いします

 今日は、写真のみ。文章は後日に書きますね。

グループホーム学会2日目1  『グループホーム
 研究の最前線』


グループホーム学会2日目2  『グループホームと
 地域防災〜長崎・
 大村火災の経験から』

 室津代表。


グループホーム学会2日目3  


グループホーム学会2日目4  『知的障がい者


あんかけマーボー丼  毎日テレビでも
 紹介されたという
 ラーメン屋さんが
 そばにありました。

 ラッキー。

 あんかけ
 マーボー丼という
 名物を食べました。



2006年6月17日(土)のフジノ
● 日本グループホーム学会第3回大会(大阪大会)

 今日は、朝から大阪の四天王寺へ。

 日本グループホーム学会の
 第3回大会(大阪大会)でした。

 新幹線で約4時間、人生で2度目の大阪滞在でした。

日本グループホーム学会の入り口  ここ最近はとにかく
 スケジュールがタイトだったせいで
 新幹線チケットをとったのも
 おととい。

 四天王寺という場所が
 大阪のどこなのかも
 全く分かっていない状態で
 とにかく電車に飛び乗って
 ここまでやってきました。

 外はあいにくの雨。

 傘を買うまでに
 すっかりびしょ濡れになって
 しまいました。寒い...。

 参加した感想は、

 障害者自立支援法(とてもひどい法律です)が
 4月からスタートしたせいで、
 開始からまだ2ヶ月しか経っていないのに
 すでに本当にたくさんの問題が起こっている

 ということです。

 フジノは昨年は丸1年ずうっと
 この悪法が成立しないように闘ってきました。

 しかし、

 (1)昨年暮れから自殺予防対策に集中しなければならなかったこと

 (2)今年から福祉カンケーの民生常任委員会を外されたこと

 という2つの大きな要因があって、
 障がいのある方々の福祉から少し距離ができてしまいました。

 かつてのフジノならば
 厚生労働省の
 主管課長会議などの
 資料もいつも全て
 必ず読んでいました。

こんな資料
 全て必ず読む人は
 めったにいません)

 それがここ1〜2ヶ月は
 さらっと流して
 読むだけでした。 

 その間にグループホームも
 本当にひどい状況に追い込まれていたのですね。

 まいったよ。

 今日、グループホーム学会の為に
 大阪まで来て良かった。

 改めて障がい福祉が追い込まれている現状が良く分かりました。

 横須賀にいると原子力空母のことや
 あらゆる出来事のせいで
 フジノの本業である福祉に取れる時間がほとんど無くなってしまう。

 改めて

 「障害者自立支援法のせいでこんなにひどいことになっている」

 「国がダメなら市町村だけでもがんばっていかなければ」

 「そのためにも自分が福祉にもっと目を向けなければいけない」

 と、思うに至りました。

 基調報告として

 『NAGAYA
  文化的生活支援』

 が、白梅学園短期大学の
 掘江まゆみさんから
 行なわれました。

 これは、WAMネットの
 助成事業で
 行なった研究成果の
 報告です。

 続いて、室津代表がコーディネーターとなって

 ・山田優さん(長野県)
 ・廣瀬明彦さん(京都府相楽福祉会)
 ・玉木幸則さん(メインストリーム協会)
 ・清水明彦さん(のまネット西宮)
 ・北野誠一さん(東洋大学)

 のみなさんがシンポジストとなって、
 シンポジウムが行なわれました。

 『地域生活と
 グループホームの
 昨日・今日・明日』

 というタイトル。

 このシンポジウムは、とても暗い気持ちになりました。

 障害者自立支援法のスタートのせいで
 本当に各地で打撃が受けている様子が伝わってきました。

 そんな誤った法制度に対抗する手段というのが

 ・法制度がダメであろうが無かろうが、自分たちは全力を尽くす

 みたいな発言が何度もありました。

 それではダメだよ!絶対にダメ!

 福祉が「善意ある人々の持ち出しによって動くもの」みたいな
 前時代的なものに戻ってしまう!

 法制度のダメな部分は
 法制度を直していかないと...。

 国のひどい予算ではやっていけない計算だけど
 そこは福祉職員がガマンすればいい、なんて発想はもうダメ!

 30年前に福祉を後退させるわけにはいかない。

 昔から活動してきたベテランの方々は
 確かにそうやって少しずつ権利を勝ち取ってきたことに対しては
 リスペクトを抱きます。

 でも、福祉が特別な人の手でなされるもの、というような
 固いイメージを持たれてしまっているのも
 同時にそういう活動があったからなのです
 (当時はそれしかなかったのですけれど)。

 これからは
 福祉でも
 もちろん
 食っていかれる
 という風に
 しないと。

 じゃないと、福祉労働者が足りないのに、
 福祉で働きたいという人が減ってしまいます。

 ともかく、一番問題なのは
 政府の在り方です。

 障害者自立支援法なんて、
 名前からしてウソばかりのひどい法律を作りやがって。

--------------------------------------

 (つづきは又明日書きます。もう深夜2時になってしまった))

 部屋からの
 風景です。

 あいにくの
 雨なので
 遠くは
 見えません。



2006年6月16日(金)のフジノ
● 施策検討連絡会





→日記過去分の目次へ
→はじめのページに戻る