まちの政治家は、こんなことしてます


2009年6月19日(金)のフジノその3
● 公開討論会の様子が報道されました

 昨日ひらかれた『ローカルマニフェスト型公開討論会』の様子が
 神奈川新聞と朝日新聞で報道されました。


(2009年6月19日(金)・神奈川新聞より)


(2009年6月19日(金)・朝日新聞・朝刊より)



2009年6月19日(金)のフジノその2
● 企業誘致、転入促進は難、人口減すすむ予測/朝日新聞

 朝日新聞の特集記事
 『42万都市の未来/09・横須賀市長選』の最終回は

 やはり横須賀市の人口減少についてでした。

 YRP(横須賀リサーチパーク)にて
 企業誘致には取り組んだものの
 新たに横須賀市民として引っ越してきた人々は増えていない
 横須賀市の実態が記されています。

 また、定住促進策として始めた
 市の『ファーストマイホーム応援制度』への申請者の
 3割だけが市外からの転入者で、

 市外から横須賀市に引っ越してきた人が
 市が期待したほど増えていない、といった内容でした。


(2009年6月19日(金)・朝日新聞・朝刊より)



2009年6月19日(金)のフジノその1
● 止まらぬ人口減、現役世代は横浜・川崎へ/毎日新聞

 毎日新聞の特集記事
 『再生への選択/09・横須賀市長選挙』の最終回は

 横須賀市の人口減少についてでした。

 2004年から人口減少が加速したにも関わらず
 2008年度まで定住促進策に取り組まなかった
 横須賀市の実態が記されています。


(2009年6月19日(金)・毎日新聞・朝刊より)



2009年6月18日(木)のフジノその3
● ローカルマニフェスト型公開討論会が開かれました!

 本会議が終わるとすぐにフジノは
 『市議会だより編集委員会』に出席しました。今日が最終回です。

 いい感じの『議会だより』が完成しました。
 7月1日に新聞折り込みされますので、ぜひご覧下さいませ!

 さて、今日の夕方からはついに、
 『ローカルマニフェスト型公開討論会』がひらかれました。

 2005年頃から、(社)日本青年会議所(JC)のみなさまによって
 マニフェスト選挙を浸透させるべく公開討論会を実施するというアクションが
 くりひろげられてきました。

 公職選挙法のくだらない制約のせいで
 公開討論会をひらくのは本当に大変な作業だったはずです。

 それでも、横須賀のJCは
 全国に対してフジノがこころから誇りを感じるほどに
 積極的に活動をなさっていて

 4年前には『公示前(選挙スタートより前)』の公開討論会を
 全国で初めてひらいたのです!

 あれから、4年が経ちました。
 ついに今日、再び公開討論会が行なわれます!



 18時30分に開場して、19時スタートだったのですが
 傍聴券が配られました。会場であるベイサイドポケットは満員でした!

 フジノは元『願う会(民意が市政に生かされることを願う会)』のみなさまと
 待ち合わせをして、公開討論会に入場しました。

 願う会のみなさまは4年前、一緒に闘った同志です。

 けれども4年前は初めての市長選挙でやるべきことがあまりにも多くて
 メンバーのみなさんが本当に忙しくて
 フジノだけが公開討論会を聴きに行かせてもらいました。

 だからこそ今回は、元『願う会』のみなさまと一緒に
 この公開討論会に参加したかったのです。

 (ところで、待ち合わせの間、入り口付近をフジノは落ち着かずに
  コンビニで買ったチキンを食べながらウロウロしていたのですが

  たくさんの市民の方々に「今日、討論、がんばってね!」と
  応援していただきました。フジノは客席で座ってるだけですよ...。

  でも、きっと僕たちみんなを応援してくれているのだと感じました。
  こころから感謝しております。ありがとうございます!)


● 公開討論会を市民のみなさまに観ていただきたいです

 さて、始まりです!

 まず最初に、JC横須賀の理事長である中台学さんから
 ローカルマニフェスト型公開討論会をひらくことの意義について
 お話がありました。



 中台理事長のお話は、カンペキでした。

 何故わが国で公開討論会が必要なのか
 その意味をとても分かりやすく、そしてあますところなく、
 語って下さいました。

 さすが全国初の公開討論会を行なったJC横須賀です!

 あまりにも中台理事長のお話が素晴らしくて、
 討論会の終了後に握手をしてもらいにいってしまいました。

 フジノはそのお話をメモすることができなかったので
 当日に会場で配られた資料から、中台理事長の文章を引用します。


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 ローカルマニフェスト型公開討論開催の意義

 いま、市民の政治離れや政治への無関心が進んでいると言われ、
 自らが主権者であることすら忘れられているのではないでしょうか。

 もっとも重要な政治への参画である投票行為でさえ、

 政治を他人事として捉え、自らの一票では何も変わらない、
 また誰に投票しても横須賀の地域社会は変わらないという諦念、

 そして政治が自分たちとは
 関係のないところで行われているという
 政治に対する関心の希薄さに起因するものと考えられます。

 (社)横須賀青年会議所は2005年の横須賀市長選挙において
 公示日前では全国初となる
 「ローカルマニフェスト型公開討論会」を開催いたしました。

 当時はまだ地方選挙での
 マニフェスト(政策宣言)という概念は浅く、

 立候補者がどのような人物で、
 どのような政策を有するのかを直接知る機会がないまま
 投票日を迎えるということにならざるを得ませんでした。

 過去の単なる氏名の連呼による選挙運動ではなく、
 具体的な政策を語っていただくことで

 市民に支持された政策によって選ばれた代表者が政治を担うことになり、
 政策誘導による社会の実現へと繋がるものと考えます。

 そして現在では、私たちの燈した小さな灯火が
 瞬く間に全国に広がり着実に地域に根をおろしています。

 私たちは、公開討論会について、
 最終的には我々を含めた市民の手によって
 自由に開催されるべきだと考えます。

 市民の皆様と共に開催をし、
 この横須賀の未来のために共にまちを創る事が

 当青年会議所が目指す
 「明るい豊かな社会」の実現に繋がるものと考えます。

 2009年度社団法人横須賀青年会議所
 理事長 中台 学

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 (引用おわり)

 フジノも全く同感です!

 新しい政治の姿がこの横須賀からスタートする勢いを
 ひしひしと感じさせられた、JCのみなさまの熱い想いでした。

 会場は600人が入れるのですが、
 本来ならば、テレビ神奈川(TVK)やインターネット配信で

 市民のみなさま全てにご覧頂きたい、と
 つくづく感じました。

 そして、今後は必ずそれが実現するとフジノは信じています。


● マニフェスト選挙の実現に向けて/マニフェストが出そろいました

 さて、満員の客席は、配られた資料をみなさまが読んでいました。
 立候補予定者のみなさまのマニフェストが配られたのです。



 この活動日記では、公平を期しまして
 配布された全員のマニフェストの表紙を載せますね。

 現物のマニフェストの中身は、
 ぜひ各立候補予定者から受け取ってくださいませ。

 掲載は五十音順です。
 (なお、吉田雄人氏の画像が2枚あるのは、
  あくまでもJCの配布資料として2つの資料があったからです)

 まず、蒲谷亮一氏の配布資料です。


 次に、呉東正彦氏の配布資料です。


 次に、吉田雄人氏の配布資料その1です。


 最後に、吉田雄人氏の配布資料その2です。


 全ての立候補予定者のマニフェストを
 ぜひ市民のみなさまに読み比べていただきたいと願っています。


● さあ、ディベートです

 公開討論会は、コーディネーターの方が
 あらかじめ市民のみなさまから募集した『設問』の中から
 多かった4つの内容についてを示して

 ついで、各立候補予定者が3分間ずつ
 その対応策を語っていくという形でした。

 設問1.人口減少問題について

 設問2.財政について

 設問3.景気対策について

 設問4.米海軍基地との関わりについて

 設問は上の4つでした。

 さらに素晴らしかったのが、設問2と3のあいだに

 ・ある立候補予定者が別の立候補予定者を指名して
  質問を投げかけて、それに対して指名された者が答えなければならない

 という、クエスチョンタイムが設けられました。

 実際にはディベートではなくて、
 質問と回答は1回きりで、再質問や反論はできませんでしたが
 これは本当にエキサイティングな時間でした。

 呉東氏も吉田氏も、質問相手には蒲谷氏を選びました。
 けれども蒲谷氏は、誰も指名せずにせっかくのこの権利を自ら放棄しました。

 せっかくの特別な機会なので
 蒲谷氏も誰かを指名して、回答を求めて欲しかったです。
 残念です。

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 さて、21時までびっしりと熱い討論会が続きました。
 本当に素晴らしい公開討論会でした。

 会場の熱気もすさまじいものがありました。

 フジノはここでは誰の評価も記しません。
 どの立候補予定者が良かったか、
 それは参加した市民のみなさま1人1人が決めることです。

 こうした公開討論会が当たり前になるように
 ぜひ僕たちみんなでがんばっていかないといけない、と再び決意しました。

 今夜はJC横須賀のみなさま、本当にありがとうございました。

 そして、参加して下さった市民のみなさまに
 こころから感謝しております。本当にありがとうございました!



2009年6月18日(木)のフジノその2
● 最高の「市議会議員」を僕たちは失なった

 本日は6月議会の最終日でした。

 最終日では、市長が提案した議案などについて
 「賛成」か「反対」かの最終的な結論を多数決で決めていきます。

 その本会議の1番最初に行われたのが、

 雄人(吉田雄人・市議会議員)から出された
 『辞職願』を許可するか/否か

 についてでした。

 議員の辞職は、地方自治法の第126条によって
 議会の許可があって初めて認められるきまりだからです。
 この可否を決める直前まで雄人は議場に座っていましたが

 本人に関わる内容の採決の時には
 本人は議場を出ていかなければなりません。

 雄人は、本会議場を去っていきました。

 フジノは、手もとの『辞職願』を見つめながら
 胸がはりさけそうな気持ちでいっぱいでした。


 この書類にフジノは見覚えがあるどころか
 フジノ自身がこの辞職願にサインをして提出する決意をしていたのです。

 すでに3月30日には、応援して下さる市民のみなさまに
 フジノは決意を伝え終えていました。

 4月8日の僕の誕生日には
 最も大切な存在である僕の父にも
 辞任をかけた闘いをするから許してほしいと報告していました。

 けれども、それを『撤回』したのは
 それもまた大きな決意が必要なことでした。

 自ら1度は切腹する覚悟をして
 みんなにそれを伝えて回ったのに

 自らそれを止めて、再び生きていくと宣言することは
 ある意味、生き恥をさらすことでもあります。

 それでもフジノがこの政治業界に
 任期の限りは残ろうと決意をしたのは、

 あの日の雄人の、うっすらと涙ぐんだ瞳と
 けれども希望に満ちた明るい笑顔とその熱い言葉によってでした。

 あの時のことを、きっと人生をつうじて
 僕は忘れないと思います。

 あの時、雄人は僕の「辞職を認めない」と言ったのに
 今これから僕は雄人の「辞職を認める」為に、
 本会議で賛成するのです。

 本当に彼だけを辞職させて良いのか。

 このまちは、このまちの市民のみなさまは
 横須賀市議会が始まって以来の
 最高の政治家を失なうことになるのだ。

 雄人とフジノは、市議会での6年間、
 最大のライバルとして活動をしてきた。

 世間から大きな誤解をされているけれど
 僕たちは『お友達』なんかではない。

 僕が1才年上だから、いつだって先輩意識を持っていて
 彼に負ける訳にはいかないというライバル意識の方が強かった。

 市長への質疑の回数こそ、
 フジノだけが6年間連続で全ての定例会で行なっている第1位だけれど
 2位なのは、もちろん雄人だ。わずかフジノに1回少ないだけ。

 しかも、数だけではなく、お互いにその質については
 他のまちの政治家の方々からお手本にされるくらいのものだった。

 フジノが全国のどこに行っても
 政治業界の人々に会えば
 横須賀といえば、小泉元総理と吉田雄人の話をされた。

 彼はすでに全国に知られている立派な政治家なのだ。

 これはフジノの単なる思い入れだけでは無く
 すでに客観的なデータでも示されている。

 雄人は、2007年の統一地方選挙では
 全国の市町村(政令市を除く)の選挙で
 最も多い得票を果たしたのだ。

 つまり、全国で1番多くの市民に信頼されている政治家なのだ。

 そんな大切な政治家を今、フジノは『辞職願』に許可しようとしているのは
 とても間違っているような気がして、めまいがしました。

 けれどもそんな深刻になっているフジノとは対照的に
 開会前ということもあって
 本会議場にいる他の市議のみなさんは
 とてもリラックスしていて

 「辞職は認めないぞ(笑)」とか
 「早く辞めろ(笑)」とか、

 楽しそうに話していました。

 そして、山下議長が開会を宣言して
 あっという間に雄人の辞職が議題にあがって

 「異議なし!」

 という市議一同の声によって、
 雄人は辞職が決まったのでした。

 フジノは、市議会議員として最大のライバルを失ないました。
 市民のみなさまは、最高の市議会議員を失ないました。


● けれども、最高の「市長」を僕たちは手に入れるのだ

 でも、僕たちは希望ある新しい横須賀を創る為に
 市民のみなさまと共に、これから歩きだすのです。

 最高の「市議会議員」を失なった僕たちは
 最高の「市長」を新たに手に入れるのです。

 僕たちは、希望を失なったのではありません。
 僕たちは、希望に向かって歩き始めたのです。

 今日からフジノは、この活動日記では
 雄人のことを『前市議』と記します。 

 でも、2週間以内にフジノは
 雄人のことを『前市議』と書くのをやめるでしょう。

 喜びとともに新たな肩書きで
 雄人のことを呼ぶことになるでしょう。

 そうしたら、再びフジノは最大のライバルとして
 新しい市長の前に向き合うのです。

 その日は、もう目の前です。

 でも、その日は待っているだけでは、やってきません。
 あなたと僕とみんなが力を合わせなければ、やってきません。

 新しい横須賀。希望を感じることができる横須賀。
 それは、僕たちみんなが創りだすのです。

 必ず僕たちには変えることができます。
 やれば、できるのです。

 そう、僕たちは必ず、やればできるのです。
 あなたの力があれば、必ずこのまちは変わります。

 一緒に、あなたも一緒にこのまちを
 こどもたちに誇ることができるまちに変えていきましょうね。



2009年6月18日(木)のフジノその1
● 受け皿整備に遅れ、児童虐待対策/神奈川新聞

 神奈川新聞では、横須賀市長選挙の特集記事が
 本日も連載されています。

 今回とりあげられたテーマである『児童虐待対策』については、
 雄人(吉田雄人・前市議)もフジノもずっと取り組んできましたので
 ものすごく関心を持って読みました。

 特にフジノの場合は、この記事でとりあげられている『春光学園』
 小学校からの親友が長い年数にわたって働いてきました。

 (だから、フジノは大学時代の『社会福祉論』という科目で提出した
  期末レポートではこの『春光学園』をとりあげました

 その大切さを、痛いほど知っています。

 春光学園のような施設を児童養護施設と呼びますが
 今も全国の児童養護施設では、フジノの仲間たちが必死に働いています。

 本当に激務です。
 でも、激務でもみんなが歯を食いしばっているのは
 施設に来ざるをえないこどもたちのことをみんなが愛しているからです。

 けれども問題の深さは、
 施設で働いている僕の仲間たちと同じように
 僕たち横須賀市民の誰もがこどもたちを愛しているのに
 同時に、その僕たち市民がこどもたちに虐待をしてしまっているのです。

 虐待をしてしまっている/してしまった親たちは
 僕たちと何も変わらない、同じフツーの横須賀市民です。

 それなのに、夫の協力が得られない、周りの目ばかりが気になる、
 こどもと2人きりで長時間を過ごさざるをえない
 育児の孤独感や孤立感などから、
 どんどん追い込まれて虐待へと向かってしまうのです。

 虐待した人間だけをただ責めれば解決する問題ではありません。
 虐待をした人たちもまた人として深く傷ついているのです。

 だから、僕たちは親子ともに暮らしやすいまちづくりを
 これまで必死になって訴えてきました。

 雄人も街頭演説をはじめとする様々な機会に
 『春光学園』をはじめとする児童養護施設について必ず言及します。

 もちろんマニフェストにも大切なテーマとして
 こどもたちを守り育んでいく決意とその為の取り組みが
 しっかりと記されています。

 何故ならば、僕たち横須賀市民にとって
 こどもたちは本当に大切な宝物だからです。

 (2009年6月18日(木)付・神奈川新聞より)

 明日以降も神奈川新聞の連載が
 とても気になります!


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