まちの政治家は、こんなことしてます


2010年11月26日(金)のフジノその2
● 県精連体験発表会「ハートメッセージ2010in横須賀」へ

 金沢文庫から汐入まで大急ぎで戻って
 横須賀芸術劇場の中にある『ベイサイドポケット』へ向かいました。

 『NPO神奈川県精神障害者地域生活支援団体連合会』が主催する
 年に1度の体験発表会が行なわれました。

 『ハートメッセージ2010 in 横須賀』

 です。

 こちらのNPOは略して『県精連』(けんせいれん)と言いますが、
 神奈川県内の市町村(横浜と川崎を除く)の

 精神障がいのある方々の地域での暮らしをサポートする為の
 地域作業所をはじめ、グループホーム、
 地域活動支援センター、就労支援をする事業所、
 その他の社会復帰施設などが所属している大きな団体です。



 『県精連』では、所属する団体が地域ごとでグループとなって
 毎年もちまわりで会場を変えながら
 体験発表会である
 この『ハートメッセージ』を開催しています。

 前回ここ横須賀が会場となったのは
 2004年3月のことでした。


 (画像は、オープニングでハンドベルを演奏する青い麦の家のみなさん)


 『ハートメッセージ』では
 音楽の演奏やチアダンスやホールでの商品の販売などもありますが、
 なんといってもメインなのは『体験発表』の語りです。

 精神障がいのある方々が自らの人生体験を
 ステージの上から発表します。

 (プログラムはこちらです)

 今回も10人の方々(このうち4名が横須賀の方でした)が
 病と向き合いながら生きてきた
 自らの人生を語ってくれました。

 タイトルを紹介しますね。

 ・悲しみの底から

 ・私だけの人生

 ・病気のことについて

 ・障がいを理解してくれる中での就労

 ・アルコール依存症 前/現在

 ・流れる時、止まった時間

 などです。

 本当に素晴らしい機会だと思います。

 新聞やテレビやインターネットなどで
 精神障がいについて目にしない日は無いと思うのですが

 あなたは実際に親しい方が精神疾患にかかって
 そのことについて語るのを聴いたことがありますか?

 そういう機会が無かった方には
 ぜひこの『ハートメッセージ』を体験してほしいなあと
 フジノは願っています。

 (来賓を代表して、沼田副市長からあいさつがありました)

                  

 フジノが精神保健福祉の世界と関わり始めた20年前には
 精神障がいについて自ら語る人は
 まだ本当に少なかったです。

 うつ病、統合失調症、境界性パーソナリティ障がい、
 パニック障がい、アルコールや薬物の依存症、
 摂食障がい、など

 今では多くの人々が自らの体験を
 語ってくれるようになりました。

 テレビでもインターネットでも
 芸能人や有名人が自らの闘病体験を語ってくれる時代になりました。

 世の中もそうした体験が語られることを
 だいぶ受け容れられるように変わってきました。

 (ステージで顔も名前も出して自らの体験を語るみなさまです)


 フジノは、パニック障がいとうつ病にかかりながら生きてきた日々を
 発病してすぐの頃から全く隠さずに暮らしてきました。

 尋ねられれば、プライバシーの許す範囲で
 語ることができることはそのまま語ることをしてきました。

 それには2つの理由があります。

 就職活動をして、大学を卒業して、会社員をして、
 転職をして政治家になって、こうやって生きてきた中で

 「隠さずに生きた方がラクだ」という結論だったから、
 これが1番目の理由です。

 身近な大切な人の闘病も目の当たりにしてきましたし、
 大学で学問としても専攻しましたから
 正しい知識も現実の姿も理解していました。

 だから、フジノは
 こうしてオープンにしてきました。

 第2の理由は、政治家として人前に立たねばならないフジノが
 この自らの体験を語ることに意味がある、と
 たくさんの方々に励まされてきたからです。

 誰もがかかる病であるにもかかわらず
 この国では今も精神疾患に対する差別・偏見・スティグマは強いのです。

 だからこそ、政治家として自らの病気をカミングアウトすることで
 たくさんの方々に正しい知識を伝えると共に
 誰もがかかる当たり前の病気だということを
 こころに強く訴えることができたと感じています。



 ただし、カミングアウトは誰もがやるべきことではありません。

 カミングアウトをすれば、友達は離れていくし、
 会社や学校からは厳しい扱いを受けるし、
 つらいこともたくさんあります。キチガイとして扱われたりします。

 まだまだ現実は本当に厳しいからです。
 だから、誰もがやるべきことでは決してありません。

 あなたに語るべきタイミングが来て、
 あなたが語りたいと感じたならばそうすべきだとは思います。

 でも、多くの場合、この国では波風を立てない為にも
 語らないままであることが楽なことがあります。

 そんな現実があります。

 それでも、それでも、
 『語ること』には大きな意味があるのです。

 人のこころを動かす大きな力があるのです。

 特に、フジノのような特殊な立場の人間が語るのでは無くて
 毎日ふつうに暮らしている市民の方々が語ることにこそ、
 大きな意味があるのです。

 偏見・差別・スティグマを打ち砕いていく力があります。
 1人1人のこころに響く力を持っています。

 だからこそ、この『ハートメッセージ』が開かれることは
 とてつもなくすごい意味がある
 大切な機会だと思うのです。

 今日は、500人近い観客を前にして
 10名の方々がステージ上から自らの体験を語りました。

 その言葉は必ず人々のこころに届いて
 そして、気持ちを揺り動かしたはずです。

 同じ病を持つ方々には
 強い励ましを与えたはずです。

 10名の方々、本当にありがとうございました。

 そして、県精連のみなさまにも
 とても感謝しています。

 こうした機会が毎年続けられてきたことを
 フジノはとても誇りに感じています。

 これからも『ハートメッセージ』が続いていくことを
 強く願っています。




2010年11月22日(月)のフジノ
● ついに署名が市長へ提出されました!

 今日は、午後3時30分から横須賀市役所で
 約2500筆の署名とともに
 『観音崎青少年の村』の存続に関する要望書が提出されました。

 (要望書の全文はこちらです)

 残念ながら、吉田市長は
 他の用事と重なってしまって不在でしたが

 代理として
 こども育成部長と副部長が署名を受け取ってくれました。

 署名を手渡しに行ったのは、
 今回の署名活動の発起人であるコウジさんと
                       ↓


 昨日も丸一日ずっと署名活動の為に
 観音崎でがんばってくれたミホティンとコタローくんです。
                     ↓


 立ち上がる、ということの重みについて
 改めて深く考えさせられました。

 『観音崎青少年の村』の廃止についての問題は
 すでに今年の5月には
 瀧川議員とフジノの間では話し合われていました。

 9月議会では、井坂しんや議員が
 市長への一般質問としてこの問題をとりあげました。

 初夏の頃にはもう関係者のほとんどが
 この問題について知っていたのに、誰も動こうとはしませんでした。

 動かなかった、動けなかったのは、フジノも同じです。

 観音崎青少年の村を幼い頃から利用して
 いくつもの思い出をもらってきたのに

 廃止を目の前にして立ち上がることができたのは
 コウジさんとミホティンたちだけだったのです。

 しかも、2人とも毎日毎日仕事で忙しくて
 しかも、2人とも政治とは全く無関係に暮らしてきて

 本来ならば、まわりのほとんどの人々と同じように
 誰かが署名活動を始めてくれたならば
 自分も署名はしよう、という感じで見過ごすこともできたはずなのです。

 でも、2人は違いました。

 このまま何もしないままに廃止を受け入れるのは
 どうしてもイヤだったのです。

 そして、立ち上がったのですね。

 ●

 その姿に、フジノは『願う会』の方々の姿を
 重ねてしまわずにはいられませんでした。

 僕には、かつて『民意が市政に生かされることを願う会』という
 こころの底から信じることができた仲間が存在しました。

 ハコモノ反対を訴えるフジノに
 なんといわゆる建築業界で働く市民の方々が集まって
 反対運動を一緒に闘ってくれたのです。

 公共事業でハコモノを作り続ければ
 その時だけは潤ったとしても

 自分のこどもやそのこどもたちの世代に
 つけを先送りすることは絶対にダメだ

 そう信じて、一緒にたちあがってくれたのです。

 市民の方々が忙しい時間をあえて削って、
 1円の得にもならないのにも関わらず、一緒に活動してくれたのです。

 それはただ1つ、こどもたちの為に
 大人として責任を果たさなければならないという想いからです。

 損得なんかとは全くカンケーなく、
 こどもたちの笑顔を守る為に立ち上がったのです。

 そんな市民の方々の存在は、フジノにとって
 何よりも大切なかけねなしの財産でした。

 あれから何年も時が過ぎて、
 みんな、日常の暮らしの中に戻っていきました。

 そして今またこうしてコウジさんたちの姿に
 胸が熱くなるものをフジノは感じて、
 もう1度、最後の署名活動に一緒に立つことになりました。

 ●

 神奈川県の方針がどのようになるのか。
 市民のみなさまの想いに沿ったものになるのか。
 それとも、このまま想いがふみにじられて廃止になってしまうのか。

 勝負は、25日に県が主催する会議の場です。

 この場に横須賀市の3人の担当課長が
 署名を持って行ってくれるそうです。

 さあ、25日だ。



2010年11月21日(日)のフジノ
● 学童保育まつりへ

 今日は、午後からヴェルニー公園へ。
 政治家としてではなくて
 あくまでもプライベートで行ってきました。

 毎年開かれている『学童保育まつり』ですが
 今年で早くも第13回目となりました。
 (プログラムはこちら

 横須賀市内には54か所の学童保育があります。

 それらの各学童クラブのネットワーク組織が
 『横須賀市学童保育連絡協議会』(略称・市連協)ですが
 市連協が主催してこのお祭りが開かれています。



 8年前にフジノが政治家への転職を決意した時に
 掲げた公約の1つが

 「全ての小学校区に『学童保育』を作る」

 です。

 横須賀市内には48の小学校がありますが
 8年前にはわずかに半分しか学童保育はありませんでした。

 それが、今では54か所へと増えました。
 学童保育を利用しているこどもたちは
 約1500人となりました。

 毎日の運営を一生懸命がんばってくれている
 学童保育の職員の方々をはじめ、
 お父さん方、お母さん方、関係者の方々に深く感謝しています。



 学童保育の数は増えましたが、
 それでもフジノの公約は達成できたとは考えていません。

 働いている方々の待遇は
 今も変わらずにあまりにも厳しすぎます。
 お給料が安すぎるし、福利厚生も無いに等しい状況です。

 全国の学童保育の組織において
 研修体制を新たに確立させつつあるのですが

 実際には研修に行きたくても
 1人抜けるだけで現場はマンパワーが足りなくなってしまうので
 研修に行くだけでもなかなか大変です。

 尊敬されるべき仕事をしているのに、
 この国には学童保育の法的な位置づけもありません。

 (幼稚園も保育園も小学校も
  言うまでもなく法律に位置付けられている制度ですが
  学童保育は不可欠な存在なのに何も法的な位置づけがありません)

 さらに書いていけばキリが無いのですが
 どこも経営が本当に厳しい。これが何よりも最大の問題です。

 これから政府が新たに進めていく
 『こども子育て新システム』の構築の中で

 学童保育を『公的な制度』として明記すべきだ
 とフジノは考えています。

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 こどもを学童保育に通わせている知人がたくさんいるので
 学童保育まつりに行くと、
 いろいろな方と再会できるのがうれしいです。

 1年に1回のおまつりで
 1年ぶりに再会する、というような知人もたくさんいます。

 それでも毎年こどもたちの笑顔を見ることができて
 (だいたいフジノのことは忘れられているのですが)
 とてもうれしくなります。

 ●

 学童保育に深い関わりを持つ市議会議員と言えば
 やはり、瀧川きみえ議員(神奈川ネットワーク運動よこすか)です!

 フジノが瀧川さんと初めて出会ったのは
 瀧川さんが政治家に転職するだいぶ前のことなのですが

 学童保育をはじめとするこどもたちの育みの為に
 がんばってくれているお母さんというのが第一印象でした。

 政治家になってからもそのスタンスを一貫してつらぬいていて
 横須賀のこども家庭福祉政策を推進していく上で
 本当に欠かせない存在です。

 ところで、瀧川さん。なんと観音崎の『青少年の村』を守る為の署名
 知り合いの方々を回って集めてくれていました!

 うれしい!



 「実は署名、もう明日に市長へ提出するんですよ〜」

 とフジノが言うと、

 瀧川さんも仲間たちと出展していたのですが
 学童保育まつりが終わった後にそれを片づけてから、
 上町のカフェ『RRROOM』まで
 わざわざ届けてくれました。

 瀧川さん、本当にありがとうございました!



 学童保育への関心が薄かった政治家たちの間にも
 ようやく関心が高まってきました。

 選挙の前年ということもあるのかもしれませんが
 今年は来賓としてたくさんの政治家が殺到したので

 13年間の学童保育まつりの歴史の中で
 初めて『来賓席』が設けられました。

 フジノはこれがイヤで、政治家としてではなくて
 あくまでもプライベートという立場で今日はここにやってきました。

 スーツも着ないし、ネクタイもなし。
 受付にも寄らないし、記名もしない。

 知人のこどもたちのダンスを見て、お店に顔を出して
 いろんなことを話して、そしてさらりと帰りました。

 僕は、みんなが関心を持ってくれない問題に対しては
 すさまじく情熱が湧いてくるというかファイトが出てくるのですが

 まわりが関心を持つようになるともうその問題は
 自分がやるべきことだとは思えなくなってしまうのですね。

 (何といっても人生は短いし、やるべきことは多いですから)

 でも、今日突然にたくさんいらした政治家のみなさんは、
 選挙前の今年に来るだけではなくて、
 来年も再来年もその先も
 ずっとずっと必ず来て下さいね。

 そして、こどもたちの暮らしを守る為に
 どうか市議会の中でも発言を続けて下さいね。

 (画像:コロッケが割引になりました。1個80円だったのが2個で150円に!)


 ところで、昨年の学童保育まつりでは
 小泉進次郎代議士が熱心にお話を聴いてくれていた姿が
 フジノの印象に強く残りました。

 そして、もう1つ、本当にうれしかったことなのですが
 学童保育まつりの3日後に行なわれた
 国会・内閣委員会の質疑で
 小泉代議士がこのように発言をしたのですね。


 (2009年11月18日・内閣委員会・議事録より引用)

 「そして、私は、先週の日曜日、
  地元でちょうど学童保育祭りというのがありまして、
  その場にも伺いました。

  そして、学童の保育に携わる方々からお話を伺いましたが、
  指導員の確保の難しさ、給料15〜16万円で、
  それでいい方だ、そして離職率も高い、
  1年以内でどんどんやめてしまう。

  その中で、指導員の方々が
  自分の今後の将来設計を長期にわたって考えて、
  自分の結婚も考えたり子育てのことも考えたりするのは
  到底できる環境にないと。

  そして、学童保育に携わっている方々すら、
  親が運営をしている、
  特に地元の方は民設民営ですから親が運営をしているんです。

  その親が、学童保育を運営するに当たって、
  自分たちが学童保育の運営に携わることで
  自分たちの子供には目が届かないという、
  まさに本末転倒な事態も起きている部分もあるんです。

  そういったものを考えると、福島大臣御自身も、
  自分が子育ての、母親として
  今まで学童クラブのお世話になったことがあると伺っております。

  ぜひそうやってバランスがとれた政策を
  掲げていただきたいと思うんですが(以下略)」


 この発言をインターネット中継で観て

 「ああ、国会の場で学童保育のことが語られるようになった」

 と、フジノはものすごく感激したのを
 とても強く覚えています。

 こども手当の満額支給か現物での支給か、という議論はともかく
 こうした生活に密着した話題が国会で語られたことに
 深く感銘しました。

 そして、小泉代議士は
 今年も続けて、学童保育まつりに来てくれた。

 きっと彼は来年も来てくれるはず。

 選挙前の年だからと突然に政治家(と政治家志望の人も)が
 たくさん来賓でやってきた今回の学童保育まつりはうんざりでしたが

 彼だけはフジノにとってそんな政治家たちとは全く別の
 さわやかな存在に感じたのでした。

 不思議ですね。

 (画像:値下げされたコロッケ、熱々でおいしかったです!)


 さあ、ついに明日、署名提出です!



2010年11月20日(土)のフジノその1
● 僕だけが年を重ねて生き続けているということ(署名活動ラストデー)

 5日間限定の署名活動、ついに今日が最終日でした。

 お昼の11時から1時までの2時間、
 横須賀中央・Yデッキ下の広場で呼びかけを行ないました。

 今日は署名発起人であるコウジさんに
 『観音崎青少年の村』を存続させる為の活動をはじめた
 その想いを市民の方々に直接に伝えてほしい

 そうフジノは願いました。

 政治家フジノのこなれた演説なんかではなくて
 どれだけたどたどしくても良いから
 リアルな生の声を伝えることこそが必要だと感じたのです。

 そこで、 カフェを開店する前の時間に
 コウジさんにあえて署名活動に来てもらいました。

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 今日もボランティアをしてくれたさらさんに
 そのコウジさんのお話を
 インターネットで全世界に向けて生中継をしてもらいました。

 この生中継を観て、実際に署名に来てくれた方もいらして
 改めてインターネットの威力を感じたのでした。



 撮影されて全世界に放送されていることに
 照れているコウジさん。

 日頃、緊張することはあまり無いイメージのコウジさんなので
 照れている姿を観て、思わず噴き出してしまったさらさん。



 動画を観ていると内輪ウケみたいな感じですが
 今回の活動そのものが全て
 しかめつらではなくて笑顔でやろうと
 コウジさんと共に願って行なってきたのでした。

 そのおかげで本当に楽しく最後まで駆け抜けることができた
 政治家フジノにとって 
 最後の署名活動でした。



 アメリカ人のキャンディスさんも
 署名に来てくれました。

 さらに日本語(ひらがなと漢字まじり)で
 署名をしてくれたのでした。

 市内で英語を教えているキャンディスさんとコウジさんは
 長い交流があるのですが、2人ともこども好き。
 キャンピングサイトは無くしてはいけない、と意気投合でした。



 今日も学生たちがたくさん署名をしてくれました。

 上の写真はまさに今朝、観音崎で
 12kmも走りこみをしてきた三浦学苑高校の柔道部のみなさん。

 観音崎青少年の村で
 合宿をする部活動もとても多いです。

 こういう貴重な場を絶対に無くしてはいけないと
 改めて痛感させられた5日間の署名活動でした。

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 これまでの9年間、11月20日は可能な限り、
 仕事を入れずに過ごしてきました。

 9年前の今日、
 フジノは元恋人の命を失いました。

 自死遺族の多くの方々が大切な人の命日が近づくと
 こころと体の不調に苦しんでしまうのですが

 僕もまた同じく
 11月はいつも心身ともにつらい時期です。

 だから、仕事を入れておいて
 穴をあけてしまうくらいならば
 迷惑をかけない為にも
 この日は最初から仕事を入れないようにしてきました。

 そして仕事よりも何よりも毎年この日は
 彼女との2人だけの対話をする為にお墓参りにいって
 静かに1日を送ることが何よりも大切だと僕は考えてきました。

 けれども、今年はあえて街頭に立ち続けることを選びました。

 大切な署名活動の最終日だったからです。

 僕個人の想いよりも、
 人々の想いを大切にすることを選びました。

 どれだけ僕がつらくても苦しくても
 これだけは最後まで
 やりとげなければならないことなのだと感じたからです。

 そして、署名活動を
 何とか最後までやりおえました。



 けれども今日は署名活動の間に
 何度も空を眺めては
 今の僕の姿を彼女はどんな想いで見つめているだろうかと
 考えずにはいられませんでした。

 同級生だった彼女は今も20代のままで、
 僕はあと数年で40代へとなっていきます。

 あの日、もしも彼女が一歩前に踏み出さずに
 ホームにとどまっていたならば、

 確実に僕はこんな仕事には転職していなかったし、
 今日ここで寒い風に吹きさらされながら
 署名活動なんてしていなかったのは確かです。

 人生にもしもは絶対にありえないし、
 過ぎていった時間は戻ることはなく、

 1つずつ選んで歩んできた自分の人生が
 正しかったかどうかなんて終わってみても分からないもの。

 それでもいつもいつも僕は

 「これで良かったのだろうか」
 「この選択で間違っていなかっただろうか」

 と、自問自答せずにはいられません。

 何故ならば、もしも僕がこんな人間でなかったならば
 あるいは何かの瞬間に発した言葉が違うものであったならば
 別の行動を選択していたならば

 彼女のいのちは失われずに済んだと
 僕は考えずにはいられないからです。

 それはどれだけ他人が励ましてくれたとしても
 永遠に消えることはない罪責感です。

 それはしかたがなかったことだとは
 絶対に考えることはできないのです。

 僕が、防ぐことはできたはずなのに。
 それをできなかったのは、僕の責任なのです。

 でも、いくら考えてみても彼女が答えてくれるはずもなく
 自問自答への答えはいつもありません。

 そもそも答えなんて無いのかもしれません。

 何も僕には分からない。
 どうすることもできない。

 それでも、今日も明日も生きていかなければならない。

 それならばできることは
 とにかく悩みながらも
 ただ誠実に前を向いて歩き続けることだけだと思うのです。

 絶対に自分にウソはつかず
 自分が正しいと信じることだけを貫きながら。

 いつか自分自身が彼女と再び出会う日が来たならば
 僕の歩みはどうだったか、その時に尋ねてみよう。

 いつも見守っていてくれて、本当にありがとう。
 まだまだ最期までがんばっていくからね。


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