まちの政治家は、こんなことしてます


2011年4月9日(土)のフジノその1
● いわゆる「震災孤児」となったこどもたちを、より良い環境で守りたい

 今日は、東京・虎ノ門へ。

 財団法人全国里親会(通称ぜんさと)が主催する
 『東日本大震災現地調査報告会』に参加してきました。



 4日間の現地調査を終えての報告会が開かれて
 被災地でのこどもたちの現状と今後の支援の在り方について
 意見交換が行なわれました。


 <報告会の開催のお知らせ>

 3月11日の東北関東大震災発生から3週間が過ぎようとしています。
 親が亡くなったり、行方不明になった震災孤児の数は、
 なかなか実態をつかむ事が出来ません。

 95年1月の阪神淡路大震災では、
 身寄りをなくした子どもは68人いました。

 今回は、この数倍を越える数の子どもが
 震災孤児となった可能性があります。


 (財)全国里親会が
 被災児童の受入れ可能な登録里親家庭を調査したところ、

 全国の1,539里親家庭と29のファミリーホームで
 2,639名の子どもを受け入れる事が可能であることがわかりました。
 (3/23現在)

 (財)全国里親会は被災者のニーズを調査するため、
 3月26日から29日まで
 調査員を2名、岩手県と宮城県の両県に派遣しました。

 その結果、現地の里親会及び里親の被災状況、
 関係機関との連携、拠点作りなど、
 現地調査によりさまざまな解決すべき課題が浮かび上がりました。

 そこで、調査活動報告会を開催し、
 現地の情報や課題を共有し、
 被災児童への救援をどのように行うべきか、
 意見を交換したい
と思います。

 お忙しいとは存じますが、ご参加くださるようお願い申し上げます。


 (写真:会場は満員でした。NHKの取材も来ていました)


 震災によって親御さんを失なってしまったこどもたち、
 いわゆる『震災孤児』となってしまったこどもたちに対して
 積極的な支援を行なわなければいけません。

 3月26日に横須賀に新たにオープンした
 『乳児院』『児童養護施設』を訪れた時の活動日記で
 フジノはこのように書きました。

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 かつての阪神大震災では
 68人のこどもたちが孤児になったとのことです。
 (しかし、100人以上だったという研究も報告されています)

 今回の震災ではさらに大きく上回って
 数百名のこどもたちが親を亡くしたのではないかと見られています。

 ある新聞記事によると

 厚生労働省の担当者は

 「子どもたちを引き受けてくれる施設や里親まで見つけるには
  さらに時間がかかるだろう」


 と危機感を強めている

 とのことでした。

 それならば、

 この『しらかばベビーホーム』『しらかば子どもの家』で
 被災したこどもたちを受け入れることができないか。

 横須賀市として「ぜひ受け入れます」と立候補するように
 市議会として強く提案していくべきだ
とフジノは考えています。


 (3月26日の活動日記の引用おわり)
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 いろいろな事情で親から離れた暮らすこどもたちへのサポートを
 『社会的養護』と呼ぶのですけれども、大きく2つに分かれています。

 (1)乳児院・児童養護施設などの施設による『施設養護』

 (2)里親・里親によるグループホームなどの『家庭的養護』

 社会的養護は、基本的に
 『家庭的養護』を優先すべきという原則があります。

 大規模な施設で集団で暮らすよりも
 より小規模でより家庭的な環境のもとで暮らすほうが

 こどもたちの為により好ましいとされていて
 欧米の先進諸国では家庭的養護が主流です。

 でも、残念ながら日本では里親制度も普及が進んでいません。

 横須賀でも里親さんは数世帯しかおりません。

 里親制度の相談会などを積極的に開いて
 新たな里親さんが誕生することを目指しながらも

 横須賀市としては新しい乳児院・児童養護施設を建設して
 『施設養護』で現状に対応したのでした。

 家庭的な養護が数的に十分では無い中で
 今すぐに震災孤児へのサポートが求められている状況ですから

 そうした現状を考えた上で

 「横須賀は『施設』によって震災孤児を引き受けるべきだ」

 とフジノは提案をしたのでした。

 けれども、実際に今現在、里親をしておられる方から

 「フジノさん、それでもやはり里親をはじめとする
  『家庭的養護』の可能性をギリギリまで探ってほしいです」

 とのご意見を頂きました。
 全くそのとおりでフジノも深く賛成します。

 実現できるのであれば、
 里親制度をはじめとする家庭的養護のもとでのサポートを
 目指したいと強く願っています。

 (写真:現地の様子を報告する木ノ内さんと竹中さん)


 里親さんとそんな意見交換をしてきた中で
 全国里親会(ぜんさと)に所属している方から

 「それならばフジノさん、ぜひ報告会へ参加して下さい」

 とお誘いを頂きました。

 すでに3月23日現在で、全国里親会では
 全国の里親さんらに調査をして
 『全国で2549人以上の受け入れが可能』だと発表しています。

 これだけ多くの方々が
 受け入れをして下さるのであれば

 今回の震災でいわゆる震災孤児となってしまったこどもたちを
 『家庭的養護』のもとでサポートしていくことが可能です。

 さらに、全国里親会では現地へ調査員を派遣して
 実際に被災地の市町村をまわって
 こどもたちの置かれている状況を調査してきたとのことでした。

 この報告会は、今後のこどもたちの支援の方向性を考える上で
 とても大切な場だと感じました。そこで今日、参加しました。

 (写真:現地調査報告の最後のスライド)


 配布された多くの資料の中から
 一部をPDFファイルにしました。よろしければこちらご覧下さい。

 第1部で報告、第2部で意見交換がなされました。

 ・家族を失なったこどもたちの引き受けてとしては
  何よりもまず、残された親・家族との暮らしを最優先すること。

 ・それが不可能な場合に
  初めて親戚という選択肢を考える。

 ・あるいは、近所の方々、両親の知人、のように
  可能なかぎりこどもたちが喪失感を深めなくて済む選択肢を探る。

 ・地域から引き離すことは、慎重であるべき。

 ・全国各地から
  「うちでこどもたちを引き受けたい」との善意の声があがっているが

  そうした方々にはぜひ正式に里親制度へ登録していただくことが
  こどもたちにプラスになるのではないか。

 ・神奈川県や大阪府をはじめとしてホームスティをスタートしているが
  こうした動きも、家族・地域から引き離すことにならないように
  緊急の状況にも慎重さを常に持つべき。

 フジノは、これらの意見に強く共感しました。

 また、宮城県と岩手県の児童相談所にも
 調査活動で訪問したのですが、

 児童相談所としての基本的な方針についても
 報告がありました。

 原則として

 『親族里親』『県内の養育里親』『近県の養育里親』

 の順番で、
 こどもの委託をお願いする方針とのことでした。

 『児童養護施設』や『県外の養育里親』については
 これらの後に考慮する、とのことでした。

 両親を失なってしまったこどもたちは
 仮に親族が引き取ることができなければ
 県知事が
 『親権者』になります。

 実務としては、児童相談所長が真剣を行使して
 里親への委託や施設入所が決まります。

 こうしたことを考えれば、
 震災孤児を施設養護で受け入れずに
 家庭的養護で対応することが十分に可能かもしれません。

 今回の現地調査活動報告会は、
 とても勉強になりました。

 緊急な状況下であっても
 可能なかぎり最大限の支援を行なうことは
 絶対に忘れてはならない視点だと改めて認識しました。

 今回の全国からの「こどもたちを引き受けたい」という声は
 我が国に『里親制度』を普及させる上で
 大きな好機になると感じます。

 それは、震災があろうと無かろうと
 絶対に日本全体で取り組まねばならないことなのです。

 フジノは市議会議員として
 横須賀に里親さんがもっと増えていく仕組みづくり
 さらに行なっていきます。

 これからもいろいろな方々の意見を聴きながら
 「何を成すべきなのか」 
 「何ができるのか」
 「何が最も当事者の方々にとって良いことなのか」を
 しっかりじっくり考えて行動していきます。

 市民のみなさま、
 ぜひこれからもご意見をお願いします!



2011年4月8日(金)のフジノ
● 37才になりました

 今日、37才の誕生日を迎えました。

 といっても、ケーキを食べる訳でも無く、お祝いをする訳でもなく、
 朝から深夜まで仕事に明け暮れた1日でした。

 この文章を書いているのも、深夜3時51分で
 実際にはもう9日の明け方近くになってしまっています。

 仕事づくしの誕生日というのも
 フジノらしいのだと思いました。

 実は、自分の誕生日だということも
 すっかり忘れていました。

 夕方にNPOを訪れた時に
 そこの黒板に「4月8日(金)」と日付が書いてあったのを観て

 なにか心に引っかかる日付だと思って考えてみたら
 自分の誕生日だったと気づいたのでした(苦笑)。

 NPOのみなさんにそのことをお話しして
 みんなで大笑いをしたのですが

 事務所に戻ると、
 そのNPOの方々から留守番電話が入っていました。

 留守番電話を再生すると

 さっきお会いしたみなさんから
 「ハッピーバースデートゥーユー!」の大合唱が吹きこまれていました。

 あまりにも大声でみんなが歌うから
 録音がひずんでいて、最初はいたずらかと思いました。

 何度か繰り返して再生しているうちに
 やっと「歌」と「お祝いの言葉」と「拍手」なのだと
 分かりました(笑)

 本当にうれしかったです!

 こんな風にお祝いしてもらえたのも
 しっかりと仕事をしてこれたからだと思います。

 来年もこうしてお祝いしてもらえるように
 37才の1年間も、これまで以上に全力で働いていきますね。

 ツイッターやメールや留守番電話などで
 お祝いの言葉をくださったみなさま、感謝しています。

 本当にありがとうございました。


● あらゆる対策・計画を見直すべきだ/6月議会の前倒し開催を!

 今日も本当にたくさんの市民の方々から
 震災に関連して、ご相談をうかがいました。

 同居している/いないに関わらず
 家族や親戚に高齢の方がいらっしゃる方から
 避難してもらうことの難しさについて悩んでいるという声を
 たびたび聴かせていただきました。

 「今回の震災の時、祖母はデイサービスに行っている時間でした。
  安否の確認が夜までできなくて心配でしたが
  みんなと一緒だからとまだ安心でした。

  でも、ふだんは祖父と2人暮らしで
  2人とも足腰も弱いしすぐには避難できません。

  かといって、お年寄りをみんなバスに乗ってもらって
  避難してもらうようになんて、市でもできないですよね...」

 「あんな大きな津波が来るのなら、
  おばあちゃんの住んでる下町の家はひとたまりも無いと思うと
  どうしたらいいのか分からないんです」

 そうした不安は、ごもっともだと思います。

 本来、政治家ならばそうした不安の声に対して
 しっかり対策を組んでいるから大丈夫ですよという安心の声を
 お伝えしなければなりません。

 これまでもフジノは政治家として
 防災対策に取り組んできましたが

 けれども、今回の震災を体験した今、
 これまでの想定に基づいた対策で十分だとは
 考えられなくなりました。

 あらゆる想定の見直しを徹底的に行なわなければならないと
 フジノは痛感しています。



 横須賀市では、特に被害を及ぼす地震として

 1.東海地震
 2.東南海・南海地震
 3.関東直下型地震の

 の3つを想定してきました。

 これらはいつ起こってもおかしくない、として
 『地域防災計画』や『耐震改修促進計画』などの
 計画や対策を立ててきたのです。



 特に最も被害が大きくなることが予想される直下型地震について
 このような被害想定を行なってきました。

 横須賀市の人的被害は
 避難者は約16万9000人、
 負傷者は約7400人、
 死者は約2000人
に及ぶ。

 物的な被害は、
 約1万4500棟の木造建築物が大破し、
 約6300棟の非木造建築物が大破する。

 冬で夕方で強風の場合、約3万9000棟が消失する。



 けれども、今回の震災は想定外だと言われることばかりでした。

 この被害想定で本当に正しいのか。
 改めて見直しをかけなければいけないとフジノは考えています。

 被害想定を見なおせば、
 当然ながら対策も見なおさねばなりません。



 だからこそ、選挙をすぐに終わらせて
 一刻も早く議論をスタートさせたいです。

 これまでは、4月末に選挙が終わると
 5月に『臨時議会』を開いて、単に人事を決めてきました。

 市議会議長を誰にするとか、ポスト決めの為だけの議会です。
 ほとんど内容が無い、無所属のフジノにとっては関心ゼロの議会です。

 そして、本当の議会は6月に開かれます。
 6月議会です。

 でも、これではあまりにも遅すぎます。

 だから、4月末に選挙が終わったら
 6月議会を前倒ししてすぐに定例会を開催するように求めたいです。

 今すぐにやらなければならないことが
 たくさん目の前にあります。

 誕生日を祝う気持ちも僕には無いし、
 選挙にてまどっているヒマも許されないと自覚しています。

 一刻も早くやるべきことをやらねばならない。

 それが僕の37才を迎えた今日の
 改めて確信した自分の義務です。



2011年4月4日(月)のフジノ
● フジノから市民のみなさまへの手紙を書き終えました

 今日、ついに『選挙公報』の原稿を完成させて
 選挙管理委員会へ提出してきました。

 『選挙公報』は、全ての候補者の政策や意見が印刷されて、
 小冊子のような感じで挟み込まれてきます。

 選挙が始まってから数日が経った頃に
 新聞の折り込みチラシに挟まれて、届けられます。

 この『選挙公報』を作るにあたっては
 いろいろなルールがたくさんあって、かなりやっかいです。

 (例えば、2003年の『選挙公報掲載申請のしおり』をご覧ください。
  初選挙ではこのルールブックを何度も何度も読みながら
  必死になって『選挙公報』を書きあげました)

 1人1人に与えられたスペースはとても小さくて
 政策や想いを全て書くことはできません。

 それでも、フジノは『選挙公報』を
 選挙では何よりも最も大切にしています。

 街頭演説よりもポスターよりも
 とても大切にしています。

 何故なら、フジノの想いを
 市民のみなさまへ直接に伝えることができる
 市民のみなさまへのお手紙だからです。

 限られた文字数、限られたスペースの中で
 何日も何日も徹夜をしながら
 フジノの今の想いを、ぎゅうっと詰め込みました。



 きっと市民の多くの方々はこれからの防災対策の見直しについて
 お聴きしたいのではないかと思います。

 また、多くの候補者の方々も
 震災を受けての安全対策に触れることでしょう。

 フジノ自身、震災から今まで毎日、
 被災地支援の為に駆けまわってきましたが

 それでもあえて『選挙公報』では
 震災・防災対策について一言も触れませんでした。

 フジノの全ての想いの根っこにあるのは
 「いのちを守りたい」という想いです。

 その想いを伝えることだけに集中しました。

 そんなフジノの想いは、多くの方々の耳には届かないかもしれません。
 フジノの言葉は、決して多くの方々の関心を引かないかもしれません。

 それでもフジノは、自分が伝えたいことだけを
 ただひたすら率直に記してみました。

 あとは、市民のみなさまに
 判断していただければ良いのだと考えています。



 それにしても、『選挙公報』の原稿用紙には
 「写真植字が最もきれいに映る」そうです。

 でも、初めての選挙からフジノは1度も
 写真植字というものを使ったことがありません。

 お金をかけてプロの業者の方に依頼すれば
 きっときれいに仕上がるのでしょうけれど

 お金をかけない選挙がフジノ流ですから
 自分で原稿をパソコンで作ってプリントアウトした紙を
 原稿用紙に貼りつけています。

 お金をかけないせいで
 見栄えはそんなに良くないかもしれません。

 でも、フジノの魂を込めました。

 いくらお金をかけても、魂を込めることはできません。
 そんな僕の想いがどうか伝わることを願っています。



 原稿を出せて本当にホッとしました。

 何日も何日もほとんど眠らずに書いたので
 今日だけは少し眠りたいと思います。

 おやすみなさい!



2011年4月3日(日)のフジノその2
● 父さんの思い出

 湘南国際村から戻る途中に、実家へ寄りました。

 8年前から使っている
 選挙事務所用の『看板』を見に行く為です。

 もちろん、フジノに
 選挙事務所なんていりません。

 投票を依頼する為の電話をかけたりも一切しませんから
 そもそも必要ないのです。

 けれども、選挙管理委員会に
 どこか1ヵ所の住所を届け出なければならないので

 過去2回の選挙とも
 形だけ、自宅を選挙事務所として登録しました。

 8年前の初選挙の時に、
 看板カンケーの仕事をしている先輩が

 「せっかく選挙に出るのなら看板ぐらい作ってあげるよ」

 ということで作ってくれたので
 それを1週間だけ壁にとりつけました。

 8年前に1週間だけ使ってすぐに外してからは
 てっきり燃せるごみに出したかと思っていました。

 それが4年前の3月18日、思ってもみない形で
 再び僕の前に現れてくれたのでした。



 あの日から、この看板は
 特別な意味を持つようになりました。

 だから、4年前の選挙でも
 これを事務所の看板として掲げました。

 そして、8年間が経った今回も、
 もしもまだ文字が読めるくらいの状態ならば
 絶対に使おうと決めていました。

 ふだんは外の壁にたてかけてあるだけなので
 8年間ずっと雨風にさらされて
 もう板もボロボロになり
 ペンキもはがれて文字も消えつつありますが

 もともと看板はあっても無くても構わない僕にとっては
 そんなことは気にもなりません。

 これを僕は掲げることで
 父のことを感じることができる。

 だから、今回もこれを掲げることにしました。



 父さん、いつも父さんに恥じないように
 全身全霊をかけて働いているつもりだよ。

 ひたすらまっすぐに歩いてきたつもり。

 もしその歩みがひとりよがりなもので
 父さんから見て曲がりはじめていたら

 どうか、僕の在り方を正して下さい。

 僕は僕なりの全力で
 これからも歩み続けていきます。



2011年4月3日(日)のフジノその1
● 湘南国際村に新しい消防拠点ができました!

 今日は朝から秋谷へ。

 4月1日から新たに運用をスタートしたばかりの
 『南消防署・湘南国際村出張所』の完成式典に参加する為です。

 横須賀市内には『出張所』という扱いの
 やや小さめの消防拠点があります。

 湘南国際村出張所で9ヵ所目になります。

 秋谷・湘南国際村の防災拠点の設置が
 待ち望まれていたのですが、ついにスタートしました。

 これで隣町の葉山への応援なども
 さらにスムーズに進むことになるはずです。

 本当に良かったです!

 (詳しい資料はパンフレット議会資料をご覧ください)



 敷地面積は800平方メートル。

 建物は鉄筋コンクリート2階建てで、
 地下には耐震性の防火水槽(40トン)があります。

 消防ポンプ自動車1台と
 高規格救急自動車1台が配備されています。

 建築工事にかかった費用は2億667万円です。
 いのちを守る為の、本当に大切な投資ですね。

 フジノが所属する民生常任委員会が
 消防局の予算を担当しているのですが

 こういう税金の使い方には
 こころから大賛成です。

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 建物の道路に面した側はとても大きなガラス張りで
 とても採光に優れています。

 照明器具も外の明るさに応じて
 節電がなされるようになっています。

 1階の事務室です。本当に明るいです。



 車庫には、すぐに出動できるように装備が壁に設置されています。

 横須賀市の消防局は3交代なのですが
 それぞれの方がすぐ使えるように、
 3回転して使えるロッカーになっています。



 2階からの眺めです。



 隊員の方々が仮眠をとる仮眠室です。
 現在は、総勢12名の体制となっています。

 1つのベットを順番に3人が使います。

 実は、このベットの下に布団が3組入っていて、
 それを敷いて眠ります。



 食事をとる為の食堂です。ここも本当に明るいです。
 激務の合間に少しでも良い形で休息が取れることを願います。



 外には、自家発電機。

 今回の震災でも、自家発電の重要性が改めて認識されましたが
 この発電機では全ての機能を
 24時間にわたって動かすことができます。



 今日は、久しぶりにホッとした気持ちになりました。

 3月17日に行われた予算委員会の最終日から
 2週間ぶりに、消防局のみなさんにお会いすることができました。

 なんていうか、うまく言えないのですが
 消防局のみなさんと再会できたことが本当にうれしかったです。

 17日は、まだ震災からわずか1週間で
 委員会を始める前にみんなで黙祷をしました。

 そして、消防局長から退任のあいさつがあったのです。

 震災のダメージがまだ残る中で
 大黒柱である消防局長が去っていくということに
 フジノは大きな喪失感を覚えていました。

 でも、今日、新しい出張所のスタートにみなさんの笑顔も見られて
 ようやくフジノはホッとすることができたのです。

 今日の完成式典には
 高橋消防局長は既にいらっしゃらない訳ですが

 それでも後に残された僕たちは
 変わらずに目の前の課題に1つずつ全力で取り組んでいる。

 その事実は全く揺らぎない訳です。

 これが脈々と長年にわたって培われてきた
 消防局のパワーなのだと改めて感じました。

 式典が終わった後、
 建物をぐるりと見学させていただきました。

 他の議員のみなさんが全員帰ってしまった後も
 フジノは居残って消防局の方々と意見交換をさせてもらいました。

 いろいろなことを質問攻めにしてしまったのですが
 その1つ1つに誠実に対応して下さる消防局のみなさんに
 改めて心強く感じました。

 今、被災地では横須賀から派遣された
 消防隊員のみなさんが活動をしています。
 とても誇りに感じます。

 消防局のみなさん、今日はありがとうございました。

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 今回のような大きな災害があると
 しばらくの間、市民のみなさまも市議会のメンバーも
 消防局に対して注目してくれるようになります。

 でも、フジノは政治家として
 誰もが忘れ去っても
 ずっと常に今の気持ちを忘れないようにしたいです。

 『自殺対策』と『精神保健福祉』がメインの政策であるフジノは
 市民の方々からすると『防災』については弱い
 というイメージがあるかもしれません。

 でも、実は、フジノはずっと
 消防・救急について
 議会の中でも議会の外でも
 たくさんの発言を行なってきたのですね。

 防災をテーマにしたパネルディスカッション
 フジノがパネリストとして招かれたこともありましたし

 障がいや難病などに対して
 災害時でも切れ目のない医療やケアを提供できる体制を
 つくることはフジノの長年のテーマでもあります。

 これからもしっかりと
 できることをしっかりとやっていこうと思います。

 がんばります!


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