まちの政治家は、こんなことしてます


2007年12月25日(火)のフジノ
● 障害者差別禁止条例の制定をめざす学習会@文京区へ

 今日は夕方から東京都文京区へ。
 前田くにひろさん(文京区議会議員)の事務所に行きました。

 『文京区・障害者差別禁止条例の学習会』に参加する為です。

 NPO法人スタジオIL文京の関根さんのよびかけで、
 いろいろな立場の方々が集まって、すでに第1回目が行われました。

 「やはり障害者差別禁止条例は必要だ」

 という想いの市民の方々が
 市民の立場から条例を提案していこうという学習会です。

 『福祉のまち、よこすか』をめざす政治家としてフジノは
 これまでも市長への一般質問をはじめ
 くりかえし障害者差別禁止条例の必要性を訴えてきました。
 (こちらをご覧下さい)

 この学習会の想いは、フジノのめざす政策と同じです。

 そこで、フジノは第2回となる今回から
 参加させていただくことになりました。

 たとえ『文京区での条例づくり』をめざす学習会であっても
 ここでの経験は必ず『横須賀市での条例づくり』につながるはずです。


 そこで、気合いを入れて文京区へと乗り込んだのですが
 そんな想いに合致する熱い集まりとなったのでした。

 2時間を超える議論はとてもすがすがしく、
 今後さらに様々な立場の方々に参加してもらおうとの方向性に
 強く共感しました。

 フジノは、合理的配慮がなされない為に起こる差別について
 お話させていただきました。

 また、DVや児童虐待やアディクションなど
 様々な社会問題の『世代間連鎖』の防止についても
 この条例づくりによって大きく進められるのではないかと述べました。

 こうした条例づくりをめざす学習会のひとつひとつの過程そのものが
 より暮らしやすいまちづくりを目指した『耕す活動』そのものだ、
 とフジノは考えています。

 仮に、学習会のゴールが「条例は作らない」という結果になっても
 この活動そのものに大きな意味と意義があると思います。


● 長年愛読してきた本の翻訳者の方にお会いしました

 ところで、『アメリカ障害者法』(ADA法)の翻訳者である
 斉藤明子さんもこの学習会に参加していらっしゃいました。

 この本!
 長年フジノは読んできましたよ〜。

 1990年にアメリカで制定された
 『ADA法(アメリカ障害者法、障害を持つアメリカ人法)』
 2006年に国連が採択する『障害者権利条約』の
 『きっかけ』というか
 元になったといえる法律なのですね。

 ADA法については政治家になる前から勉強してきたのですが
 勉強の為にずっと読んできた本の翻訳者の方に
 まさかじかにお会いすることになるとは
 人生って何が起こるか分からないですね...。


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 これからも学習会に参加しつづけて
 文京区の市民の方々の活動を目の当たりにすると同時に
 フジノ自身もお手伝いができるようにしたいです。


 もちろん、目的は横須賀市でのあらゆる差別を無くすこと!

 がんばります。



2007年12月26日(水)のフジノ
● 作業所の今後の在り方とは

 障がいのある方々の作業所が
 この国でどのように作られてきたかを知っていますか?

 『障がい』と一言で書きましたが、
 身体・知的・精神の障がいをはじめとする様々な障がいがあります。

 この中で、精神障がいのある方々の作業所は
 1970年代のなかばに
 東京都小平市に初めて作られました。

 精神科病院を退院した後、家に戻っても
 なかなか働くことができない。
 行く場所が無いからひきこもりがちで、生活のリズムもバラバラ。
 障がいのあるご本人もご家族も、1日中顔をつきあわせて
 すっかり息苦しくなってしまう...。

 そんな状況を変えていく為に
 地域で暮らしつづけていかれるように
 自宅以外にも行き場所があるように
 生活のリズムを整えられるように
 就職する前に働く機会を持つために
 企業への就職はできなくても内職などの作業を行なうために

 いろいろないくつもの複合的な理由から
 全国で作業所をつくっていく運動が広まっていきました。

 立ち上げたのは、そのほとんどがご家族によるものでした。

 もちろん、保健所や病院のサポートもありました。
 例えば、上に記した小平市の場合は、
 国立の精神科病院と保健所と市の生活保護担当によって組織された
 『地域精神保健業務連絡会』という組織が
 すでに地域で活動していた知的障がいのある方々の作業所と
 共同でたちあげました。

 病院や保健所や市など多くの関係者の方々のサポートはあるものの
 立ち上げやその後の毎日の運営は、
 ご家族が中心となってこれまで行なってきました。

 いわゆる『精神障がい者家族会』というものです。

 こうしたことから、作業所の活動は
 小規模で、地域に密着したものであると同時に、
 悪く言えば『素人』的な運営がすすめられてきました。

 法律には、位置づけられていない施設なので
 作業所は『法定外』施設と呼ばれてきました。

 国は1995年になって、
 ようやく1ヶ所110万円の助成を行なうようになりましたが、
 それでも全国の作業所の半分ほどしか補助は出ませんでした。

 まさに法律とは離れたところで
 民間の力で運営されてきたのが作業所なのです。

 1975年には24ヶ所しかありませんでしたが
 2000年には1600ヶ所を超えて、2万5000人以上が利用しています。


● 分かれ道に追い込まれた作業所

 こうしてご家族の想いや賛同する方々の想いによって運営されてきた
 作業所がこの数年間、分かれ道に立たされています。

 ある意味、つぶされようとしています。

 分かれ道のその先は、どちらに行っても
 決して明るい未来が見えないからです。

 フジノがいつも批判するダメ法律『障害者自立支援法』によって
 作業所という形(法定外施設)をやめて
 法律の定める施設(新法体系)に移りなさい、と宣告されました。

 『新法体系』に移ること。

 フジノは基本的に障害者自立支援法そのものに反対ですが、
 新法体系についても、否定的です。

 内容があまりにも不確実なことや
 移ることによるデメリットが多いことなどが理由です。

 新しいことが起こるとすぐに怪しい経営コンサルタントが現れて
 甘い言葉をささやいています
 (工賃3倍計画をつくりましょう、とか...)。

 でも、こういう人々の言葉は信じられません。

 結局のところ、国の財政削減の為だけの目的としか
 フジノには見えてこないからです。

 けれども、国の圧力(補助金のカット)によって
 新法体系に移らざるをえない...と決めた作業所が増えました。

 フジノも市議会での発言の中で

 「作業所が新法体系に移行しても
  その良さを失わないように市が協力してほしい」

 と、移行に向けて市の協力を発言していたり、

 「国の選挙結果を見ると法律の見直しもありえるので
  今はムリに新法体系への移行をすすめないでほしい」

 と、移行させるべきでないと発言していたり、
 めざす目的(精神障がいのある方々の最善の利益)は変わらないものの
 取るべき手段(このまま作業所として残る?新法体系に移る?)は
 迷い続けてきました。

 基本的には移行に反対なものの、
 アメとムチで
 障害者自立支援法の枠の中に押し込めようとする国のやり方に、
 フジノも迷い悩み、どうすれば最も無難な着地ができるのかという
 ソフトランディング策ばかりを考えるようになりました。

 福祉を守りたいと訴えてきた政治家でさえ、こうなのですから
 現場で作業所を運営する職員の方々のご苦労は
 もっともっと大きなものだったと思います。


● 作業所の持つ意義の大きさを守って、このまま進めるべきだ

 現時点でのフジノの想いは

 やはり作業所は新法体系に移行すべきではない。

 作業所だけが持っている
 『行き場所』=『生き場所』の文化を捨ててしまったら、
 それは財政よりも大きな財産を失うことになる


 移行せざるをえない作業所に対して批判はありません。
 (だって国のやり方のひどさは良く知っていますから)

 移行して新しく地域活動支援センターなどになる作業所も
 もちろんフジノは応援していきます。

 けれども、移行しないで作業所として活動していく方々を
 フジノはもっとも強く応援していきたいと思います。

 家族による運営に問題がある部分は
 改善していけば良いのです。

 この点については
 障害者自立支援法の話とは全くカンケーなく、
 進めていくべき当たり前のことです。

 行き場所=生き場所、と書きましたが
 地域の作業所には、ただ働く為の場所ではない大きな意義があります。

 運営や経営方法を改善すべき点は改善していきつつも
 こうした大きな意義を守っていくことが
 障がいのあるご本人にとって
 最も利益があることだとフジノは信じています。

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 今日、ずうっとお会いしたかった
 精神障がいのある方々の作業所で働く職員の方と再会できて
 30分ほどお話しすることができました。

 改めてフジノの考えをお伝えしました。

 他にもお会いしたいけれども
 なかなかお会いできない作業所の方々がたくさんいらっしゃいます。

 みなさまにお伝えしたいフジノの想いは
 今、上に書いたとおりです。

 市議会の中では、障害者自立支援法について
 くりかえし発言を行なってきました。
 (たぶんその回数は、横須賀市議会で1番多いはずです)

 それでも、議事録なんか読むチャンスないですよね?
 ふつうに暮らしている市民の方々で
 「議事録よんでます!」なんて方はいませんし...。

 だから、改めてここにフジノの考えを記しました。

 これでも伝えきれない部分もありますが
 これがフジノの本音であり、
 この数年間にわたって議会で発言してきたことです。


● 当選同期会『いちご会』でした

 今夜は久里浜の一升屋さんで
 平成15年に横須賀市議会議員に当選した同期による集まり
 『いちご会』が行なわれました。

 忙しくてふだんはなかなか集まれないので
 年4回の市議会が終わると『いちご会』を開いています。

 会派を超えた集まり
 (例えば勉強会とか議員連盟みたいなの)がなかなか無いので、
 率直な意見交換ができる『いちご会』は
 フジノにとって
 かなり貴重な場になっています。

 けれどもフジノは1期目のなかばから、
 「2期目の立候補はしない」と決心していたので
 『いちご会』にも途中から参加するのを完全にやめていました。
 たぶん去年やおととしには、参加回数ゼロだったと思います。

 それが再びフジノは今こうして議員になってしまったので
 2期目は『いちご会』にフル参加していこううと決めました。

 日頃は、市議会で政策でバチバチ対立していても
 今夜は、一升屋さんでプライベートなお話をしたり意見交換をしたり
 とても貴重な時間を過ごすことができました。

 もともと政治家同士は、敵ではありません。

 めざすゴールは同じ(この国を良くしたい)なのですが
 その手段(政策)が違うだけなのです。

 だから、根本的には敵では無いのですね。
 むしろ、仲間なのかもしれません。

 『いちご会』で議員提案の条例を作ろうという話は
 1期目には実現できませんでした。

 でも、今期中にはぜひ実現できればいいなあと思います。


2007年12月27日(木)のフジノ
● 借金の残高を少しでも減らすのも、身の丈にあった返済も、両方大切

 3週間ほど報告が遅れてしまいましたが
 半年ごとに市民のみなさまにお知らせしている
 横須賀市の借金について書きますね。

 今回は、12月3日付けで配布された
 横須賀市報・号外第16号『横須賀市の財政状況』からの数字です。

 ところでその前に...。

 今年の市議会での議論の中で気になる発言がありました。
 例えば、ある議員からこういう言葉がありました。

 「よく借金の残高をとらえて
  財政状況が悪いと指摘する場面を見かけますが、
  毎年の返済が身の丈に合っているかの方が重要である
  と考えています」

 うーん...。

 本会議場でこの言葉を聞きながら
 フジノはちょっとガッカリしてしまいました。

 どちらが重要ということでは無いのに。

 この『借金の残高をとらえて財政状況が悪いと指摘する』政治家は
 まさにフジノのことですね。

 フジノは5年前に初めて立候補した時から一貫して
 このまちの借金の残高を市民のみなさまにお伝えしてきました。

 そして、『財政状況の悪さ』も指摘してきました。

 けれども、これを伝えることの重要性は
 決して否定すべきものではありません。

 この議員が述べたように
 『毎年の返済が身の丈に合っているか』も重要なことですが
 両方とも重要なことに変わりはありません。

 どちらかだけがより重要で
 どちらかは重要性が低いなんてことはありません。

 フジノからすれば、

 借金残高が多ければ、次の世代に負の遺産を多く残すことなので
 可能な限り、借金残高を減らしていく必要がある

 と同時に

 身の丈を超えた借金の返済を行なえば、
 今の世代に過剰な負担を強いることになるので、
 ただやみくもに返済をして借金の残高を減らせば良いのではない

 というのは、どちらも当たり前のことです。

 だから、フジノの指摘は間違っていませんし、
 批判はちょっと的外れですね。


● このまちの借金の残高は、こんなです

 それでは、横須賀市の借金の総額をお知らせします。
 2007年9月30日現在で、


 合計約3154億1300万円の借金。

 です。

 内訳は、

 一般会計、1657億5800万円
 特別会計(母子寡婦福祉資金貸付)、7億1600万円
 下水道事業会計、1083億4900万円
 水道事業会計、292億5000万円、
 病院事業会計、92億3400万円
 臨海土地造成事業会計、21億600万円。

 です。

 でも、この数字を見ても
 ぴんとこないですよね?

 そこで、このまちの借金の残高を
 このまちの人口で、割り算してみました。

 1人あたり、いくら借金をしていることになるのか、
 つまり、あなたがいくら借金を背負わされているかが分かります。

 2007年9月30日現在で、

 73万4,537円。

 です。これは大きいですよね〜。

 内訳を見てみると、

 一般会計、38万6019円
 特別会計(母子寡婦福祉資金貸付)、1667円
 下水道事業会計、25万2323円
 水道事業会計、6万8118円、
 病院事業会計、2万1504円
 臨海土地造成事業会計、4906円。

 となります。

 一般会計で、美術館だとかソレイユの丘などの
 ハコモノをつくっているので、金額が大きくなるのは分かりますよね。

 こんな状況で、新しい図書館を作るなんてことは
 とてもじゃないけどムリなことは明らかです。

 2番目に大きな借金を抱えているのが『下水道事業』です。
 だからこそ、フジノは下水道をターゲットにしているのですね。

 (下水道についてのフジノの主張はこちらこちらをご覧下さい)

 横須賀市の財政は、とても厳しいです。

 こういう現状を、ぜひとも市民のみなさまに
 知っていただけたらと願っています。

 こうした内容が記されている
 『横須賀市の財政状況』
 という小冊子は
 市役所をはじめ、
 行政センターなどで
 誰でもゲットできますので
 ぜひご覧くださいませ。


● 恒例の忘年会へ行ってきました

 今日の夜は、家族ぐるみでお世話になっている
 ご夫婦が主催されている忘年会へ。

 この忘年会だけは特別で毎年参加しているのですが
 もう5回目で、これに参加すると1年の終わりが近づいた気になります。

 そして、この忘年会がとても特別な理由は
 何といっても、ビンゴゲームの賞品で
 かぶりものを当てるのが『毎年の課題』になってきたことです(笑)

 忘年会の最初にスピーチをしなければならないのですが
 これもまた数日前から何日も内容を悩みますけど

 それよりも『かぶりもの』をビンゴで当てられるかの方が
 この1〜2年の深刻な課題なのですよ...。

 という訳で、今年も挑戦したのですが
 今年は2つの『かぶりもの』が賞品に入っていました。

 ...しかし、あっけなくハズレてしまいました。

 当たった賞品のはアルコールチェッカー。
 ふだんからほとんどアルコールを飲まないフジノ的には...。

 ガーンと落ち込んでいるフジノに
 『かぶりもの』を当てた先輩が交換してくれました!
 ありがとうございます。

 これは、ビバヒルのディランですね。

 去年のアイマスクよりもカッコいいけど
 おととしのパーマ付き帽子よりは
 カッコ悪いかなぁ...。

 何よりもリーゼントの先が
 重くてまともにかぶれないっす。

 でも、カッコいいな。

 こういう平和な忘年会をやれる
 わが国は本当に平和だと思いました。

 どうかパキスタンに平和が早く訪れますように...。



2007年12月29日(土)のフジノ
● 今年最後のカフェトークでした

 今日は、年内最後のカフェトークでした。

 今回で106回目でした。
 「継続は力なり」ですね。

 今年の8月まで会場としてお世話になった
 カフェ『BUENO』さんについて、想い出を少し記しました。
 こちらをご覧下さい。



2007年12月31日(月)のフジノ
● 市民後見人デビューに向けて、がんばっていますね

 神奈川新聞が、市民後見人養成事業をとりあげてくれました。

 新聞社は年末には割と時事性の高い記事よりも
 じっくりと追っておいた読み物としての記事を準備しておくことが
 多いそうなのですが

 そうした時期にこの大切な事業をとりあげてくれたことに 
 とても感謝しています。
 
 (2007年12月31日・神奈川新聞より)





2007年12月31日(月)のフジノその2
● 1年間を終えるにあたって

 まもなく2007年が終わろうとしています。

 日付が1日変わるだけのことなのですが
 先人の作った暦という発想は、本当に素晴らしいものだと思います。

 1年という区切りがあることで、1つの終わりと始まりが感じられて、
 つらいことや悲しいことをいったんその区切りの中で閉じて
 新しい日々を微笑みや喜びで迎えられるように再びスタートするという
 そんな気持ちを感じることができるのですから。

 この1年間をふりかえると、厳しい1年間でした。

 市政についてをふりかえるのは今日は置かせていただいて
 自分自身についてをふりかえってみたいと思います。

 政治家として、個人として、いろいろな想いがあります。

 政治家としては、
 そもそも2006年1月の時点で引退を決めていたので
 今年2007年1月に新年を迎えた時には
 最後の4ヶ月としてラストスパートの気持ちでいました。

 4年間全力で走り続けていたので
 心身ともに疲弊しきっていて
 とにかくあと4ヶ月間、やりのこしたことを全てやり終えよう、と
 それしか考えずに走り始めた今年のはじまりでした。

 4年間、良い仕事をしてきたと感じていました。
 本気でこころも体も削って、いろいろなものを失っても走り続けて
 これ以上はもう走れない、という状態でいつも仕事をしてきました。

 けれども、すでに記してきたとおり、
 いろいろな事情から3月26日に
 再び政治家という仕事を続ける決心をいたしました。

 政治家という職業に就いていることは
 1期目も2期目も同じですが
 決して、喜んでなった/なりたくてなった訳ではありません。

 やらなければならないからやるしかなかった、
 他にもっと働いてくれる人がいれば、いつでもおれは辞めるのに、
 という想いで
 この仕事に僕は就いています。

 そして、4月末、1週間にわたって選挙がありました。

 けれどもこれは通過儀礼のようなもので、
 フジノが1週間の選挙期間中に感じていたことは

 「こんなこと7日間も時間のムダだから早く仕事をさせてほしい」

 というものでした。

 うるさい選挙カーに名前だけをくりかえし叫んで
 政策も何も訴えない候補者の多さに、
 そして、それでもそんな候補者にもたくさんの支持者がいて
 実際に当選していくことにただ失望した1週間でした。

 結果的に、フジノの政策を支持してくださった
 こころある市民の方々がこのまちにたくさん存在してくれたおかげで
 再びフジノはこのまちの政治家になりました。

 当選の喜びは、1期目と同じく全くありませんでした。

 しばしば他の議員からフシギがられることなのですが
 当選発表の日にフジノたちは当選確実のニュースが流れても
 1度もバンザイをしたことも大騒ぎをしたこともありません。

 選挙期間中にまちを見てまわった市民の方々の暮らしの中の
 たくさんの苦しみや悲しみを今すぐに変えていかなければならないという
 使命感と責任の大きさだけでした。

 当選とは喜ぶことなどではなくて、
 4年間という任期でどこまで全ての政策を実現できるかを
 スタートするその瞬間でしかありません。

 こうして、6月末まで走り続けました。
 1期目の4年間の勢いのままで走り続けました。

 本来ならば4月で政治家は引退、
 アルバイトをしながら大学院生として新生活を送っていく、
 そういう暮らしを描いてきた計画は全く壊れてしまい、
 フジノの生活はめちゃくちゃでした。

 個人としての暮らしは全く無くて
 ただひたすらに『当選の恩返しは政策を実現することのみ』と思って
 寝食を削って活動を続けてきたのでした。

 でも、それが破綻するのは分かっていました。

 4月末までという区切りがあったからこそ
 4年間、いつ死んでもいいという仕事ができたのです。

 それをそのまま続けるのは無理なことでした。

 こうして、天木直人さんの横須賀講演会(6/29)が終わった頃、
 フジノは心身ともに完全に破綻して
 生活も崩れきってしまいました。

 どうしても外せない仕事(例えば自殺予防についてなどです)だけ
 なんとか気合で続けながらも
 基本的には期限を決めずに
 療養に専念することにしました。

 気持ちも体もめちゃくちゃだったからです。

 長年の夢を叶えて入学を果たした大学院にも全く通うことができず、
 進学を決意した頃からの夢が崩れていくのを
 つらい気持ちで感じていました。

 (たぶん大学院は、来年には退学するつもりです。
  この仕事は他のことをやりながらできるものでは無いからです。
  とても残念です...)

 くだらない些事によって選挙中に親友と仲たがいをしてしまい、
 旧友たちは子育てや新しい家庭生活や仕事に必死で、
 相談できる相手も全くいませんでした。
 
 個人としての僕は、30代をどうやって生きていけば良いのか、
 全く自己像を描くことができず、ただ苦しみながら仕事をしていました。

 そうやって療養しながら1ヶ月ほど仕事をしてきて

 「もう完全に何かが元に戻るということは無いのだ」

 と、あきらめていく気持ちが強くなりました。

 こころも体調も人間関係も失った人々も
 全てが4年前には戻らない。
 この仕事をしている限りはふつうの暮らしなんてものはムリなんだ。

 と、あきらめていく気持ちが強くなっていきました。

 そんな日々に区切りをつけて、
 つまり、療養という気持ちを捨てて本格的に仕事に戻ると決めて
 初めての仕事が『アディクション』に関するフォーラムに参加することでした。

 これは本当に意味があったフォーラムでした。

 飲酒や薬物とは異なりますけれど
 4年間フジノはワーカホリックとして仕事に依存してきた訳です。

 アディクション=依存症から復帰するべく
 がんばっているみなさんの発表をお聞きして
 なんとなく自分の生き方を変えていく方向が見えた気がしました。

 1ヶ月間の療養を経て、それからフジノは
 働き方を少しずつ変えることにしました。

 それから半年が経って、今に至ります。

 今もまだ新しい生き方が分かりません。

 新しい働き方も、成功しているかどうかは分かりません。

 ただひたすら政策を訴えてそれを実現していくというスタイルは、
 初当選以来、全く何も変わっていないはずですが
 とにかく今年はマスメディアへの露出を避けつづけました。
 講演会の依頼も(野比中学校を除いて)全てお断りしました。

 あえて街頭演説も6月29日から封印しました。
 これで半年間、Yデッキでの演説を行なっていません。

 だから、いつでもどこからしらで
 例えば新聞やテレビやYデッキでフジノの活動を観てきた、
 という方々にとっては
 この半年間、フジノは仕事をしていないように感じたはずです。

 でも、フジノはいったんそういう露出を全て抑えて
 地味な働き方を選んでみました。

 この新しいフジノの働き方や仕事の成果が良かったかどうかは
 市民のみなさまが判断していただければと思います。

 いずれにしても、厳しく市民のみなさまが
 フジノの仕事の成果をチェックしていただければ良いと思います。

 僕自身としては、これが今できうる全てです。


 長い1年間でした。

 7月を境に、半年間ずつ全く色合いが違う、
 とても厳しくつらい1年間でした。

 大切なものを喪うことが多かった1年間でした。
 これでもかとばかりに大切なものが損なわれていくので
 後は何がおれに残っているのだろうかと
 後は何をおれから引き剥がしていくのだろうかと
 やけくそのような気持ちになったりもしました。

 もし5年前に戻れるとしたならば
 こんなことは考えても全く意味が無いことですが
 あの時、政治家に立候補しないでいたならばどうなっていたか...。

 このまちの自殺対策はすすんでいなかったかもしれませんが
 僕個人の暮らしはもしかしたら少しだけ
 今よりも幸せだったのかもしれません。

 そんな無意味なことを考えたりもしました。

 人生というのは本当に分からないものです。
 不惑の頃を迎えても、きっと悩み続けているのだろうなあ。

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 けれども、そんな1年間も今日は大晦日で
 まもなくあと数時間で終わろうとしています。

 きっと、来年は変わっていくかもしれません。

 どれほど厳しい状況に追い込まれた時でも
 何故か僕のこころの底はいつもどこかポジティブで
 きっと乗り越えられるはずだといつもいつも信じてきました。

 どれほど逆境の時でも、
 僕を見捨てずに信じてくれる人々が何人かいてくれました。
 こんな素敵な人々がいる限りは、
 僕は完全に折れるなんてことは決して無いのだとも感じています。

 1つの区切りが終わって、また新しい日々が始まる。

 圧倒的な外部の力に自分自身の無力と絶望を感じつつも
 それでも明日を信じて生きていくということが
 人間として生きていくことなんだろうなあ。

 必死に岩を山に押しあげていっても、
 その岩は山頂にたどりつくと転がり落ちていってしまう。

 そもそもそんな岩を山頂に運ぶことに意味があるのかは分からないけど
 それでもあえてまたふもとに戻って、岩を山頂めざして押しあげていく。

 そんなものが人生ならば、あえて引き受けていくのが
 きっと人間として生きていくということなんだと僕は信じよう。

 がんばって生きていこう。
 何が先にあるかなんて分からないし、
 たぶん何も無いのかもしれない。

 でも、それでも、前に進んでいると信じて
 歩いていこうと思う。

 長い、長い、1年間だったけれど
 それも終わりがやってくる。だから、がんばろう。

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 年始もいつもどおり相談の電話やメールがあれば
 政治家として可能な限り、いつもどおり仕事をしていきます。

 個人としては迷いの多い日々を生きていますが
 政治家という仕事をプロとして働いている以上は任期の限り
 誇りをもって全力で働いていきます。

 横須賀市が今年以上に財政が改善していくように
 何よりも市民のみなさまの暮らしから
 苦しみや悲しみが少しでも無くなっていくように、
 笑顔や喜びが少しでも多くなっていくように
 政治家としてその仕事の本分を全力で果たしていきたいと思います。

 この1年間、大変お世話になりました。
 来年も全力で働いていきます。

 この寒空の下でも貧困に苦しむたくさんの方々や
 障がいや難病や介護の必要性から厳しい状況にある方々や
 DVや児童虐待や死んでしまいたい想いへと追い込まれている方々が
 たくさん存在していることを
 今この瞬間も決して忘れません。

 こうした苦しみが1つでも無くなるように
 命を守る為に働いていくことが政治家の仕事だと信じています。

 この最も基本を最も大切にして
 今年の残された数時間と
 やがて来る新しい年を全力で働いていきます。

 どうかみなさま、良いお年を。



2008年1月1日(火)のフジノ
● こんな『廃止』を『見直し』と呼んでよいのか

 去年3月、横須賀市の財政状況が
 非常に厳しいことを受けて
 行政改革委員会から提言が出されました。

 その提言に基づいて、昨年5月23日から
 『事務事業等の総点検』が行なわれました。

 横須賀市が行なっている全ての仕事を
 改めてチェックをしなおしたのです。

 その総点検には、3つの基本方針がありました。

 (1)従来の手法にとらわれない見直し
 (2)歳出削減を中心とした見直し
 (3)結果の公表

 こうして、2007年度予算を基準にして

 2010年度までに
 見直し245件、
 職員削減76人、
 効果見込み金額26億2200万円(一般財源)を削減する


 という見直し案が作成されました。

 しかし、フジノはこの『中身』を見て
 廃止に賛成できないものがいくつもありました。

 横須賀市の財政があまりにも厳しいので
 支出をカットするのは当然です。

 けれども、カットすべきではないものが切り捨てられて
 カットすべきものが生き残っている、というものがいくつもありました。

 「フジノは『総論賛成、各論反対』で良いのか!?」

 という意見もあるでしょう。つまり、
 支出カット(総論)には賛成でも、
 個々の中身(各論)に反対では改革は進まないだろ、という意見です。

 あえて、フジノはノーだと言います。

 この5年間、物事の優先順位がまちがっている、と
 言い続けてきました。

 財政を立て直すのは必要です。

 けれども、守るべきものを守らなければ、
 生活そのものが破壊されてしまいます。

 この指摘を具体例を挙げて説明したいと思います。


● これらの『人減らし』は、『改革』ではない

 今日は、特に『人員削減』をとりあげます。

 人員削減は、民間企業でもこの10年間、激しく行なわれてきました。
 その結果、どのようなことが起こりましたか。

 本当に人員削減によって、業績が回復したのでしょうか。

 むしろ、リストラによってたくさんの失業者を生んだと同時に、
 残された社員たちに労働条件の悪化をもたらしたのではないでしょうか。

 ただ人員削減をすればよいというものでは無いはずです。

 特に、市役所の提供する公共サービスは
 人を減らした分だけサービスの質が低下すれば、
 市民のみなさんの不利益に直結します。

 中には、命に関わることもあるはずです。

 そこで、フジノが「おかしい!やるべきではない!」と考えている
 今回の『事務事業等の総点検』における『人減らし』を
 ここに挙げていきます。


 ・基地対策業務費の見直し
  基地対策課の業務を見直し、臨時職員を削減する。

 今年から原子力空母が横須賀を母港とすることや、
 アメリカ軍兵士による凶悪な犯罪が起こっていることや、
 基地外の新設マンションなどに住む人口が増えていくことなど、
 アメリカ軍基地がらみの問題は
 今後もっと増加していくことが予想される。

 それなのに、人員を減らして
 本当に十分な対応ができるのか?


 ・市民安全課の執行体制の見直し
  市民安全課の防災対策業務を見直し、正規職員1人を削減する。

 関東大震災クラスの直下型地震がいつ起こってもおかしくない、と
 警告され続けているにも関わらず、
 防災対策業務の人員を減らして
 十分な対応が望めるのだろうか?


 ・市民相談体制の見直し
  市民生活課による市民相談の体制を見直し、正規職員1人を削減し
  再任用職員を活用する。

 市民相談の重要性は今後も増していくことはあれども
 減っていくことはとても考えられない。
 重要性の高い仕事を
 賃金の安さで再任用職員へ切り替えるのは
 相談の質の低下につながるのではないか?


 ・消費生活相談業務の委託化
  市民生活課の消費生活センター担当における
  消費生活相談業務および啓発業務を民間団体に委託し、
  正規職員1.5人を削減する

 多重債務問題の対策が政府レベルでやっと取りあげられて
 多重債務の解決の為の相談の重要性をはじめとして
 そもそも多重債務に陥らせない学生時代からの金融教育などの啓発など
 消費生活相談の仕事の重要性は増すばかり。
 それを正規職員を削減して
 対応できるとはとても考えられない。
 優秀な民間団体が存在するので民間委託には賛成だけれど
 職員を減らす理由にはならない。


 ・ドメスティックバイオレンス等対策事業の見直し
  男女平等専門委員の報酬額を
  過去の申し立ての実績などをふまえて見直すとともに、
  DV被害者の緊急一次保護委託内容を見直し、経費を削減する。

 この見直しは、命にかかわる問題になりかねない。
 DVは被害者数の増加が激しく、
 いざという時に被害者の命を守る為の緊急一次保護を
 経費削減の為に内容を見直すということは、本当に必要なのか疑問だ。


 ・特別支援教育対策関係事業費の見直し
  就学相談体制や相談支援チームの充実にともない、
  障害別スーパーバイザーの役割が軽減された為、
  スーパーバイザーの褒賞費、診断委託料などを削減する。

 特別支援教育が始まってから約1年で
 スーパーバイザーの役割が軽減されたとは考えられない。
 教員の方々の特別支援教育スタートによる負担の増加を考えると
 今後数年間はスーパーバイザーをむしろ維持していくべきではないのか。


 ・医療的ケア充実事業の見直し
  臨時職員として看護士を雇用してきたが、県の制度に準じ、
  看護士に特別教員免許を与え、
  教員定数の中で採用する制度(県費)に段階的に移行し、
  賃金、検査委託料を軽減する。

 財政削減の必要性から
 県の費用を利用できる方向へ向かうのは理解できるが
 医療的ケアの充実には教員定数の中での対応だけで本当に足りるのか。
 市単独の費用でさらに雇用を続ける必要があるのではないか。


 ・美術館運営課の執行体制の見直し
  業務を見直し、非常勤職員を活用することにより
  図書室担当の正規職員1人を削減すると共に
  副館長(非常勤職員)を廃止する。

 これは明らかに間違っている。
 副館長を廃止するならば、お飾りの館長を廃止すべきだ。
 市民の美術館建設反対運動の激しさを知っている
 現在の副館長だからこそ
 横須賀にふさわしい美術館とは
 いかにあるべきかを誠実に追求できるはず。
 かたや美術業界の知名度だけで選ばれた非常勤の館長こそ
 本当に意味があるのか。むしろ、廃止すべき対象なのではないか。


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 みなさんは、どう思いますか?
 本当にこれで良いと思いますか?



2008年1月2日(水)のフジノ
● 市役所が市議会議員に年賀状を送る必要があるのか

 新年早々、横須賀市にガッカリさせられたので
 今年はもう流したりはせずに
 市民のみなさまに改めてご意見をうかがいたいと思います。

 「市役所の部局長が税金を使って
  市議会議員に年賀状を送るのは税金のムダ遣いだ!」


 との批判を当選以来、繰り返してきました。
 昨年暮れにも、もちろんこの主張を再び書きました。

 その理由は、こちらをご覧下さい

 にもかかわらず、今年もまた届きました。

消防局長からの年賀状 上下水道局事業管理者からの年賀状

 左は、消防局長の名義での年賀状です。
 右は、上下水道事業管理者の名義での年賀状です。

 どちらも差出人住所は、横須賀市小川町11番地、
 つまり、横須賀市役所の住所です。

 同じ市役所の中で働く市議会議員に対して、
 市役所の部局長があえて年賀状を出す必然性はあるのでしょうか。
 合理的な理由があるのでしょうか。

 こんな印刷に市職員の貴重な労力を使わせてはいけないし
 こんな虚礼に税金を1円でもムダに使わせてはいけません。

 市民のみなさまは、つまり、あなたはこれをどう考えますか?
 フジノは完全にムダだと考えています。

 昨日のこのコーナーで書いたような歳出削減を行なうよりも
 まず、こういう足元のムダ遣いからやめていくべきです。

 ぜひあなたの意見を聞かせて下さい。
 ぜひこちらからメールを送って下さい。

 こういう細かいことを絶対におろそかにしてはいけません!



2008年1月3日(木)のフジノその1
● セーフティネットを無くすのは、改革ではない

 『横須賀市重度障害者等福祉手当』という制度があります。

 毎月、下の金額を手当てとして支払われる、というものです。

 (1)重度障がいのある方:月額 5,000円
 (2)中度障がいのある方:月額 4,000円

 この対象になるのは、
 横須賀市に住所を有する次の方です。

 (1)重度障がいのある方
   身体障害者手帳が1級または2級の方
   知能指数35以下の人
   身体障害3級で、かつ知能指数50以下の人
   精神障害者保健福祉手帳が1級の人

 (2)中度障がいのある方
   身体障害者手帳が3級の人
   知能指数50以下の人
   精神障害者保健福祉手帳が2級の人

 しかし、この制度までも財政削減の為に
 65才以上の方については廃止しようとしています。

 元旦のこのコーナーで記した
 『事務事業等の総点検』でこの点が挙げられていました。

 政治家としてフジノは
 セーフティネットを無くすのは改革ではない、と考えています。

 そこで、12月4日の民生常任委員会で
 この問題について取り上げました。

 (下のやりとりは、議事録のゲラからの転載の為、
  現時点では正式な議事録ではありません)


 (07年12月4日・民生常任委員会・所管事項での質疑)



 続いて、事務事業の総点検について1点うかがいたいと思います。

 先月、企画調整部長から市議会議員あてに
 総点検の資料が配布されました。

 そのうち部局別見直し計画の
 健康福祉部分を見ると、37の見直しが挙げられています。

 その事業の中には、
 確かに時代の流れに応じて削減や廃止をすべき事業もありますが
 セーフティネットとしての市の社会福祉施策をカットするのは
 適切ではないと考える部分もいくつかあります。

 今回1点だけ取り上げたいのは、
 横須賀市重度障害者等福祉手当の見直しについてです。

 支給対象の見直しによって
 65才以上の新規の身体障がいのある方々に手帳を支給しない
 と報告されていますが

 これはあまりにもひどいのではないかと考えます。

 廃止するという結論に至った経緯をご説明下さい。








 私どもの考え方として
 手当てはご案内のとおり国ももちろんありますけれども
 神奈川県の単独の手当て、市の手当てと、
 地方版についてはその2つがございます。

 そういう中で県は先行して数年前に、
 今お話があったような
 新たに65才以上で身体障害者の手当ての対象となる
 障害を負った方については外しました。

 我々もその時はハッと思ったのですが
 よくよくそこで県の考え方を聞いてみますと
 一部理解するところもありました。

 それを具体的に今申し上げますと
 いろいろなケースがあろうかと思います。

 まず、大方のケースとしては
 65才移行に障害を負われて、ということは
 職業をリタイアされてそれなりの年金なり、あるいは貯蓄等を含めた
 経済的な蓄積があるであろうという方については

 今後あるべき姿を考えた時は
 金銭的な給付という手当ては果たしてどんなものかということを
 内部では議論させていただきました。

 そのようなことで、新たにそういう手帳を取得する、
 特にこれは65才以上ということは
 基本的には身体障害者がメーンだと思います。

 知的障害者あるいは精神障害者の方は
 早い時期からそういう負いたくもない障害を負った方と
 私は理解しております。

 今申し上げましたようなことで
 生活する上では手当て
 月額、重度は5000円、中度は4000円という金額でございますが、
 この辺までは金銭的な給付は無くても大丈夫であろう
 という判断でこういう対応をしました。





 経緯については分かりました。

 先行して行なった県の説明を受けて、
 一部理解するところがあったということですが

 県の動き、特に社会保障をカットする動きに
 横須賀市が引きずられる形になったのは、非常に残念だと思います。

 今回、部長は
 65才以上の方は経済的な蓄積があるはずだろうという前提で、
 金銭的な給付だけで正しいのだろうかとおっしゃいました。

 けれども、先ほどの後期高齢者医療制度の問題についても
 4割の方が保険料の負担軽減を受ける状況ですので
 それほど所得の多い方が多いともなかなか考えられないのです。

 そこで改めてうかがいます。

 金銭的な給付だけではあまり意味が無いのではないかと
 おっしゃったと受け止めておりますが、
 では、それ以外の支援は
 どういったことを考えていらっしゃるのでしょうか。








 65才以上の方という部分で申し上げますと、
 まずリタイアされても健康的な生活を維持していただくということで
 健康を保持するための予防という部分で
 いろいろな健診も含めて
 今国からもいろいろ出されています。

 高齢期に入る方々にターゲットを置いた健診などのような
 健康保持の為の予防をまず重点的にやるべきではないかと。

 やはり健康があって初めて多分幸せな暮らしがあると思いますので
 私はそう理解しております。





 部長がおっしゃったのは一次予防という観点かと思いますが
 健康増進法の制定から一次予防という考え自体は
 非常に必要だと思うのです。

 ただし、障害者等福祉手当は
 図らずも障がいを持ってしまった後の
 三次予防という観点からの手当てだと思うのです。

 健診業務を集中的に行なっても防ぎようの無い
 障がいに陥る状況があると思うのですが
 そうした場合についてはどのようにお考えですか。








 一例を挙げますと、
 例えば交通事故で大きな障害を負ったということが
 ケースとしてあるとします。

 そういう場合、そういう方に対して
 どういう公的な福祉的なサービスが必要かと考えた時に、
 仕事をリタイアしたとはいっても、歩行等を含めた形で
 身体的に不自由であっても
 家族はもちろんでありますが地域の方々のサポート、
 ご本人からしてみれば、そういうようなマンパワー的な部分での
 よりどころが求められてくるのかと私は推測するわけです。

 そういう意味では、なるべく数多くの
 マンパワーの確保に努めるべきであると
 まず第1はそう思います。

 それから後は、貯蓄等を含めた資産形成が
 ある程度の人はなされているといますが
 そうではない方も確かにいると思います。

 では、そういう方々についてまで
 そうするのかということは考えなければいけないとは、
 一方では内心は思っているのも事実でありますが
 総じてこういう判断をさせてもらっております。

 繰り返すようでありますが、
 そういう意味では、人的な支援をしてくださる人たちを
 いろいろな部分でいかに増やしていくか、
 そちらに重きが置かれてくるかと理解しています。





 給付という形での公助をカットして
 共助に頼るのはいかがなものかとは思うのですが
 今後の推移を見守っていきたいと思います。




 年齢で制限をかけることが本当に正しいのでしょうか。

 財政の観点から削減をしなければならないのなら、
 所得の観点から制限をしていくべきではないのでしょうか。

 つまり、部長がみずから答弁の中で述べているように
 貯蓄があって経済的に余裕があるならば
 こうした手当てを必要としないかもしれません。

 けれども、所得が低かったり貯蓄があまり無い場合には
 障がいに起因する様々な事情によって
 生活の中での支出は増えていきますので、
 暮らしはさらに厳しいものになっていくでしょう。

 ですから、65才からは一律廃止、ではなくて、
 その人それぞれの所得状況によって手当を制限すればよいのです。

 すでにフジノの主張は
 委員会での質疑で訴えたとおりですが、
 改めて1つ繰り返したいことは、

 セーフティネットを無くすのは、改革ではない

 ということです。

 あなたはどう思いますか?



2008年1月3日(木)のフジノその2
● 穏やかな三が日

 世間がお祝いムードで一色になっている時期は
 孤独感や社会との隔絶感を抱いている方々のそうした気持ちが強まって
 自分を傷つけたり、他人を害してしまう、ということが起こりやすい、
 とフジノは感じています。

 だから、世の中が連休だとかお祝いだとか
 そういう時にはしっかり注意しておこうという気持ちで
 この三が日も仕事に臨みました。

 このクリスマスには割と深刻な相談内容が多かったので
 ちょっとピリピリと気を張って、待機していました。

 実際にはこの三が日は、
 数通の相談メールと数件の相談電話のみで
 比較的、穏やかな3日間でした。

 少しだけ、ホッとしました。 

 相談が少ないのは、
 厳しい状況に追い込まれている方々が減ったのか
 むしろ、電話やメールにさえアクセスできない精神状況にあるのか
 あるいは、フジノへの信頼感が落ちて相談には至らないのか
 これらのどれかですね。

 本当の理由は分からない。
 だから、ホッとするのは少しだけ。

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 正月こそカタイ話だけしたい、という想いで
 今年は元旦も2日も横須賀市政についてのみ書きました。

 今日は三が日も終わるので
 ちょびっとだけ、新年の状況を記しますね。

 <元日>

 カウントダウンのイベントには今年も行かずに(本当は行きたい)
 屋内で新年を迎えました。

 0時を過ぎてから、いつも初詣をしている佐野の八幡神社へ。

 この2年間は行けなかったので、
 今年こそは『豚汁』と『甘酒』をいただこう、と楽しみにしていました。

 深夜ながら、たくさんの人出。

 鳥居をくぐってから
 長い長い階段のてっぺんに
 社殿があります。

 拝殿でお参りする為の列が
 この階段までのびています。

 そして、タイコの音に合わせて
 順番にお参りをしていきます。

 お参りをした後、
 ついに豚汁&甘酒へ。

 今年もねぎしかずこ議員が佐野町内会の方々と一緒に
 甘酒の担当をされていたので新年のごあいさつをしました。
 ねぎしさん、佐野のみなさん、寒い中おつかれさまです。

 高台にあるので風も強くて今年もとても寒かったので、
 本当においしく豚汁&甘酒をいただきました。

 これらをいただくと、「新年になったなあ」と感じることができます。


 <2日>

 2日は、親戚の家を年始のあいさつまわり。
 昨年に結婚したばかりの親戚夫婦は、
 結婚前の両家顔合わせから僕も立ち会っていたので
 仲むつまじい新婚カップルの様子にとても好感を抱きました。
 どうか末永くお幸せに...。

 夕方、これまた毎年恒例の横須賀中央・諏訪神社でおみくじ。
 昨年は『凶』だったのですが、今年は『吉』でした。

 終わってみれば
 昨年のおみくじは
 とても当たって
 いた気がします。

 今年のおみくじも
 当たるのかな。

 久しき間の苦しみも
 時いたりて
 しだいに 
 良い方向へ
 向かうそうです。

 ぜひとも当たってほしいです。

 夜は、久しぶりに家族と穏やかに過ごしました。

 すき焼きを家族で食べました。料理好きの父が病床についてからは
 もうすき焼きをやることもすっかり無くなってしまいました。
 気づいてみれば、すき焼きしたのは8年ぶりくらいかも。
 おいしかった。

 2匹いた愛猫のうち、
 16年過ごした1匹の猫を
 昨年暮れに亡くしてしまいました。

 残されたもう1匹とは
 仲があまり良くなかったのですが
 それでも1匹が亡くなって以来、
 元気が無くなった感じです。

 さみしさが家族からも
 伝わっているのかもしれません。

 写真のように
 猫がひざに乗って来たのも
 本当に子猫の時ぶりだから、
 10〜12年ぶり。

 暖房の温度をさげても猫を抱っこしていると
 とても暖かいんです。

 と、TVのCMで流れていますが、そのとおりです。

 フジノ家の
 暖房は
 基本的にあまり
 入れません。

 猫、かわいい。

 でも、このコも
 いつまで
 生きているかなあ。


 <3日>

 今日は、横須賀市民にとって悲しみの日です。

 アメリカ軍兵士による犯罪が起こらないようにと
 特に今日はいつも以上に強く願いながら過ごしました。

 今日は事務所で終日過ごしました。
 相談の電話を受けたりメールに返事を書いたりしながら
 それ以外の時間は、ひたすら参考文献を読んで過ごしました。

 2月に始まる予算議会に向けて、
 市長に本会議で質問したいことがたくさんあります。
 その為の下調べです。

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 こうして三が日が終わりました。

 明日あさってはお休みをいただいて
 また日曜日から全力で働いていきます。


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