まちの政治家は、こんなことしてます


2008年2月8日(金)のフジノ
● 還暦を迎えたアサノ知事をお祝いしました

 今日は、4ヶ月ぶりに浅野史郎さんにお会いしました。

 横須賀法人会の主催による新春講演会として
 『地方活性化とこれからの福祉・医療・地方分権』のタイトルで
 講演が行なわれたのです。

 しかし、『浅野史郎さん』なんて書くと
 なんかフジノには違和感があるなあ〜。

 15年前(大学1年)からフジノは
 こころからリスペクトしている、元宮城県知事のアサノさんです。

 アサノさんの横須賀での講演は、
 2004年12月にお招きして以来、3年2ヶ月ぶりです。

 会場の
 セントラルホテルは
 満員でした。

 横須賀法人会さん、貴重な機会をありがとうございます!

 特に、事務局長の釜谷さん!ありがとうございました。

 (アサノさんにとても気に入られてしまって
  「釜ちゃん」と呼ばれてました)

 会場全体を駆けめぐる大活躍でしたね〜。
 本当におつかれさまでした。

 アサノ節、炸裂です。

 会場を大いに笑わせながら
 民主主義の意味、
 情報公開の大切さ、
 政治家が生まれる時の
 『正当性』について
 などなどが語られました。

 アサノさんの話術は見事なので
 会場は爆笑しながらお話を聴いていました。

 1つずつのお話が本当は1時間くらいかけて語られるテーマを
 すさまじい勢いと笑いと共に語られてしまいました。

 例えば、政治家が生まれる時の『正当性』の話なんて
 本当は涙なしには聴けないシリアスな話なのになぁ。

 正当性、という言い方を今日はしていましたが
 『出生の秘密』という言い方で、アサノ知事が誕生して以来、
 どんな時もアサノさんが常に忘れずに語り続けてきたことなのですね。

 どうして政治家にならなければならなかったのか
 という、立候補せざるをえなかった『原点』についてのお話です。

 アサノさんの『原点』についてのお話を
 フジノは政治家になってから一瞬も忘れたことがありません。
 僕にとっても、どんな時も常に戻るべき政治家フジノの原点です。

 だから、というか、初めてアサノさんにお会いした方々の為にも
 もっとじっくり1つのテーマだけでお話ししてほしかったです。
 ちょびっと、もりだくさんすぎたかなぁ。


● こころの師匠に対する、勝手な想い

 実は、今日の講演会、行かないつもりだったんですよね...。

 「横須賀に行くといつもフジノが出てくるんだよなあ」

 って、アサノさんが思ったらイヤだなあと心配で
 行くのやめよう、と思ったのです。

 (僕は尊敬する人や好きな人に対してはすごく小心者なのです)

 でも、ある日、アサノさんと親しい
 大坂聖子さん(前・大磯町議会議員)からメールをいただいて

 「横須賀での講演会の日、アサノさんは還暦の誕生日なんだよ〜!
  お祝いしましょう!」

 とお誘いをいただきました。

 なに!それはお祝いしなければ!

 ということで、講演会に行って、
 誕生日をお祝いしようと決心しました。

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 でも、政治家になってから
 あらゆる贈り物・プレゼント(身内への誕生日プレゼントさえ)を
 フジノは完全にやめてしまったので

 いったい何をあげたら喜んでもらえるのか、
 けっこう考え込んでしまいました。

 アサノさんはおしゃれだから、赤いチャンチャンコは着ないだろうし。

 さんざん悩んだ結果、『プリザーブドフラワー』の真っ赤なバラを
 一輪、プレゼントすることにしました。

 相手に喜ばれる為、というよりは
 フジノの願いを勝手にこめました。

 プリザーブドフラワーは、ドライフラワーとは違って、
 枯れているわけではありません。
 何年も何年も、美しく咲き続けた姿のままで存在します。

 いつまでも枯れることなく、情熱の真っ赤なバラのように
 咲き続けてほしいなあという願いを(勝手に)こめました。



 今日の講演の中で、アサノさんが候補者としてかつぎだされた
 こないだの東京都知事選挙について、少しだけ触れました。

 本当に何気ない話を一瞬だけされたのですが、
 思わず僕は、あの選挙の最終日に引き戻されました。

 あの夜、僕は雨の降る新宿駅東口にいました。

 (翌日の読売新聞の一面に載った
  アサノ候補を囲む大観衆を写した写真の中にフジノの姿が映ってました)


 アサノさんの言葉に、こころの底から感動をしました。

 その言葉にこころを揺り動かされて
 知らずのうちに涙が流れて、
 初めて「福祉を守りたい」と願った日の原点を想いました。

 そして、政治家を辞める決意をしていた自分自身も
 改めてもう1度、闘う決心をしました。

 だから今、僕は再び政治家になりました。

 このまちの精神障がいのある方々の声と、
 追い込まれた末に亡くなっていった自死をされた方々の声と共に、
 アサノさんの存在こそが僕を政治に引き戻したのです。

 僕の原点です。

 だから、なんかうまく言えないのですが
 もう1回、アサノさんの闘う姿が見たい、と感じました。

 教授の仕事も素晴らしいし、
 コメンテーターの仕事もお見事ですし、
 アサノさんの才能は多彩だなあと感心するばかりです。

 でも、でも、あえて。

 もう1回、福祉を守る為に
 政治の世界で闘ってほしい。

 そんなことを、勝手に弟子だと信じているフジノは
 こころの師匠の姿を見て、思ったのでした。

 それは、あまりにも手本にできる政治家がいないからかもしれませんし、
 この国の福祉があまりにも追い込まれているからかもしれません。

 いずれにしても、フジノは、
 アサノさんのような方の存在が
 今こそ政治の場に必要なのにと強く感じたのでした。



2008年2月6日(水)のフジノ
● 働きはじめることをこころからお祝いしました

 政府がすすめている『自立支援』という言葉は
 まだまだサポートが本当は必要な人からセーフティネットを奪って
 すさまじい財政赤字を埋めようとするまちがったものです。

 その中身は、ただひたすら『就職』させること。

 例えば、ひとり親家庭になったシングルマザーの方々の多くは
 離婚や死別の直後に精神的にも肉体的にも疲弊しきっています。

 「それでも働け」というのが
 政府の言っている『自立支援』です。

 障がいのある人々への『自立支援』という言葉もまやかしばかりで
 例えば、精神障がいやうつ病で苦しんでいる人々も
 とにかく働かせる、というのが政府の言う『自立支援』です。

 人間にとっての自立とは、
 その人それぞれが置かれた立場ごとに全く違います。

 ただ就職して働けば「自立だ」なんてまちがっています。

 その人の生き方や環境に合った暮らしの中で
 その人らしく生活していかれることこそが、めざすべき自立だと
 フジノは信じています。

 だから、これから書くことは、その前提で読んで下さい。
 フジノは政治家として、「人は働けば自立だ」なんて考えていません。

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 おととしの12月に初めて出会った方がいました。

 その方は生きていくことに自信があまりなくて
 働きたいとは考えていたものの、
 実現することができていませんでした。

 でも、その方はまだ若く、可能性に満ちているとフジノは感じました。

 力になりたい、とフジノは思いました。

 だからといって、フジノに
 特別なことができる訳ではありません。

 ただひたすら、毎日メールを送りました。
 1週間に1回くらいは電話をしました。
 1ヶ月に1回くらいは会ってもらいました。

 「今日は晴れてるね」

 とか、

 「寒いけど風邪はひいてない?」

 とか、

 「うちで15年間飼ってた猫が死んじゃったよ」

 とか、

 「歯医者に行かなけりゃいけないんだけど、行きたくないよ」

 とか、たわいもないことばかりを語りかけました。

 とにかく、その方から返事が来なくても
 いつもいつも忘れずに連絡をとりました。

 そんな日々が長く続いたある日、

 「就職活動をしてみようかな」

 という言葉がふとその方から出ました。

 それから数ヶ月が過ぎて

 「採用試験を受けてみることにしたんだ」

 という連絡をもらいました。

 それから1週間が経って

 「受けてみたけど、10何人も面接に来てて、落ちたかもしれない」

 と言われました。

 そして、発表の日が来ても
 連絡が来ませんでした。

 ああ、落ちててもいいから、無事でいてくれ!
 と僕は祈りました。

 それから数日が経って

 「合格しました。採用されました」

 と連絡がありました。めちゃくちゃうれしかったです。

 その方の就職への想いを知っていたからこそ
 本当にうれしかったです。

 僕はその方と昨日再会して、
 ふだんは一切お酒を飲まないようにしているのですが
 お祝いの為にワインで乾杯しました。

 6時間も飲んで、お祝いをしました。
 (そんなに飲んだのは、何年ぶりか分かりません)

 実際に働きだせばつらいことや苦しいことがたくさんあって
 それをのりこえていくことの方が採用試験そのものよりも
 本当は大変なことです。

 けれども今は、こころから踏み出せた勇気を祝いたい、と思いました。

 働きたいと切実に願ってきた人が一歩を踏み出したこと、
 それをこころから祝福したいと思いました。

 とにかく、僕はその方の持っている力(可能性)を信じました。

 ただひたすらに信じ続けたら、
 その方は自らの力で歩みはじめました。

 本当に素晴らしいことだと思いました。

 長いようであっという間の1年2ヶ月でした。


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 守秘義務のカンケーで詳しいことを何も記していないので
 いったい何をそんなにフジノは喜んでいるのか?
 という感じの文章であることは理解しています。

 ごめんなさい。

 けれども、この方はすでに自立を果たしたのだ、ということを
 フジノは伝えたいと考えて、この文章を記しました。

 自立というものは、くりかえしになりますが、
 生きている数だけ人には置かれた状況が全く異なる中で
 その人がその人らしく人生を送ることができるようになることだと
 フジノは信じています。



2008年2月5日(火)のフジノその2
● 性的マイノリティについてスウェーデンの教科書は教えている(*)

 Youth Talk about Japanによる
 トークイベント『性的マイノリティと教育』に参加してから
 多くの方々からメールをいただきました。

 まだまだお返事が書ききれていなくて、ごめんなさい。

 そんなお返事の中で、

 「スウェーデンの社会科の教科書では
  性的マイノリティについてもきちんと触れている」

 とフジノは説明しました。

 その教科書が翻訳されているのですが、ご紹介しますね。

 『あなた自身の社会〜スウェーデンの中学教科書〜』

 この本は、皇太子さまが朗読されたことで
 ベストセラーになったこともあって
 知っている方も多いのではないかと思います。

 とても日本の教科書とは違って、
 優れている点が多いと感じます。

 何よりも、現実の社会について
 きちんと記している点が大きいと思います。

 さて、その本から、2つの記述を紹介します。

 (その1)
性について 性(sex)という言葉は、ラテン語のセクサス(sexus)に由来する。異なった性をもつ相手だけを愛することをヘテロセクシャルという。同じ性の相手だけを愛することをホモセクシャルという。2人の女性の間の愛情関係をレズビアンといい、男性同志で愛人関係にある人のことを、スウェーデンではしばしばブゥグという。同姓とも異性とも愛し合う人をバイセクシャルという。スウェーデンでは、これらの関係の全部が法律で認められている。 もし、あなたが自分の性について悩みがある時は「性についての情報全国協会」(宛名は省略)に相談しなさい。  法律は15歳以上の刑罰成人の男性が、15歳未満の女性と性的関係をもつことを禁じている。またいかなる携帯であれ、親と子の間の性的関係を禁止している。近親相姦−インセスト−および暴力的に性的関係を強制すること−強姦−は、私たちの犯罪の中でも最も重大なものとされている。


 (その2)
「友情、優しさ、愛情は、同性愛者にも他性愛者と同じように満ちており、その程度も同じように高いのです。違いは、そうした感情が同じ性の人に向けられるという点だけです。ですから、同性愛者も他の人々と同じ権利−結婚と養子の権利が与えられるべきなのです。今日では、非常に多くの人々がこの要求に同意しています。これからの社会は、同性愛者がサムブーや結婚している人々と同じように、子どもの欲しい者は子どもとともに、より深く結びついたペアとして生きていくことを、より容易に−困難にではなく−してくれるでしょう」


 こうした記述は、現実的で、とても意味があることだと思います。

 様々な性の在り方があるということを
 きちんと説明していることは重要です。

 また、特に(その1)では、
 自分自身の性に違和感を抱くこどもに相談できる連絡先を
 載せていることも、とても大切なことですね。


 (*)このHPでは、便宜的に『性的マイノリティ』と記していますが
   本来、性の在り方は多様であるという立場なのですから、
   『性的マイノリティ』という表現を使うことに違和感を抱いています。
   『性的バラエティ』がよりふさわしいのではないかと考えています。



2008年2月5日(火)のフジノその1
● 県立高校の入試結果発表でした

 昨日は、県立高校の入試(前期)の合格発表でした。

 合格する人がいるということは
 不合格になる人がいるということです。

 必ずしも全員がハッピーになれる訳ではない。
 それが現在の入学試験の制度です。

 全力を尽くしたかどうか。
 それは、問われることがありません。

 いくらペーパーテストだけじゃなくて面接試験があっても、
 15分程度の面接では
 あなたの生き様は決して伝わることはありません。

 どれだけこれまで全力を尽くしてきたとしても、
 結局は決められた合格ラインに届かなければ、不合格になります。

 でも、僕は、不合格になった人たちに
 ぜひ負けないでほしいと願っています。

 これは、決して『人生の価値』を決める試験では無いのです。
 『学力』と『人としての価値』は全く別のものです。

 世の中に出ていけば、それがイヤというほど分かります。

 たとえ高学歴を持っていても、
 恥ずかしい人間はうんざりするほどいます。
 多くの場合、大切なものは学歴とか受験とは全く別なところにあります。

 今この瞬間は、わずか15才にして不合格という現実に直面して
 こんな僕の言葉は届かないことも理解しています。

 挫折感や、悔しくてたまらない涙が出たり、
 思い描いていた未来とは違う道を進むことに恐怖感を抱いたり
 早く後期試験にアタマを切り替えなければならないのに
 「切り替えなんてできない!」
 と、あせっていたりすると思います。

 でも、僕の言葉を信じて下さい。

 ほんの数年のうちに、社会の現実が分かると思います。

 まだまだバカバカしい学歴重視の人間に出会って
 うんざりさせられることもたくさんあるでしょう。

 でも、こんなちっぽけな日本の
 ちっぽけな枠組みの中で、
 そんなことに重きを置いている人々の底の浅さに
 あなたは気がつくはずです。

 生きていくということは、そんなカンタンなことじゃない。

 ヘビーなことの方が目の前にいつも待ち構えています。
 もしもあなたが少しでも弱みを見せたら
 いつでも足をすくおうとしようと
 人生は暗闇からあなたを狙っているみたいに
 これでもかこれでもかとたくさんの困難をなげかけてきます。

 その時に、あなたがその困難をのりこえたりうまくかわしたりしながら
 笑顔でいられるかどうか、そこが勝負なのだと僕は考えています。

 この人生で笑顔でいるのは、本当に難しいです。

 今日もこの国では約90人もの方が
 追い込まれた末に自ら命を落としています。

 このまちでも、悲しい出来事が今日も起こりました。

 そんな現実を前に、僕が政治家としてではなく、
 33才の人生の年上として15歳の才のみんなに願うことは

 たくさんのヘビーな出来事を前に
 それでも笑顔でいられる強さとしなやかさを持ってほしい


 そのたった1つだけです。

 生きていくということは、本当に難しいです。
 それは学校では絶対に学ぶことができないことなのです。

 今日あなたは不合格という残酷な現実を前に
 打ちひしがれているかもしれない。

 でも、僕の言葉を信じてほしいと切実に願います。

 受験の結果と、人生の結果とは、100%違っています。

 あなたの人生の結果が出てくるのは、
 あと70年くらい生きてからです。

 だから、負けるな。負けちゃダメだよ。

 受験は、全力を尽くすべきだけど、同時に
 受験は、あなたのことをはかるモノサシでは無いのです。

 だから、負けるなよ。笑い飛ばせよ。

 たとえ、不合格になっても
 あなたは人生には負けていないのだから。



2008年2月4日(月)のフジノ
● 自死遺族の支えあいの会(第2回目)が行なわれました

 今日は、昨年12月5日の第1回に続いて
 自死遺族の支えあいの会が行なわれました。

 昨日の積雪がまだまだ残る中、参加したくてもできなかった方も
 きっといらっしゃるんだろうなあと思いました。

 2ヶ月おきに開催していますので
 参加したくても参加できなかった方々も
 どうぞ次回ご参加ください。

 次回は、4月7日(月)10:00〜12:00、です。
 場所はたぶん保健所会議室です。

 正確な告知が出ましたら、またご報告しますね。


● 作業所の職員の方々のお話をうかがいました

 その後、数ヶ所にヒアリングをして
 気づいたらお昼ごはんを食べるタイミングを逃しただけでなく
 次の予定にも遅刻してしまいました。

 1つの仕事に夢中になりすぎると
 別の仕事が見えなくなるのは、いかん。気をつけよう。

 午後からは、障がいのある方々の作業所の職員の方々と
 市議会議員との意見交換会でした。

 みなさん、本当に厳しい中で働いていて
 現場で福祉の崩壊を守ってくれている防波堤のような存在です。

 福祉を守るのは、まず何よりも政府の責任ですが、
 政府の動きなんか期待してないフジノとしては

 横須賀市としてできることを
 やっていかなければいけないと考えています。

 何よりも、日本全体でなだれのように起こっている
 福祉そのものへの『価値観の崩壊』を止めなければいけません。

 福祉は一部の人々が受ける特殊なサービスではなくて
 この国の誰もが必要とする大切なセーフティネットです。

 普遍的に必要な、人の暮らしには欠かせないものです。

 それが、あまりにも財政がひどいことと、
 他人へのまなざしが
 あまりにもギスギスした社会に変化しているせいで

 福祉をネガティブなものと受け止めている人々が
 本当に増えつつあると感じます。これはとても危険なことです。

 そうした危機感を、現場の方々と政治家が
 共有できていくことが必要だと思います。

 そんな中、こうした場が
 昨年くらいから定期的に行なわれるようになって
 本当に良かったと思います。


● ひとり親交流会にご参加ください!

 連絡がとても遅くなってしまったのですが
 今週の土曜日に、『ひとり親交流会』が行なわれます。

 前回フジノは参加させていただいたのですが
 同じ立場の方々と意見交換・情報交換ができる場は
 大きな意味があると思いました。

 ぜひおこさんと一緒にご参加ください!

 ご案内はこちらです(pdfファイルがひらきます)。


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