まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年7月18日(金)のフジノその2
● WRAPの集中クラスに行ってきます!

 今日は、夜22時過ぎに千葉県入りしました。

 今、チェックインを終えたビジネスホテルで
 これを書いています。

ビジネスホテルの室内の様子

 明日から3日間、世の中は連休ですが
 フジノは『WRAP』(元気回復行動プラン)の集中クラスを
 受講してきます。

 千葉県で積極的に『WRAP』に取り組んで下さっている
 『WRAP in Ichikawa(らっぴん)』の開催するクラスは
 毎回大盛況で、なかなか受講できません。

 時期的にフジノは体調が厳しいのですが
 これを外したら次にいつ受講できるのか分からないので
 来週の予定は全てキャンセルしてもかまわないので
 この3日間にかけてみたいと思っています。

 フジノの最大の政策の2本柱の1つである
 『精神保健福祉の向上』の為には

 すでに1月15日にも記したとおり、
 『WRAP』を日本全国に広めることが絶対に必要です。

 ただ、WRAPの大切なことは、形だけマネしてもダメで
 『リカバリー』とは何か、
 あるいは『WRAP』の『価値』と『倫理』について
 しっかり配慮していることが重要になります。

 だから、そこをおさえないままに
 自己流でクラスをやってしまうと
 逆に良い結果を生み出しません。

 ということで、まずは市に実施を提案する前に
 フジノ自身が体験してくる必要があると考えて
 政務調査費を使っての研修として
 集中クラスを受けてくることにいたしました。

 宿泊をともなう視察の場合には
 議長あてにあらかじめ『視察届』を提出することになっています。

 フジノが提出したのはこちらです。
 目的とかいろいろ書いてありますのでご覧下さい。

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 世の中は連休で楽しそうで
 行きの総武線も金曜夜ということでめちゃくちゃ混んでたけど
 めげずにがんばってきます!



2008年7月18日(金)のフジノその1
● ウランの微量な飛散に対する、対応策が報告されました

 10日に速報でお知らせしたウランの微量な飛散に対する
 これまでの対応や今後の改善策について
 (株)グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパンから報告がありました。

 それを受けた原子力安全・保安院から、
 妥当な対応である、との報告もありました。

 詳しくはこちらをご覧下さい。



2008年7月17日(木)のフジノ
● 活動日記が書けない日ほど活動しまくってる

 今、夜中の1時36分。正確にはもう18日(金)だ。

 HPに活動日記を書くのは、ほとんどの場合、
 1日の仕事を終えた後。最後に書く。

 疲れきってしまって何も書けない日ほど、
 活動しまくっているという矛盾がある。

 仕事には、成果が出るまでに
 すごく長く時間がかかるタイプのものがたくさんある。

 それは、政治家の場合だけじゃない。
 映画会社の頃だって、同じ。

 そんな訳で、今日もまた将来の政策実現に向けて
 地味に、でも着実に、前に進んでいくように働いた。

 まちを変える、ということは
 人々の暮らしを変える、という恐ろしいほど大きな作業だ。

 人々が暮らしを変えるということは、
 個人が生き方を変えるということだ。

 そこにたどりつくには、ものすごく大きなエネルギーと時間が必要だ。


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 街頭演説やチラシの配布を
 忙しすぎて時間が取れないからやめてから
 1年が経った。

 そうしたら、「公約違反だ」と批判された。

 確かに、政治活動の『可視化』というか、
 積極的にふだんから活動をPRすることもフジノの公約の1つだ。

 でも、PR活動というのは、サブの仕事だ。
 メインの仕事(政策の実現)の方が大切だ。

 メインの仕事を実現しやすくする為に
 サブの仕事を手段としてやるだけのことでしか無い。

 メインの仕事を実現しないで街頭演説をしつづけていくのと
 メインの仕事をかなり実現しているせいで街頭演説をやめたのと

 どちらが市民のみなさまにとって
 利益は大きいのだろうか。


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 政治家がどんな仕事をしているのかを
 全て見せるのはムリだと、くりかえし書いてきた。

 何故なら、本当にたくさんのプライバシーが関わっているからだ。

 だから、街頭演説もやらない上にHPにも書けない場合、
 フジノは何も仕事をしていないかのように
 感じる市民の方々もいらっしゃるだろう。

 でも、それをフジノ自身は悔やんだりしない。

 数年後には、必ず結果を出しているからだ。
 その結果だけを見て判断してくれたら、それでいい。

 まもなく秋から来年はじめにかけて
 フジノの提案がいくつも実現する。

 それらを見てもらえばいい。

 Yデッキにフジノが立っていないからって
 仕事をしてないと言われるのは、それは外れてると思う。



 ...と言いつつも。

 Yデッキのフジノの定位置に
 アコギを弾いてる若者がいるのを通りすがりに見たりするのは
 ちょっとさみしい。

 あの場所を、再びたくさんの人に注目してもらえる場所にしたのは
 僕だという自負心がある。

 たぶんほとんどの人がもう僕の存在を忘れているけれど
 でも、あの場所は確かに僕の場所だと思う。

 やれやれ。



2008年7月16日(水)のフジノ
● 僕も14才だった

 世間は、またも14才によるバスジャック事件で揺れているのに
 今日の活動日記は政治の話題ではなくて、ごめんなさい。

 とてもうれしいニュースがありましたので、ご報告します。

 去年、毎日新聞の湘南版に、こんな記事が載りました。
 その日から僕は、うれしくて事務所の壁にずっと貼っておいたのです。

 (2007年2月25日・毎日新聞・朝刊より)
2007年2月25日・毎日新聞・朝刊

 宗田理さんの小説『ぼくらの七日間戦争』は、
 中学時代の僕にとても大きな感動を与えてくれました。

 映画が公開された時に14才だった僕は、
 学校をさぼって映画館に行って、1日中くりかえし観たのを憶えています。

 そもそも宗田理さんが『ぼくらの七日間戦争』を発行したのは
 なんと57才の時です。60代近い作家が
 こんなにも中学生の気持ちを理解してくれるのかと衝撃でした。

 その後も『ぼくら』シリーズを何作も描き続けてくれましたが
 2005年の『ぼくらの第二次七日間戦争 グランド・フィナーレ!』で
 いちおうの区切りがつきました。

 宗田さんもすでに78才、続編はありえない、と僕は考えていました。

 そこに、毎日新聞・網谷記者の上の記事が昨年でたのです。
 うれしかったです。

 80代近い宗田さんが、再び『ぼくら』の新作の為に
 取材活動をなさっていることもうれしかったですし、

 かつて毎日新聞の横須賀通信局(支局みたいなものです)に配属されていた
 あの網谷記者(素晴らしい新聞記者の方で、とてもそんけいしています)が
 この記事を書いてくれたということもうれしかったです。

 網谷記者は、いつも視線が低いところから記事を書いてくれて
 横須賀時代からとても尊敬していました。

 大好きな2人の近況を同時に知れたことがうれしくて、僕は事務所の壁に
 この記事を貼って、毎日毎日眺めていました。

 正直なところ、新作は出ないかもしれない、と思う時もありました。

 でも今日、こんな記事が出たのです!

 (2008年7月16日・毎日新聞・朝刊より)
2008年7月16日・毎日新聞・朝刊

 宗田さんの新作、ついに出版されました!

 しかも、網谷記者、やっぱり宗田さんのことを追い続けていてくれました。
 やっぱり網谷さんはすごい人でした。

 日刊紙の記者の方って、1度何かを報道したらそれで終わり、ってことが多いのですが
 網谷記者のすごいことは、1つの対象をずうっと追いかけ続けているところです。

 (さらにすごいことは、対象が1つの問題や1人の人物だけではなくて
  あらゆることに対して、問題意識を持続し続けて何年間も追いかけていくのです。
  新聞記者の鑑、お手本だと心底から尊敬しています)

 フジノは政治家として、1つの問題を何年も何年も追い続けています。
 その姿勢はもちろんフジノオリジナルでもありますが、
 やっぱり網谷記者の影響も大きくあります。

 そして、14才の僕をこころから感動させてくれた宗田理さんが
 新作を出してくれた、つまり、ずっと変わらない想いの人だったことを
 こころからうれしく思います。涙が出そうなくらい、うれしいです。

 かつて14才で学校をさぼって映画館に1日こもって
 『ぼくらの七日間戦争』を観まくった僕は

 やがて23才の時に
 まさにその映画を作った東宝株式会社に入社しました。

 反抗と反権力が信念だった14才だった僕が、
 29才の時には何故か政治家になってしまいました。

 けれども、今もあの頃の気持ちを忘れることはありません。

 だからこそ、14才がバスジャックなんてことを
 またも起こしたことをこころから悲しく感じます。

 涙が出そうなくらいに悔しいです。

 同じ14才だったはずなのに、僕たちは今、こどもたちに希望を示せていないのだろう。

 だから、何度も何度もくりかえして
 こんな少年犯罪が起こってしまう。

 かつて『ぼくら』シリーズをわくわくしながら読んだ14才たちは今、
 30〜40代になっていて、会社や社会の中で重要な役職に就いていたり、
 社会を動かすことができるポジションにいるはず。

 だから、今こそ14才だった僕たちが
 今の世の中に希望を示すべきです。

 こんな絶望に満ちた社会に対して、僕たちが希望を示すべきです。
 それがかつて14才だった、僕たちが今なすべきことです。

 僕も政治家として、希望がある社会になるように全力をかけます。
 だからあなたも、一緒に希望を見出せる社会に変えていってください。

 一緒に。



2008年7月14日(木)のフジノその2
● 僕は、そんな票なんか要らない

 灯ろう夜市を歩いていたら、
 いろいろな市民の方々に話しかけられました。

 今年で4回目になる夜市には、毎年参加しています。

 甚平を着て、雪駄を履いて、ぶらぶらと缶ビールを飲みながら
 1つずつ灯ろうに描かれた作品を見つめては

 「かわいいなあ」「良く描けているなあ」

 と、ひとりごちるのが好きです。

 何故か今年はいろいろな市民の方々に話しかけられて
 いつもはわずかな親しい人としか夜市で過ごさないのが
 すっかり政治家として扱われてしまいました。

 やがて、カフェに到着すると
 突然、ある市民の人が話しかけてきました。

 過去にフジノと写真を一緒に撮ったことがあるそうです。

 親しい人たちとわずかなプライベートの時間を
 一緒に過ごしている僕のことは一切考慮はしてくださらずに

 その方は大きな声で

 「憶えてるでしょ!思い出しなさいよ!」

 と、怒鳴りつけました。

 6年前の初めての選挙の時から、
 Yデッキやデニーズやファミレスで
 高校生たちから写メを一緒に撮ってほしいと頼まれたりして

 これまでフジノは何百人と写真を一緒に写ってきました。
 それをご説明した上で

 「申し訳ありませんが、憶えていません」

 とお答えしました。

 それでも繰り返しいろいろおっしゃるので
 少しずつ記憶が蘇ってきて、
 何となくどういう場所で一緒に写真を撮ったかは思い出しました。

 すると、こう言われました。

 「あんた、私は50票もってるのよ。そんなだと50票も失うわよ!」

 と言われました。

 そこで、僕はお答えしました。

 「政治家を選ぶのは、
  政策で1人1人の市民の方が判断して選ぶものです。

  それなのに50票を持っているという意味が理解できません。

  あなたが号令をかければ、その50人は
  政策も判断せずにあなたの言いなりになるのですか。

  そんなまちがった50票は、1票も必要じゃないです」


 逆上してしまったその女性は
 こう言い放ちました。

 「2位になってたくさん票とったら、もう50票なんかいらないのか。
  票が余ってるってことか!」


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 僕は、政治家になる前から、繰り返し言い続けてきました。

 選挙で政治家を選ぶ時は、
 自分の目で見て、
 自分の耳で聞いて、
 自分の頭で考えて、
 そして、自分のこころに従って、政治家を選んで下さい、と。

 政治家になってからも2度の選挙がありましたが
 そのたびに同じセリフを繰り返してきました。

 だから、誰か、声の大きい人が「誰それに投票しなさいよ」というような
 そんな投票は僕は絶対に認めることはできません。

 1人1人、この国に生まれてきて、
 毎日の暮らしの中で

 考えること、感じること、苦しいこと、うれしいこと、
 それは1人1人みんな違うはずです。

 人の数だけ、喜びや悲しみがあるはずです。

 そして、その喜びをもっと大きくする為に政治家は存在しています。

 そして、その悲しみを少しでも減らす為に僕は働いています。

 誰かの声にしたがって投票するなんて、
 その自分の暮らしを捨てたのと同じです。

 かつて、古い政治がこの国を支配していた時、
 町内の実力者(一体なにの実力があるのでしょうか?お金でしょうか)に
 頼めば票が増えるだとか

 あらかじめ、どの候補者が何票で当選するとか落選するとか
 票が読める、という言葉があったそうです。


 けれども、僕には後援会もありません。

 今も誰が僕に投票してくれたのか知りません。

 知らないからこそ、全ての横須賀市民のみなさんの為に
 全員の為に、命をかけて働くことができます。

 僕は、票なんか読める時代はもう終わりにすべきだと信じているし、
 誰かが何票もっているという組織票は民主主義を放棄していることだから
 絶対にやめるべきだと信じています。

 だから、何度も何度もこの話題で
 たくさんの市民の方々に反論しては嫌われてきましたが

 はっきり申し上げます。

 僕は、あなたの票は欲しくありません。

 もしも僕の政策があなたの考えと同じならば
 ふだんから(政治家の任期は4年間です。僕はあと3年で終わりです)
 その政策を支えてください。

 50票、失なうことなんてどうでもいいです。

 だいたい最初に立候補した時も、
 2回目に立候補せざるをえなかった時も、

 ずうっと一貫して訴えてきました。

 政治家は、政策で選ぶものです。
 外見や年齢はカンケーありません。

 若い政治家にもダメなヤツはたくさんいますし、
 何期も重ねている高齢の政治家の方にも
 立派な成果を挙げてきた方がたくさんいます。

 大切なことは、あなたの暮らしを守る政策を述べている候補者を
 あなたのかわりに議会に送り出して、
 当選した後も本当にあなたのかわりをしているか、
 いつもいつもいつも見守ってほしいのです。

 僕は、失うものなんて最初からありません。

 僕は、民主主義をこころから愛しています。
 市民のみなさんこそ、このまちの主役です。

 この国の為に命がけで働いてきた
 海軍だった祖父や
 警察官だった父のように
 いま自分が公の為に働いていることを
 僕は誇りに感じています。

 だから、写真を撮った記憶が戻ってこないせいで
 50票失おうと、1万票失おうと、そんなことは痛くもかゆくもありません。

 フジノの政策が市民のみなさまの想いと違うのであれば、
 フジノは落選すればいいだけのことです。

 政策が市民の想いと違うのであれば
 その候補者は政治家になるべきではないのです。

 僕はみずからの政策に殉じたいのです。

 僕の人生をかけた目的は、

 自殺をこの世から無くすと共に
 精神保健福祉を変えていくことであって、

 政治家になったのは、ただの手段でしかありません。

 だから、市民の方が望まないのであれば
 いつでも政治家を辞めてかまいません。

 ぜひ間違っていれば、リコールをしてください。お願いします。
 僕の政策が間違っていればリコールして辞めさせて下さい。

 この5年間の政治家生活をつうじて
 一瞬も変わらない、僕の想いです。






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 まじめな話の後になんですが、
 『CHANGE』の最終回、ビデオ録画わすれた!
 毎週、絶対わすれないで録画してたのに...。

 誰か録画した人、見せてください!
 悲しすぎる(涙)



2008年7月14日(月)のフジノ
● 灯ろう夜市へ

 今日は終日、父の転院についての
 病院側との話し合いや
 家族での話し合いや書類作業を行ないました。

 今年に入ってからずっと、父の転院先探しに追われています。

 僕の父はまさに『医療難民』であり、
 介護施設の受け入れ先も見つからない『介護難民』です。

 これは明らかに政府の失策のせいです。

 また、2006年4月の厚生労働省の診療報酬改定によって
 僕の父もリハビリを打ち切られるという、悲惨な目に遭っています。

 父はリハビリのおかげで拘縮や機能低下から救われて
 ようやく何とか生き延びられているというのに
 小泉改革は、リハビリを日数だけで制限してしまいました。

 もちろん、大金持ちは自分のお金を投じて
 リハビリを継続させることはできます。

 でも、僕の収入だけではリハビリを継続させることは不可能です。

 この国は本当に情けない。お金持ちで無ければ、命を守れない、
 三流の国に成り下がってしまった。

 医療費を削減するというタテマエのもとで、
 僕の父のように、反論さえできない弱い人から切り捨てている。

 こんな政治はまちがっています。
 日本はもはや三流国家としか言いようがありません。

 「小泉改革は素晴らしかった」といまだに言ってる人々は
 リハビリ患者を見殺しにしている医療政策の現実を知っているのか、
 本当に不快です。

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 そんな政府の失策に対する怒りや
 父の命を守れない無力感にとらわれながら
 底をついていく自分の貯金に不甲斐なさと焦りを感じながら

 それでもそんな様子を見せずに
 政治家としてポーカーフェイスで仕事をこなして
 大学院もあきらめて、歯を食いしばってがんばってきた半年でした。

 でも、僕はもう限界だ。

 ●

 今日の夜は、上町の灯ろう夜市へ。
 毎年おじゃましていますが、とてもきれいですね。

灯ろう

 ささくれだった気持ちを、少しだけ癒してくれました。

 この素敵な灯ろうは、絵を描くのは応募してくれた市民の方々ですが

 300個もの枠組みを作ってくれたのは、
 NPOアンガージュマンよこすかのみなさんです。

島田さんとフジノ

 上の写真は、アンガージュマンの島田さんとフジノです。
 今年も無料でアイスが配られたのですが、すさまじい行列でした。

 アンガージュマンのみなさま、本当におつかれさまでした。
 今年も大成功でしたね。

 ●

 さらに今年から灯ろうの置かれている場所が伸びて、
 ふだんカフェトークをやらせてもらっているカフェ『RRROOM』がある
 中里通り商店街でも灯ろうが飾られていました。

 今夜の『RRROOM』では、お祭りです。

RRROOMの様子

 みんなで歌ったり、スイカを食べたり、花火をしました。

スイカを食べるフジノ

 ささくれだった気持ちで過ごした1日の終わりは、
 平和で優しい人々に囲まれて終わることができました。

 また明日もがんばろう。



2008年7月13日(日)のフジノ
● うれしい1周年/BEE−DOG&RICE

 僕の大好きな野比の海が目の前に見える、
 最高のショップ『BEE−DOG』&激うまシーサイドキッチン『RICE』
 本日1周年でした。おめでとう!

1周年記念のボード

 みんなでお祝いしました。

 横須賀市の商業について学べば学ぶほど、
 横須賀で飲食業やっていくのって本当に大変なことで

 1周年って本当にすごく良かったです。

 野比の海の美しさを知るには
 もちろん砂浜に降りるのが1番なのですが

 ここでのんびりするのもまたサイコーですよ。

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 今日は30分くらいですぐ帰ってしまったので
 良い天気だったのに、お店の写真も撮る時間がありませんでした。

 そこで、全て昨年8月3日の写真なのですが、載せますね。
 今はさらに改装されてカッコよくなってます。

デッキの様子

 店内で飲食できるのですが
 夏はやっり外で日光浴しながらコーラ飲むのも気持ちいいです。



 海が目の前です。



 そして、ごはんもおいしいです。



 時間が取れた時は(といっても3ヶ月に1回くらいなのですが)
 数時間ぼーっとしにいきます。本当に良いところです。

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 そうだ。1周年に加えて、うれしいことがもう1つありました。

 マサラのカレーをまた食べられる!

 あのマサラのカレーを今も受け継いでいるお店があることを
 ずっと前から聴いていたのですが、
 フジノはお店の場所が分からなかったのですね。

 それが今日、店長さんと知り合いになることができて
 場所がばっちり分かりました。ココです!

 衣笠栄町3丁目の『surf geek』さんだったんですね。

 本当のカレー好きは行くべし!



2008年7月12日(土)のフジノその2
● 我が家の新メンバー

 もう本当に体調が悪くて動くことができなくて、
 幼い頃から必ず観にいっていた久里浜花火大会を今年は諦めました。

 かわりに、実家に帰って、
 我が家の新しいメンバーの様子を見に行きました。

 そう、7月3日のこのコーナーで書いた
 親を交通事故で亡くしたあの白い子猫ちゃん。

 その後、何も書かなかったので
 複数の方から「心配です」というメールを頂いてましたので
 ちゃんと報告いたしますね!

 今では無事に、実家の一員となったのでした。

 9日(水)に、親亡き後かくまってくれていた方から
 白い子猫をもらいうけにいきました。



 引き取った直後。

 ケージに入っている姿は、
 やや弱っているというか、やつれてます。

 そのまま、かかりつけの獣医さんのもとへ連れて行って
 目薬と、体中のダニ・ノミをやっつけるシャンプーをしてもらいました。



 実家についてケージから出してもらった子猫は
 あらゆるものに興味しんしんです。和室を走り回っています。



 まだ生後1ヶ月半〜2ヶ月くらいのこの子猫は
 これまでずっと野良猫だったので
 初めてのカリカリごはんだったかもしれません。

 最初のうちは口に入れてもポロポロ落ちてしまって
 1粒も飲み込めていなかったのが、
 途中から少しずつカリンカリンといい音を立てはじめました。

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 10日(木)には、再び獣医さんへ。

 回虫がいないかを検便する為に
 あらかじめ出た便を持って行くはずだったのが、便秘!

 3日に初めて出会った時からお腹がふくれていたのですが、
 全くウンチをしていなかったのですね。

 本当ならお母さん猫にお尻を舐めてもらって
 その刺激でウンチが出るようになるのですが

 かわりに濡れタオルでお尻を拭いてあげるのですが
 もう全くウンチが出る様子がありません。

 そこで、便だけを持って行くのは諦めて
 子猫ごと、獣医さんへ。



 さすが、プロの獣医さんの手にかかると
 無事に便秘も治ってしまったのでした。

 やっぱりノラちゃんだったので、便には回虫がいました。
 2週間はお薬を飲んで、回虫を殺して、それからワクチン注射です。



 獣医さんから家に戻ると、すっかりくつろいでます。

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 11日の様子は、こんなです。



 そして、今日12日の姿はというと...。



 もう完全に我が家になじんでしまい、いつも走り回っています。
 止まっている写真がもはや撮れなくなっています。



 3日に出会ってから、まだ10日も経っていませんが
 今では完全に我が家の一員になりました。

 親猫を交通事故で亡くしてしまったのは本当にかわいそうだけど、
 そのかわり、新しい家族を得ることができたんだよ。

 野良猫のまま、自由に生きていくのと
 飼い猫となって、人間のいろんな制約の中で生きていくのと
 (あるいは、処分されていたかもしれないのと)

 どちらが幸せなのかは、人間の僕には分からない。

 まだ幼いお前には、自分の状況も分からないかもしれない。

 でも、元気いっぱいになった今のお前の姿を見ていると
 今はこれで良かったんじゃないかと想うんだよ。

 いろいろな問題が山積みの我が家にとって
 お前はとても小さな子猫だけど
 家族に明るい笑顔をもたらしてくれる大きな存在にすでになっているよ。

 いつまでも元気に暮らしていこうね。


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