まちの政治家は、こんなことしてます


2010年12月12日(日)のフジノ
● ひまわりのクリスマスパーティーでした

 今日は、『よこすかひとり親サポーターズ・ひまわり』が主催して
 講演会が開かれました。

 『ひとり親と支援者のための講演会〜離別から自立までのステップ〜』

 です。



 講師の長谷川能扶子さんには
 2年前にも『ひまわり』講演会で横須賀に来ていただきました
 大好評でした。



 神奈川新聞が報じてくれたおかげもあって
 会場はほぼ満員でした。

 (2010年12月7日・神奈川新聞より)

 ところでフジノは
 今日もまた丸1日、こどもたちに遊んでもらってしまいました。

 おかあさんやおとうさんが講演を聴いている間、
 こどもたちはボランティアのみんなと一緒に過ごしています。

 クリスマスも目の前ということもあって
 こどもたちはケーキを手作りしました。

 おんぶしたり抱っこしたり走り回ったり、
 本当に楽しかったです。



 みんなでお昼ごはんを食べて
 講演会は終わりました。

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 会場を移して、夕方からは
 『ひまわり』のクリスマスパーティーです!



 なんと、サンタクロースとトナカイがやってきてくれました。

 こどもたちにプレゼントを渡してくれて
 みんな大喜びでした!

 さらに大人たちにもプレゼントをくれたサンタさんに
 おかあさんおとうさんたちも大喜びでした。

 (なんとフジノにまでプレゼントをくれました。うれしい)

 プレゼントをもらってテンションが上がったこどもたちは
 フジノへのおんぶに抱っこに続いて
 さらに肩車をしたり
 3人同時に抱っこして走りまわりました。

 楽しかったなあ! 

 『ひまわり』のイベントのたびにフジノは
 こどもたちと再会することができて
 成長する姿を見ることができて
 いつもこころから参加するのを楽しみにしています。



 最初に出会った頃には
 まだ生まれたばかりの赤ちゃんだったこどもが

 次に会った時にはハイハイしていたり、
 その次に会ったらもう歩いていたり。

 小学校低学年でフジノにとても懐いていてくれたこどもが
 思春期に突入してフジノとくちをきいてくれなくなったり。

 いつもさんざん抱っこをせがまれていたのに、
 すっかり大人になったんだなあ

 なんてフジノが落ち込んでいると
 数時間過ごしているうちにまた「おじさん、遊んで!」と声をかけてきたり。

 どの1人のこどものこともフジノはものすごく大切で
 このこたちを僕が守っていきたいといつも思う。

 名前は憶えられなくて会うたびに尋ねてしまうけれど、
 それでもこどもたちを想う気持ちが変わったことは1度も無い。

 血のつながりも無いし、親にもなったことさえない僕だけど
 みんなのことを、とても大切に想っている。

 会えているこの1日のあいだは
 全身全霊をこめて自分のこどもたちだと信じて接している。

 それは一方的な片思いだけれど、
 それでも必要とされなくなるその時まで僕は片思いし続けるんだ。

 僕は、いつも1つのことを大切にしてきた。

 わずか年4〜5回しかない『ひまわり』のイベントだけど
 どんなことがあっても、
 どんなに短い時間しか来られなくても
 「また遊ぼうね」と約束したからには、絶対に約束を守る。

 大人がこどもたちを裏切るようなことは
 このこたちに2度と体験させてはいけない。

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 今日の講演会とクリスマスパーティーには
 今まで1度も姿を見せたことが無い
 政治家立候補予定者たちが何人もやってきていた。

 そして、熱心におかあさんやおとうさんたちに話しかけていた。
 中には、こどもたちと遊んであげている人もいた。

 ねえ、選挙の直前だからって来たんじゃないよね?
 選挙が終わった後にも、来年にも必ず来てくれるよね?

 絶対に、こどもたちを裏切らないでね。



2010年12月11日(土)のフジノ
● 日本臨床死生学会@早稲田大学へ

 今日は、東京・高田馬場へ。
 『第16回・日本臨床死生学会』に参加しました。

 昨年、東京大学で開かれた第15回大会に続いて、
 年1回の大切な学びの場に参加です。



 もともと大学時代から
 『死生学』に強い関心があって学び始めました。

 まだ一般的に知られてはいない学問ですが
 本当に大切な分野です。

 就職してからも
 上智大学のコミュニティカレッジで開かれている
 アルフォンス=デーケン先生らによる
 『死生学』の連続講座に
 仕事帰りに通ったりしていました。

 政治家に転職してからは、
 「これほど重要な分野は無い」と改めて感じるようになりました。

 医療のすさまじい進歩によって
 人が生きることと死ぬことは
 その内容が大きく変化をしています。

 その激しい変化に対して
 これまでの歴史の中でじっくりと育まれた既存の哲学や宗教では
 現代の人々のこころに全く対応できなくなっています。

 法律・制度も
 全く対応しきれていません。

 脳死、臓器移植、尊厳死、安楽死、
 尊厳のある生き方、尊厳のある死に方、

 あらゆる目の前の現実に対して
 自分なりの価値判断を
 しっかり持っていなければいけない、とフジノはいつも感じます。

 だからこそ、政治家こそ誰よりも『生きること』と『死ぬこと』を
 いつも考えて考えて考え抜かなければいけない。

 そうフジノは考えています。



 臨床死生学会は、死生学を
 単なる机上の学問として扱うのでは無くて

 最前線の現場(=臨床)から
 向き合っている、とても大切な場なのですね。

 年1回だけの学会なので
 フジノにとっては
 「必ず出席したい場」になっています。

 (画像:早稲田大学・図書館入り口)


 今年の会場は、早稲田大学の図書館に併設されている
 国際会議場でした。

 大学時代、フジノはこの図書館の地下にある書庫で
 いつも論文を読みあさっていました。

 こうして仕事で立ち寄ったのですが
 図書館に暮らしていたような生活だったので

 上の写真は図書館の入り口なのですが
 なんだか実家に帰ってきたみたいな気持ちになって、
 すごく変な感じでした。



 今日のプログラムは、

 ・終末期のケアについて

 ・遺族のケアについて

 ・継続的な遺族ケアの実践について

 などについて、
 臨床の現場からの発表がありました。



 そして、今日の最後のプログラムは
 JR福知山線での事故についての特別講演でした。

 今回のフジノの最も強い関心をひいたプログラムだったのですが
 民間企業の社長である齊藤十内さんが
 講師としてお話をしてくれました。


 「JR福知山線事故 なぜ想像を超す救援活動ができたのか」

 2005年4月25日、JR福知山線事故。

 事故の報告を受けて現場に直行した斎藤さんは
 工場の操業を全て止めさせて、
 社員全員によって救助活動を行なうように指示を出しました。

 その結果として、多くの被害者が救われたのです。

 何故、即座に援助の決断ができたのか?
 何故、想像を越す援助活動ができたのか?

 (詳しい内容はこちらをご覧ください)

 関西で起きた事故に対して
 関東ではどうしても関心が薄くなっています。

 けれども、この事故について
 僕たちはもっと学ばなければならないことが
 たくさん存在しているのだと知りました。

 最悪の事故のもと、何故、民間企業のふつうの社員の方々が
 消防・救急よりもめざましい救助活動にとりくむことができたのか。

 一方で、現場にいたはずのJR西日本の関係者は
 消極的な対応にとどまってしまったのは何故なのか。

 フジノが死生学を学んでいるのは
 ふだんの暮らしの中での人の生きることと死ぬことについてですが

 こうした非日常の中での死生学というものは
 災害現場での対応に必ず活かすことができる貴重なものだと
 受け止めています。

 まだまだフジノは学びが浅いので
 この活動日記を通じて
 あなたにフィードバックできるほどではありません。

 でも、先ほども記したとおりで
 政治家としての必修科目だと考えていますので

 もっと深く学んで、必ず仕事に活かしていきたいです。


● 過去の日々との和解

 大学時代、図書館を出ると
 下の写真のとおりでいつも真っ暗でした。

 未来に希望なんて何も見えない。
 そんな自分の気持ちの同じような外の暗さだといつも思いました。



 18才から23才まで5年間通った大学時代は
 フジノの人生をふりかえると
 最もつらくて厳しい日々でした。

 自分の大学では友達もつくらずに
 師と呼べるような先生もこの大学には最後までいなくて

 与えられた大学の枠組みからは完全に離れて
 自分自身でひたすら学び続けました。

 他の大学のゼミに通わせてもらったり、
 都内の複数のメンタルクリニックで無休研修生をさせてもらったり、

 だから、僕は自分の大学が大嫌いでした。
 つい最近まで本当に大嫌いでした。



 それなのに、今年に入って
 いろいろなことが僕のこころの中で変化が起こって、

 今日ここに来ても『激しい嫌悪感』がわき起こらずに
 自分の中でわだかまりが消えていたことに気づきました。

 過去の自分と折り合いがついたのかもしれません。

 人生というのは
 本当に不思議ですね。



2010年12月10日(金)のフジノその2
● 総務常任委員会が組織改正案を「否決」しましたが、フジノは納得してません

 けさの各社の新聞報道のとおり、

 吉田市長の提案した『組織改定案』を
 総務常任委員会が『否決』しました。

 (フジノは民生常任委員会のメンバーです)

 もともとは委員会への出席義務の無い吉田市長を
 総務常任委員会メンバー全員の合意によって
 委員会に呼んで

 この問題について掘り下げた深い質疑も行なわれました。

 ぜひ市議会インターネット録画中継
 市民のみなさまにはご覧いただきたいのですが

 通しで全てを観ていただくのは
 長すぎて、現実的にムリですよね...。

 そこで、神奈川新聞が最も詳しく報道していますので
 引用させていただきます。

 (2010年12月10日・神奈川新聞より)

 この『否決』を受けて
 すでに行政側からの市議会への調整が始まっていて

 吉田市長は議案を撤回して
 一部を修正した上で、再び提案する見込みとなりました。

 それでは、その「議会の否決を受けて」修正された議案とは
 どんなものになるのでしょうか?

 それは総務常任委員会が否決した
 2つの理由をごらんください。

 1.現在は『健康福祉部』に所属している健康保険課を
   『市民部』へ移してしまうのは反対

 2.今回の組織改定にかかる費用が
   詳しく試算されていないから反対


 吉田市長は、この2つの理由にもとづいて
 1を丸のみすることが確実視されています。

 つまり、「健康保険課は市民部のままにする」というものです。

 そして、2のコスト面については
 過去のケースなどを調査して試算をおこなって
 可能な限り、コストを下げる努力をしていくという姿勢を打ち出す、
 というものです。

 この2点について、フジノは全く納得していません。

 総務常任委員会の決定どおり
 健康保険課を健康福祉部に残すべきことなのは当然のことですが

 それよりも健康福祉部を2分割してしまう問題の方が
 市民の方々のデメリットを考えた時により大きな問題です。

 健康保険課の移管をストップしたとしても
 市民の方々のデメリットは減りません。

 もともと健康福祉部に所属していながら
 今、健康保険課は
 市民部と同じ市役所本館1階に位置しています。

 組織の中の決裁体系は
 市民部では無くて健康福祉部で行なわねばならないのですが

 市民のみなさまにとっては
 市役所の組織内の決裁がどう行なわれようが
 それは全くカンケー無いことですし、内側の論理でしかありません。

 目に見える変化としては
 場所も変わりませんし、何もありません。

 つまり、市民部への移管というのは
 単なる『組織内部の都合』でしかないのです。

 市民メリットとは全くカンケーありません。

 それよりもっと大きなデメリットは
 保健・医療・福祉の包括的に対応しなければならない3つの政策領域を
 タテ割りに戻してしまう健康福祉部の2分割案です。

 これを修正しない限りは、市民デメリットは何も変わりません。

 コストについては、もともと具体的な数字が無いままに
 議会も行政も議論をしているので、おかしいです。

 過去のデータに基づいて
 現状ではいくらかかると試算している、

 これを市議会の提案に基づいて
 いくら以内におさめるよう対応を考えていく、

 そういう提案が行政側から無い限りは
 空しい議論です。

 今回の否決の理由に、フジノは全く納得していません。

 ですから、吉田市長が組織改定案をとりさげて(47年ぶりだそうですが)
 一部だけ修正したものを再度提案してきたとしても

 反対します。

 それは、市民のみなさまの利益にならないからです。



2010年12月10日(金)のフジノ
● 長寿社会課を廃止、介護保険課を新設/ワンストップと分かりやすさ

 組織改定についてフジノが委員会でとりあげた
 議論の続きを紹介します。

 前回は『部』についてでしたが
 今回は『課』についてです。

 フジノが反対したのは、

 『長寿社会課』を廃止して
 『介護保険課』を新たに作る


 という点でした。

 現在、高齢の方々についてのあらゆる福祉サービスは
 『長寿社会課』が担当しています。

 つまり、ワンストップで全ての相談を聴いてもらえる、
 これが最大のメリットでした。

 フジノが父のことで相談に行く時も
 市役所のどこに行けばいいのかなんて何も悩まずに

 とにかく長寿社会課の窓口に行けば
 全てのことに対応してくれました。

 それをあえて課を分けてしまうのです。
 何故、あえてタテ割りにしてしまうのか、疑問です。

 ●

 デメリットとして、現在の長寿社会課はものすごく大所帯で
 他のまちの役所の1つの部と同じくらいの人数がいます。

 確かに組織のマネジメントという意味では
 課長にものすごく大きな負担がかかっているのは事実です。

 他のまちの部長クラスの仕事ぶりが
 この課長ポストには求められるからです。

 しかも5年後にやってくる『1回目のピーク』を乗り越える為に
 介護保険財政の破たんを回避する為のあらゆる対策をとりながらも

 同時に福祉サービスの低下を防がねばならないという
 すさまじく大きな課題に取り組まねばなりません。

 ●

 ただ、そのデメリットは
 決して市民の方々へのデメリットではありませんでした。

 あくまでも、組織経営という部分で
 激務すぎるという意味でのデメリットでした。

 実際、歴代この課長職についてきた方々は
 その後、(僕の憶えている方々はみんな)部長に就任しています。

 つまり、すさまじい激務だけれども
 マネジメント能力がすごく鍛えられるポストとも言える訳ですね。

 現在の課長もとても優秀な方です。

 フジノが今回、委員会で質疑をおこなった
 現・部長その方ご自身が
 フジノが当選した8年前は長寿社会課長でした。

 現実の苦労もリアルに知っておられると同時に
 この課が1つの課として存在することのメリットも
 深く知っておられる方です。

 前回の質疑と同じく、
 部長の本意にもとづいた答弁とは感じられなかったので
 (部長は本音で賛成していなくとも市長の決心に逆らうことはできません)

 下に紹介する通り、
 フジノの質疑はとても歯切れが悪いです。

 それでもこのことについて
 言及せずにはいられませんでした。


 (2010年12月7日・民生常任委員会での質疑より)



 続いて『課』についてですが、

 介護保険課の新設・名称変更と
 高齢福祉課の新設についてです。


 これも健康福祉部が
 『健康部』と『福祉部』とに分かれてしまうのと同じ印象を持ちます。

 (現行の)『長寿社会課』というのは
 介護保険制度を超えて
 高齢者の方々の生活全般をサポートしていく


 というイメージがあったのですが

 (新しく)『介護保険課』になると
 介護保険制度のみに矮小化されて

 非常に残念な気がします。

 『長寿社会課』も非常に大所帯ですので
 『介護保険課』になって少しスリムになるという気はするのですが

 『介護保険課』に名称が変わる、そして
 高齢福祉課担当が『高齢福祉課』に変わるというメリットは
 どういうところにあるのでしょうか?







 まず、その名の通り、
 『介護保険課』は介護保険をやります。

 例えば、窓口に見えた時に「介護保険のことだが」と言えば
 もういの一番に介護保険課。

 それ以外の高齢者に関することであれば、『高齢福祉課』。

 『保健所健康づくり課』は、健診系のことをやります。

 そういう意味では
 『介護保険』と『それ以外』という2つに分けた方が

 現在のような元気高齢者だと保健所健康づくり課とか

 行き先案内1つするにしても分かりにくかった部分を
 はっきり2つだけにするという分け方はシンプルでいい
 と思います。

 実際、長寿社会課は職員も多いですし、
 まず1人の課長のマネジメントは超えている数ではないかと思います。

 そういう意味では、逆に下で働いている職員1人1人が
 課長との一体感を持って行なってもらえると思います。

 ただ、物理的には(新しい2つの課も)
 同じ場所になろうかと思いますので

 これも分断してそっちはそっちだよということでは
 絶対にありませんので

 2つの課がやはり力を合わせて行なっていくことには
 変わりはありません。

 



 マネジメントの適正な規模が理由と言われれば
 一番しっくりくるのかと思います。

 今までは『長寿社会課』という名前のもとで
 それこそ現部長は元長寿社会課長でおられました。

 全ての高齢者の悩みや相談は『長寿社会課』へ行けば
 ワンストップで解決ができる
という方が相談しやすかった。

 名称として『介護保険課』ができれば
 分かりやすさは増えるのかもしれませんが

 これについても100%は同意しかねるというのが
 正直なところです。



 文字では分かりづらいので、表にしてみますね。


     メリット デメリット
現在の長寿社会課 ワンストップ相談が可能 職員マネジメントの限界
新設の介護保険課 市民への名前の分かりやすさ ワンストップじゃなくなる


 8年前、政治家に転職したフジノは
 長寿社会課の存在にとても感激したものでした。

 他のまちでは、介護保険課というのが存在して
 もう1つ、名前はいろいろですが高齢福祉課のようなものが存在しました。

 2つに分かれていたのですね。

 ほとんどのまちが2000年の介護保険制度のスタートにあわせて
 介護保険課という部署を新たに設けたのでした。

 かたや横須賀市ではその逆で
 介護保険制度のスタートにあわせて

 長寿社会課という1つの部署で
 高齢の方々の包括的なサポートをできるようにしたのです。

 これは現在でいうところの、ワンストップサービス。

 この委員会での質疑の下準備で
 フジノは過去の文献を読み込んでいきました。

 そうすると、こうした組織づくりというのは
 当時の沢田市長の判断だけでは無いことが
 見えてきたのです。

 実は、国が介護保険制度をつくりあげる過程の中で
 地方政府の声もかなり重視されていました。

 厚生省のキャリアだけがこの制度を作ったのではなく
 地方政府の多数の職員の声が強く反映されたのです。

 (例えば、有名なところでいえば『介護保険原点の会』があります)

 高齢の方々の福祉に強い
 あらゆる市町村の職員が集結して
 その声が介護保険制度に取り入れられていきました。

 (いわゆるカリスマ職員です)

 このメンバーの中に、横須賀市役所の職員さんもいたのです!

 歴史を紐解いて
 こうした先人の声を1つずつ調べていくと

 何故、今こうした組織がつくられているのか
 はっきりと分かってきます。

 今まで横須賀市が単独の介護保険課を作らなかった
 その理由を改めて納得しました。

 だからこそ、吉田市長の
 今回の組織改定案に反対します。

 『マネジメント能力の限界』という
 『組織』側の論理によって

 高齢の方々の福祉は全て長寿社会課でOKという
 ワンストップの体制を崩すことは、市民の方々の利益に反します。

 市民のみなさまは、
 どのようにお考えになりますか?



2010年12月9日(木)のフジノ
● 何故、健康福祉部を2つに分けねばならないのか

 今回の民生常任委員会でも、たくさんの議論すべき課題がありました。

 今日の活動日記では、そのうちの1つ、
 『組織改正案』についての質疑を紹介しますね。

 吉田市長は、来年4月から
 新たに市役所の組織を変更する提案をしています

 横須賀市では、来年度から新しい基本計画がスタートします。
 この新しい基本計画をより確実に遂行する為に組織体制も改めたい、
 というのが提案理由でした。

 フジノにとってこの提案のほとんどは賛成できるものでしたが
 1つだけ、健康福祉部を2つに分ける、ということは
 デメリットの方が大きいと判断しました。

 現在の体制は、下の図のとおりです。

 (現在の健康福祉部の体制)

 これを吉田市長の提案では、2つの部に分けてしまいます。

 (新たに健康部と福祉部の2つに分けた体制)

 そもそも保健・医療・福祉の3つの分野は
 人の暮らしにとって分けることができない
ものです。

 今は健康福祉部という形で
 この3分野を一体的に対応しているのですが

 それを市長の提案では
 「保健・医療」と「福祉」の2つに切り離してしまうのです。

 1つの部を2つに分ければ『部長ポスト』も増えますから
 当然ながら、行政コストも増えます。

 この組織分割は、市民のみなさまにとって
 デメリットはあってもメリットがありません。

 そこで、あえて健康福祉部を2つに分けねばならないのか、
 その理由は何故なのか、フジノは委員会で質疑をしました。


 (2010年12月7日・民生常任委員会での質疑より)



 続いて、『行政組織改正案』について
 伊藤委員に続いて質問をいたします。

 僕もやはり民生常任委員会に関わるところを伺いたいのですが
 特に健康部と福祉部との分離について

 この文章の説明(下の図)だけでは
 残念ながら、メリットが良く分かりません。

 (議会への配布資料)


 福祉政策と健康政策を機動的に行なう為の
 体制整備ということですが

 それぞれに分けることで具体的にどんなメリットがあるのか
 もう少しご説明ください。







 先ほどもお話ししましたが
 現在の部の形では大きすぎて、

 例えば決裁1つとっても
 いたずらに時間がかかってしまったりすることもあります。

 報告や会議を開くのでも
 スピーディーに行なわなければいけないような時に
 時間を喰ってしまったりすることもあります。

 そういう意味では、(現在の健康福祉部は)
 市役所分館と逸見のウエルシティとに離れて住んでいますから

 そういう住環境のデメリットを逆にメリットと考えて
 1つ1つが自己完結している部分という分けをすれば
 まずは動きが軽くなるという部分はあろうかと思います。

 



 国の官庁が
 厚生省と労働省がくっついたように

 厚生労働行政というのが一体でやれるというのは
 非常に重要と思うのです。

 それと同じように
 保健医療の健康に関する部分と福祉施策が
 一体で今まで行なってこられた
 というのは非常に意味があった
と思うのですね。

 やはりそれを上回るメリットが無いと、分ける理由にならない
 と思うのです。

 今まで11課あって、小さなまちの市役所と同じくらい
 健康福祉部は大きかった訳ですが、その良さもあったと思うのです。

 その中で、決裁の時間が短縮化できることぐらいしかメリットが無い
 というのでは説明にならないと思うのです。

 もう少し具体的な
 機動的な体制というもののご説明をいただきたいと思うのですが
 いかがでしょうか。







 今は簡単な例示で
 決裁のスピードうんぬんというのは例えばの話ですが

 仕事を進めていく上で
 ただでさえ1件1件のケースが複雑になっていて
 その対応についても会議1つとっても非常に時間をとります。

 例えば、ある課の会議を何時間もかかって行なって
 他の課がそこの場でずっと待っているとか
 そういうロスも大きいと思いますし

 ただ別に2つに分れたからと言って
 全く先ほども申し上げたとおり絶縁するとか

 そっちの仕事はそっちの仕事、
 こっちはこっちという態度で臨む訳ではありませんし

 今まで非常にチームワーク良く行なってきているつもりです。

 各課長たちも努力してくれて
 一枚岩で取り組んでいます。

 それをあえて分けて
 もっと機動性を重視したいというのは
 お酌み取りいただきたいと思います。




 最終的な部長決裁がものすごい数で
 部長1人に関わってくるというのはよく理解できるのです。

 でもそれは、副部長に権限を移譲することでは
 難しかったのですか。

 11課あって、それを統合的に部長がまとめるというのが
 むしろ機動的だったのではないかと思うのですが
 いかがでしょうか。







 決裁の話に終始してしまっているので
 書類の処理は、3号決裁とか分かれて行なっていますので
 それを副部長におろすという技術的なことはやりようかもしれませんが
 それは1つの例です。

 先ほど申し上げている機動力というのは

 部として400数十名の職員を擁していて
 どこまで1人1人のことを理解して、私、時の健康福祉部長が

 展開している事業の意味とか1人1人の苦労とか
 そういうことまで部長ですからもちろん把握しなければなりませんが
 行き届かない点もあると思います。

 それは課長の仕事だよ、所属長の仕事だよ、という部分もありますが
 部長としては自分の部隊をしっかり把握したいという想いはあります。

 そんな中で、何回も申し上げますが
 課長たちは非常に誠心誠意勤務してくれていると思っております。

 ただ、もう少し市民サイドに立ったやり方ができないかと考えて
 こういう形をとろうとしているものです。

 



 この質疑をすることは部長を責めているつもりは決して無いのです。

 それから今、決裁についても
 例として分かりやすいので申し上げただけで

 僕が申し上げたかったのは

 健康政策と福祉政策を
 まさに部長の頭の中で統合して見ることができる
 これが最大のメリットだったのではないかと思っているのです。

 もちろん、健康部長と福祉部長に分かれた後も
 この2人が連携を綿密に取っていけば問題は無いとは思うのですが

 今度はそれを上位で見られるのは
 副市長と市長しかいなくなってしまうのです。

 その時に果たして本当に機動的なのか
 という疑念がありました。

 新しい行政需要が出たから対応する
 という課の新設はよく理解できるのです。

 例えば、(市長提案で新たにつくられる)
 『こども青少年給付課』というのは絶対つくられるべきだと思います。

 ただ、大所帯だったからこその良さというのが
 これで消えてしまわないかというのが
 残念ながらいまひとつ分からなかったという思いがあります。

 明日(12月8日)、総務常任委員会での議論もあると思いますので
 健康部と福祉部の分割についての質疑はこれで終わります。


 
 (この後、さらに課の分割・変更についての市長提案を
  細かく質疑をおこないました)


 質疑を終えても

 健康福祉部を分割することで
 市民のみなさまに何のメリットがあるのかは
 全く見えませんでした。

 質疑の中で、フジノは内面の甘さが出てしまって
 答えづらそうな部長の表情を見て、つい厳しく追及できませんでした。

 そもそも市長の決定があれば
 いち部長がその方針に逆らうことはできない訳です。

 長年にわたって保健医療福祉行政に関わってきて
 その重要性を理解している部長が

 あえて保健医療福祉を分けることに
 こころの底から賛成しているとは感じられませんでした。

 それを思うと、厳しく追及しても...。

 翌日の総務常任委員会では
 この組織改正案は
 賛成か反対かを採決する『議案』として出されているので

 その場での質疑を聴いてから
 フジノは賛否を決めることにしました。


● 新たな「タテ割行政のはじまり」にしてはいけない

 8日の総務常任委員会の様子を
 神奈川新聞が報じてくれました。


 (2010年12月9日・神奈川新聞より)

 委員会での審議の場に、ふだん市長は出席しません。
 あくまでも部長クラスまでが出席します。

 けれども、質疑の状況に応じて
 市長でなければ答弁ができないような時には
 委員会メンバー全員の決定によって、市長に出席を求めることができます。

 こうして、総務常任委員会には
 吉田市長の出席が求められました。

 フジノはこの質疑を傍聴しました。

 総務常任委員会のメンバーからは
 批判がいろいろと出ました。

 ただ、批判の言葉は厳しい口調なのですが
 具体的な根拠を持って反対するという意味では
 残念ながら説得力が足りませんでした。

 これに対して、市長の答弁は

 新しい基本計画を実現する為に
 より良い組織の形に変える必要がある

 という趣旨をくりかえすだけで
 こちらも説得力が乏しい答弁ばかりでした。

 部長ポストが1つ新たに増えるとしても
 機動力が高くなるとは考えられません。

 部長ポストを増やすことよりも
 部長ポストに就く人材のマネジメント能力を高くすべきことが
 今、求められている課題の本質だとフジノは思います。

 政治家としてフジノ自身が必要性を理解できないのに
 市民のみなさまに分割の必然性を納得してもらうことは不可能です。

 フジノは、今回の組織改正案に反対することに決めました。

 反対する理由は、健康福祉部の分割は
 市民のみなさまにデメリットしか無いからです。 

 今まで一体だった保健・医療・福祉の3分野が分かれてしまうのは
 新たなタテ割り行政を生み出してしまうかもしれません。

 だから、今まで以上に市議会は
 タテ割行政を排除する姿勢を強める必要があります。

 しっかりと高い視点から、人々の暮らしに深く関わる政策群を
 一体的に、トータルで、見つめていかねばいけません。

 今回こうして分割してもデメリットが表れてくるはずで
 2つの部は10年以内に再び必ず統合されるでしょう。

 健康福祉部の分割、絶対に間違いです。

 本当に残念です。


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