まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年5月18日(日)のフジノその2
● IDAHO=イギリス×日本?LGBTユースの現状とこれから

 お昼から、東京・参宮橋(新宿から小田急線で2駅です)にある
 国立オリンピック記念青少年総合センターへ。

 『IDAHO=イギリス×日本?〜LBGTユースの現状とこれから〜』

 に、参加する為です!

 こないだの下北沢での『性的マイノリティと教育』
 招いて下さった方々から連絡を頂いて

 その取り組みの素晴らしさに惹かれて
 大喜びで参加しました。

 なんと、イギリスのブリストル市から行政職員が来日して、
 生でお話をしてくれる、というのです。

 ブリストル市は、イギリスで5番目に大きなまちですが
 LGBT(この単語の説明はこちら)の若者たちへのサポートが
 すごく進んでいるそうです。

 そんなブリストル市でのLGBTの若者たちの現状をはじめ、
 先進的に取り組んでいるサポートなどについて

 最近ようやくこの課題に本気モードで目覚めて
 本会議でとりあげたり
 活動に取り組み始めた政治家フジノは

 「行政側の取り組みが積極的に進められているなんてすごい!
  ぜひ、お話を聴かせてもらわなければ!」

 ということで、この会にお誘い頂いて
 すごく貴重な機会で本当にラッキーでした。

ブリストル市の職員に大いに学ぶ

 (上の画像は、実際に英国ブリストル市職員の方々が
  発表で使ったパワーポイントの写真です)

 加えて、何と言っても
 この企画を主催しているのは、大学生たちですからね!

 こないだの下北沢の時にも感じたけれど、
 本当にすごいパワーです。素晴らしいです。

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 ちなみに、『IDAHO』(アイダホと発音します)とは
 5月17日の『国際反ホモフォビア・デー』のことです。

 nternational ay Against Homophobia の頭文字ですね。

 この『IDAHO』をフジノのまわりではさらに親しみやすく
 『やっぱ愛ダホ!』と呼んでいます。

 ホモフォビア、というのは
 多様な性の在り方を認めない思想・行動ですね。

 そういう思想・行動は、もはや完全に時代遅れですし
 人権問題としてホモフォビアを無くしていくことが
 国際的に取り組まれています。


 (次回につづく)



2008年5月18日(日)のフジノその1
● 動物村のお祭りへ今年も行ってきましたよ〜

 先週の日曜日が雨だったので延期されていた
 『動物村のお祭り』が行なわれました。
 とても大好きなイベントで、今年もフジノはお邪魔してきました。

動物村のお祭り

 会場は平坂上の障害者福祉センターです。

障害者福祉センター

 ウサギやヤギやポニーなどの
 動物たちがやってくる『いちにち動物村』と
 ヨーヨーつりや綿あめなどの『模擬店』が出されます。

お祭りの風景

 このお祭りの目的は、動物を通じて、
 障がいが無いとかあるとかにカンケーなく
 こども達の交流を深めることです。

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 障がいのある方に誘われて
 一緒に、にわとり・モルモット・あひるなどの柵の中へ。

にわとりたち

 なかなか抱っこできないので、エサを係員さんにもらって
 2人であげてみることにしました。

アヒル2匹

 そしたら、寄ってきた!
 しかも、フジノの足元で激しくエサのとりあい!

 でも、そばに寄ってきてくれて
 喜んでいただけたので、とても良かったです。

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 かわいい牛。

 僕が幼い頃は近所に牛が何匹も居たのですが
 最近はもう全く見かけなくなってしまいました。

 久しぶりにそばで過ごして、やっぱり牛ってすごくいい。
 撫でても怖がらないでくれたので、
 しばらく僕はそばに一緒に座ることにしました。

 そして、会場全体を見渡して
 こどもたちが動物たちと触れ合っているのを見ていました。

牛

 ポニー。
 僕も幼い頃、ポニーの背中に乗せてもらった思い出があります。

 この後、女の子を乗せてあげてました。
 すごくうれしそうでした。良い思い出になっているといいなぁ。

ポニー

 わずか59万円の予算しかついておらず、
 模擬店など運営の大半を
 市職員をはじめ、ボランティアさんが行なってくれています。

 実は、障害者福祉センターの機能の大半が
 『はぐくみかん』の4月オープンで移りました。

 このまま、この場所を使って来年度以降も動物村をやれるかどうか、
 このイベントがどうなっていくかが決まっていません。

 こうした大切な場を無くすことは絶対にできません。

 来年もたくさんのこどもたちの笑顔が見られるように
 どうか市民のみなさまもこの『動物村のお祭り』を応援して下さいね。

 そして、来年はあなたも遊びに来て下さいね。



2008年5月17日(土)のフジノ
● カフェトークという週1回の交流の試み

 ふだんカフェトークのことは活動日記には書かないのですが
 これまで130回も続いてきた中で、
 いろいろな良い動きが派生して誕生していることもあって
 改めて、紹介してみようかなぁと思います。

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 本日、第124回目のカフェトークが行なわれました。
 お昼14時から17時まで、4名でお話しました。

 今日も全員がばらばらの参加者です。
 お互いに知りあいは全くいない状態で訪れてくれています。

 それでも参加しやすいのが
 カフェトークの魅力なんだと思います。

 1年ぶりに参加して下さった方、
 初めて参加して下さった方、
 おこさんを預けて大急ぎで参加して下さった方、
 いろいろな方々がいらっしゃいました。

 男性が2名、女性2名です。

 今日は、何よりもうれしかったのは、
 参加してくれた方々がそれぞれに困難を抱えながらも
 笑顔と前向きな気持ちでそれを乗り越えようと
 努力されている方々ばかりだったからです。

 参加者の前向きな想いから
 フジノがエネルギーをもらってしまいました。

 障がいのあるおこさんのお母さんたちの会を
 新しくたちあげようとしている方をはじめ、

 体調悪化を治したくて始めた
 週末の水泳が1年以上も続いているという方、

 友人に頼まれてNPOのお手伝いをしているうちに
 本当に自分のやりたかったことが少しずつ見えてきたという方、

 みなさん、とてもすごいと思いました。

 フジノからも報告を1つしました。

 「カフェトークの参加者のある方が
  毎回この上町に参加しにくるのは大変だし、
  身近な地域でこういう集まりがあるといいよね、と話してました。

  そこで僕は、ぜひご自分の地域でカフェトークを始めてみては?
  とおすすめしてきました。僕が参加する必要は全く無いのです。

  ご自分の暮らす地域でこうやって毎週、
  誰でも参加自由だよ、お茶のみながらいろんなことを話そうよ、っていう
  機会があることがすごく大切なんですよ、と。

  それから、いろいろな準備もありましたが、
  5月15日、第1回をやりました、と連絡をもらいました。

  僕は本会議で行けなかったのですが
  本当に良かったです。次回の日程も決まっているそうです」

 こういう動きも出てきているのですね!すごいですよね?

 踏み出した後の道のりを、
 まわりが「すごい!」と褒めるのはカンタンです。

 でも、最初にその小さな歩みを一歩踏み出すことが
 本当にとてもとても大変なのです。

 その踏み出した方が偶然にも今日集まってくれたことに
 とても感謝しています。ポジティブなヴァイブスが流れたカフェトークでした。

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 そもそもカフェトークって何?

 っていうあなたへ。

 カフェトークはいつでも千客万来です。
 アカデミックな話はありません。ほのぼのとやっています。
 日によって全く雰囲気が変わっておもしろい集まりになっています。

 こちらをごらんください。

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 カフェトークの今後の日程をお知らせします。

 (今後の予定)

 第125回 5月24日(土)14時から16時

 第126回 5月28日(水)20時から22時

 第127回 6月4日(水)20時から22時

 第128回 6月14日(土)14時から16時 

 第129回 6月21日(土)14時から16時

 第130回 6月25日(水)20時から22時

 (申し込みは不要&途中出入り自由)

 ぜひお気軽にどうぞ。

 長い間、ご要望いただいている
 平日午前中のカフェトークもまもなく行ないますから
 待っていて下さいね!



2008年5月16日(金)のフジノその2
● 本会議スタート直前まで書き続けた原稿

 今日は、住民投票条例案について
 本会議で賛成か反対かの決着をつける『採決』の日です。

 フジノは今日、賛成討論を本会議場で行なう予定です。

 すでに正式に発言通告書を出しているので
 今さら辞退することはできません。

 けれども、当日の朝7時を過ぎても
 原稿は完成していませんでした。

 討論の本番は、わずか15分しか持ち時間がありません。

 その15分の原稿の為に、徹夜して原稿を書き続けて
 すでに9時間以上、書き続けていました。

 正確には、何種類かの原稿が書けていました。

 それでも、どれもがしっくりこないのです。

 多くの市民の方々に期待されているであろう
 政治家フジノのイメージに基づいた発言は、

 『蒲谷市長と市議会多数派を激しく批判するフジノ』だろうなあ、

 と、漠然と感じていました。

 去年の住民投票条例案に賛成討論をした時には
 この方向性で激しく反対派を批判しました。

 例えば、昨年のフジノはこう述べました。

 (2007年2月臨時議会でのフジノの発言より抜粋)

 > 仮に、この住民投票の議案を「市議会」は否決したとしても、
 > むしろ変わらなければならないのは「市議会」だ
 > と思います。

2007年2月臨時議会のフジノ

 上の写真は、その賛成討論の時のフジノの写真です。
 激しい批判を険しい表情でまさに叫んでいます。

 こういう激しい討論をすれば
 一般的な市民の方々にとって、ある意味での、
 怒りのはけぐちとしての役割を果たすことは理解していました。

 けれども、それを僕は望んでいませんでした。

 今の政治家フジノの気持ちは、
 そういう怒りとは、とても遠いところにありました。

 夜が明けて、もう7時すぎ。
 11時から本会議が始まる、あと4時間しかない。

 それでも、最後まで今の想いにそったものを書く為に
 何度も何度も原稿を書き直し続けました。


 その今の想いとは、あえて言葉にするならば

 『融和』とか『笑顔』です。

 僕がめざしているのは、市民が主役のまちです。

 今このまちには少しずつ民主主義の芽がめばえてきました。
 市民のみなさまは確実に一歩ずつ歩み始めています。

 そんな市民のみなさまに対して、
 明らかに市長と市議会は遅れていて、市民のことを全く信じていません。

 本当の主役である市民と
 あくまでも代表でしかないはずの市長・市議会が
 対立してしまっています。

 僕は「気づいてほしい」と願いました。

 朝5時頃、横須賀中央公園を訪れて
 その頂上にある、平和モニュメントの前に立ってみました。

 平和を求めるこのまちの人々の歴史を
 現在の世代である僕たちは、守らなければいけないと感じました。

 この国は、平和を求める国であり、
 この国は、市民が最も大切な主権者なのです。

 エライのは、市長でもなく、市議会議員でもありえないのです。
 最もエライのは、市民なのです。

 市民が自ら立ち上がって革命で勝ち取った訳では無い
 日本の民主主義の歩みは、ヨーロッパに比べると未熟かもしれません。

 だからといって、主権者である市民の想いを
 市長や市議会が裏切るのは間違っています。

 そのことを「気づいてほしい」と願いました。

 そして同時に、一般の市民のみなさまがたにも
 そんな市長や市議会に対して絶望しても始まらないのだと
 「気づいてほしい」と願いました。

 僕は昨日の夜中まで、
 署名活動にひた走った方々とお話をしてみました。

 必死に活動をした市民のみなさまたちは
 絶望や怒りに満ちていると僕は想像していました。

 けれども、そうではなかったのです。

 必死に署名活動に全力で取り組んだ方々ほど
 希望を持ち、笑顔に満ちていました。

 本会議で否決されることは承知の上で、
 民主主義をあきらめていませんでした。

 このことを、多くの一般の市民の方々にも
 「気づいてほしい」と願いました。

 本会議の討論の場をつかって
 僕は祈りを伝えてみたいと感じました。

 原稿には怒りをこめるのではなく、
 赦しと信じる気持ちをこめようと考えました。

 こうして、11時に本会議がスタートする
 わずか15分前まで事務所で原稿を書き続けました。

 (欠席を心配した議会事務局から何度も
  携帯電話に連絡をもらってしまいました。ごめんなさい)

 さらに、本会議が始まると
 午前中の討論は激しい非難の言葉が飛び交いました。

 住民投票反対派のある議員は
 壇上から傍聴席に向かって

 市民を愚弄するような言葉を投げつけました。

 傍聴席からもその議員に向かって
 怒りに満ちたヤジが飛びました。

 僕はそうした様子を聴きながら
 悲しい気持ちになりました。

 そこで、昼休みに入るとすぐに
 改めて僕の原稿をさらに手直しにかかりました。

 こうして、午後になって
 フジノの賛成討論の順番がやってきました。

 これがフジノが行なった賛成討論の原稿です。

 下の写真が、討論をしている時のフジノです。

 写真右下、手元に写っている青い本が分かりますか?
 これが討論の中で述べられている『横須賀市議会史』です。

2008年臨時議会のフジノ

 この1ヶ月間、かなり厚くて何冊もあるこの本を
 前からずうっと読んでいきました。

 そして、このまちの先人たちの行動や想いを学びました。

 市民と市長・市議会が分断されてはいけない。
 このまちの市民はいつも平和を求めては裏切られ続けてきた。
 けれども負けてはいけない。

 それが、この本から僕が学んだことでした。

 横須賀中央公園の平和モニュメントのふもとに立った時も
 同じようにそう感じました。

 だから、討論の壇上にも
 このまちを生きてきた
 このまちの先人たちの想いとともに在りたくて

 かたわらに、この本を携えました。

 去年と今年のフジノの写真を見比べていただければ、
 外見の変化というよりも、
 フジノのこころの変化が分かっていただけるはずです。

 僕は壇上から市議会議員のみなさんに
 こころの底から訴えました。

  政治を、あきらめてはいけない。

  市民を、信じ続けなければいけない。

  気づいてほしい。

 そう願いながら、討論の演説を行ないました。


● 民主主義を守る、あきらめない、信じ続けること

 こうして全員の討論が終わると、
 スケジュールどおりに『採決』になりました。

 フジノは、住民投票条例案に賛成票である白札を投じた
 最初の議員となりました。

 投票箱に入れる時に、傍聴席にいらっしゃる市民の方々に
 白札がよく見えるように一瞬、止まりました。

 拍手が聴こえたような気がしました。

 やがて自分の席に戻って
 採決の結果が出るのを待ちました。

 結果は、大方の予想通り、反対33票VS賛成8票で
 住民投票条例案は否決されました。

 5万人以上もの署名をしてくれた市民の想いは
 市議会に否定されました。

 その後、署名の重みを受けて
 かわりに意見書が採決されて、全会一致で可決されました。

 それが終わると、議長によって
 臨時議会の閉会が告げられました。

 ほとんどの議員たちが本会議場を出ていく中、
 僕は最後まで自席に着席をして

 それから席を立って、傍聴席の方をふりかえって
 傍聴に来て下さった市民のみなさまに
 願いをこめて、おじぎをしました。

  民主主義を、あきらめないでください。

  政治を、あきらめないでください。

  このまちはいつも政府と米軍に裏切られてきました。
  今回もまた市民の想いは裏切られています。

  けれども、民主主義をあきらめないでください。

  何故なら、あなたたち市民こそがこの国の本当の主役なのですから。

 果たして、そんな僕の願いは届いたかどうかを見届けるまもなく
 一礼をした後、僕も控え室へと足早に戻りました。

 傍聴できなかった市民の方々に
 メールによって、否決を知らせなければなりませんでした。

 こうして、原子力空母の母港化について
 住民投票を求めての市民活動がひと段落することになりました。

  でも、何も終わってなんかいないんです。

  むしろ、今から始まるのです。

 フジノは市議会を出て、事務所へ戻る途中に
 何人もの市民の方々に否決を告げてまわりました。

 その途中、年金の相談をされたり、
 社会的ひきこもりの方の相談をされたり、

 あっという間に原子力空母母港化問題や住民投票の問題は
 吹き飛んでしまいました。

 僕も決して感傷にひたって別の話題を嫌がることなく
 新たな市民相談を傾聴しつづけました。

 でも、このたくましさこそ、市民の持つ暮らしの力なのです。

 あきらめないこと。
 負け続けても立ち上がり続けること。

 僕はそう信じています。

 たくさんの署名を集めて下さった受任者のみなさん、
 一生懸命の想いをこめて署名して下さった有権者のみなさん、
 何年間にもわたってがんばり続けてくれて市民の会のみなさん、

 本当におつかれさまでした。

 とりあえず、いったんの区切りということで
 「おつかれさまでした」と「ありがとうございました」と言わせて下さい。

 でも、これからが始まりです。

 一緒にまたがんばっていきましょうね。
 これからも、よろしくお願いします。



2008年5月16日(月)のフジノその1
● タウンニュースの取材へのフジノの言葉

 けさのタウンニュース紙に、住民投票条例案についての記事が出ています。
 この記事中の、賛成派の市議の発言は、フジノが取材されたものなのです。


 > 前回、投票賛成派だった議員の1人は
 >
 > 「(今回も)当然、賛成。
 >  本来は、住民投票ではなく、
 >  市長が原子力空母を容認した時点でリコールすべきだった」
 >
 > と話し、再び賛成する意向を示した。



 (2008年5月16日付・タウンニュース紙より)
2008年5月16日のタウンニュース

 かつても今も、その考え方に変わりはありません。


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