まちの政治家は、こんなことしてます


2009年2月15日(日)のフジノその3
● 父の転院、ようやく明日の出発へ(その3)

 伊豆は河津桜が満開で、観光シーズンまっただなかなので
 病院のそばのホテルや旅館は全く予約が取れませんでした。

 最終的に、病院からはかなり離れたペンションを見つけて
 そこに泊まることにしました。

 結果的に、これが逆にラッキーなことに
 料金も格安で、食事も2食ついて、露天風呂もありました。
 無線LANが無料で使えるので、インターネット環境もばっちりです。

 予算議会のスタートを直前に控えたフジノは
 仕事の資料もノートPCも全て持っていかざるをえませんでした。

 ペンションの方はわざわざ遠く離れた病院まで迎えに来て下さり、
 タクシー代も浮いたのでした。とても助かりました。



 樹齢100年を超える大木をふんだんに使った
 とても美しい場所でした。

 フジノが両手いっぱいに広げて抱きついても
 大黒柱はあまりにも太くて、そして暖かい存在でした。



 到着するとすぐに露天風呂をすすめられて、
 お風呂を出たらおいしい夕食をとって、
 食後は予算議会の資料を読みながら、暖炉の前で過ごしました。



 でも、内心ではとても悩んでいました。

 転院が本当に正しい選択肢なのか、
 僕は、この期に及んでも悩んでいました。

 これだけ万全な医療ケアを受けられている現状をあえてやめて、
 ただ距離が横須賀に近くなるというだけで、転院すべきなのか?

 転院によって、1年と言われた父の余命が
 さらに短くなるようなことがあったら、それは正しいことなのか?

 もちろん、家族が今とは比較にならないほどに
 面会に訪れられるようになるのは大きな意味がある。

 でも...。

 地元に近い病院への転院が決まったことを
 赤の他人である僕の父の為に
 涙を流して喜んでくれるような看護師さんやケアワーカーさんがいる
 そんなすごい病院を離れるのは、本当に正しいのだろうか...。

 気持ちは、いつまでも揺れて、
 朝が来るまで迷い続けました。
                     

● そんな時でさえも、世の中は動き続けている

 そんな僕の感傷なんか笑い飛ばすように
 17時14分頃、横須賀市から
 全議員宛の報告がインターネットで届きました。

 PDFファイルはこちら
 下に全文を引用します。

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 平成21年(2009年)2月15日
 横須賀市議会議員 様
 企画調整部長

 横須賀港沖合での
 米海軍イージス艦とプレジャーボートの接触について


 本日(2月15日)12時半頃、
 釣りをするために停泊していたプレジャーボート(乗船者4名)と、
 横須賀港に帰港途中の米海軍イージス艦「ラッセン」が接触しました。

 双方に怪我人はなく、
 プレジャーボートは自力航行可能とのことです。

 事故の詳細については、横須賀海上保安部で調査中です。

 (引用おわり)

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 すぐにインターネットでのニュース速報を観ると
 マスメディア各社がすでにいくつもの第1報を載せていました。

 どの海域で起こった事故なのか、
 はっきりとした事実は今のところ分からないようです。

 本当に運が良かったことに負傷者はおらず、
 さしあたって今すぐフジノが横須賀に戻る必要は無さそうです。
 神様に感謝...。

 横須賀の友人に電話して

 「何か大きな動きが報道されたら教えて!」

 と、お願いをして仕事用のPHSを身近に置いて、
 予算書の読み込みに戻りました。

 暖かに薪が燃えている暖炉の前で
 私人としても公人としても穏やかに過ごすことができないまま、

 まもなく20日からスタートする予算議会での
 本会議で市長に対して行なう一般質問の原稿を書き続けました。

 さあ、ついに明日は民間救急車に乗って
 父の移送だ。

 布団に潜って少しでも長く眠ろうとするけれど
 寝返りを打っても、全然寝付けない。

 しかたがないので、持ってきていた文献(PFI関係の本)を
 1冊、最後まで読み終えてしまった。



2009年2月15日(日)のフジノその2
● 父の転院、ようやく明日の出発へ(その2)

 父が植物状態になって4年間も経つ、というのは
 家族にとっても残念でたまらないことですが

 何よりもまだ69才になったばかりの父本人にとっても
 本当に無念で悔しいことだろう、と僕はいつも思います。

 絶対に忘れない。
 僕は死ぬまで忘れない。

 何よりも、父はしっかりと意識があるままの状態で
 自分の足で市民病院まで歩いていって

 入院をドクターから言い渡された後も
 ベットに座りながら

 福祉や医療に詳しい僕といろんな話をしながら、
 僕たち家族が心配しないように
 たくさんのくだらない冗談をとばしながら

 「英明、リハビリをすればまたこの手のしびれはとれるのか」

 とつぶやいたり、

 「オレンジジュースが飲みたい」

 と言うので買ってきたジュースをおどけながら飲んでみせて
 とにかく僕たち家族を安心させようと父は努力をしていました。

 父は自らの手が動かせなくなったり
 ろれつが回らなくなっていく、明らかに悪化していく状況を
 どれほど不安に感じながらいたのだろうかとその内面の恐怖を思うと

 いつも僕は吐き気に襲われます。

 何故、僕はもっと必死にナースステーションでわめかなかったのか。
 何故、僕はもっと大声でドクターが来るように叫ばなかったのか。

 何故あの時、何度も何度もナースコールを押したのに
 市民病院のナースは1人も来てくれなかったのか。

 何故、ドクターはいつまでもいつまでも父を放っておいて
 容態が悪くなっていく一方の父を診てもくれなかったのか。

 セカンドオピニオンを求めた
 横浜脳血管医療センターのドクターがおっしゃったように、

 「最初からうちに運ばれていたら今もお父さんは意識があったはずです」

 ということを思うにつけても、

 決して戻ることのない父の意識と、母と過ごせたはずのこの4年間を、
 家族みんなを苦しめ続けた日々を、
 僕をすさまじい借金に追い込んだ莫大な医療費を、
 あらゆる全ての恨みと怒りを市民病院に抱かずにはいられません。

 父の手術が終わってセカンドオピニオンをもらいに行った頃、
 全国紙の新聞記者で医療過誤について追っている方や
 弁護士の方が僕の相談にのってくれて

 「裁判を起こせば必ず勝てる。やるべきだ」

 と言ってくれました。

 でも、当時の僕には
 父のことで倒れて入院してしまった母を守ることや
 とにかく医療費を捻出することだけで毎日が過ぎていくばかりで
 訴訟を起こすことはできませんでした。

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 父の脳は大半が死んでいて、
 生きているのは中脳と脳幹だけだそうです。

 だから、意思疎通は全くできない。
 目はあいていても視力は無く、音声刺激もほとんど伝わっていない。
 それが医学的な正式な診断です。

 けれども、病室を訪れるたびに僕は父に
 元気だった頃のようにきちんと全てを説明して聞いてもらいます。

 「父さん、ようやく待たせてしまったけれども転院が決まったよ。
  突然なんだけれども、明日なんだ。

  行き先は、鎌倉の病院だよ。
  かつて父さんが働いていた頃に一時期、鎌倉にいたね。
  きっと懐かしく感じるよ。

  明日、おれが民間救急車に父さんと一緒に乗って
  鎌倉まで移動するよ。母さんたちは、鎌倉で待っているよ。

  父さんに親切にしてくれた、熱川温泉病院のみなさんに
  今日のうちにどうか感謝とお別れを伝えておいてね」



 僕にとって父はいつも魂のレベルで
 僕の言葉を理解している、と受け止めてきました。

 僕はこれを真剣に書いています。
 理解している、とハッキリと感じます。

 「そもそも転院する理由は、父さんの寿命がもってあと1年半と言われたよ。、
  だから熱川温泉病院に全く何も不満は無いけれど
  身体が弱い母さんがお見舞いに来れないから
  横須賀に近いところに
  父さんに移ってほしいんだ。

  同じ残り1年間から1年半の命ならば
  父さんだって、母さんやおれたちと毎週会えるほうがいいよね。
  だから、おれの独断で転院先を探させてもらったよ」

 そう説明した時にも、父は理解した、と感じました。

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 病室には、たくさんの千羽鶴や手紙やFAXが飾られています。

 父の同期生(警察官だった父の同期の方々です)がしばしば訪れてくれたり、
 僕たち家族が書いた手紙やFAXを病院の方々が
 いつも音読して父に聞かせてくれていました。



 千羽鶴は4年間のあいだにあまりにもたくさんになって
 いただいたお守りの数もすごく多くなってしまいました。

 それらを全て大きな段ボール箱に詰め込んで
 その他の荷物を全て整理しました。

 明日、民間救急車(転院する場合、自分で契約するのです)に載せて
 次の病院でもすぐにこれらを病室に飾れるといいなと思います。

 片づけは、看護師さんたちの協力もあって
 たくさんあったにも関わらず、わずか1時間で終わってしまいました。

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 病院の目の前には穏やかな川が流れています。

 この上流には俳優の別荘があるそうで、
 毎日のように釣りをしているそうです。



 この穏やかな川の流れを
 僕は穏やかな気持ちで見れたことは今までありませんでした。

 いつの日か、観光地である熱川を
 僕は観光で訪れることがあるだろうか。

 そんなことを考えながら、明日の転院に向けて
 緊張感は高まっていきました。

 民間救急車での移送は、父のような容態の方々にとって
 常に死と隣り合わせです。

 (これは民間救急車だから悪いという意味ではなくて
  ほんのわずかな衝撃でも大きなダメージになるという意味です。
  むしろ移送のプロが振動を少なくする為に見事な運転をしてくれます)

 だからこそ、僕が同乗することを希望しました。
 どんなことがあっても、長男の僕が全てを見届けると決めたのですから。


 (その3へ続く


2009年2月15日(日)のフジノその1
● 父の転院、ようやく明日の出発へ

 父の転院がようやく実現することが決まりました。
 出発はとうとう明日です。

 新しい転院先の病院探しに約1年もかかり、
 転院先が決定してからも
 日程が二転三転してしまって、
 合計して約1年2ヶ月もかかってしまいました。

 これが小泉改革という名の、『ニセモノの医療制度改革』の現実です。
 絶対に僕は、こんな最低な政治屋を許さない。

 本当に必要な医療さえカットして
 何が改革だとバカバカしく思います。

 最近また小泉元総理の発言がテレビでとりあげられるのを観て、
 2度と舞台には出てくるな!と、つくづく不快に感じます。

 もう、あなたの出番は完全に終わったんだ。
 退場していろ。

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 1日前の今日から、父のいる病院へ向かって、病室の片付けをします。
 約3年半もこの病院にお世話になったので、
 たくさんの荷物があります。その片づけが必要なのです。

 明日の移動は朝早くて横須賀からでは間に合わないので
 今日は病院のそばに泊まります。

 行き先は、伊豆熱川です。

 

 フジノの父は、2004年12月に脳出血で手術をして
 急性期(約3ヶ月間)は横須賀市民病院に入院していました。

 やがて、急性期が過ぎると、
 植物状態になってしまった父へのショックも癒えないままの
 僕たち家族は「転院してほしい」と病院側からほのめかされました。

 (詳しい経緯はこちらをご覧下さい)

 けれども、転院先探しの為に『地域医療連携室』がしてくれたことは
 ぶあつい病院ガイドブックを僕たちに渡したことだけでした。

 ガイドブックを自分で読んで、
 そこに載ってる病院に自分で電話して、
 勝手に探してくれ、ということです。

 転院先探しがどれほど大変なのかを
 この時から何年間も続けて僕たち家族は体験し続けるのですが

 市民病院の相談室がいかに役立たずなのかを知ったのは、
 だいぶ後のことでした。他の病院と出会って、そのひどさが分かりました。
 (そこで、フジノはすぐに市議会で改善を提案しました)

 他の病院の医療相談室はもっと家族に寄り添って
 転院先探しも一生懸命手伝ってくれます。

 ガイドブックを渡して自分で探せ、という扱いをされたのは
 それから4年のあいだ、市民病院の医療相談室だけでした。

 けれども当時の僕にはそんなことも分からず、
 自分でガイドブックを読んでただ必死に探すものだと思っていました。

 そうして転院先探しをしながら何ヶ月か経った頃、
 ある方の紹介で横浜脳血管医療センターと出会いました。

 母と共に訪れて「転院をさせてほしい」とお願いをしました。

 結局、その願いは断られてしまったのですが
 ドクターはあまりにも憔悴しきった僕たち親子の姿を見て

 「遠くてもかまわないのでしたら...」

 と、伊豆の熱川温泉病院をご紹介して下さったのでした。

 神奈川、東京、千葉、埼玉と、
 関東地方では全く転院先が見つからずにいた僕たち家族にとって
 これは本当に希望の言葉でした。

 「ぜひ、お願いします」

 そうして、2005年6月、熱川温泉病院に転院しました。

 その日から3年半に渡ってお世話になった
 伊豆の熱川温泉病院との出会いでした。

 本当に偶然のおかげです。いろいろな人にお願いをしてまわって
 ようやく見つけた、たった1つきりの病院でした。

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 今日も伊豆に向かう電車は、観光客でいっぱいでした。

 パニック障がいで電車に乗るのが苦痛な僕は、
 本当に毎回、必死の想いで熱川と横須賀を往復したものでした。

 横須賀から熱川というのはとても遠くて、
 熱海まで行ったところでようやく道のりが半分なのですね。
 そこからさらにもう半分、遠くに向かいます。

 行きも帰りも観光客ばかりで、みんな楽しそうで、
 時には電車の中は集団の観光客の宴会場のような感じでした。

 植物状態の父を見舞う為に往復している家族にとっては
 楽しそうに騒いでいる人々の存在さえも苦痛でたまりませんでした。



 今回もまた河津桜が満開になった日にぶつかってしまい、
 ものすごい混雑でした。

 いつの日か僕も、この桜を穏やかな気持ちで
 愛でられる日が来るのでしょうか。

 電車での長い道のりを終えると、最後はタクシーに乗ります。
 やがて川沿いにピンクの建物が見えてきます。それが熱川温泉病院です。



 本当に、とても素晴らしい病院でした。
 僕は、この病院から受けたご恩を永遠に忘れないでしょう。

 いつも献身的な看護師さんをはじめ、理学療法士の方々、
 ケアワーカーのみなさん、医療相談室の方々、
 もちろん主治医の先生をはじめ、
 全ての関係者のみなさんの
 優しさと思いやりには
 ただただ感謝の気持ちしかありません。

 疲弊しきってしまった家族以上に
 父に対して献身的に接して下さるみなさんの姿を思い出すだけでも、
 僕は涙が出そうになります。

 僕の父を、ご自身のお父さんのように声をかけ続けてくれた
 熱川温泉病院のみなさんの姿は、
 僕の目に、僕のこころに焼きついています。


 (その2へ続く


2009年2月14日(土)のフジノ
● カフェトークというセーフティネットの存在

 今日はカフェトークでした。

 かつて常連さんだったAさんが久しぶりに来てくれて
 とてもうれしかったのですが

 深い疲労感が刻まれた表情を見て
 まず最初に

 「体調は大丈夫ですか?」

 とお聞きしました。

 少しずつお話して下さったところによると、
 この1年間の過労から心身ともに本当に追い込まれてしまって
 自殺を何度も考えた末に、
 退職をしたのだ、とうかがいました。

 「死のう、とした瞬間に
  フジノさんの後ろ姿が見えて、思いとどまりました」

 と言われました。

 その時、僕が感じたことは
 僕がうつ病であることとかクスリものんでいることだとか
 カフェトークの場ではいつも隠さずにみんなに語ってきて良かった、
 ということでした。

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 精神的に追い込まれることは、誰にでもあります。
 いつだって、誰にだって、自殺へと追い込まれる可能性はあります。
 特別なことではありません。

 けれども同時に、うつ病や激しいストレスに追い込まれても
 それでも何とかやりすごすことができるのもまた事実です。

 フジノのように、「死んでしまいたい」といつも調子が悪くても
 ぶすっとした顔で誰とも目をあわさずに仏頂面で歩きながら
 あらゆるストレスから徹底的に逃げ回るという手も絶対にありですよ。

 自らの命とひきかえにするほどに
 働かなければならない仕事は存在しません。

 生きていればいいことがあるなんて
 僕は全く信じてはいません。

 それでも、死ななければならないほどの問題も無いのは事実で、
 きつくて追い込まれてしまった時は

 どんな問題であっても必ず、
 多職種の方々でのチームによって問題は解決できますし

 問題があまりにも大きくて困難な時は
 とりあえず見ないふりをすることだけでもいいんです。



 まずはカフェトークにいらして下さいな。
 RRROOMのおいしいごはんを食べてみて下さい。

 のんびりと紅茶でも飲みながら
 自分が語るのもいいし、誰かが語るのを聴くのもいいし、
 ぼんやりと過ごすのもいいのではないでしょうか。

 カフェトークはいつも何か特殊なことをやる訳でもなく、
 ただ気が向いたらふらりと誰でも立ち寄れるだけの場所です。

 たいしたことはできないかわりに、
 毎週、必ず開催しています。

 疲れたら、ふらりと遊びに来てみて下さいね。
 いつでも僕たちは、ウェルカムですから。



2009年2月13日(金)のフジノ
● ソレイユの丘問題の業務改善勧告についての報道

 昨日行なわれた『業務改善勧告』について
 神奈川新聞が報道してくれました。

 (2009年2月13日・神奈川新聞より)

 指定管理者に業務改善勧告、横須賀市長/
 ソレイユの丘、ラベルはがし問題

 横須賀市の「長井海の手公園(ソレイユの丘)」
 野外バーベキュー施設で、

 市が指定管理者に選定している「横須賀ファーム」の従業員が
 真空パックの製造日ラベルをはがしたり、
 消費期限切れの野菜を提供したりしていた問題で、

 蒲谷亮一市長は12日、同社の幹部2人を市役所に呼び、
 業務改善勧告書を手渡した。

 同社との間で締結している特定事業契約に基づくもので、

 蒲谷市長は、今月19日までに再発防止策をまとめた
 「業務改善計画書」を提出するよう要求。

 併せて、3月31日までに業務改善が図られるよう求めた。

 市土木みどり部によると、
 今回の勧告に伴い
 同社にはペナルティーポイント「5」が付いた。

 市は四半期に6以上のポイントが付くと、
 ポイント数に応じて委託費の減額を検討する。

 3月末時点で「5」のままであればポイントは消滅、
 委託費の減額には至らないという。

 (岡本晶子)

 (引用、終わり)
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 今回の予算議会(2月20日スタート)でも
 フジノは市長に対して質疑を行ないます。

 市議会で質問を行なう内容は、事前に『発言通告書』にて
 通告をしなければならないことになっています。

 そのしめきりは20日の夕方17時です。

 けれども、この業務改善勧告では
 (株)横須賀ファームは2月19日までに再発防止策をまとめて
 『業務改善計画書』を提出するように求めています。

 この日程では、今回の予算議会の中で
 フジノは(株)横須賀ファームの『業務改善計画書』の内容を
 質疑するのは不可能です。

 もしも(株)横須賀ファームが19日の早い時間帯に
 横須賀市へ『業務改善計画書』を提出して

 もしも横須賀市がフジノの情報公開請求に対して
 即日に応じるというようなことがありえない限りは、

 不可能です。

 この日程は、非常に不快です。



2009年2月12日(木)のフジノ
● ソレイユの丘問題で、横須賀ファームに業務改善勧告!しかし...

 『長井海の手公園』(ソレイユの丘)』を運営している
 (株)横須賀ファームに対して

 ついに今日、
 蒲谷市長が『業務改善勧告』を行ないました。

 その内容について、土木みどり部長から
 全議員宛に報告が出されました。

 『株式会社横須賀ファームに対する業務改善勧告の実施について』
 (PDFファイルはこちらをご覧下さい)


 PDFファイルが開けない方の為に
 下に全文を引用します。
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 平成21年(2009年)2月12日
 市議会議員各位
 土木みどり部長

 株式会社横須賀ファームに対する業務改善勧告の実施について

 昨年11月、真空パック入りカット野菜の
 製造年月日ラベルを従業員がはがしていたことに関し、

 新聞社が、長井海の手公園ソレイユの丘の
 維持管理及び運営業務を担当している株式会社横須賀ファームに対して
 取材を行ったことに端を発する一連の事件については、

 今月3日(火)、

 「パック野菜の製造年月日ラベルはがしに始まった
  長井海の手公園ソレイユの丘での諸問題に関する最終報告書」

 を公表しましたが、

 本日、同社幹部を市役所本庁舎に呼び、
 同社と締結している特定事業契約に基づいて、

 市長から業務改善勧告を行いましたので、
 次のとおり、報告いたします。

 1.勧告の根拠

 特定事業契約書別紙3第1項第3号@の規定に基づいて勧告

 2.勧告の内容

 パック野菜の製造年月日ラベルはがしに始まる
 諸問題の再発防止に努め、

 維持管理運営業務の早期正常化を図るとともに、
 継続的改善を行い、全社的に質的向上を図る体制を構築するなど、
 抜本的な再発防止策の実施を求める。

 3.業務改善の実施期限

 平成21年3月31日

 なお、この勧告の実施に伴い、
 同契約書別紙3第2項第2号@の規定に基づいて、
 「5ポイント」のペナルティポイントを付しています。

 事務担当は、土木みどり部 緑地管理課 指定管理担当

 (引用、終わり)


● やはり「減額」はしない!何故ここまでファームに甘いんだ!?

 『長井海の手公園「ソレイユの丘」』は、
 PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)という方法で
 設計・建設・維持管理・運営されている施設です。

 PFIという手法は、よくこんな風に説明されています。

 「良質の公共サービスをより少ない税金で提供することを目的とした
  新しい公共事業の手法です」

 「公共事業に民間の経営ノウハウや資金を活用する」
 「公共部門における競争原理の導入」
 「官民の対等なパートナーシップ」
 「成果主義の徹底」

 などなど。

 もともとPFIはイギリスで1992年にスタートしました。

 もしもこんな売り文句のとおり、あるいは
 イギリスで行なわれてきたように徹底して行なわれたならば、
 横須賀でもPFIは成功したのかもしれません。

 しかし、『長井海の手公園「ソレイユの丘』を見る限りは
 横須賀版PFIは失敗した、とフジノは断言します。

 例えば...。

 野田由美子さんという方が書いた
 『PFIの知識』(日本経済新聞社、2003年)という入門書があります。

 PFIとはどんなものかを分かりやすく書いています。

 というのも、著者の野田さんは、
 某銀行のロンドン支店に勤務していた時期に
 実際にPFI案件の交渉を何度も何度も体験してきたこともあり
 実務としてPFIをよく理解されていらっしゃるのですね。

 だから、PFIという手法に対して、
 『中立』というよりは『推進派』の立場といえる方です。

 その野田さんの本から、ちょっと引用してみましょう。

 (p140より)

 運営段階においては、
 要求水準通りのサービスが提供されているかを確認し、
 その結果をサービス対価の支払いに反映させます。

 (中略)

 公共部門は、抜き打ちでの立ち入り検査を行なったり、
 利用者満足度調査の結果や利用者からの苦情を分析するなどの形で、
 サービスの質をチェックすることも考えられます。

 民間事業者の業績が低迷した場合には、
 サービスの対価の減額や、
 ペナルティポイントの賦課によって対処
します。


 そして、ペナルティポイントが一定以上に達した場合には、
 契約を破棄するなどの措置をとります。

 (中略)

 この他、SPCの財務状況については、
 公認会計士等の監査を得た財務諸表の提出を義務づける
などして、
 監視を行ないます。

 (引用おわり)


 野田さんが体験してきたイギリスの本物のPFIでは、
 上に引用したような形で厳格に行なわれてきたのでしょう。

 しかし、『ソレイユの丘』で行なわれているのは
 イギリスのPFIとは違います。

 フジノ的に呼ぶならば、『横須賀版PFI』です。

 明らかに要求水準(『ソレイユの丘』で成すべきサービス)が
 民間事業者「横須賀ファーム」によって裏切られていたにも関わらず

 『横須賀版PFI』では
 サービス対価(横須賀ファームに支払う金額)の減額はしないのです。

 横須賀市は税金から毎年4億円を
 横須賀ファームにサービスの対価として支払い続けています。

 今回のような、意図的な食品の消費期限ごまかしを行なって
 来場者の方々に食中毒などが起きていたとしても
 おかしくないような危機的状況であった大問題にもかかわらず

 最終的な結論は、ペナルティポイントを5点つけただけです。

 この5点というのは、期限付きのポイントで
 3月31日を過ぎたらまた0ポイントに戻ってしまいます。
 (なんて甘い!)

 こんなにひどいことを起こしても減額さえ行なわないならば
 (株)横須賀ファームはこれからも根本的な改善はしないでしょう。

 何故なら、食中毒を起こすようなことをやっても
 横須賀市は見逃してくれるからです。
 ここまでダメでも、横須賀市は毎年4億円をくれるのです。

 横須賀版PFIでは、とてもではありませんが
 イギリスで成功したような成果は望めません。

 こんなひどい消費期限の偽装をしても
 市民のみなさまの税金から4億円が支払われ続けるのです。

 これこそ、税金の最悪なムダづかいです。

 情けない。何故こんなにも(株)横須賀ファームを
 市長が守ろうとするのか、全く理解できません。

 市長が守るべきなのは、市民の命です。

 一歩間違えば、食中毒者が多発していたかもしれない。
 あるいは、食中毒の結果、亡くなる人がいたかもしれない。

 そんな状況を知っておきながら放置していた企業に対して
 何故、こんな甘い対応しか行なわないのか。

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 さらに、フジノがずっと資料提供を求め続けている
 横須賀ファームの決算書類の提出が拒否されています。

 先日、5期目の決算書(監査の印もなく不備だらけでした)の
 提出を受けて、公認会計士に見てもらったことを
 この活動日記には記しました。

 しかし、その後、第1期から第4期までの決算書類については
 「出せない」と土木みどり部から連絡を受けました。

 (もちろん、今も「出してほしい」と市に要求しています)

 先ほど引用した野田さんの著書では
 こうした財務関係の書類の提出を義務づけて監視を厳しく行なうことも
 PFIの手法として挙げられていました。

 けれども、横須賀版PFIでは、
 そんな基本的な書類さえも
 市議会議員への提出が拒否されているという状況です。

 何故、出せないのか。

 出さないということは、不正があるのではないか。

 そう勘ぐられてもおかしくないことを
 横須賀市は何故、理解できないのでしょうか。



2009年2月11日(水)のフジノ
● やはり同じ想いを共有できていた/4才のこどもの死亡事件

 介護士をしていた祖母が
 わずか4才のお孫さんを突き飛ばして死なせてしまった事件について

 あの裁判をずっと傍聴してきた人々は
 「フジノと同じ想いを抱いているはずだ」と信じてきました。

 けれども、残念ながらこれまでこの裁判について
 誰とも意見交換をする機会は無くて、今日まで来てしまいました。

 けれども、ようやく同じ想いの方を
 見つけることができました。

 (2009年2月11日・毎日新聞より)

 フジノは1度も吉田記者とお話したことはありませんが
 きっとジャーナリスト魂を持つ方なのではないかと思います。

 裁判を傍聴した人しか、実母がどんな存在かを知りません。

 傍聴にはたくさんの記者が来ていましたが
 裁判結果だけの記事を書くだけならば
 (こどもを結果的に死なせてしまった)祖母の実刑判決だけを書いて
 終わりで済むのです。

 でも、2度とこんな事件を起こさせない、と願うジャーナリストならば
 そんなステレオタイプのことを書いて終わりでは済まないはずです。

 けれども、それは特集スペースでも与えられていない限り
 どこにも記すことができないものです。

 こうして神奈川県版というスペースに
 順番にコラムを書ける毎日新聞だったからこそ、という条件はあっても
 お茶を濁すような事柄を書いて終わりにもできたのを

 あえて1ヶ月前の事件について触れてくれたことに
 フジノはとても感銘を受けました。

 絶対に風化させてはいけない事件ですし、
 あまりにも真実が報道されていない事件だから。

 率直に、吉田記者のこのコラムは素晴らしいと感じました。

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 正式な来年度予算案の発表は行なわれてはいないので
 現時点では非公式な情報として読んでほしいのですが

 来年度予算案には、この事件を受けての
 横須賀市としての新たな対応が必ず載ることになります。

 それは、予算書ではわずか1行しか載りませんので

 この裁判を気にかけていたような
 こどもたちを虐待から守りたいと願う人々にしか
 見つけられないものかもしれません。

 でも、フジノはその1行を見つけた時に
 横須賀市の『良心』を見た気持ちになりました。

 ああ、4才のこどもの死はムダにならなかった。

 少なくともフジノはそう感じました。

 いずれ、正式に来年度予算案が発表された時には
 どういう新たな取り組みが成されるのかをお伝えしたいと思います。


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