まちの政治家は、こんなことしてます


2007年9月8日(土)のフジノ
● ひとり親家庭交流会に参加しました

 『ワンペアレント=ファミリー』あるいは
 『シングルマザー/シングルファーザーのご家庭』のサポートは
 政治家フジノにとって
 とても大切な課題の1つです。

 特に、シングルファーザーの方々を取り巻く課題については
 新聞社の取材を受けたり、
 テレビ局からの問い合わせをしばしば受けています。
 (現在も2社から取材依頼を受けています)

 今日は、横須賀市が年数回、開催している
 『ひとり親家庭交流会』に参加してきました。

 日頃は市民の方と1対1でお話をうかがうことが多いのですが
 交流会という形で15人を超える方々のお話を
 いっぺんにうかがえたことは
 とても良かったです。

 どんな話題も人の数だけ想いがある訳ですからね。
 生の声をうかがうのは、とても大切ですね。

ひとり親家庭交流会  10〜12時まで
 2時間、お話をうかがいました。

 「時間が足りないなあ」
 「もっと話したいなあ」
 と、みんなで感じた場でした。

 12時からは
 市の栄養士さんが作ってくれた
 ごはん(今日は冷やし中華!)を
 食べながら、
 こどもたちを交えて
 なごやかに交流をしました。

 お話をうかがう中で、差別の問題が何度も話題になりました。

 保育園など公の職員による言葉や行動に
 どれほど傷つけられているかということを改めてうかがいました。

 特に、いわゆるハーフのおこさんに対する差別には
 激しい怒りを感じました。

 肌の色が違うとか、そんなことで差別する人間は許さない。

 あまりにも資質に欠ける保育士は
 すぐに調査をして、事実カンケーが分かったら
 厳しく注意をしようと決めました。

 また、世間全体の認識の低さにも
 改めて悲しみと怒りを感じました。

 それから、ワンペアレントでおこさんを育てている中で
 身体が弱くて病気になりがちな親御さんの場合、
 収入の面でも働き方の面でも子育ての面でも
 本当にご苦労が多いことを改めて理解しました。

 僕もいつも何かしら病気を抱えていて
 そんなに身体は強くないので、
 もしこの状況でひとりきりで子育てをしていたらと想像すると
 その心身のご苦労は並大抵のものではないと感じました。

 さらに、これまでシングルマザーの家庭の
 こどもに支給されてきた児童扶養手当(最大で月額4万1720円)が
 来年度から減らされることが決定している点についての
 不安の声も多くありました。当然の不安の声だと思いました。

 これもひとことで言うならば、国の財政悪化によるカットです。

 厚生労働省は(障害者自立支援法と同じ論法ですが)
 手当てを払い続けるよりも
 自立を支援する為に、
 就労に向けてバックアップすることの方が大切だと主張します。

 この点についてフジノは、
 福祉の考えの中に自立支援が重視されてきたことは
 EU諸国をはじめとする世界的な流れなので
 考え方そのものは理解できます。

 でも、日本の場合は『自立』=『働くこと』だけを指しているという
 誤った価値観・偏った解釈がなされていることが多くて
 とても心配しています。

 本当の自立とは、その方々ひとりひとりの置かれた
 経済社会状況や環境や能力や健康面などによって全く異なるはずです。
 つまり、人それぞれに在り方は違うはずなのです。

 それをただ「働け!働け!」だけでは
 自立とは言えません。働くことだけが自立ではありません。

 また、

 「児童扶養手当に頼りはじめると働くかなくなる」

 みたいな発想はすごく一面的で間違っている、とフジノは考えます。

 多くの親御さんたちはかなり身体をボロボロにしながら
 こどもを守る為に暮らしを守る為に必死に一生懸命に働いています。

 むしろ政治・行政が先にしっかりと正すべきは、
 不安定なパート労働や非正規雇用などの在り方だと思います。

 まわりのサポートも得られないことが多い状況の中で
 市場経済だけを最優先させる働かせ方を変えなければいけない。

 フジノはそう考えています。

 いずれの問題にしても、

 ・国がダメな制度の場合には、横須賀市としてどう対応できるか
  横須賀市の在るべき姿を提案していきたい

 ・1人1人にあった暮らしの在り方をサポートする支援体制をめざす

 ・差別的な世間の対応は、徹底的に啓発して変えていく
  (フジノは差別禁止条例を提案していますが)
  時には、差別をする企業や個人を罰していく必要がある


 こんな風に考えています。

 確かに離婚は、個人の意思でなされたことではあります。
 (そうではない場合もたくさんあります。それをぜひ知っていて下さい)

 仮に百歩譲って「個人の意思で離婚したのだから」という発想が
 まかりとおったとしても、こどもに何の責任があるのでしょうか。

 死別の場合もあります。DVによる別れの場合もあります。
 ひどい配偶者に突然去られるというケースもあります。

 どのようなケースにおいても、こどもに罪はありえません。

 政治家としてフジノは、こどもたちを守る為に
 政治・行政が『ひとり親家庭』をサポートする事は当然だと信じています。

 今後もしっかりと生の声を聞かせていただいて
 政治・行政の責任において
 行なうべきことをしっかり行なっていきたい

 この今までの決意を改めて確認しました。


● カフェトークの会場が『RRROOM』に変わりました

 4年間お世話になった『BUENO』さんから
 会場が変わりました。

 今日からは、カフェ『RRROOOM』さんが会場です。
 フジノ事務所から徒歩30秒という(フジノにとって)好立地!

新会場RRROOMにてお待ちしております  すでにチームフジノの
 みなさんには
 おなじみの場所ですね。

 コーヒーもごはんも
 とってもおいしいカフェです。

 『カフェトーク』の日は、
 こんな風にテーブルを
 お借りして、
 お待ちしています。

 今回は2〜6名の参加でした。
 (出入り自由なので人数は変化します)

 今回の様子はまた明日以降にレポートしますが
 楽しく過ごすことができました。

 参加して下さった方々(特に飛び入り参加の方)、
 本当にありがとうございました。

 しばらく新しい会場ということで
 慣れないことから不手際もあるかもしれませんけれども
 いつもどおり、りらっくすした雰囲気で過ごせたらいいなあ、と思ってます。

 お気軽に遊びに来てください。

 ではでは。



2007年9月10日(月)『世界自殺予防デー』のフジノ
● 9月10日は、世界自殺予防デーです

 今日、9月10日は『世界自殺予防デー』です。

 この国には毎日やたらに『なんとかデー』があふれていて
 たぶんほとんどの人々にとっては『世界自殺予防デー』も
 そんなよくある誰にも注目されない日々の1つなのかもしれません。

 でも、僕には違いました。

 大切な人を失ってからの僕は
 毎日が全力をかけた『自殺予防デー』です。

 けれども特に今日は
 同じ苦しみや悲しみを抱えた人々が
 全世界でいろいろな取り組みをしているのですね。

 ちょっと思いつくだけでも、
 アメリカ、イギリス、オーストリア、オーストラリア、
 カナダ、ブラジル、ベルギー...。

 夜になって、外に出て、目をとじて、耳を澄ましてみると、
 秋にさしかかった空気を感じながら、
 虫たちの鳴き声を聴いていると
 多くの国々の人々と想いをわかちあえている気がします。

 僕にとっては、命日と同じように
 特別な日でした。

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 世界の人々とつながっているような
 そんな連帯の気持ちになれたのはあくまでも夜になってからで
 朝から夜までは逆に
 最悪の気分でした。

 遺族の多くの方々と同じように
 僕もまた命日がある月の前後1ヶ月ほど
 心も体も不調が続いてしまいます。
 まるでそんな時のように今日は、朝から「もうダメだな」と感じました。

 今感じている穏やかな気持ちとは逆に、
 全世界で同じ苦しみを持つ方々が
 一斉に改めて悲嘆を感じている苦しみの日のように感じました。

 僕はとにかく全ての携帯の電源を切って
 押し寄せてくる嵐をやり過ごすことに決めました。

 午後から横須賀市が開催する
 世界自殺予防デーの講演会にだけは出席する。

 激しい波が去っていくまでは
 深く潜って息を止めているしかない。
 ムリに水面にとどまって波にさらわれないように踏ん張っても
 苦しみの大きさが増えていくだけだ。やがて波は去る。

 それまでは、ただとにかく待とうと決めました。

 午後2時の開始が近づいてもひどく憂鬱な気持ちは晴れず、
 しかたなく事務所を出て、逸見の保健所に向かいました。


● 自死遺族の気持ちを理解する、自死遺族講演会@横須賀

 自死遺族講演会。

 4年前のこのまちでは
 誰も想像もつかない実現不可能なイベントだったと思います。

 自殺という言葉を発することさえ、忌み嫌われました。
 自死という言葉を遣っても、誰もその意味を理解する人はいませんでした。

 それがこうして今、開催されていることは
 本当に素晴らしいと感じます。

 4年間が経って、このまちの意識が
 少しずつ変わってきているのを感じます。

 会場には
 50名以上もの
 市民の方々が
 訪れてくれました。

 市議会からは
 瀧川きみえ議員
 来て下さいました。

 マスメディアからは
 神奈川新聞社
 来て下さいました。

 参加してくださったみなさまに、こころから感謝しております。
 本当にありがとうございます。

 プログラムの最初に
 保健所長から、あいさつがありました。

 「人身事故で電車が止まるたびに、
  何時間ストップしたとかダイヤが乱れたとか
  そんなことばかりが報道される。

  あるいは年間3万人亡くなったとか
  『数ばかり』が強調される。

  しかし、電車に飛び込んだ失われた『1つの命』が
  何故、追い込まれた末に自殺してしまわなければならなかったのか、
  その苦しみに想いをはせることは無いのではないか。

  そんな状況をとても危惧している」

 加えて、
 今日から始まった
 自殺予防週間
 告知してくれました。

 短いけれども
 とても胸を打つ
 あいさつでした。

 保健所長の大森さんは医師(ドクター)なのですが
 医学部時代からターミナルケアに深い関心を抱いて
 アルフォンス=デーケン先生(2月8日に横須賀に講演に来てくれました)に
 学んだこともある方です。

 自殺予防対策をすすめなければならない今この時期に
 この方が所長であったことを僕はとても感謝しています。


● 自死遺族の方のお話をうかがいました

 続いて、自死遺族の方が約30分間、
 みずからの体験を語って下さいました。

 (写真の撮影とHP掲載は
  ご本人の
  許可を頂いております)


 僕と少ししか
 年齢が変わらない、
 ほぼ同世代の
 息子さんを亡くした
 女性が
 お話して下さいました。

 「7年前、20代後半だった次男を亡くしました。

  就職氷河期に正社員になったのですが
  激務の為に、4ヵ月後出社できなくなってしまいました。

  好きだったこともできなくなり、部屋にひきこもる状態になりました。

  本で調べたカウンセラーのもとへ
  夫を誘って一緒に行って、指導を受けました。

  長期戦で見守ろうと決心したのですが、
  それから2ヵ月後、家族の留守中に自死してしまったのです。

  その日、朝ごはんを食べた時、
  何故だか息子の表情は悟りきったような表情でした。

  外出から戻った私が、自死をした息子の第一発見者でした。

  あまりのショックに息子の姿を正視することもできず
  すぐに119番に電話をしました。

  検死をしたお医者さまが
  「亡くなった時刻は、お母さんが出かけた後ですね」と言われて
  私は激しく自分を責めました。
  あの時、もしも出かけていなかったら...。

  自死のことをまわりに言うことはできなくて、
  葬儀も自分の暮らすまちではできず
  近親者のみで遠くのまちで行ないました。

  自死をするなんて、思ってもみませんでした。
  何故、どうして、と悩みつづけて、
  時には遺影に腹立たしくさえ感じました。

  何故、何故、と考えてばかりいました。

  1番親しい家族から
  「やはりこどもはお母さんの影響を受けて育つよね」と責められ、

  やっと自死を語ることができた親友からも
  「私の息子だっていつ交通事故にあって死ぬか分からない。
   でも悲しみは3年も経てば過ぎていくからね」と言われ、

  誰にも本当の気持ちは分かってもらえない
  と失望しました。

  世の中には大勢の人がいるのに
  誰にもこの悔しさを訴えることはできませんでした。

  ああ、息子を産まなければ良かった。
  私たち夫婦が悪かったのだ、家庭が悪かったのだ。
  自分も生きていたくない、あの子のもとに行きたい。

  そう感じました。

  そんな自分が唯一思いとどまれた理由は
  「残りの息子たちに同じ悲しみを味あわせることはできない」
  という想いだけでした。

  何が何でも生きていかなければ、と思いました。

  こうなってしまった原因を探りたい、そう思って
  新聞やテレビで知識や出会いを求めました。

  ようやく2001年になって、
  ある自死遺族の分かちあいの会と出会いました。

  その分かちあいの場で、
  自分のこころのたどった経緯と同じだと感じることが初めてできました。

  家族にも友人にも話せなかった想いを
  初めて語ることができました。

  仏壇の前で、私は息子に謝りました。

  それから、息子が生まれた時からのアルバムを開いてみました。

  かわいく元気に育ってきた次男の姿と
  一生懸命育ててきた自分の姿がそこにはありました。

  どんなことをしても息子は戻らない。過去は取り戻せない。

  でもいつもこころの中に息子はいつも生きている。
  そう感じて、私は息子に語りかけています」


 彼女は今、自殺予防の電話相談員をなさっています。
 また、自死遺族のわかちあいの場の運営の手伝いもされています。

 この国で「自殺を語れることのできる死にする」ことは
 政治家としてフジノのめざすことです。

 他の多くの死は、語ることができる。
 ご遺族が悲しみをまわりの方々とふつうに語ることができる。

 それが自死・自殺によるものだと
 この国では語ることができない。

 ご遺族(家族だけではなく心的距離が近かった方々のことです)は
 大切な方を失った悲しみだけでなく、
 語ることさえ許されない状況に
 二重に苦しめられているのがこの国なのです。

 僕自身もそうですが、こうして語り続けていくことが
 世の中を少しずつ変えていくのだと信じたいと思います。


● 長年サポート活動に取組んできた方の講演もありました

 最後に、NPOグリーフケアサポートプラザの副理事長である
 加藤勇三さんが講演を行ないました。

 加藤さんは
 東京自殺防止センター
 の所長もしています。

 9月8日から
 3日間、
 自殺防止センターは
 24時間相談を
 行なっています。

 グリーフワークの重要性を
 加藤さんは語りました。

 フジノの理解では、グリーフワーク(喪の作業/悲嘆の仕事)とは
 愛する者・大切な人を失った時に
 本来、体験する悲しみのこころの動きのことです。

 誰もが本当はグリーフワークをできるはずなのに、
 世の中が近代化されて
 社会が個別化していくことで
 生と死がバラバラになってしまい、身近な死が遠くなってしまった。
 自分のこころにあいた穴を埋める作業(グリーフワーク)が
 難しくなってしった。 

 それをサポートするのがグリーフケアの活動である。

 グリーフケアサポートプラザは
 人の死における悲嘆のあらゆる領域に取組んできたけれど
 近年は自死に特に力を入れている、とのことでした。

 そして、今日のテーマである
 『自死遺族の気持ちを理解する』ということを
 相談の事例や悲しみの過程について具体的に語って下さいました。

 特に印象に残った言葉は、
 自死遺族のサポートは決して難しいことではない、
 誰でもできることなのですよ、ということでした。

 大切なことはつらさや悲しみを
 しっかりと受け止めて聴く、ということ。

 けれどもこの国では、
 プレゼンテーション能力を高めたり主張することは教育するけれども
 実際に『聴く』ということは何かということの学習を全くしていない。

 また、聴くことはとても大切であると同時に、
 グリーフワークの邪魔をしてはいけない、ということも語られました。

 喪の作業は、あくまでも本人の仕事。

 先回りして過度に守ろうとするのではなくて
 その道のりを見守ってくれることも、とても大切。

 こうしたことが講演で話されました。

 (内容は全てフジノのメモから要約しておりますので
  内容に関する責任は全てフジノにあります)



● 横須賀での「わかちあいの場」の実現にむけて

 講演会の終了後に、フジノと瀧川議員とで控え室を訪れて
 講師をしてくださった自死遺族の方と
 グリーフケアサポートプラザの加藤さんと
 4人でいろいろなお話をさせていただきました。

 このHPの長年の読者の方にとっては
 もう飽きるほど繰り返しになる言葉ですが
 フジノはこのまちに自死遺族のわかちあいの場をつくりたいと
 ずうっと願っています。

 その為に行動もしてきましたが
 今のところ、実現していません。

 改めてその実現の為に、
 講師の方々にご協力をお願いしました。

 これを読んで下さっている方々にも
 ご遺族の方は多いと感じています。

 わかちあいの場を実現する為に
 この4年間はさらに全力を尽くします。

 だから、どうかあなたも力を貸してください。

 このまちにわかちあいの場は
 必要だとフジノは確信しています。

 どうか一緒に実現に向けて力を貸してください。
 よろしくお願いします。


● 明日は、自死遺族のこころの相談が行なわれます

 こうして今日9月10日の講演会は終わりました。
 今日は世界自殺予防デーですが、
 同時に、自殺予防週間のはじまりの日でもあります。

 明日はこのまちでは『自死遺族のこころの相談』が行なわれます。

 (広報よこすか・おしらせ版8月25日号より)

 どうか、こちらもぜひご利用なさってください。

 また、この1日の相談(面談方式)では無くとも
 保健所健康づくり課の精神保健福祉担当はふだんから
 電話での相談を受け続けています。

 孤独感にさいなまれる日々はとてもつらく
 時に生きていくことを難しく感じることもあります。

 でも、あえて同じ想いを持つ僕だからこそ
 あなたに伝えたいと思います。

 あなたは決して1人ではない。

 少なくとも「力になりたい」と僕たちは本気で信じています。

 一緒に少しずつ歩き出せたらいいですね。



2007年9月11日(火)のフジノ
● 犯罪の被害者の方々を守ることは、絶対に必要だ

 今日は、裁判所へ行きました。

 数ヶ月前から関わってきた
 ある事件の被害者の方々と共に、裁判の傍聴をする為です。

 ひとことで言うならば、裁判は『苦痛』そのものです。

 この裁判にたどりつくまでも
 『苦痛』の連続
でした。


 ・平和な暮らしがある日突然、犯罪によって奪われた『苦痛』。

 ・警察に被害を訴えるかどうかで悩み苦しむ『苦痛』。

 ・警察に被害届けを出した後も事情聴取を受け続ける『苦痛』。

 ・加害者が逮捕されるまでの恐怖にとらわれて暮らす『苦痛』。

 ・加害者が逮捕されても起訴されるか分からない日々を過ごす『苦痛』。

 ・マスコミ報道の記事で引き起こされるフラッシュバックによる『苦痛』。

 ・警察と検察によって事件現場で何度も再現させられる『苦痛』。

 ・逮捕された容疑者が保釈されるかもしれない恐怖による『苦痛』。

 ・示談を求める容疑者側の弁護士からの繰り返される連絡による『苦痛』。


 フジノは被害者の方に寄り添いながら
 この苦痛の過程を共に感じてきました。

 フジノでさえ、本当にひどい日々だったと感じました。
 きっと被害者の方々にとっては
 もっとひどい日々だったはずです。

 この苦痛がついに裁判によって晴らされるかと言えば
 そんな甘いものではなくて、今日もただひどい『苦痛』の日でした。

 法廷に入ると、傍聴席には
 法学部の大学生やら
 中学校の総合的な学習の時間なのか
 こどもたちがあふれていて

 傍聴は誰にも認められた権利とはいえ、
 興味本位なまわりの視線につらい気持ちになりました。

 裁判が始まると、告訴状が読み上げられて
 改めて事件の内容が細かく詳しく大勢の前で伝えられました。
 悲しくつらい想いの再現です。

 加えて、容疑者は事前の段階では
 容疑を認めているはずだったのに
 突然に

 「認めません」

 という言葉...。

 一体、何度、裏切られて苦しめられれば
 被害者に休息の瞬間が訪れるのでしょうか。

 裁判は続いていくし、
 裁判が終わっても、
 苦痛が消える日はいつになったら訪れるのでしょうか。


● 冤罪は許されないが、被害者をこそ、もっと守るべきだ

 容疑者は判決が確定すれば
 人生がその日から変わるでしょう。

 執行猶予がつこうがつくまいが
 犯罪者としての前科がつく訳です。

 1人の人間の人生が全く変わってしまうことだからこそ
 裁判はしっかりと行なわれなければいけません。

 冤罪(まちがい)は絶対に許されません。
 加害者・容疑者の人権も守られるのは当然です。

 しかし、それ以上に絶対的に
 被害者の権利が守られなければいけません。


 こんなにもつらく苦しい日々を送って
 たとえ判決で量刑が決まったとしても
 元の日々には戻ることはできないのですから...。

 だからこそ、被害者の方々の苦しみを
 少しでもやわらげることができるように
 政治・行政が全力を尽くすのは当然のことです。

 フジノは被害者支援への強い想い
 12年以上前からずうっと抱いてきました。

 そこで、昨年3月議会でフジノが一般質問を行なって
 『犯罪被害者支援条例』の制定を提案しました。

 それから横須賀市は、少しずつ動きだしました。

 例えば、まもなく市長から提案される予定の
 『(仮)市民安全条例』策定に向けた提言の中では
 犯罪被害者支援の必要性が記されています。

 けれども、フジノが最初に提案したような
 総合的な支援条例ではありません。

 あくまでも、犯罪を予防する条例の中の
 条文の1つに過ぎないのです。

 (*後日談:08年4月から本条例が施行されました。
  犯罪被害者支援は、第5章に明文化されました

 また、今年から犯罪被害者支援の相談窓口ができました。

 けれどもその窓口の実態というのは、
 他の仕事と兼務しながら相談をする市職員が1名と
 神奈川県警OBの方が非常勤で1名いるだけなのです。

 もっと犯罪被害者の方々をサポートできる体制を
 しっかりと確立する必要があります。

 すでに素晴らしい活動をしているNPOもあります。
 また、警察も被害者支援を行なっています。

 けれども、政治・行政には
 もっと総合的な支援ができるのです。

 新聞をひらけば毎日必ず事件が報道されています。
 テレビでも毎日のように
 判決を聴いた被害者がインタビューを受ける映像が流されます。

 誰もが他人事として、記事を読み、テレビを眺めます。

 そしてある日突然、犯罪にまきこまれて、気づくのです。
 被害者になるということの苦しみの大きさに。

 1人の悲しみを守ることは、結局はたくさんの人々を守ることです。

 政治家としてフジノは
 政治・行政がもっと行なうことができるはずのサポートを
 しっかりと提案し、実現していきます。



2007年9月12日(水)のフジノ
● S区問題(ラウンドワン問題)その後、売り渡し先が決まりました

 8月3日の活動日記に続いて
 S区問題(ラウンドワン問題)のその後を報告します。

 昨日、市議会議員あてに
 市から報告のペーパーが1枚だけ来ました。

 こちらです。

 結局、35億5699万2000円で
 (株)長谷工コーポレーション/双日(株)/三交不動産(株)の
 3社に売却することになりました。

 S区は、この3社による共同事業として
 鉄筋コンクリート8階建てのマンション(253戸)が造られます。

 またマンションが建てられます。

 財政がすさまじく悪い横須賀市にとって
 はじめ17億円でラウンドワンに売ろうとしていた市有地S区が
 2倍の35億円で売れたことそのものはラッキーです。

 しかし、またマンションとは...。

 もう何回も書いてきたので
 ここではくりかえして書きませんが
 政治家フジノの住宅政策

 これ以上、横須賀にマンションを造るべきではない

 という立場です。

 財政面からは良いニュースですが
 住宅政策の観点からは、この結果に全く納得できません。
 とても残念です。


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