まちの政治家は、こんなことしてます


2007年8月10日(金)のフジノ、その1
● 初めての東京大学

 今日は、東京・本郷にある東京大学へ行き、
 NPO法人地域精神保健福祉機構の主催する講演会に参加しました。

 今年最初の猛暑日、ということで
 ものすごく暑かったです。

 東大わきの道路は
 樹木が多くて
 涼しくて助かりました。

 東京大学って
 名前はものすごく聞きますが
 実際に行ったことのある人って
 少ないと思います。

 フジノ自身も、
 赤門のある本郷キャンパスに
 来たのは今日が人生初でした。

 会場は、あの安田講堂のわきにある、山上会館でした。

 安田講堂の実物は、
 生まれて初めて見ましたが
 ドキドキしました。

 ここでかつて激しい闘いが
 あったのですね...。

 さらに、三四郎池という
 名前の池がありました。

 たぶん、
 あの三四郎だと思うのですが
 時間的余裕が無くて
 寄れませんでした。残念。

 自然もたくさんあるキャンパスなので
 いつか仕事では無い時に
 (今日みたいに猛暑じゃない日に!)
 ぶらぶらと散策してみたいなあと思いました。


● NPO法人地域精神保健福祉機構(通称コンボ)のすごさ

 今日の講演会を主催しているのは、
 NPO法人・地域精神保健福祉機構(通称・コンボ)です。

 コンボは、本当に素晴らしいNPOだと思います。

 ・精神障がいのある人たちが
  主体的に生きていく社会のしくみを作ること

 ・その為に、地域で活動する様々な人たちと連携し、
  科学的に根拠のあるサービスの普及につとめること

 これがコンボの使命です。

 代表理事を勤めていらっしゃるのは
 フジノの大学時代の『こころの師』である
 あの大島巌さん(日本社会事業大学・教授)です。

 理事には、あのACT−Jを推進している伊藤順一郎先生
 (国立精神・神経センター精神保健研究所社会復帰相談部長)も
 いらっしゃいます。

 発行している会誌『メンタルヘルスマガジンこころの元気+』では
 表紙のモデルさんを
 精神障がいのある当事者の方がなさっています。

 表紙モデルは、毎号毎号、別の方が載ります。

 モデルさんは公募しているのですが
 すでにすさまじい数の応募がありました。

 この国で精神障がいをカミウングアウトすることは
 本当に勇気がいりますし、犠牲をはらうことになる場合が多いです。

 そんな悪しき風習を打ち破った
 コンボと『こころの元気+』を多くのマスコミがとりあげました。

 また、この表紙のことがたくさんとりあげられましたけれども
 中身もさらに素晴らしい情報にあふれています。

 例えば、『WRAP』(Wellnes Recovery Action Plan)という
 リカバリーに役立つツールの特集記事が載っていました。

 精神保健福祉の最先端を常に追っているフジノですから
 たいていのことは知っているという自身があるのですが
 『WRAP』については、『こころの元気+』で初めて知りました。

 WRAPはその効果から、
 きっと来年には日本中に知られていることでしょう。

 まさにコンボの使命どおりに
 こうした本当に役立つ情報が満載されています。

 このHPを読んでいる方々の中には、
 ぜんかれんが解散してしまったことに強いショックを受けた方が
 きっとたくさんいらっしゃることだと思います。

 そんなあなたは、どうかコンボに集ってください。
 フジノは自信をもってコンボを推薦いたします。
                     

● ソロモン先生の講演会、当事者サービス提供者という『希望』

 さて、そのコンボが主催した今日の講演会は

 ・精神障がいのある人たちが
  主体的に生きていく社会のしくみを作ること

 ・その為に、地域で活動する様々な人たちと連携し、
  科学的に根拠のあるサービスの普及につとめること

 という使命にそったものでした。

 講師は、フィリス=ソロモン先生です。
 (ペンシルバニア大学社会政策・社会実践学部・教授)

 タイトルは、

 『サービス提供者としての精神障害当事者
   〜日本でこの視点を導入することの重要性と展望〜』


 です。

 世界の精神保健福祉では、
 リカバリー(元気回復)やエンパワーメントを促進する観点から
 今、とても重視されていることがあります。

 精神障がいのあるご本人(略して『当事者』と呼びますね)が
 スタッフとして、または、サービス提供を行なう立場として
 活動をしていくこと。

 このことが強く重視されているのです。

 精神障がいのある当事者の方が、
 精神障がいのある方々のサポートを行なうスタッフとして活動する。
 当事者の方々が理事会や予算をコントロールする。

 これが大切なんです。

 日本にもささやかながら
 当事者の方が相談を受ける側として活動する
 ピアカウンセラーのしくみなどがあります。

 しかし、まだまだ本当に
 ささやかな動きでしかありません。

 精神保健福祉があまりにも立ち遅れている日本では
 本格的な『当事者であり、かつサービス提供者』ということは
 なかなか無いのです。

 とてつもなく遠い理想のように感じてしまいます...。


 ソロモン先生のお話は、とても刺激的でした。

 すでに、当事者専門家(当事者であり専門家である)の養成も
 すすめられていて、全国的な研修も成されているそうです(こちら)。

 新しく大きな全国組織(全国当事者専門家連合)もできています。

 こうした『当事者によって提供されるサービス』は

 ・当事者に本当の価値を与える

 ・希望、受容、洞察、リカバリーへの志向性を与える

 ・専門家や家族や社会に、当事者の能力を示す

 ・他の方法で関係作りができないけれども
  サービスや支援が必要な個人との関係づくりを助ける

 ・受容的な環境を提供する

 とのことでした。

 こうした『当事者サービス提供者』『当事者専門家』の存在を
 今すぐ日本全体に広めることは難しいかもしれません。

 けれども、これは大きな『希望』です。

 フジノも持つ国家資格である『精神保健福祉士』を
 取得しようとしている/すでに取得した
 当事者の方はとても多いです。

 これはまさに
 『当事者サービス提供者』『当事者専門家』への動きです。

 この国を覆っている差別・偏見・スティグマを打ち砕くのは
 こうした動きだとフジノは信じています。


(その2へつづく)


2007年8月10日(金)のフジノ、その2
● 日本での『当事者による活動』/宇田川さんのスピーチ

 続いて第2部が行なわれました。

 日本側から話題提供者がまずお話をしました。
 それに対して
 ソロモン先生からのご意見や
 会場の参加者との質疑応答がありました。

 話題提供は、
 宇田川健さん(日米精神障害者交流事業・代表&コンボ理事)と
 寺谷隆子先生(日本社会事業大学・客員教授)のお2人です。


 宇田川さんは、精神障がいのある当事者として
 アメリカの当事者による活動として有名なビレッジとの交流活動に
 とても熱心に取組んでいらっしゃいます。

 ビレッジ、と言われても
 精神保健福祉の関係者以外は分からないですよね...。

 プロジェクトリターン・ザネクストステップ
 もっと分からないですよね...。

 どちらも、アメリカのとても素晴らしい
 当事者の方々による活動なのですけれども
 宇田川さんの活動のおかげで交流が行なわれてきたと言っても
 過言ではありません。

 (最近は更新されていませんがこちらのブログ
  宇田川さんについて少しだけ知ることができるかもしれません。
  宇田川さんがロングインタビューに応えている本もあります)

 宇田川さんからの話題提供としては

 ・アメリカから来日する精神障がいのある当事者の方々を
   迎える委員会に宇田川さんたちが選ばれた

 ・あらゆる準備の為に委員会を開くたびに臨床心理士が同席はするが
   彼は全く言葉も発しないし何にも手伝ってくれなかった

 ・心身ともにくたくたになりながらも何とか無事に来日を果たせた

 ・終わってから数年を経た今になって、当時の臨床心理士の目的、
   当事者による運営、であったことがよく理解できる

 ・当事者のリカバリーの為には、周囲の人々は
   家族も精神科医も放っておいてくれることが大切だと思う

 こんな感じの内容でした。

 フジノがむりやり上に要約したものでは分からないのですが
 英語と日本語でのスピーチはユーモアにあふれていて分かりやすく

 「リカバリーとはこういうことなんだよなあ」

 と、改めて感じました。素晴らしいと思いました。


● 隔離室で当事者の方と共に眠ったソーシャルワーカー/寺谷先生

 もう1人の話題提供者は、寺谷隆子先生です。

 寺谷先生は、日本の精神保健福祉の
 リビングレジェンドの1人です。

 これもまた精神保健福祉の世界では
 『JHC板橋』というのはすさまじく有名なのですが
 寺谷先生はその設立者でもあります。

 フジノも日本社会事業大学の通信教育過程の時
 ラッキーなことに寺谷先生の講義を受ける機会に恵まれました。

 今日うかがったお話も、すさまじいものがありました。

 寺谷先生は、精神科病院でソーシャルワーカーとして
 22年間働いていらした時の体験をお話してくれました。

 当事者の方々の回復する力を信じる、というのは
 言うのはカンタンですが、ドクターも家族もなかなかできません。

 精神障がいのある当事者の方々に
 何かしてあげよう、これは禁止しなければ、とか
 一方的に与える、一方的に奪う、そんなことばかりに陥りがちです。

 けれども、そうではない。
 1人の人間として接する。

 こんなにも当たり前のことが
 精神保健福祉の世界では、専門家でもできないのです。

 そんな中、寺谷先生がソーシャルワーカーだった頃、
 精神科病院の隔離室(フジノが最も許せない牢獄みたいな部屋です)で
 入院している方と夜を明かしたり、
 ご家族のいない当事者の方が外泊の時には
 ご自宅に一緒に連れて行って過ごしたそうです。

 うーん、こうやって文章にすると全く味気ないのですが
 寺谷先生と同じことをできるソーシャルワーカーが
 日本に一体いるのか?、という感じなのです。

 話題提供のお話の間も質疑応答の間も
 寺谷先生に対して感嘆の声がたくさんありました。


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 こうして、ソロモン先生・宇田川さん・寺谷先生に加えて
 司会に伊藤順一郎先生・大島巌先生と
 すさまじく豪華な顔ぶれの第2部が終わったのでした。

 本当に勉強になりました。

 あとはこの最先端を、どうやって横須賀に持って帰ってくるか、です。

 この悩みは大学時代からずうっと続く悩みです。

 大学で最先端の文献・論文を読み漁って
 あるいは東京の進んだ精神科クリニックでボランティアをして
 僕の中には現在の最先端が知識や体験として在るのです。

 それなのに京浜急行に乗って横須賀に戻ってくると
 ひどく情けない劣悪な現実が待っている...。

 かつては臨床心理学を学ぶ大学生としての悩みでしたが
 今は精神保健福祉を向上させる政治家としての悩みです。

 でも、必ずこのまちの精神保健福祉はもっと良くなる。
 それを信じて、いつも僕は一番素晴らしいところと繋がっていよう。


● 精神保健福祉の最先端で活躍する方々との懇談

 講演会が終わって帰ろうとしていたら
 主催者の方から

 「フジノくんも懇親会に来ればいいのに」

 と言われて、断りきれずに
 あっけなく出席することにしました。

 うーん、申し込んでなかったのですが...(笑)。

 懇親会には精神保健福祉の世界の
 フジノがこころからリスペクトしている方々が集まっていました。

 講演会場から懇親会場へ向かう途中で、
 話しかけてくださったのは、藤井達也先生でした!

 藤井先生は『やどかりの里』の『やどかり研究所』の代表であり、
 同時に僕の通う大学院の教授でもあります。

 『やどかりの里』もまた本当に素晴らしいのです。

 フジノの大好きな『べてるの家』と
 寺谷先生が理事長の『JHC板橋』と
 『やどかりの里』の3つは
 日本の精神保健福祉のベスト3だと思います。

 藤井先生が教授として在籍していることもまた
 フジノが今の大学院を進学先に決めた要因の1つでした。

 でも...。

 藤井先生に話しかけていただいたのは
 とてもうれしかったのですが

 「フジノくん、大学院に全然出席できてないけど
  単位どうするんや」

 そうなんですよ!

 前期の藤井先生の授業、
 『イタリアの精神病院解体』についてのゼミで
 フジノのすごく関心ある分野なのに
 5回くらいしか出席できてないのです。

 これがもう本当に悔しくて悔しくて...。

 「藤井先生、単位は無しにしていただけませんか...。
  来年の春学期にもう1回受講したいんです!」

 「それはかまわないけど、自分から
  『単位を落としてくれ』ってきみは珍しいな...(苦笑)」

 みたいな会話をしながら、
 懇親会場へ。

 精神保健福祉の世界の
 リスペクトすべき方々がたくさんいらっしゃいました。

 伊藤先生、大島先生、寺谷先生、藤井先生、と
 名前を書きながら思ったのですが
 みなさんもともと研究者では無いんですね。

 むしろ、実践の世界で生きてきて
 その成果というか効果を世間に広めていく過程の中で
 研究者になったり、大学に教授として招かれたり。

 例えば、名前を聞いて連想するのは
 寺谷先生といえば日本社会事業大学というよりも『JHC板橋』、
 藤井先生といえば上智大学教授というよりも『やどかりの里』、
 というように。実践者なんですよね。

 大島巌先生

 懇親会は、とても有意義でした。

 精神科の活動がとても気合いが入っていることで有名な 
 ある東北の市立病院(総合病院)のドクターとお話しました。

 学校の先生として働いていて
 精神障がいになって休職・復職をなさったある方は
 職場で病気をカミングアウトして
 今、働いているとのことでした。

 フジノがいつもシルバーリボンを必ずつけているように
 この国には偏見・差別・スティグマが強く存在しています。

 そんな中、学校というややもすれば閉鎖的な場で
 よくぞカミングアウトした!すごい!と感じました。

 この方をはじめ、当事者の方々ともたくさんお話しました。

 ソロモン先生
                     

● たとえ全家連が解散しても、その遺伝子はここにある

 懇談会では著名な方だけではなくて
 個人的に大切な方々とも再会を果たすことができました。

 解散してしまった全国精神障害者家族会連合会(ぜんかれん)で
 フジノが18才(大学1年)の頃から
 本当にお世話になった
 桶谷さんと丹羽さんのお2人とも再会しました。

 桶谷さんとは、1年半ぶりの再会で、
 丹羽さんとはなんと5年ぶりの再会でした。

 このお2人が居てくれなかったら
 僕は自殺していても決しておかしくなかったくらい、
 18才の頃、本当に助けてもらいました。

 大切な人が精神障がいを発症してしまった時、
 どうしていいかなんて全く分からなくて誰もが苦しむ。
 でも、この国はそんな苦しんでいる人を排除する。

 僕たち2人も世間から徹底的に排除されようとしていた。
 本当に世の中は冷たく、人々は憎らしかった。

 そんな僕たちをふつうに迎えてくれたのが
 このお2人だったのだ。

 ふつうに笑顔で迎えてくれる、
 ただそれだけのことを世の中は一切してくれなくなるのだ。

 それは体験した人にしか分からない。

 けれども、18才の僕と元恋人は
 ふつうに接してくれたこのお2人がいてくれたから
 当時、なんとか生きてこれたんだと思うのです。

 僕は今でこそ政治家なんて職業をしているから
 いろいろな人に色めがねで見られてうんざりさせられることばかりです。

 でも、このお2人は、僕がまだ18才の時から知っていてくれて
 今から15年以上も前から
 どれほど切実に「精神保健福祉を変えたい」と
 僕が祈り願っていたかを知ってくれているのですね。

 だから、本当にありがたい存在です。

 僕は政治家になりたいんじゃない。
 僕は自殺を無くして精神保健福祉を変えたいだけ。

 10代から変わらないその本気の想いを
 ずうっと知ってくれている
 見守ってくれている人が存在するということは
 本当に『救い』というか『恩寵』のように感じるのです。
 人生ってフシギですね。

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 そんなきっかけを与えてくれた全家連は
 42年間の歴史を今年4月17日に終えました。

 解散に追い込まれて、今は無くなりました。

 全国のたくさんの人々に衝撃を与えたニュースでした。

 それから4ヶ月。
 今でも確かに全家連の解散はとても残念でたまりません。
 それは言葉では語ることができない悲しみです。

 でも、僕はめげることはありません。
 その遺伝子は確かにここにあると僕は思います。

 この会場に集った多くの方々のこころには
 精神保健福祉を良い方向へ変えていこうという想いがありました。

 それこそ全家連の遺伝子だとフジノは信じています。

 尊敬する先生方、参加していた方々、
 そして僕自身の中にも
 消えることなく遺伝子が受け継がれていると感じます。


 ●

 こんな風に感じることが改めてできて
 懇親会、参加してよかったなあと思いました。

 明日もまたがんばれる。がんばろう。
 そんな風に思いました。



2007年8月12日(日)のフジノ
● 『赤貧洗うがごとし〜田中正造と野に叫ぶ人々〜』上映会へ

 今日は、横浜市中区日本大通の情報文化センターへ。
 『赤貧洗うがごとし〜田中正造と野に叫ぶ人々〜』上映会に参加しました。

 タイトルのとおり、田中正造の人生を描いたドキュメンタリーです。
 田中正造さんとは、明治時代の政治家です。


 足尾銅山からもたらされる鉱毒で苦しむ人々を救う為に
 田中正造は鉱業停止を求めて
 死を覚悟で、明治天皇の馬車へと直訴を決行した。

 しかし、護衛の警官にとりおさえられ、直訴は失敗。

 政府は世論を恐れて
 発狂した老人の行動として、正造を無罪放免した。



 この天皇への直訴のエピソードは
 教科書にも載っていたので
 知っている方も多いのではないかと思います。

 政治家フジノにとって、田中正造さんは理想の政治家です。

 上映会を主催するNPO法人洗心洞大学の理事である
 加藤正法さんに上映会のお知らせを頂いて、
 喜んでうかがいました。

 映画は、田中正造の
 人生を追うと共に

 ・自然破壊

 ・公害

 ・政官財の癒着

 ・命の大切さ

 などの
 現在にも完全に通じる
 普遍的なテーマを
 描いていました。

 フジノにとって映画の内容は知っていることばかりでしたが
 ものすごくたくさんの証言フィルムには驚きました。

 今から100年前のことというとすごく昔のことに感じますが
 30年くらい前までは、田中正造さんを
 リアルタイムで知っている人々がまだまだたくさんご存命で、
 そうした方々の証言フィルムが存在しているのですね。

 やっぱり生の声って、すごいですね。

 『伝説になってしまっている存在』(=田中正造さん)を
 生で知っている人々の声というのは、
 高く祭り上げられている人を
 同じ『生きた人間』として感じさせてくれます。

 改めて彼の生きざまに衝撃を受けると共に

 「もっとしっかり生きていかなければ」

 と、フジノは感じさせられました。

 日露戦争を前に戦費を調達する必要性から
 当時の政府は帝国議会で増税案を提出しました。

 この法案をスムーズに通過させる為に
 なんとその見返りとして
 『議員歳費』を2倍半も引き上げる法案も提出したのです。

 つまり、政府は政治家を買収したのです。

 田中正造は、これに反対しましたが、帝国議会は可決しました。
 そこで、正造は全額受け取りを辞退したのです。

 そして、帝国議会に見切りをつけた正造は
 国会議員を辞任して、死を覚悟して天皇へ直訴したのです。

 こんなことができる政治家が
 現在いるでしょうか...。

 本当に民衆の暮らしの中に
 いつも共にあった田中正造さん。
 すさまじい生きざまですが、本当に素晴らしい政治家だと思います。

 ●

 映画はこれからも全国いろいろなところで
 上映されるようですから
 ぜひご覧になってください。


● 5年ぶりに親友と再会しました

 大学時代にフジノはUCLAに短期留学していましたが
 その時に出会ってから親友になったKくんに
 数年ぶりに再会しました。

 たぶん、5年ぶり。

 彼はこの間、中国でずっと働いていたのですね。

 数年ぶりに会ったのに
 離れていた時間をお互い全く感じないというのは
 やっぱり友達だからなのでしょうね。

 学生時代から世界一周をしたり、
 NHKでプロデューサーをしていたのに退職をして
 アメリカの大学院に留学してしまったり、
 彼からはずっと刺激を受け続けています。

 フジノは日本の片田舎のまちで生まれて
 ずっと同じこのまちに暮らし続けて
 たぶん人生をこのまちで終えるのだと思います。

 そんなローカルなフジノにとって、
 いつもワールドワイドな彼の行動力には感嘆します。

 歩む道は全く違うのですが
 お互いに信じる道を歩み続けられたらいいなあと思いました。

 また会えるといいな。


 


2007年8月20日(月)のフジノ
● 新しいパソコン&システムが導入されました

 今日は10時から市議会にて
 新しいパソコン&OS&システムの導入にともなっての
 説明会でした。

 これまで市議会の控え室にあった
 パソコンはスピードが
 とても遅くて残念ながら
 全く仕事には使えませんでした。

 だから、市議会で作業する時には
 しかたなく自分のノートパソコンを
 持ち込んで
 仕事をしていました。

 市議会のサーバーには、
 いろいろな資料が電子データ化して保存されています。

 けれども、自分のパソコンを
 議会のサーバーにつなぐことはできません。
 (もちろん、自宅や事務所などの外部からもつなげません)

 そんな訳で、結局、紙の資料を使うしかなくて
 事務所・家・市議会と紙ベースで大量の資料をいつも持ち歩いて
 仕事をするという状況が続いていました。

 それが新しいパソコンが導入されて、
 システムも外部からサーバーに接続できるようになりました。
 これでものすごく仕事の効率が上がるようになります。

 講習前の様子。
 43人分の
 パソコンが並ぶと
 壮観ですね。
 

 今日の導入講習に加えて、9月にあと3回、
 ソフトやシステムについて講習があります。

 これで仕事がしやすくなる訳ですから
 市議会議員としての仕事の質も高めていきたいと思います。


● 『よこすか市民後見人』説明会、大盛況でした

 18日(土)に開催された、
 『よこすか市民後見人』養成事業の説明会には
 62人もの方が参加してくれました。

 協力してくれる弁護士の方などマンパワーのカンケーで
 今年は8人の方を選考して参加していただく予定です。

 説明会は今日と23日の2日間ですが
 現時点で2日間合計で
 参加申し込みが88人もありました。

 これらの方々から書類審査・小論文・面接によって
 わずか8人にしぼっていきます。
 11人に1人しかなれない訳で、すごい倍率です。

 こうした成年後見制度への関心の高さは
 かつては考えられませんでした。

 かつての差別的な禁治産制度が無くなって
 2000年4月にスタートした
 新しい『成年後見制度』に希望を見出したフジノは
 これを広報周知していく為に必死でした。

 (例えば、4年前とか3年前の活動をご覧下さい)

 現在このように市民の方々の関心が高くなったことは
 本当に良かったと感慨深いです。

 さて、週が明けた今日、この盛況を受けて
 さっそく担当の長寿社会課長とお話をしてきました。

 ・これだけ関心が高いのだから、8名の枠を増やせないか?

 ・落選した方々にも何らかの別の形で
  権利擁護に協力してもらえるようにできないか?

  (例えば、認知症サポーター講座を受けてもらったりするなど)


 8名の枠を広げる、というのは
 やっぱりマンパワーの点で難しいとのことでした。

 成年後見を行なっている弁護士の方に
 1年間、実習としてついてもらったりするのですね。

 今現在受けていただいている弁護士の方の数では
 8名の枠がどうしても限界なのですね。

 来年度以降、もし他の弁護士の方も協力していただけたら
 受け入れ人数をもっと増やせるかもしれません。

 2点目については検討してみたい、とのことでした。

 ともかく、応募していただいた88名のみなさま、
 本当にありがとうございました。


 


2007年8月21日(火)のフジノ
● 重要なおしらせ/よこすか市民後見人の応募はまだできます!

 昨日の活動日記で、フジノはミスをしてしまいました。
 (もう訂正してあります)

 『よこすか市民後見人』養成事業は、
 あさって23日(木)も説明会があります!

 そして、申し込みは明日22日もできます!

 朝8時半から夕方5時15分まで、
 電話かFAXで応募できます。

 健康福祉部の長寿社会課・高齢者総合相談担当まで
 電話046(822)9613、FAX046(827)3398です。


● 人権懇話会を傍聴しました/宣言や指針で変えられるのか

 今日は10時からヴェルクよこすかで
 第11回目になりました『人権懇話会』を傍聴しました。

 これは、今年2月19日に発表された『人権都市宣言』に続いて
 『人権擁護施策推進指針』を新たに策定する為の会議です。

 これまでフジノは、かけ声だけでなく実際に差別を無くす行動の為に
 『差別禁止条例の必要性』を訴えてきました。

 しかし、蒲谷市長は(というよりも沢田前市長時代から)

 「条例はいらない。宣言と指針でいい」

 という姿勢を取り続けてきました。

 けれども、フジノが条例の必要性を強く訴えているのは
 実際問題として差別・偏見・スティグマが根強く残っている現実を前に
 理不尽な想いをさせられている方々がいるのを
 放っておくのは、政治・行政の怠慢で許せないからです。

 理想とか夢の世界の話では無く、
 差別・偏見・スティグマで今この瞬間に苦しんでいる人々を
 無くさなければならないのです。

 その為には、宣言や指針では弱いのです。

 というか、これを読んでいるあなたは
 今年2月に発表された『人権都市宣言』って知っていますか?

 かけ声ではダメなのです。
 もっと実効性のあるもので無ければいけないのです。

 その意味で、まず第1に、宣言や指針よりも
 正式な条例の方が絶対的に正当性が強いです。

 条例は、地方自治体の法律です。
 けれども宣言や指針は法律ではありません。

 第2に(こちらの方が実際には意味があるのですが)
 条例を作っていく過程の中で
 市民のみなさんを巻き込んでいく作業に大きな意味があります。

 すでに先行して条例を制定した千葉県のように
 市民全体を巻き込んだ動きのすごさ、
 当事者のみなさんが活動をすすめた素晴らしさ、
 この大きな渦を起こすことにこそ意味があるのですね。

 だからこそ今でもフジノは
 差別禁止条例を作るべきだと信じています。


● 傍聴を終えて/当事者不在で本当に良いのか

 これまでスケジュールがあわなくて
 過去10回の人権懇話会を傍聴できていません。
 また、その議事録を読んでいません。
 だから、もしかしたら的外れかもしれません。

 けれども、今回だけの傍聴を終えた限りでは、

 ・当事者の方々に参加してもらい意見を述べていただくべきだ

 ・わずか10数名の委員で話し合うだけでは全く足りない


 と、改めて感じました。

 改めて感じた、と書いたのは
 かつて市議会で「当事者を参加させよ」と訴えたからです。


 Nothing about us,nothing without us.


 「私たち抜きに私たちのことを決めるな」という言葉があります。

 これは福祉分野ではものすごく有名な言葉なのですね。

 当事者の方々のことを当事者以外の人々が決めるのはおかしい。
 自分たちのことは自分たちが決めていくべきだ。
 こういう当たり前のことを意味しています。

 人権懇話会とか人権擁護施策推進指針とか
 「差別を無くす」という『目的』そのものは正しいとは思います。

 けれども、その『手段』はこれだけで良いのでしょうか。

 もしかして過去の議事録を読んでみたら
 すでに当事者の方々がたくさん参加しているのかもしれません。

 けれども、今日のフジノが強く感じたことは、
 当事者の方々がいないままで
 話し合われていることへの違和感です。

 今日は『外国籍の方々』のことがテーマだったのですが
 外国籍の方々との交流に詳しい方はいましたが
 外国籍の方々ご自身はいませんでした。

 このまちに暮らす外国籍の方々の日々の本当の想いは、
 今日の懇話会にどこまで反映されたのでしょうか。

 かつてフジノが市議会で提案したように
 可能な限り当事者の方に参加していただくべきだ、と
 改めて主張します。


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 ちなみに今日の人権懇話会の資料から
 データを報告します。

 (何故か今日の懇話会では資料の持ち帰りが許可されておらず
  全て必死にノートに写したので間違えている数字があるかもしれません。
  他の審議会では資料の持ち帰りは大丈夫なのに
  何故こんなささやかな資料の持ち帰りがダメなのか疑問です)



 国籍別外国人登録数(2006年度末現在)
フィリピン 1,170
朝鮮・韓国 1,097
中国 649
アメリカ 438
ブラジル 438
ペルー 410
タイ 96
インドネシア 48
ベトナム 82
アルゼンチン 38
スリランカ 29
イギリス 26
モンゴル 30
ロシア 30
カナダ 23
その他 274
無国籍
合計 4,882

 軍人・軍属とその家族は含まない


 外国籍児童生徒在籍状況について(2007年5月1日現在)
    小学校 中学校 合計
中国 10 15
朝鮮・韓国 25 10 35
ベトナム
フィリピン 27 10 37
タイ
マレーシア
アメリカ 10 15
ブラジル 14 10 24
アルゼンチン
ペルー 28 34
パラグアイ
コロンビア
イギリス
外国籍児童生徒数合計 125 49 174

 このまちの小学校の約0.65%、中学校の約0.53%が
 外国籍のこどもたちです。


 

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